大口 弦人。 「ザ・テンプターズ」でGSブーム大口広司さん死去― スポニチ Sponichi Annex 芸能

喉とうつ伏せ

大口 弦人

1960年代にGSブームを巻き起こしたバンド「ザ・テンプターズ」の元ドラムスで俳優の大口広司(本名大口廣司=おおぐち・ひろし)さんが25日午後10時20分、肝臓がんのため都内の病院で死去した。 58歳。 埼玉県出身。 バンド解散後は俳優業を中心に活動していた。 前妻で女優の真行寺君枝(49)は26日夜、取材に応じ、涙ながらに「めちゃくちゃな人でしたが、感性などで学んだものもあったと思います」と語った。 友人によると、大口さんは数年前から肝臓の不調を訴え、約1年前の検診でがんを発見。 昨年から入退院を繰り返していた。 最期は06年に再婚した妻の以知子(いちこ)さん(54)らにみとられ、眠るように息を引き取ったという。 入院中には真行寺と、その間の長男でミュージシャンの弦人も見舞いに訪れた。 中学時代からの盟友の萩原健一(58)は「たくさんの思い出があります。 凄くセンスのいいやつで優しい人だった。 母性本能をくすぐるところがあって、女性にはもて続けたなあ」と悼んだ。 大口さんは萩原らとテンプターズを結成して67年にデビュー。 71年に解散し同年、萩原や沢田研二(60)らとスーパーバンド「PYG」を結成。 翌72年に解散して以降は俳優業を中心に活動し、ライブ活動は続けていた。 遺作は来月28日公開の映画「カフーを待ちわびて」(監督中井庸友)。 医師の役で出演し、昨年4月に沖縄で撮影に臨んだ。 私生活では83年、当時人気絶頂だった真行寺と交際約半年でスピード結婚。 だが翌84年に大麻所持容疑で逮捕、起訴された。 91年には経営していた服飾会社が倒産。 97年には自身が撮影した真行寺のヘアヌード写真集「Made in Love」(ぶんか社)が発売され話題になった。 だがその真行寺とも05年に離婚。 事業失敗により、真行寺と翌06年に破産宣告を受けた。 最近は映画「北の零年」(05年公開)や「日本沈没」(06年公開)、「ハブと拳骨」(昨年公開)などに出演していた。 67年10月に「忘れ得ぬ君」でデビューした「ザ・テンプターズ」でドラマーとして活躍。 「神様お願い」「エメラルドの伝説」などがヒット。 71年の解散後は沢田研二、岸部一徳らとバンド「PYG」を結成。 PYG解散後は服飾デザイナーや俳優として活動。 映画「日本沈没」(06年)などに出演。 83年に女優の真行寺君枝と結婚。 97年には妻のヌード写真集を撮影して話題になったが、05年に離婚。 長男の大口弦人(げんと)はミュージシャン。

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愛のために死す「部屋と夢」(CD9546)

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Data Table Property Value• 真行寺 君枝(しんぎょうじ きみえ、1959年9月24日 - )は、日本の女優。 本名同じ。 生島企画室所属。 東京都大田区出身。 血液型AB型。 東京都立大崎高等学校卒業。 ミュージシャンの大口広司は元夫。 長男、大口弦人も同じくミュージシャン。 1976年に資生堂秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」で本格デビュー。 しんぎょうじきみえ• 1959-01-01 xsd:date• 778365 xsd:integer• 8201 xsd:integer• 174 xsd:integer• 58388780 xsd:integer• しんぎょうじきみえ• 57 xsd:integer• 1976 xsd:integer• 78 xsd:integer• 83 xsd:integer• 真行寺君枝• 43 xsd:integer• 東京都大田区• 1959 xsd:integer• 24 xsd:integer• 9 xsd:integer• 156 xsd:integer• 真行寺 君枝(しんぎょうじ きみえ、1959年9月24日 - )は、日本の女優。 本名同じ。 生島企画室所属。 東京都大田区出身。 血液型AB型。 東京都立大崎高等学校卒業。 ミュージシャンの大口広司は元夫。 長男、大口弦人も同じくミュージシャン。 1976年に資生堂秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」で本格デビュー。 真行寺君枝• 真行寺君枝 is of• is of• is of• is of• is of•

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真行寺君枝(しんぎょうじきみえ)ディスコグラフィ

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真行寺 君枝(しんぎょうじ きみえ、1959年9月24日 - )は、日本の女優。 本名同じ。 生島企画室所属。 東京都大田区出身。 血液型AB型。 東京都立大崎高等学校卒業。 ミュージシャンの大口広司は元夫。 長男、大口弦人も同じくミュージシャン。 1976年に資生堂秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」で本格デビュー。 来歴・人物 中学時代、ポーラ化粧品のCFに出演。 1975年、高校1年の夏、真行寺を覚えていた渡辺の仲介により、西武デパートのモデル出演。 撮影は稲越功一。 1976年、16歳でその年の資生堂の秋のキャンペーンモデルに選ばれ、デビュー。 ちなみに当時、資生堂とカネボウのキャンペーン競争の加熱は、社会現象に発展するほど激しく、資生堂はこの広告の制作費に、当時としては破格の三億円を投入したと言われる。 フランスにおける日本年(1979年)では、ルーブル美術館で資生堂の写真史が展示され、もちろんこの真行寺の「ゆれる、まなざし」も含まれていた。

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