チャールズ 皇 太子 紅茶。 世にも不思議な留学記(マガジン版)

【驚愕】英チャールズ皇太子の現在… : NEWSまとめもりー|2chまとめブログ

チャールズ 皇 太子 紅茶

ダイアナ妃が「交通事故死」したのは1997年8月31日。 それからもう20年以上になる。 事故の一年前、彼女はチャールズ皇太子と正式に離婚していた。 そして、彼女は突然、パリで「交通事故死」した、表面的には。 しかし、本当は、 英ミリタリー・インテリジェンスの要人暗殺班によって消されたのである。 しかも、裁可を下したのは最終的に エリザベス女王自身と考えられる。 ダイアナを暗殺するには、絶対に王室の同意が必要である。 ただし、ミリタリー・インテリジェンスに直接命じたのは、夫のフィリップのほうだ。 20年前、彼女の乗った車は、トンネル内で突然、ブレーキが効かなくなった。 と同時に、前を走っていた暗殺班のバンの後部から強力なフラッシュを焚かれた。 こういう「交通事故」とか「心臓麻痺」などは典型的な西側機関の暗殺の手口である。 ロシアの諜報機関みたいにあからさまに毒殺するのは「下策」なのだ。 英国史上最高齢の女王と皇太子 さて、現在もエリザベス女王がしぶとく生きている。 英史上、最長・最高齢の君主である。 女王は1926年4月21日生まれ。 2020年には94歳になる。 英王侯貴族軍団は プロテスタント勢力の頂点に立つ世界支配層だ。 イギリスのヘゲモニーがはっきりと確定したのは、ナポレオン戦争の勝利後なので、ほんの(?)200年ほど昔のことだ。 以来、彼らは世界を牛耳っていく。 だから、真の英爵位は、今も直系男子一人にしか継承を許されていない。 なぜなら、現代でも通用する本物の特権階級の証だからである。 ま、その話はここではしない。 ここで取り上げたいのは、 次の国王は誰かということ。 *この続きは「Note」でお願いします。 165• 176• 104• 148• 170• 247• 50 スポンサーリンク.

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【ラグビー/W杯】来日中のチャールズ皇太子がウェールズ代表を激励

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net 天皇陛下の即位関連儀式出席のために来日している英国のチャールズ皇太子が23日、東京都内で、 ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会で4強入りしているウェールズ代表の練習会場を訪れ、 チームを激励した。 「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を持つチャールズ皇太子はウォーレン・ガットランド監督らと談笑し、 選手と握手をしながら言葉を交わした。 アルンウィン・ジョーンズ主将は選手のサインが入ったジャージーを 皇太子に手渡し、全員で記念撮影に納まった。 ウェールズは27日の準決勝(横浜・日産スタジアム)で、日本を準々決勝で下した南アフリカと対戦する。 84 ID:CHhUt71w0. 52 ID:wrU39t2C0. 45 ID:PjyugjGj0. 25 ID:R1Pg9kuE0. 25 ID:1U0uahdT0. net POW! 45 ID:T5tyztfZ0. 00 ID:6NaHO6Mh0. net ベスト4にイングランドとウエールズが残っているもんな。 21 ID:qS0aSiGJ0. 22 ID:75eUWRPU0. 66 ID:DzRifMHV0. 18 ID:NAbR5OLK0. 65 ID:b61JTcck0. 16 ID:Sny0d8580. net ウェールズ程度では南アには勝てません。 42 ID:Isp3msqN0. 78 ID:BsiKx14s0. 16 ID:b61JTcck0. 29 ID:XOsoGxEB0. 46 ID:F6SyNzGv0. 64 ID:5L2jvjIT0. 20 ID:hesjMiwF0. net 完全に「お爺さん」になってしまったね。 あの人は今は天国だ。 時代の経過を痛感する。 93 ID:b61JTcck0. 74 ID:hesjMiwF0. net ダイアナは80年代と90年代は日本でもカリスマ的な人気があった。 凄い女性だった。 04 ID:CA87dhro0. 65 ID:qS0aSiGJ0. net ちなみに 南アフリカ マシェホ=ドラミニ国際関係・協力副大臣 ニュージーランド レディー総督夫妻 が天皇陛下の即位関連儀式出席のため来日されていたそうです。 01 ID:26UsOYem0. 19 ID:QPFPFIpC0. 32 ID:t8EgWhVs0. 54 ID:ApV34GZH0. 15 ID:fu4zNgdA0. 67 ID:RpIcpxzC0. 26 ID:nqhKrfJZ0. 93 ID:fdZld98m0. 99 ID:VqKGUyo20. 19 ID:LNg4jtQg0. 22 ID:YItxrMLJ0. 09 ID:z8LnzMu90. 67 ID:9Vh1jGOw0. 69 ID:qx2fNSgM0. 58 ID:QTwSQXR30. 79 ID:begMWjmM0. 51 ID:b61JTcck0. 53 ID:SNL160eM0. 58 ID:Y3fw0sS70. 58 ID:KNpGpViK0. 80 ID:HB5gCuX80. 49 ID:KDtuuZh60. 52 ID:QPFPFIpC0. 95 ID:Y3fw0sS70. 51 ID:IZzaLzfq0. net しかしチャールズさん今回の日本の譲位見て複雑だったんじゃ。 王様になる頃には歳過ぎてまともに海外公務出来ないかも。 00 ID:oDnEtu4x0. 57 ID:4vBGENGP0. 78 ID:uWvP9ZAS0. 02 ID:EoqQS6Ve0. 72 ID:Y3fw0sS70. 94 ID:ggVSDMI90. 10 ID:GhmzwkXB0. 57 ID:I7IQA5nz0. 71 ID:9oQoSeWo0. 59 ID:CecEZimt0. 38 ID:S83zgpNo0. 64 ID:X0bz7xy80. 47 ID:L8mW4xL30. 07 ID:ihVfUMhd0. 68 ID:ApX436RN0. net マン島とチャネル諸島は、イギリス王室領であって、イギリスでは無いんだよな。 50 ID:g9qKEvS70. 62 ID:dxrphngQ0. 80 ID:u1VLzvzf0. 39 ID:ApX436RN0. net 実際には1600〜1800年程度だよな。 それでも単一王朝としては世界最長だな。 王国だとエチオピアの方が長いけど。 65 ID:Vgqc0hvk0. 10 ID:ZGVeMREm0. 12 ID:cJaMNCEH0. 37 ID:7i0fKkSo0. net 英主要メディアによると、ロンドン東方の工業団地で23日未明、大型トラックの荷台から39人の遺体が見つかった。 ブルガリアからの移民とみられる。 地元警察は、トラックの運転手で英領北アイルランド出身の男(25)を殺人の疑いで逮捕し、詳しく調べている。 警察によると、トラックは元々ブルガリアを出発し、海を渡るなどとして19日に英国に入ったとみられるが、詳細は不明。 見つかったのは成人38人と10代とみられる1人の遺体で、身元の確認には時間がかかる見通し。 79 ID:VrtSgVML0. 21 ID:VrtSgVML0. 70 ID:AZBevlDy0. 17 ID:Q4bxvA9hO. 20 ID:5zBFfFx10. 44 ID:BZwLslCc0. 64 ID:ApX436RN0. 23 ID:eQQK0Dvf0. 49 ID:LAwFyfGH0. 50 ID:ebYNiInV0. 83 ID:t5KNxSb80. 42 ID:hDspo4qe0. 62 ID:7JfmhBCf0. net ウェールズの地名の綴りがすごい。 87 ID:5N2coWR10. 12 ID:5ZaQwxKY0. 47 ID:uOWzFMXx0. net 位なんだから年は関係ないでしょ。 97 ID:nDx7MAuq0. 34 ID:dK9adyOk0. net 不倫離婚したチャール皇太子に激オコのエリザベス女王が「私が死んで、チャールズが国王になるのは絶対に許せん。 36 ID:qugyhQ5M0. 21 ID:R6mf4nhZ0. 78 ID:eGUnxejX0. 57 ID:eGUnxejX0. 91 ID:55tzi65g0. 75 ID:2Oper9Fw0. 47 ID:ITQBAKFx0. 75 ID:jCxCpwq3O. net 何年か前に英国の俳優にファンレターを出したら、サイン入り写真と、日本公開の映画チラシが送られてきた。 チラシにはサインとメッセージが入っているんだけど読めなかった。 ウェールズ出身の人だからウェールズ語だったのかな。 85 ID:o2ncLijn0. 42 ID:Ekekqa1t0. 68 ID:Twszr1RY0. 42 ID:Dc5KieVH0. net 昔はこれぞ英国紳士ってファッションだったのに 最近は何故かダサダサスーツを着てるよな。 11 ID:SoXdjJb70. 49 ID:SPFZD2380. net ヒゲの殿下が「私は三笠宮寛仁ではなく寛仁です。 三笠宮は父の称号で、父が亡くなったら私が相続します」と言ったので、マスコミも「三笠宮寛仁」という間違った表現を使わなくなったんだよな。 そういうマスコミの無知による誤用を指摘したのは、寛仁親王だけだった。 31 ID:NwEltMqZ0. 05 ID:oVyk0O0c0. net 準決勝に残った3. 78 ID:QQe34jkP0. 70 ID:q5Jy3wwM0. 19 ID:16nmLlui0. net 1970年の日本万国博覧会にも来たんだよね。 70 ID:wGWqKSoV0. 88 ID:LVKusct70. 01 ID:JFCDOLHu0. 61 ID:EfMyxATd0. 35 ID:zMCLJoPu0. 92 ID:MPlU3sgX0. 21 ID:zMCLJoPu0. 66 ID:dK9adyOk0. 04 ID:EfMyxATd0. 22 ID:ApX436RN0. net 最近は無いな。 両方ともベスト8まで行ったことがあるが。 90 ID:pPxcl3GL0. 68 ID:zMCLJoPu0. 22 ID:dGZvhNUl0. net チャールズって、拘りの多い趣味人なんだよ…。 交流も幅広くて一緒に社交できるような会話力のある女性じゃないとムリ。 ダイアナは自分の切り抜き集める位自分大好き自己中、小卒の低学歴恋愛脳スイーツ女。 取り柄は家柄容姿のみ。 チャールズがハネムーンで来客にお礼状書いてるのも許せない。 自分をもっと構うべきだと。 そんな女。 合うはずないんだよ。 これでヨーロッパで政略結婚が無くなった。 カミラは社交術会話力は常に高く評価されてる。 容姿だけの問題ではない。 50 ID:4nIoFwBE0. 36 ID:Qs4SdHu30. 99 ID:JU2Jxpoo0. 57 ID:OCwaU8oo0. 08 ID:OCwaU8oo0. 79 ID:zNOxMNRZ0. 53 ID:w43dT7uR0. 35 ID:4XQ136KT0. net イングランドしか残ってなかったらそっちだったろうな。 ウェールズが残ってたから、プリンス・オブ・ウェールズとしては ほっとけんだろ。 06 ID:pm3JBsis0. 15 ID:ADCkmUYb0. 83 ID:sj0P6PcA0. 89 ID:8v6PODXi0. net ハーディのプリンスオブウェールズの紋章はカッコいい。 net ウェールズには元々ウェールズ大公(プリンスオブウェールズ)が いたが、最後の生粋ウェールズ人大公のサウェリンがイングランド と戦って戦死し、ウェールズはイングランドに併合された。 そこで、イングランドの王太子がウェールズ大公を名乗るように なった。 99 ID:0ymXVFpp0. 92 ID:Al1pz96k0. 97 ID:Al1pz96k0. 88 ID:sOTls3mW0. 88 ID:mIUuy3jjO. net 田舎の温泉旅館で60台の若女将は実存する。 77 ID:rOeuPVvh0. 94 ID:EfMyxATd0. 27 ID:scouI9Ud0. 80 ID:xBgqquvf0. 89 ID:cwuZKdDM0. 24 ID:gnBOvFOH0. 11 ID:xBgqquvf0. 65 ID:IOXzcDwy0. 26 ID:VrtSgVML0. net イギリス中心部、イギリス右下、イギリス植民地、南ア。 05 ID:37nWJeOM0. 76 ID:ythgPeWP0. 67 ID:xBgqquvf0. 58 ID:TLKaO8oA0. 69 ID:PpUV0U9F0. net そうだね。 日本代表でいえばリポビタンDと一緒だね。 ワールドカップではスポンサーロゴ入りのジャージは着れないけど 通常のテストマッチでは着てる。 16 ID:DjWUYBku0. net イギリスの反応が面白いね。 36 ID:jIeDEUPo0. 55 ID:vk5l3PQg0. net すごい!サッカーがらみでちらっとら見る機会があったけど、ウェールズ語、英語と全然違うじゃん。 22 ID:HDhrBY9S0. 76 ID:vk5l3PQg0. 35 ID:vk5l3PQg0. net ケルトはアイリッシュとかで緑の目に金髪、ゲルマンはドイツ人とかで目も髪も黒っぽくなる 共にイメージ から、DNA違うと思う。 53 ID:bOWQckHp0. 54 ID:4tKqvPXs0. 84 ID:TLKaO8oA0. 76 ID:iNuwG75O0. 70 ID:1mGwNCpz0. 34 ID:uNt2IzWj0. 38 ID:AE8o3A9N0. 14 ID:uNt2IzWj0. net 勉強になりました。 69 ID:ZoOYOdQv0. 72 ID:AE8o3A9N0. 78 ID:lY5UiiVZ0. 37 ID:GxXOIDCv0. 19 ID:EO8Iu2Al0. 79 ID:bwqBaxQu0. 83 ID:6bxZUZ4V0. 01 ID:bBt5qdip0. net ダイアナはチャールズの趣味に興味あるフリして近づいたんだよ。 彼女の求める愛ってのは、自分の要求通りに何でもすることだったんだよね。 してくれないと「私を愛してないのね。 あれではどんな男性でもムリ。 チャールズもそれでカミラに逃げたのが実情。 実際ダイアナと交際した男はみんな逃げ出してる。 要求の高さに耐えられなくなるんだよ。 ダイアナに頼まれて彼女に有利な暴露本書いた作家でさえ、「あれじゃ俺でもカミラに逃げる」と言わしめた。 85 ID:ruGCF3AU0. 27 ID:AE8o3A9N0. 10 ID:ruGCF3AU0. 15 ID:ruGCF3AU0. 07 ID:upgcbuyw0. net 妻をラガーマンに寝とられたチャールズが真剣にラグビーを応援するわけない。 73 ID:HEDNdnNS0. 16 ID:5RaUTws80. 58 ID:GxXOIDCv0. 41 ID:GxXOIDCv0. 88 ID:z2m2nrGy0. 61 ID:nOo1Tt970. 17 ID:ffDz7Bu20. 05 ID:7vyga6ju0. 70 ID:kxqqmBHj0. 36 ID:7Y8rby0B0. 78 ID:M8OncmR60. 32 ID:jYXvOlYR0. 08 ID:w70mzLXx0. 92 ID:vpAGfnhf0. 16 ID:HRceQTOe0. 71 ID:4TAU53Bz0. 50 ID:vpAGfnhf0. 39 ID:HRceQTOe0. net エリザベス女王を見るたびに 俺の脳内で『パリは燃えているか』 が再生されるんだが。 49 ID:vpAGfnhf0. net エリちゃんのおかんのエリ皇太后も101歳まで生きたしな。 長生きの家系。 22 ID:oVn20yaC0. 42 ID:vpAGfnhf0. 28 ID:fRZYouAH0. 07 ID:vpAGfnhf0. 75 ID:vpAGfnhf0. 09 ID:w70mzLXx0. 41 ID:9upRKSD80. net 本家イングランドには行かないのかと思ったら九州かでオールブラックス戦か。 44 ID:vpAGfnhf0. net イギリスは19c末の戦艦の前身の装甲艦ヴィクトリアが最初かな でも、王族名を系統的に付けているかというとそうでもなく、 パラパラ見られる程度だよな。 アメリカの空母で、大統領の名前をつけるようになったのは 比較的最近のようだな。 ミッドウェイ級の2番館フランクリンDルーズベルトが最初かな ニミッツ級に多いね。 ニミッツは提督だけど。 43 ID:EmEvUQJn0. 07 ID:2Y65Lgiu0. 30 ID:lS6tgcYt0. 55 ID:bPkBPlze0. 47 ID:DGJcpfBD0. 23 ID:xcXfOWqY0. 17 ID:bBt5qdip0. net ダイアナがラガーマン 既婚者 を妻から寝取ったのはチャールズと完全別居した後。 妻が会見開いて「ダイアナにベッドに誘われて断れる男がいますか?」と号泣。 むしろこの選手のファンで部屋にポスターまで張っていたというウィリアム王子のが被害者かもな。 13 ID:vpAGfnhf0. 00 ID:ySpnj1uT0. net カミラ夫人、先週は国会の開会式に女王、チャールズと3人で正装して馬車で出席。 同じ日の午後、女王と二人でウェストミンスター寺院創立750年式典出席。 翌日3つのイベントのパトロンとしてスピーチ。 単独公務も多いし、どこでも歓迎されてるからかなり受け入れられてる。 確かにスピーチ、トークはかなり上手いね。 昨日のチーズ工場でのトーク面白った。 出来立てチーズ貰って「今、夫は日本です。 私はよき妻として彼が帰るまで待ってから、シェアしますね。 」多分問題なく王妃になると思うよ。 ダイアナと違って女王からデイムグランドクロス勲章も貰えてるし。 夫を献身的に支えてると評価されてる。 38 ID:rEobEs5O0. 01 ID:fph1hFMx0. 12 ID:PBWSTj4x0. 40 ID:PBWSTj4x0. 21 ID:PBWSTj4x0. 41 ID:ZAennAlM0. net 面白い風習だけどイングランドとウェールズのラグビーの試合を謁見するときは チャールズは皇太子がウェールズに人質に取られていた風習にならい ウェールズ側を応援するきまりがある これ豆な 嘘かほんとかは調べてね よく赤のタオルを首にさげてるよ 総レス数 345 77 KB.

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チャールズ皇太子のコロナ感染はどこで?感染ルートがヤバい!!

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はやし浩司 世にも不思議な留学記(マガジン版) はやし浩司 世にも不思議な留学記 BY はやし浩司 マダム・ガンジー(ハウスの玄関前で、1969) 右はオーストラリア首相 Internaional House 1970 by H. Hayashi この『世にも不思議な留学記』は、中日新聞に、8回にわたって連載されたあと、 金沢学生新聞に、32回にわたって連載されたものです。 その原稿を、マガジン用に編集して、みなさんにお届けします。 金沢大学のみなさんには、ほぼ4年にわたって愛読していただき、 心から感謝しています。 長い間、ありがとうございました。 (2004・5・7) Hiroshi Hayashi International House 241 Royal Parade、Melbourne Vic. Australia, in 1907-71. "My College Life in Australia", copyright all reserved, by Hiroshi Hayashi. 最後まで、お読みくださり、 ありがとうございました。 2004年6月に、息子(英市)が、 ハウスの写真をとってきてくれましたので、 紹介します。 Internaional House 1970 by H. Hayashi 北国新聞(1970・昭和45年2月8日・日曜日版 出版社の方へ…… 『世にも不思議な留学記』の出版を考えています。 興味をもってくださるようなら、ご一報ください。 未発表の原稿+内容をふくらませた原稿を提供いたします。 ここに掲載した原稿は、新聞記事用に、内容、字数を、圧縮してあります。 それを知ったとき、熱い涙が、とめども なく流れた。 この浜松市では、ワイフだけ。 今は、そういう状態。 学生時代からの友人の1人は、2年前に他界した。 それほど親しくはなかったが、何かにつけ、彼が近くにいるというだけで、心の支えに なっていた。 もう1人いたが、この12月1日(2010年)に、同じく他界した。 だれも予想すらしなかった、突然の死だった。 それまでは毎日のように、その朝に書いた原稿を、メールで送っていた。 ほかに3人の息子たちがいるが、「心の内」を話すといっても、どうしても愚痴になって しまう。 息子たちにしても、不愉快だろう。 老後の不安を口にしただけで、顔をそむける。 何も、めんどうをみてほしいと言っているわけではないのだが……。 「オーストラリアへ移住しない?」と。 移住といっても、数年、あるいはもう少し長く、オーストラリアに住んでみないか、と。 ワイフ自身のためというよりは、私のことを考えてのことらしい。 このところずっと落ち込んでいる。 気分が重い。 老後のことはできるだけ考えないようにしている。 が、いつも心から離れない。 打ち寄せる渚(なぎさ)の波のように、折につけ、心を塞(ふさ)ぐ。 ザザー、ザザーと。 それに……。 ワイフは、こう言う。 「人生も短いのだから、したいことをしましょうよ」と。 そういう話の流れの中で、「オーストラリア」という名前が浮かんできた。 私の知っているオーストラリアは、昔のオーストラリア。 あのメルボルン市(当時の人口は300万人)にでさえ、日本人の留学生は、私、 1人だけだった。 そんな時代のオーストラリア。 が、今は、多くのアジア人たちが、ひしめくように住んでいる。 犯罪も多くなり、男性でも夜のひとり歩きは危険になったという。 私「今のオーストラリアは、ぼくが知っているオーストラリアとはちがうよ」 ワ「知っているわ」 私「向こうの人は、日本人といっても、ほかのアジア人と区別しないよ」 ワ「知っているわ」 私「それでも、お前は、オーストラリアに住みたいのか?」 ワ「……あなたのためよ」と。 私の夢は、いつかオーストラリアに移住することだった。 しかしそれができなかった。 郷里に母と、病弱な兄がいた。 生活力が、ほとんどなかった。 が、2年前、兄が。 つづいて母が、他界した。 私はやっと「家」から解放された。 ずっと孤独だった。 今も、孤独。 「友」と呼べるような人は、ワイフしかいない。 それが不満というのではない。 私にとって老後の不安というのは、ワイフのいない世界をいう。 もしワイフが先に逝ってしまったら、私はどうなるのか。 どうしたらよいのか。 親類といっても、面従腹背。 つきあいといっても表面的なもの。 家庭の事情を話すと、その話は、1、2週間のうちに、みなに伝わってしまう。 みながみな、私に好意的というわけではない。 いつも私が話す話は脚色され、どこかでゆがめられてしまう。 たとえばいとこの1人に、(いとこといっても、60数人のいとこがいるが)、今日、 電話で、「最近、腰がこわばることがあって、痛い」と話したとする。 すると1週間後には、別のいとこから、こんな電話が入る。 「浩司君、あんたは車椅子に乗っているのか?」と。 言うなれば、私の親類たちは、自分を「家」という砦で囲み、その中だけで生きている。 その「ワク」から外れる者を許さない。 昔ながらの利己主義的な「家意識」。 それが亡霊となって、そのまま生きている。 つまり私が住む世界ではない。 もし来年(2011年)、仕事に限界を感じたら、オーストラリアへ行こう、と。 私も来年64歳になる。 自由業に定年はないとはいうものの、しかしここ数年、限界を感ずることが多くなった。 少子化に不景気。 加えて私の教え方は、どこか古典的。 古臭い。 今の若い親たちには、受けない(?)。 私「でもね、ぼくは慎重の上に、慎重に考えたい。 住んでみたが、やっぱり日本のほう がいいというのでは、困る。 若いときならまだいい。 しかしこれからはやり直しがきか ない」 ワ「……」 私「行くのは簡単なこと。 しかし向こうで、ぼくは何をすればいいのかな。 毎日、景色 だけを見て過ごすわけにはいかない。 仕事をしたい。 が、ぼくの年齢では無理」 私はそういうとき、すぐ「死に方」を考えてしまう。 死ぬのがこわいというのではない。 死ぬまでのプロセスがこわい。 どう死ぬか。 つまり「死に方」。 それを考えると、こわい。 ワ「じゃあ、こうしたら……。 つまりね、とにかく1週間だけでも行ってみるのよ。 2人で、住めるかどうか、確かめてきましょうよ」 私「そうだな。 それがいいかな。 それを何度か繰り返したあと、その後、どうするかを 決める……っていうことだね」 ワ「そうよ……」と。 が、これは第一歩……というより、ほんの一部。 ほかの国とはちがう。 ただの旅行ともちがう。 私にとってオーストラリアというのは、そういう国。 私の青春時代、そのもの。 あの時代はたしかに私の出発点だった。 すべてがそこから始まった。 が、今、この40年を振り返ってみると、あの時代が、そのまま私のゴールになって いるのを知る。 私の人生のすべてが、加齢とともに、そのゴールに向かい動き出している。 ……あの時代が、つぎつぎと私の脳裏に浮かんでくる。 しかも遠い昔の日々としてではなく、つい昨日のように浮かんでくる。 「オ〜イ」と声をかければ、すぐそこから返事が返ってくる。 この空の向こうには、同じ別の空があって、そこに私の青春時代がある。 私はあの世界で、1日1日を1年のようにして生きた。 ウソでも誇張でもない。 本当に、1日1日を、1年のように長く感じた。 オーストラリアへ行くということは、いつもそうだが、私にとっては、その青春時代 に戻ることを意味する。 それなりの心の準備なくして、私にはオーストラリアへ行くことはできない。 メルボルン市に住む、D君。 それにアデレードの近郊の町に住む、R君。 軽い気持ちで、連絡した。 少なくとも、メールでは、そう書いた。 「来年X月XX日、1週間の予定で、オーストラリアへ行く」と。 簡単な予定も書いた。 アデレードで2泊、列車の中で1泊、そしてメルボルンで2泊、と。 往復の飛行機の中で、1泊ずつ過ごす。 すかさず、返事が入った。 が、その返事を読んだとき、私の心の内から熱いものが、こみあげてくるのがわかった。 「私は、ひとりぼっちではなかった」と。 「ヒロシがオーストラリアへ来るなら、それをとりやめる」と。 R君は、「小型飛行機でアウトバック(荒野)を案内する」と。 それに「アデレードからメルボルンまで、車で行こう」とも。 40年前と何も変わっていなかった。 オーストラリアには、私を迎えてくれる人たちがいる。 それを知ったとき、大粒の涙が、とめどもなく頬を伝わった。 アイルランドのドリンキング・ソング(民謡)である。 私はその歌を、全部、ソラで歌える。 が、歌の題名が長くわからなかった。 アイルランドへ行くという人が近くにいると、いつもその人にこう頼んだ。 「もし、こんなメロディ(歌詞)をどこかで聞いたら、題名を調べてきてほしい」と。 そんなこともあって、いつだったか、SKさん(前S大学教授)が、アイルランドで CDを何枚か買ってきてくれた。 が、その中には、その歌はなかった。 が、簡単なことだった。 旅行の連絡をするとき、その歌のことを書いた。 「君が教えてくれた、あの歌の題名を教えてほしい」と。 するとD君が、同じメールの中でこう教えてくれた。 30年もさがしつづけてきた歌が、たった1日でわかった。 1日というより、一瞬! そのあっけなさに、驚いた。 youtube. 今、オレは、もうひとつの世界に行く。 オレにはわかっている。 そこでは親友だちが、みな、待っている。 ローザン・ザ・ボーを迎えるために。 ローザン・ザ・ボーを迎えるために。 オレにウィスキーのブタ樽をもってこい、と。 オレとウィスキーを飲むために。 オレとウィスキーを飲むために。 YOUTUBEに題名を書き込むと、すぐその歌が見つかった。 「ザ・ダブリナーズ」というグループが、それを歌っていた。 2、3度、それを聴いていると、またあの涙が、とめどもなくあふれ出てきた。 いっしょに歌っていたが、声にならなかった。 ……あのノートンの酒場で、私たちは顔を合わせると、いつもこの歌を歌っていた。 それが昨日とか、おとといとかではなく、その瞬間の現実として、よみがってきた。 ……そういう私をワイフがどこで見ていたのかは知らない。 が、そのあと、横から私にこう言った。 「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。 私はためらわず、頭を小刻みに、何度も縦に振った。 ワイフと私はオーストラリアへ「行く」。 「行く」と構えるほど、私にとっては、重大事。 サケが長い回遊を経て、ふるさとの源流に もどるように、私は心の源流にもどる。 それをメールで知らせると、2人の友人から、すかさず 返事が届いた。 アデレードで2泊の予定だった。 が、2泊ではとても足りそうにない。 それにアデレードからメルボルンまでは、列車で移動する予定だった。 が、友人が言うには、車でオーストラリア大陸を縦断しよう、と。 そうなると、とても2泊では足りない。 アイルランドの民謡(drinking song)ということだが、私はその歌を 今でもソラで歌える。 しかし歌の題名がわからない。 YOUTUBEで調べてみた。 「Rosan the Ballか?」・・・ということで、調べてみたが、 うまくヒットできなかった。 が、今日、その歌を教えてくれた友人から、返事が届いた。 正しくは、「Rosin the Beau」。 さっそくYOUTUBEで検索。 いくつかのシンガー・グループが歌っているのがわかった。 その中でも、「ザ・ダブリンズ」のが、そのままの歌い方だった。 こうした民謡は、歌手によって、アレンジの仕方がまちまち。 私はその歌を聴きながら、ポロポロと涙がこぼした。 そのときの情景が、そのままそこにあった。 私はちょうど40年前に、タイムスリップした。 それを横で見ていて、ワイフがこう言った。 「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。 私は名前を教えてくれた友人に、返事を書いた。 「30年間、ぼくはこの歌をさがしつづけた。 やっとこの歌に、めぐり会えた。 ありがとう」と。 けっして大げさな言い方ではない。 本当に、そう感じた。 1日が終わり、ベッドに体を横たえた瞬間、そう感じた。 そんなある日のこと。 ちょうど3か月目のことだった。 私はこう思った。 「まだこの先、こんな生活が9か月もつづくのか!」と。 うれしかった。 それがたまらなく、うれしかった。 私は留学する前、4年間、金沢の大学に通った。 そういう自分を振り返りながら、その密度のちがいに驚く。 4年間、通ったはずなのに、その4年間の重みがどこにもない。 思い出がない。 あるにはあるが、オーストラリアでの経験があまりにも濃密すぎた。 そのため金沢での学生生活がかすんでしまう。 その感覚は、今でもそうで、青春時代というと、あの時代ばかりが光り輝く。 金沢での4年間もそうだが、さらに高校時代の3年間となると何も残っていない。 単調な生活。 スケールの小さな生活。 「学問」と言っても、暗記また暗記。 あの時代には、(今でもそうだが)、自分で考えるということすら許されなかった。 疑問をもてば、なおさら。 疑問をもったとたん、「学校」というコースからはじき飛ばされてしまっていた だろう。 地元の中日新聞と、金沢学生新聞に、あしかけ5年に渡って、連載させてもらった。 興味のある方は、ぜひ、読んでほしい。 私のホームページ(ウェブサイト)から、『世にも不思議な留学記』へと進んでもらえば よい。 が、時代が変わった。 今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。 私たちが学生のころには、考えられなかったことである。 往復の旅費(羽田・シドニー間)だけで、42、3万円。 大卒の初任給がやっと5万円を超え始めた時代である。 私には、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。 日本には綿棒すら、まだなかった。 バンドエイドもなかった。 風邪を引けば、風呂へ入ることを勧められた。 医学部の学生が部屋までやってきて、注射を打ってくれた。 こんなこともあった。 カレッジ対抗で、演劇会をもつことになった。 大学の構内では、壁紙を張ることが、きびしく禁じられている。 が、友だちが、「これからその案内のポスターを貼りに行く」と。 驚いてついていくと、彼らはそれを地面に貼っていた。 (地面だぞ!) あるいは冬の寒い日。 1人の女の子が私を、海へ誘ってくれた。 水着をもってくるように言われた。 今となっては本当かウソかよくわからないが、・・・というのも、 オーストラリア人は、この種のウソを平気でつくので、・・・名前をタマラ・ファクター といった。 自分で、「私は、(化粧品の)マックス・ファクターの孫」と言っていた。 で、海へ行くと、・・・そういえばそこで私ははじめて、「ミート・パイ」という オーストラリアでもっともよく食べられているパイを食べた。 その食べている間に、彼女は、水着姿になってしまった。 泳ぐためではない。 「サン・ベイジング(日光浴)」のためだった。 ・・・などなど。 言い忘れたが、冬に浜辺でサン・ベイジングなるものをするという 習慣は、当時の日本人にはなかった。 そう言えば、同じカレッジにいた友人は、冬の日でも、また雨の日でも、 金曜日の夕方になると、キャンピング道具をもって、近くの森へキャンプ に出かけていた。 そういう習慣も、当時の日本人にはなかった。 ……こうして書き出したら、キリがない。 たしかにそれはそうで、子どもたちにしても、綿棒を見て驚く子どもはいない。 そこにあるものを、当然のものとして、受け入れていく。 が、それは18歳ごろ、常識として脳の中で、固まる。 それ以後は、その常識に反するものを、「異質なもの」として処理しようとする。 ときにそれが脳の中で、それまでの常識とはげしく対立することもある。 たとえば私は向こうの女子学生たちが、みなノーブラで、それこそ乳首が飛び出て いるような状態で、薄いシャツを着ているのを見て驚いたことがある。 その(驚いた部分)というのが、私の常識ということになる。 では、何歳くらいの子どもだったら、驚かなかっただろうか。 15歳くらいか。 16歳くらいか。 それともアインシュタインが言うように、18歳くらいだろうか。 少なくとも私は驚いた。 そのとき私は23歳だった。 ということは、やはり18歳前後ということになる。 (アインシュタインという人は、本当にすごい!) そのころまでに「常識」が形成される。 それがその人の意識の基盤になる。 ものの考え方の基盤になる。 綿棒を見ても、バンドエイドを見ても、驚かない。 むしろそちらのほうこそ、不思議!、ということになる。 彼らもまた、生まれながらにして、そこにあるものを、当然と思い込んでいる。 話は大きく脱線したが、私には毎日が驚きの連続だった。 が、その中でも最大の驚きといえば、彼らの「自由」に対するものの考え方だった。 彼らがもっている自由の意識は、私がもっていた意識とは、明らかに異質のもの だった。 たとえば職業観。 たとえば家族観。 たとえば人生観。 それを知るたびに、私の頭の中で火花がバチバチと飛び散るのを感じた。 当時の私たちは職業といえば、迷わず、大企業への就職を選んだ。 「寄らば大樹の影」。 それが常識だった。 が、オーストラリア人には、それがなかった、などなど。 私などは、友人の父親たちが、収入に応じて、つぎつぎと家を移り替えていく のに驚いた。 「家」に対する意識も、ちがっていた。 私が大学で使ったテキストには、こうあった。 「日本は、君主(Royal)官僚主義国家」と。 が、これには私は反発した。 「日本は民主主義国家だ」と。 しかしだれも相手にしてくれなかった。 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。 今の今も、官僚主義国家。 首相以下、国会議員の大半は、元官僚。 県知事の大半も、元官僚。 大都市の知事も、これまた元官僚。 それがよかったのか、悪かったのか。 現在の私が、その「結果」とするなら、よい面もあるし、悪い面もある。 この日本は、組織型社会。 組織に属している人は、実力以上の「得」をする。 たいした努力をしなくても、「得」をする。 今の公務員たちをみれば、それがわかる。 組織に属していない人は、実力があっても、「損」をする。 努力に努力を重ねても、「損」をする。 今の商工業界の人たちをみれば、それがわかる。 「自由」を知らない国民には、それが常識かもしれない。 しかもそうした常識は、遠く江戸時代の昔から、しっかりと日本の社会に根を おろしている。 そう簡単には、なおらない。 が、あえて私は自由の道を選んだ。 たいへんな道だったが、私は私の生き様を貫くことができた。 その原点が、あのオーストラリアでの学生生活にある。 人は、友だちや師、さらには社会や国から、さまざまなものを学ぶ。 何を学ぶかは、それぞれの人によってちがう。 私のばあい、「生き様」を学んだ。 一編の論文を書いたわけではない。 もしあの時代の論文があるとすれば、今の私自身ということになる。 オーストラリアという国は、私にはそういう国だった。 エンジンがかかった。 時刻は6時10分。 行き先はオーストラリア。 メルボルン。 アデレード。 タクシーの中でもそうだった。 今もそうだ。 震災の話も、原発事故の話もしたくない。 今は、そんな気分。 話したところで、どうにもならない。 堂々巡り。 不平、不満。 その繰り返し。 チケットの予約を入れたには、先月(2月)の終わり。 「こんなときに旅行?」と思う人もいるかもしれない。 が、震災の前から、今回の旅行は、予定していた。 どこか弁解がましいが、今回の震災(3月11日)とは関係ない。 が、その一方で、日本から脱出するという意識もないわけではない。 不幸中の幸いというか、今回の原発事故は「風」が幸いした。 事故以来、冬型の天気図。 風はずっと陸から海側に吹いていた。 が、そんな「幸い」が、いつまでもつづくとはかぎらない。 風向きが変われば、東京だってあぶない。 浜松だってあぶない。 原発事故は、100キロ単位どころか、1000キロ単位で広がる。 いくつかの人的なヘマが重なって、事故が拡大した。 処理が、長引けば長引くほど、そうだろう。 責任論が大きくなる。 原発は「作る」のは簡単。 「閉じる」のがむずかしい。 これは私の意見ではない。 世界の常識。 つまり閉じ方も確立されていないまま、今回の事故が起きた。 ホースで水をかける程度の処理で、事故が収束するはずがない。 たとえば昨日(3月29日)になって、プルトニウム吸収剤を散布するとか(報道)。 そんな話が決まった。 しかしこの日本に、そんな吸収剤はあるのか? それにしても腹立たしいのが韓国。 「日本・危険説」をさかんに世界に向けて発信している。 やめよう。 こんな愚痴を書いても、何にもならない。 私がオーストラリアへ渡ったのは、1970年の3月。 大阪万博(1970)が始まる、その直前だった。 日にちはよく覚えていない。 1970年の3月3日か4日だった。 私はあえて各駅停車の飛行機に乗った。 世界中を見たかった。 香港とマニラで給油のため駐機した。 はじめての香港。 はじめてのマニラ。 私は外国に降り立つたびに、自分の体が宙を舞っているように感じた。 どこかウキウキしている。 若いころからのんきな女性。 なにごとにつけ、楽天的。 おおらか。 だからこそ、私のワイフでいられた。 今回も、1か月も前から、旅行の準備をしたのは、私。 「まだ早いでしょ!」と。 何度もワイフに言われた。 が、私は落ち着かない。 今でも悪夢と言えば、飛行機や列車に乗り遅れる夢。 29歳のとき飛行機事故を経験している。 それだけではないが、こうした強迫観念は、どうしようもない。 いつも何かに追い立てられている。 それがそういう悪夢につながっている。 今年の冬は寒かった。 今も寒い。 昨日、オーストラリアの友人に問い合わせた。 アデレードでは気温は、10度〜30度という。 日本の気候にちょうど6か月を加えたのが、オーストラリアの気候ということになる。 が、実際には、オーストラリアの夏は暑い。 オーストラリアは、今が秋。 これから畑に種をまき、冬の間に小麦を育てる。 今ごろは緑の草原が美しく広がっているはず。 楽しみ。 ワイフのことは知らないが、私はそうとらえている。 ちょうど41年。 オーストラリアでの学生生活を「出発点」とするなら、今が「終着点」。 その41年を、何とか乗り切った。 生き延びた。 私の人生を総括すると、そうなる。 つまり自由業というのは、そういうもの。 「自由」というのは、そういうもの。 だれにも頼らず、たったひとりで生きる。 が、充実感は、それほどない。 私のばあい、いつもハラハラしながら、生きてきた。 今の今も、そうだ。 こういう旅行をしながらも、別の心では、すでに帰国後のことを考えている。 あるいは、そのころ、日本はさらに混乱しているかもしれない。 またまた原発事故の話になる。 今のやり方では、だめ。 「糞切り」と書くのか。 どこかでフンギリをつける。 そのフンギリが感じられない。 事故直後から、廃炉を覚悟すべきだった。 廃炉を覚悟で、処理に取りかかるべきだった。 が、それを何とか原子炉を残そうとした。 今の今もそうだ。 原子炉内への注水とタービン室の排水。 この2つを両立させようとしている。 が、このやり方では問題は解決しない。 へたをすれば、両倒れ。 私なら、海はあきらめ、原子炉のメルトダウンだけを考えて対処する。 海の汚染は、まだ何とかなる。 しかし原子炉がメルトダウンし、原子炉が爆発したら、万事休す。 死の灰は、日本中に降り注ぐ。 損と得が、いつも隣り合わせになっている。 損にこだわっていたら、自由にはなれない。 深みにはまり、やがて身動きが取れなくなる。 フンギリをつけるときは、つける。 それが身を軽くする。 今回の原発事故には、そのフンギリがない。 つまり卑しき役人根性。 「やるべきことはします。 しかしそれ以上のことはしません」と。 あとは責任逃れ。 そればかり。 今、この日本で、自由業と言えるような自由業というのは、ほとんどない。 農業にしても漁業にしても、補助金漬け。 補助金がなければなにもできない。 どう補助金漬けになっているかは、その世界の人なら、みな知っている。 町の小さな企業ですら、いかに公的機関の仕事を多く受注するかで、命運が決まる。 土建業を例にあげるまでもない。 つまりみながみな、「国」にぶらさがっている。 また「国」にぶらさがらないと生きていかれない。 一方、私など、補助金の「ホ」も手にしたことがない。 国からそれらしきものを手にしたのは、出産時の祝い金だけ。 3人の息子たちが産まれるたびに、それをもらった。 10万円x3=30万円! 計30万円! だからこう言う。 「生き延びた」と。 今が、そのときかもしれない。 私も63歳。 団塊の世代、第一号。 ここでいつも究極の選択に迫られる。 (1)健康な間に、好き勝手なことをする。 (2)死ぬまで今のまま、がんばる。 「好き勝手なこと」というのは、私の夢を果たす。 私には私の夢があった。 そう、あのとき私は、オーストラリアに移住したかった。 留学生活が終わったとき、そのままオーストラリアに残りたかった。 が、それができなかった。 郷里の母が、今にも死にそうな声でこう言った。 「帰ってきておくれ」「帰ってきておくれ」と。 が、今ならそれができる。 だれにも遠慮せず、好き勝手なことができる。 ワイフも、それを言う。 「移住しましょうよ」と。 おかしなものだ。 オーストラリアを知らないワイフのほうが、積極的。 わかるかな? エア・バス380だぞ。 世界最大の旅客機。 「2階席にしますか、1階席にしますか?」と聞かれた。 それでそれを知った。 もちろん私はこう答えた。 「2階席に」と。

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