ミッドサマー ジョシュ いびき。 my lips are sealed

ミッドサマーの10ku0のネタバレレビュー・ 内容・結末

ミッドサマー ジョシュ いびき

ミッドサマーを3回観た。 途中退席した人もいるというのになんて悪趣味な奴だと思われても仕方ないのだけれど、この映画が傑作であることは間違いないと思う。 早くも今年ベストに食い込むだろうな、というくらいにはハマった。 ということでブログを書こうと思った。 まずはネタバレなしで。 観た、と言うと「ホラー映画なの?」「グロいんだって?」とよく聞かれる。 結論から言えばどちらも正解。 ただし、ホラー映画を観に行くつもりでいかないほうがいいかもしれない。 本人もインタビューなどで言及している通り、ホラー映画というジャンルではあるものの様々な側面をもつ映画。 観慣れたものは確かに安心できるけど、観客が怠けちゃう。 僕は平手打ちを浴びせたくなるんです。 個人的には、監督の長編デビュー作『ヘレディタリー 継承』を観ておいたほうがいい、と思う。 これに耐えられなければ間違いなく耐えられないと思う。 色々な意味で。 私はもともとホラー映画には苦手意識を持っていて、というのも、ワッ! と驚かされるような演出が苦手で、なんとなくホラー映画は避けていた。 一方で、後味の悪い映画、暗い映画は大好き。 残酷描写にも大して動じないことにも最近気づいた。 ヘレディタリーがやたらと高評価を受けていたので勇気を出して観てみたらワッ! のないホラー映画で、最高に暗くて後味が悪くて大ハマりした。 あの不穏な空気……それはオカルトな要素の恐ろしさでもあり、機能不全に陥った関係性という人間の恐ろしさでもあり……言いようのない「嫌な感じ」が全編に付きまとう。 あの雰囲気が気に入ればぜひミッドサマーにも挑戦していただきたい。 逆に、あの雰囲気に退屈さを感じてしまったり、必要以上に不安を覚えてしまったという人には、個人的にはミッドサマーはおすすめできない。 2時間半もある映画だ。 時間は大切に使おう。 それから……これまでにの経験、バッドトリップの経験がある人はあまりのめり込んで観ない方が良いと思う。 これは自分も前情報なく見てしまってちょっと危なかったので、ネタバレになっちゃうかな、なんてことは一旦考えずに書いておこうと思う。 それではここからネタバレありで『ミッドサマー』について書いていく。 また、『ヘレディタリー』の内容についても軽く言及することがあるのでご注意を。 見たくない方はここでさようなら。 *** (前置きに次ぐ前置きで恐縮だが)この記事を書くにあたって、気になった点ごとに書くか、ストーリーの流れに沿って書くか迷った。 後者のほうが流れが良いのでその方向で書いていく。 ただ、前者については映画全編にわたって偏在しているので先に箇条書きにしておき、都度言及することにする。 ~気になりポイント~ ・オープニングの妙 ・鏡に映る者は招かれざる客? ・嘘まみれのホルガ ・『ミッドサマー』はホラー映画なのか? まずオープニング、ーが現れる。 ここに全部ストーリーは書いてある。 そしてそれが左右に紙芝居のように割れて、はじまりはじまり。 あの絵はホルガに伝わるーと同じ図柄で、まぎれもないダニーとその家族、クリスチャン、マーク、ジョシュ、ペレの姿がある。 ひょっとするとホルガに残ったダニーが語った内容を基にホルガの村人が描いたのではないか? とも考えられる。 『ヘレディタリー』でもオープニングはミニチュア作家の母親のミニチュアハウス内で起こった=すべて妄想? または悪魔ペイモンが作った映画?(こちらの解釈は監督の意図でもあるらしい) ともとれるような不思議な始まり方となっている。 ということで開始0秒っかりと不安の種が仕込まれている。 冬のらしき風景と、民謡のような歌声が流れる。 その歌もホルガで歌われるものと酷似している。 あの風景はホルガのあるランドなのだろうか。 雪が降りしきる映像は静謐で、人の気配はなく、ホルガの人々は本当にあの雪の中で暮らしているのだろうか……と勘繰りたくなる。 それを眺めているとちょっとびっくりポイント、電話のベルがけたたましく鳴り響く。 2回目鑑賞のときに気を付けて見てみると……やっぱりしてる。 ガスの音がもうしてる。 留守電の音声のホワイトノイズかな? と思ってスルーしてしまいそうなギリギリのところ。 巧妙である。 このときまだ父親の腹が上下して呼吸をしているのがわかる。 もし電話に気付いていれば……? もしくはもう既に意識が朦朧とした状態だったのかもしれないが…… ダニーはの妹の言動に振り回され、不安のような状態になっている。 恋人のクリスチャンにもそのことは話しているようだが面倒がられているのではないか? と後ろめたく思っている。 ということを女友達に電話しているシーンが入るが、この子と話すことではテリーの件についての不安は拭えないのだろうか? ダニーのクリスチャンへの依存心が垣間見える。 それにしてもクリスチャンの「君が甘やかすからだ」という発言は思っていても言っちゃダメなやつだろ……と思ったが。 後にダニーは心理学を学んでいることが明言されるし、妹や同じような人の助けになりたい気持ちからその道を選んだのかもしれない。 ここで場面が変わりクリスチャンとその取り巻きたちの会話が挟まれる。 そこでのダニーは鼻つまみもの。 早く別れろと言われている。 すぐ次の女が見つかるぜ、なんて言っているのはマークだけで、ジョシュは博士論文のテーマも決まっていないのに女絡みで悩み事を作っているなんてばかばかしい、というニュアンスの助言。 ペレは「夏はに行く」ということしか言わない。 実は彼らそれぞれが何を目的としているか、はっきりと描かれている場面だ。 テリーは本当に「パパとママと一緒に行」っていて、ダニーのメールは一通も届いていなかった。 その報せを受けたダニーは取り乱し泣き叫ぶ。 あれは「家族を失って悲しい」の泣き方ではない、と思う。 私はあれほど悲惨な体験をしたわけではないし個人差もあるとは思うが、の時に悲しみや苦しみが延々頭の中で繰り返される状態に陥った時に似たような経験がある。 とにかく大きな声でワーワー喚くことになる。 フローレンス・ピューの泣き叫ぶ演技を見て、クリスチャン訳のジャック・レイナーは自然と抱きしめることしかできなくなったという。 冬から夏に場面は変わり、抜け殻のようなダニー。 クリスチャンとは結局まだ別れていない。 あんなことがあったあとでは別れ話もしづらいし、何よりクリスチャン自身が「助けにならなければ」と思ってしまったのだろう。 ダニーのベッドのところには(言うまでもなくその後の二人の運命を暗示する)クマと女の子の絵。 これはの画家の絵だそうで、この映画のために描かれたものではないらしい。 パーで突然、二週間後にへ行くことになっていると聞かされて困惑するダニー。 クリスチャンのことだから本当に言い出せずにいたのだろう。 部屋に二人で帰ってきて、ドアの前に立ちはだかってその話をはじめるダニー。 クリスチャンは鏡に映っている。 相手と物理的には向き合っているはずなのに、精神的には向き合えていない……というメタファーだろうか? ダニーの言うことは「話し合いたい」「理解しようとしてるの」。 いや、話し合ってどうなる? 理解できないから混乱しているのではないの? とツッコミどころだらけだし、その言動は「はっきり言わなかった」というクリスチャンの行動(結果)を責めることにしかならない。 話ができない状態の相手に「話し合おう」と求める、滑稽で、なんとも壊滅的なシチュエーションだ。 ダニーへの気持ち それは思いやりでもあり、面倒臭いという本音でもある のせいで物がはっきり言えないクリスチャン、はっきりしないクリスチャンにやきもきするけれど結局頼ってしまうダニー、二人は立派なルだ。 そしてなんやかんやでへ同行すると決めるダニー。 ダニーは妹に家族ごと連れていかれたこともあり「置いていかれる」ということに強い不安を感じているから、妥当な選択だ。 ジョシュ、マーク、ペレと溜まっている部屋にダニーがやってくるシーン、またクリスチャンが鏡に映り、話を合わせてくれなんて言い出す。 「面倒事に巻き込むなよ」という白々しい雰囲気が流れる。 そしてそのまま鏡にダニーも現れる。 (ちなみにこのシーンでダニーのパーカーの紐が左右でばらばらの長さになっていることで精神の不安定さが表されている、という考察も見かけてニヤリ。 細かすぎて伝わらないミッドサマー。 ) マークはクリスチャンに「これを見てくれ」とか言って別室に連れて行ってしまうし、ジョシュは本を読むのもやめて何やら食べ物を温めに席を立つ。 ダニーに寄り添ってくれるのはペレだけ。 祭についてはふんわりした説明とな写真を見せるのみでなんとか旅行に来てもらおうと営業をかける。 さらに共感の度合いを深めようと僕も両親を亡くして……と隙あらば自分語り。 唐突に家族の話をされたダニーはパニックを起こしてしまうのだが……。 そこでTシャツが変わった? と思ったらそこは既に飛行機の中。 飛行機の中でもパニックを起こして泣いている。 どう考えても旅行、ましてや飛行機に乗って海外旅行なんてするべきでない体調だろう。 ランドへ入っていくカメラワークはへ足を踏み入れたことが猿でもわかる不穏さで、観客は来た来た来た~! と期待に胸を膨らませる。 悪夢の始まりだ! いや、もう始まってるけど……。 「その事件で本編撮れるよね?」くらいの出来事のはずなのだが、映画全体で言えば起承転結の「起」、頑張っても「承」でしかない。 新手の試し行動か? 監督怖い。 ホルガ近くの原っぱに車を止め、ペレの疑似家族たちとあいさつを交わす。 眺めのいいところでダニーも思わず笑顔。 しかしいきなりハーブ? キノコ? を勧められる。 ためらうものの流れでマッシュルームを飲んでしまうダニー! ここでバッドトリップかと思いきや、ダニーはグッドなほうのトリップ体験をする。 あたかもここでダニーがバッドトリップしているかのような書かれ方をしているネタバレ感想記事があったがそれは違うぞ、と反論させていただきたい。 トリップ経験のない方には伝わらなかったようだ……(安心してください合法です) このときバッド入ってるのはマークだけ。 「新しい人間は嫌だ!」「みんなも横になろう」とパニックになっちゃっている。 ダニーは呼吸を深くして、手からは草が生え、木の幹は波打って呼吸し、自然と一体化している……ところがペレが「家族」というを口にしたせいで突然のバッドトリップ。 落ち着こうとトイレに逃げ込むも、明かりをつけた瞬間鏡に一瞬、最も見たくないであろう幻覚を見てしまう。 自分の顔もなんだか歪んで見えて、前後不覚に陥り森の中へめちゃくちゃに駆けて行ってしまう……。 ここの急激なバッドトリップ描写は経験者にはかなりキツいものだった。 パニックになって感情が爆発した後にコテンと眠ってしまう(それも、深い深い眠り)ことがあった。 ダニーもそういう状態だったのかもしれない。 日付が変わって起こされて、ようやくホルガへ向けて出発となる。 笛の音に導かれる一行はまさに誘拐される子供たちだ。 もう一つオマージュというか、暗示されているものがあるとすれば。 もしかしたら劇場の予告編で主演『ジュディ 虹の彼方に』にチラッと映ったのを見た人もいるかもしれない。 あの黄色のレンガ道のように黄色い花がぽつぽつと咲く道。 家に帰りたいドロシー(ダニー;主人公の女の子、そして、家族はもういないのでホルガに帰属することが「家に帰る」という望みを叶えることになりうる……)、臆病なライオン(クリスチャン;見た目は屈強だが煮え切らない性格)、カカシ(マーク;脳がない、つまりバカ。 Skin The Foolされてしまう彼がバカなのはもう火を見るよりも明らか)、ブリキの木こり(ジョシュ;心がない、ホルガは友人の故郷というよりも自分の論文のネタ)。 公式のネタバレサイトには載っていなかったがかなり意識されているのでは、と個人的に思っている解釈だ。 さて、ホルガのあの太陽のような形の門をくぐるとダニーはなぜか「家族」というワードが出ても一切パニックを起こさなくなる。 ダニーにとって何か共鳴するものを感じたのだろうか? ホルガに辿り着くやいなやジョシュはその文化に興味津々で、しきりに写真を撮りメモを取りながら歩き回る。 「インドにも同じような信仰がある!」とか言いながら。 をベースに独自の信仰を作り上げていったらしいホルガの人々には特に反応されないにも関わらず……。 そういえばその日はダニーの誕生日。 ペレに言われて気づいたクリスチャンが、これまたペレが用意したケーキの切れ端にキャンドルを差して渡すけれど全然火がつかない(なんでだ? また不穏)。 ハッピバースデートゥーユーファーック……に笑ってしまう。 やっと点いた蝋燭の火を吹き消すダニー、ホルガの呼吸法(ホッ・ハッ!)みたいになっていてゾッ。 そろそろ例の儀式について書いていこう。 みんなのお待ちかね、アッテストゥパン。 儀式の前の食事シーンから気になっていた老女イルヴァの表情。 演じるダンが終始無表情なのに比べて、明らかにこの後起こることを見据えた厳かな表情。 心して最後の食事をし、歌い、盃をかかげているように見える……ともすれば恐怖を抑えている表情ではなかっただろうか? (これは完全に私が得したいだけなのですがアッテストゥパンの儀式が始まる前のとあるワンカット、カメラをちらりと振り返る男の子の名前がわかる方いたら教えてください。 大変な美少年だったので追いたい。 ちょっとやっぽい感じの中性的な顔立ちをした若い男の子です。 ) 結果としてイルヴァは頭から石盤に激突して即死、一方でダンはすとーんと足から地面に落ちてしまい死に損なうというのはなんとも皮肉。 そして痛みに呻くダンを見て、ホルガの人々も辛そうに呻き、泣き声のような声を出し始める。 どうやらホルガでは前に立つ者がいればその人と感情を共有することになっているらしい? 苦しむダンの頭部、というか、顔面……あの、の……美しいタジオの……顔めがけてハンマーを3度も振り下ろしド頭をカチ割る。 キャスティングに含みがありすぎる。 さすがに3回も殴るのは笑ってしまった。 少しシーンが戻るがイルヴァが飛び降りる寸前、ダニーの目が吸い込まれるような演出がなされ、飛び降りる瞬間は驚いてクリスチャンの腕を握るけれどもその後は膜がかかったように状態になる部分でふとの『』を思い出した。 の人間は思考がネガティブに傾くので、悪いこと・悲劇的なことが起こる際にも逆に他者より冷静でいられるというあれだ。 もちろん凄まじい儀式を目にしてショックを受けているようにも見えるが、ダニーは「ああ、飛び降りるんだな」「ああ、死んでしまったな」とどこか冷静な自分がいることに嫌悪感を覚えたのではないだろうか? 家族を自殺で失った者として、死の予感に人一倍敏感であることは想像に難くない。 ダニーたちだって、サイモンやコニーのようにFワード連発で取り乱してもよかったはずだ。 もしあの場にバカのマークがいたら同じように大騒ぎしたのではないだろうか。 しかしジョシュはアッテストゥパン(崖)という言葉から薄々意味に気付いていたし、クリスチャンも人類学を学んでいるせいか「人の死」というより「異国の土着宗教の異常な儀式」という認識に落ち着いたのかもしれない。 なんなら、「これ論文のテーマいけるやん」くらいに思ったのかもしれない。 それで宿舎でのあの会話だ。 ジョシュがホルガにやってきたのは初めから論文を書くためだった。 それなのにポッと出のクリスチャンが同じテーマで書くなんて言い出す。 悲しいしそんな奴だと思わなかった! と責める(それでもかなり言葉を選んでいたよジョシュは……)。 そこで返ってきた言葉、何だったと思う? 「知るか(Fuck you)」だ。 クリスチャン理不尽かわいそう派はこの部分をもう一度思い出してもらいたい。 十分クソ野郎じゃないか! (もちろんどんなクソ野郎でも殺してよいことはならないが) 本当にアッテストゥパンを見てインスピレーションを受け、ジョシュに頼み込んで協力させてくれと言うならまだしも、その後の裏をかいて、先手を打って……という行動から、そんな謙虚さは持ち合わせていないことがわかる。 この出来事によって、〈グダグダルの〉に続いて〈学生同士の、博士論文をかけた水面下での争い〉という新たな人間ドラマのレイヤーが追加される。 サイモンとコニーは逃げ出そうとするがうまいこと離ればなれにされてしまう。 コニーの叫び声にはみんなそれぞれ気づく素振りをするのに、誰かに聞くこともない。 実際に置いて行かれる悪夢も見る(あのマークの顔が怖いわ)。 妹と両親も登場する。 妹だけこっちを見ているのはなぜなんだろうか。 食事の前にはクリスチャンに「あなたも同じことをしそう」なんて言ってしまう。 その食事の前にはジョシュ、クリスチャンそれぞれが取材をしているし、ダニーはクリスチャンに放っておかれてるし、マークは先祖の木放尿事件を起こしてウルフに睨まれているし超険悪ムード。 いや、マーク、お前は自業自得だ。 そしてマヤの陰毛パイ登場。 ちゃっかりクリスチャンの分だけ石のお皿に葉っぱで印づけされているし、飲み物も彼の分だけ明らかに色が違う。 「陰毛じゃねえか!?」とざわついたあとにお口直しかのようにグイッと飲んでしまう経血ジュースに劇場中が苦笑 2回目に観たときは小さいシアターだったからか、かなり笑いが起きていて安心した。 ところで経血ジュースで疑問に思ったのだが、生理直後は比較的妊娠しにくいはずではないのだろうか。 私も時差ボケしていてあれが何日だったのかよくわからないのだが、少なくとも滞在8日目か9日目にはマヤと交わることになるわけで、「赤ちゃんを感じるわ!」と言っているところ申し訳ないけれど妊娠は若干無理がある気がする……。 考えられるのは、赤ちゃんは残念ながらできずにまた新たな血が連れてこられるのを待つ説、もしくは……これは本当に考えるだけで最悪な気分になるが……経血が保存されていた説。 オエー…… ここでカ組からも第一離脱者が。 もちろんあのバカで、最後の台詞「見せるそうだ」というのがまたバカすぎて笑ってしまう。 バカなので、皮を剥がれる。 その日の夜には完全に剥がれてさらにかぶれるよう縫われていたわけで、ホルガの人々の技術には関心してしまう。 ジョシュは好奇心と「クリスチャンの知らない情報を得なければ」というプレッシャーに負けて禁忌を犯す。 ルビ・ラダーをパシャパシャ。 ここでまた鏡が登場する。 長老と話していたときにはカーテンが閉まっていたのに! 背後からやってくるのはマークの皮を着たホルガの村人(マークにブチギレていたウルフという説もある)。 マークだと思った者が、マークだったものだった……と気づいた頃には隠れていた別の何者かに頭を殴られ、いびきのようなうなり声(あれはあの部屋で寝起きしているルビンのものかとも思ったけれど、ジョシュのもののようだ)を上げながらどこかへ引きずられていく。 ルビ・ラダーに手を出さなかったとしても生贄にされていたはずだが、どうしても気になるように仕向けたようにも思う。 機敏に動ける見張りもいない、鍵もかかっていない小屋にをしまっておく宗教があるものだろうか……? ダニーはこの頃から急激にホルガに同化していく。 お肉のタルトを作るのを手伝ったのに始まり、翌日からは長老に「女性たちと行動してくれ」と言われてその通りにする。 あの衣装も着て、ールダンスにも参加しちゃうのである。 ダンス中のダニーは、はじめは困惑しているもののどんどんと笑顔になり、楽しんでいる。 メイクイーンになってみんなに祝福されるダニーはまた困惑顔だ。 ベスト8に残ったときはあんなに楽しそうだったのに……これも死の予感に敏感なダニーの直感か? お母さん見かけるし。 それにしてもペレ、ちゃっかりダニーの唇に熱いキスをしている……彼の計画通りだったのかもしれない。 公式サイトのネタバレで一番痺れたのが、メイクイーンとして担がれていくダニーの背景の木々にテリーの顔(それも、ガス管がダクトテープで張り付けてあるあの姿)がされている、というもの。 知らないで観たら間違いなく気づかない。 たった数秒のカットの背景。 そんなところに妹の顔を仕込むなんて。 知ってから見るともう、物凄く怖い。 誰がこれを見ているだろうかという気持ち悪さ。 監督怖い。 2回目 ダニーはもう、「あなたは家族よ!」と言われても動じないどころか笑顔。 けれどもやっぱりクリスチャンが気になる様子は見せる。 クリスチャンも強烈な幻覚で酔ってしまっていて、正常な判断ができず導かれるままにマヤのいるあの小屋へ入ってしまうわけだ。 この映画の中でも特にトラウマシーンかつギャグシーンとして 悪 名高い、マヤとの性交(応援団つき)。 老いも若きも揃って全裸で歌っているだけでも壮観だし、不安がるマヤの手を取っておもむろにソロパート歌い出す女とか現れてカオス。 喘ぎ声を模倣した歌も始まる。 性嫌悪の傾向が強い人はこのシーンがかなりキツかったようだ。 もちろん誰でも気分のいいものではない。 薬でおかしくなっている状態なので実質同意のない性交、レイプだし。 あと個人的に、女性の裸がかなり苦手で、しかもそれがモザイクもなく何人も並んでいるので、怯んだ。 とにかく、あのシーンは性の滑稽さみたいなものを物凄く露悪的に描いている感じを受けた。 悲しいシーンだ。 メイクイーンと一緒にいた女性たちが、小屋から出て吐きながら泣き叫ぶダニーと一緒に叫ぶシーン、きっと一緒にウワーーッと言ったら気持ち良いだろうなと思ってしまった。 強烈な共感。 無理やりにでも同じ感情を表現するそれだけで、なんだかわかりあえるような気がしてくる。 自分が何度泣いて電話しても「頼らないし涙も見せない」クリスチャンより、言葉もあまり通じないけれど一緒にウソ泣きでもしてくれるホルガの人々のほうが頼る先(依存する先)として開かれているように感じられても仕方がない。 ダニーは共感がほしいだけなのだから。 さて、最後に生贄を選ぶシーン。 なぜクリスチャンを選んだのか? という点は様々な解釈ができるが、私が考えるのは、「クリスチャンとこれまで通り生きていくという選択肢がなくなってしまった」からだと思う。 ダニーにとって、頼れないクリスチャンは不要なのだ。 他のと性交していた、今は口も利けない、身体も動かない。 そんなクリスチャンはダニーにとって必要がなくなった。 それならばいっそ。 ペレは自分を大切にしてくれるし、村の女性たちはとても優しい。 だからといって生贄にしなくてもいいじゃないか、と思うかもしれないが、あの状態のクリスチャンを見ているのが辛かったというのもあるかもしれない。 家族もいない今、クリスチャンとの完全な別れが自分にとっての新しいスタートとなる、という考えもあったのではないだろうか。 最後に神殿に火を放ったとき、ウルフとイングマールは「痛みを感じない」「恐れを感じない」と言われてイチイの木からとった薬らしきものを口に含まされるが、思い切り火に焼かれながら絶叫していて、また笑ってしまった。 ホルガに染まってしまった者は、その嘘を死ぬ間際まで知ることがない。 90年に一度というのは全くの大ウソだろう。 計算が合わない。 72歳になったら飛び降りて一生を終えるのであれば毎年いてもおかしくないし、せいぜい「生贄を9人も捧げるのは90年ぶりだね~」くらいなのかもしれない。 外部からの人数と同じ数をホルガからも出さなければならないので、そんなことを毎年していたらホルガの人間がいなくなってしまうだろう。 そういえば、「私が去年の(または、一昨年の)メイクイーンです」といった紹介をした女性がいなかったのも不審だ。 去年のメイクイーンどこいった? ペレの両親が「炎に包まれて死んだ」というのもおそらくは生贄として生きながら焼かれたのだろう。 となると数年に一回は生贄を捧げていることになる。 もしかしたらホルガで生まれ育ったわけではなく、ダニーたちのように外部からやってきたのかもしれない……。 ダニーは神殿に火が放たれたのを見て、お花に埋もれて 今くるよ師匠みたいな状態でウワーンと泣きながらとぼとぼ歩いているんだけど、同じようにワーワー喚きながら取り乱すホルガの人々を見て、下がりきっていた口角をにっと上げて笑顔で幕を閉じる。 さすがに一緒にホルガへやってきた恋人と友人(の死体)が生贄として燃やされるのはショッキングだろう。 自分の感情を遠慮せず吐き出してすっきりして、一人先に穏やかさの境地に達しての笑みなのか ふと、この人たちは女王が取り乱しているから一緒に喚いているのだと気づき、「私が笑えばみんなも笑ってくれるかしら?」という女王の不敵な笑みなのか。 私の解釈はそんなところだ。 もちろん、意地悪な解釈をすれば「クリスチャン、ざまぁみろ」の笑み、とも言えるけれど、多分もうあの時点でダニーはクリスチャンなんてどうでもいいのではないかと思う。 もしにダニーが来ていなかったら? クリスチャンが生きて帰れたかどうかは怪しいし、家族にも恋人にも去られてしまうより、新しい「家族」を見つけられたこの幕引きこそがトゥルーエンドだったのでは、と考えてしまう。 *** ミッドサマー関連でちょっと面白かったツイートを引用。 『』まではまだ手が伸ばせていないですごめんなさい! 『』に『ヘレディタリー』論含むホラー映画論を寄稿した流れで、『ミッドサマー』も観たのですが、このお話は舞台をアフリカ大陸にすると今の公の世には出せず、中国〜東アジアでも紛糾必至で、でも「文化の無断流用」のはありそうなところ、なら何とか通るんだ — HWAshitani 舞台がでなく、アフリカやアジア、であったら? という問題提起にハッとさせられる。 白夜という装置が果たしてどのように作用したかには疑問が残る。 「一度も太陽が映らない」という指摘も既にある。 改めて考えてみると時差ボケがキツそう、自律神経が乱れてバッドトリップしやすくなるのかな~くらいの効果しか思い浮かばない。 例のセックスしないと出られない部屋なんて、わざわざ薄暗い小屋になっているし。 しかしながら舞台を北欧としたことについては、ツイートのツリーに言及のあるフリーセックス・処女の泉……といったイメージをさておいてもある程度の整合性というか、必然性を感じることもできた。 昨年のや先月のトーキョーフェスティバルで北欧の映画に触れる機会に恵まれ、その中での信仰が古くからあるため「は新しい宗教だ」と認識されることもままあるということ、そしてはで、様々のカルト的新興宗派が存在しているという現状について学ぶことができた。 (確かそれはの映画だったかな。 ) ジョシュが作中で言及する通りホルガの文化は様々な信仰の寄せ集めのようだ。 それを私たちがやたらとリアルに感じられるのは日本人特有の宗教への無関心と同居するのおかげなのではないか? と考えている。 泣き止まない赤ん坊の枕の下にハサミを置くシーンがある。 どこかの国の文化でそういったものがあるのかと調べてみたけれど、日本の魔除けのおまじないしかヒットしなかった(もし情報があればぜひ教えてください)。 ちなみに予算の関係でではなくで撮影されたらしい。 そういえば衣装の白い布に鮮やかな刺繍にはっぽささえあるかもしれない。 さらに、を書いているルビンの扱いもなかなか見るに堪えない部分がある。 彼は身体的には障害があったがなぜか「認知に」曇りがないと表現され神聖視されている。 上手く話せないようではあったけれども、知的障害については一切不明だ。 最も問題だと思ったのはマヤとクリスチャンの交わりが、彼の寝起きするあの小屋で、彼がいる状態で行われていたこと。 完全なじゃあないか……。 もちろんフィクションなのでそれを批判するつもりはない。 それでも前述のとおり、壊れかけた恋人関係の、略奪愛、学生同士の博士論文をかけた情報戦、祭の儀式を行うカルトの信徒、絶望を味わった主人公が救済を見出す……といった人間ドラマのレイヤーが幾重にも張り巡らされているので、観々は「あれはホラー映画ではない」と言う。 幻覚は見ても幽霊は出てこないし、この映画はどこまでも人間の映画だ。 そして何度も観ることで、様々なレイヤーに注目して鑑賞することができ、より面白くなる。 ちなみに私が劇場で3回も観た映画はまだくらいしかなかった。 ところで、ディレクターズカット版が来週から劇場公開されることになったようだ! …………………… 4回目か…………………… ホッ・ハッ! ddtmk.

次の

ミッドサマーの10ku0のネタバレレビュー・ 内容・結末

ミッドサマー ジョシュ いびき

不穏なほどハッピーなツイートがタイムラインを彩って気になるので、観てきました。 「ミッドサマー」。 そんな私が映画館で観て大丈夫かしら…でも 北欧旅行好きとしてはの白夜が舞台なのは気になる…ということで行きました。 きっと、後味わる〜い感じになるんだろうなぁ…と思っていました。 人間の恐ろしさを血みどろに描いてくんだろうなぁ…と思っていました。 まさか、最高に爽やかで、幸せに満ち溢れた笑顔でエンドロールを迎えることになるとは、思っていませんでした。 見終わった瞬間に「また見たい!!」と思ったし、サブスクで配信が始まったら作業BGMとして流しっぱなしになること間違いなしです。 そう、これは、一応ホラー映画としてホラーな演出をしているだけで、描かれている内容はそれほど「理解できない怪奇現象」とか「けっきょく一番怖いのは人間!」とかではありません。 むしろ、今の不安な時代を生きる人に提示される 「家族とは何か」「孤独とは、孤独から解放されるとはどういうことか」「合理的で持続可能な社会共同体のあり方とは」という、とても社会的なことでした。 こんなに 視聴前からのギャップで好感度爆上がりした映画は今までない! でもきっとホラー苦手な私のような人は「えー、でも怖いな、何が起こるかハラハラするの嫌だな、 上映時間2時間半もあるし」…となかなか一歩が踏み出しづらいと思います、私のように 「いっそラストまで知ってればホラーでも心の準備ができて安心して見れる」という人もいると信じて、 全ネタバレ&気づいた伏線回収を書きます。 ネタバレにならない範囲のあとにガツガツネタバレしていきますので、これから観るのを楽しみにしている方は要注意です。 そうそう、 あと「ミッドサマー」がR-15作品なので、この記事もその扱いでお願いいたします。 まずは当たり障りのないおすすめポイントから。 美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。 しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。 妄想、トラウマ、不安、恐怖…… それは想像を絶する悪夢の始まりだった。 雪をかぶった木や、湖、山…。 暗い景色が、心まで沈ませます。 そしてシーンが変わって、主人公の住むカです。 「あらすじ」にある通り、主人公の女子大生・ ダニーは冒頭から、家族みんなを失います。 主人公の女子大生・ダニー(公式サイトより) (どうでもいいんですけど、主人公ダニーの名前、Dannyは男の子の名前に多いけど…と思っていたら英語ではDaniでした。 日本語で「ダニ」だと分かりづらいので伸ばしたんでしょうね。 ) どうも最近、の妹の様子がおかしい。 「もう無理。 パパとママと一緒に行く。 さようなら」というメールを最後に、連絡がつかなくなってしまった。 両親のことも心配で電話をかけるけど、夜中で寝ているのか留守電に…。 不安でたまらず、 彼氏のクリスチャンに相談しますが、向こうは メンヘラ彼女を面倒くさがってる感ありありです。 メンヘラ彼女のお世話が大変なクリスチャン(画像は公式サイトより) ダニーとしては、クリスチャンにも迷惑かけてて申し訳ない…でも家族が心配…と思っていた矢先にその不安が的中、妹と両親は一家心中を図ってしまいます。 絶望に暮れるダニー。 一応、彼氏として彼女を慰めるクリスチャン。 この奥地の小さな共同体で生まれ育った ペレ、の研究対象としてそこを見に行きたい真面目な ジョシュ、美女とヤりまくりたい煩悩の塊 マーク。 その中で研究テーマも定まらず女好きでもないけど、なんとなく周りに流される彼氏のクリスチャン。 持ち前の優柔不断で雰囲気に流され、 この旅行に傷心中のダニーを連れて行くことに。 目的のの祭りとは「祭」。 には、6月下旬のを祝う伝統があります(これはほんと)。 行先のコミューンでは、今年は「90年に一度」の特別な祭りなのだという。 緯度の高いでは毎年この時期は 「白夜」…一日中、太陽が出ていて日が沈むのは深夜の1〜2時間だけという、 ずっと昼間のように明るい季節です。 寒く雪の降りしきるカで家族を失い、心の支えである彼氏もどうも頼りないダニーは、夏の明るくあたたかいへと旅立ちます。 この、暗い冬から明るい夏への舞台転換は、まさに主人公の置かれた状況を示唆しています。 ホラーなのに、明るい・かわいい・あたたかい 映画. comより 前述の通り、メインの舞台は夏のの山奥、自然豊かな共同体です。 その景色は、青い空に緑の山、かわいい白色の民族衣装、一人一人異なる繊細な刺繍、色とりどりの花冠。 ホラーで定番の、 暗い・寒い・ジメジメとは真逆の世界観で、それだけ見るととってもかわいい。 かと言って、「あれ? これってホラーじゃないんじゃない??」というほどぬるくはありません。 北欧らしい不協和音や巧みな「音」使い が、観客の不安感を常に煽ります。 特に、泣き声(慟哭)を、単なる「登場人物の悲鳴」としてではなく恐怖を煽る効果音として使っているのはさすがでした。 ちなみにこのかわいい民族衣装、実際には北欧の伝統的な衣装とはテイストが異なります。 どちらかというと東欧の雰囲気に近い。 …と思っていたら、この映画のロケ地も東欧の・なのだそうです。 ホラー映画ですし、実際の現地の民族を題材にするのは角が立つので、ちょっとずらして「この物語はフィクションです。 実在の民族には関係ありません」って示したのかな? …と勝手に推察しました。 ニクいカメラワークでふわふわ浮遊感 の奥地へ移動していくシーン、小屋の中で衝撃的な事実を知ってしまうシーン…などで使われる、 「こんな見せ方があるんだ!」という不思議なカメラワーク。 ぎゅーんと視点が回って、 宙に浮いているような不思議な浮遊感を体感できます。 (これは言葉で説明するより、映画館で体験してもらえれば。 他にも、鏡を使って画面の切り替えを抑えながら会話シーンを見せたり、広い画角で写しているのにちゃんとどこを見るのか分かったりと、 映像に工夫が満載なのもエンタメ性が高くて嬉しい。 ホラー度は、内臓系が見れる人なら大丈夫 よくある「鏡に人が写ってる…!?」とか「急に場面が変わってびっくりしたー!」のホラーレベル1みたいな演出も多少はありますが、怖くて目を背けるほどではありません。 どちらかというと 「解剖で内臓まる見え!」とか「身体の一部がペチャンコ!」みたいな感じ。 個人的にはジャパニーズ・ホラーの方がじわじわと怖いし、「」や「ソー」の方が痛いし、「」の方が「ひえぇぇ…」ってなったし、「アイ・アム・ア・ヒーロー」の方が「グロ…! …!」ってなりました。 私自身は目を背けたシーンは全くなく、「なんか怖そうだから薄目」が3回ほどでしたが、どれも薄目になるほどではなかったです(むしろちゃんと見とけばよかった、と後悔)。 「観客を怖がらせてやろう」と過剰演出しないこの監督の奥ゆかしさにも好感が持てます。 「世の理(ことわり)」と「愛と幸せ」を同時に描く珠玉作 私はとにかく「世界の法則」と「その中で愛を見つけ幸せを追及する個人」という、 マクロとミクロのテーマを同時に扱う作品がフェチでして、直近では「」にブチ抜かれたクチなんです(あれは「宇宙の法則」と「愛」の映画)。 世界はただあるがままにできていて、どこまでも合理的。 それは時に、人間にとっては残酷すぎるほどに。 しかしその世界を受け入れ、自分を受け入れ、周囲を愛し愛されることを知ったその先には、どんな残酷な世界にも傷つけられない「幸せ」があったりする。 そういう作品は私にとって「これこそ真理」であり、この世界を生きていくための「救い」でもあります。 現実の世界はあまりに理不尽で、厳しく、不都合です。 その世界に対抗して闘争するのは人間一人一人に課された宿命。 しかし争うのではなく抗うのではなく、そんな世界を受け入れ、自分もその世界の一部として世の真理にたゆたうことで「愛」「幸せ」を見出していく… この「ミッドサマー」も、ホラーだなんだと言っていますが、実は 「世界の理不尽」によって傷ついた主人公が、別の世界で「愛」を手に入れてゆく物語なのです(私の解釈)。 「愛」とは、「幸せ」とは。 この映画のラストで、私は立ち上がって主人公に拍手を送りたいほど「幸せ」を感じました。 でも、再度引いた目線に戻った時、「幸せ」とは何なのか…果たしてこれは「幸せ」の形なのか…。 愛と幸せを考えるきっかけに、ぜひ、観てみていただければと思います(というこのメッセージが既にカルト感…!)。 以上、ネタバレにならない程度のレビューでした。 ではここから、時系列に沿ってできる限りのネタバレをしていきます。 既に観た方は「ああ、そんなことあったね!」とか「アレもあるよ!」という目で見ていただければ幸いです。 全編ネタバレ&伏線回収 1. 冒頭の雪の山は主人公の「今」 映画は、北欧らしき森の冬の景色から始まります。 雪に覆われた森、湖、山…。 極夜のが好きな身としては、この美しい自然の風景だけを数十分見せてくれてもいいのですが、このシーンはダニーの 「家族は不穏だし彼氏は非協力的だし他に精神的な支えもない、八方塞がりな暗い状況」を表しているのでしょう。 前述の通り、に移ってからその呪縛から解放されていく「明るい夏」との対をなしています。 最初の留守電のシーン、既に家族は心中していた? 主人公ダニーが、深夜にもかかわらず実家に電話をかけます。 (この時の留守電、映画のキーワード「9」秒なんですって。 ) 「妹のことが心配だから連絡して」と伝言メッセージを残すダニー。 その留守録がされる傍で、両親は静かに寝ています。 その後ダニーは、両親とも連絡がとれないまま不安に過ごし、とうとう家族の死の知らせを受けます。 車のをチューブで家に送り込み、両親は密閉された部屋で穏やかに眠ったまま、妹は直接チューブを口に当てて…。 深夜に娘からの電話がかかってきても、死んだように穏やかに眠る夫婦… 両親はこの時すでにガスを吸っていたのではないでしょうか。 ベッドサイドの花に囲まれて飾ってある娘の写真は、この後のダニーの運命を物語っています。 ダニーと妹、どちらの写真かよく見えませんでしたが、娘2人がいる家庭で片方だけの写真を豪華に飾るのは異様です…きっとダニーのその後の伏線としてそこにあるのでしょう。 メンヘラな彼女と、決められない彼氏 を持つ妹に振り回されてたびたび感情がバーストするダニー。 彼氏のクリスチャンは、その度に彼女をなだめます。 仲間たちと遊んでいる最中にも電話をかけてくる面倒な彼女。 仲間たちは声を揃えて「いい加減、別れて次に行けよ」と彼女を疎んでいます。 しかしクリスチャンは、全編通して とにかく意志がない、決められない、取り繕ってばかりのふわふわ男子。 「別れろ」と周りに言われても「後悔するかも…」とデモダッテ、 大学での研究分野も決められず、 たまたまダニーを連れて行ったパーティで旅行に行くことがバレて(傷心中のダニーには言い出しづらかったのでしょう)、 なぜ話してくれなかったのかとダニーに問い詰められると、航空券も取って準備万端なのに「今日行くことに決めたから」などとバレバレの嘘で取り繕い、 ダニーに取り繕った結果、今度は仲間たちに「彼女も旅行に誘ったから…来ないはずだけど誘うだけ誘ったから… みんなに言われて誘ったことになってるから」とこれまた 保身のために周囲になすりつけます。 (この保身気質はのちにも見られます。 ) 常に受け身で、自分の意志がない。 自分で思い、考えて、決めるということができない人。 ちなみにこの「ダニーに詰められて嘘をつくシーン」「友人たちにダニーを誘った口裏あわせを頼むシーン」ともに、カメラはクリスチャンの下手すぎる嘘に呆れるダニー/友人達を捉えながら、 クリスチャンを鏡越しに映り込ませていました。 カメラを切り替えずに「ふわふわするクリスチャン」と「なにこいつ…と思わされる周囲の反応」を同時に見せて、ああいう時のイライラ感、煮え切らないフラストレーションを出しているのは、いいやり方だなぁと思いました。 そんなクリスチャンは悪人とまでは言えないが、自分を守るために周りの人を平気で突きだす薄情者。 それでいて狡猾と言えるほど先を読んでもいない、場当たり的に言い訳を並べるだけの小物感…。 彼はこれまでもこうして生きてきたし、これからもこうしてしか生きられないのであろう…(ため息)。 旅行に行くことにしたダニーへの、男たちの反応? クリスチャンの取り繕いで、みんなに旅行に誘ってもらったと思っているダニーは素直に帯同することに。 ダニーはみんなが集まっているクリスチャンの家に挨拶に来ます。 夜のお店に行ったり、伝統的な種付け儀式で女子とヤリまくるのを楽しみにしていたマークはがっかり。 クリスチャンを呼び出してお説教タイムです。 研究熱心なジョシュは「そんなの関係ねぇ」状態、そんな中で 気まずいダニーを気遣ってくれるのがペレ。 優しい地元民?ペレ(画像は公式サイトより) 友人たちを故郷のコミューンに連れて行こうとしてくれているペレですが、彼はダニーを「君が来てくれて嬉しいよ」と優しく迎えてくれます。 物静かだけど話しやすいペレに、ダニーは「旅行初日は私の誕生日だ」と話し、「そうなんだ、おめでとう!」といい感じの会話。 ここで、「あれ? ペレは他の男友達たちとはなにか違うな…?」という気づきが観客に生まれます。 「実は自分も両親を亡くしたから君の気持ちが誰よりも分かる」と、ダニーの心に手を差し伸べてくれるペレ。 でもその悲劇を楽しい旅で忘れてリフレッシュしようとしていたダニーには、家族の話をされる心の準備ができておらず取り乱してしまいます。 への移動、カメラとともにへ 飛行機の中でも、家族を思い出しては泣いてしまうダニー。 しかし周りに迷惑をかけないために 声を上げて泣いてはいけないと、トイレで息を押し殺して涙を流します(これはのちに繋がります)。 そんな飛行機はに着陸。 着陸前の飛行機の揺れが、この先の不穏さを表します。 空港からは車で4時間の移動。 なにもないの高原を車は走ります。 カメラが向かってきた車を追いかけて天地逆さまになる演出は、 ここが現世ととの境目だと言っているようです。 (言葉だけだと意味不明かもしれないので、気になる方はぜひ本編で。 ) 5. 村へ入る前のトリップ儀式 村に到着する前に、車は一度、美しい高原で止まります。 ここには、この祝祭のために外から帰ってきた村人、その村人に連れてこられた友人知人たちが集まっています。 ピクニックをしているような、平和な雰囲気。 ペレは村人たちに4人を紹介し、そこでもう一組の「外からの帯同者」と出会います。 イギリスから来たル、サイモンとコニー。 どうやら村出身ではない旅行客は自分たちとこのルたけ。 自分たちだけが部外者なわけじゃないんだな、とちょっと安心。 さて、 着いた途端に村人から、ハッパ(ドラッグ)を勧められます(原始的な民族がドラッグを使うのは、世界各所に見られること。 宗教的な儀式とも繋がっていたりするので、これ自体はそんなに異様なことではありません)(でも本当はダメ、ゼッタイ!)。 クリスチャンの仲間たちは普段から遊びで吸っているので、早速ノリノリ。 でも慣れていないダニーは「私は後にする」と遠慮し、彼女に気を遣ってクリスチャンも「俺も後で」と言い出しますが、仲間たちは「みんな同時にやらないと一緒にトリップできないぞ」と渋ります。 ノリの悪い自分が場の空気を壊している状況に耐えられず、ダニーは「やっぱり一緒にやる」とキノコ茶をいただきます。 しばらくみんなで幻覚タイム。 美しい丘の上で、ダニーは自分の体から草が生えている幻覚を見ます。 しかしここからはバッドトリップ。 みんなに嘲笑われているような気がしたり、妹の亡霊を見たりして混乱に陥ります。 目が覚めるともう翌日。 クリスチャンによると、6時間ほど寝ていたらしい。 しかし 白夜で一日中明るいそこでは、今が朝なのか夜なのか、時間経過もわかりません。 森の中の黄色い花の道しるべ ドラッグから起きた一行は、村に向けて歩き出します。 踏み慣らされたハイキングロードを逸れて、森の中の道無き道へ。 (この道を逸れるところのカメラギュイーンが、またさらにへ観客を誘います。 ) 進むに連れて、足元には黄色い花が。 徐々に花が増えていき、出身者の村人だけがわかるコミューンのありかを示します。 以降も、映画全体を通して「花」が道しるべとなり登場人物たちを導いていく演出がそこここで見られます。 迎え入れられたコミューン「ホルガ」 いよいよホルガに到着。 光線のような門を抜けると、穏やかな緑に囲まれて、リネンの白い伝統衣装に身を包む村人たちに迎え入れられます。 丁重にあたたかく迎えられる一行。 若者が荷物を運んでくれて、ウェルカムサービスに子どもから木苺を手渡されます。 その日は9日間の祝祭の開幕式。 広場の壇上で、司祭が宣言を唱えます。 そこには2人の老人男女も。 「火がこれ以上、燃えないように」と唱えられながら、2人は松明を手にします。 生まれながら障害を抱えた巫女・ルビンは禍々しい色の絵具で何かを描き殴っています。 司祭が神への祈りを捧げて、一同で乾杯をし、式は終了。 さて、この日の空き時間にダニーと2人きりになったペレは、彼女に誕生日プレゼントとして似顔絵をあげます(気遣いのできるやつ…!!)。 思わぬサプライズに喜ぶダニー。 そこで 「クリスチャンはたぶん彼女の誕生日を忘れている」ことがわかります。 クリスチャンのダメ彼氏っぷりが際立ちます…。 みんなの寝室で語られる伝統 高原の村には、村人たちが自ら建てたであろう木の小屋がいくつか建っています。 各家庭のログハウス…ということではなく、「キッチン小屋」「家畜小屋」など機能別で分かれています。 中には「檻に入れられた熊」も。 …ペットでしょうか、食用でしょうか。 その施設の中で案内されたのは、美しい伝統的な絵が壁一面に描かれた寝室用の小屋。 壁に並ぶベッドでコミューンの人は赤子から年寄りまでみんな一緒に寝ます。 研究熱心なジョシュは興味津々。 ペレに解説を頼みます。 「ホルガでは、18歳のサイクルで人生を『季節』と表す。 18歳までは成長期の『春』、18〜36歳までは外の世界へ旅立つ『夏』、36〜54歳は労働する『秋』、そして54〜72歳は教育係となる『冬』…」 「72歳以降は?」というダニーの質問に、ペレは「死」ので笑いを取ります。 ここでも9の倍数が登場。 しかしフィクションとはいえとても合理的で、納得できる社会構造です。 を研究するジョシュも「他の地域の文化にも通ずる思想だ!」と大興奮。 (リアルな話で水をさしちゃうと、人間の平均寿命が70歳以上になったのはここ数十年のことなので、きっと「人生の春夏秋冬」という古来からの思想を現代の年齢に再解釈したのかもしれません。 ) もう一つ、小屋で発見したのが歴代の 「メイ・クイーン」の記念写真。 頭に立派な花飾りを被った女性たちです。 毎年、ダンスコンテストで優勝した女性が女王に選ばれるのだそう。 もちろん今年もコンテストは祝祭期間中に開催予定。 今年は誰が優勝するのか、楽しみですね。 クリスチャンからの誕生祝い さて、 ダニーの誕生日を圧倒的完全失念していたダメ彼氏、クリスチャン。 ペレがこっそりフォローしてくれて(いいやつ…!)、慌ててダニーを寝室小屋の外へ呼び出し、小さいパウンドケーキにろうそくを立てて埋め合わせのお祝いをします。 カメラのこちら側で、小さなケーキでハッピーバースデーを歌うクリスチャンとダニー。 ろうそくにライターで火を点けようとしますが、高原の風のせいか、なかなか点きません。 その奥で、不穏な不協和音の歌で生まれたての赤ちゃんをあやす村の女たち。 クリスチャンのハッピーバースデーは、女たちの歌声でお祝いムードをかき消されます。 誕生日を祝う2人の奥で、まさに生誕を祝われている村の赤ちゃん。 翌日は「アッテストゥパン」の衝撃儀式 1日目の開会式が終わり、一同は寝室へ。 ずっと明るい白夜シーズンですが、夜の時間には窓にブラインドを下ろして部屋を暗くして寝ます(これは現地でもそう)。 村人がみんな一緒に寝る寝室では、どこかで赤ちゃんがずっと夜泣きしていて、どことなく落ち着かない気持ちを観客に与えます。 さて、寝る前に仲間が「明日は何するの?」とペレに聞くと、「説明が難しい」と濁されます。 「アッテストゥパン」という名前だけを教えられ、知識のあるジョシュが何かを察して「マジで…?」という反応。 え、なにそれ、ググれば分かるかな? と思ってクリスチャンがを取り出しますが、山奥のこの村は通信圏外。 諦めて眠ることにします。 不思議なのような記号の形に並べられた食卓に村人全員が座り、揃って朝食タイムです。 この村では食事は必ず、長机に並んでみんなで食べます。 ぽつぽつと村人たちが集まり始める間、たちは 「後ろ向きに花を摘む」不思議な儀式をしています(真意はわかりませんが、性的アピールが伝統化した行為なのかな、と思えました)。 クリスチャンが食卓に座っていると、ダニーが積んだ花を持ってきてくれます。 女たちの真似をして後ろ向きに摘んでみたそう。 傷心モードからちょっとずつ立ち直り、村の行事を楽しみ始めているのが伺えます。 さて、 全員が席についてもなかなか食事が始まりません。 いつ食べるのかペレに聞くと「その時がきたら」と。 待っていると、村の少年が鐘を鳴らし、黄色い「神殿」から昨日の開会式で登壇した老人2人が出てきて上座に座ります。 緊張したような、厳かな雰囲気。 老人たちが静かに料理を食べ始めると、他の全員もそれを合図に食事を始めます。 食事が始まると和やかな雰囲気になりますが、食べ終わってからはまた静粛になり、老人がグラスを掲げるとみんなも乾杯します。 何かの強いお酒をダニーたち一行も飲み干します。 もうこれだけ匂わせたのでお分かりでしょう。 この老人2人は、 72歳を超えて、人生に幕を閉じる儀式を控えているのです。 この文化の中で育った彼らも納得しているとはいえ、死に直面するのは恐ろしいもの。 心の準備ができて神殿を出で来るのを、最後の晩餐を食べる気が起きるのを… 死の決意が整うのを、村人たちは敬意を持って待っていたのでした。 食後には次の儀式があるのですが、白夜のせいで眠れなかったマークは寝室へ昼寝に。 残った3人で次の儀式の見学へ行きます。 高原から歩いたところにある山の岩場に村人たちは集まります。 真っ白な岩肌が、夏の太陽を受けていよいよ白く光ります。 司祭が祈りを捧げると、村人たちはじっと岩の崖の上を見上げます…。 崖の上では、老人2人が最後の儀式。 手にナイフで傷をつけ、の刻まれた石に血をすりつけます。 見ると、同じような岩がたくさん…きっと彼らの墓標のようなものなのでしょう。 崖の下から見える縁ギリギリまで、まずは老女が歩み出ます。 手を天に掲げて祈りを捧げたあと、 彼女は、崖から自ら落下。 崖の上から、下まで、ポトリと落ちるのをカメラはずっと捉えます。 あまりの衝撃に息を呑み動揺する仲間たち。 お誂え向きに、崖の下の着地点には岩の台があります。 うつ伏せにそこに落ちた老女の顔は押しつぶされ、即死。 (苦手な人は苦手な、グロポイントです。 ) 続いて老夫の番です。 しかし足から落ちてしまったため、足がもげただけで死に切れず、老夫は苦しみます。 すると村人たちが一斉に呻き声を上げだします。 口々に、あぁ…おぉ…と絶望的な声を上げる村人たち。 まるで神聖な儀式が失敗したことを嘆くかのように、死にきれなかった男を非難しているかのように…(しかしこれは、のちに続きます)。 死にきれなかった老夫のもとに、4人の村人が進み出て、 大きなハンマーで頭部を砕きします。 順にハンマーを降り下す4人…人生の四季それぞれの代表者でしょうか。 「いずれは自分にもこの時が訪れる」と、身に刻むかのようです。 それを司祭が引き留め説明します。 「苦しんだり怯えたり恥辱を晒すことなく死ねることは、我々にとって名誉なこと」「次に生まれてくる赤ちゃんに彼らの名前をつけて、彼らの魂は再生し、生命の輪の中で生き続ける」…。 輪廻転生にも通ずる死生観、魂の解釈は、決してトンデルトの思想とは言いきれず、理解できないものでもありません。 しかし目の前で人の死を見せつけられてしまった部外者チームは、完全にドン引きしてすぐ帰ろうと決意します。 主人公ダニーはすぐに帰ろうと荷物をまとめ始めます。 が、そこにペレが現れて、動揺する彼女をなだめます。 村を穢らわしく感じたダニーは最初はペレを拒みますが、心優しい友人を強く否定もできず話をすることに。 衝撃的な光景を見せたことを謝るペレ。 彼が言うには、彼にとってはこの故郷は自慢の故郷で、90年に一度しかない人生のハレの日を、これを理解してくれそうな(に通ずる)友人たちと迎えたかった…と。 ペレの両親は炎に焼かれて死んでしまった(ここ重要)けれど、この村のみんなが愛情で包んでくれたから自分は寂しくなかった…と。 だから家族を失ったダニーの痛みがペレには分かるし、ダニーは自分とは違って、 彼氏のクリスチャンが彼女に愛情を与えきれていなくて、彼女が孤独なままであることも分かる。 この話を聞いて、ダニーは気づきます… クリスチャンは心の拠り所だっけ…? そんな クリスチャン。 ダニーに「めっちゃショッキングだったよね」と言葉では言うけど、それはまるで 「こういう時はこう反応するもの」という教科書をなぞるような言いっぷり。 家族の自殺と老人の飛び降りが重なり、トラウマを刺激されたダニーとは認知のレベルが違います。 「でも彼らにとっては伝統だし、彼らから見たら老人ホームに入れることの方が衝撃的かも…なるべくここの考え方を理解しようと思ってるよ」と言うクリスチャンは、利口ぶってはいるけれど、他人事な情報を受け身に摂取しているだけ。 自分の人生の一部として考え、判断しようとはしていません。 (思えば、ケンカしたときにも「謝ればいいんでしょ」という態度だった彼、誕生日にも「彼氏は祝うものなんでしょ」という態度だった彼…そもそも「自分がこうしたい/してあげたい/してほしいから、する」という感性がないのです…) …聞こえる…。 「あれ…? こいつ、ペラい…?」というダニーの心の声が、観客の耳にはしっかりと聞こえる…。 一方、研究者 ジョシュは、前知識があったこともあってかむしろ全然平気(それはそれで)。 この村の伝統文化にいよいよ興味が湧いて、研究に身が入ります。 荷物をまとめて早々に出ていくことにします。 コニーが寝室の荷物を持って、ダニーに「私たち出ていくから、それじゃ」と挨拶をしたところに、村人が。 「サイモンはトラックで先に駅へ行った。 またトラックが戻ってきたらそれに乗ってコニーは駅で合流すれば良い」と。 「私を置いてサイモンが先に行くはずない」とコニーはゴネますが、村人は「だってトラックは2人乗りだし、駅まで時間もかかるし、電車の本数も少ないし」と説明。 でもこんな恐怖のカルト村に恋人を置いて自分だけ行ってしまうなんて、明らかにおかしい…。 このことをダニーがクリスチャンに報告すると、クリスチャンは「えーなにそれ、あいつサイテーだな。 でさー、…」てな感じで全く心配 のそぶりなし。 「あれ…こいつ、自分もいざとなったら私を置いて逃げるヤツじゃね…?」とダニーは彼の薄情ぶりに気づき始めます。 「誰か何か聞いてないの?」と仲間たちと話していたら、村人の1人が「それ僕、知ってるよ。 サイモンが駅からコニーに電話して、コニーもあの後トラックで駅に行ったんだ」と。 なんか腑に落ちないけど、まぁそういうことなら心配ないか、と仲間たちはひとまず彼らのことは忘れます。 …あれ? この村、圏外だったよね…? 12. 研究にのめり込むジョシュとクズスチャン まさかこんなガチの生き死にがある、原始的な儀式に立ち会えるなんて! とジョシュはより一層研究に精を出します。 この村、好きにはたまらねぇ!ジョシュ(画像は公式サイトより) 村人の話は常にノートにメモを取り、なるべく写真で記録を残し、暇があればノートパソコンに成果をまとめる。 そんな純粋な探究心でいっぱいのジョシュに、魔の手が伸びます… This is ダメ男・クリスチャンの魔の手が…。 寝室で研究をまとめているところへ現れたクリスチャン、 なんと「俺もここの村を研究テーマにしようと思う」と言い出します。 テーマが被るということはライバルが増えるということ。 博士号の狭き門を突破するため、心から「これが自分の人生を捧げるテーマだ」と決めて打ち込み、そのためにペレに頼んで故郷の祝祭に同行させてもらったジョシュ、かたやただの友達との旅行気分でついてきて、衝撃的な儀式を見ただけで「これなら論文書けそうじゃん」くらいのノリで友達にテーマを被してきたクリスチャン、 いやクズスチャン。 誰しもが熱中できるテーマと出会えることはことだし、その出会い方が偶発的であることを否定はしません。 しかし彼の「友人の成功を応援する友情」と「このテーマに対する自分の熱意」を天秤にかけたときに、そこまで熱意があるわけじゃなくただ書きやすいものに飛びついただけやろ…というのが見え見え。 もちろんジョシュは、怒りを通り越して呆れます。 あまつさえ「共同研究にしてもいいよ」と言い出すクズスチャンを「誰がやるか」と一蹴。 2人の仲に亀裂が入り始めます。 突然のライバル出現に慌てたジョシュは、先を越されてはならないと焦り、ペレに「論文にこの村のことを書きたい、名前を出さないから」と言います(匿名では論文の意味がないのに)。 ペレは最初は断りますが、うっかり「クリスチャンにも断ったし」とついた嘘をあっさり見破られ、しぶしぶ「長老たちに聞いてみる」ことに。 ただ研究熱心だっただけで、きちんと作法は弁えていたはずのジョシュが、ライバルの存在に追い立てられていきます…。 「ラブストーリー」だというーの内容は、処女の乙女が恋のおまじないで意中の男性と恋に落ち、結ばれるというもの。 これと同じストーリーで、伝統的な恋のおまじないをしている村人の少女がいます… の少女、マヤ。 適齢期を迎え、男性と結ばれることを認められたマヤは、村の外から来た男たちをじっと観察します。 そう、 この村では血が濃くなりすぎないように、時には村の外のDNAを入れながら、男女の交わりは占いによって司教たちに管理されています。 恋も然るべき相手と伝統的な手順を踏みます。 ステップ1。 ある夜、みんなが寝静まった寝室小屋でベッドを抜け出し、マヤは恋のおまじないの を彫った木片をクリスチャンのベッドに忍ばせます。 そのことに気づいたのはジョシュ。 翌朝、ペレに聞くと「相手が自分に惚れるおまじない」だという。 マヤがクリスチャンのベッドに忍ばせていたと知ると、ペレは嬉しそうに「マヤは君に気があるみたい」とクリスチャンに伝えます。 …あの、クリスチャンはダニーの彼氏なんですけど…? クリスチャンとダニーの仲を良い関係だと思っていないペレは、マヤの恋をるそぶりは1ミリもありません…。 さて、ラブストーリーのステップ2。 ある日の食卓に出されたミートパイ。 1人1つのかわいいサイズです。 クリスチャンがこれを食べると…中からは人の毛が。 そして彼のドリンクだけ、妙に赤い…。 そう、ーに描かれていた恋の手順とは「陰毛入りの食べ物を食べさせる」「血が入った飲み物を飲ませる」…。 それ、昭和のヤバいアイドルファンが、手作りバレンタインチョコでやるやつやん…。 「女が男を惚れさせるためのレシピ」が民族を超えて共通していることこそ、的な探究心を煽りませんか…。 さすがにこんなことをされてもクリスチャンはマヤに惚れたりはしませんが、しかし「俺にはダニーがいるから」と振ることもしない。 そう、 それこそが究極の受け身、クズスチャンなのです。 「スキン・ル」されたマーク さて、これまで全く描いてこなかったマークですが、ちゃんといますよ。 女子とヤリまくるぜ! と意気込んでいたマーク。 いざ着いてみると、白夜で寝不足だし寝室は共同だし、すっかり退屈なご様子。 期待したほど女漁りもしないマーク(画像は公式サイトより) 少し時間を巻き戻して、村に着いて間もない頃、一同は村の女たちの遊びを眺めていました。 一列になって手を繋ぎ、電車のように走る遊び、その名も 「スキン・ル」…愚か者を皮剥に。 少女たちは外から来た男が珍しいのか、遊びながら意味深な笑みで彼のことを見ています。 (この時、マヤがクリスチャンに足をぶつけてスキン・ルに誘い出します。 この時点で「おやおや?」なダニー。 ) ある朝、マークが寝起きにトイレに行きたくなり、そこらへんにあった木の幹に立ちションをします。 すると村人が激怒。 なんと その木は、先祖代々の魂が宿るとされる神聖な木だったのです。 現地の文化への敬意などないマークはそれでも「は? ただの木じゃん」と反省の色は見えませんが、なんとかその場はペレが収めます。 すると、食事の時間。 いつも通り、村人全員が食卓に並んで食事していると、村人の美女が席を立ち「見せてあげるからついてきて(なにを?)(意味深)」と誘い出します。 ついに女子と触れ合うチャンス到来!? とキタコレ状態のマークは、仲間たちに「行ってくる!!」と喜び勇んで席を立ちます。 …マークについては、以上です。 ジョシュのいびき クリスチャンが研究テーマを被せてきて、焦りだしたジョシュ。 朝から庭いじりしているペレに、なんとか論文で村を書くことについては「名前も場所も出さない」ことを条件にOKをもらいます。 そうとなれば遠慮は無用、できる限りの情報を集めなければと村を取材します。 この日ジョシュが取材していたのは司祭の管理している ホルガの聖書「ルビ・ラダー」。 ホルガの純血で、障害を持っていて純粋な目でものごとを観れる巫女・ルビンが描いた絵を、司祭たちが解釈し、後世に書き残していくものです。 ルビ・ラダーの保管所で司祭に説明を受けながら、ジョシュが「写真を撮ってもいいか」と聞くと、さっきまで優しく分かりやすく解説してくれていた司祭の表情は一変。 厳しく「ダメだ」とピシャリ。 そして夜。 カメラはベッドに眠るジョシュの足を映しています。 足が動いて、ジョシュはむくりと起き上がり、村人たちにバレないように忍足で寝室を抜け出します。 向かった先はそう…「ルビ・ラダー」。 大切な聖書の保管庫とはいえ、少ない村人たちしかおらず寝室も食事もみんな一緒のこの村では、ドアに施錠する文化がありません。 難なく保管庫に忍び込んだジョシュは、ルビ・ラダーの写真を撮ります。 すると背後に人影が。 バレた!と焦るジョシュですが、目を凝らすとそれは あの美女と消えていったマーク。 なんだマークか、驚かすなよ…と安心した瞬間。 ジョシュは頭を鈍器で殴られ、床に倒れます…。 脳震とうを起こして床に伏すジョシュ。 ごぉー、ごぉー、と、部屋に声が響きます。 誰の声かと思えば、それは倒れたジョシュから聞こえている。 脳震とうを起こした人特有のいびき… この音が一番怖かった、という人も多い、ゾッとする死の瞬間でした…。 暗闇の中に浮かび上がるマークの顔。 それはマークではなく、マークの顔の皮を剥いで被った村人でした。 そう、「スキン・ル」は実行されていたのです…。 (ここ、顔がルすぎて「皮を被っている」とは私は分からなかったのですが、瞬きを見ればわかるそうです。 ) 翌朝。 朝食の席で「悲しいお知らせ」が発表されます。 大切な聖書の1冊が無くなったと。 保管庫は開けておくので、盗んだものは速やかに元の場所へ返すように、という穏やかなお達しでした。 朝食後、ダニーとクリスチャンは司祭に呼び出されます。 2人の友人、ジョシュとマークが姿を消したのは怪しい、聖書を盗んだ犯人ではないか、と。 それに対して、さすがのクズスチャン。 「怪しいのは分かるけど、 自分は母に誓って盗みに関わってはいないし、消えた2人の行方は全く分からない」と。 ここでも友人たちの心配をするでも、疑われている友人を庇うのでもなく、2人を見捨てて自分だけは罪を被るまいと保身に走ります。 安定のクズスチャンぶりに、ダニーと観客の冷たい視線が降り注がれます…。 こうなるともはや、彼のクズっぷりのおかげで、不穏で不安なこの映画中に「いやお前よー!」というツッコミムードが生まれて、 その時だけは恐怖を忘れられる…いっそいてくれて良かった、クズスチャン…。 メイ・クイーン選手権 この頃になると、ダニーはかなり村の雰囲気に慣れてきます。 暇を持て余した彼女を、英語を話せる同い年くらいの女の子ハンナが、女たちの炊事仕事に誘ってくれます。 可愛い刺繍のエプロンを借りて、女同士での作業に参加して気分がほぐれるダニー。 それからはハンナが、英語であれこれと作法を教えてくれる、ダニーのシスター役になってくれます。 新しい友達ができて少しずつクリスチャン依存を克服していくダニー。 ジョシュとマークが失踪した疑いをかけられた際も、村人が監視を強めるためか「ダニーは女たちを手伝って、クリスチャンはあっちで用がある」と別行動を指示されますが、「ダニーには俺がいないと…」と気遣うクリスチャンそっちのけで「大丈夫、行ってくるね」とあっさり。 そんなダニーは、村一番のダンサーを決めるメイ・クイーン選手権にも、ハンナに倣って出る流れに。 かわいらしい民族衣装に身を包み、戦いの前のお茶で乾杯します。 十字架のような形の柱「ール」を囲んで、手を繋いで輪になる村の女たち。 音楽に合わせて踊り続けた者が、健やかさの象徴として「メイ・クイーン」の称号を手にする戦いです。 お茶の効果でふたたび、ダニーはトリップが始まり足から草が生えている幻覚を見ます。 すると音楽が始まり、踊りがスタート。 踊りはシンプルなで、ダニーも見様見真似ですぐに踊れるようになります。 踊りながらも、「ストップ!」の掛け声で一斉にその場に止まり、「スタート」で音楽がまた鳴り始めたら再度踊り出す…力尽きたり、うっかり隣の子とぶつかったりして倒れれば退場です。 汗を流し、息を切らし、ひたすら踊り続けるダニー。 最初はついていくので必死だったダニーも、踊り続けるにつれて楽しくなってきて、 気持ち良い笑顔を浮かべます。 ドラッグの効果でグッドトリップをしながら、体を動かし続ける恍惚感…。 音楽に合わせて、集団で単純な踊りを繰り返すことで得られるエクスタシー(まさに「達する」感覚)は、徳島のなんかでも体感できると聞いたことがあります。 神輿を担ぐ男たちの祭りにも同じ興奮があるのかもしれません。 限界を超えて体を動かし続けることで得られる気持ちよさ…その境地に、ダニーは連れて行かれます。 この時のターンの上手さで、ダニーが(女優さんが)ダンスの心得があることがわかります。 気がつくと、ダンサーは最後の3人まで減っています。 恍惚としながら、いつの間にかハンナと現地語で会話しているダニー。 いや、実際に語が話せているのかは分かりません、でも恍惚感に達した2人は、言語を超えて心を通じ合わせました。 そのことに興奮したハンナが喜んでいると、うっかり、隣の女性にぶつかって倒れます。 その瞬間、優勝者が決まりました。 今年の「メイ・クイーン」は、ダニーに決まったのです。 大きな花の冠を被せられ、花の首飾りをつけて讃えられるダニー。 まるで花の妖精のようです。 村人たちが花道を作って彼女を口々に称賛します。 まだ半分幻覚を見ているダニーは、その中に死んだ母の姿を見ます。 すれ違って歩き去る母親。 ダニーは呼び止めますが、村人の祝賀ムードでそれどころではありません。 ペレはダニーの優勝を喜んで、優しくも熱いキスを贈ります。 女たちの連帯、共鳴する2つの儀式 さっそくお祝いの食事会です。 鏡のように磨かれたテーブルには、肉の丸焼きのようなご馳走が。 …山奥ゆえ、外の食卓に並ぶ肉料理にはハエがブンブンたかります、が、トリップ中のダニーの視界はくらくらと揺らぎ、豪華なご馳走にしか見えません。 メイ・クイーンは上座。 いつも隣にいたクリスチャンとは離れてしまいます。 立派な草花で飾られたダニーの特等席。 ダニーにはまるで、その葉っぱや、冠の花が、自分の呼吸に呼応しているように感じます。 自分が、自然と一体になったかのような感覚。 今回の主役はダニー。 ダニーが食べ始めるのを合図に食事が始まります。 食事中、儀式として、メイ・クイーンは生のニシン(しかもめちゃでかい)を食べるように言われます。 さすがにそんなことはできないダニーは「え、無理無理!」とニシンを吐き出しますが、村人たちはそれも微笑ましい光景としてみんなで笑って流してあげます。 村に来る前のバッドトリップでは、村人に嘲笑われているかのように感じて孤独を恐れたダニー。 今では、村人たちに歓迎され、祝福され、暖かい笑いに包まれています。 食事が終わると「メイ・クイーン」はシンデレラに出てくるようなかわいらしい荷車に乗せられ女たちに囲まれて繁栄の儀式に連れられます。 地面の穴に、肉、卵を入れて土を被せ、ハンナに教わりながらまじないの言葉を暗唱するダニー。 立派なメイ・クイーンです。 その頃、クリスチャンはーー。 少し時間を巻き戻して、マヤにロックオンされていたクリスチャン、なんと司祭にまで「2人はでも相性ぴったりなので、マヤと交わることを認めます」なんて言われていたのです。 戸惑うばかりで、したいともしたくないとも意思表示できない圧倒的受け身男、我らがクリスチャン。 ダニーがダンスコンテストで踊っている間も、マヤが気になってちっとも彼女の勇姿を見ていません。 観客席でダンスを見ていると、踊り疲れて退場した女性に飲み物を勧められます。 飲むもの飲むものドラッグなホルガ村、これもまたなんか入ってるだろ…と思ったクリスチャンは、 初めて自ら「もうトリップしたくない」と断ります。 が、「大丈夫よ、信じて」と言われると断りきれず、諦めて飲んでしまうクリスチャン…。 せっかくの意志の発露すらうまく通せなかったクリスチャン、案の定、飲み物の効果でみるみる具合が悪くなり(この民族…!)、ダニーがメイ・クイーンに選ばれお祝いされていても、食卓につくのが精一杯で何もできません。 初めての意思表示すら却下されてしまったクリスチャン。 気力なく、トリップに震えながらダニーが儀式へ向かっていくのを見送ります。 するとクリスチャンは、別のお誘いが…。 傾いた屋根の小屋から女性が出てきて、籠いっぱいの花びらで道をつくり、クリスチャンのもとへ…。 すっかり意志を失くしたクリスチャンは、誘われるがまま、花びらの道を通って小屋へ向かいます。 小屋の入り口で長老たちになされるがまま肌着に着替えて、壺の中のの煙を嗅がされます。 ピンと目が冴えて、小屋の扉の中に入ると、そこには… 裸の老女たちが並んでいる中、 花びらシーツに横たわるマヤが。 そう…種付けの儀式です。 女たちは不穏な歌を口ずさみます。 裸の女たちが見ている前でムードも何もあったものじゃないし、花びらロードを歩いた先に花びらベッドで交わるなんて、メルヘンすぎて逆に萎えちゃうのでは…とかツッコミたくなりますが、ラリっているクリスチャンにそんなことは関係ありません。 生娘のマヤの白い体の上に、吸い寄せられるように被さるクリスチャン。 女たちは2人の性交を見守りながら歌を歌います…が、次第にその旋律は不穏に…。 「あぁ、あぁ」と口々に呻くように歌う女たち。 それに合わせて、マヤも喘ぎはじめます。 そう、女たちは、初体験のマヤの痛みと快楽に共鳴しているのです。 女たちの声にかき消されるので、マヤも存分に声を出して、初体験を味わいます…。 そこへ、儀式から戻ってきたダニーと付き添いの女たち。 小屋の外までも、女たちの「あぁ、あぁ」が聞こえてきています…。 嫌な予感を感じてダニーはその小屋へ…ハンナは「見ない方がいい」と止めますが、それ以上は引き留めません。 鍵穴から、小屋の中の光景を覗くダニー。 女たちの声に混じって聞こえる、彼氏クリスチャンの喘ぎ声…。 あまりのショックに、ダニーは小屋の入り口で吐き戻してしまいます。 そこへ駆け寄る女たち。 泣き叫ぶダニーを抱えて寝室へ連れて行き、彼女を慰めます。 彼氏の裏切りに、床に平伏して泣き叫ぶダニー。 彼女を取り囲んで慰める女たち。 しかし彼女たちはなだめるのではなく、ダニーと同じように「あああぁ…」と慟哭します。 あたかも自分自身が、ダニーと同じ痛みを感じているかのように。 そう、 ホルガの村人たちは、痛みも苦しみも悲しみも、みんなで共有するのです。 まるで自分自身の痛みかのように、心を共有するのです。 最初の儀式で崖から落ちた老人が死に切れなかった際にみんなが叫んでいたのも、儀式の失敗を嘆いていたのではなく、老人とともに足が折れた痛みを共有していたのです。 ペレが両親を亡くした時にも、彼が寂しくなかったのは同じように村人たちが悲しんでくれたからです。 女たちの声がダニーの背中を押して、ダニーは存分に泣き叫びます。 家族を失った悲しみに、この村へ来る前には声を押し殺して、喉を詰まらせ1人っきりで泣いていた彼女が、クリスチャンを失った今、女たちと一緒に大声で泣き叫びます。 家族を失った時には誰も彼女の悲しみをまともに取り合ってくれませんでした…クリスチャンは心から彼女を気遣ってくれる存在ではなかった… しかし今、彼女は彼女の悲しみを自分のことのように悲しんでくれる「家族」に出会ったのです。 やってしまったクズスチャン そうとも知らずにマヤと交わるクリスチャン。 裸の老婆に腰を揺らされて、クリスチャンは射精します。 するとマヤは、脚を抱えて、しっかりと受精できるような体勢に。 「赤ちゃんを感じる」…と恍惚とした表情のマヤ。 ここで一気に気分が醒めたクリスチャンは、状況の異様さに気づきます。 裸の老婆たちに囲まれている自分。 自分を好きなわけではなく、あくまで種付けの手段としてしか見ていなかったマヤ。 女たちに見られながら性交をしていた状況…。 やってしまった…(…)。 慌ててクリスチャンはその場から逃げ出します。 逃げ出すと言っても全裸。 寝室に服を取りに行こうと向かいますが、そこからはダニーたちの悲鳴が聞こえてきます。 そこには入れない、と方向転換すると、ペレがいつぞや庭いじりをしていた庭へ。 庭の草花の間に、ジョシュの足が逆さまに刺さっています。 ゾッとして走り出すクリスチャン。 どこか隠れるところはないかと、慌てて家畜小屋へ。 この家畜小屋には…うつ伏せに吊るされたサイモン。 目にはひまわりを刺され、 古代から伝わる実在の処刑法「血のワシ」で、生きたまま肺を取り出され翼のように背中に広げられたサイモン…。 やはり、彼らは村人たちに殺されていたのです。 真相を見てしまったクリスチャン。 村人によってをかけられ、その場に倒れます。 最後の儀式、ダニーの解放 クリスチャンが目を覚ますと、最後の儀式が始まっています。 クリスチャンは薬のせいなのか、動くことも喋ることもできません。 9日間の祝祭の、最後の儀式。 メイ・クイーンのダニーは、全身を花のローブに包まれて、大きな花の妖精(妖怪?)のようになっています。 最後の儀式では、村の人口を調整するため「9人の生贄」を出します。 村人から4人、村の外から4人、もう1人はメイ・クイーンが決める習わしです。 これで8人。 最後の1人は、くじ引きによって選出さらた村人と、部外者クリスチャンとのどちらにするかを、メイ・クイーンのダニーが選びます。 ビンゴのようなくじ引き機から、村人の名前が書かれた玉が吐き出されます…。 その村人の名前は…。 「トービヨン!」 …誰? ここへ来て、まさかのガチモブ登場。 ハンサムダンディな村人、トービヨン氏が堂々と前に進み出ます。 これまで散々クズっぷりを披露してきたクリスチャンと、上映開始から2時間後に初めて登場したトービヨン。 人の生死を左右する権利を与えられて、震えながらも自身の役割を全うしようと心を決めるダニー。 ダニーの決断は……。 生贄の9人は、黄色い神殿に入れられます。 それぞれ、花、木、草などで人形のようにされています。 スキン・ルされたマークは道化のような格好です。 最も神聖なものから穢れたものまでを燃やす。 最も穢れたものを象徴するのは、野蛮な熊。 熊を解剖して皮だけにし、その皮を、意識はあるけれど体を自分では動かせないクリスチャンに被せます。 「冬」の大人たちがその手順を「春」の子供たちに教えます。 全身に熊の皮を被ったクリスチャン、いやクマスチャンが、最後に神殿の中央に座らされます。 6人は既に死んでいますが、志願者2人とクリスチャンは生きたまま。 志願者たちには、痛みを感じない薬が与えられます。 そして、神殿に火が放たれます。 大きな火で燃やして、終わらせる。 多くの祭りで見られるやり方です。 声すら出せないクマスチャンは、静かに炎に包まれます。 生きたままの志願者たちは、炎の痛みで悲鳴をあげます。 それに合わせて、燃え盛る神殿を見守る村人たちも、一斉に苦しみもがきます。 燃えている仲間の苦しみを分かち合うのです。 苦しいのは志願者だけではない、彼らに押し付けて自分は逃れたのではない、彼らと同じように自分たちも苦しむ。 ダニーももがき苦しみます。 恋人の命を自分の決断で差し出した苦しみ。 恋人が苦しんでいることの苦しみ。 恋人に裏切られた苦しみ。 ずっと孤独だった苦しみ。 家族を失った苦しみ。 ガス中毒で自殺を図った妹の、父の、母の苦しみ…。 全ての苦しみを、みんなと共有し、全て吐き出します。 花の精が、燃える神殿の前で絶望的な叫びを上げます。 そして神殿は燃え崩れ、苦しみは土へ還ります。 苦しみから解き放たれ、自由を手に入れたダニーの"笑顔"で、この映画は幕を閉じますーーー。 「機能」としての人間…ダニーは幸せになれたのか これまで散々、不穏な音や音楽、声で恐怖を煽ったこの映画… ラストのダニーの笑顔の後に流れたエンドロールの曲は、なんと爽やかでハッピーなロックチューンなのです。 オープニングの冬と、エンディングの夏の差をここでも存分に感じて、観客も「後味わるーい…」ではなく「ハッピーエンド! よかった!」で劇場を後にできます(かどうかは人によります)。 さて、果たしてダニーにとってこれは幸せなのでしょうか? ここからは、私の個人的な考察です。 このホルガ村は、ルールに則って全てが合理化されているとともに、完全に"個"を消した社会です。 プライベートな個室はないし、食事も寝室もみんなで共有し、赤ちゃんもみんなで育て、性に関することも司祭が管理し、快楽も苦痛もみんなで分かち合います。 労働や役職などは個々人の向き不向きをみて采配されるので、それぞれの個性は尊重されつつも、「自分だけのもの」にすることは基本的に許されない社会。 自由恋愛やなど"個"の快楽の追求は「夏」の巡礼期間に村の外で好き放題やって、村にいる間は規律に従う…という「遊びたい盛りに遊びまくってあとは落ち着く」みたいなことも、ある種とても合理的にできています。 「オラこんな村いやだ」と言い出さない限りにおいては、とても幸せに暮らせそうではあります。 ただし、これは人を"機能"としてしか見ていないということでもある。 適齢期がきたから子を産ませる、外部のDNAが必要だから旅行者を招く、役に立たなくなったから老人は生を終わらせる…。 それぞれを「この社会のサイクルを回すための所業」として讃えることで自尊心を満たしながらも、車輪を回し続けるための歯車として機能させるのです。 車輪が回り続けることが先決で、個々人の意思や意見は無視される…(だから簡単に殺人がまかり通る)。 近代化した社会ではこれは許されることではない。 「」発言が問題になるのは、人を機能で見てはいけない、という認識が社会で共有されているからです。 子どもに進路を選択させ、就職で失敗しても失恋しても家族を失ってもそれは各自で乗り越えなければならない。 誰かが救ってくれるわけではなく、その悲しみに寄り添ってくれる人がいるかどうかはその人次第です。 そのも、各自がしておかなければならない。 その代わり、成功すればその喜びは独占できる。 要は「」「小さな政府」と同じことで、「」に完全管理された社会は、その社会に馴染めないやマイノリティにとっては地獄です。 逆に「小さな政府」では、誰も予測できなかったような不慮の悲劇によって人生が転落することもある。 ダニーは、自由ではあるけど悲劇から救ってはくれないカから、管理統制されているがどんな悲しみ苦しみも「家族」たちと共有できるホルガへ行き、 皮肉なことにこの「自由のない」社会で「魂の自由」を手に入れました。 自分の身を守るためにダメ彼氏に依存する必要もなく、妹や家族に振り回されずにいられる。 しかし我々の社会は、ホルガ的な思想を「狂気」と見ます。 ホルガが許されないとするならば、「自由であるべき」「多様な自由意志が認められるべき」というこの社会で、ダニーが受けたような苦しみから解放されるにはどうすればいいのでしょうか。 本人に責任などないのに「自己責任」で切り捨てられる人たちはどう救われるのでしょうか。 もはや「血縁家族」という制度すら崩壊し始めている(血縁だけで家族単位を構成することで、いろいろな不都合が生まれている)この社会で、どのように「家族」を獲得すればいいのでしょうか。 ホルガを必要としないために、この社会に必要となるものはなんでしょうか。 …答えは出ない、長い長い問いです。 あと面白い事象として、「全てを共有する」ホルガではないこの社会でも「シェア」という文化が生まれています。 シェアハウスやカーシェアなど、占有したいはずのものを共有する社会。 果たして、 苦痛や快楽も、共有することで孤独に苛まれない社会も到来するのでしょうか。 以下、書ききれなかった伏線回収 さて、全てをネタバレしてきましたが、回収しきれなかったことがいくつかあるので記載しておきます。 ・途中、 村中に響く「女性の悲鳴」が上がります。 ダニーやマークが村の別々のところでこの声を聞いています。 これはコニーのものだったのか? コニーがどのように殺されたのかはわかりませんが、水死体のようになって神殿に運ばれました。 ・書き忘れましたが、ペレが「両親は火に包まれて死んだ」と言っていましたね。 ペレの両親は生贄になっていたのです。 ・ 「90年に1度の祝祭」とは? …メイ・クイーンは毎年?選ばれているみたいだし、ペレの両親(せいぜい20年前?)が生贄になった、ということから、この祝祭の「どこからどこまでが恒例行事で、どこからどこまでは90年に1度のルなのか」は明らかではありません。 外から人を招く(=外部のDNAを入れて血縁調整する)のが90年に1度なのかな? ・映画の最初に映る ーは、このストーリーを全編描いているそうです。 心中した家族、ダニーを慰めるクリスチャン、「男」のペレに連れられる仲間たち、明るい太陽の下での祭り。 最初から全部ネタバレしたうえで2時間半も観客を付き合わせるとは、監督、ニクいやつです。 ・ーだけでなく、部屋の装飾やタイルのペイントなど、そこここにこの村の風習が描かれています。 この映画においては絵=予言。 伝統は守られる=伝統を描いた絵はその通りになる。 巫女ルビンもよくわからない絵を描いていました。 次の巫女に選ばれたペレも、絵が上手で、ダニーに似顔絵をプレゼントしていました。 ペレに見初められた時点で、ダニーはもう「予言」の中にいたのでしょう。 ・村の飲み物は、ことごとくドラッグです。 トリップしているようななユラユラする感覚が、この映画の視覚効果として取り入れられています。 つまりこの村のものを飲み食いしてしまったら、ここから抜け出せなくなってしまう(「薬漬けになる」という意味でも「おかしな風習に違和感を持たなくなる」という意味でも)。 「のものを食べたら抜け出せなくなるから、食べてはいけない」というのは、「」「」など様々なトリップもので描かれるルールです。 「不味そう」だと料理に手をつけなかったマークは、この村のルールには取り込まれず(敬意を払わず)、禁忌を犯して処刑されました。 最初はドラッグに拒否感があったダニーは、最後には出されたものはとりあえずいただくくらいに染まりましたね。 (ニシンはさすがに無理でしたけど。 ) ・ 神殿の横に敷かれているブルーシート。 あれは何だったのでしょう? 真意は分かりませんが、個人的には「神殿を燃やした時に、森に火が燃え移らないように」かな…? と推察しました(作中の伝統という意味でも、撮影時の配慮としても…)。 ・他にもなど気になる方は、「見た人限定、完全解析ページ」が公式にあります。 見た人限定です。 ・なんと。 ホルガ村のホームページがあります。 (ファンサイトかな? 最高にチープです。 さて、他にも取りこぼしがある気がしますが、とりあえず以上です。 視聴後の感動の勢いのまま書き連ねたこんな長文を読んでくださり、ありがとうございました。 …そもそもここまで読んでくださる方はいるのだろうか…ぜったい途中で心折れるよね…読んでくださった方、ありがとうございます…。 読み切ったあなたはきっと、私と同じミッドサマー入信者ですね。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 他の映画レビューはこちら 白夜の北欧マンガもあります。 「はじめて 〜白夜と極夜 ひとり旅〜」のご購入はこちらから。 ブログ漫画「白夜 〜・ひとり旅〜」はこちらで読めます あります。 フォローお願いいたします。 ブログで公開しているマンガの他に、オマケの4コマ、写真等を追加しています。 (会員登録不要) (Pixiv IDが必要です) LINEスタンプ3種類あります i--o.

次の

my lips are sealed

ミッドサマー ジョシュ いびき

もう数ヵ月、ライブどころかバンドのスタジオ練習さえもしていない。 そんな中ですがで曲を作り、各種サービスで配信リリースしたのでお知らせ。 配信リンクはこちら ごめんね feat. ・ジャケットについて 自分で書いたイラスト。 最初は全く別の絵を描いていたんだけど、なんとなく合わない気がして描きなおした。 モノクロのほうがしっくり来たので、無地のノートに描いた絵を線画抽出したまんま。 ・T-1 コンセプトは「架空アイドル」 虚構と事実、夢と現実、二次元と三次元、自己と他者、そういった境界が曖昧であることの居心地の良さと宙づりの恐怖、のようなものをぼんやりとテーマに据えておりそういった相反する概念と、自分の声の鬱陶しい幼さが組み合わさってこれは……架空のアイドルの曲! という設定になった。 歌詞はほぼ全て短歌のリズムで構成されている。 私は短歌を詠んでいる人間でもあるので、何か他の好きな表現と短歌を組み合わせてみたいなという気持ちが前々からあった。 また、短歌を詠むとき、自分の中では無意識に曲に歌詞をつけるようなイメージで詠むことも多かった。 それならば逆に短歌を歌詞にメロディを書けないだろうかという試み。 全編にわたってメロディをつけることは難しく、またリング曲のほうが先に原型が出来ていたので若干寄せて、半分くらいはになっている。 歌詞は短歌といってもそれぞれが完全に独立した短歌ではない。 メロディを付けたときにキャッチーになりやすいよう、敢えて露骨に韻を踏むなどしている。 以前に掲載したものも少し使った。 もっと読みたい方は。 ・T-2 ごめんね(feat. 翠) 魅力的なボーをフィーチャリングしたい! という気持ちですごい速さで作った曲。 この曲は「架空アイドル」路線に対して「実在ミュージシャン」感のある(というか実在はしているのだが)生々しい手触りになったと思う。 ゲストボーカルは翠ちゃん。 吐息混じりの声がよき。 自分の曲を好きな声や歌い方の人に歌ってもらうのって気分が良すぎて、最初に音源を送ってもらったときはしばらく頭が痺れた。 本当に、本当にありがとう! そういえば最近、翠ちゃんがそう。 多才~! 勝手に宣伝しておきます。 さらに彼女が所属するKensei Ogata Bandを率いる緒方さんが、ボーカル音源の調整も行ってくださいました。 この場を借りて御礼申し上げます。 ありがとうございました……! *** 特に環境を整えていない状態でのは正直かなり面倒だし思うように作業が進まない期間が長かったけれど、1カ月余りの時間をかけてようやく出来上がった。 気軽に作って気軽に配信して気軽に聴いてもらう、というのが理想のイメージなので、お好きな配信サービスで思い立ったときに聴いてもらえたらうれしい。 お勧めの時間帯は深夜(多分)。 また、一緒に曲を作りたい人、自分の曲を歌ってほしい人がまだまだたくさんいるので、もしかしたら声をかけるかもしれません。 あなたかもしれない。 ddtmk 映画館が閉まっている。 映画館が閉まっている!!!! ちょっと待ってくれ! 3月~4月公開で楽しみにしていた新作映画はどうなるんだ! 映画ファンはパニックである。 私は去年あたりから急に劇場で映画をたくさん観るようになった。 に入っているので家で観ることもあるが、やはり画質が気になるし、普段から注意散漫なので視覚的にも聴覚的にも映画に没入したく、できるだけ映画館で観るようにしている。 しかしその映画館も、換気はしっかりとされているものの人が集まる空間には間違いなく、 客観的には 不要不急の娯楽であることも疑いなく、緊急事態宣言に合わせてほとんど休業してしまった。 小規模な映画館は特に一時の休業でも痛手だろう……。 サポートしたいのは山々、しかし自分の暮らしで精一杯のフリーターに何ができるのか……そう思っていたときにでこんな記事を見つけた。 「仕事が減っています。 「でもいいですし、noteでも、ブログでもいいです。 媒体さんにもお願いしたいです。 」「とにかくこれをきっかけに映画に興味を持った人たちが、映画を趣味として受け入れやすくなるようなコンテンツがあるといいなと思います。 」 これならできる! とブログを更新することにした次第である。 奇しくも前回の更新が『ミッドサマー』を3回観た話だった。 ただ今回は、おすすめ映画以前に 「なぜわざわざ映画館で観るのか」「映画館ってこんなところ」ということについて書かせてほしい。 本記事は映画館に行く習慣のない方へ向けて書いたので、もちろん映画好き各位は「常識でしょ」と思うであろう情報を多分に含むことをご了承願いたい。 あと私は別に何の回し者でもない。 ただ映画を観る人が増えれば、好きな映画館がつぶれないで済むし、好きな映画作る人たちが映画を作り続けられるし、 映画について話せる友達が増えるしという自分勝手極まりない理由だ。 というのはまあ半分本気、半分冗談で、映画を観ると視野が広がるし、世界で注目されているテーマがよくわかる。 人間としてより善く生きるため、映画という文化を吸収することは価値があると思う。 もちろん、そんなことには全く役に立たない傑作クソ映画もある。 みんなちがってみんないいのである。 映画はいいぞ 現実逃避できるから。 美しい映像に心が癒されるから。 好きな俳優、声優の演技を堪能できるから。 歴史や会の問題に関する新たな視点を得られるから。 好きな小説や漫画が映像化されて、新鮮な楽しみ方ができるから。 好きなアーティストが挿入歌や主題歌を担当しているから。 きっと一つの作品でも観る人それぞれに観る理由があるし、そのどれもが素晴らしいものだと思う。 そして、それを100%、いや120%楽しむには やっぱり映画館だ! と強く思うのである。 映画館へ行こう 世間一般では、映画館なんて年に1回行くかどうかという頻度が普通らしい。 まずは映画館の良さをアピールしまくろうと思う。 映画館で観ることの良さ 映画館の良さはなんといっても 環境。 自宅であの環境を再現できる人間はチケット代を気にするまでもない金持ちだしそもそも映画好きだろうから置いておく。 まである大きなイスで、大きなスクリーンで、大きなスピーカーで映画を鑑賞できる環境は他にない。 しっかりと真っ暗なので、繊細な映像に集中することができる。 また、意外かもしれないが見ず知らずの人たちと同じ映画を観るのが結構良かったりする。 笑えるシーンで笑い声が起こったり、感動的なシーンですすり泣きが聞こえてきたりする。 私は一般の上映ではまだ見たことがないが拍手が起こることもあるらしい。 上映後、連れのいる人は感想を話しながら帰っていく。 自分に連れがいればぜひ映画の感想を話しながら帰ろう。 一人で来てそういうの盗み聞いて楽しんでるやつもいるから。 映画館の中でも大規模なではさらにグレードアップした設備を整えているから、さらに上質な、もしくは一味違った映画体験も可能だ。 例えばは劇場の壁一面がスクリーンになっていて、スピーカーの配置も計算されており、その凄さは映画が始まる前に自信たっぷりに説明してもらえる 毎回そういう映像が流れる。 チケット代は少し上がるが、映像美や音響の迫力を楽しみたい場合はおすすめだ。 3D対応の作品も増えてきたし、「4DX」「MX4D」という3Dを超えて振動や水滴、匂いの効果も加えて映画を体験することができる作品もある。 激しいアクションが売りの映画やアドものを観ると、2時間近くずっとアトションに乗っている気分だ。 値段は高くなるけれどこれが結構楽しい。 昔の映画を2Dのまま様々な効果を加えて上映する場合もある 去年観た4DX、かなり楽しかった。 ちなみにメガネユーザーは水滴がけっこう邪魔なので、コンタクトで行くかメガネ拭きを忘れずに持っていくとよいらしい。 あとはやっぱり、映画館で観ることで関わった人たちを金銭的に支えることができる点。 公開期間が延びるかどうか、DVDになるかどうか。 そういった部分はやはり映画が公開されて、どれだけ観られたかがカギになる。 好きな俳優やアーティストが参加していたら気が済むまで映画館で観よう。 映画を観よう。 逆にデメリットといえば、時間が合わないと観に行けないこと、お金がかかること、一時停止ができないこと、だろうか。 時間が合わないは仕方ないとして、少しでもチケット代を安く済ませる方法は後述する。 一時停止できないのも仕方ないので、トイレや用事はできる限り済ませておくしかない。 そういった困難を取り除いてこそ作品を味わうことができると思うので、そこは各自、努力で……。 観たい映画を探そう ところで、映画館でそもそもどんな映画がやっているのか、普段映画を観ない人が情報を手に入れるのは難しいんじゃないかと思う。 テレビでCMをやらないような映画にはもはやアクセスすることができない。 おすすめの映画情報サイトは 映画. com。 まあとりあえずアクセスしてみてほしい。 ランキング上位をチェックするもよし、「上映中の映画」から今やっている映画をチェックするもよし。 ポスターとタイトルだけでも気になったらクリックしてみてあらすじを確認する。 日本の映画ポスターは散々揶揄されている通り デザイン<<<情報量なので、とりあえずポスターを観たらどういう映画かざっくりとわかるようになっている。 そして予告編を見るもよし、見ないもよし。 たまに普通にネタバレしてくる予告編があるので気になる人は注意。 観たい映画があったら、「映画館を探す」から上映している映画館を確認できる。 近くでやっていればラッキー。 ちなみに会員登録すると見たい作品をブックマークしておくことができる。 観たら「鑑賞済み」に切り替えられて、映画鑑賞の簡単な記録にもなるので便利。 そのへんはアプリが便利なので入れておくとよい。 お得に便利に映画を観よう まずゼロから映画の情報を得るところまではこんな感じだろうか。 でも結局観に行かない人が多い。 その一番の理由は「料金が高い」だと思う。 日本の映画料金は高い。 一回1,900円もするのにハズレを引いたら最悪だと思う。 私もぶっちゃけ一般料金ではほぼ観ない。 だってお金ないもん……。 でも、安く映画を観る方法はいろいろある。 例えば、公開前に前売り券を買っておくとだいたい一般1,300~1,500円くらいで済む。 美術館のチケットみたいにポスターと同じデザインになっていたりして、見映えもよく記念になる。 それに 毎月1日 、レイトショー割、早朝割、レディースデー、映画館のサービスデー、会員割引なんかがある。 もちろん学生割引、シニア割引もあるし、を持っている人は同伴1名まで割引 大抵1,000円 になる。 生きているだけでお得に観られる人が周りにいたらぜひ誘って一緒に行こう。 割引サービスは映画館によって異なるので調べてみてほしい。 席の選択、チケットの購入はネットでもできるし、当日の劇場でもできる。 ただし公開されて間もない映画は、平日夜や土日に観に行こうとすると結構並ぶし最悪売り切れてしまうことがある。 大手TOHOシネマズはサイトからそのまま Payで支払いができるのでかなり便利。 カード番号をわざわざ打ち込まなくても、ですぐ支払い完了だ。 逆に怖い。 メールアドレスだけでも会員登録しておくとカード情報を記憶しておくことができる映画館サイトもあるので、家からのアクセスが良かったり、ラインナップが良かったりする映画館がわかってきたら、なんだかんだ登録しておくとよい。 メルマガも設定しなければそんなに来ない。 映画館ループにハマろう 不思議なことに、 映画館へ行っていると映画を観るようになる。 なぜかというと映画が始まる前には必ずと言っていいほど予告編の時間がある。 チケットに記載の上映開始時間の後も10~15分程度は予告編であることが多い。 そこで「あーこれ面白そうだな」と思い、観に行く。 またそこで別の映画の予告編を目にする。 「あーこれも面白そうだな」と思い、観に行く……そうして頭上にが回り始める。 もちろん「面白そうだな」で終わってしまうこともあるのだけれど、そこを観に行ってみることで、映画館で観るという体験の虜になっていくのだと思う。 ミニシアターへ行こう 私が初めて映画を観たのは地元のサティ 現イオン に入っていたシネマ 現。 ところで最近行くのはほとんどがミニシアターだ。 現在休業によって特に困っていると思われるミニシアターにも興味を持ってもらえたら嬉しいので、ミニシアターが好きな理由、良いところを考えてみた。 にはないラインナップ やっぱりミニシアターの良いところは、ではやらないようなまだの低い監督の作品だったり、インディーズ映画も上映してくれること。 特に日本のインディーズ映画ならお値段変わらず舞台挨拶つきの上映があったりして、監督や、さっきまでスクリーンの中にいた役者さんが目の前に出てきてお話をしてくれる。 もちろんテレビに出てくるような有名な役者さんが出てくることはほとんどないけれど、無名でもいい役者さんは本当にたくさんいる。 質問タイムを設けることも多いので、質問ついでに感想を伝えることもできる。 映画を紹介するPOPが楽しい こちらもミニシアターの醍醐味。 映画館スタッフが少しでも「観たい!」と思ってもらえるように頑張っている。 フォトスポット風になっていたり、雑誌の切り抜きがスクラップしてあったり、作中に登場する場所を再現していたり……とこだわりがすごい。 映画が始まるまでの間や終わったあとはそんなPOPたちを眺めながら期待を膨らませたり、余韻に浸るのもよい。 小さいからこそのリラックス感 学校の教室ほどしかないような小さな劇場もある。 その分、客席が少ないため他人が気にならない、リラックスして映画を観られるという良さがある。 例えば吉祥寺のスクリーン5番は、座席がなんと3列しかなくて、最前列でちょうどいい。 椅子やカーペットもこなれた雰囲気で、まるでのようなのだ。 気になった映画がたまたまそこでやっていれば迷わず最前列のど真ん中を予約する。 客層が良い(場合もある) あまり下げはしたくないし、某ミニシアターで一人で映画を観ていたら映画の感想を語りましょうの皮をかぶったナンパ 最悪! に遭ったこともあるので、一概に良いとは言えないけれど…… やっぱりミニシアターは多少なりとも映画好きな人が集まるので、比較的マナーが良いというか、映画を観るのに慣れているお客さんが多い。 少なくとも、携帯電話が気になっちゃうような人はそうそういない。 オリジナリティ溢れるマナー広告 地味に面白いのがこれ。 映画館によってはかなりあっさりしている場合もあるけれど、かなり凝っているところもあるので注目してほしい。 特に好きなのがとで、どちらもかわいくてシュールなアニメで上映中のマナー向上を呼び掛けてくれる。 ちなみによりちょっと強めの表現で呼び掛けてくれる。 マナーを守らないお客さんは、に飛ばされたり火あぶりに処されたりする。 みんな安くはないチケット代を払っているし、苦情を処理するスタッフだってそんなにいいお給料をもらっているわけではないはずだ。 誰も得しないので、マナーは守ろう……! 私の好きな映画館 最後に、私の好きな映画館たちを紹介する。 お得な会員制度から近くの飲食店事情まで、実際に行っているからこそ知っている情報を伝えたいと思う。 の流行が落ち着いて、映画館がまた開く日が来たら、ぜひ訪れてほしい。 (渋谷・吉祥寺) 一番お気に入りの映画館。 一番行っている。 去年から私は会員になっていて、これがとてもお得。 年間会費1,500円 22歳以下は500円! で 平日1,000円、 休日1,300円で映画が見られる。 特に吉祥寺は駅から近いし、できたばかりで内装がお洒落で綺麗だし、イスもふかふかで傾斜も程よくとても快適でおすすめ。 渋谷はちょっと駅から遠いしときどき会議室のちょっといいイスくらいのに座ることになってビビるが、やが近いので映画や美術館とのハシゴに便利だ。 ちなみに、吉祥寺は近くにくぐつ草やゆりあぺむぺるといったレトロな喫があるので、鑑賞前後は必ずどちらかでコーヒーを飲むのも楽しみの一つにしている。 後者に関しては多分店員さんに顔を覚えられている。 私は覚えてるから……。 シネマカリテ(新宿) 新宿のミニシアター。 東口・東南口からすぐの好立地なので、仕事終わりや夜遅くの鑑賞も楽ちん。 劇場はどれも結構小さめ、かつ傾斜が少ないので、特に背の低い人は前のほうで観るのがおすすめ。 同じビルや周りに飲食店も多いので、映画の前後に寄るのに便利。 武蔵野館(新宿) こちらも新宿のミニシアターで、シネマカリテと同じ系列。 館内POPがいつも凝っているイメージ。 休憩スペースがミニシアターにしては広くて、喫煙所もある。 ミニシアターは大抵開場が上映の10分前なのだけれど、ちょっと早く着きすぎちゃっても大丈夫だ。 こちらも近くなので、ごはんやお茶をする場所には困らない。 のか、JR山手線・・のが最寄り。 いわゆるで、旧作を 二本立て1,300円で観られる。 特別レイトショー上映は1,000円。 ほぼ毎週特集が変わるので見逃しに注意。 学生街なので多少がやがやしているが飲食店には困らないし安いお店が多い。 ヒューストシネマ(渋谷・有楽町) 私は入っていないのだが会員制度がお得。 年会費1,000円で「メンバーズカード」を作れば、、角川シネマ 有楽町 、EJアニメシアター新宿、シネマート 新宿、心斎橋 、での映画鑑賞が 1,300円、火曜と木曜は 1,000円になる。 金額もお得だし、こんなに色々な映画館で割引が使える制度はなかなかない。 渋谷のほうは、近くにあるFREEMAN CAFEがおすすめ。 コーヒーが美味しいしごはんもがよい。 同じビルに入っているのカフェはあんまりコーヒーがおいしくなかった。 TOHOシネマズ(新宿、渋谷、六本木など) 色々な場所にあって友達と観に行くのにも便利だし、最新作がいち早く観られるのが大手の良さ。 先述の通り予約と支払いがめちゃめちゃ楽。 や3D・4DX対応スクリーンも豊富。 六本木は近くにやもあり、休日の予定が充実する。 グランド(池袋) 最近できたばかりの綺麗な。 目当てでよく行く。 ビルの上のほうにあり複数階にまたがるため、あまり時間ギリギリにいくと焦ることになるので注意。 降りたところにがある。 周りにも飲食店が多く、腹ごしらえが気軽に済むのもよい。 とはいえ、今はお休みなので 私が6,000字を費やしたところで行くことはできない。 仕方ないので、ストリーミングで映画を観よう。 ということで漸くおすすめ映画について語りまくるフェーズに突入させてもらう。 次回へ続く……。 ddtmk 眠れないので文章を書く。 結局さらに目が冴える気もするし意味はないけれど…… とりあえず近況。 前髪とサイドにインナーカラーで赤を入れた。 それから次々と良いことが起こっている。 私が私らしい姿でいることで気持ちの面でも強くなれるし、周りからも魅力的に見えるのかもしれない。 まず、知人の紹介でようやくアルバイトが決まった。 事務や電話対応で平日10〜19時のみ。 シフト提出も融通がきく。 何より髪色や服装が自由。 会社はとてもきれいなオフィスで働くのが楽しみだ。 それから、新しくバンドに加入することになりそうだ。 ライブイベントで共演したバンドがベースを探していたそうで連絡をもらった。 とてもいい曲をやるバンドだなと思っていたので素直に嬉しかった。 現在既存曲の中。 こういうのは久しぶりでなんだか学生の頃を思い出して楽しい。 友達からとあるにも誘われたし、しばらくを定期的にやることになりそうだ。 他人のベースラインを弾くことをしばらくしていなかったので勉強にも練習にもなるし良いだろう。 2月頭は保険証もお金もなく10日ほど断薬せざるを得なくなり、その間ので大変なことになった。 ブレインザップというらしい。 立ち上がったり歩いたりという動作をするたびに頭を殴られるような電気ショックのような目眩に襲われて辛かった。 ほとんど寝て過ごしていた。 寝れば寝たで悪夢を毎日のように見た。 これもの一つらしい。 我慢の限界で全額負担で病院へ行った。 急に再開してもよくないということで現在毎日半錠を飲んでいる。 飲み始めてすぐに症状は見事に消えた。 このまま半錠で済ませて、早く飲まなくてもよくなりたい。 現在身体でつらいのは花粉症。 マスクはどこも品切れで困る。 金銭的にも問題山積みだ。 真面目に働いて節約を頑張る。 服もしばらく買っていないし食費も抑えるため一日一食。 未だに料理する気力はわかない。 一生わかないのではという気さえする。 今の家に越してきてから5月で2年が経つ。 同居人の事情などもあり契約更新のタイミングに合わせて引っ越すことになった。 今住んでいる町はとても気に入っているので、最近は積極的に近所の行ったことのないお店へ行き、通ったことのない道を歩いておこうとしている。 最近は駅までの道も意味もなく路地に入ってクネクネ歩いている。 そうしたらとても花のいい香りのする通りを見つけて嬉しくなった。 次に住む町もなんとなく決まっている。 タバコの吸えるこじんまりした喫を見つけたい。 あと最近Discordサーバーを作った。 ゲーム関連ではなく雑談やお題投稿系のテキストチャットだ。 よかったら覗いてほしい。 あ、少し眠くなってきたので5時間ほどだが眠ろうと思う。 書いてみるものだ。 ddtmk 本日1月24日で新卒入社した会社を退職した。 (保険の関係で正しくは1月30日付だけれども) 復職後も結局休んでしまうことが多く休職期間が既に満了していたということで、思ったよりも早い退職になった。 今日は出社してすぐ人事と面談をして、すぐ退職で話がまとまって、必要な書類を書いて、私物を片付けて、捨てそびれた書類をどっさりシュレッダーにかけて、私を何かと気にかけてくれていた先輩とコーヒーを飲んで、帰宅した。 退職、なんて自分には無関係だと思っていた。 昨今の風潮からぼんやりと会社にずっといるとは思っていなかったけれども。 自分でも突然無職になっちゃって、びっくりしちゃっている。 最近起きることは何もかもどこか他人事のようだ。 ということで、エンジニアのお約束、退職エントリってやつを書いてみる。 あまり参考にならないかもしれないけれども、せっかくの節目なので。 ・勤めていた会社について らしい。 一応一部上場企業で、とはいっても従業員数は400名程度。 大手というほどではない、独立系。 金融機関や、百貨店のEC事業、体、などなど多業種のユーザー向けソフトウェアの開発、カスタマイズ、保守が主な業務。 その他にもなんかもやっていた。 基本的には一次請けの仕事のみだが基幹システムを担うことはあまりなく、N〇Cやら富〇通やら、最近話題になったJ〇Pのサブシステムだった。 少なくとも私のいた部署はそんな感じ。 最近少しずつ改善されてきてはいるものの立場は営業>エンジニアという雰囲気。 男女比は9:1~8:2くらい。 一年目~二年目中盤あたりまでは開発 言語は 、テスト、保守をやり、二年目終盤~三年目初頭から上流工程にも参加させてもらい、小さな案件のプロジェクトリーダーを任された(が、その途中で蒸発したためやり遂げることはできなかった)。 なので私が会社で得たスキルはウェブアプリの基本的な作り方と周り。 ネットワークやサーバー周りはさっぱり。 のBronzeとは合格した。 応用情報の試験を受けそびれたまま。 多分ちょっと頑張れば受かる。 それから、私は体向けソフトの部署にいたので、ユーザーからの問い合わせ対応をするうちに税金や国民保険関連の法令知識も、ごくごく基本的な部分のみではあるがついた。 ・よかった点 半年近い期間を研修に費やしてくれる親切な企業だった。 無駄な時間がなかったとは言えないが、お陰で日本文学専攻、いにしえの女オタク特有のWebサイト作成の経験のみあり、の状態からやが書けるようになった。 ユーザーがほとんど体だったので出張が多かった。 これは新鮮な体験を好む私にはちょうどよかった。 寝坊して飛行機を逃し6万の自腹を切ったのは辛かった……けどいい思い出。 また、当たり前といえば当たり前なのだが、残業した分のお金はきちんと払われた。 同期や先輩との関係は良好。 同じ部署に同期がいなかったので、比べられて辛い思いをしたり、意識の低さにイライラしたりすることもなかった。 ・いまいちだった点 人手不足が深刻で、最初に所属された部署では先輩たちも半分心を病んでいるような状態だった。 人の入れ替わりも激しかった。 そして部長がタフすぎて、皆内心「ちょっとついていけないな……」と思っているようだった。 マネージャー的な人間が出張やら何やらで不在なことが多く、社内に残された自分に社内でしかできない仕事が回ってきたり、すぐに質問ができなかったり、これは自分の悪い癖だと自覚したのだが質問することをためらって必要以上に時間をかけ、その間も顧客対応でタスクが横入りしてきて仕事を抱え込んでしまうという悪循環に陥っていた。 あと的な文化が入社してすぐの頃は少し残っていて、スーツはスカートのみ、営業に女性は入れない、という謎のルールがあった。 現在は解消されている。 あと、飲み会には事務職の女性を無料で呼ぶという意味不明な文化もあった。 私は女性だがSEなので彼女らの分もお金を払った。 これについては、そういうことをするタイプの社員がいなくなったので今はもうないと思う。 ないことを願う。 ・退職を決めた理由 まずは仕事を抱え込みすぎてストレスが爆発してしまい元から情緒不安定だったところに拍車がかかってしまい、身体が動かなくなってしまって休職をした。 復職を決意した経緯はこの記事に書いた。 そうして条件付きで復職したものの結局思うように身体が動かず、人事からも「厳しい言い方になってしまうが、この状態では現場も安心して仕事を任せることができない。 復職は早かったのではないか」と心配されているところだった。 かといって、休職できる期間は規定上もう残っていない。 自分の性格上、生活環境を変えることにはあまり大きなストレスを感じない(むしろアドレナリンというかが出て、いつもより頑張れる)ので、いっそのこと働き方、働く場所もがらりと変えてしまおうと決意した。 とはいえ情緒不安定なところは変わらないのでフルタイムでないところからこつこつやっていこうと思う。 このご時世仕事なんていくらでもあるみたいだ。 また、信頼できるカウンセラーさんと話して「なんとかなる」と思えたことも大きかった。 今のあなたならこういう働き方がいいかもしれないよ、メンタルの不調で離職した人向けのエージェントもあるよ、と有益な情報を提供してくれた。 私と同じような境遇の人をたくさん知っていて、カウンセラー以外の仕事にも従事してきた経験豊富な心理士さんであるし、ここには書かないような個人的な暗い体験、心的外傷についても詳しく話してきた人なので、信用も信頼もできる情報源になっている。 ・これから退職、転職する人へアド 当たり前といえば当たり前だが本当は退職というのは計画的にやるべきだと思う。 健康な人は転職先を見つける、金銭的余裕を作っておく、といった準備を必ずしておくべきだ。 私は何もしていないのでこれから多額の負債を抱え、しばらくは様々な督促の電話におびえながら暮らすことになる。 こんなブログを書いて、空元気もいいところである。 ただ、幸い自社の持株会に入って月に1万円分の株を給与から天引きで購入していたので、1~2か月後にはまとまった金額が入ってきそうだ。 入社当初よりは確実に株価も上がっているし、3月なら多少いい額で売却できるだろうし、それなりの利益はありそうだ。 それでも貯金は全然ないし、医療費だってかさんでいる。 を申請して診察と処方薬の金額が1割負担になったとはいえ、カウンセリング 30分で3,400円 が対象外なので結局負担は大きいままなのだ。 この点についてはに対して強く改善を要請したく思っている。 ・これからの働き方、抱負など まったくもって未定だが、コールセンターやらデータ入力やらの高時給のアルバイトで食いつなごうと思う。 勤務場所もできるだけ近くで、週に3日程度から増やしていければと思う。 それにも慣れてきたら正社員も目指せる派遣に登録してみようと思う。 その間にやりたい仕事が見つかればそれを目指すかもしれない。 できればそういう会社が見つかればいいなあと思う。 事務的な単純作業も嫌いではないのだが、よりクリエイティブなことができればそれに越したことはない。 まずは、健康第一で無理なく自活できることを目指す。 住む場所も変えるかもしれない。 郊外のボロアパートで徹底的に固定費を減らして暮らしてみるのもありかもしれない。 プライベートでは、歌集を作る。 バンドのライブを増やす。 アートプロジェクトの企画をする。 マイペースになってもいいのでとにかく目指していることをきちんと形にして、生きていくことの糧にしたい。 ・そして…… 退職・転職エントリのお約束らしいのでおこがましくもを公開しておきます。 追伸 レンタルなんもしない人さん、結局こうなっちゃってすみません。 でもあの日のことは忘れがたい経験になりました。 年末年始もいろいろな予定をキャンセルしたり仕事を休んだりして 眠り続ける日があった。 しかしどちらかといえば身体的な不調から精神が疲弊する形のことが多く、ひどい落ち込みに陥ることは減ってきた。 カウンセリングの効果だろうか。 身体的な不調は自己診断してしまえば自律神経の失調状態だ。 寝起きが極端に悪く毎日眩暈がする。 頻繁に微熱が出る。 食欲がなく体重が40kgを切ることがある。 こんな状態でも慣れてしまえばそれなりに生活は送れる。 を飲んでいたときを思い出す。 動悸と口渇、 吐き気と引き換えに集中力の安定を手に入れてそれなりに生活を送っていた(結局副作用のほうが辛くなってしまってやめた)。 不公平だ、と時々思うけれども仕方のないことだ。 できる限りのことをする。 この考え方に至った経緯は後述する。 ところで、 とある友達が私のことをnoteに書いていてニヤニヤしながら読んだ。 私は様々な場面において無視され続けてきた( あるいは勝手にそう思い込んでいる愚かで哀れな)人間なので、 他者から見た自分というものに実はかなり興味があり、 それを知り得る機会があると飛びついてしまう。 恥ずかしいので普段はそんなふりをしないが所詮はそういう人間だ。 その文章を読んでいて、女性である自分、 についてふと考えたので、備忘録として書いておく。 私のとてもとても個人的な話。 私のは幼い頃から一貫して女性である。 が、そこにもコンプレックスがあるといえばある。 私の顔は目が細くて鼻や顎の骨格がしっかりしていて直線的で眉もきりっとしているので、 小学生の頃ショートヘアにしていたときはよく男の子と間違われた。 おまけに名前も環とどちらでもありそうなので名前を知られていても間違えられた。 よく覚えているのは、部の衣装で肩章のついたシャツに黒いパンツという格好をして女子トイレに並んでいたら、遠慮がちに「 ここ女子トイレですよ」と言われたこと。 クラスでも女の子になじめなかったし、 かといって男の子にもなじめなかった。 ドラマを見ていないから、 ジャニーズがわからないから、漫画を読んでいないから、 ブランドの服を持っていないから、 話を合わせるために嘘ばかりついていた。 できればそういう話についていける女の子になりたかった。 でも暴力はよくないし私の言葉遣いが汚いのは絶対にこのせいだと思う(人生の汚点)。 子供の喧嘩はすぐ仲直りするイメージがあるが私は女の子と仲がこじれるといつもうまく仲直りができなくて、というか、仲直りを放棄しがちで、友達が減っては出来、出来ては減りを繰り返して、色々な派閥にいたり、派閥から完全に断絶された場所にいたりもした。 そうやってクラスの女子の中に暗黙的に存在する派閥やには辟易していたけれど、自分が男の子だったらよかったとは思わなかった。 私がもし男の子だったら、女の子に混じって遊んでいて周りから余計な心配を買うタイプだったと思う。 要するにデフォルトのコミュニティ( というものが中学くらいまでは存在・機能していたように思う) の居心地が悪いので、 別の場所に異物として混入し続けることに安心を見出していた。 異物は注目される。 《クラスの同性》 というデフォルトコミュニティでは無視され蔑ろにされ続けてきた 人間にとっては都合のいいポジションだ。 という私が女子大に入ったのは意外に思うかもしれない。 私も正直友達など期待していなかった。 勉強ができればよかった。 実際、大学の同期とプライベートで遊ぶことはほとんどなかった。 今もで連絡がとれる状態の子が数人いる程度だ。 けれども一応日本文学専攻だったこともあり興味の範囲が似ている子が多かったし、付属高校がなくほとんどの人が指定校推薦か滑り止めで入ってくるような大学だったのでみんな基本的に真面目で、その点ではなじみやすい場所だった。 女子校出身の子が多く、彼女らの独特の奔放さも面白かった。 学びに集中するにはとても良い環境だったと思う。 ( でも入学したての頃は昼休みに食堂へ向かう列を見て「 本当に女子しかいねぇ~~~~!!!!」 と目を剥いた記憶がある) 話をとばしたが高校生活はわりあい平穏だった。 持ち前のデリカシーの無さで入学して最初にできた友人の輪からいきなり外れたり、 2年目はクラスに友達が一人もいなかったりしたが( この時点ではそういうことにもう慣れていた) 部活を掛け持ちしたおかげでたくさんの所属コミュニティを用意でき、言葉は悪いが潰しがきいた。 そこには男も女も半々くらいがいて、あまり女子は、男子は、ということを考えなかった記憶がある。 おそらく17、 18歳頃には男と女という括りのしがらみからに解放されたように思う。 性別違和を感じている人やではないと自覚している人が身近にいたこともあったし、の考え方が少しずつ広まってきていた頃で、そういうのに縛られるのは自分としても社会としても、 もう終わりなのかなと感覚的に腑に落ちた。 私自身もそもそも自他の境界が曖昧なところがあり、性別という括りで縛られることには違和感を感じる。 かといって自分は紛れもなく女性だと思うし、「女性らしい」と一般に言われるような服飾品や化粧品を買うのも好きだ。 女であることを踏まえてあえてボーイッシュな格好をするのも楽しい。 元から男らしくも女らしくもなかったから、 ファッションを用いてどちらにも転がることができて、 便利な顔と名前だなと今では思う。 しかし一方で私は現在、 紛れもない男性社会に属しているという事実がある。 大学時代はバンドサークルに入ったが男女比ではやはり男の方が多かったと思うし、 サークル引退後もバンドをやっていてもやはり男性の比率が圧倒的に高いと思う(なぜだろう?)。 自動的に、できる友達も同年代の女性に比べたら男性の比率が高いようだ。 新卒で入った会社も男女比9:1くらいだろうか、 フロアは見渡す限り男。 だからといってどうとも思わないし、女であることで得をしたことも損をしたこともない(いや、 得したことは少しある。 数少ない女性社員だからすぐ名前と顔を覚えてもらえることと、たまに飲み会でそんなに食べてないからと安くしてもらえることだ )。 結局私は未だに、異物であることに居心地の良さを感じているのだろうか。 それともどっちつかずの状態から男性に転じ、男性に同化することでその場に馴染んでいるのか。 自問自答が尽きない。 同性に対する拒否反応、というのは正直なところ、ある。 会社の更衣室ロッカーでは出来るだけ人に会いたくないし話もしたくない。 女だらけの職場だったらまた鼻つまみ者になるだろうと思ってしまう。 なぜかは自分でもよくわからないがそんな気がする。 結局のところ幼少期にうまく同性に馴染めなかったという意識がそう思わせるだけかもしれない。 実際に行ってみないとわからない。 一応、 女性の友人各位のために書いておくが女性という存在が心底苦手というわけでは決してない。 バンドをやっている中で、 気軽にごはんや映画に誘えたりする女の子の友達もできた。 皆個性的で好きなものに対してまっすぐでかっこいいし、私もそういう存在でありたいなと思う。 最近はカウンセリングの副産物として昔のことをよく思い出すようになった。 本当に色々なことが現在の私の思考の不健全さや歪みに繋がっているということが次々明らかになる。 交通事故のようなものだと言われて妙に納得した。 運悪く傷つけられ、その傷が後遺症となって大人になってもじくじくと痛む。 人は多かれ少なかれそういう事故に合っているのだろう。 私はちょっと多かったみたいだ。 その程度で不幸だとは思わなくなった。 不運と不幸は違う。 と思う。 ddtmk 12月2日から、休職していた会社に復職した。 5月まで所属していたの保守・新規導入を行う部署から、いわゆる社内SEの部署に異動になった。 顧客という概念がないので社会的責任という点では少し軽くなった。 しかしシステム管理者の知識はほとんどないので、とりあえず今は社内ネットワークで困っている人の話を聞いて取り次いだり、操作マニュアルサイトを作ったり、申請された手続きを行ってハンコを押す、というようなことをやっている。 問い合わせがないと暇なのでIFTTTについて調べたりで個人的なページを作ったりして遊んでいる(一日ネットサーフィンしててもいいよと先輩に小声で言われた。 その先輩もよく体調不良で遅れて来る。 人柄が良く頼み事をしやすいしそれを解決できる知識も持っているので、いつもとても忙しそうだ)。 復職と言ってもフルタイムでは働いていない。 休職期間のうちに満員電車でパニックを起こすことはなくなってきたし、夜遅く帰るほうが嫌なので9時~17時半の定時きっかりで退社ということに決めたが、いきなり週5勤務にして休みまくって迷惑をかけたくないので水曜日を休みにした。 しかしながら4日勤務できた週すら今のところない。 1月からは週3日勤務に変更して様子を見ることになった。 (休みを決めておけばその欠勤分はが申請できるらしい。 助かる) 前に一度だけ会って話したカウンセラーに笑われてからあまり言いたくなくなったのだが「今日これから外出する自分が想像できない」という状況になることがある。 あとは自律神経が狂ってよく微熱が出ているがそれくらいではもはや動じなくなった。 最近視界の端に変なものが見えるようになった。 原因はよくわからない。 本当はこの後に長く重苦しい自問自答を書き連ねていたのだけれど、読み返して馬鹿馬鹿しくなったので載せるのはやめる。 明日も仕事だ。 私が今やるべきことは薬を飲んで寝ること。 それだけだ。 ddtmk.

次の