尼崎事件 相関図。 悪夢からの再生~尼崎連続変死、父娘の絆:(1)「お父さんが大切にしていた人を私は…」「後継者」の女性受刑者が語る後悔

尼崎事件の犯人・角田美代子の現在!背乗り・生い立ちや旦那と息子・父母や兄弟など被害家族の人物相関図も紹介

尼崎事件 相関図

2011年11月に兵庫県の倉庫で女性の遺体が見つかったことがキッカケで発覚した『』。 主犯格とされる角田美代子元被告(64=当時)を中心とした集団に複数の家族が長期間虐待を受け、死亡するなどの事態が明らかとなった。 しかし美代子元被告は逮捕後、留置場で自殺。 以降は主犯が不在のまま関係者らの公判が神戸地方裁判所で開かれている。 9月16日には、美代子元被告の内縁の夫である鄭頼太郎(65)、義妹の角田三枝子(62)、長男の健太郎(33)の3被告に対する裁判員裁判の判決が101号法廷で開かれ、ともに懲役21年が言い渡されたが、8月から続いている美代子元被告の義理のいとこ、李正則被告(41)についての裁判員裁判も行われており、17日まで201号法廷で被告人質問が続けられた。 劣悪な環境の中で排泄制限も 李被告は男女5人に対する殺人や傷害致死など計10の罪に問われているが、この大半を否認している。 複雑な事案であるためか、裁判は被害者ごとに事件が分けられ、中間論告を挟みながら続けられており、この期間は、仲島茉莉子さん(26=当時)と安藤みつゑさん(67=同)に関する事件についての審理。 中間論告までが行われたが、被告人質問では茉莉子さん事件についての、凄惨な虐待内容が公にされた。 茉莉子さんは、美代子ファミリーが住んでいた尼崎市のマンションのベランダにある物置に、5カ月にわたり監禁され、2008年12月に死亡したのだが、監禁は劣悪な環境の中『食事制限』『排泄制限』も加え、続けられていたという。 「食事を抜かれたり、たくさん食べさせられたり、モノマネさせて……歌を歌ったりすることがありました」(李被告) 食事は基本、茶碗1杯の卵かけごはん、カップラーメン、おかず1品が、1日に1度出るときもあれば、数日に1度のときもあり、証人出廷した医師は「足りません」と断言。 死亡したのは冬だが、このときも半袖Tシャツに七分丈のパンツという真夏ばりの軽装。 美代子元被告らの指示で時折、正座や直立など決まった姿勢を強制されることがあった。 物置にはカメラが備え付けられ、茉莉子さんの様子はリビングから見ることができたという。 検察官「洗濯バサミの虐待は?」 李被告「あります。 洗濯バサミよりかは強力なやつ……私とヤス(共犯の仲島康司)が万引きしてきたものです……茉莉子さんのほっぺたや耳たぶ、まぶた、唇、二の腕の薄いとこ挟んで引っ張ったりもしてました。 私は『おもろいなー』とか笑かしたりしてました」 検察官「『ガマン大会』という言葉、使ったことありますね。 便を我慢させて苦しんでいる様子を見て笑っていましたか?」 李被告「写真見て、思い出しました」 検察官「具体的には?」 李被告「ごはん、いっぱい食べさして、トイレ行きたい、って茉莉子さんが言ったんですが、美代子が『我慢せい』と、ギリギリまで我慢させて、その様子を見て笑ってました」 検察官「モノマネとは具体的には?」 李被告「『笑っていいとも!』のタモリの真似したり、キャバクラで……客に酒飲ますときの、煽るマネとか、歌を歌ったり……」 検察官「リビングからあなたは『おーい、受けてたぞー』と言ったりしていたんですよね。 何のため?」 李被告「率直にいうと、皆面白がっている。 いうたら、またやってくれよー、という」 美代子ファミリーでは、精神的な虐待ともいえる行為が日々繰り返されていたようだ。 美代子元被告の意志を受け、物置に監禁されることになった茉莉子さんだが、先にも記した通り、美代子ファミリーにおいて、美代子元被告の怒りに触れた者が物置で監禁される事は日常茶飯事でもあった。 同時に美代子元被告の意向で、ある日突然物置生活からリビングに戻れるようにもなる。 李被告は、茉莉子さんに対する監禁は「クリスマスぐらいには終わるやろうと思ってた」と語っている。 美代子元被告が、監禁中の茉莉子さんについてどう考えていたと思うか、と問われた李被告は「どうやって終わらせるかと考えていたと思う……」と語り出した。 李被告「美代子は怒ってますので、その人に『もう許したるわ〜』という、見せつけ……ありますので、優太郎(美代子元被告の息子)が『もう許したってや』と言うとか、そういう名目が必要……」 弁護人「それ以外に、そう思った理由はありますか?」 李被告「美代子は怒ってるときはその人間に『あいつ』とか『おのれ』とかそういう呼び方するんですが、許す前は名前で呼びだす。 その頃も『茉莉ちゃん』と言ってたので、もうすぐおわるんやろな、と。 角田家ではクリスマスとかそういうイベントを大事にする。 茉莉子さんも輪の中に入れて普通にすると思ってました」 呼び名が変わるのを敏感に察知し、監禁を終わらせる為のキッカケ作りをする、のが恒例だったようだ。 自身の、美代子ファミリーにおける役割については、こう語った。 李被告「揉め事、警察沙汰、それから今回お亡くなりになりました皆さんの遺体処理などさせていただきました。 そういう意味では汚れ役になります」 弁護人「暴力も?美代子が『誰々を殴れ』と?」 李被告「とは言わない。 法廷で見る姿は中肉中背だが、逮捕前は100キロを超す巨漢だったという。 著者プロフィール ライター 高橋ユキ 福岡県生まれ。 2005年、女性4人の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成。 著作『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)などを発表。 近著に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店) 外部サイト.

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【衝撃事件の核心】「親づらするな」母と姉にみせた残忍 尼崎連続変死の首謀者・美代子元被告「後継者」…呪縛は解けたのか(1/5ページ)

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兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、男女3人への殺人や詐欺などの罪に問われた角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義妹、角田三枝子被告(62)。 一連の事件の関係者の中でも、〝ファミリー〟を率いた首謀者とされる元被告のそばに約40年間、寄り添い続けた「事件のキーマン」とも言える人物だ。 風俗で稼いだ約3億円もの金を「疑似家族」の家計に回し、お腹を痛めて産んだ息子まで差し出す…。 これまでの公判で明らかになったのは、ときに元被告への「殺意」を胸に秘めながらも、想像を絶する忠誠ぶりを示してきた悲惨で壮絶な人生だった。 (佐藤祐介) 決定づけられた主従関係 2人の出会いは、幼少期のころまでさかのぼる。 昨年11月21日に開かれた元被告の次男、優太郎受刑者(28)=殺人罪などで懲役17年の判決確定=の公判に証人出廷した際の三枝子被告の証言などによると、三枝子被告の家族が、元被告の母親の家を間借りしたことが2人の特殊な関係の始まりだった。 「物事は白か黒、好きか嫌いか、イエスかノーか」。 若い頃から口癖のように話し、中途半端なことを極端に嫌ってきた元被告。 三枝子被告は18歳から共同生活を始めたがなじめず、約1年後、両親のもとに戻った。 その後、元被告から両親とともにののしられ続けた。 元被告の激しい怒りをおさめるには、共同生活に戻るしかなかった。 これを機に2人の主従関係が決定づけられた。 それから人生の歯車が大きく狂い始める。

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尼崎事件の犯人・角田美代子の現在!背乗り・生い立ちや旦那と息子・父母や兄弟など被害家族の人物相関図も紹介

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母親のことを「嫌いでええわ」と暴行し、死亡すると「邪魔なので消えてほしかった」。 姉が自殺をほのめかすと「そうなればいいなと思った」-。 兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、2月に判決を迎える角田(すみだ)瑠衣被告(30)。 実の母と姉に対する暴行や殺人などを行ったとされ、一連の事件で中心的役割を担ったとされる角田美代子元被告=平成24年12月に自殺、当時(64)=の後継者と目された。 だが、逮捕後は一転して事件の核心部分を明かし、真相解明に寄与した。 「真実を出し切らないと子供たちに合わせる顔がない」と大きな心境の変化をうかがわせたが、一方でこんな吐露もしている。 「(元被告の自殺を聞いて)悲しくなって泣いた」「『いまだに目が覚めていない』と言われるのも分かっている」…。 元被告による「マインドコントロール」の呪縛はそれほど強烈だったのか。 「いただきますも言えんのか!」姉に容赦ない仕打ち 瑠衣被告が起訴されたのは、3人に対する殺人に加え、死体遺棄、監禁、加害目的略取など9つの罪。 その中には、実の母、皆吉初代さん=当時(59)=と実姉の仲島茉莉子さん=同(26)=に対するものが含まれている。 論告によると、母については、平成19年12月、和歌山県に逃亡したのを尼崎市内の元被告の自宅マンションに連れ去ったとする加害目的略取罪に問われ、姉に対しては20年7~12月、元被告の自宅マンションの物置に監禁、暴行した末、衰弱させて殺害したとして殺人と監禁罪で起訴されている。 肉親に対する犯罪というだけでも衝撃的だが、当時の心境や犯行態様には戦慄を覚える。 共犯の公判での証言や被告人質問などから瑠衣被告による事件のストーリーをたどると…。 「ずっと『消えてしまえ』と思っていた」 元被告のことを「お母さん」と呼んで心酔しきっていた瑠衣被告は、実の母についてそう考えていた。

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