伊田和世。 [B!] 「赤いドレスの通り魔」「ひらひらさん」と呼ばれた連続通り魔・伊田和世の実像(2014/01/25 19:00)|サイゾーウーマン

名古屋自転車通り魔殺傷事件

伊田和世

2003年(平成15年)3月30日午後7時50分ころ、名古屋市北区東水切町4丁目で、看護師の菅谷悦子(22歳)と友人の佐藤昭子(仮名)が自転車で談笑しながら通りかかると、後ろから赤い自転車に乗り、眼鏡をかけ赤い服を着た中年の女が「すみません・・・西大曽根はどちらですか?」と訊いてきた。 耳慣れない地名に菅谷とその友人の2人は顔を見合わせた。 すると、中年女は突然自転車から降り、前カゴのバッグから包丁を取り出して、いきなり菅谷の腹部を突き刺した。 菅谷は激痛を感じながらも必死に走って逃げた。 友人の佐藤は菅谷が刺されたのを目の当たりにして動転した。 悲鳴を上げることもできず立ちすくんでしまった。 中年女は今度は佐藤に刃を向けてきた。 刺されると思った佐藤はとっさに自分の自転車を中年女に向けて倒し、逃げた。 振り返ると、中年女の足元に前カゴに入っていた佐藤の手提げカバンが投げ出されていた。 中には7000円が入った財布や携帯電話が入っていた。 佐藤は立ち止まって中年女を見ていた。 中年女は佐藤を見据えたまま、包丁を振りかざし「来るな!」と言い放ち、佐藤の手提げカバンを拾うと、自転車にまたがり、走り去っていった。 そのころ、菅谷は現場から150メートルほど離れた実家に逃げて帰り、玄関先で倒れ込んだ。 お腹を真っ赤に染め、うなり声を上げて、顔面は蒼白。 傷口からは腸がはみ出ていた。 すぐに救急車で国立名古屋病院に運ばれたが、刺し傷は深さ15センチに達しており、2日後の4月1日午後0時15分、多臓器不全で死亡した。 4月1日、菅谷が亡くなるのとほとんど同時刻の午後0時15分ころ、殺害現場から約3.5キロ離れた名古屋市千種区日進通1丁目の路上で、近くに住む遠藤美里(当時22歳)が、包丁を持った中年女に突然、襲われた。 遠藤は自分のシャネルのバッグを奪われそうになったので、路上で中年女ともみ合いになった。 バッグには現金約4万円や携帯電話などが入っていた。 そのとき、遠藤は左腕や左手を包丁で何度も切られ、バッグを奪われた。 中年女はそばにあった赤い自転車にまたがり、走り去っていった。 遠藤はすぐに救急車で病院に搬送されたが、全治1ヶ月の重傷を負った。 8月28日午前2時15分ころ、名古屋市守山区の住宅街の一画で、窃盗事件が発生したが、まもなく隣家からの110番通報により駆けつけた警官によって現行犯逮捕された。 犯人は厚化粧でネグリジェ風のヒラヒラの白いワンピースにハイヒール姿の中年女だった。 そのころ、窃盗現場から30メートルほど離れた住宅でも騒動が起きていた。 その家の庭には血痕のようなものが付着し、切り刻まれたリカちゃん人形が6、7体、腹から綿がはみ出たぬいぐるみが数体、赤いハイヒールやサンダル、クッション、シーツ、脱いだばかりの汚れた下着、使用済みの生理用品、内服薬、マニキュア、食べかけのパンなど大型のゴミ袋9個分のゴミが散乱していた。 その前日にも隣の空き地で首や胴体、頭髪などがバラバラになったバービー人形が30体ほど放置されていた。 窃盗現場から100メートルしか離れていない窃盗犯の中年女の家宅捜査を実施したところ、遠藤美里のシャネルのバッグや財布、血痕の付いた包丁、また大小の数多い人形が発見されたことで、近隣にバラバラの人形やゴミを棄てていたのもこの中年女の犯行と見ていた。 9月17日、遠藤美里に対する強盗殺人未遂容疑で中年女が再逮捕された。 伊田は取り調べに対し、金目当ての犯行であったことを認めた。 また、3月30日の事件で佐藤が所持していたキーホルダーなども伊田の自宅から押収されたため、伊田はこの件でも自供した。 10月17日、菅谷悦子に対する強盗殺人容疑で伊田が再逮捕された。 伊田の自宅は細い路地を入った長屋の一画で、伊田の住居部分だけは白いペンキでおしゃれな門構えに改装されているが、建物自体は古く、風呂もない。 伊田は近所ではトラブルメーカーだったという。 伊田は自分でも猫を飼っていたが、近所でも猫を飼っていた家に行って、「お宅の猫がウチの庭でオシッコしている。 臭い!」と怒鳴り込んだり、隣家の子どもの声がうるさいと文句を言ったり、、、。 また、伊田は普段から派手な服装で目立っていたという。 長い茶髪に白やピンクの裾の長いメルヘンチックな服。 いつも午後2、3時にヒラヒラした服を着て赤い自転車に乗って出かけていた。 後に「ひらひらさん」というニックネームで呼ばれるようになる。 【 犯行に至るまでの過程 】 1964年(昭和39年)11月5日、名古屋市中区で伊田和世は生まれた。 父親は水道修理業を営み、母親と4歳年上の姉の4人家族。 名古屋市東区の長屋の一画に住み、裕福とは言えなかった。 母親は派手で見栄っ張り。 家もよく空けていたという。 父親はそんな母親に嫌気がさしたのか、娘の和世が小さいころに家を出ていった。 小中学校では和世は不登校児だった。 たまに登校したかと思ったら、フリフリのスカートにつば広の帽子という奇抜な格好で現われ、同級生を驚かせたりしたが、クラスの大半とは口も利かなかった。 気性が激しく、目が合っただけで「何よ!」「見んなよ!」と怒鳴ったりした。 勉強には無関心で、教師に叱られても反抗的な態度を示した。 その反面、おしゃれには異常な関心を示して、服装だけでなく、当時から薄化粧をしていた。 顔立ちは美人なので微笑むとキレイだった。 中学に入ると、和世は怒鳴るようなことはせず、逆にもの静かで清楚な感じだった。 ファッションや化粧には一層磨きがかかり、「ピカピカに磨いた爪を授業中にじっと眺めていた」というクラスメイトの証言がある。 中学生なのにハイヒールをはいて出かけることもあった。 中学卒業後、和世は進学も就職もせず、17歳のときからスナックやクラブでホステスのアルバイトを始めた。 若いということもあって客には人気があった。 明るい性格ではなかったが、調子が乗るとよくしゃべり、気に入った客には愛想が良かった。 だが、世の中のニュースなど和世の知らない話題になると黙り込んだり、突然、怒り出すこともあった。 23歳ころから和世はソープランドで働くようになったが、25歳くらいで辞めてからは無職だった。 辞めた理由は店で働いていたときに知り合った自営業の妻子ある男性が毎月17万円の援助をするようになったからだった。 この援助は和世が逮捕されるまでの10年以上もの間、続くことになる。 男性は和世よりも20歳以上年上だった。 それと実父からの毎月10万円の仕送りもあった。 実父は妻子と別居後、仕事を辞め、岐阜県各務原市(かがみがはらし)で霊能師をしている。 姓名判断がよく当ると評判で繁盛しているという。 1993年(平成5年)ころ、和世は自分が飼っていた愛犬の死にショックを受け、精神的に不安定になり、精神科を訪れ投薬治療を受けたが、効果がなく、抑うつ状態になった。 1999年(平成11年)、仕送りをしていた実父が入院した。 和世は病院に見舞いに訪れていたが、退院後は毎月1回程度は、岐阜の実父を訪ね、寂しさをまぎらわせていた。 ところが実父には愛人がおり、身の周りの世話などをしていた。 和世は実父に充分に甘えられないのを愛人のせいにした。 2002年(平成14年)8月ころ、和世は実父の家に乗り込んで、愛人の衣装を焼き払ってしまった。 実父は顔色を変えて怒った。 そして、仕送り額を30万円に増やす代わりに、今後の一切の出入りを禁じられた。 さらに、和世の姉が夫とケンカして家を出て、一時、和世宅で和世と一緒に住んでいたことがあった。 和世は姉のため借家を手配したり、姉の夫に連絡して仲直りするよう説得したこともあった。 結局、姉は1ヶ月ほどで夫の元へ戻った。 その後、和世は姉夫婦宅に相手の都合も気にせず一日に何度も電話するようになった。 これには姉夫婦もうんざりした。 和世は何気なく入った本屋で、死体や解剖についての本を見つけ、これらを読んだことをきっかけに殺人や死体について興味を抱くようになった。 死体などの画像が収録されたビデオを買い集め、繰り返し観て、次第に「殺人がしてみたい」「人を刺してみたい」という思いになっていった。 妄想は自分が収集していた人形へと向けられていく、、、。 2003年(平成15年)3月ころ、和世は人を刺せば、自分のイライラした気持ちがスッキリするのではないかと思うようになった。 だが、思いとどまり、代わりに万引きすることでウサを晴らしていた。 3月30日(犯行当日)午後1時ころ起床。 用事を済ませ、再びベッドで仮眠するが、悶々とした思いに取りつかれる。 「誰も自分の相手をしてくれない。 どうして私だけがこんな目にあわなくてはならないのか、、、」 午後7時ころ、和世は刃渡り20・5センチの包丁をタオルに包み、変装用の眼鏡と一緒にトートバッグに入れ、赤いレインコートを着て、バッグを赤い自転車の前カゴに入れ、その自転車に乗って、名古屋市東区の大曽根方面に向かった。 狙うのは幸せそうなお嬢さん風の若い女性、、、(その後の経過は【 事件発生 】参照)。 3月31日、和世はテレビニュースで菅谷が重体だということを知った。 だが、包丁で刺したときの手応えをあまり感じず物足りなさを感じた。 その手応えを味わいたいと思った和世は再び決行する。 4月1日(犯行当日)午前9時ころ起床。 2日前に使った包丁を再び取り出して、タオルに包んでトートバッグに入れた。 今度は眼鏡を使わず、代わりに化粧をして白のカーディガンを着て白のカチューシャをつけた。 午前10時ころ、和世はトートバッグを赤い自転車の前カゴに入れ、その自転車に乗って千種区方面に向かった。 狙うのは現金をたくさん持っていそうな通行人、、、(その後の経過は【 事件発生 】参照)。 このとき和世は包丁が骨に当る確かな手応えを感じた。 これにより、和世はイラ立ちがきれいに消えてしまったという。 数日後、和世は通院先の病院に出かけ、医師に「イライラした気持ちがなくなった」と話した。 このまま和世が再び犯罪を行わなければ、一連の通り魔事件は迷宮入りになっていたかもしれない。 だが、盗みや万引きの癖はおさまることはなかった。 8月27日昼ころ、和世は近所の家のそばを通りかかり、その家の物置きにある紙箱のようなものがあるのを見て、もしかしたら金目のものではないかと思った。 和世は夜、そのことが気になって眠れず、起き上がり、赤い自転車に乗って、物置きに忍び込んだ、、、。 【 その後 】 2006年(平成18年)2月24日、名古屋地裁(伊藤新一郎裁判長)は伊田和世に対し、「人を刺すことでうっぷんを晴らそうという短絡的で身勝手な犯行。 酌量の余地は全くない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。 公判では伊田の責任能力が争われたが、伊藤裁判長は「是非善悪を弁識する能力や行動を制御する能力があったと認めた精神鑑定は信用できる」と伊田の責任能力を認めた。 その後、弁護側は控訴せず、刑が確定した。

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日本の通り魔事件の一覧

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なお、調査をするうちに1月21日頃から同様な通り魔が多発しており、10名ほどの被害者が居る事が判りました。 また、犯人は被害社宅に「あまり騒ぐな」といった内容の脅迫状を送りつけていましたが、 1974年に未解決のまま時効を迎えました。 深川通り魔殺人事件 深川通り魔殺人事件とは、1981年6月17日に 東京都江東区森下二丁目の商店街で発生した通り魔事件で、 犯人の包丁により4名が死亡2名が負傷しました。 この事件の犯人は覚醒剤の中毒患者の29歳の川俣軍司で、 裁判では無期懲役を言い渡されました。 西成の通り魔殺人事件 1982年2月7日に大阪府西成区の集合住宅で、犯人の橋田忠昭が夫婦喧嘩から刺身包丁で妻と子供を刺し、 錯乱状態となった橋田忠昭は部屋から飛び出し隣人や同じ住宅の住人を次々と刺した通り魔事件です。 この事件では4人が死亡し3人が怪我を負いました。 犯人である橋田忠昭は重度の覚醒剤中毒者で犯行時に心神耗弱で有ったと判断され、死刑から減刑され無期懲役となりました。 下関の通り魔殺人事件 1985年9月19日に、山口県下関市で日本刀を用いた通り魔事件が発生し、 3名が死亡し8名が重軽傷を負う事件が発生しました。 神戸連続児童殺傷事件 神戸連続児童殺傷事件とは、1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した 14歳の少年による連続殺傷事件で「酒鬼薔薇事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれています。 この事件では2名が死亡し3名が重軽傷を負いました。 神戸連続児童殺傷事件の詳細は以下の事件があります。 1997年2月10日に神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1名が重症を負った事件。 1997年3月16日に神戸市須磨区竜が台の公園で小学4年生の女児を金槌(八角げんのう)で殴り、後に脳挫傷で死亡させた事件。 上記事件と同日の1997年3月16日に小学生3年生の女児の腹部を、刃渡り13センチの小刀で刺し2週間の怪我を負わせた事件。 1997年5月24日に近所の小学5年生の男児を誘い出し首を絞めて殺害した後に、首を切断し犯人の少年が通う友が丘中学校の校門に置いた事件。 堺通り魔殺人事件 堺通り魔殺人事件とは、1998年1月8日に大阪府堺市の路上でシンナー中毒で上半身裸の19歳の犯人が、 登校中の女子高生と幼稚園バスを待っていた園児とその母親を刺した事件です。 この事件で園児が死亡し女子高生と園児の母親が重症を負いました。 犯人の19歳の少年は裁判で懲役18年の刑を受けました。 池袋通り魔殺人事件 池袋通り魔殺人事件とは、1999年9月8日に 東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で発生した通り魔事件で、 犯人の使用した包丁と金槌により2名が死亡6名が負傷しました。 この事件の犯人は23歳の造田博で、裁判により死刑判決を言い渡されました。 下関通り魔殺人事件 下関通り魔殺人事件とは、1999年9月29日に山口県下関市の JR下関駅構内で発生した通り魔事件で、5名が死亡10名が負傷しました。 この事件では犯人の35歳の上部康明が、レンタカーでJR下関駅の構内に突入後暴走し7名をはね、 その後車から降り包丁で8人を切りつけました。 この事件の犯人は3週間前に発生した「池袋通り魔殺人事件」を意識したと証言し、 裁判では死刑判決を受け2012年3月29日に死刑が執行されました。 17歳の少年による金属バット通り魔事件 2000年12月16日に東京の渋谷駅前で、当時高校2年生であった17歳の少年が 金属バットで通行人を次々と襲い8名に怪我を負わせた通り魔事件が発生しました。 この事件で少年は父親にしかられて殴られたため、「父親に恥をかかせてやろう」という動機で犯行に至りました。 なお、犯人の少年は非定型精神病で精神科への受診歴があったとされています。 名古屋市連続通り魔殺傷事件 名古屋市連続通り魔殺傷事件とは、 2003年3月30日に名古屋市北区で、4月1日に千種区で発生した連続通り魔事件で、 2件の事件で1名が死亡し1名が負傷しました。 この事件の犯人は38歳の伊田和世で、裁判により無期懲役の判決を受けました。 池袋通り魔事件 2003年7月25日に東京都渋谷区桜丘町付近で、 10数分間の間に男性5人がバイクに乗った男に次々と刺される通り魔事件が発生しました。 犯人の無職神原雅行容疑者は8月6日に傷害容疑で逮捕され、 「ムシャクシャしてやった。 相手は誰でも良かった」と犯行を認めました。 なお、この事件の被害者の一人は当時格闘家であった須藤元気選手でもありました。 土浦連続殺傷事件 土浦連続殺傷事件とは、 2008年3月19日と3月23日に茨城県土浦市で発生した連続通り魔事件で、 犯人の使用した包丁とサバイバルナイフにより、 2名が死亡し7名が負傷しました。 この事件の犯人は24歳の金川真大で、裁判で死刑判決を受け 2013年2月21日に死刑が執行されました。 秋葉原通り魔事件 秋葉原無差別殺傷事件 秋葉原通り魔事件とは、2008年6月8日に東京都千代田区外神田の秋葉原で発生した 通り魔事件で、犯人の運転する2トントラックとダガーナイフにより7名が死亡し10名が負傷しました。 この事件の犯人は25歳の男性の加藤智大で、 2011年3月24日に行われた東京地方裁判所での裁判で死刑が死刑が言い渡されました。 大阪駅通り魔事件 大阪駅通り魔事件とは、2008年6月22日に大阪府北区の JR大阪駅で女性3人が切りつけられた事件です。 この事件では翌日の24日に大山和歌容疑者が逮捕されました。 八王子通り魔事件 八王子通り魔事件は、 「八王子市内ショッピングセンター内における通り魔殺人事件」 「八王子市内ショッピングセンター内通り魔殺人事件」とも呼ばれています。 この事件は2008年7月22日に東京都八王子市の京王八王子駅の京王八王子ショッピングセンターの9階啓文堂書店で発生した通り魔事件で、 女性アルバイトと女性客が包丁で刺されアルバイト店員が亡くなりました。 この事件で翌日に犯人である菅野昭一容が逮捕され、殺人罪と殺人未遂罪と銃砲刀剣類所持等取締法違反により 懲役30年の実刑となりました。 取手駅通り魔事件 取手駅通り魔事件とは、2010年12月17日に茨城県取手市の取手駅西口に停車中の路線バスに 犯人である斎藤勇太が乗り込み包丁で切りつけるなどし、女子中高生ら14人が怪我をした事件です。 この事件で犯人は1台目のバスで12人、2台目のバスで2人に怪我をさせ乗客に取り押さえられ現行犯逮捕されました。 逮捕後、傷害と銃刀法違反で起訴され、裁判において懲役3年6ヶ月の判決を受けました。 埼玉・千葉の連続通り魔事件 埼玉・千葉の連続通り魔事件とは、2011年11月18日に帰宅途中だった中学3年の女子生徒が切りつけられた事件と、 12月1日に千葉県松戸市の住宅街で小学校2年生の女児が刺された事件の総称で、 2011年12月5日に犯人の高校2年生の16歳の少年が逮捕されました。 この少年は逮捕時に刃渡り15センチの折りたたみナイフと、刃渡り17センチのナタを所持しており、 「歩いている人を殺そうと思っていた」と供述しました。 長谷川 公之 シナリオ作家協会 大阪・ミナミの繁華街の通り魔事件 大阪・ミナミの繁華街の通り魔事件とは、 2012年6月10日に大阪市中央区心斎橋で発生した通り魔事件で、 男性と女性が刺され男性が病院に運ばれましたが死亡しました。 犯人は礒飛京三で、被害に愛死亡した男性はゲーム音楽家の南野信吾氏でした。 博多駅通り魔事件 博多駅通り魔事件とは、2012年10月20日に福岡県福岡市の博多駅構内で発生した通り魔事件で、 犯人の中野公貴により男性5人が包丁で切りつけられました。 2014年3月3日に福岡地方裁判所で裁判が行われ、犯人の中野公貴には懲役6年6ヵ月が言い渡されました。 東陽町駅前通り魔事件 東陽町駅前通り魔事件とは、2013年3月19日に東京都江東区の東陽町駅前で発生した通り魔事件で、 犯人の男性が包丁二本を振り回し男性4人に切りつけました。 犯人は元暴力団組員の川村保で、店舗にあったのぼりをで抵抗した通行人に取り押さえられました。 川村保は裁判で懲役17年の実刑判決を受けました。 大阪府大阪市東淀川区の通り魔事件 大阪市生野区の通り魔事件とは、2013年3月19日に大阪市東淀川区の公園で遊んでいた小学4年生の 男児が切りつけられた事件で、29歳の無職の女性が逮捕されました。 大阪市生野区の通り魔事件 大阪市生野区の通り魔事件とは、2013年5月22日に韓国籍の康桂善が新聞配達員や通行人2人を 刃渡り12センチの果物ナイフで刺した事件です。 この事件で犯人の康桂善は「人を殺そうと思って家から包丁を持ち出した。 日本人なら何人も殺そうと思った」と供述しており、 実際に通行人に「日本人か?」とたずねてから犯行に及んでいました。 なお、犯人は事件の3年前から精神疾患のため入退院を繰り返しており、事件後は刑事責任を問えないと判断され、 鑑定入院となりました。 柏市連続通り魔殺傷事件 柏市連続通り魔殺傷事件とは、2014年3月3日に千葉県柏市で発生した通り魔事件で、 男4人が襲われ1名が死亡した事件です。 犯人は現場近くに住む竹井聖寿で、事件翌日には目撃者として報道陣のインタビューに答えたほか、 逮捕時には「チェックメイト」と発し、任意同行される際には「Yahoo! チャット万歳!」など叫んだことでも話題となりました。 東京・多摩の通り魔事件 2014年1月27日に東京都多摩市の小田急多摩センター駅付近の路上で、 通行人の女性3人が20台ぐらいの女性に頭を次々と殴られる通り魔事件が発生しました。 殴られた女性2名は打撲し、1名は額から出血の怪我をし、警察は逃げた女性の行方を追っています。 沖縄県島尻郡佐敷町の通り魔事件 2001年8月1日に沖縄県島尻郡佐敷町で発生した通り魔事件で、 25歳の男性がカマや包丁で通行人を次々と切りつけ、 1人が死亡し5名が負傷しました。 札幌市中央区の通り魔事件 2014年7月13日の午後8時20分ごろ、札幌市中央区の狸小路とすすきので通り魔事件が発生し、 男性2人と女性1人が刃物を持った女に相次いで切りつけられました。 この事件で犯人の31歳の女性は通報で駆けつけた警官により逮捕されました。 釧路市のイオンモール釧路昭和での通り魔事件 2016年6月21日の午後3時15分頃釧路市の「イオンモール釧路昭和」の1階専門店付近で、男が女性4人を包丁で切りつける通り魔事件が発生しました。 この通り魔事件では、68歳の女性が死亡し、40歳代から70歳代の女性3名が重軽傷を負いました。 犯人の松橋伸幸容疑者は事件後に施設の警備員に取り押さえられ、駆けつけた釧路署員に殺人未遂容疑で現行犯逮捕されました。 松橋伸幸容疑者は事件の2時間前に市内のホームセンターで刃渡り22. 5cmの包丁を購入し、「イオンモール釧路昭和」に移動後 店内を約500メートルほど歩いた後した後事件に及んびました。 犯人は調べに対して「統合失調症で長く悩んでおり、人生を終わりにしたかった。 死刑になるため人を刺した」と供述しているとの事です。 東京サマーランドの切り付け事件 2016年8月21日に東京都あきる野市にある遊園地「東京サマーランド」のプールで、 10代から20代の女性9人が水着や尻付近をカミソリのようなもので切られました。 この事件では「コバルトビーチ」と呼ばれる波の出るプールで遊んでいた女性2人が切られ、 同じプールで遊んでいた他の6人からも切り傷が発見され、翌日には新たに背中を切られた女性が見つかりました 切られた女性は18歳から24歳の女性8人で病院に搬送されましたが、いずれも軽症で済みました。 この日のサマーランドの入園者数は約1万4千人と大混雑しており、 以前より痴漢被害などが多く、警察からサマーランド側へ入場規制を実施するよう申し入れを行っていました。 千葉県千葉市中央区での通り魔事件 2016年8月23日の午後5時ごろ、千葉市中央区弁天2丁目の路上で、中学3年生の少女が自転車に乗った男に刃物でわき腹を刺され1ヶ月の重症を負いました。 この事件の1時間半後には約12km離れた千葉県船橋市前原7丁目の路上で、19歳の大学生の女性が同じく自転車に乗った男に腰を刺されました。 この事件で千葉県警は20代の男性の身柄を確保し傷害容疑で調査を行っています。 千葉県松戸市での通り魔事件 2017年5月21日に千葉県松戸市の金ケ作公園で、70歳ぐらいの男性を包丁で切りつけるなどの通り魔事件が発生しました。 犯人の男性は公園の野球場に入り込み、グラウンドにあったバットを振り回し、止めに入った男性数人もバットで殴られる被害にあいました。 犯人は公園の近くに住む無職の男性で、警察により殺人未遂の容疑で逮捕されました。 川崎殺傷事件 2019年5月28日に神奈川県川崎市の登戸駅付近の路上で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生らが次々に包丁で刺され、11歳の小学生と39歳の男性2名が死亡し小学生ら17名が怪我をする事件が発生しました。 この事件で犯人の51歳の男性は十数秒の間に19人を刺し、数十メートル逃げたあと自分の首を刺して死亡しました。 自動車による通り魔事件 マツダ本社工場連続殺傷事件 マツダ本社工場連続殺傷事件とは、2010年6月22日に 広島市南区と安芸郡府中町にあるマツダ本社工場で元マツダの期間工員であった引寺利明 が乗用車を暴走させ、1人が死亡し11人が重軽傷を負った事件です。 この事件で引寺利明は裁判により無期懲役の刑を受けました。 仙台アーケード街トラック暴走事件 仙台アーケード街トラック暴走事件とは、 2005年4月2日に仙台市青葉区のアーケード商店街「中央通り」にトラックが時速40~50kmの速度で進入し、 歩行者7人を次々とはねた事件です。 暴走したトラックは別のトラックに衝突して停車しましたが、犯人の大友誠治は 焼身自殺しようと衣服に灯油をかけ発炎筒で点火しましたが死ねず、付近の仙台駅前交番に出頭して 業務上過失致死傷及び道路交通法違反で逮捕されました。 この事件では轢かれた7名のうち3名が死亡し4名が負傷する大惨事となり、 2007年3月15日に行われた裁判で懲役28年の実刑判決を受けました。 仙台第二のアーケード暴走事件 仙台第二のアーケード暴走事件とは、2005年12月25日に 仙台市道南光院丁線からマーブルロードおおまちのアーケード街に乗用車が突入し、 7名が重軽傷を負った事件です。 この事件で犯人の男性は懲役3年の実刑判決を受けました。 茨木市連続ひき逃げ事件 茨木市連続ひき逃げ事件とは、2004年11月18日に大阪府茨木市内の中穂積から下穂積にかけての道路で 自動車が暴走し、通りかかった男女5名を次々とはねた事件です。 この事件では2名が死亡し3名が重軽傷を負い、犯人である韓国籍も一時意識不明の重体となりました。 なお、事件当時犯人は全裸で統合失調症で通院中でもあり、 2008年6月24日の大阪高裁での裁判では無罪判決となりました。 その他の通り魔事件 新宿西口バス放火事件 新宿西口バス放火事件とは、1980年8月19日に東京都新宿区の新宿駅西口バスターミナルで 発生した路線バスへの放火事件で、犯人の丸山博文が停車中のバスの中へ火の着いた新聞紙と ガソリンが入ったバケツを投げ込みました。 この事件では6人が死亡し14人が負傷する大惨事となり、丸山博文は無期懲役の判決を受け刑務所に服役しましたが、 1997年10月7日に千葉刑務所内で首吊り自殺をしました。

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名古屋自転車通り魔殺傷事件

伊田和世

2003年3月30日午後7時50分ごろ、名古屋市北区東水切町の路上で、市内の看護師・菅谷悦子さん(22歳)が自転車に乗った中年の女にいきなり腹を刺された。 女は菅谷さんの友人の手提げバッグを奪って逃走した。 菅谷さんは中村区内のリハビリ病院に勤務しており、「青年海外協力隊に参加して、世界の人々の助けになりたい」と考える、若いながらも立派な女性だった。 菅谷さん自身も自分が刺される理由には全く心当たりはなかったのだろう、救急車で運ばれる際には父親に「どうして私が、みんなの前から消えなくてはならないの・・・」と話していた。 父親が「ごめんな」と声をかけると、菅谷さんはまもなく意識を失った。 菅谷さんが死亡したのは、一緒にいた友人の入社式の日だった。 続いて4月1日、千種区の路上で、店員・M子さん(当時23歳)が刺され、重傷を負った。 遠藤さんも中年の女に刺されており、バッグを奪われていた。 通り魔事件は、これまでの事件録を見ても男による犯行というイメージが強い。 菅谷さんの事件後に作成された犯人の似顔絵は、茶色のヘアバンドをつけて、目のぱっちりとした、わりと美人に見える女だった。 M子さんのケースでは、よく目立つ赤い割烹着に、眼鏡をかけて髪をしばった女であったが、ともに30~50代に見え、これは同一人物と見られた。 9月17日、守山区鳥羽見の無職・伊田和世(当時38歳)を窃盗の現行犯で逮捕された。 この後、伊田の自宅からM子さんの財布や、血痕の付着した凶器が見つかり、殺人容疑で再逮捕された。 1964年11月5日、伊田は名古屋市中区で生まれた。 父親は水道修理業を営み、母親と4歳年上の姉との一家4人。 決して裕福とは言えない暮らし振りで、伊田がまだ幼い時に父親は家を出ている。 母親は一家を支えるために働き、家にはほとんどいなかった。 伊田は小中学校ではほとんど学校に行かない不登校生徒だったが、たまに登校しては、奇抜な服装で級友を驚かせた。 仲の良い一部の友達を除いて、伊田はクラスメートと口をきかなかった。 内気なゆえ、というよりは同級生に対する軽蔑や反発からのことだったようだ。 勉強にもまったく無関心で、授業態度などで教師に注意されると、そっぽを向いてしまうこともあった。 その分、伊田はおしゃれに異常な関心をしめした。 顔立ちが整っていたこともあり、早熟な子供だったようだ。 ただ、伊田のファッションは流行のものというより、独特な世界観のものだった。 中学を卒業した伊田は進学も就職もせずに、17歳頃からスナックやクラブのホステスのアルバイトを始めた。 客からは人気があったという。 その後、店を転々として伊田は大人になっていった。 23歳頃からはホステスに見きりをつけ、ソープ嬢として働き始めた。 その後、25歳でソープを辞めてからはまったくの無職となった。 その後の伊田は店で働いていた時に知り合ったある男性から毎月17万円の援助を受けて暮らしていた。 この男性は伊田より20歳以上も年上の自営業者で、月に数回会っていたという。 さらに伊田が幼い頃、家を出て霊媒師に仕事を変えた実父からも毎月30万円の仕送りが送られるようになった。 伊田は1ヶ月に47万円もの金を受けて、何不自由ない生活を送るようになっていた。 93年、可愛がっていた飼い犬が亡くなったことにショックを受け、95年には精神神経科で「抑鬱状態」と診断された。 その後はずっと投薬治療を続けている。 姉は結婚し、守山区の自宅で母親と2人で暮らしていた伊田は、窓ガラスを素手で割るなどして母親を驚かせ、区内の借家で1人暮らしをするようになった。 だが、そこでも近隣住民とのトラブルが絶えなかった。 ちなみに伊田はいつもひらひらした奇抜な服装を着ていたので、「ヒラヒラさん」と呼ばれていたという。 当時、離れて暮らす父親に愛人ができており、「愛人のせいで父親に甘えられない」と嫉妬し、02年8月頃にこの愛人の衣類を燃やす騒ぎを起こした。 さらに実姉ともささいなことから、口論が絶えない関係となり、唯一彼女を守ってくれるはずだった家族の中でも次第に孤立していった。 毎月50万円近い収入があって生活は困っていないはずの伊田だったが、アンティーク人形やアンティーク家具のコレクションに凝るあまり、生活費にも窮するようになった。 うまくいかない家族関係に加え、この惨めな生活に、伊田の心にイライラが募り始めた。 一方で、猟奇的なものに興味を持ち始め、刺殺体が出てくるビデオを観て、「人を刺して見たい」と殺人願望を持つようにもなった。 事件当日である3月30日、伊田は自転車に乗って、ターゲットの物色を始めた。 菅谷さんを狙ったのは、「どうせ刺すなら、苦労知らずのお嬢様っぽい女の子がいい。 相手が幸せな生活から不幸のどん底に落ちれば、スッキリする」からだったらしい。 「ニシオオゾネはどこですか?」 友人と一緒にいた菅谷さんにそう声をかけると、いきなり腹部を刺し、友人の持っていたバッグを奪って逃走した。 菅谷さんを刺した伊田は、「意外に手応えがなく、血も出なかった」とこれを不満に思い、2日後にもう一度女性を凶刃で襲った。 刺されたM子さんはブランド物のバッグを所持しており、「この娘は金を持っている」と思って目をつけたらしい。 逮捕後には動機について、「イライラした気持ちを晴らしたかった」と供述した。 取調べにおいても、「自分のイライラした気持ちがすっきりすると思った。 相手が自分より幸せそうなら誰でもよかった」と述べている。 これが原因で父親とも不仲になり、毎月30万円を仕送りする代わりに、一切の関わりを禁じられた。

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