売春 島 伊勢 志摩。 三重県・渡鹿野島へ行こう

「売春島」ニッポンの桃源郷といわれたあの島を往く(高木 瑞穂)

売春 島 伊勢 志摩

「同じ風俗であっても、大阪の飛田新地だったらいろんな本が出て、ほぼ語り尽くされている。 『売春の実態を調べていた女性記者が失踪した』とか『客は全員監視されている』だとか……ネット上には真偽のあやしい都市伝説があふれていた。 今も公然と売春が行われ、そう呼ばれている三重県の離島、渡鹿野島について、静かな口調で切り出すのはルポライターの高木瑞穂さん(44)だ。 「ヤバい島」として長くタブー視されてきた島の実態に迫った高木さんの著書『 売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ 』(彩図社)は、ノンフィクション冬の時代といわれる中、じわじわと売れ続けている。 3年前に出た単行本は2万部を突破。 昨年刊行された文庫版も5刷3万部に達するベストセラーになっている。 夜ごと体を売る女性たち、裏で糸を引く暴力団関係者、往時のにぎわいを知る島民……。 数多の当事者を訪ね歩いてきた高木さんへのインタビューから、謎に満ちた「現代の桃源郷」の真の姿が浮かび上がってきた。 周囲約7キロ、人口200人ほどの小さな島で、渡航手段はピストン運航するポンポン船(小型船)だけ。 本土から隔離された島にはスナックやパブを隠れ蓑にした「置屋」と呼ばれる娼婦の斡旋所が点在し、管理売春で栄えてきた。 高木 最初に週刊誌の記事を書くために島を取材したのが11年ほど前です。 その何年か後になって偶然、この本にも出てくる「人身売買ブローカー」の元暴力団員と知り合ったんです。 その男からは「あの島には暴力団員がいっぱい女の子を送り込んできた」なんて生々しい話もいろいろ聞いていたんです。 ただ、深く取材しようと思ったきっかけは2016年5月の伊勢志摩サミットですね。 あのころ「会場の賢島の目と鼻の先に、こんな売春島があっていいのか」といった趣旨の告発風のルポが週刊誌にたくさん出た。 もちろん売春自体は悪であり、許されることではない。 ただ売春の従事者にもそれぞれの歴史があり、生活があるわけです。 島の売春産業が凋落した今なら、暴力団のシノギ(経済活動)の邪魔にはならない。 〈渡鹿野島の売春の歴史は、じつに江戸時代にまでさかのぼる。 江戸と大坂を結ぶ航路上に位置した島は、多くの船が停泊する「風待ち港」だった。 島の女性たちは休息する船乗りを相手に夜伽(よとぎ)をしてはお金を稼いだ。 そうして形成された遊郭は1957年の売春防止法の施行で一掃される。 しかし、「稼げる島」という噂は広がり、遠方から女性たちが乗り込み、売春を斡旋する置屋文化が出来ていく〉.

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【未解決事件】三重県伊勢市、辻出紀子さん売春島失踪事件

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もくじ• 江戸時代に「江戸と大阪の中継地点」として発展 渡鹿野島は、江戸時代に大きく栄えました。 江戸時代の中心的な都市は、「江戸」と「大坂(江戸時代は「坂」の文字が使われた)」でした。 当時、物流が盛んとなり、江戸と大坂を行き来する菱垣廻船(ひがきかいせん:菱形の装飾が外観に施された、物資を運ぶための船)・樽廻船(たるかいせん:檜垣廻船の中でも、樽を中心として運んだ船)という船が運航していました。 ただ、これらの船は江戸と大坂を往復するときに、悪天候のために途中の港に避難することがありました。 渡鹿野島は「江戸と大坂の中継地点」として、大きな役割を果たしていたのです。 当時の渡鹿野島には「船乗りが宿泊するための宿」や「飲食店」が営業されるようになりました。 そしてそれに加えて、船乗りをターゲットとした風俗店もたくさん建ち並びました。 渡鹿野島の風俗店にいた女性は男性客とセックスを行いましたが、他にも「食事の提供」や「船乗りが着る衣服の修繕(しゅうぜん)」も行いました。 また、渡鹿野島の風俗嬢は人によって、船乗りの航海に一緒についていくことがありました。 こうした女性は「把針兼(はしりがね)」と呼ばれました。 把針兼は航海中、船の中で船乗りとセックスを行ったのです。 しかし江戸時代が終わって明治時代(1868~1912年)に入ると、把針兼は政府によって禁止されました。 ただ、渡鹿野島の盛況ぶりは変わりませんでした。 昭和時代にも、渡鹿野島での売春は続いた 明治時代が終わり昭和時代(1926~1989年)に入ると、戦争が勃発するようになりました。 渡鹿野島は軍事基地の設置が計画されていたことから空襲の標的となり、大きな被害を受けました。 しかし戦後は復興が行われ、風俗街は再び活気を取り戻しました。 こうした状況の中、1958年(昭和33年)に「売春防止法」という法律が施行されました。 売春防止法は「風俗店での売春を禁止する法律」でした。 しかし渡鹿野島の風俗店は表向き「旅館」として営業されており、店の奥で女性とセックスをすることができました。 つまり売春防止法が施行された後も、渡鹿野島では売春が行われていたのです。 昭和時代の渡鹿野島にいた女性には美人な人が多く、漁師の親方と結婚することがありました。 しかし昭和時代の後半になると、徐々に渡鹿野島の風俗街は衰退していくことになりました。 1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本は「バブル時代」に突入しました。 日本の景気は非常に良く、経済が大きく発展しました。 しかしこれとは対照的に、渡鹿野島の風俗街は衰退し始めたのです。 日本全体の近代化が進むにつれて、風紀の改善を目的として風俗店に対する規制が強くなりました。 東京の有名な風俗街である歌舞伎町では規制強化が行われ、たくさんの違法な風俗店が摘発されるようになりました。 そして東京だけでなく、風俗店の規制強化は全国で行われるようになりました。 渡鹿野島で売春を行っていた風俗店は、それまで違法ながらも警察による監視の目を逃れて営業していました。 しかし 風俗店に対する規制が厳しくなったことにより、摘発の対象となる店が出始めたのです。 2000年に入り、渡鹿野島は変化しつつある 警察による摘発が行われながらも、2000年代初頭の渡鹿野島では、依然として風俗店が営業していました。 警察が定期的に監視の目的で巡回していたため、その頃に渡鹿野島で営業していた風俗店の関係者は警戒を強めていました。 こうした状況が続いた中で2013年、わたかの島観光協議会という団体は「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」という宣言を発表しました。 渡鹿野島は志摩市や三重県警と協力して「売春島」のイメージを「観光地」へと変えることに決めたのです。 こうして警察による摘発はさらに厳しく行われるようになり、渡鹿野島にあったほとんどの風俗店が閉店に追い込まれました。 こうして2000年代初頭まで営業されていた風俗店には人がいなくなり、現在は寂れた街並みとなっています。 ただ、これまで売春のイメージが強かった渡鹿野島がすぐに人気の観光地へと変わることは難しく、現在の渡鹿野島は人が少なく、閑散とした雰囲気となっています。 渡鹿野島へのアクセス 渡鹿野島へ向かう場合、名古屋から向かうと良いです。 「近鉄(きんてつ)名古屋駅」から三重県の南方に位置する伊勢・志摩方面へ向かい、「鵜方(うがた)駅」で下車します。 JR名古屋駅と近鉄名古屋駅は直結しています。 さらに鵜方駅から、三重交通バスの「渡鹿野渡船場経由安乗(わたかのとせんじょうけいゆあのり)行き」に乗車します。 そして「渡鹿野渡船場」のバス停で下車します。 渡鹿野渡船場のバス停前が、フェリー乗り場となっています。 ちなみに私は渡鹿野島で宿泊するために、「寿屋(ことぶきや)」という宿を利用しました。 寿屋のスタッフは鵜方駅から渡鹿野渡船場の間を、無料送迎してくれます。 そのため私は行き帰りともバスに乗らず、寿屋の従業員に車で送ってもらいました。 渡鹿野島は離島であるため、フェリーで向かう必要があります。 ただ、渡鹿野島は渡船場から比較的近く、10分ほどフェリーに乗るとすぐに到着します。 フェリーの利用料金は、私が利用したときは片道180円でした。 非常に安いです。 料金は時期によって変動する可能性があります。 フェリーは定期的に志摩市と渡鹿野島を往復しています。 船は小型であり、旧式の雰囲気が感じられました。 私が渡鹿野島へ向かったときには、他の利用客は誰もいませんでした。 しかし渡鹿野島から鵜方駅へ戻るためにフェリーへ乗船したときには、渡鹿野島の住民と思われる人が3人ほど乗っていました。 おそらくこうした方は、志摩市へ買い物などに出かけるのだと考えられます。 また、どの方も年齢が高めであり、渡鹿野島に若い人が少ないことを感じました。 私が渡鹿野島へ出向いたときは、夜23時でもフェリーが運行していました。 この理由は「渡鹿野島を訪れた男性客が宿にコンパニオンを呼ぶことがあり、コンパニオンが夜に帰宅する必要があるため」です。 なお、渡鹿野島へ向かうときには、現金を十分用意して向かってください。 渡鹿野島にある宿やホテルでは、クレジットカードを利用することができません。 また、食事や女性とのエッチを楽しむ場合についても、現金支払いのみです。 渡鹿野島は離島であるものの、携帯電話は繋がります。 圏外になることはないため安心してください。 現在の渡鹿野島は、閑散とした雰囲気 私は実際に渡鹿野島を訪れて、その様子を確認してみました。 渡鹿野島は前述のように「 売春島」という噂がありました。 そのため私は今でも売春が行われているのか気になり、確認のため直接行ってみたのです。 フェリーで向かい渡鹿野島へ到着すると、すぐに渡鹿野島の街並みが目に入ります。 渡鹿野島は全体的に寂れており、かつての賑わいは完全に見る影もない状態でした。 島は 全体的にひっそりとした雰囲気であり、ときどき住民とすれ違うものの、その人数は少ないです。 フェリーを降りてすぐのところに、私が宿泊した寿屋という宿があります。 その周辺にはカラオケスナックや飲食店、 置屋(おけや)がありました。 置屋とは女性が在籍している店で、要は風俗店です。 男性客は店の女性とエッチを楽しむことができます。 置屋は一般的に「おきや」と読みますが、渡鹿野島の人は「おけや」と言っていました。 風俗店がセックスをサービスとして提供することは、風営法という法律により禁止されています。 しかし渡鹿野島では現在でも、置屋の女性とセックスを楽しむことができます。 以前の渡鹿野島では、置屋がたくさん営業していました。 しかし上項の歴史で述べたように、風俗店に対する規制強化により、そのほとんどが廃業しています。 渡鹿野島で現在も営業している置屋は非常に少なく、私が出向いたときには1軒のみが営業していました。 寿屋周辺にある置屋や飲食店は、どれも古びた雰囲気がありました。 どの店も繁盛している雰囲気はなく、観光客が来店するときだけ営業するような印象でした。 カラオケスナックや置屋などは夜になると流行りそうですが、夜でも男性が店の周辺を歩いていたり、入店する様子を見かけたりすることはありませんでした。 飲食店だけは夜に灯りがついており、一応営業しているようでした。 島内を歩いているときに、渡鹿野島在住の男性が声をかけてくれました。 この男性によると、「1970年代頃は非常に賑わっており、1日で100万円単位のお金を使う男性がたくさんいた」とのことでした。 1970年代は「バブル時代(1986~1991年)の直前期」といえます。 この頃は風俗店に対する規制が緩く、渡鹿野島では買春を存分に楽しむことができたのでしょう。 渡鹿野島には「パールビーチ」という海岸があり、海水浴場があります。 家族連れや子供を何組か見かけました。 まばらに人がいる程度でしたが、現在における渡鹿野島の中では、賑わっている場所といえます。 また、パールビーチという名称がついているものの、海の透明度は正直なところ微妙です。 海水浴場の向かいではホテルが営業していました。 古びた雰囲気があるものの、現在でも営業を続けていました。 パールビーチ周辺では、 廃業したホテルも見かけました。 当時使われていたと思われる椅子やテレビ、畳などがそのまま残されており、現在は廃墟と化しています。 この建物は現在でこそ古く見えるものの、当時としては新しい設備を導入しており、たくさんの男性客で賑わっていたことが予想されます。 この建物ではプールを見かけることもでき、昔は最新の設備であったと考えられます。 しかし現在へ到るまでに、渡鹿野島は大きく衰退してしまったのです。 また、パールビーチへ向かう途中には、煙草禁止の注意書きを見かけることがよくあります。 「この島は、道でタバコを吸わぬ決め」と書かれており、言葉遣いから時代を感じることができます。 この看板は渡鹿野島内のところどころで見かけました。 渡鹿野島の奥地へ進むと、まだ営業している宿を見つけることができました。 ただし私が訪れたときはひっそりとしており、宿泊客はいないようでした。 また、最近建設された、綺麗な宿を見かけることもできました。 まったく集客が見込めない島であれば、このような施設が新しく建設されることはありません。 私が訪れたとき、この宿は閑散とした雰囲気でした。 しかし渡鹿野島は今後、「観光を楽しめる島」として変化していく可能性を感じました。 渡鹿野島には、食品や日用品を販売している店がほとんどありません。 渡鹿野島は日本であるにもかかわらず、現在の都市部とは大きく異なる生活環境でした。 島の住民はフェリーに乗り、志摩市内のスーパーなどで買い物をしていると考えられます。 1900年代前半に建てられたと思われる建物も見かけました。 「美海」という看板が掲げられた柱には、「モザイクタイル」が貼られています。 これは当時モダンな雰囲気であるとして人気となったデザインで、「 カフェー建築」と呼ばれるものです。 カフェーは「特殊喫茶」や「社交喫茶」と呼ばれる店で、1900年代初期に人気となっていました。 男性客は店の女性スタッフと、エッチをすることができたのです。 このような建物から、1900年代前半における渡鹿野島の雰囲気を感じることができます。 渡鹿野島を歩いていると、古いアパートをたくさん見つけることができます。 こうした建物のほとんどは、人が住んでいないように見えました。 ただ、中には洗濯物が干してあったりテレビの音が聞こえたりして、人が住んでいる建物もありました。 さらに散策している中で、上のようなオブジェを見かけました。 当時人気となっていたと思われるキャラクターのオブジェで、たくさん並んでいました。 おそらく渡鹿野島が賑わっていた頃は子供がたくさんいて、ここで遊んでいたと考えられます。 オブジェが並んでいた場所の近くには掲示板があり、夏祭りのポスターが掲示されていました。 渡鹿野島は静かな雰囲気ですが、イベントは定期的に開催されています。 毎年7月下旬には「 天王祭」という祭りが開催されており、島の住民が神輿を担いで盛り上がっています。 渡鹿野島の天王祭は「三重県の無形文化財」に指定されており、伝統のある祭りです。 賑わいのある渡鹿野島を楽しみたいのであれば、天王祭の開催日を確認して出向くことをお勧めします。 私が渡鹿野島へ向かったのは8月であり、天王祭は終わっていました。 そのため代わりとして、天王祭で「スサノオノミコト」という神様を祀(まつ)る寺である、「 八重垣神社(やえがきじんじゃ)」へ出向いてみました。 八重垣神社は静まり返っており、私はお参りを済ませて帰ってきました。 渡鹿野島で見かける人は中高年の男性・女性がほとんどであり、子供はパールビーチ周辺でしか見かけませんでした。 現在の渡鹿野島は子供が非常に少なく、高齢化が進んでいます。 渡鹿野島の宿で、実際に夜遊びを楽しむ 私が渡鹿野島を訪れた理由は、「今でも売買春が行われているのか」を確認するためでした。 私が利用した宿は前述した「 寿屋」という宿であり、夜遊びを楽しむことができました。 寿屋へ宿泊する場合、電話で予約します。 予約の際には寿屋のスタッフから「食事のときにコンパニオンを呼びますか?」と聞かれました。 一般的な宿であれば、このように聞かれることはあまりありません。 しかし寿屋を利用する人は夜遊び目的の人が多く、 コンパニオンの利用について確認されるのです。 コンパニオンは「島の外」から呼ぶべき 私は「お願いします」と伝えて、コンパニオンを利用することに決めました。 すると寿屋のスタッフはさらに「コンパニオンは『渡鹿野島内に住む女性』と『渡鹿野島の外に住む女性』どちらにされますか? 島内に住む女性は30代以上の女性がほとんど、島外の女性であれば、20代の若い人を呼ぶことができます」と続けました。 私は若い女性が好みであるため、「島外のコンパニオン」をお願いしました。 20代の女性と食事・お酒を楽しみたい場合、絶対に「渡鹿野島外のコンパニオン」を利用してください。 島内の女性は良くいえば「熟女」ですが、要は「おばさん」です。 今回は2人で申し込みましたが、一人当たり14,500でした。 男性二人にコンパニオンが一人付く形式です。 ただ、そこにもう一人コンパニオンを追加することにしました。 コンパニオンの料金は、1名追加で13,000円ほどでした。 週末の土日にコンパニオンを利用する場合、1,000円だけ高くなります。 このように予約を済ませて私は渡鹿野島へ向かい、寿屋へ宿泊しました。 渡鹿野島へフェリーで到着した直後、寿屋の女性スタッフは私を出迎えてくれました。 前述したように、寿屋はフェリー乗り場からすぐのところにあります。 寿屋の外観は少し古びているものの、施設内は綺麗でした。 また、宿泊した部屋は広く、のびのびと過ごすことができました。 寿屋はWiFi環境が用意されていたものの、不具合で接続できませんでした。 もし寿屋で宿泊する場合、同様のトラブルがあるかもしれないため気をつけてください。 寿屋の廊下には「雑誌が置かれた棚」がありました。 どんな雑誌があるかを確認してみたところ、エロ本が無造作に置かれていました。 一般的なホテルや旅館の廊下に、エロ本が用意されていることはまずありません。 寿屋は完全に「夜遊びを楽しむための宿」として営業しており、男性客向けの施設といえます。 置屋のコースは「ショート」と「ロング」の2種類 寿屋の女性スタッフからは「置屋の案内」がありました。 私が渡鹿野島へ向かったときに営業していた置屋は「20時から営業開始で、22時には閉店する」とのことでした。 つまり、非常に短時間のみの営業となっていました。 寿屋のスタッフに依頼すると、置屋から女性を派遣してもらうことができます。 そして寿屋で女性を直接的に確認した上で、エッチするどうかを決めることができます。 女性と遊ぶ場合、「ショート」と「ロング」という2種類のコースがあります。 ショートは「60分でのエッチ」、ロングは「翌朝8時まで、女性と過ごすことができるコース」です。 料金はショートで2万円、ロングで4万円です。 ロングのコースについては、日本で体験できる店は少ないです。 置屋の女性に好みの人がいれば、ロングを利用すると良いでしょう。 女性とエッチを楽しんだ後、朝まで一緒に過ごすことができます。 なお、置屋の女性と遊ぶ場合、何と「女性の自宅」でエッチをすることになります。 寿屋から置屋で働く女性の自宅へ移動して、セックスをするのです。 このシステムに、私は非常に驚きました。 一般的な風俗店では、女性の自宅でエッチを楽しむことなど、到底できません。 風俗嬢(風俗店で働く女性スタッフ)は男性客に自宅を知られると、つきまとわれるなどのリスクがあるためです。 渡鹿野島では女性の自宅へ行くことで、「女性がどのような生活を送っているのか」を知ることができるのです。 夜にコンパニオンの女性と、食事を楽しむ 寿屋でチェックインを済ませて島の散策を終えた後、18時から食事となりました。 私は寿屋の2階に宿泊しましたが、食事は1階の広間でとりました。 料理が準備された部屋へ向かうと、チャイナドレス姿のコンパニオン女性が正座で頭を伏せて待っていました。 コンパニオンは私が席に着くと隣に座ってくれて、お酒を注いだり、料理の準備を始めたりしてくれました。 私は友人と渡鹿野島を訪れたため、2名のコンパニオンを呼びました。 2人のうち1人は20代で、もう1人は33歳と言っていました。 33歳のコンパニオン女性は非常に綺麗で、「20代のコンパニオンと同じくらい可愛い」と感じるほどでした。 また、2人とも胸が大きくて足を大胆に露出させていたため、私のテンションは急激に上がりました。 私は冗談を言いながら2人のコンパニオンと楽しく会話を交わして、食事を楽しみました。 2人の女性は比較的若いため、渡鹿野島の歴史については詳しく知りませんでした。 2人の女性は渡鹿野島の属する本州の「志摩市」で働いているとのことでした。 普段は会社員として仕事をしており、ときどき副業としてコンパニオンの仕事をしているそうです。 志摩市は仕事が少ないようですが、2人の女性は「何とか正社員として働いている」と話していました。 2人の女性はあくまでもコンパニオンであり、ボディタッチやエッチを行うことはできません。 コンパニオンの女性たちはときどき私に軽いボディタッチをしてくれたものの、それ以上積極的なサービスを行ってくれることはありませんでした。 置屋の女性を確認したものの、期待外れに終わる コンパニオンの女性は会話の途中で「置屋の女性を確認するかどうか」を聞いてきました。 「女性とのエッチを楽しみたいなら、置屋の女性を呼びますよ。 女性を確認して好みの人がいなければ、無理に指名しなくて大丈夫です。 ただ、指名するつもりがないのに、興味本位で置屋の女性を確認することはやめてください」 コンパニオンは上のように提案してくれたため、私は置屋の女性を確認することに決めました。 コンパニオンは寿屋に私の希望を伝えてくれて、 寿屋のスタッフが置屋の女性を準備してくれました。 それから5~10分ほど経つと、寿屋のスタッフが「置屋の女性が来ました」と私を呼んでくれました。 寿屋の玄関先へ行くと、置屋の女性が2人だけ立っていました。 私は置屋の女性を見て、愕然としました。 私が寿屋を訪れた日は週末でしたが、指名できる女性は2人だけだったのです。 また、1人は「年齢が高めと思われるタイ人」、もう1人は「40代後半と思われる日本人女性」でした。 タイ人女性はあまり好みではなく、40代後半の女性は服装を若作りしていたものの、「おばさんの雰囲気」を感じました。 置屋の女性とエッチをする場合の料金は前述のように、ショートで2万円、ロングで4万円です。 私は女性を見て瞬間的に、「 おばさんとのエッチに2万円や4万円は高すぎる」と思いました。 寿屋の女性スタッフは「島にいる置屋の女性は、みんな年齢が高い。 この2人はその中でも若いほうなので、あなたに合うかもしれないと思った」と話してくれました。 私は「渡鹿野島の置屋では、この2人の女性であっても若いほうなのか」とがっかりしました。 私は女性を指名せず、確認するのみで終えました。 このとき時間は20時頃でしたが、「置屋はこの日の営業を終える」とのことでした。 つまりこの日の渡鹿野島には、「置屋を利用する可能性のある客」は私しかいなかったのです。 渡鹿野島ではこのように、女性の容姿を直接確認した上で、遊ぶ相手を決めることができます。 また、女性の自宅でエッチを楽しむことができます。 このようなシステムの風俗店は、他の地域にはなく、「渡鹿野島の置屋ならではのサービス」といえます。 ただし女性の質は低く、40代後半以降の女性が中心です。 いわゆる「熟女」を好む男性であれば、渡鹿野島で夜遊びを満喫できる可能性があります。 ただ、若い20代女性とのエッチを期待して渡鹿野島へ向かうと、まったく楽しめないため気をつけてください。 渡鹿野島の置屋で働く女性は本州へ渡って「熟女専門のキャバクラや風俗店」で働くほうが、収入をたくさん得られるように思えます。 しかし渡鹿野島の置屋で働く女性は、なぜか島に残り続けているのです。 そこで、寿屋の女性スタッフに「なぜ渡鹿野島の置屋で働く女性は、本州で働かないのですか?」と尋ねてみました。 しかしスタッフは「分からない」とのことでした。 渡鹿野島はインターネットが広く普及しておらず、島外の情報を手に入れにくい環境にあります。 また、現在の渡鹿野島は、高齢化が進んでいます。 置屋で働く女性も積極的に行動したり、パソコンやスマートフォンを使いこなしたりすることは難しいはずです。 つまり渡鹿野島の女性は「わざわざ慣れない土地へ働きに行くよりも、島に残ることを選んでいる」と思われます。 ちなみに会社の宴会などを開催するためであれば、渡鹿野島へ向かうことはお勧めできます。 寿屋の食事は美味しく、コンパニオンの質は高かったため、宴会のときにコンパニオンを派遣してもらうと楽しめるはずです。 コンパニオンの女性も「冬は忘年会や新年会で、渡鹿野島に来るお客様は多い」と話していました。 夜になると、渡鹿野島は静まり返ってしまいました。 私はやることがなく、「コンパニオン女性2人のうち、どちらかとエッチできれば満足だったのに」という気持ちを抱えたまま、21時に早々と就寝したのです。 なお、寿屋のスタッフによると、寿屋に宿泊した男性が置屋の女性とロングで遊ぶ場合、朝まで女性の自宅で過ごすことが多いようです。 そして朝になったら寿屋へ戻ってきて、朝食を食べるそうです。 このように渡鹿野島では、現在でも売春が行われていました。 しかし女性の質は低く、若い女性とのセックスを期待して出向くと、期待外れに終わります。 コンパニオンは可愛くて満足できたため、会社の宴会などでワイワイと楽しむのであれば、渡鹿野島はお勧めです。 渡鹿野島の「売春島」という評判は、過去のものとなっているのです。

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淫靡な性遺産は、明媚さにかき消されていた。わたかの島上陸で見た光景

売春 島 伊勢 志摩

伊勢志摩国立公園内にある。 島の大半は志摩市磯部町渡鹿野(いそべちょうわたかの)である。 郵便番号は517-0205。 人口は271人(2011年9月30日現在、志摩市調べ)。 周囲約7km、面積は約0. 7平方キロメートルを持ちリアス式海岸の湾のひとつ的矢湾の奥に位置し、的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は波が穏やかな海面となっている。 そのため古くより荒天時の避難場所・風待港として使われていた。 島内の住所は大半が志摩市磯部町渡鹿野であるが、一部に磯部町的矢の飛び地(小字間神・居森)がある。 ・「鵜方駅」から三重交通バス6番のりば「渡鹿野渡船場経由安乗(あのり)行き」にご乗車いたき、「渡鹿野渡船場」で下車します。 ・バス停の目の前が渡船場となっています。 船は常に島と本土を行き来しています。 車いすの方、介助が必要な方は事前に旅館などへご連絡いただくとスムーズです。 【車】 ・伊勢自動車道または国道23号線を利用して伊勢方面へ。 伊勢から伊勢道路、または第二伊勢道路を利用して鵜方へお越しください。 鵜方から標識に従って5分ほど進むと、渡鹿野渡船場です。 駐車場を各旅館へお尋ねください。 watakano. 船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした、把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、遊郭街としても大いに栄え女護ヶ島といった別名を持つこととなった。 史跡としては江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。 1931年に俳優の上山草人が映画「唐人お吉」の撮影で訪れ、島民と意気投合。 草人の別荘を建てる話がまとまり、島から寄贈された大日山頂の別荘の門には、谷崎潤一郎が書いた「草人漁荘」という竹の表札が掲げられた。 草人はこの島を東洋のモナコにすると意気込み、「文壇、画壇、劇団のあらゆる友人を誘って、猟奇的なこの島でなければ味わわぬ変わった情趣をもつエロ探検と波静かな絵画美に富んだ島の風景を満喫させようと計画している」と語ったが、門と亭のみで別荘は建たなかった。 第二次世界大戦中は島内に予科練の基地の設置が計画された事などから、激しい空襲にもみまわれた。 1954年にはこの島を舞台に、伴淳三郎主演の「この恋! 五千万円」という映画もつくられた。 意外に知らない昭和史: 誰かに話したくなるあの日の出来事194(歴史雑学探偵団 東京書店 2007年の123ページにあるとおり、1971年に三重県警警部補が内偵特捜の捜査官として島に潜入し、売春婦の女性と内縁となり諭旨免職される。 その後は島でスナック経営者兼売春斡旋者となっていたが、1977年10月に実施された手入れで内妻とともに逮捕されて、売春婦が保護されている。 このとき保護された売春婦は大半は家出少女などで、借金付きで送られ売春をさせられていたという。 なお、この元警部補は出所後、島でホテル経営などに携わり、島の観光産業の発展に尽力していく。 上記のような流れがあるものの、あまりにも『性産業』として名高くなったしまった為、2013年9月、わたかの島観光協議会は、志摩市や三重県警と連携し、「性産業による島のイメージを無くし、健全な観光地を目指す」とした「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を出した。 と、しているが、果たしてその実情は・・・・。 一度は行ってみたかった渡鹿野島。 どうせ満喫するなら1週間ぶっ続けで楽しみたい。 そんな衝動に駆られて、仕事を放り出してなけなしの貯金を手に、いざ売春島へ。 数年前にはビーチが完成し家族連れで賑わうようになったとの情報も。 もしや売春は摘発でなくなったのか? 焦りにも似た感情を抱きながら新幹線で名古屋へ。 そこから特急電車に飛び乗り約2時間半で鵜方に到着。 さらにそこからバスに揺られて30分のところにある船着場へ。 ポンポン船に揺られて渡鹿野島へ上陸したのは夕方頃だった。 もちろんホテルなど予約していない。 海を臨めるホテルの受付に飛び込みで行くと、笑顔で応対してくれた。 「お一人ですか? え~、団体さん用の部屋しかありませんけど、よかったら泊まっていってください」 と広さ10畳ほどの部屋に案内される。 夕食つきで1泊1万円ジャスト。 しかし10畳の部屋に一人とは何とも心さびしい。 なんでもひと昔前は、この島に来るのは女目当ての団体客ばかり。 昼から温泉、酒に浸り、夜は女を買って、深夜はマージャン大会。 「飲む、打つ、買う」に興じる土建屋のオジサンたちの姿が目に浮かぶ。 しばらく部屋で横になって日没を待つ。 そう、この島の名物ともいうべき置屋がオープンするまで少し時間があった。 江戸の時代から風待ちの船乗りたちで賑わった渡鹿野島。 昼間は健全な観光リゾート地。 しかし日が暮れると通りには怪しいネオンがまたたき、置屋の娘たちが春を売る。 それがこの島の本来の姿といっていいかもしれない。 ふらりと入った居酒屋で知り合った事情通がこんなことを教えてくれた。 「ちょっと前まで警察の摘発を危惧する声もあって、イイ子はみんな大阪や京都の置屋街に行っちまった。 外国人もだんだんいなくなった。 昔はタイにロシアにフィリピンに、世界各地からイイ女が集まってきたんだけどね。 最近はもっぱら借金を抱えた人妻ばかりかな」 居酒屋を出て渡鹿野のメインストリート(といっても30メートルくらいしかないが)に繰り出す。 通りで客を引いていた婆さんに話しかけてみる。 「もう遊べる?」 「あ~、うちは日本人ばかりだから安心だよ。 遊んでいくかい?」 お値段はショートで2万、泊まりで4万。 さっそく置屋に連れていってもらう。 スナックのような店には50代のママ。 そして20代から30代の女性がズラリ。 「若さで選ぶならタイ人、サービスで選ぶなら日本人」 先ほど会った事情通の言葉を思い出しながら、さんざん迷った挙句、目鼻立ちのハッキリしたタイ人女性を指名し・・・・。 この後は、元記事を参照してください。 渡鹿野島は、江戸時代以前より存在し、漁業で賑わう島だったという。 江戸と大阪を結ぶ海路上にあることもあり、船乗りたちが風を待つために立ち寄ることが多かった。 島の人々は、8人ほどが乗れる小舟「はしりがね」で停泊する帆船に近づいて、娼婦が男たちの相手をすることから、そのまま娼婦たちのことを「はしりがね」と呼んだそう。 島と対岸が船で埋まるほどの人の往来があったそうだが、明治になると、蒸気船が登場し、風を待つ必要がなくなった。 娼婦たちは次第に姿を消していく。 多い時は島に350人ほどいて、一晩で何百万と稼いだとされる渡鹿野島の娼婦は、現在は18人とされる。 ほとんどがタイなどの東南アジアの女たちだ。 最近、渡鹿野島を訪れた50代の男性がいう。 「サミット開催地決定のニュースを見て伊勢志摩の観光地を調べていたら『売春島』という言葉を見つけて興味を持ったんです」 近鉄鵜方駅からバスで20分ほどで渡船場に着く。 島まで船でわずか3分で、運賃は片道180円。 男性は午後4時過ぎに乗船したが、平日だからか着いた港に人影はまばらだったという。 「ネットには『島に着いたら客引きがわっと寄ってくる』と書き込みがあったので拍子抜けしました。 島民の男性に聞いたら『3年前から客引きは一切いなくなった』ということです」 宿にチェックインすると、夕食時間を確認された後に、女将が「ところで、お遊びのほうはいかがしますか? どんな子がいいですか?」と尋ねてきた。 料金は、ハーフ(50分)が2万円、延長が50分毎に2万円、フル(23時~翌朝7時)が4万円だという。 どんな女性がいるのか女将に問うと、 「約30人のうち、ほとんどがタイ人で日本人は3人くらい。 フルは近所のスナックで女の子と一緒に飲んで仲良くなってから部屋に行くんですけど、ハーフだと会っていきなりという感じになりますからねぇ……」 と説明した。 女将によればほとんどの客がフルを選ぶというが、複数の女性との出会いを優先した男性はハーフを選択し、タイ人の女性を希望した。 夕食後に2万円を女将に支払うと、数軒隣へ案内された。 数戸の部屋がある2階建ての建物で、部屋のドアを開けると30代後半に見えるタイ人女性が待っていた。 ワンルームで、テーブルやテレビの他は一組の布団が敷いてあるだけ。 壁にはタイ国王の肖像画が掲げられており、その部屋で生活しながら客をとっているようだった。 女性は片言の日本語で男性にこう話した。 「この島に遊びに来るお客さんは60歳以上の人がほとんど。 みんなお酒を飲んで部屋に来るので、布団の中でイチャイチャするうちに寝てしまう。 だからとってもラク(笑い)。 でも中には乱暴に扱う人もいるから怖い思いをすることもある」 日々の出来事については饒舌に語ったが、家族構成や島で働くきっかけを尋ねると女性は言葉を濁した。 ):大2 ・オールナイト(23時から翌朝8時半まで):大4 ・いかなる場合もディスカウントは出来ない。 ・商談が成立したらその場でオールなら大4をやり手婆に支払う。 完全前金。 ・宿を取っている場合、別途宿代がかかるが、2食付きで大1程度。 対岸の船乗り場との往復は旅館所有の船で送迎してくれるので無料、駐車場も宿泊客は無料。 ・宿を取っていない場合、民間の渡し船を利用。 対岸に駐車場がないため車で訪問の際は路駐する。 宿代はかからないがチェックインから23時まで時間を潰す場所がない。 夕食代も別途必要。 ・旅館に宿を取っていても客室に女の子を呼ぶことはできない。 基本女の子のアパート兼プレイルームとなる部屋に泊まる。 ・つたや系列だと宿泊は女の子の家ではなく近隣のビジネスホテル。 1階が置屋で3・4階の部屋がプレイルーム兼宿となる。 布団ではなくベッド。 ・宿を取っていない場合は必然的に民間の渡し船で島に渡ることになるため、男性のみで乗船すれば黙っていても運転手のおっさんが声をかけてくる。 船着き場までの僅か3分ほどの間に島内のやり手婆と携帯で連絡を取り合い、到着すると婆が出迎えてくれるという段取りの良さ。 その間無駄な動き一切なし。 ・23時(場合によっては22時)に姫が宿に迎えに来る、それから姫とともに置屋に向かう。 ・姫取りは早いもの勝ち、16時くらいに島に上陸し押さえた方がいい。 16時~23時は暇なので旅館を取ったほうが寛げる。 ・殆どの旅館がコンパニオン宴会プランを取り扱っているが、 旅館が提供するのは宴会場での一次会まで、二次会は外のスナックに移動。 客室にコンパニオンが入ることは原則禁止。 ・渡鹿野島の2大旅館、1つはつたや、もう1つは福寿壮。 後者の系列は家族連れや女性客に人気で宿代も割高。

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