菜の花 こころ の クリニック。 木洩れ日(こもれび)こころのクリニック

菜の花こころのクリニック(名古屋市中村区/中村公園駅)

菜の花 こころ の クリニック

当院は予約制となっております。 状況により当日診察可能な場合もありますが、予約の患者さんを優先しますので、お待たせすることや当日の診察がむずかしい場合があります。 予約は診療時間内に、電話あるいは直接来院にてお願いいたします。 毎回、必ず保険証の確認をさせていただいています。 お忘れにならないようご注意ください。 初診の方は、ご予約の際に、氏名、年齢、性別、連絡先とおおまかな相談内容をお尋ねします。 興奮の激しい方など入院が必要と思われる場合は、入院施設のある医療機関をお勧めする場合もあります。 あらかじめご了承ください。 また、飲酒されている場合も診察はできかねますのでご留意ください。 その他、学会などで休診となる場合もありますので、ホームページあるいはお電話でご確認ください。 お電話でのご予約・お問い合わせ (診療時間内にお願いいたします) TEL. 099-297-5439 FAX. 099-297-5449 お知らせ・活動報告.

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SANCHAこころのクリニック

菜の花 こころ の クリニック

こころの病気の的確な診断や適切な処方を心掛けています。 あなたがあなたらしく過ごせるよう、そっと寄り添いサポートいたします。 あなたに寄り添いサポートいたします。 <お気軽にご相談ください> 人として不遇な少年時代の経験、医師として岐阜大学病院や岐阜赤十字病院での経験を活かし、標準的な診断や薬物の適正使用を基本としつつ、一人の不器用な人間としてあなたやあなたの生き方に向き合いたいと考えています。 あなたを知る、その上で今置かれている環境や心身の状態に応じて 適切なアドバイスやちょっとした勇気とともにより良い医療ができたらと思います。 <明るく和みのある院内> 2016年2月1日に開業しました。 早いもので2年経ちましたが、試行錯誤の日々です。 相談しやすい雰囲気作りや、ほんのり落ち着けるように最大限配慮し院内設計しております。 院長こと私は40代で、周囲の人がいうには親しみやすく、おとなしい(おっとりした)人柄だそうです。 印象は人それぞれなので参考までに。 こころの不調を、お気軽にご相談ください。

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菜の花こころのクリニックの医療事務/受付求人情報(パート・バイト)

菜の花 こころ の クリニック

当院は正確な 診断や薬物の適正使用を基本とし、患者様それぞれの取り巻く環境や心身の状態に応じた、適切なアドバイスを心掛けております。 「その人がその人らしく、今日よりも明日が少しでも前向きに過ごせるように」、そんなクリニックを目指しています。 スタッフ一同、誠意をもってご対応させていただきますので、よろしくお願い申し上げます。 関市(旧武儀郡)武芸川町で生まれ、幼少期を山や川、田んぼに囲まれた豊かな自然の中で過ごす。 私立滝高校から岐阜大学医学部医学科入学。 卒業後、同大学医学部付属病院で初期臨床研修(内科・外科系)を修める。 同大学医学部付属病院精神及び神経病理学講座(精神科)に入局する。 同大学精神科医局に所属し、精神病理学の権威である小出教授指導の下で精神科専門研修を受ける。 その後は、岐阜赤十字病院精神科に勤務し、外来及び入院医療に携わり、精神疾患全域にわたり圧倒的な症例数をこなし標準的な治療を確立させる。 さらに、いまいせ心療センター(旧一宮市民病院今伊勢分院/認知症専門病院;物忘れ外来及び入院担当医)、好生館病院、北林病院等の民間病院での研鑽の場を得て、医療の習熟とともに地域医療に貢献すべく菜の花こころのクリニック開院に至る。 精神保健指定医、日本医師会認定産業医• 日本精神神経学会 所属• 日本老年精神医学会 所属• 日本うつ病学会 所属• 日本産業衛生学会 所属• 日本東洋医学会 所属 など ぼくは何もない山奥で育った。 不器用で要領の悪かったぼくは、学校の先生と衝突することが多く、周りの大人ともそりが合わなかった。 また友達ともよく衝突した。 父はぼくのことをよく怒ったが、常にぼくの味方だった。 誰がなんと言おうと、不器用なぼくの言葉を100パーセント信じてくれた。 どんなときも、ぼくの味方で一番の理解者であった。 全てを包み込んでくれた。 だから、ぼくは父の優しさをいつも感じていた。 ぼくは、小さな頃から、父の経営する小さな町工場を継ぎたいと思っていた。 しかし、ぼくに何かを見いだした父は、いつの日か、「お前の助けはいらん。 お前はお前で、勉強して自分で食っていけ。 工場は継がなくていい」と言った。 正直、ショックだった。 でも、今になって思うに、それは父が悩んだ末のぼくへ深い愛情だったのだろう。 ぼくには、男の兄弟がいなく、ぼくが跡を継がなければ工場は終わる。 父の本音は、工場を継いで欲しかったはずだと思う。 実際には、父は42歳の若さで他界し、工場は倒産、廃業となった。 それは、ぼくが高校に入学し、ほどなくしてからのことだった。 闘病の中で、父はぼくに医者になってほしいと望んだ。 父は、いつもぼくを包み込んでくれた。 その父がぼくに望んだことだ。 学校の先生は、「父親の希望はお前の希望ではない。 」と言った。 それでも、ぼくは、それが自分の目標点だと思った。 ぼくは、一度東京へ行ったものの、やはり医者になることを諦めきれずに岐阜に戻った。 大切な人や何かを失うことは、誰にとっても乗り越えるのに大変時間がかかることだ。 ぼくも、そうだった。 心療内科・精神科を受診される方の多くが、それぞれの喪失体験(健康や財産、仕事・役割の喪失、あるいは家庭不和、離別など)をされていることが多い。 乗り越えられないということは、苦しくて辛いことである。 その一方で、乗り越えられないということは、その失くしたものが、それだけ自分にとって大切なものであったということであり、誇りに思ってよいことだと思う。 だから、必ずしも乗り越えられなくてもいいのではないかな、とぼくは考える。 ぼくは父を失い、放心のような日々の後、医学部に入った。 その後も目標を見失うこともあったが、自分のような不器用な人間でも、何か人の役に立ちたいと思って、一生懸命勉強した。 心療内科・精神科を選んだのは、人それぞれの生き方に興味があったからだ。 また、ぼくだからこそ、出来ることがあると感じたからでもある。 人はいろいろな状況で互いを支えたり、支えられたりして日々を過ごしている。 よい出逢いもあれば、人生をくつがえすような出逢いもある。 その出逢いの一つが、このクリニックだとしたら……。 かつての父がぼくにしてくれたように、あなたの生活を見守って、あなたを信頼して、あなたの人生をつなぐ。 これまでに経験し、つちかってきた技巧にもとづいて、適切な対応を心掛け、「信じて、味方でいたい」。 これこそが、父の教えに基づいた、ぼくの診療方針であり、原点である。 これからも、初心を忘れず、精進していきたい。 主なこころの病気•

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