ここ から 法隆寺。 法隆寺へのアクセス・行き方【京都からは?車は?バスはあるの?】

近鉄で法隆寺にアクセスする方法!バスも使って案外楽ちん!

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「法隆寺」。 今から、1400年以上も前に創建され、かの有名な聖徳太子ゆかりのお寺としても知られています。 この長い歴史を持つお寺は、現存する世界最古の木造建築であり、世界文化遺産に登録されています。 そして、沢山の謎に包まれたお寺でもあります。 日本でも1. 2位を争う屈指の古寺であり、謎多き法隆寺の歴史を一緒に紐解いていきましょう。 法隆寺の成り立ちとは 当時、仏教は日本でNEW FACEだった! 法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある古寺です。 今から1400年以上前に創建されましたが、誰がどのような目的で建てたのでしょうか?一般的に聖徳太子(しょうとくたいし)が創建したと思われがちですが、実際は、聖徳太子のお父さんである用命天皇(ようめいてんのう)が創建を命じたと伝えられています。 1400年前は、飛鳥時代(あすかじだい)と呼ばれていた時代です。 まだ、仏教は日本には深く浸透していませんでした。 その頃の日本は神道が主流で、中国から渡来した仏教は広まり始めたばかりで、日本人の心に新しい文化として人気が出始めた時代でした。 そのため、仏教により国家を守護・安定させる力があるとする思想を元にした国家鎮護(こっかちんご)の寺院は存在していませんでした。 法隆寺が創建された理由も607年に聖徳太子の父である用明天皇が自身の病気平癒(びょうきへいゆ)を願って、後に妹にあたる日本初の女性天皇となる推古天皇(すいこてんのう)と息子である幼少の聖徳太子(しょうとくたいし)に命じて建立されたと言われています。 法隆寺は、本堂と五重塔を中心とする西院伽藍(さいいんがらん)と夢殿を中心とする東院伽藍(とういんがらん)とにわかれています。 西院伽藍は現存する木造建築の中で、世界最古と言われています。 お寺の広さは、約18万7千平方メートルもありその東京ドーム4個分の境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の最高峰の仏教建築物が軒をつらねており、国宝が約38件、重要文化財に指定されたものが約190件眠っています。 そして、1993年に日本ではじめて「法隆寺地域の仏教建造物」がユネスコの世界遺産に登録されました。 まさに日本が世界に誇れるお寺の一つですね。 一度、全焼してしまったの?法隆寺! 明治半ばまでは、法隆寺の金堂や五重塔などがある西院伽藍は、創建されてから一度も消失されていないと伝えられてきました。 しかし、法隆寺は一度すべて火災で焼失されたことがわかったのです。 そのことは、日本書紀に記録が残っており、670年4月30日のページに「夜半災法隆寺、一屋無余、大雨雷震」(暁に法隆寺で出火があった。 一屋も残らず焼けた。 大雨が降り雷鳴が轟いた)とあり、創建わずか64年後に一夜にして焼失したことが書かれています。 そして、焼失後は710年前後に再建されたと言われています。 この記事の真偽をめぐって、長い間論争が起きました。 現在ある法隆寺西院伽藍は用明天皇が命じた創建時のままであるとする説、 670年に全焼した後、再建したものであるとする説とが鋭く対立しました。 それは、1887年(明治30年)頃から1939年(昭和14年)まで続きました。 そして、結果は発掘調査の結果や建築用材の伐採年代の科学的な調査から裏付けされ、現存する法隆寺西院伽藍は焼失した後に再建されたものであるということが定説となりました。 ところが、2001年に五重塔の解体修理がはじまり、その際に腐食して取り出された心柱の標本を「年輪年代法」と呼ばれる測定法で測定したところ、594年に伐採されたヒノキ材であることが判明しました。 この結果を見ると、670年に起きた火災で全てが焼失して、710年頃に再建されたとされる再建論に再び疑問が生じてきたのです。 710年に法隆寺が再建されたと考えると594年に切られた木がなぜ使われているのでしょうか?また再建論・非再建論の論争が再び起こりそうだと考えられています。 しかし、どちらにしろ世界最古の木造建築物には違いなく、貴重な建物群であることには変わりありません。 このように古寺には、様々な謎が生まれます。 それを科学の力で紐解くのも私たち現代人の楽しみなのかも知れませんね。 聖徳太子って何者? 聖徳太子ってなんで有名なの? 法隆寺を語る上で、「聖徳太子」は欠かせない人物です。 法隆寺は、別名「斑鳩寺」(いかるがでら)とも言われています。 聖徳太子一族は、斑鳩の地に宮を建てて住んでいたとされており、法隆寺の夢殿を中心とする東院伽藍は、その斑鳩宮の跡地に建てられています。 法隆寺は、創建は聖徳太子のお父さんの命令でしたし、建立された場所は聖徳太子が住んでいた跡地でした。 以上のように法隆寺と聖徳太子は深い関係があるのです。 聖徳太子とは、どのような人物だったのでしょうか? 昭和の時代を生きてきた方ならご存知だと思いますが、百円札、その後は千円札、五千円札、一万円札の肖像となったとても有名な聖徳太子。 誰もが知る歴史上の人物ですが、実際に何をした人かについてはあまり知られていません。 聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのおうじ)は、西暦574年、用明天皇の第二子として誕生しました。 幼名は厩戸豊聡耳皇子(うまやどとよとみみおうじ)と言いました。 聖徳太子が世に残した偉業は以下の3つが有名です。 有名な小野妹子が派遣されたのです。 当時の倭国(日本)は、随からみたら、小さな島国で格下の存在でした。 その随に「対等に外交をしましょう。 」と提案したのです。 随の皇帝は、激怒したが受け入れ対等の外交をしたと伝えられています。 その当時の日本は、家柄によって位は決まっていました。 親が偉ければ子も偉いまま、貧しければ貧しいまま。 それを親の身分など関係なく、能力がある者が平等に出世できるような新しい制度をつくったのです。 そして、誰が見ても冠の色で、その役人がどのくらい偉い位なのかが一目で分かるように12色の冠をつくって区別しました。 とても画期的でわかりやすい制度ですね。 当時の日本は、皇位継承権を巡って豪族同士が戦っていたりと国家として危うい状況にありました。 そこで、「和」がなによりも大切で、皆で相談し争いを起こさず仏教の教えを尊びましょう。 と国家の代表的存在である役人の心構えを示したものでした。 以上のように聖徳太子は、当時の日本では最先端の考えを持ち、日本を導く素晴らしい政治家だったのです。 実は聖徳太子はいなかった? 飛鳥時代のスーパースター聖徳太子。 最近になり「聖徳太子は実はいなかった。 」という説が出ているのをご存知ですか?それは、奈良時代に成立した日本の歴史書、日本に伝存する最古の正史といわれる「日本書紀」にある厩戸皇子の記載が不自然な点が多いことが原因です。 日本書紀において厩戸皇子は特別視されているように思われます。 それは、以下のような点です。 また、「聖徳太子」という名前は、厩戸皇子の死後かなり月日が経ってから付けられてた称号なので、日本書紀などには聖徳太子とは記載が一切ありません。 生まれた時から話すことができた。 1度に10人の相談を聞いて間違えないですべて理解できた。 また、未然(未来のこと)を知っていた。 など、不自然に神格化されています。 「日月失輝、天地既崩。 自今以後、誰恃哉。 」(日と月は輝やかなくなり、天地が崩れました。 今後、私たちは誰を頼ればいいか。 )とまで書かれています。 他の天皇や皇子が亡くなった際にはそのような記載はありません。 以上のように、日本書紀の編纂者は、わざわざ幾つもの名で曖昧に名前を表記したのか?不自然なほどの聖人伝説を記載したのか?民衆から慕われていたことを誇示したのか?そもそも厩戸皇子自体が存在したのか?と疑問が持たれているのです。 日本書紀は、720年に完成したと言われています。 その時の政治の中核にいた人物は、有名な藤原不比等(ふじわらふひと)です。 平安時代まで続く栄華の藤原氏を築いた人物。 その藤原不比等の父は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)。 645年、中臣鎌足は「大化の改新」(たいかのかいしん)で蘇我氏を滅ぼしました。 そして、その蘇我氏は聖徳太子の一族を滅ぼしたと言われています。 ここまで、読んでお分かりになりましたでしょうか?藤原氏は、自分たち一族が行なった所業を正当化するために、架空の偉大な皇子を造り上げたと考えられないでしょうか?「偉大な皇子を滅ぼした悪い一族である蘇我氏を私たち藤原氏が倒した」のだと。 しかし、これはあくまでも仮説にすぎません。 真実は今はもう誰もわかりません。 古代史は、文献が少なく解釈も様々でたくさんの仮説が立てられ調査されています。 これからも、いろいろな謎や真実が出てくることでしょう。 古代の歴史が少しずつ紐解かれるのが楽しみですね。 「五重塔」は世界で一番古い木造建築! 世界には約196の国があると言われています。 その世界中で法隆寺は、一番古い木造建築物なのです。 まさしく「世界の宝」といえるのではないでしょうか? 法隆寺のすべての建物が世界最古ではありません。 飛鳥時代に創建された西院伽藍である「五重塔・金堂・中門・回廊」の四つが世界最古の建物です。 詳しく見ていきましょう。 まずは、法隆寺のシンボル五重塔。 この五重塔は、仏教の開祖であるお釈迦さま(おしゃかさま)の遺骨を祀るために造られた塔である「仏塔」の形式の一つです。 五重塔は、下から順に地、水、火、風、空の5つの世界を表しているとされ、仏教的な宇宙観を表現しています。 このように五重塔は、仏教寺院においてとても重要な建物とされています。 法隆寺の五重塔は、高さ約32メートルあり、日本だけでなく世界最古の五重塔です。 この五重塔の中にもお釈迦さまの遺骨(仏舎利)が安置されていると言われています。 地下1. 5mの深さにある建物の礎石上部に仏舎利容器が納められおり、その舎利容器の中には釈迦の遺骨が6粒納められているそうです。 (本当にお釈迦様の遺骨かは、わかっていません。 )その安置方法が、古代インドに伝わる正統な方法と全く同じで、それが残っているのは大変珍しく奇跡と言われています。 この五重塔には、檜(ひのき)が使用されており、1400年以上にわたって天災、人災に耐え抜いてきました。 それは、とても高い建築技術によるものです。 この五重塔は、「積み上げ構造」といわれる建築様式を採用しています。 名前の通り各重ごとに積み上げていく方法です。 ただ各階を単純に重ねていき、取り付け具で留めているだけ。 塔の真ん中には、一本の柱が長く天に伸びて通っているようにみえますが、これは各重とは切り離されている構造で実際には、繋がっていません。 この構造は、大変地震に強いしくみだそうで、地震が起きても各重が互い違いに揺れて、振動を吸収する構造になっています。 この建築方法は、なんと現代の高層ビルでも採用されているとか。 1400年以上前の匠の技!素晴らしいですね。 そして、現代の東京のシンボルであるスカイツリーを建築する際にも、同じ技法が採用されているそうです。 まさしく国の宝!金堂とは? 五重塔と同じく法隆寺のシンボルといえば「金堂」(きんどう こんどう)。 法隆寺のご本尊を安置している聖なる場所とされています。 そして、五重塔と同じく飛鳥時代に創建された世界最古の木造建築物です。 威風堂々とした建物は、全体の形は正方形に近く、二層の入母屋造り。 上の屋根は2方向に、下の屋根は4方向へ勾配している姿はとても美しく、また当時でも珍しい造りとなっています。 上の屋根と下の屋根をつなぐ支柱に巻き付けられた龍の彫り物も圧巻なので、ぜひ一度その目で確かめて下さいね。 また、この金堂の建築の中でも、一際注目すべきは「エンタシスの柱」です。 エンタシスというのは、遥か遠くギリシャのパルテノン神殿で使われていた技法。 柱の中央に膨らみをもたせる技法のことです。 この技法が、日本の法隆寺の金堂、中門、回廊の柱に使用されています。 古代ギリシャ発祥の建築方法は、中国を経て、日本に渡来してきたのでしょうか?奈良はシルクロードの終着点だったと言われており、ペルシャなど西域の人も多く、様々な国の人々が渡来した国際都市だったとも考えられています。 そのため、このようなヨーロッパの技法も伝わってきたのでしょうか?ペルシャから伝わってきたのか、日本人の美意識から造られたかは定かではありませんが、日本の歴史は奥深くとてもロマンチックですね。 この法隆寺の金堂の中は、何が納められているのでしょうか?最初に書いたようにご本尊などが安置されています。 作者は日本最初の仏師として歴史に名を留める仏師鞍作止利(くらつくりのとり)。 面長で、杏仁形(アーモンド形)の眼をしており、穏やかな笑みを浮かべるように見える唇(アルカイック・スマイル)、長く伸ばした爪など大陸から伝わってきた古い仏像の特色が強く出ています。 この仏像の光背銘(仏像の背中に付いている丸いものに書かれた文章)に、「病気になった用明天皇は、586年に寺(「法隆寺」と明記はされていない)と薬師像を造ることを願ったが、それを果たさないうちに亡くなったので、後を継いだ推古天皇と聖徳太子が607年に薬師像と寺とを造った」という意味のことが書かれており、法隆寺の建立の起源がここに記載されていると言われています。 他にも、聖徳太子の母のために造られたと言われる金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)やそれを守護するように造られた日本最古の四天王像(白鳳時代)など多くの国宝が安置されています。 ぜひ、遥か1400年前の癒しのアルカテックスマイルをご自身の目で確かめてみて下さいね。 聖徳太子一族は、主権争いのため蘇我入鹿に攻められ、全員が自害して滅びました。 滅んだ後、斑鳩宮跡は荒廃していました。 739年(天平11年)頃、それを嘆いた行信(ぎょうしん)という僧が「上宮王院」としてその地に寺を創建したといわれています。 後日、この上宮王院が法隆寺に統合され、現在に至ります。 回廊(建物や中庭などを取り囲むように造られた廊下)に囲まれた八角形の「夢殿」を中心に、回廊の南面には「礼堂」、回廊の北面には「絵殿」「舎利殿」が建立され、少し離れて「伝法堂」が建っています。 その東院伽藍の中心である「夢殿」。 それほど大きくはない建物ですが、古くから多くの人々の心を引きつけ、聖徳太子信仰の聖地とされています。 この夢殿は八角形になっており、絶妙なバランスで見た目も素晴らしいお堂です。 八角形は、何か深い意味がありそうですよね?中国の八方位陰陽説で、八角形はその角を繋いでいくと円に近いかたちになるとされ、非常に縁起が良いと考えられていたそう。 また、円のお堂は故人を供養する堂の形の典型とも言われています。 このお堂が「夢殿」と呼ばれるようになったのは平安時代以後ですが、その名の由来は、かつて聖徳太子が創建された当時の法隆寺に参籠し、瞑想(めいそう)にふけった際、金色に輝く人が現れる夢を見たという故事に基づいたとされています。 夢殿は聖徳太子を供養する聖地であると同時に、聖徳太子が見た夢そのものとも言えますね。 謎多き秘仏!封印されていた救世観音 法隆寺にある数々の素晴らしい仏像の中で最も謎に満ちている仏像が、夢殿に安置されている「救世観音像」(くぜかんのんぞう)。 739(天平11)年に夢殿に納められたとされる救世観音像は、とてもミステリアスで人間味を帯びた仏像です。 この救世観音像は長い間秘仏とされ人の目に触れることはありませんでした。 江戸時代では、約200年の長きに渡り法隆寺の僧侶でさえも拝むことができない絶対の秘仏だったそうです。 理由は、明らかになっていません。 秘仏の封印を解けば祟りで天変地異が起こると伝えられていたとか。 この秘仏の封印は、1884年(明治17年)アメリカ人で東洋美術史家のアーネスト フェノロサによって解かれました。 フェノロサたちは、明治政府の依頼で公式の寺院などの宝物調査を行っていました。 フェノロサは、法隆寺の僧侶たちに観音像の開帳をお願いしましたが、祟りを恐れ僧侶たちは頑に拒んだと言われています。 何度か説得を試みて、最後にはフェノロサの要求が受け入れられました。 厨子(仏像が安置されている箱)の扉を開くと僧侶たちは、恐怖のあまり皆逃げてしまったと言われています。 観音像は、包帯のように木綿の布で幾重にもグルグル巻きにされており、その布の長さは、450メートルもあったと記録されています。 布をすべて取り除くと、金箔に輝くすらりと背丈の高い飛鳥仏が姿を現しました。 そのアルカテックスマイルを浮かべた穏やかな眼差しは、その場にいた者すべてが魅入られたとされています。 この観音像には、もう一つ不可解な点があります。 それは光背(仏像の後ろにある丸い光を表したもの)の付き方。 通常、仏像の光背は 、足元の台座から支え木で仏像の頭部まで持ち上げられているのが一般的。 しかし この救世観音像は 頭に直接釘が打たれ、光背が打ち付けられているのです。 尊い仏像の頭に直接釘が打たれているのは、おかしいと思いませんか? このように何百年も秘仏とされていたり、頭に釘を打たれていたりと救世観音には、不気味とも言える謎が沢山あります。 他の仏像よりも生々しく人間味を帯ているこの救世観音は、現在でも年2回、私たちも実際に見ることが可能です。 春と秋の特別展に足を運んではいかがでしょうか? 表の七不思議 法隆寺には、中世から伝わる七不思議があります。 とても興味深いものなので、詳しくご紹介します。 法隆寺の伽藍には、蜘蛛が巣をはらず、雀が糞をかけない 実際は、蜘蛛が巣をはりますし、鳥のフンもあるそうです。 これは法隆寺を綺麗な状態で清いお寺に保とうという僧侶たちの心持ちを表したものだと言われています。 南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある 南大門の階段を下りると、すぐに魚の鯛にそっくりな石が埋め込まれています。 そこにこのような石があるのか謎のままですが、伝承としては、どんなに大雨が降ってもここまでしか浸水はせず、法隆寺を守っている「守り石」であると言われています。 五重塔の上に大鎌が刺さっている 五重塔のてっぺんに屋根から天に向かって突き出た金属製の相輪があります。 そこに4本の大鎌ががっちり固定されています。 このような鎌が刺さっているのは日本全国探しても法隆寺の五重塔だけ。 諸説ありますが、避雷針と同じ役割を果たしていると考えられます。 また、雷は古来より魔物の象徴と見ることが多く、この鎌は「魔除け」の意味も持っているとされています。 またこの鎌が上向きに見えるとその年は米が豊作になり、下向きに見えると凶作であるとも言い伝えられています。 不思議な伏蔵(隠された蔵)がある 法隆寺には、「伏蔵」と言われる地下に隠された蔵があります。 これは伝説ではなく、実際にあります。 伏蔵を封ずる石蓋が地上に出ているので、現代の私たちも伏蔵の場所を知ることが出来ます。 しかし、「法隆寺存亡の一大事の時しか開けることが出来ない」と伝えられており、頑にその教えを守っているので誰も中身を見た者はいません。 法隆寺の蛙は、片目しかない 昔、因可池 よるかのいけ という池があったそうです。 聖徳太子がその池の側で学問に勤しんでいた時、カエルがうるさかったので、太子は「静かにせよ!」と筆でカエルの片目を突いた。 すると、聖徳太子の神通力により、法隆寺のすべての蛙はすべて片目になってしまったと言われています。 6夢殿の礼磐(坊さんがすわる石)の下が汗をかく 夢殿の救世観音像の前に、礼盤と呼ばれるお坊さんが座る台があります。 この礼盤は毎年2月に外に出して太陽の光を当てますが、不思議なことに汗のような水分が染み出て来るそうです。 この行事は「夢殿のお水取り」と呼ばれ、その水分の量でその年が豊作か凶作を占うことになっています。 雨だれが落ちても穴が地面に出来ない 雨が降れば、当然屋根から落ちる雨水が、直接地面に落ちます。 軒下には当然、雨が落ちて雨だれの穴が出来るのですが、法隆寺にはそれが出来ないと言われています。 実際は、雨だれが当然見られます。 法隆寺は、水はけのよい土地であり、境内がきめ細やかに整備されていたことを示すための伝説だと思われます。 裏の七不思議 上記の有名な七不思議は、法隆寺でも公認の七不思議です。 しかし、もう一つ七不思議があるのをご存知でしょうか?これは、梅原 猛 氏が考えた歴史的に見た七不思議で、裏の七不思議と言ってもいいかもしれません。 「日本書記」にある法隆寺の記述があいまいな点 これほど規模も大きく用明天皇が創建したお寺と伝えられているのに、日本書紀に法隆寺創建にまつわる記事が一つも無いのは、不自然で政治的な意図が考えられると言われています。 厳格であるべき「法隆寺資材帳」(寺の財産目録帳)の記述があいまいなこと 日本書紀には、法隆寺の火災と焼失の記載があるのに関わらず、資材帳には再建に関する記述がない。 これも政治的な意図が隠されているとされています。 中門の真ん中に不自然に柱があること 中門の中央に行く手を阻むように真ん中に柱があります。 これは異様な構造と考えられる。 中央を柱で塞ぐようにすると、怨霊が外に出るのを防ぎ封印する意味があるとしています。 金堂に三体もご本尊があること 一つのお堂にご本尊が三体あるのは不自然で、そのご本尊である仏像たちの衣装や印などが従来の仏像と比較して多くの不自然な点が見受けられると言っています。 五重塔に不自然なことが多すぎること 塔の柱の穴から火葬された人骨が出てきたが、それは誰なのでしょうか?また、舎利器の中にあるはずの舎利が存在しないのは、なぜなのでしょうか?とても不可解ですね。 夢殿にある救世観音がなぜ秘仏だったのか なぜ、夢殿を建てる必要があったのか?そして、なぜ救世観音像は秘仏とされ、白布で巻かれて封印されていたのか? 7. 聖霊会(しょうりょうえ)に関する謎 聖霊会とは、聖徳太子の命日に行なわれる魂を供養する法要です。 そして、舞楽『蘇莫者』が奉納されますが、その舞楽の主役が怨霊の姿をしており、不自然であると考えられます。 これらの不思議を紐解いていくと、法隆寺そのものが実は、聖徳太子の祟りを恐れ、怨霊を封じ込めるために建てられたという結論になります。 法隆寺という日本が世界に誇る古寺に怨霊の世界があるとする主張は、大変興味深くとても斬新な七不思議です。 謎を秘めたミステリアスな法隆寺をぜひその目で! いかがでしたでしょうか?1400年を持つ古寺には、さまざまなロマンと謎があります。 世界最古の建物郡や謎を秘めた数々の仏像。 ぜひ、斑鳩の里に足を運んで古代のミステリアスな歴史をご自身の目で確かめてみて下さい。 新たな謎に出会えるかもしれませんよ。

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【法隆寺】アクセス・営業時間・料金情報

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法隆寺へは、JR法隆寺駅から行くのが便利です。 駅前から法隆寺の手前まで行くバスが運行しています。 JR法隆寺駅から法隆寺までは、一応徒歩でも行ける距離ですが、20〜30分前後かかりますので、バスにのるのがおすすめです。 バスの乗り方等については、下記の旅行記を参考にしてみてください。 法隆寺に旅行してきた感想 法隆寺観光のスタート地点はJR奈良駅から(法隆寺前まで行くバスあり) 法隆寺への観光は JR法隆寺駅からスタートするのがおすすめです。 まぁ、駅の名前から分かる通り、法隆寺の最寄り駅です。 外国の観光客の方も、国内の観光客の方も、この駅から出発されてます。 駅のそばには法隆寺観光される方のために、観光案内所も設置してあります。 法隆寺までの道順や、観光スポットなど、何かわからないことがあったらこの観光案内所で聞きましょう。 観光案内所で法隆寺周辺のパンフレットがもらえますので、はじめて法隆寺に観光される方も安心です。 JR法隆寺駅の南出口を降りた直ぐそばに、バス停があります。 このバス停から法隆寺の直ぐ側まで送ってくれるバスが 20分間隔で出ています。 一応、JR奈良駅から法隆寺まで徒歩でも行けるのですが、約20分程かかります。 バスだと約8分前後です。 観光って、わりと体力使います。 いろいろ見て回りますからね。 ですので、あえて徒歩で行くより、 体力温存のためにバスに乗ったほうが良いと思います。 私はバスに乗って… 法隆寺の直ぐそばの駅「 法隆寺参道」まで送ってもらいました。 楽ちん。 さて、ここからいよいよ法隆寺に向かって歩いてきます。 法隆寺は堂々たる面構え!日本で最初に世界遺産登録されただけある おおっ!法隆寺見えてきました。 さすが、日本で最初に世界遺産登録されただけはある 堂々たる面構えです。 正面の写真もドーンっ!これはベストショットですねぇ〜(満足 ザ・日本って感じでいいですね。 さてさて、入っていきますか。 敷居は踏まないようにっと… 残念ながら一部のお寺は工事中(2018年12月まで) 法隆寺に入りました! で、ちょっと注意事項。 まぁ、寺院にはよくあることなんですが… 法隆寺は現在、 一部 工事中です。 工事が全て完了するのは2018年12月らしいので、完全体の法隆寺を観光したい方は、2019年の1月以降にしたほうが良いでしょう。 拝観料を払って、いざ法隆寺の寺院を観光…でも寺院ありすぎ問題 法隆寺に入ってすぐそばに参拝チケットを売ってるところがありますので、そこでチケット買いましょう。 大人1枚1500円、 小学生以下は750円です。 チケットゲットしました。 で、チケットと一緒にもらえるパンフレットを見ればわかるんですが… ご覧の通り 「法隆寺」というお寺はないんですね。 このパンフレットに記載してある 建物や敷地など全てひっくるめて法隆寺ってことらしいです。 なので京都の「金閣寺」のように、これを見ればOKってわけでもないのが難しいところです。 が、 法隆寺といえば「 五重塔」! ですので、まぁ 五重塔を撮影できれば法隆寺観光したといっても大丈夫でしょう。 あとは当時の宝物が展示してある大宝蔵院を見ておけば十分です。 法隆寺のメインディッシュ「五重塔」撮影成功! 法隆寺の参拝チケット販売所の直ぐ側に西院伽藍(さいいんがらん)という場所があります。 この敷地の中心に… 金堂と五重塔があります。 金堂の中には、聖徳太子のために造られた金堂釈迦三尊像、聖徳太子の父親の用名天皇のために造られた金堂薬師如来座像、母親の穴穂部間人(あなほべのはしひと)のために造られた金堂阿弥陀如来座像が飾ってあるんですが… 撮影禁止ですw なので、外から撮影することしかできません。 金堂自体はそれほどインスタ映えするような建物ではないので、五重塔を撮影しておくといい記念になると思います。 こんな感じで。 んー、立派です。 観光客の方は五重塔のそばで撮影される方が多かったです。 法隆寺の中でも一押しの撮影スポットです。 松尾芭蕉の有名な俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」が読まれた池『鏡池』も撮影! 法隆寺の中には、あの有名な俳句の達人、 松尾芭蕉が「古池や、買わず飛び込む 水の音」を歌った池「鏡池」があります。 正直、ちょっと汚いんですが、1400年前の歴史の地が当時のまま残されていて、現在でも見れるというのは貴重ですね。 欲を言えば、池の水はキレイに清掃して鯉でも泳がせておいて欲しかったなと。 その方がSNSでシェアされやすいですし、海外からの観光客を呼びやすい。 そうすると、法隆寺の維持費がもっと簡単に集まります。 日本の知名度、好感度もアップしますし、誰も損しないですよね。 法隆寺、日本の最初の世界遺産ということに安住しないで、こういうところ改善していってほしいですね。 大宝蔵院内の中には仏像・巻物・刀などの展示あり。 でも撮影禁止… 五重塔、鏡池が見終わったら、次は大宝蔵院です。 大宝蔵院には、飛鳥時代(西暦592〜710年)の宝物が展示されているんですが… 残念ながら、ここも 撮影禁止です。 法隆寺、 撮影禁止の場所が多すぎるんですよね。。。 大宝蔵院の中には、当時使われていた家具や、等身大の仏像、巻物にお面、そして… 刀好きに受けそうな「七星剣(しちせいけん)」なんて名前の刀も展示されているんですが、これらは実際に観光に来た人しか見れません。 写真撮影できないというのは、記憶に残りづらいですし、思い出にもなりにくいです。 せめてフラッシュ使用しないなら撮影可能ってぐらいにルールを緩めて欲しいところです。 「夢殿(ゆめどの)」を撮影して法隆寺観光おわり! 法隆寺観光は、極論すると…• 五重塔• 大宝蔵院 の2つを見ればOKです。 その他の寺院はちゃちゃっと見ておけばいいでしょう。 失礼かもしれませんが、全部しっかり見ていては時間がいくら合っても足りませんからね。 上写真の「夢殿(ゆめどの)」も、ちゃちゃっと見ておけばいい寺院の一つです。 法隆寺観光ルートの最後に位置しているので、一応記念で写真アップしておきます。 夢殿の撮影が終わったら、法隆寺観光終了!お疲れ様でした。 あとは境内の風景を楽しみながら帰りましょう。 おまけ:「ねねカフェ」でくず餅食べて、観光の疲れを癒やしました 観光したらご当地グルメを食す!これ、観光の鉄則です。 で、今回は法隆寺の帰り道にある「 ねねカフェ」というところにお邪魔しました。 ここの「くず餅」を食べるのですよ。 ふふふ。 ねねカフェは、2018年3月ごろに 民家リフォームしてオープンしたお店だそうです。 店内はクーラー効いてますし、夏の観光には超ありがたい。 広々としてて、キレイですし、 コンセントもたくさんありました。 (私が見つけた限りでは、2ポートのコンセント3箇所ありました) 法隆寺で撮影した写真を整理したい方、ブログに記事をアップしたい方は、ねねカフェで休憩しつつ、デジカメやスマホ充電するのもいいかもしれません。 でも、やりすぎはお店の迷惑になるので注意。 充電するならいっぱい注文してあげてくださいw ちなみに私が注文したのがこちらの「くず餅」。 美味しそうなのはもちろんのこと、見ためが涼しそうなのも夏の観光のスイーツとしてGOODです。 くず餅の上にふりかけてあるきなこは、普通の大豆のきなこと抹茶味のきなこの2種類。 一つ注文するだけで2つの味が楽しめるのはお得。 といいますかね、ねねカフェのくず餅、 500円なんですよ。 まるで観光地価格にする気なしw 凄くお安い。 法隆寺の参拝料で残金が少ない方も安心して注文できます。 このくず餅に、黒糖をたらして… いただきます! きなこのファサファサとした食感、 くず餅のやわらかなモチモチ感、 ピリッと強めの黒蜜の甘さが合わさって、美味しい。 これぞ和スイーツって感じですね。 味に関してもそうですが、こういう見た目のスイーツって海外ではあまり見かけないと思いますので、外国の観光客の方には特におすすめかなと。 もちろん、国内からの観光客の方にもおすすめです。 日本の世界遺産「法隆寺」へのツアー・ホテル予約 error: Alert: Content is protected!! pocket line hatebu image gallery audio video category tag chat quote googleplus facebook instagram twitter rss search envelope heart star user close search-plus home clock update edit share-square chevron-left chevron-right leaf exclamation-triangle calendar comment thumb-tack link navicon aside angle-double-up angle-double-down angle-up angle-down star-half status.

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法隆寺へのアクセス 奈良駅周辺、法隆寺駅、王寺駅からのアクセス

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法隆寺の最寄り駅は? 誰しもが知る世界遺産「法隆寺」。 法隆寺は奈良を代表する観光スポットですが、 東大寺や春日大社などの世界遺産がある「奈良市」とは離れた「斑鳩町」にあります。 また、斑鳩町へは、奈良にアクセスする際に一般的に使われることが多い「近鉄電車」が走っていません。 代わりに走っているのは 大阪・奈良方面からの「JR大和路線」。 法隆寺へは、奈良へのアクセスとしてはやや珍しく 「JR線」でしか便利にアクセス出来ない場所になっています。 法隆寺の 最寄り駅になるのは、その名の通り 「JR法隆寺駅」。 法隆寺駅へは、大阪駅・天王寺駅・奈良駅から約15分おきに大和路快速などが走っているため、利便性は決して低くありません。 一方、J R法隆寺駅から法隆寺の境内までは距離にして1. 5キロ程度離れていますので、次項で述べる 「路線バス」などを活用するか、やや長い徒歩ルートでアクセスして頂くことになります。 駅から法隆寺へは「路線バス」が便利! 法隆寺の玄関口であるJR法隆寺駅。 大阪・奈良市方面からのアクセス性は悪くない駅ですが、駅そのものは法隆寺とは1. 5キロほど離れています。 駅から徒歩でアクセスする場合、拝観受付のある西院伽藍周辺までは、特に歴史的町並みと言う訳でもない市街地を15分以上は歩き、更にそこから長い参道を歩くというルートになりますので、合計すると 徒歩20分~30分程度は掛かります。 若い方や歩くのがお好きな方の場合は、特にこの距離は問題にならないかもしれませんが、ご高齢の方であったりあまり歩きたくないような場合には、この距離は少し長すぎるというのが実際のところ。 そのような方のために、 JR法隆寺駅からは便利な「路線バス」が運行されています。 バスは、法隆寺を拝観する観光客のために運行されているものであり、 法隆寺駅前バス停~法隆寺参道バス停の間を途中無停車で運行しています。 のりば ・ 法隆寺駅「南口」2番バス乗り場から運行されています。 バス乗り場は法隆寺駅改札を出て南口に降りる際に、左側の階段を降りて頂くとほぼ目の前にあります。 運賃 ・ 190円となっています。 各種全国のICカード乗車券、また奈良交通のフリー乗車券類のうち「奈良公園・西の京・法隆寺 世界遺産 1-Day Pass Wide」及び「奈良・大和路 2 Day Pass」がご利用頂けます。 所要時間・本数 ・ 9時台から16時台まで、約20分おき(1時間に3本程度)に運行されています。 近鉄沿線からアクセスしたい場合は? JR法隆寺駅からのアクセスが基本である「法隆寺」ですが、奈良県内の各地などを観光する途中にアクセスする場合などは、 近鉄線の沿線から法隆寺へアクセスしたい。 というケースもあるかもしれません。 そのような場合は、 近鉄橿原線の「筒井駅」、もしくは近鉄生駒線・田原本線のの「王寺・新王寺駅」から路線バスでアクセスして頂く形となります。 最寄りバス停は 「法隆寺前」バス停となっており、バス停の西側すぐの場所から北向きに参道が伸びています。 法隆寺の境内へは参道を通って徒歩5~8分程度でアクセス出来るようになっています。 筒井駅からのアクセス 筒井駅からの場合、駅の南側にある 筒井駅バス乗り場から、「王寺駅(北)」行きを利用します。 降りるバス停は「法隆寺前」、 所要時間は約12分・運賃300円となっています。 王寺駅からのアクセス 王寺駅からの場合、 北口バス乗り場から「法隆寺前」もしくは「国道横田」・「シャープ前」行きを利用します。 降りるバス停は「法隆寺前」、 所要時間は約13分・運賃290円となっています。 大阪難波から JR難波駅~(快速など利用・途中天王寺駅などで乗り換え)~JR法隆寺駅 運賃: 460円 所要時間: 約35分~ 大阪難波(なんば)エリアからは、朝夕には法隆寺駅までダイレクトにアクセス可能な大和路線の快速電車が走っていますが、昼間時は普通しか走っていないので、新今宮・天王寺・久宝寺駅のどこからでもよいので大和路快速に乗り換えて頂く必要があります。 乗り換えは同じ場所もしくは隣のホームで乗り換え可能なので、それほど不便はありません。 新大阪から JR新大阪駅~(直通快速)~JR法隆寺駅 JR新大阪駅~(JR京都線)~JR大阪駅~(大和路快速・区間快速)~JR法隆寺駅 運賃: 640円 所要時間: 直通快速利用で約40分程度・大阪駅経由で約50分~ 新大阪駅からの場合は、2019年3月からは1日4往復の運行ですが、便利な「直通快速(奈良行き)」が運行されており、そちらを利用するとJR法隆寺駅まで直接アクセスすることが出来ます。 もっとも、直通快速は本数が少ないため、基本的にはJR大阪駅経由で大和路快速などのご利用が便利となっています。 京都から JR京都駅~(みやこ路快速など)~JR奈良駅~(大和路快速など)~JR法隆寺駅 JR京都駅~(新快速)~JR大阪駅~(大和路快速・区間快速)~JR法隆寺駅 運賃: 970円 所要時間: 約1時間10分 京都からの場合、奈良方面へは近鉄電車が便利なのですが、法隆寺へのアクセスには活用しにくくなっているため、奈良方面へJR奈良線「みやこ路快速」などでアクセスし、奈良駅で乗り換えるというルートが基本となります。 また、新快速を利用し大阪経由でアクセスして頂いても同じ運賃、あまり変わらない所要時間でアクセスすることが可能です。 神戸から 阪神神戸三宮駅~(阪神なんば線直通快速急行など)~阪神・JR西九条駅~(大和路快速・区間快速)~JR法隆寺駅 運賃: 850円 所要時間: 約1時間15分 JR三ノ宮駅~(新快速・快速)~JR大阪駅~(大和路快速・区間快速)~JR法隆寺駅 運賃:1080円 所要時間:約1時間10分~ 神戸からの場合、JR線のみを使うルートでもよいのですが、阪神線でJR西九条駅へアクセスすることで、かなり安い運賃で、所要時間もほぼ同じ水準でアクセスすることが可能です。 阪神線をご利用の場合は、阪神なんば線直通の奈良行き快速急行を使うことで、西九条駅まで直通でアクセス可能となっています。 関西空港から 南海関西空港駅~(空港急行)~南海・JR新今宮駅~(大和路快速など)~JR法隆寺駅 運賃: 1380円 所要時間: 約1時間10分~ JR関西空港駅~(関空特急はるか・関空快速など)~JR天王寺駅~(大和路快速など)~JR法隆寺駅 運賃:1540円(はるか自由席利用の場合650円、指定席利用の場合1170円プラス) 所要時間:はるか利用で約1時間10分~・関空快速利用で約1時間20分~ 関西空港からの場合は、南海線利用で新今宮駅乗り換えというルートが、所要時間・運賃いずれの面からもお得で便利になっています。 JR線を使うルートも不便ではありませんが、コストパフォーマンスはそれほど良くありません。 伊丹空港から 大阪国際空港南ターミナル~(リムジンバス)~あべの橋・JR天王寺駅~(大和路快速など)~JR法隆寺駅 運賃: 1100円 所要時間: 約1時間 大阪モノレール大阪空港駅~モノレール・阪急蛍池駅~(阪急宝塚線急行など)~阪急梅田駅・JR大阪駅~(大和路快速・区間快速)~JR法隆寺駅 運賃: 1060円 所要時間: 約1時間15分~ 伊丹空港からの場合、電車を乗り継ぐルートよりも、リムジンバスを使って天王寺へアクセスするルートの方が便利で使いやすくなっています。 なお、リムジンバスは渋滞により遅れが生じる可能性がありますのでその点だけはご注意ください。 奈良市内から JR奈良駅~(大和路快速など)~JR法隆寺駅 運賃: 220円 所要時間: 約11分 奈良からは、東大寺・興福寺・春日大社などのある奈良公園周辺エリアからの場合、JR奈良駅まで行き、そこからJR線を使えばすぐにアクセスすることが可能です。 また、この他にも直通の路線バスなどもあります。 奈良市内と法隆寺を結ぶアクセス情報の詳細には以下の記事でも詳しく解説しています。 車でのアクセスについて 法隆寺へは、「マイカーの方が便利」と思って車でアクセスされる方も大勢いらっしゃいますが、周辺道路である国道25号線などは慢性的な渋滞が見られるため、実際には電車よりも所要時間がかかることも多く、基本的には「JR法隆寺駅」を拠点とした公共交通機関によるアクセスがおすすめです。 しかし、どうしても車でアクセスされるという場合は、国道25号線沿い、奈良交通バス法隆寺前バス停北側には斑鳩町営法隆寺観光駐車場があるほか、参道沿いなどにも民間駐車場があり、いずれも観光繁忙期でなければ空きも多いために、気軽に駐車して頂くことも可能です。 駐車料金はいずれも500円程度となっています。 まとめ 以上、奈良「法隆寺」への交通アクセスについて、最寄り駅「JR法隆寺駅」までのアクセスや、法隆寺駅から法隆寺までのバスの情報などをまとめて解説してきました。 基本的には近鉄線経由で筒井・王寺駅を使う例外を除いては、 JR大和路線「法隆寺駅」のみが玄関口になりますので、アクセス方法が難しいといったようなことはありません。 法隆寺のある斑鳩エリアや奈良盆地一帯は「田舎」・「地方」であるという先入観をお持ちの方が多く、交通が「マイカー」以外は不便であると勘違いされているケースが頻繁に見られますが、 法隆寺駅へは、特に大阪方面からのアクセスはかなり便利になっており、むしろ公共交通機関でのアクセスがおすすめとなっています。 圧倒的な存在感を誇る世界遺産「法隆寺」をじっくり味わうために、ぜひJR線や路線バスを使ってスムーズにアクセスしてみてください。

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