うすい 百貨店 郡山。 うすい百貨店

うすい百貨店

うすい 百貨店 郡山

セカンドバンクは同社に隣接する。 創業と百貨店の開業 [ ] (寛文2年)に物産問屋として創業したのが始まりである。 (昭和5年)に 合名会社うすゐとして法人化し、(昭和13年)に百貨店法に基く百貨店営業の認可を受けて正式に百貨店化した。 日本百貨店協会には三越傘下になってから加盟した。 増床と他の大型店と競争 [ ] (昭和34年)には郡山市中町にあった丸伊デパートを買収して 「第2うすい」として増床し、(昭和40年)には年商33. 0億円 売場面積7,565 を上げての地域一番店だったの年商24. 5億円 売場面積7,028m 2 を上回って福島県全体の地域一番店となり、東北地方全体でもの3百貨店(:43. 4億円、:42. 3億円、:41. 5億円)に次ぐ4番目の売上を上げる までに成長した。 (昭和45年)には 株式会社うすい百貨店として分離独立し、同年12月14日に仙台市から進出してきた丸光 や地場の呉服店が百貨店化した津野本店 、(昭和44年)進出してきた 、(昭和50年)に進出してきた (1年後の1976年(昭和51年)11月6日に(郡山西武)となる )や 、 などの大型店と激しい競争を繰り広げた。 特に反対側の大町にあったダイエーとは、開店時には価格面において極端な値下げが行われるなど全面戦争状態と化した。 そして、(昭和55年)に丸光撤退 、(昭和61年)3月に津野本店廃業 、(昭和63年)にイトーヨーカドー撤退 、(平成6年)にダイエーをディスカウントストア業態のトポスでも存続できず撤退 させるなど並み居る競合の大型店を撤退や廃業に追い込んで生き残った。 この当時のうすいは、の通りを挟んだ「第1うすい」「第2うすい」の2棟体制営業され、には加盟していなかった。 新店舗への移転と業績の低迷 [ ] しかし、郊外には既に市内に数店舗進出していたなどのスーパー、さらに郡山市西ノ内に移転したイトーヨーカドー、さらに(平成8年)には同市日和田にとが進出し、うすい含め郡山駅前の商業地の売上を低下させていった。 そんななか、市と共同で県の補助金を利用し第二うすいなどがあった敷地に「中町再開発ビル」建設。 このとき東邦銀行が融資を行わなかったことからメインバンクが秋田銀行になったと言われている。 (平成11年)に現店舗へ移転し 、従来の約2倍 の31,000m 2 で東北最大級の売り場面積 を持つ都市型百貨店を開業した。 (平成12年)10月15日で郡山駅前の西友郡山西武店が閉店して 、11月22日にとして移転するのに対抗したが 、移転・増床前の(平成9年)7月期の売上高162. 49億円が、(平成12年)7月期には年度開始後約3ヶ月で約2倍に増床して9ヶ月間新店舗で営業したにもかかわらず売上高が約155. 34億円と逆に4. 05億円の赤字に転落し 、(平成15年)7月期も売上高約168. 65億円で5. 87億円の赤字 と業績が伸び悩んで過大投資となり、借入金総額がうすい本社と合計で約155. 産業再生機構の支援による再建 [ ] 前項の通り過大投資により業績が低迷したため、(平成15年)8月にメインバンクのからの申請でによる支援が決定され、再生計画が実行されることになった。 この再生計画に基き、メインバンクの秋田銀行を中心に、、、などを中心とした金融機関が約120億円の債権放棄を行って有利子負債のキャッシュフロー倍率を10倍以下に削減し 、売場面積も従来の11フロアのうち2フロアをの支援で誘致した。 (平成16年)10月にを入居 させてテナント化して賃料を約5億円削減すると共に、地代削減分を反映させて他の賃料も約5億円削減して合計約10億円の賃料引き下げを実現し 、三越が社長の派遣 や共同仕入れによる粗利益率の改善 にも協力するなどして再建に取り組み、(平成17年)7月期に約1. 8億万円の黒字に転換 に成功した。 三越の持分法適用会社へ [ ] 産業再生機構の支援による再建が軌道に乗ったことを受けて、社長の派遣を含む業務提携に14. その後、三越(現・)がこの株式を継続して保有し、三越がの経営統合にて誕生したの持分法適用子会社となっていた。 このため、産業再生機構の支援下での再建時に社長に就任した小島浩介 を含め、遠藤潤 、平城大二郎 と近年は三越出身の社長が続いている。 有力テナントの撤退と後継店舗の招致 [ ] (平成21年)に8・9階の2フロアに出店していた・郡山ショールーム(4,800m 2)閉店し 、(平成22年)9月23日には現在地への移転時からの有力テナントだった が閉店する など有力テナントの撤退が相次いだ。 その代替となる有力なテナントとしてに 9階の全フロア約2400m 2で約65万冊の品揃えを誇る福島県内最大の書店としてを開店させると共に、8階にはの期間限定ショップであるトラックマーケット を(平成23年)1月31日まで 招致して集客力と売上の維持を図った。 三越伊勢丹傘下から再び独立 [ ] (平成28年)3月に三越伊勢丹ホールディングスが、うすい百貨店の株式を一部売却した。 これにより、2016年度末より三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用範囲から除外となり、再び独立の道を歩むこととなった。 沿革 [ ]• (寛文2年) - 物産問屋として創業。 (昭和5年) - 合名会社うすゐとして法人化。 (昭和13年) - 百貨店法に基く百貨店営業の認可を受ける(「第1うすい」の前身)。 (昭和34年) - 郡山市中町にあった丸伊デパートを買収 して「第2うすい」として開業。 (昭和45年) - 株式会社うすい百貨店として百貨店部門を分離、別法人化。 (平成5年) - 新店舗となるビルの市街地再開発事業が都市計画決定される。 (平成8年) - 新店舗となるビルの市街地再開発組合を設立。 (平成9年) - 第1うすい、第2うすい、USUIパート2の3つに分かれていた店舗を新店舗工事のため、第1うすいの建物北側を増築し、本館(従来の「第1うすい」)と新館(売場面積:14,800m 2)で構成される「うすい仮店舗」に統合。 (平成11年) - 現在の店舗に移転の為、うすい仮店舗を閉鎖(新店舗移転後から複合施設・ONCE郡山となり残っていたが取り壊された後、(平成16年)3月に中町中央パーキングとして開業した)。 1999年(平成11年) - 東北最大級の売り場面積を持つ都市型百貨店としてリニューアル。 (平成15年)8月 - 売上げ不振によりによる支援が決定。 (平成17年)10月 - 産業再生機構から三越へ株譲渡が行われ 三越の持分法適用会社となる。 (平成17年)11月 - 産業再生機構に対しての債権処理完了。 (平成21年) - 8・9階・郡山ショールーム(4,800m 2)閉館(閉店後は仙台ショールームに統合) 、8階は百貨店インテリア・雑貨売場に。 (平成22年)9月23日 - 八重洲ブックセンターが閉店。 (平成22年) - 県内最大規模としてジュンク堂書店が跡の9階にワンフロア出店、8階にはの期間限定ショップであるトラックマーケットがオープン。 (平成28年) - がオープン。 県内初出店。 (平成28年)3月 - 三越伊勢丹ホールディングスが、うすい百貨店の株式を一部売却。 2016年度末より三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用範囲から除外となる。 融資系統 [ ]• (メインバンクかつ当社の株主でもあり、うすい隣に郡山支店がある。 広告活動 [ ] かつては、福島県内の・などにおいて、下記の「うすいの歌」によるCMやセール等の宣伝CM、取り扱う商品のイメージCMも放送され、さらには各番組のスポンサー、の路線バスの社外広告、・のテレビ欄中段の広告にも出稿するなど、積極的な広告活動が行われた。 2019年現在は、テレビCMや新聞広告などへの出稿は、催事時のみの散発的なもののみとなっており、スポンサー活動は行っていない。 うすいの歌 [ ] イメージソングとして「うすいの歌」(作詞:、作曲:)がある。 (昭和41年)の作品で、翌(昭和42年)からテレビCMにて使用されるようになった。 このテレビCMは、後述の「うすいファミリー劇場」などで流れ、映像はやの親子を中心に、や・小鳥などが登場するアニメーションであった(一部CMはパンダ・ウサギは登場しない)。 作画は80年代のものは金田常幸。 また、このCMのアニメーションは「FTVニュース」のうすい提供分のものはオープニングとしても使用されていた。 過去に、アヒルやカンガルーの親子のキャラクターは、福島交通の路線バスの社外広告や再開発前の郡山駅前のバスターミナルにも看板として使用されていた。 1999年11月の新店舗開業に伴い、1997年7月の「うすい仮店舗」開業から都市型百貨店へのイメージ転換のため使用を取りやめたが 、2009年10月に「うすいの歌」のイメージソングを用いた前述のアニメーションのCMが復活した。 これはほぼかつてのCMと同様であるが、導入にあわせて16:9サイズとなっており、動物はパンダのみいなくなった。 歌詞の最後にある 「もうすい 夢のデパート」は、現在は広告などで「usui」のロゴと共にとして挿入されている。 第1うすいと第2うすいが統合し、「うすい仮店舗」となった時期から新店舗オープンまでの間、「うすいの歌」とは異なるオリジナルのCMソングが使われ、周辺の街頭放送のスピーカーからも流されていた(うすいの歌もその前後流れていた)。 過去のイメージキャラクター [ ]• (1966年)• (1973年)• (1974年 - 1986年)• 原みゆき(1987年 - 1990年)• 向井田彩子(1991年 - 1993年)• 中村裕美(1994年 - 1996年)• お天気レポート - 午後6時55分から放送されていた天気予報。 とともに長年スポンサーを務めていた。 現在のマークは、の「 USUI」のロゴ()である。 かつては、の標章や福岡の地場デパート「」と同じく、赤地に「井桁」のマークだった。 「井桁」マーク時代には、ローマ字の「USUI」のロゴも併用されていた。 以前、スーパーマーケット部門として「いげたストア」があり、郡山市内や(会津若松店)などに数店舗展開していたが、いずれも2000年代頃までに閉店している。 かつては、ではなく、天井から吊るされたの中にとを用意しておき、会計をする「ざる会計」が行われていた。 脚注・出典 [ ] []• 2003年8月28日. あ・ら・か・る・と 創刊号 福島県折込広告社 1986年7月. 福島民報. 2009年4月4日• 三越伊勢丹ホールディングス. 2011年6月27日. 翁百合 2008-10. フィナンシャル・レビュー October-2006 財務省財務総合政策研究所. 2003年8月28日. デパート新聞社編 『全国百貨店年鑑 昭和42年版』 デパート新聞社、1967年。 『火の人 佐々木光男伝』 丸光、1973年。 現在の朝日生命郡山センタービル• 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 科学研究費補助金基盤研究 C 2 研究成果報告書 Report. 地域調査報告 第11号 地球科学系人文地理学研究グループ 1989年3月. 「昭和50年11月縮刷版」112頁(「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」「福島民報」()1976年11月7日、朝刊7面)。 読売新聞社. 2005年6月17日• 「商都・郡山市の駅前通りと国道四号線が交差する一等地へ(みち)」『』()、1987年7月17日、地方経済面東北A 2頁。 約1年後の1989年6月に郡山市西ノ内に現行の店舗として開業。 福島民報. 1999年11月4日• 「郡山西武 25年間の歴史に幕 買い物客、閉店惜しむ声」『福島民友』 福島民友新聞 2000年10月16日、朝刊。 「郡山の大型店 モール開店、朝1番に500人」『朝日新聞』福島面 朝日新聞社 2000年11月23日、朝刊。 未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~ Report. (2001年). 日本経済新聞社. 2005年9月15日• 福島民報. 2009年6月27日• 敗軍の将、兵を語る - 薄井康氏 うすい百貨店社長. 日経BP社. 2003年11月10日号 120p• 日本経済新聞社. 2005年10月14日• 四国新聞社. 2006年1月27日• 福島民報. 1999年10月6日• 福島民報. 2010年7月27日• 福島民友新聞社. 2010年10月29日• 福島民友新聞社. 2010年9月8日• 福島民報. 1993年2月13日• 「平成9年7月縮刷版」409頁(「仮店舗での営業開始」「福島民報」()1997年7月17日、朝刊9面)。 「平成9年7月縮刷版」216頁( 1997年7月9日、朝刊18面)には、第1うすいの商品をうすい仮店舗で一掃する「手持ち在庫一掃! 全館最終売りつくし」セールの広告が掲載されており、 事実上は1997年7月10日開業。 「福島That's辞典「うすい百貨店・CMソングの知られざる雑学」」()2017年4月4日放送より。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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アンリ・シャルパンティエ 郡山うすい百貨店

うすい 百貨店 郡山

私は東京出身ですが、福島の食べ物が本当においしくて。 地元の方はそんなに意識しないのかもしれませんが、初めて食べたとき、とても感激しました。 中華料理が好き。 郡山で初めて入った中華料理店が姑娘飯店。 それ以来週に1・2回、部下と一緒に食べに来てるんです。 すっかり常連です。 リーズナブル、スピーディー、そしてなにより旨い。 さらに店長はじめ、スタッフさんがとてもあたたかい。 ホッとするお店なんです。 だからずっと通っているのかな...いいお店です。 三越に勤務していたころ、香港と台湾に駐在していました。 香港1年、台湾5年、大変充実していた、思い出深い赴任地でした。 その頃、毎日のように中華料理を食べていました。 今でも中華料理を食べると、香港・台湾にいたころのことを懐かしく思い出します。 社長のおしごと社長のおしごと~うすいはもともとベンチャー企業!?~ 実は、百貨店は元々「ベンチャー企業」であったといえます。 百貨店の前身・越後屋呉服店は、1673年江戸で創業しました。 創業時はその頃存在していなかったシステムを次々と生み出していきました。 例えば、当時の慣習である掛売から「店先現金売」つまり現金販売を開始。 世界初の定価販売「現金掛値なし」や、反物の切売販売である「小裂如何程でも売ります」等、当時では画期的な取組を始めました。 お客様に喜んでいただく為、時代の変化に的確に対応しました。 今当社が目指す方向は、商品とサービスの充実によるリアル店舗の強化。 百貨店にしかできないことをしたい。 少子高齢化やeコマースの台頭、節約志向もあり、百貨店業界は厳しさを増しています。 かつ福島県はインバウンドの恩恵をあまり受けていません。 その中でどうやって生き残っていくか。 その時々に求められているライフスタイル提案、NEW・ONLY・NO. 1という明確なキーワードの商品提供、かゆいところに手が届くサービス、人の温もりを感じる接客等、人だからこそできる「おもてなし」を極めていくことが重要です。 ベンチャー企業としての越後屋のDNAを、うすい百貨店も受け継いでいます。 私も社員も常に柔軟に変化し続けていきます。 冬はすっかりスキー漬けの学生生活を過ごしていました。 情報をもとに、頭を使い、作戦を練る... その間のドキドキ感、勝ったときの爽快感! 先見力や決断力がそこで養われていると思います。 寅さんも素晴らしいけれど、周りの役者もとても味があります。 ちょっとした喜びや悲しみなど、人情の機微を感じられる演技に引き込まれます。 「人事を尽くして天命を待つ」 悔いを残さない人生を目指しています。 ...ですが、不徳の致すところで、実は後悔の連続なんです。 【幼少期】 吉祥寺の自然の中でのびのび育っていました。 今でこそ住みたい街No. 1の吉祥寺ですが私が子供の頃は武蔵野の面影が沢山残っていてのんびりした所でした。 【学生時代】 慶應大学に入り、工学部だったこともあり週2回は実験のレポート提出のため徹夜の生活。 今でもその頃の悪夢を見ます。 部活動ではスキーを大満喫。 志賀高原の一ノ瀬がホームゲレンデ。 冬は殆ど山の中で過ごしていました。 【新入社員時代】 日本橋三越本店の食器売り場に配属されました。 売場での販売、外商活動、中元歳暮を通し、諸先輩方から百貨店の基礎を叩き込まれ、またお客様を全ての思考の中心に置くという、お客様第一の考え方をその時学びました。 【転換期】 37歳のころ、台湾に5年間赴任しました。 台湾有数の財閥である新光グループと三越が合弁、百貨店を作るプロジェクトの一員となり、販売部門・商品開発・店舗開発担当として1~3号店のを立上げをするためでした。 新しい環境の中で、色々なアイデアを生み出しながら、現地スタッフと力を合わせて立上げを成功させたあの時の体験は、今の自分の基礎であり、重要な肉付けとなっていると思います。 We Love ふくしま! 豊かな自然、おいしい食べ物、情に厚い人たち。 もう十年もいますから、私にとって郡山は第二の故郷です。 こんなに良いところ、そうはないと思います。 福島が大好きです。 少しおごった言い方になるかもしれないけれど... うすい百貨店という存在は、郡山市民や福島県民から愛されている、なくてはならない存在だと私は思っています。 福島・郡山のお客様に愛着を感じてもらっていることに、感謝と責任を強く感じます。 先ほどお話したとおり百貨店業界は厳しい状況を迎えておりますが、福島・郡山のお客様にとって、うすいの存在がどれだけ元気の源になっているか?福島県の復興の一助となるために、自分たちに何ができるか、何をすべきか?ということを、考え続ける毎日です。

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うすい百貨店

うすい 百貨店 郡山

セカンドバンクは同社に隣接する。 創業と百貨店の開業 [ ] (寛文2年)に物産問屋として創業したのが始まりである。 (昭和5年)に 合名会社うすゐとして法人化し、(昭和13年)に百貨店法に基く百貨店営業の認可を受けて正式に百貨店化した。 日本百貨店協会には三越傘下になってから加盟した。 増床と他の大型店と競争 [ ] (昭和34年)には郡山市中町にあった丸伊デパートを買収して 「第2うすい」として増床し、(昭和40年)には年商33. 0億円 売場面積7,565 を上げての地域一番店だったの年商24. 5億円 売場面積7,028m 2 を上回って福島県全体の地域一番店となり、東北地方全体でもの3百貨店(:43. 4億円、:42. 3億円、:41. 5億円)に次ぐ4番目の売上を上げる までに成長した。 (昭和45年)には 株式会社うすい百貨店として分離独立し、同年12月14日に仙台市から進出してきた丸光 や地場の呉服店が百貨店化した津野本店 、(昭和44年)進出してきた 、(昭和50年)に進出してきた (1年後の1976年(昭和51年)11月6日に(郡山西武)となる )や 、 などの大型店と激しい競争を繰り広げた。 特に反対側の大町にあったダイエーとは、開店時には価格面において極端な値下げが行われるなど全面戦争状態と化した。 そして、(昭和55年)に丸光撤退 、(昭和61年)3月に津野本店廃業 、(昭和63年)にイトーヨーカドー撤退 、(平成6年)にダイエーをディスカウントストア業態のトポスでも存続できず撤退 させるなど並み居る競合の大型店を撤退や廃業に追い込んで生き残った。 この当時のうすいは、の通りを挟んだ「第1うすい」「第2うすい」の2棟体制営業され、には加盟していなかった。 新店舗への移転と業績の低迷 [ ] しかし、郊外には既に市内に数店舗進出していたなどのスーパー、さらに郡山市西ノ内に移転したイトーヨーカドー、さらに(平成8年)には同市日和田にとが進出し、うすい含め郡山駅前の商業地の売上を低下させていった。 そんななか、市と共同で県の補助金を利用し第二うすいなどがあった敷地に「中町再開発ビル」建設。 このとき東邦銀行が融資を行わなかったことからメインバンクが秋田銀行になったと言われている。 (平成11年)に現店舗へ移転し 、従来の約2倍 の31,000m 2 で東北最大級の売り場面積 を持つ都市型百貨店を開業した。 (平成12年)10月15日で郡山駅前の西友郡山西武店が閉店して 、11月22日にとして移転するのに対抗したが 、移転・増床前の(平成9年)7月期の売上高162. 49億円が、(平成12年)7月期には年度開始後約3ヶ月で約2倍に増床して9ヶ月間新店舗で営業したにもかかわらず売上高が約155. 34億円と逆に4. 05億円の赤字に転落し 、(平成15年)7月期も売上高約168. 65億円で5. 87億円の赤字 と業績が伸び悩んで過大投資となり、借入金総額がうすい本社と合計で約155. 産業再生機構の支援による再建 [ ] 前項の通り過大投資により業績が低迷したため、(平成15年)8月にメインバンクのからの申請でによる支援が決定され、再生計画が実行されることになった。 この再生計画に基き、メインバンクの秋田銀行を中心に、、、などを中心とした金融機関が約120億円の債権放棄を行って有利子負債のキャッシュフロー倍率を10倍以下に削減し 、売場面積も従来の11フロアのうち2フロアをの支援で誘致した。 (平成16年)10月にを入居 させてテナント化して賃料を約5億円削減すると共に、地代削減分を反映させて他の賃料も約5億円削減して合計約10億円の賃料引き下げを実現し 、三越が社長の派遣 や共同仕入れによる粗利益率の改善 にも協力するなどして再建に取り組み、(平成17年)7月期に約1. 8億万円の黒字に転換 に成功した。 三越の持分法適用会社へ [ ] 産業再生機構の支援による再建が軌道に乗ったことを受けて、社長の派遣を含む業務提携に14. その後、三越(現・)がこの株式を継続して保有し、三越がの経営統合にて誕生したの持分法適用子会社となっていた。 このため、産業再生機構の支援下での再建時に社長に就任した小島浩介 を含め、遠藤潤 、平城大二郎 と近年は三越出身の社長が続いている。 有力テナントの撤退と後継店舗の招致 [ ] (平成21年)に8・9階の2フロアに出店していた・郡山ショールーム(4,800m 2)閉店し 、(平成22年)9月23日には現在地への移転時からの有力テナントだった が閉店する など有力テナントの撤退が相次いだ。 その代替となる有力なテナントとしてに 9階の全フロア約2400m 2で約65万冊の品揃えを誇る福島県内最大の書店としてを開店させると共に、8階にはの期間限定ショップであるトラックマーケット を(平成23年)1月31日まで 招致して集客力と売上の維持を図った。 三越伊勢丹傘下から再び独立 [ ] (平成28年)3月に三越伊勢丹ホールディングスが、うすい百貨店の株式を一部売却した。 これにより、2016年度末より三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用範囲から除外となり、再び独立の道を歩むこととなった。 沿革 [ ]• (寛文2年) - 物産問屋として創業。 (昭和5年) - 合名会社うすゐとして法人化。 (昭和13年) - 百貨店法に基く百貨店営業の認可を受ける(「第1うすい」の前身)。 (昭和34年) - 郡山市中町にあった丸伊デパートを買収 して「第2うすい」として開業。 (昭和45年) - 株式会社うすい百貨店として百貨店部門を分離、別法人化。 (平成5年) - 新店舗となるビルの市街地再開発事業が都市計画決定される。 (平成8年) - 新店舗となるビルの市街地再開発組合を設立。 (平成9年) - 第1うすい、第2うすい、USUIパート2の3つに分かれていた店舗を新店舗工事のため、第1うすいの建物北側を増築し、本館(従来の「第1うすい」)と新館(売場面積:14,800m 2)で構成される「うすい仮店舗」に統合。 (平成11年) - 現在の店舗に移転の為、うすい仮店舗を閉鎖(新店舗移転後から複合施設・ONCE郡山となり残っていたが取り壊された後、(平成16年)3月に中町中央パーキングとして開業した)。 1999年(平成11年) - 東北最大級の売り場面積を持つ都市型百貨店としてリニューアル。 (平成15年)8月 - 売上げ不振によりによる支援が決定。 (平成17年)10月 - 産業再生機構から三越へ株譲渡が行われ 三越の持分法適用会社となる。 (平成17年)11月 - 産業再生機構に対しての債権処理完了。 (平成21年) - 8・9階・郡山ショールーム(4,800m 2)閉館(閉店後は仙台ショールームに統合) 、8階は百貨店インテリア・雑貨売場に。 (平成22年)9月23日 - 八重洲ブックセンターが閉店。 (平成22年) - 県内最大規模としてジュンク堂書店が跡の9階にワンフロア出店、8階にはの期間限定ショップであるトラックマーケットがオープン。 (平成28年) - がオープン。 県内初出店。 (平成28年)3月 - 三越伊勢丹ホールディングスが、うすい百貨店の株式を一部売却。 2016年度末より三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用範囲から除外となる。 融資系統 [ ]• (メインバンクかつ当社の株主でもあり、うすい隣に郡山支店がある。 広告活動 [ ] かつては、福島県内の・などにおいて、下記の「うすいの歌」によるCMやセール等の宣伝CM、取り扱う商品のイメージCMも放送され、さらには各番組のスポンサー、の路線バスの社外広告、・のテレビ欄中段の広告にも出稿するなど、積極的な広告活動が行われた。 2019年現在は、テレビCMや新聞広告などへの出稿は、催事時のみの散発的なもののみとなっており、スポンサー活動は行っていない。 うすいの歌 [ ] イメージソングとして「うすいの歌」(作詞:、作曲:)がある。 (昭和41年)の作品で、翌(昭和42年)からテレビCMにて使用されるようになった。 このテレビCMは、後述の「うすいファミリー劇場」などで流れ、映像はやの親子を中心に、や・小鳥などが登場するアニメーションであった(一部CMはパンダ・ウサギは登場しない)。 作画は80年代のものは金田常幸。 また、このCMのアニメーションは「FTVニュース」のうすい提供分のものはオープニングとしても使用されていた。 過去に、アヒルやカンガルーの親子のキャラクターは、福島交通の路線バスの社外広告や再開発前の郡山駅前のバスターミナルにも看板として使用されていた。 1999年11月の新店舗開業に伴い、1997年7月の「うすい仮店舗」開業から都市型百貨店へのイメージ転換のため使用を取りやめたが 、2009年10月に「うすいの歌」のイメージソングを用いた前述のアニメーションのCMが復活した。 これはほぼかつてのCMと同様であるが、導入にあわせて16:9サイズとなっており、動物はパンダのみいなくなった。 歌詞の最後にある 「もうすい 夢のデパート」は、現在は広告などで「usui」のロゴと共にとして挿入されている。 第1うすいと第2うすいが統合し、「うすい仮店舗」となった時期から新店舗オープンまでの間、「うすいの歌」とは異なるオリジナルのCMソングが使われ、周辺の街頭放送のスピーカーからも流されていた(うすいの歌もその前後流れていた)。 過去のイメージキャラクター [ ]• (1966年)• (1973年)• (1974年 - 1986年)• 原みゆき(1987年 - 1990年)• 向井田彩子(1991年 - 1993年)• 中村裕美(1994年 - 1996年)• お天気レポート - 午後6時55分から放送されていた天気予報。 とともに長年スポンサーを務めていた。 現在のマークは、の「 USUI」のロゴ()である。 かつては、の標章や福岡の地場デパート「」と同じく、赤地に「井桁」のマークだった。 「井桁」マーク時代には、ローマ字の「USUI」のロゴも併用されていた。 以前、スーパーマーケット部門として「いげたストア」があり、郡山市内や(会津若松店)などに数店舗展開していたが、いずれも2000年代頃までに閉店している。 かつては、ではなく、天井から吊るされたの中にとを用意しておき、会計をする「ざる会計」が行われていた。 脚注・出典 [ ] []• 2003年8月28日. あ・ら・か・る・と 創刊号 福島県折込広告社 1986年7月. 福島民報. 2009年4月4日• 三越伊勢丹ホールディングス. 2011年6月27日. 翁百合 2008-10. フィナンシャル・レビュー October-2006 財務省財務総合政策研究所. 2003年8月28日. デパート新聞社編 『全国百貨店年鑑 昭和42年版』 デパート新聞社、1967年。 『火の人 佐々木光男伝』 丸光、1973年。 現在の朝日生命郡山センタービル• 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 科学研究費補助金基盤研究 C 2 研究成果報告書 Report. 地域調査報告 第11号 地球科学系人文地理学研究グループ 1989年3月. 「昭和50年11月縮刷版」112頁(「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」「福島民報」()1976年11月7日、朝刊7面)。 読売新聞社. 2005年6月17日• 「商都・郡山市の駅前通りと国道四号線が交差する一等地へ(みち)」『』()、1987年7月17日、地方経済面東北A 2頁。 約1年後の1989年6月に郡山市西ノ内に現行の店舗として開業。 福島民報. 1999年11月4日• 「郡山西武 25年間の歴史に幕 買い物客、閉店惜しむ声」『福島民友』 福島民友新聞 2000年10月16日、朝刊。 「郡山の大型店 モール開店、朝1番に500人」『朝日新聞』福島面 朝日新聞社 2000年11月23日、朝刊。 未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~ Report. (2001年). 日本経済新聞社. 2005年9月15日• 福島民報. 2009年6月27日• 敗軍の将、兵を語る - 薄井康氏 うすい百貨店社長. 日経BP社. 2003年11月10日号 120p• 日本経済新聞社. 2005年10月14日• 四国新聞社. 2006年1月27日• 福島民報. 1999年10月6日• 福島民報. 2010年7月27日• 福島民友新聞社. 2010年10月29日• 福島民友新聞社. 2010年9月8日• 福島民報. 1993年2月13日• 「平成9年7月縮刷版」409頁(「仮店舗での営業開始」「福島民報」()1997年7月17日、朝刊9面)。 「平成9年7月縮刷版」216頁( 1997年7月9日、朝刊18面)には、第1うすいの商品をうすい仮店舗で一掃する「手持ち在庫一掃! 全館最終売りつくし」セールの広告が掲載されており、 事実上は1997年7月10日開業。 「福島That's辞典「うすい百貨店・CMソングの知られざる雑学」」()2017年4月4日放送より。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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