ジャガイモ 飢饉。 アイルランドのジャガイモ飢饉に関する歴史考察

ジャガイモのおかげで、ヨーロッパの人口が増えたのですか?

ジャガイモ 飢饉

名称 [ ] 由来 [ ] 日本語の呼び名は様々ある。 「ジャガイモ」という名称 については、17世紀初めにのジャガトラ()から伝来、「ジャガタライモ」と呼ばれたものが変化して「ジャガイモ」になった。 異説もあり、の芋の意味のジャワイモが変化したもの 、では、ジャガイモのおかげでを免れたことから呼称された「御助芋」が転じたもの という仮説がある。 「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名 もよく用いられる。 18世紀に日本人の『耋筵小牘』(1807年)が命名したといわれている。 一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ることから、この名前になったという。 また、「の芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。 なお、中国では他に「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などとも呼ぶ。 なお、日本の行政では馬鈴薯と呼ぶ。 の potatoの語源は、の言葉でを意味する batataがの patataに変化したものによる。 なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つであるでは papaというが、これはそのまま中南米スペイン語で使われる。 スペイン語で batataが patataに変化したのはこの papaの影響であると考えられている。 Papaはを意味する単語と同じであったため、これを忌避して Patataに変遷したともいわれる。 日本における地方名 [ ] 江戸時代以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったため、地方名や地方品種も多い。 「きんかいも」- きんかとは金柑転じて禿げのこと。 [ ]• 「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」- 1年に2回ないし3回収穫できることから。 「南京イモ」 [ ]• 「五升芋」「五斗芋」「ごしょいも」- 収穫量の多さから [ ]• 「さんとく(三得)」「じょうしゅういも(芋)」 [ ]• 「カブタイモ」「ジャガタライモ」「サントク」• 「お助けイモ」- 飢饉の際にジャガイモ活用を勧めたことが役立ったため。 「善太夫芋」- 1748年により 種芋を移入したの代官、幸田善太夫に因む。 「清太夫芋」(せいだゆういも、せいだいも)- 18世紀にジャガイモの普及に尽力したの代官、に因む。 福島県や埼玉県、愛知県ではジャガイモを「甲州いも」と呼ぶこともある。 「治助イモ」 - 東京都の特産。 「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」- の aardappel(大地のりんご)に由来する呼称も存在する。 「イモ」「エモ」-。 日本語の「いも」が由来。 「五升芋」が訛った「コソイミ」という呼称もある。 歴史 [ ] 時代の耕作風景。 踏み鋤 で耕し、種芋を植え付ける。 の絵文書より ジャガイモは南米アンデス中南部の南部に位置する畔が発祥とされる。 もっとも初期に栽培化されたジャガイモは Solanum stenotomum と呼ばれる数24本ののもので、その後四倍体の Solanum tuberosum が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている。 このジャガイモがに伝えられたのは、の時代、15世紀から16世紀頃とされている。 当初、インカ帝国の食の基盤はではないかと伝えられていたが、が1615年に残した記録 やの段々畑の史跡研究、気象地理条件 、食生活の解析 など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている。 しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている。 さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない。 いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主であり 、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。 普及は、でにより荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少するに代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である。 さらにジャガイモは18世紀には、の手により北アメリカへ渡り、における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。 アイルランドとジャガイモ飢饉 [ ] アイルランドと1750年からのヨーロッパの人口の変動。 1845年から49年にかけてのアイルランドでのの悲惨な結果とそれ以前の人口増加を表している。 の小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、厳しいの 植民地支配のもとで、ムギは地代として地主に収奪されるため、地代にとられることのない生産性の高いジャガイモを、自分らの小さな庭地で栽培し始めた。 それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。 「 アイリッシュ・ランパー」 と呼ばれる、アイルランドのジャガイモ種は寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。 しかし、からの4年間にわたって、でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。 ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、で100万人以上ともいわれる多数の者を出した。 また、、、へ、計200万人以上がしたといわれる。 に渡ったは、アメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。 この時代のアメリカ合衆国への移民の中には、の先祖も含まれていた。 アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから、にも影響されないジャガイモは、庶民の食料として爆発的な普及を見せた。 は『』において「の三倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に、、に並ぶ「世界四大作物」として、その地位を確立した。 日本への伝来 [ ] 諸説あるが、1598年にによって持ち込まれたとされる。 のを経由してへ伝来したため ジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった。 後期の18世紀末にはロシア人の影響で・に移入され、飢饉対策として栽培された。 のはジャガイモ栽培を奨励している。 また、江戸後期にはの代官であったがジャガイモ栽培を奨励したとされ、元年(1801年)には小野蘭山が黒平村()においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)。 また、江戸時代後期には北海道のもジャガイモを栽培していた。 年間、探検家のがアブタ場所(現在の虻田地区)に種イモを持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが北海道でのジャガイモ伝来だという。 本格的に導入されたのは後で、の開拓に利用された。 アメリカでに学び、後に「いも判官」と呼ばれた初代根室県令により普及し、男爵により特に男爵いもが定着した。 当初はの素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。 植物概要 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2020年3月) 一般的なをする場合、ジャガイモは「種芋」を植え付け培土し育成する。 種芋の数を意図的に増やすために、一般的には種芋は、芋から発芽した芽を中心にして適度な大きさ(半分~数個程度)に切り分け、芋が腐敗を防ぐために切断面に灰などを塗布、切断面を下に向け地面に置き、土をかぶせる。 (人の手による意図的な栽培ではなく)放置されているジャガイモの場合は、前年に寒くなって地上茎が枯れた後も地中に残留している芋は、越冬し、その芋から特に何もしなくても自然に発芽し、成長する。 直立する地上茎は50cmから1m程度の高さにまで生長する。 葉は奇数羽状複葉。 葉の付け根から花茎が長く伸び、先端に多数の花をつける。 花は星形で黄色い花心と5枚の花弁をもち、色は品種によって異なり赤・白・紫と様々である。 受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してに似た小型の実をつける。 実は熟するにしたがい緑から黄色、さらに赤へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。 果実の中には種子があり、これを発芽させて生長させることも可能である。 ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため、生長しても全体的に小柄である。 これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには3年(3代)程度かかるため、性植物としては交配に時間のかかる植物といえる。 地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、ジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎を日光に晒さないように土寄せが行われる。 様々な品種の塊茎 栽培には6前後の酸性の土地が適している。 また冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い。 その反面、病害や虫の被害を受けやすくも発生しやすい。 ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため、病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。 そのため、日本ではの指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。 連作障害 [ ] 前述の通り、ジャガイモは連作障害が発生しやすい。 連作を行うと土壌のバランスが崩れ、単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。 ジャガイモに限らず、ナス科の植物は基本的にこの性質を持ち、さらに例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす場合がある。 特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、による生育阻害がある。 このは地中で増殖し、高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。 センチュウは宿主(ジャガイモ等)がない状態でも、卵状態()になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。 卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。 また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は抵抗性品種の作付である。 ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが、人体には無害である。 このセンチュウは、種苗付着土や動物糞から伝染するとされている。 そのため日本では、アイルランド経由以外の、検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。 の指定種苗とされ、種芋の販売が規制されて検査が義務づけられている。 「」も参照 ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑とが行われている。 ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3から4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。 休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。 ただし、1950年代に行われたなどで、共有地が崩壊し始め、耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。 また、アンデスのいくつかの地域では、(イサーニョとも、学名: )と呼ばれるの塊茎類をすることで、シストセンチュウの発生を抑えている。 マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。 また、時代には、このマシュアは男性の性欲を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役に際して性衝動をコントロールする目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に記されている。 これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり 、特に皮層や芽、果実に多く含まれる。 そのため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除かなければならない。 PGAは加熱による分解が少ない。 PGAなどの中毒症状は、喫食後の30分から半日後までに頭痛・嘔吐・腹痛・疲労感などの症状を示す。 毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度 と成人より少なく、、の自家栽培による発育不良の小芋などは特にPGAの量が多いため、中毒例が多い。 芽を大量に食べて死に至った事例もある。 対策としては芋を日光に当てず、冷暗所で保存し 、芽を(緑色になった場合は皮も)丁寧に取り除く。 PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、で中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。 果実は芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため、食用に向かない。 「」および「」も参照 生産 [ ] FAO の統計資料 FAOSTAT によると、2014年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億8168万トン、主食となるイモ類では生産量は最大。 生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布。 日本の生産量は245万トン(世界シェア0. 9557万トン 25. 4640万トン 12. 3150万トン 8. 2369万トン 6. 2005万トン 5. 1160万トン 3. 895万トン 2. 809万トン 2. 769万トン 2. 710万トン 1. 171. 5万トン 79. 8万トン 3. 01万トン 3. 74万トン 2. 87万トン 0. 加工用としては、ポテトサラダ、(など)、フライドポテト、冷凍食品(など)がある。 デンプンは、いわゆるとして流通している粉末の原料であり、インスタント麺などの原料にもなる。 ジャガイモは、デンプン源だけでなくやも多く含んでいる。 特にが豊富で、では「大地の( pomme de terre:ポム・ド・テール)」と呼ばれ、ドイツ語や上述のオランダ語でも同様の表現が存在する。 なお、ジャガイモの品種の説明における「生食用」とは、家庭や飲食店での調理素材として利用することを指しており、通常、加熱して食することを意味する。 つまり「生食」の辞書的な意味である、非加熱で食用とする意味ではないことに留意が必要である(本項の説明において以下同様)。 ジャガイモを用いた料理の一例、左上から、、、、 ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。 形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂・乳製品などとの相性が良い。 かつて、のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、ローズマリー、セージ、大麦、ベリーと共に3群の最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。 日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、や、、など、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、、、、、などの具にも広く用いられる。 もポピュラーである。 、、、、、など、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、そのまま蒸かして主食する食べ方もある。 他にジャガイモ料理として、などが挙げられる。 中国では、したジャガイモの炒め物も一般的である。 また、日本以外では、の材料に用いられる。 他に()にも使われる。 調理上の特性 [ ] ジャガイモのビタミンCはデンプンに保護されるため、加熱による損失が少ないという。 ジャガイモに含まれるは酸素に触れるとを生じ褐変を起こすため、切断面を水にさらす方法などで褐変を防ぐ。 ただし、30分以上水にさらしてしまうと、細胞膜内のペクチンと水に含まれる無機質が反応して細胞膜が強くなり火が通りにくくなる。 保存食 [ ] ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、として利用されてきた。 先時代、中央地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。 この凍結乾燥したジャガイモのことを「 」と呼ぶ。 現在でもやペルーの高地()ではチューニョが利用されている。 乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。 塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはのような臭いがすることがある。 また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに「トゥンタ」と呼ばれるものがある。 これもペルー南部やなどで広く食べられている。 日本でも、山梨県のや長野県の一部地域では、ジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍させ、踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。 「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。 北海道のも、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。 放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。 この工程を経て作られた保存食を「」「ペネコショイモ」などと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。 こうした保存食とは異なるが、現代の北海道では、低温で一年半ほど保管して熟成させ、を糖化させて甘くしたジャガイモが商品化されている。 加工食品 [ ] としてが広く食べられている。 ただし、の成分としてが多く、焦がした場合に変化することがあるので注意が必要である。 なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴を持つ。 デンプン採取 [ ] ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものがとして販売されている(片栗粉は本来はのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。 酒造 [ ] 豊富なデンプンを持つジャガイモは、、、、、(韓国焼酎)などの原料にも用いられる。 日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。 また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。 1979年4月に、北海道の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎となるを製造販売した。 以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。 ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作ると比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。 その他の利用 [ ] ジャガイモの皮は、ガラスや鏡を磨くと曇り止めになる。 主要品種 [ ] 男爵薯 生食用品種。 英名は「アイリッシュ・コブラー(Irish Cobbler,「アイルランドの靴直し職人」)」といい、1876年ごろにアメリカで赤い「アーリーローズ 」の白色変異種として発見され、発見者にちなみ命名されたと伝えられているが、近年の調査で「アーリーローズ」由来説は否定されており、何らかの雑種由来と考えられている。 の1908年に男爵がから持ち込んで日本に定着させた品種(品種の正体が「アイリッシュ・コブラー」であることは後に判明した)。 デンプンが多くホクホクした食感が得られるが、煮くずれしやすい。 このため、や、など潰してから使う料理に適している。 芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。 主に、東日本で主流の品種である。 花は薄い紫色、のため父親とはならないが、直接の母として「キタアカリ」「農林一号」などがあり、交配によらないものとしてから「ホワイトバロン」が選抜された。 メークイン メークイン 生食用品種。 英名は"May Queen"。 イギリスで民間に栽培されていたのが1900年に登録され、に日本に持ち込まれた品種。 北海道の道立試験場で初めて栽培されたことから、同町はメークイン国内発祥の地として自認しており、毎年、夏祭りで世界最大のを揚げてPRしている。 男爵イモよりもねっとりしていて、煮くずれしにくい。 このため、やシチューや肉じゃがなど、煮て調理する料理に適している。 男爵薯に比べて長い形状で、でこぼこもそれほどひどくなく、皮はむきやすい。 主に西日本での消費が多い。 世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。 「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。 花は紫色で雄性。 長年派生種は存在しなかった が、21世紀に入って俵正彦によりから「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。 キタアカリ インカのめざめ 2002年に種苗登録された小粒で黄色みの強い品種。 アンデス産の小粒で食味が良い種( S. tuberosum ではなく、2倍体の P. phureja)と、アメリカの品種 Katahdin の半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種(2倍体のジャガイモの品種は日本初)。 甘みが強く、サツマイモやに似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。 また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。 生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモの中では高価である。 北海道十勝地方のなどが主産地である。 長期冷蔵貯蔵によりさらに糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。 デジマ ラセットバーバンク 英名は""。 1875年にアメリカ合衆国の種苗家が開発した『バーバンク』のにより1910年頃に誕生。 大きくなるためフライドポテトに向き、日本へも加工品が多く輸出されている。 日本では環境の違いから収量が得られず 栽培されていないため、もっぱら加工品の輸入に頼っている。 "Russet"は、「ザラザラした」という意味で、芋の表面の特徴に因む。 ラセット・バーバンク以外にもラセット・レンジャー、ラセット・ノーコタ、ノーキング・ラセット、シェポディーなどの品種があり、これらを総称して「ラセット種」「ラセットポテト」などと呼ぶ。 これらラセット種は、アメリカで最もポピュラーな品種である。 シンシア 仏名は"Cynthia"。 フランスのジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、1996年に登録された品種。 日本では2003年2月に品種登録された。 他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどの理由で人気がある。 アンデス赤 1971年から1974年にかけて らがアーリーローズを母、アンデス原産の2倍体栽培種「 S. phureja 253」を父として交配し「M72218」の名で選抜育成していた3倍体の種間雑種系統。 春作よりむしろ秋作に適し、岡山県のばれいしょ採種農家が在来種として栽培を繰り返し維持してきた。 として、が本種の培養から選抜した「ジャガキッズ」、俵正彦がから選抜した「タワラマガタマ」「タワラヨーデル」がある。 各国とジャガイモのかかわり [ ] 16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。 さらに民衆は、ジャガイモはに載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。 しかし、ヨーロッパで栽培される従来の主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。 とくに冷涼で農業に不適とされたや北ドイツから東欧、北欧では、食文化を変えるほど普及した。 これには、地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。 また西洋のみならず、アメリカ合衆国など北米地域や、日本などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。 2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが FAO に提案した「 IYP International Year of Potato 」が認められ、2008年を ジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」としてFAOなどがジャガイモの一層の普及と啓発を各国に働きかけることになった。 イングランド [ ] ジャガイモがヨーロッパに流入した当初、ヨーロッパにはという概念がなかった。 そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。 アイルランド [ ] アイルランドでは栽培の容易さや収量のためだけではなく、支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。 ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。 結果としてアイルランドでは、主食としてジャガイモが非常に重要になった。 このため、1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではが起こり、大勢のアイルランド人がに移住することになった。 その移民の中に、後に第35代になるの曾祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。 ドイツ [ ] にはジャガイモが多用される。 ドイツで最初にジャガイモが普及したのはである。 プロイセンの支配地であるは、南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多く、しばしば食糧難に悩まされた。 そのため、荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、が栽培を奨励した。 しかし他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々に嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら領地を巡回してジャガイモ普及を訴えたり、毎日ジャガイモを食べたという。 ドイツの食習慣には茹でたジャガイモをフォークなどで潰してから食べる場合があり、中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食したためスパイであることが露見した、などのジョークが存在する。 また、ドイツ軍が第一次世界大戦以降に使用したが形状が似ていることから、「ポテト(イモ潰し器)」と呼ばれていた。 フランス [ ] ジャガイモの花 では、プロイセンの捕虜時代にジャガイモを知った農学者の提言により、が王妃にジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。 しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は庶民の間で嫌われた。 ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。 王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた庶民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。 結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。 このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。 特に、牛挽肉とマッシュポテトで作る「 ()」が有名である。 北朝鮮 [ ] では、1990年代後半から食糧危機が発生したが、この時政府()は「」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、二毛作方針を徹底した。 ジャガイモは白米に比べて、気候や土地に依存せず大量に生産できる。 このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。 保存 [ ] 品種の影響 [ ] 品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。 たとえば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(の原料の一つ)は、4月から6月頃の原料として使われる。 茹でた場合 [ ] 茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、滅菌状態ではおよそ1週間から2週間程度もつ。 ちなみにジャガイモ単独で茹でる場合は、皮はついたまま茹でた方が、ふっくらする。 茹でた場合、冷凍庫には決して入れてはならない(水分が分離してスカスカした食感になる)。 しかし、マッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。 貯蔵中の発芽抑制 [ ] ジャガイモから発芽した芽 収穫後2か月から3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。 しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。 発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やでんぷん原料用では減耗やの低下、品質の劣化が起こる。 そのため、貯蔵中の発芽の抑制のためいくつかの方法を用いる。 最適な貯蔵温度は品種によって異なる。 低温保存により、可溶性糖の含量が増える。 CA貯蔵 [ ] Controlled Atmosphere は、貯蔵する空間の気体の組成・湿度・温度を制御して鮮度を保持する方法。 のの長期貯蔵において一般的な方法で、ジャガイモでも実用化されており、8か月から10か月の長期貯蔵が可能である。 発芽防止剤 [ ] などでは、収穫後にという薬品を散布して発芽を抑制する方法をとる。 日本ではとして登録するで 、ジャガイモの発芽防止目的の使用は許可されていない。 この薬品は・米国・その他の主要ジャガイモ生産国では、やなどの加工用ジャガイモに普通に使用される薬品なので、これらの国から輸入するジャガイモ加工製品には普通に検出される。 放射線照射 [ ] であるを照射する方法がある。 から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。 ジャガイモへの放射線照射は1972年に(現)により認可されたが、1974年1月から道の許可を得て北海道の農業協同組合が実施しているのみである。 なお、日本において放射線のが認められている食品はジャガイモだけである。 エチレンガス噴入 [ ] 暗冷所にと一緒に保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。 これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生するガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果を持つことが証明され、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立された。 しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。 ただし、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。 リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。 主要病害虫 [ ]• ウイルス病• 糸状菌病• - ()を含む。 アイルランドのジャガイモ飢饉など寒冷地で幾度も飢饉を発生させた。 細菌病• zebra chip• () - ジャガイモに感染した場合はジャガイモ夏疫病という。 他の植物に感染した場合は、トマト輪紋病、ナス褐斑病と呼ばれる。 - ジャガイモシストセンチュウの類似種。 日本国内では長らく確認されていなかったが、2015年に初めて確認された。 類(ジャガイモヒゲナガアブラムシ、ワタアブラムシ、モモアカアブラムシなど) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• あるいは「ジャガイモ」を転じた「ジャイモ」「ジャガライモ」「ジャガタイモ」「ジャガタロ」「ジャガタ」「ジャカタ」「ジャガトライモ」。 あるいは「馬鈴薯」を転じた「バレンショ」「バレーチョ」「バレージョ」。 トウモロコシは温暖な気候に適した作物であり、3500 mを超える高地での栽培跡が確認できていない一方、ジャガイモは4000 m級の場所でも栽培跡が確認されている。 の人骨に含まれるたんぱく質から生前の食生活を解析した結果、主要な食料源はイモ類、豆類であったことが判明した。 として楽しまれていたが、16世紀の後半がジャガイモの若芽を食べてしまい、それに含まれている有害物質のソラニン中毒になったことなどもあり、普及が遅れた。 系統名から1972に交配が行われた可能性が高い。 育成者等は「ネオデリシャス」と呼んでいたが、原採種栽培での名称は「アンデス赤」となっており、一般には「アンデス赤」「レッドアンデス」、「アンデスレッド」「アンデス」等の名称で販売されている。 出典 [ ]• [ ] 2011年12月28日閲覧。 [ ]. 農林水産省. 2018年4月18日閲覧。 大修館書店『スタンダード英語語源辞典』• 小学館『西和中辞典』初版4刷 p1413,p1437• , p. 『南信州・上村 遠山谷の民俗』(長野県下伊那郡上村民俗誌刊行会編)• 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 下』佐久市志刊行会、1990年、1388ページ。 『岐阜県史』 [ ]• 2019年2月15日閲覧。 2019年2月15日閲覧。 高槻泰郎 2012年10月. IEBニュースレター. 経営研究所. 2017年9月28日時点の [ ]よりアーカイブ。 2017年4月6日閲覧。 日本経済新聞. 2017年11月28日 夕刊. 2017年12月6日閲覧。 要登録• 奥多摩町. 2018年4月23日閲覧。 林喜茂『アイヌの農耕文化』 1969年 慶友社 p84-85• - 山本は「中央アンデス高地の市で売られている多種多様な品種のジャガイモはアンデスの人々が何千年もかけて改良した結果に他ならない」と述べている。 - 山本は、同時にジャガイモの祖先種と見られるの存在についても言及している。 アンデスの歴史や文化について書かれた資料『新しい記録と良き統治』において、ジャガイモの植え付けを行う人の様子が記録されている。 石毛直道 『食文化探訪』 新人物往来社、1998年、 [ ]頁。 ラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』• では、イギリスへの伝播についてはスペインの船がアイルランド沖で座礁し、積荷のジャガイモが知られるようになったとする説や、航海家による説などが紹介されている• 神戸保「ジャガイモ」 pdf 『生活衛生』第29巻第3号、1985年、 177頁、 :、 2015年3月17日閲覧。 宮澤富美恵「甲州のジャガイモ栽培」『甲州食べもの紀行』、2008年• 2013年5月2日閲覧。 [ ]• 角田陽一『図解アイヌ』、2018年、134頁。 厚生労働省. 2011年6月9日閲覧。 農林水産省. 2018年5月6日閲覧。 下井俊子、牛山博文、観公子、斉藤和夫、鎌田国広、広門雅子「各種ジャガイモ中のグリコアルカロイド含有量調査」 pdf 『食品衛生学雑誌』第48巻第3号、公益社団法人 日本食品衛生学会、2007年6月25日、 77-82頁、 :、 、 2012年5月15日閲覧。 東京都福祉保健局. 2008年1月19日閲覧。 東京都福祉保健局. 2008年1月19日閲覧。 2008年2月14日閲覧。 2017年1月6日閲覧。 2017年7月25日閲覧。 2017年1月20日閲覧。 大澤俊彦「がん予防と食品」 pdf 『日本食生活学会誌』第20巻第1号、2009年、 11-16頁、 :、 2017年4月24日閲覧。 文部科学省. 2020年6月5日閲覧。 2018年4月18日閲覧。 : p. フード面. 2018年4月11日• 農林水産省. 2020年3月9日閲覧。 2017年6月1日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年1月22日閲覧。 日本いも類研究会. 2012年1月22日閲覧。 日本いも類研究会. 2012年1月23日閲覧。 日本いも類研究会. 2012年1月23日閲覧。 函館新聞 2010年7月25日. 2018年8月4日閲覧。 2019年3月30日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年1月3日閲覧。 日本いも類研究会. 2017年5月11日閲覧。 農林水産省農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター 2009年. 2018年8月4日閲覧。 浅間和夫. ジャガイモ博物館. 2019年3月31日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年1月23日閲覧。 米国ポテト協会. 2013年6月7日閲覧。 農林水産省. 2015年7月10日時点の [ ]よりアーカイブ。 2014年4月1日閲覧。 フジプラント株式会社. 2014年4月1日閲覧。 ホクレン. 2014年4月1日閲覧。 江藤守総「20周年にあたって」 pdf 『日本農薬学会誌』第20巻第3号、1995年、 407-414頁、 :、 2017年5月11日閲覧。 貞包眞吾; 酒井智代; 林明子; 大川秀郎 1998 英語 pdf. 除草剤クロルプロファムの免疫化学測定. 410-413. 永美大志「バレイショ加工品中の発芽防止剤残留」 pdf 『日本農村医学会雑誌』第45巻第1号、1996年、 19-23頁、 :、 2017年5月11日閲覧。 厚生労働省. 2014年7月14日閲覧。 朝日新聞デジタル. 2015年8月19日. 2015年8月19日閲覧。 参考文献 [ ]• 山本紀夫『ジャガイモとインカ帝国 : 文明を生んだ植物』東京大学出版会、2004年。 伊藤章治『ジャガイモの世界史 : 歴史を動かした「貧者のパン」』中央公論新社〈中公新書, 1930〉、2008年。 『日本の方言地図』533、〈〉、、1979年。 小机信行、水野進「バレイショのグリコアルカロイドに関する研究 第4報 発芽バレイショの部位別ならびに貯蔵バレイショのグリコアルカロイド含量の変化」『園芸學會雜誌』第58巻第1号、園芸学会、1989年、 231-235頁、 :、。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキスピーシーズに に関する情報があります。 :有毒にもかかわらず球根が食されていたがジャガイモが普及するととって替わられた。 :ジャガイモの原種ではないかともいわれる植物。 :ジャガイモとトマト、細胞融合による雑種の最初の例。 外部リンク [ ]• 食中毒 に関するリンク [ ]• 財団法人 日本中毒情報センター [ ].

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じゃがいもが救った世界の飢饉

ジャガイモ 飢饉

画像にアマゾンリンクを貼ってあります。 ジャガイモがアイルランドに導入されたのは一六世紀末頃らしいが、他のヨーロッパ諸国とはちがって、一七世紀には畑の作物として受け入れられ、一八世紀には主食として利用する人も少なくなかった。 (中略) アイルランドは北緯五〇度を超える高緯度地方にあり、約一万年前の洪積世まで全島が氷河でおおわれていた。 そのため土壌はうすく、しかもその土壌は気温が低いため作物の成育に適した腐植土に乏しい。 このような土壌や気候でもジャガイモはよく育ったのである。 それまでアイルランドの人々は、燕麦(えんばく)を主食にし、オートミールにして食べていました。 その他にはバターなど酪農食品を食べていました。 しかし、燕麦が不作になると冬に食料不足になっていましたが、それを補っていたのがじゃがいもです。 じゃがいもは生産性が高く、しかも栽培しやすい作物でした。 鋤があればじゃがいもを植え付ける場所だけ土を盛り上げそこだけを耕せばよかったのです。 耕地を全て耕す必要はありませんでした。 アイルランドはイギリスの支配下にあった 以来、アイルランドはイギリスの植民地のような扱いを受け、アイルランドのカトリック教徒は迫害されていました。 ジャガイモの歴史 「食」の図書館 - アンドルー・F. スミス-原書房2014を読むと、このように書かれていました。 イングランドのプロテスタントは、アイルランドを征服した後、異教徒刑罰法を通過させカトリック教徒が選挙で投票すること、公職に就くこと、教壇に立つことを禁止した。 教育は英国国教会に支配され、カトリック教徒は締め出された。 それ以上に深刻だったのは、刑罰法によってカトリックの土地所有が禁止されたことだった。 没収された土地は広大な区画に分割され、イングランドから移民してきたプロテスタントに分配された。 (中略) アイルランドのカトリック教徒たちの中でもっとも高い地位にあったのが、イングランド系プロテスタントが接収した広大な地所の一部を借りることができた小作農だった。 地主の多くは一年のほとんどをイングランドで生活していたので、小作農がしばしば地主の農作物、とくに穀類の手入れをし、アイルランド南部で広く飼育されていた地主の家畜の世話をした。 小作農は自分たちで食べるためのジャガイモを育てた。 小作農は地代を払わねばなりませんでした。 しかし、じゃがいもに関しては地代は払わなくてもよかったのです。 このような条件が重なり、じゃがいもの栽培が増加していきました。 ジャガイモがアイルランドに導入されてから一〇〇年ほどのあいだに、アイルランド人といえば「ジャガイモ好き」として知られるほどに彼らはジャガイモをよく食べるようになっていった。 そして、一八世紀の半ば頃には、ジャガイモがほとんど唯一の食糧といってもよい位置を占める。 『世界を変えた植物』を書いたドッジによれば、当時、アイルランドを旅行したある人は、「ここでは一年のうち一〇ヶ月はジャガイモとミルクだけで過ごし、残りの二ヶ月はジャガイモと塩だけ食べている」と記録しているほどである。 実際、当時、一人のアイルランド人が一日に消費するジャガイモの量は一〇ポンド(約四. 五キログラム)に達していた。 ジャガイモは栄養豊富と書かれていましたが、以前、 じゃがいもの栄養成分を調べてみたという記事を書いて調べています。 その時につくった栄養成分表を持って来ましょう。 品種などの違いがあるかもしれませんが、概ね変わらないと思います。 栄養成分がないわけではありませんが、栄養豊富とまではいえない。 しかし、じゃがいもを1日4. 5キロ食べるなら話は別です。 この成分表に書かれた数字の45倍の成分を食べることになります。 8g たんぱく質 1. 6g 脂質 0. 1g 炭水化物 17. 6g カリウム 410mg カルシウム 3mg マグネシウム 20mg リン 40mg 鉄 0. 4mg 亜鉛 0. 09mg ビタミンB2 0. 03mg ビタミンC 35mg 食物繊維総量 1. 3g 昔、日本でも「一升めし」を食べる人がいたそうですが、考え方は同じです。 アイルランドでのじゃがいも生産拡大とともに人口も増加したそうです。 一七五四年に三二〇万人であった人口が、それから一〇〇年足らずの一八四五年には約八二〇万人まで増加したのである。 じゃがいも大飢饉 この直後、1845年8月16日に雑誌で、イギリス南部のワイト島でじゃがいもに新しい疫病が発生したと報じました。 その疫病は、まず葉に斑点が広がり、やがて黒色になる。 そのあと壊疽(えそ)は茎やイモにも広がり、悪臭を発するようになる。 この時はまだ対岸の火事でしたが、それでも被害を受けました。 じゃがいもの生産は半分になったと推定されました。 この年だけで疫病がおさまれば問題がなかったのですが、翌年、1846年になると被害はもっと増えます。 こんどはジャガイモの九割が疫病にやられた。 これに厳しい冬の寒さが追いうちをかけた。 一一月には豪雪が襲い、人びとは草を燃やして何とか寒さに耐えた。 一八四八年には再び深刻な飢饉におちいり、餓死者が続出した。 「大飢饉」とよばれるゆえんである。 しかし、実際には食糧不足で餓死する人よりは、病気で死ぬ人の方が多かった。 栄養不足で体力の弱った人たちを様々な病気が襲ったのである。 病気は、チフスと回帰熱(ノミやダニによる)のほか、はしかや赤痢、コレラなども流行したとあります。 また、緊急に買い入れられたトウモロコシを食べていた人の中には、ビタミンCが不足して、壊血病になる人もいました。 じゃがいもを食べていればビタミンCがあるので壊血病にはなりません。 この病気による死亡は一八五一年になってようやく下火になったが、それまでにこの「大飢饉」によってアイルランドで失われた人口は一〇〇万人に達するということで歴史家の見解は一致している。 あまりにも死亡者が多かったため棺桶も墓もまにあわず、そのままの状態で荷車によって運ばれ、遺体はまとめて埋葬された。 このような状態で、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど英語の通じる国へ移民する人も多数いました。 アイルランドを去って行った人は150万人に達するとされます。 後にアメリカの大統領になったJ・F・ケネディの祖父は、大飢饉がおこった1848年にアイルランドを捨てアメリカに移住したのだそうです。 大飢饉の原因と結果 この大飢饉の原因は、もちろんじゃがいもの疫病にあります。 原因菌 この病気のもとは、当時は知られていなかったが、真菌類のフィトフトラ・インフェスタンスであり、これに侵されたジャガイモはジャガイモ疫病になることが知られている。 おそらくアメリカ大陸からもたらされたものだと考えられている。 真菌類は、細菌とは違います。 カビの仲間です。 フィトフトラ・インフェスタンスを調べてみると、タキイ種苗のサイトにありました。 ナス科の植物(トマト・ジャガイモ・ピーマン)に共通して感染するそうです。 このページを見ると、侵されて黒ずんだトマトなど見ることができます。 代替作物がなかった あまりにもジャガイモに依存しすぎたせいで、飢饉のような非常時に代替作物がなかったからである。 さらに、この状態に拍車をかけたのが、単一品種ばかりを栽培したことである。 ジャガイモには数多くの品種があるが、アイルランドでは一九世紀の初め頃からもっぱらランバーとよばれる品種のみを栽培するようになっていた。 (中略) したがって、ある病気が発生すれば、それに抵抗性をもたない品種はすべての個体が同じ被害を受けることになる。 おそらく、栽培が簡単でおいしいじゃがいもがあれば何とかなると思って、じゃがいも農家はじゃがいもが病気になることなんか考えていなかったのでしょうか。 しかし、 ジャガイモの歴史 「食」の図書館 を読むと、それまでも何度も不作になることはあったようです。 ジャガイモはさまざまな病気に感染しやすく、1700年から1844年にかけてアイルランドが疫病や気象異常に見舞われるたびに不作になった。 不作は飢饉と死をもたらした。 多くの場合、不作は一部の地域で食い止められるか、1年持ちこたえれば何とかなった。 大飢饉が起きているのに穀物が輸出されていた 食料が足りなくなれば、緊急に輸入して国民に配給する必要があります。 しかし、アイルランドはイギリスの植民地扱いだったので、イギリス政府がその手当てをしなければいけなかったのですが、それをきちんとやらなかった。 ただし、大飢饉のすべての原因をジャガイモの疫病だけのせいにするわけにはゆかない。 当時、アイルランドがおかれていた社会的状況も考慮にいれなければならない。 先述したように、当時のアイルランドはイギリスの植民地のような状態にあり、農民は貧困にあえいでいた。 そのような状況の中で飢饉がおこったわけだが、政府は十分な対応策をとろうとしなかったのである。 食糧不足を解決するためには海外から安価な穀物を早急に輸入する必要があったが、これは穀物の価格維持を目的とした法律、いわゆる穀物法のために実行が困難であった。 また、自由市場における放任主義、いわゆる「レッセ・フェール」も対応のまずさに拍車をかけた。 その結果、政府による穀物輸入はほとんど実施されなかった。 さらに、国外への輸出に対する規制も行われなかったため、数多くのアイルランド人が深刻な飢餓状態にあるにもかかわらず、穀物はアイルランドから失われる一方、という異様な状態にあったのである。 文中の政府は、イギリス政府のことです。 穀物法は自国の穀物価格を高く維持し、安い穀物を自由に輸入できないよう高い関税をかける保護貿易のための法律です。 レッセフェールの記事は、ウイキペディアにありました。 レッセフェールとは、フランス語で「なすに任せよ」の意。 経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。 自由放任主義(じゆうほうにんしゅぎ)と一般には訳される。 () アイルランドでも穀物はつくられていましたが、それはイングランドの地主のものであり、アイルランド人を助けるために使われるのではなく、アイルランド国外へと持ち出されていたのです。 ジャガイモの歴史 「食」の図書館 を読むと、もっと詳しく書かれていました。 1846年7月には、疫病はアイルランドのほぼ全域に広がり、ジャガイモの収穫量は88パーセント減少した。 アイルランドのジャガイモは、ほぼ壊滅した。 ここにいたってようやくホイッグ党政府はアイルランドのために食料を購入しなくてはならないという結論に達したが、もはやイングランドにもヨーロッパ大陸にも食料はほとんど残っていなかった。 1846年は、ヨーロッパ全土でジャガイモも穀類も不作だった。 自国民の飢えの苦しみを軽減するために、ヨーロッパの国々は食料の輸出を禁止する法律を次々に通過させていた。 アメリカからトウモロコシを追加購入せよという行政命令が下されたが、すでに手遅れだった。 ヨーロッパの他の国々がトウモロコシを手に入るかぎり買い占め、来夏の収穫分についても予想される収穫を上回る量を注文していた。 (中略) ジャガイモは不作だったが、それでもアイルランドはこれまで数十年間農作物を輸出してきた豊かな農業国だった。 ジャガイモは、アイルランドの総農業生産の20パーセントを占めるに過ぎず、穀物の生産量はジャガイモの生産量を上回っていた。 しかし、アイルランドの農業を牛耳っていた商人たちは、空腹にあえぐ同郷人に安価に食べものを提供するより、食料を国外に輸出して大きな利益を得ることを選んだ。 ホイッグ党政権は、ヨーロッパの他の国々に倣って海外への食料販売を法律で禁止するどころか、アイルランドの農作物を高値で販売することを許可した。 ウイキペディアには、これまでの大飢饉の話が、という記事にまとめられていました。 この中で印象に残るのはこの部分です。 アイルランドは飢饉の続いた5年間のほとんどを通して、食料の純輸出国であった。 () そして、大飢饉から150年後、このようになります。 1997年、イギリスのトニー・ブレア首相は、アイルランドで開催されていた追悼集会において、1万5千人の群衆を前に飢饉当時のイギリス政府の責任を認め、謝罪の手紙を読み上げた。 これはイギリス政府の要人からの初めての謝罪であった。 () よく読まれた記事• 11,176件のビュー• 8,925件のビュー• 8,465件のビュー• 7,798件のビュー• 7,682件のビュー• 5,928件のビュー• 5,781件のビュー• 5,315件のビュー• 5,247件のビュー• 4,720件のビュー• 4,453件のビュー• 4,268件のビュー• 4,237件のビュー• 4,131件のビュー• 4,130件のビュー• 3,976件のビュー• 3,809件のビュー• 3,536件のビュー• 3,488件のビュー• 3,442件のビュー 新しい記事• 2020年6月3日• 2020年5月21日• 2020年5月19日• 2020年5月17日• 2020年2月27日• 2020年1月31日• 2019年11月8日• 2019年10月29日• 2019年9月30日• 2019年9月21日.

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ジャガイモ 飢饉

ジャガイモ飢饉 1800年代のアイルランドの貧しい家庭ではジャガイモが主食になってました。 飢饉が起こる直前では食料の3割がジャガイモだったんですね。 そんな中1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けます。 アイルランドの人口推移 画像は、アイルランドの人口の推移です。 本来人口は右肩上がりで伸びていきます。 この時代のヨーロッパは、ほぼ右肩上がりです。 アイルランドだけが特殊な推移をしています。 ジャガイモ飢饉を作った人災 ジャガイモが疫病で飢饉が起こった時期は、アイルランドの貴族や地主は、ほとんどが隣のブリテン島に居たため直接的な被害を免れています。 しかし、 自分たちの地代などを心配して、アイルランドへの食糧輸出を反対したり、逆にアイルランドで採れていた小麦を輸出させていた。 こういったことをと言うそうです。 最近は北朝鮮のマツタケが高値で輸出されているのがそうですね。 北朝鮮の外貨獲得のため餓死者が出ているにも関わらず、食糧が輸出される。 輸出したお金が多くの食料になり戻ってくれば良いのですが、そうはならないことがほとんどです。 当時の連合王国としても救済食料の援助なども検討したけど、予算を惜しんだりして間接的な救助をします。 しかし、 土地を持たない人への救済処置と限定されたため、土地を二束三文で売る人がでて、食糧生産基盤が壊滅的となり、飢餓を長引かせることになります。 つまり、ジャガイモ飢饉になった時に、その後の対応がひじょーに悪かった。 150万~200万人がアイルランドから消えたと言われています。 その後の戦争などで、資料がなく被害ははっきりしてないのふです。 100万人の人が飢餓で無くなった、また別の100万人は国外脱出し、アメリカへの移住者したなどと言われています。 また、その後の疫病も関係しているとか? アメリカへ移住したアイルランド人 アメリカへ移住しても差別などひどく、大変な思いをされることになりますが、しっかり、アメリカに根づき、また成功されている方も数多くおられます。 米国のアイルランド系移民の有名人には、J. ケネディ、ロナルド・レーガン、ヘンリー・フォード、ウォルト・ディズニーであり、最近ではオバマ大統領がそうなります。 ジャガイモ飢饉の結果 ・飢饉の際の連合王国政府の無策はアイルランドのイングランドへの不信感を増幅させ、宗教政策ともあいまって独立運動のきっかけとなった。 ・連合王国政府の行動が意図的な飢餓輸出かそうではなかったかについては、いまだに歴史的評価が定まっていない。 ・犠牲者の多くが被支配層のアイルランド人で、彼らは主にアイルランド語話者であったが、その人口減に加え、残ったアイルランド人もその後の政策や生活上の便宜から英語を話すようになったため、アイルランド語話者の比率が回復不可能なほど激減して英語の優位が確立する結果となった。 周りの人たちが飢餓にによって徐々に痩せほそり、食糧の奪い行いがあちこちで起こり、体力の子供やお年寄りから亡くなっていくなんて、今の日本では想像が付きません。 それが人災によって長引き苦しい時代がアイルランドの人たちを襲います。 それがイギリスとアイルランドの間に長い溝になるのはよくわかります。 実際の飢饉は4年ですけど、後遺症がすさまじいですからね。 アイルランド語を話せる人が激減して、保護対象の言葉になっているらしいですからね。 北アイルランド人の複雑な思い シティがありヨーロッパでも有数の大国イギリスが隣にあっては、いやいやでも仲良くしなければならない現実があります。 アイルランドの一部である北アイルランドは経済的な理由からイギリス領に残ることを選びます。 しかし、今回のイギリスの国民投票で、残留派が多かった北アイルランドは、アイルランドと統一に向けて国民投票が行われるかと思われる。 EU離脱したイギリスの経済力が低下すると見る人は多いので、経済的理由でイギリスの一部になることを選んだ人は、北アイルランドになることを選ぶ人も多いかもしれません。 イギリスだけじゃなく、アイルランドやスコットランド、ウェールズには今後も注目ですね。 しかし、イギリスは知れば知るほど複雑で凄く不安定な国なんですね。 では、イカよろしくー.

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