ユーラシア エクスプレス 殺人 事件。 【PS1】ユーラシアエクスプレス殺人事件【初見プレイ 最終回】

【楽天市場】ユーラシアエクスプレス殺人事件[un]:ユニオン

ユーラシア エクスプレス 殺人 事件

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ユーラシアエクスプレス殺人事件 遊ばなきゃ絶対に損をする 超名作アドベンチャー

ユーラシア エクスプレス 殺人 事件

「これは、映画なのか?ゲームなのか?」 このキャッチフレーズとともに、キャスト陣が横並びに揃う『Death Come True』公式サイトはどこか挑発的だ。 それもそのはず、本作は多くのプレイヤーを震撼させた『ダンガンロンパ』シリーズの小高和剛氏が、ゲームディレクター、シナリオを務めた新作なのである。 プレイヤーの間で紛糾を巻き起こし、そして絶賛された『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』から3年、あの悪名高き「モノクマ」を生み出したこのクリエイターは、我々をどのように驚かせてくれるのか? 『Death Come True』は、「実写ムービーゲーム」と銘打たれており、実写映像がベースの作品である。 多くの有名な俳優が出演しており、本郷奏多さん、栗山千明さん、森崎ウィンさん、佐藤二朗さんといったハリウッド映画にも出演した経歴をもつ、多彩なキャストが集合した。 プラットフォームは、iOS、Android、Nintendo Switch、またのちにPS4、PCで展開予定だ。 実写映像を観賞しながら選択肢を選ぶ、という意味では最近では『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』のような、いわゆる「インタラクティブ映画」を彷彿とさせるかもしれない。 しかし実際に本作を体験すると、それとは明らかに異質の体験がある。 それはアドベンチャーゲームの開発を経験したクリエイターだからこそできる、新しい表現といえるかもしれない。 『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』が与えたインパクトからさらに一歩進んで、『Death Come True』は「モノローグを多用してはいけない」という映画文法の慣習すらも打破した。 本作の「モノローグ」は新たなスタイルとして根付いており、それがゲーム的な体験として成立しているのだ。 我々は映画がゲームになる瞬間を、本作で目撃するだろう。 1982年のアニメーションをもちいた『ドラゴンズ・レア』を旗手として、映像観賞をベースとして分岐していくタイプのゲームは、いまだにメインストリームとはいえないものの、現在でもたびたび作られている。 映画におけるは実例は少ないものの、たとえば1985年の『殺人ゲームへの正体』は訪れる映画館ごとに結末が違うという、マルチエンディング映画だった。 こうした「分岐映画」、「実写ゲーム」というのは、意外と歴史が古く、90年代以前のこうした歴史については、筆者は別媒体でまとめたことがあるので参考にして欲しい。 90年代以降となると、CDの普及によって、実写を用いた作品は海外で爆発的に増え、特に1992年の『ナイトトラップ』が話題になった。 しかし作られたものの多くは、『Death Come True』のような映画鑑賞の体験がベースというよりも、既存の格闘ゲームやアドベンチャーゲームの仕組みのなかでイラストレーションを実写に置きかえる、というものである。 こうした流れでは、1998年にエニックスが発売した『ユーラシアエクスプレス殺人事件』は、ひとつの美学を達成している。 一人称視点の探索型アドベンチャーゲームの体裁ながら、空間移動や登場人物との会話の映像をループさせて繋げるなど、徹底的にシームレスなつながりにこだわった。 昨今で、映画鑑賞の体験をベースとした「分岐映画」の復活のきっかけとなったのが、2016年のクライム・サスペンス『レイト・シフト』である。 これはTVドラマ『シャーロック・ホームズ』のスタッフが制作したもので、高クオリティの映像に加え、「選択肢が表示されている間、映像は静止しない」という仕組みが評価された。 話題となったNetflixの『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』は、この『レイト・シフト』の仕組みを踏襲している。 さらにストーリー自体を「ゲームブック」と「アドベンチャーゲーム」を題材にした「ゲーム開発内幕もの」にすることによって、「選択肢を選ぶこととは何か」という高い批評性を表現した。 シナリオを書いたのは『ブラック・ミラー』シリーズを統括しているチャーリー・ブルッカー氏。 氏はもともとPCゲーム雑誌のライターをしており、こうした批評性は、80年代の米国「インフォコム」社のアドベンチャーゲームで表現されていたブラックジョーク的なメタ・フィクションを取り入れたのだと推測できる。 こうしたビデオゲームの経験が息づく映像作品は、なにも「分岐映画」だけではなく、『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』のような通常の劇場映画でも導入されており、『Death Come True』もその一角を占めるといえる。 この種の映画はパロディ的にゲームを解釈することによって、我々に「ゲーム」であることを感じさせているが、意外にも『Death Come True』はそうではない。 むしろそこをカジュアルに設定しながらも、実は映画の慣習を打ち破り、強く「ゲーム」を喚起させることに成功しているのだ。 『Death Come True』という「映像」は、どのように自身を「ゲーム」たらしめているのか、その新しい地平を探ってみよう。 その部屋ではベッドに男が眠っているが、すぐに鳴り響く電話で目を覚ます。 受話器を取ると、ホテルのフロントからのモーニングコールだったようだ。 周りを見渡した男は驚く声をもらす「ここ…どこだ?ホテル?」。 どうやら男は記憶喪失で、なぜホテルにいるのかわからないようだ。 テレビで流れるニュースでは、その男の名前と写真が報道されている。 そのニュースによると、男の名前はカラキ マコト、連続殺人犯として指名手配されているという。 記憶喪失、そしてなぜか指名手配されている自分。 戸惑いながらも、主人公はホテルにいる警察官の捜査網をかいくぐる必要がある。 ゲーム冒頭の選択肢は、警察官を部屋のなかに招きいれるかどうかだ。 そういった選択肢を選んでいくなかで、カラキ マコトは命を落とすこともある。 すると不思議なことに時間がループして、記憶は受け継がれたまま、またこのホテルの一室に戻されることになる。 ストーリーについてこれ以上、言及するのはネタバレとなるので避けることにしよう。 本作の白眉は、なんといっても実写映像をもちいたことだ。 特に刑事を演じた森崎ウィンさんの、ケレン味のある演技は素晴らしい。 照明や美術、カメラアングルなどは高水準で作られており、メジャーな日本映画のクオリティの高い作品と並べても、違和感はない。 小高和剛氏らしい捻りがあるストーリーは本作でも存分に発揮されている。 選択肢次第では、主人公はさまざまな死に目にあってしまうが、その死に方の種類によって「デスメダル」を取得することができる。 これは集めた数に応じて特典映像が見られるというもので、物語本編に影響することはない。 だがこうしたギミックが存在することで、さまざまな選択肢を試して、すべてのバッドエンドを見てみたいという気持ちにさせられる。 本作はストーリーが分岐していくので、1周目だけでは、すべての選択肢を選ぶ人はいないだろう。 そこでユーザーは2周目を進めていくわけだが、本作は2周目も快適に楽しめる工夫が施されている。 本作では10秒単位で前後に映像をスキップする機能があるため、観賞済みの映像をじっと凝視する必要はない。 たとえばこれが場面ごとに飛ばしてしまうものだと、スキップしている間にストーリーの整合性がわからくなるかもしれない。 だが、10秒単位だとストーリーの流れを抑えつつ、テンポよくストーリーを進めることができる。 本作はストリーミング形式ではないため、スキップも一瞬で切り替わる使い勝手の良い快適な機能といえるだろう。 『Death Come True』で「ゲーム」を喚起させるポイントは多くある。 たとえば「記憶喪失」や「選択肢」、収集要素である「デスコイン」も挙げることができる。 だが、地味ながらも鈍く驚かされるのが、逐一描写される主人公の「モノローグ」である。 たとえば「大丈夫、きっと思い出せる」、「どうする、この警察官をなかに入れていいのか」、「そうだ、この警察官に事情を話して助けてもらおう」といった主人公カラキ マコトの心情をあらわすモノローグが、全編にわたって挿入される。 これはほとんど説明的といってもいいくらいなのである。 こういった表現は、映画では完全にご法度である。 なぜなら映画は映像や演技で魅せてこそ、という価値観があるためだ。 もちろん、あえてモノローグを多用した実験的な映画は存在するが、モノローグや独り言でひたすら心情を説明して、本気でストーリーを語ろうとすると、映画業界においては失笑されるのが関の山だ。 実際、ループものの映画『ターン』は、それで批判されたこともある。 しかし本作の場合は、これがまったく苦痛ではないどころか、プレイヤーが選択肢を選ぶさいの一助とさえなっている。 そしてこの一人称のモノローグは、アドベンチャーゲームをプレイしたときによく見られる、「主人公による一人称の地の文的な表現」に似ているということにすぐに気付かされる。 この「モノローグ」は、ゲーム特有の経験ではないし、さらには「選択肢」や「デスメダル」など、いかにもゲーム的なギミックでもない。 それにも関わらず、本作ではこのモノローグがあるために、「アドベンチャーゲーム」であることを強く喚起させてくれる作りになっている。 もうひとつ「ゲーム」であることを喚起させるのが、本作の舞台がホテルに限定されており、ソリッド・シチュエーション・スリラー的な要素をもっていることだろう。 「501号室」、「廊下」、「フロント」など明確に場所が設定されており、曖昧な場所はほとんどない。 そもそも映画とは、映像を編集することで多角的に視点を変えたり、場面を転換したり、時間を省略したりと、空間や時間を「カット」する技法を生み出したことによって、発展してきた物語メディアだ。 一方でゲームは、チェスにしろシューティングゲームにしろ、ある一定の連なった空間を必要としている。 アドベンチャーゲームすら、もともとはTRPGが出自ということがあり、こうした連なった空間からはじまっている。 そこから抜け出して場面転換や時間の省略を使った物語を、ビデオゲームでどのように獲得するかというのかは、アドベンチャーゲームの歴史だった。 『Death Come True』はその点、映画の慣習である場面転換や省略よりも、ゲームの原理に忠実だ。 ホテルという限定的な舞台ということもあり、本作には空間と時間の連なりへの目配せがかなり働いている。 もちろん、しばしば「ゲーム的」と形容された、ひたすらシームレスに映像が流れる第一次世界大戦の映画『1917 命をかけた伝令』ほどには、空間や時間が連続的なわけではないし、むしろ本作はカット割りをしっかりと高いクオリティでやっている。 しかし、連なりのある限定的な空間であることが、『レイト・シフト』や『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』と比較しても、ある空間を探索しているかのようなゲーム的な印象を高めているのである。 そのなかで特に「モノローグ」は一種の発明といってもいいだろう。 もし本作が、「ゲーム的」と形容された『1917』のようにワンカットに見えるような完全シームレスな映像として作られていたとしたら、と妄想をいだかずにはいられない。 しかし『ユーラシアエクスプレス殺人事件』は探索型アドベンチャーのなかに映像を入れる方法論を使っており、『1917』の映画体験をベースにした作品とは違うものだ。 『1917』のようなゲーム的な映像スタイルで選択肢があるとすると、分岐映画はどのようになるだろうか。 それは「映画鑑賞の体験」と「映像を探索する」が融合した、さらなる次元のゲーム的な体験をもたらすかもしれない。 あるいは、Netflixなどのクラウドストリーミングサービス、5Gなどのインフラが普及することにより、映像の側からも『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』のような次世代の映像とゲームの融合の試みはさらに発展していくだろう。 その先には、日本で長年培われてきたアドベンチャーゲームのノウハウが活かされ、日本のゲームクリエイターが世界で活躍する未来が待っているかもしれない。 本稿はそういった、さらなる「実写ムービーゲーム」、あるいは「ゲームを体験する映画」への期待を抱きつつ、今後、このジャンルが活気を帯びることを祈りつつ、筆をおくことにしよう。 電ファミニコゲーマー:福山幸司、実存.

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ゲーム瓢論

ユーラシア エクスプレス 殺人 事件

ライセンスを得たジャレコが日本語版としてローカライズした上で移植したものである。 偶然その場に居合わせた探偵「チャールズ・フォックスワース卿」とその助手「ワトソン」が、ミシシッピ川を下るリバーボートで発生した殺人事件を解決する、という探偵モノとしてはベタな内容。 豪華客船が舞台の海上ミステリー! …と言えば聞こえはいいが、その正体は『』と並び語られる「死にゲー」。 船内を探索して、殺人現場に出くわすことがプレイヤーの最初の目標なのだが、ここでさっそく死にゲーの片鱗を見ることになる。 問題点 死にゲー要素• 理不尽なトラップが仕掛けられている。 特定の客室で落とし穴が仕掛けられており、落ちるとゲームオーバー。 しかし どう見てもバラエティ番組によくある落とし穴にしか見えない。 船の中の落とし穴とは、仕組みは一体どうなっているのだろうか? 「強度不足という欠陥によって穴ができ、転落死」と強引に解釈したい所だが、ワトソンが「誰かの罠だったんだ」と断定している。 そもそも1階下の部屋などワトソンが「この高さから落ちたのでは先生は…」と案ずる程の高さではない。 怪我はしてもおかしくないだろうが、それだけで簡単に死亡するチャールズ卿はスペランカーや並の虚弱体質とでも言うのか。 特定の客室の壁から飛んできたナイフに刺され、やはりゲームオーバー。 部屋に入った途端、主人公目掛けて一直線に飛んで来る。 すぐに避けなければ即死である。 ちなみに、ナイフが飛んできてから一歩も動かずにいると、見事に主人公の額に突き刺さる。 そのシュールな姿はよくネタにされる。 逆に回避がわずかに遅れると、グラフィック上は帽子の上を掠めた状態なのに刺さったと見なされゲームオーバーとなる。 これらトラップの所為で、 死体発見前に死体と化すなどとは本作ではよくある事。 しかし事件が解決しても、これらのトラップを用意した人間は謎のまま。 そしてワトソンの台詞「あぁ もし さいしょから やりなおす ことが できれば なんとか なるのに…」がプレイヤーを脱力させる。 穴に落ちた時だけ「 なんんとか なるのに…」となっている。 なおこれらの即死トラップは、PC版では入室できなかった部屋を使ったFC版オリジナル要素である。 ゲーム上の問題• 推理もののようではあるが、勘か総当りでしか進められない捜査。 特定の証言をワトソンに「メモ」させないと、他の人への聞き込みで活用できず、そのメモは証人1人につき3つまでしかキープしておけない仕様が曲者となっている。 どれが重要な証言かが分からないと先へ進めない。 しかも証言を一度聞いた後に同じ人物に同じ事柄を尋ねても、どんなに重要な証拠をしゃべっていても「 もういいました」「 さっき はなし ましたよ」としか言わなくなる。 メモし忘れた、あるいはもう一度聞いてメモしたくなったと思った頃には時すでに遅し。 証言のメモし忘れへのペナルティがゲームオーバー等はっきりと分かるものではなく、自然と先に進めなくなる「 手詰まり」であることも洒落にならない。 同じADVでも選択ミスがほぼゲームオーバーで同じ場面をすぐやり直せる『』の方がまだ良心的である。 こうなると電源を入れなおすか落とし穴やナイフを使ってわざとゲームオーバーになるなどしてゲームを最初からやり直すしかない。 証拠品が意味不明なところに隠されている。 まるでいいかげんなFLASH脱出ゲーム的ノリ。 いちいち自室に帰らないと証拠品整理や分析が出来ないのも不親切。 シナリオ上の問題• 回収し切れていない伏線がある。 会話に脈絡が無い。 しかしそのまま被害者について聞いてみると「な、なんですって!? ブ、ブラウンが!?」といきなり驚く。 バカにされているようにしか思えない。 登場人物の目に余る言動の数々。 「若くて可愛い売春婦」と公にすることが望ましくない他の乗客の情報を平然と打ち明けたり、銃で鳥を撃ち殺したり、私物である宝石を船長に預ける乗客とかたや 「責任を持ちたくないから」とその宝石が入った金庫を施錠せず開けたままにしている船長など、誰も彼も常識や倫理観が欠落している。 人間関係が極めて険悪。 「あの下品な若い女か。 洋服の着方などからわかりますよ」「あいつは人間のクズですよ。 下品で無教養で信用できない奴ですからね」「彼のような人の事をお聞きになるなんて侮辱ですわ」。 もう2、3人ほど被害者が出てもおかしくない状況である。 これらが事件解決の鍵や終盤への伏線になっていたのなら有意義な演出といえるのだが、 そんなことはなかった。 そればかりか後述する 結末の不可解さを余計に助長している。 事件全容の推理やトリックも極めていい加減な上に、 探偵の推理内容と犯人の言動が噛み合っていない。 事件の起きた部屋に銃弾が無かったことに対し探偵は「弾丸は彼の体を貫通し床を転がった。 そのうちに 床の隙間から下に落ちたのだろう」と推理している。 加えて助手はそれに対し「だから 弾丸が下の部屋にあったんだ!」と納得している。 確かに事件現場の真下の部屋に弾丸はあったのだが、そうだとすれば落とし穴といい床・天井は足踏みもままならないほど脆いということになる。 さらに、 その弾丸は机の中から発見されているのだが、自動的に弾丸が机の中に入るのだろうか。 凶器の行方についても「柵に当たったピストルは 銃身とグリップの2つに折れて銃身は 海に落ちたがグリップは柵に引っかかったままになってしまったのだ」と推理しているが、柵に投げて当たっただけで壊れる程度の耐久性ならば発砲した時点で粉々になってしまうだろう。 そしてこの船は ミシシッピ川を下っているのであり舞台は海上ではない。 銃声が聞こえなかった事に対し探偵は「他の乗客に上述の毎朝鳥を撃つ癖がある人物がおり、その時間に持っていた2丁のピストルのうち1丁を箱から出して被害者の部屋へ行き、 その乗客の銃声に合わせて射殺した」と推理しているが、犯人は「被害者は自分の船室に来るように告げられて部屋に行った後争いになりやむ無く発砲した。 殺す気は無かった」と証言している。 だとしたら 鳥を撃った乗客の銃声と被害者を射殺した銃声が全く同じ時間に聞こえたのは偶然なのだろうか。 更に犯人は「私は錯乱状態に陥ってしまった。 ピストルを綺麗にしていると(以下略)」と発言しているが、 果たして錯乱状態に陥りながら証拠隠滅を図れるのだろうか?。 こうしてようやく犯人を追い詰めても、 他の乗客が一斉に犯人の弁護をし始める。 しかもまるで 真相を暴いた主人公が悪いかのように言い出すばかりでなく、捜査上で証言しなかった重要な証拠や、事件の背後要因等を今更になって次々口にした挙句、 勝手に犯人を正当防衛の無罪と断定する。 殺人の動機に少なからず同情する余地はあるものの、そういった重要事項を探偵に証言せず、だんまりを決め込んでいたのは他ならぬ犯人以外の乗客達である。 後出しじゃんけんもいいところであるし、何より捜査を主人公に任せっきりにしていたくせに何様のつもりだ。 加えて前述の落とし穴や飛びナイフのような凶悪なトラップをあちこちに仕掛けて無関係の探偵まで殺そうとしていたのに、その件については一切追及されない。 犯人が仕掛けた者ならば到底無罪とは言えないし、そうでないというのならいったい誰の仕業なのか。 その犯人も、とても正当防衛で止む無く人を殺めてしまっただけとは思えない行動 を取っており、上記のいい加減なトリックからも分かるように、計画性や共犯者の存在を匂わせる様子も多く、無罪と結論付けるにはあまりにも無理がある。 しかしラストの弁護ではそれらについては一切スルーされる。 ここにきてこの事件の根底には 「所有していた銀山の採掘権を騙し取られ両親を失った娘の復讐劇」というシリアスな背景があったことを仄めかされるのだが、上述の理不尽かつ支離滅裂なシナリオ展開が全てをぶち壊しており、全くもって感情移入できない。 序盤では事件を悲観したり、被害者を憐れんでいたりしたのだが…• 船長「そんな… 彼はこの船の共同経営者なのに」• 被害者の息子「実はあいつは俺の父親なんだ」• しかし犯人が確定した途端、• 船長「彼女は当然のことをしただけです。 被害者は彼女の父親を自殺に追い込んだ奴ですよ」• 被害者の息子「勝手なことを言うな! 奴は彼女を脅していたんだ!(中略)彼女は自分の身を守るためにやったんだぞ!それなのにひどいじゃないか!」 と、一斉に掌を返す始末。 乗客達に押し切られるままに「 我々は大いに反省せねばなりませんな」とあっさり犯人の追及を取り下げる探偵も大概である。 これでは真相を暴いたプレイヤーが報われない。 助手は「記録に残る事件でしたね、先生」と呑気に宣う。 他の事件関係者に非難され殺人犯を忖度したなどという事件の記録が世間に知れ渡れば、立場が危うくなるのは探偵達であろうに。 この他の乗客も前述の通りやたら人間関係が険悪な上に、捜査段階ではやたら他人を疑ってかかっていたのだが、シナリオ終盤で犯人が追い詰められた途端、これまでの不仲ぶりが嘘のように一致団結して犯人の弁護に走っていることや、捜査段階で重要な証拠や事件の背後要因や人間関係を証言してなかったこと、そしてさも最初から犯人を知っていたかのような言い回しをしていることも手伝って、一部のユーザーからは「殺人を起こした犯人の他に罠を仕掛けたりアリバイ工作をしたであろう共犯者がいる」という説、更には 「チャールズとワトソン以外の登場人物が全員グル 」という説が囁かれている。 なお、古典推理小説にも「登場人物の大半が犯人とグル」という作品はある(アガサ・クリスティーのポアロシリーズのある1作など)が、その場合はラストで探偵が事件解決時にはっきりとそれを指摘するものであり、仮に本当に登場人物の大半が共犯という設定でもこのような終わり方ではミステリーとして問題である。 また、ゲームシステム上の仕様なのだが、ワトソンは一切トラップに引っかからない事から、 トラップの仕掛け人はワトソン説まで浮上する始末である。 ファミコン版独自の問題 ローカライズ移植作としてみると、オリジナル版から劣化した部分や粗が多い。 死にゲーなのに セーブ機能が削除されており、プレイの度に最初からやり直さなければならない。 捜査も中盤に差し掛かった頃あたりに、ついうっかり部屋を間違えて飛びナイフに刺されることも。 もう嫌だこの船。 原語版にはセーブ機能があるので死んでも途中からやり直せた。 死亡時のセリフ「やり直すことができれば」は、恐らく「セーブ地点からやり直すこと」を指していたと思われる。 移動速度がとにかく遅い。 原語版はもっと速く移動出来たのに、FCになって大幅に鈍化してしまっている。 上述の「なんんとか なるのに…」の他にも日本語訳のテキスト面に粗が見られる。 プロローグのテキストの時点で突っ込みどころ満載。 「げんき ずけているかの ようです」「さつじんを かいけつ」という誤字・稚拙な語彙表現や、それまで「ですます」調で語られてきたのに殺人事件発生を仄めかす部分だけ語尾が「~だろうか」になっているという文体の一貫性のなさが確認できる。 ある外交的ではない乗客が富豪の乗客から社交界に出るようにとしつこく勧められている話をする際、「私を 社会に参加させようとしているが全くの無駄だ」と語っており、その人物が引きこもりであるかのように誤解しかねない。 "society"が「社会」と「社交界」の両方の意味を持つことによる誤訳と思われる。 序盤の流れが不親切になった• 原語版は最初に犯行現場の部屋しか入れず、これを船長に報告してから他の部屋に入ることを認められた。 このためよく言われる「事件発覚前にトラップの部屋に入って訳も分からず死亡」という展開は起きなかったのだが、このフラグがなくなってしまったせいでゲーム開始直後に罠にかかって即死する事態が起きるようになった。 もっとも理不尽なトラップ自体については、FC版は実はこれでも 緩和された方だったりする。 原語版ではドアを開けようとすると 物が落下してきて首の骨をへし折るという極悪トラップがあり しかも、ドアを開けようとした瞬間にランダムで発生する 、確認したら即座にドアから離れないと死んでしまう。 …コレはどう考えても無差別殺人ではないだろうか。 ボタン連打でテキストを早送りすればファッションショーさながら。 原語版でも同様に一人一人探偵の前に来て発言するが、こちらは全ての乗客がちゃんと部屋の中に集合している上での描写である。 原語版に存在していた事件解決後のエンディングが削除された。 このため、クリア後の演出は画面はそのままで「 ゲームオーバー おめでとう チャールズくん」といった祝福のメッセージが表示されるだけという非常に味気ないものになっている。 スタッフロールも存在しない。 ゲームオーバー表記に関しては後述の原語版のエンディングを反映したものとも解釈できる他、「ゲームは終了した」という広義で捉えれば間違っておらず、当時はクリア時にゲームオーバーと表示されること自体はそこまで珍しくはない。 だが、ただでさえ腑に落ちない結末であるがゆえに、プレイヤーにとってはひたすら骨折り損のくたびれもうけである。 原語版のエンディングは「これから到着するニューオーリンズでも数々の事件に遭遇するかもしれないが、 今日はもう充分に刺激的だったことだしアイスクリームでも買いに行こう」といった会話が繰り広げられた後、死体発見時・ゲームオーバー時のBGMが流れるという、こちらも実になんとも言えないものとなっている。 評価点• 当時のミステリーゲームとしてはまだ少なかった、3人称視点のマップを探索して調査するシステムを採用している。 本作発売当時、ミステリーゲームといえばのようなコマンド形式が主流だったため、この手のゲームとしてはかなり斬新なシステムだった。 それだけに、即死トラップの多さや、移植に際して劣化した移動速度などの点で遊び難さに繋がってしまっているのが残念なところである。 短いジングルではあるものの、乗船者のいる部屋に入った際のBGMが人物ごとに個別に用意されている。 今となっては落とし穴やナイフトラップの方がネタとして有名になっており、その点では愛されるクソゲーと言えなくもない。 本来の遊び方ではないが、開始何秒で穴に落ちるかを競ったり、船長室BGM終わりの効果音 アタック25の早押しボタンの音 を何度も聞いたりといった楽しみ方を見出す人もいた。 そう言った遊びが出来る点はまだ救いがあると言えるか? 総評 洋ゲーのローカライズではあるが、トリックはいい加減・シナリオも不可解でツッコミ所満載・理不尽な仕様に最悪なUI・演出、グラフィック面でもチープで当時としても誉められたものではない、と何処を切っても問題点しか出て来ず、クソゲーと断ずる他無いのが実情である。 原語版におけるワトソンの本名は"Regis Phelps" リージス・フェルプス であり、なじみ易い名前に、との判断で有名な推理小説シリーズであるホームズシリーズにおける主役の相方から名前を拝借したようだが、さすがに主人公"Sir Charles Foxworth"をホームズにするのは控えている。 実は双葉社が出版していた「冒険ゲームブックシリーズ」の一作として本作の続編的作品が存在する。 本作の事件の犯人が射殺されると言う衝撃的な幕開けであるが、本作で放置された伏線が回収される補完的作品…ではなく、物語そのものは本編とは関連が無いオリジナルのものであり、主人公も本作の二人ではなく新キャラの少年達である。 FC版発売の翌年にMSX2版が同じくジャレコから発売されている。 タイトル画面や聞き込み画面の顔グラフィックが書き換えられていたりと単なるベタ移植にとどまっていない点がある。

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