もののけ 姫 デイダラ ボッチ。 もののけ姫

【もののけ姫】シシ神(ディダラボッチ)についての考察、生と死を司る自然神!

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日本の伝承、伝説にでてくる巨人。 おもに関東、中部地方中心に広がっている伝承。 名前については、 ダイダラボウ(大太郎坊)、タイタンボウ、デイラボー、デイダラボッチ でいだらぼっち、ダダ坊などくの呼ばれ方があるようだ。 タラが貴人の尊称であるとか、タタラの転訛である等の諸説がある。 九州の大人弥五郎という同種の巨人の伝承もある。 具体的な姿は伝わっておらず、大きな窪みが巨人の大足跡だとか、足跡に水がたまってできた沼、などの事跡で伝わる。 東京の代田という地名もこの窪地が大太法師の足跡であるという伝説から来ているという。 他の国の伝承でも巨石をみて巨人が運んだのだ、など類似が見られるが人間の考え方として自然のなりゆきだろうか。 他に、富士山を背負おうとしたとか、山作りの際にこぼした泥が小山になった、伊豆半島を片手に 富士山の頂上によりかかり海水を飲み込んだなどという伝承もある。 一説では、天地創造起源に類する伝承から、創造神としての巨人が衰退したものと推測されたり、 あるいは大男や鬼などの伝説が巨人伝説になったとも考えられている。

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ジブリ

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20世紀の日本のアニメ界において最も有名な、最もたくさんの人々に観られた長編アニメ映画といえばこの、【もののけ姫】を挙げる人も少なくないと思います。 そういうのも、20世紀の日本の歴代興行収入において第1位を獲得しているからです。 いまなおその魅力や人気は衰えることはなく、スタジオジブリも大きく盛り上がっていますが、当時はさらなる盛り上がりを魅せていました。 その【もののけ姫】魅力の一つに神格化された存在との共生、また戦いがありますかつて「猩々」もその一つとされていましたが作中ではそんな風には描かれていません。 今回は、そんな「猩々」についての正体やその秘密についてのご紹介をしていきたいと思います。 C スタジオジブリ 【もののけ姫】の作中で描かれている猩々は二ホンザルよりも大きな霊長類として描かれ、体は闇に溶け込むほどに黒く、目だけが赤く光っていてとても不気味です。 人語を解し、片言ではありますが会話も成立します。 この状況からも、見た目的にはオランウータンに近い存在と考えることができると思います。 性格は卑屈にして卑怯、森を奪っていった人間を憎んでおりに対しても人間であるという判断をし石を投げつけてきます。 人間を倒す知恵を得るために人間を食べようと考え、サンに重傷を負って倒れているを差し出すよう要求します。 また、と猪達との戦いの直後、森に入ってきたに恐れ慄き、逃げ出していきます。 「猩々」の秘密 この「猩々」、作中では卑劣で卑屈な存在として描かれていますが、本来は森の賢者とも謳われるほどに知能も高く尊い存在でした。 しかし、自然を食い荒らす人間たちの前に無力を悟り、人間を食べれば人間の知能を得ることができるというような浅はかな思いをもって行動してしまいます。 本来の「猩々」達は今なお自然を愛し、自身らの生きる森を守るために木を植え続け、森を生き返らせようとする一面も見られています。 このことからも、「猩々」の本当の姿は森を守り、繁栄させる存在で森の住人達からも尊敬される存在であったと考えることができます。 度重なる自然破壊、人間という自然界にとっての大敵の前に粗暴な言葉を使用してしまったり、森を荒らす人間たちに対し荒ぶる性格へと変貌していった、一番の被害者達なのかもしれません。 「猩々」の名シーン・名セリフ 「猩々」の名シーンや名セリフをご紹介していきたいと思います。 「人間食う、人間の力もらう、人間やっつける力ほしい。 だから食う」 C スタジオジブリ 上記状況の流れで「猩々」達が、サンやアシタカそして山犬に向かって浴びせた言葉になります。 人型をしているが、山犬の姫としてあがめていたサンですが、「猩々」達もうすうす本物の人間であることに気づき人間の味方をしていると罵ります。 この言葉により、完全に森の賢者としての尊厳は失われてしまい、山犬に「無礼な猿どもめが!首を引きちぎってやる!」と激怒されてしまいます。 しかし、そのような言葉にも立ち向かうでもなく離れた場所から石を投げて反撃するという卑怯な攻撃をしてきます。 まとめ 人間の行ってきた自然破壊による、森の住人や動物たちへの影響が描かれています、人間たちの繁栄の裏側では「猩々」達のように生きる場所を追われた動物たちの犠牲の上に成り立っていることを痛感させられます。 ついには山犬の姫 仲間 に対してまでも矛先を向けてしまうようになってしまったという現実、悲しいですがこれが宮崎駿監督の描く、自然破壊への嘆き、悲劇である事が伝わってきますね。

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【もののけ姫】シシ神のモデルとは!?デイダラボッチとは何だったのか!?

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私はジブリ世代である。 ジブリ映画を観て育ってきたと言っても過言はないと思う。 何年経っても、何回観ても、宮崎駿の映画が好きで仕方ない。 幼稚園の頃は、母が迎えに来るまでトトロを観て待っていたし、小学生の頃は、母にねだって飛行石そっくりの鉱石のネックレスを買ってもらって呪文の練習をしていた。 中学生の頃の留学先では英語版のDVDを買っては観ていたお陰でよくホームシックになった。 大学生の頃の授業の課題論文では、ジブリの映画について書いて指定文字数を遥かに超えてしまい困ったりもした。 そんな長い付き合いのあるジブリ映画も年を重ねると違って見えたりもする。 そしてまたそこがいい。 子供と大人では観る視点、受け取り方が違う。 もののけ姫は特にそう感じる。 アシタカがサンにナイフを突きつけられながら言うこのセリフ。 サン「何故私の邪魔をした、死ぬ前に答えろ!」 アシタカ「そなたを死なせたくなかった」 サン「死など怖いもんか。 人間を追い払うなら命などいらぬ!」 アシタカ「分かっている。 最初に会ったときから。 」 サン「余計な邪魔をして無駄死するのはお前のほうだ! その喉切り裂いて二度と無駄口たたけぬようにしてやる!」 アシタカ「生きろ…」 サン「まだ言うか!人間の指図は受けぬ!」 アシタカ「 そなたは美しい。 」 子供の頃は、サンの外見のことを言っているのだと思っていた。 サンが美人でアシタカが一目惚れしたのだと。 今は、アシタカはサンの内側を大事にしたかったのだと思うようになった。 人間を敵にしても森を守って自然と共に生きようとするサンの心の美しさのことをきっとアシタカは言っていて、だから守ろうとしたのだなと。 そして「生きろ」はサンのその心に対するものなのかもしれないと思っている。 尖っているけれどその真ん中にあるのは森を守りたいという純粋な心だからサンは美しい。 自分たちの利益や欲を優先するものが多い描写の中だから余計に目立つのだと思う。 デイダラボッチの正体 夜はデイダラボッチの姿となる生と死どちらも持つシシ神に私はずっと疑問があった。 ジコ坊がシシ神の首をとって逃げ、シシ神があらゆるものの命を吸い取り大きく膨れ上がる場面。 人間だけではなく木々までも命をおとし、完全に制御不能となるが、サンとアシタカが首をシシ神に戻す。 その直後、シシ神が森に倒れ、強風であらゆるものが飛ばされてタタラ場までもが緑に戻っていく。 そのわずか数秒の場面と私が震災時に見た町の風景が重なることがある。 震災後から、デイダラボッチは津波みたいだと思うようになった。 または、津波がデイダラボッチなのかもしれない。 恐ろしいものと捉えているのではなく、自然を守りたい何かの力が働くことがあるのかもしれないと。 自然が侵され始め、あるところまで達した時に丸ごと更地に戻して、もう一度やり直すためなのではないかと思う。 エボシが最後のシーンで「みんなはじめからやり直しだ。 ここをいい村にしよう」と言うのは、きっとそういうことなのかなと思う。 * 最近どこかで読んだ記事で、宮崎駿が今の時代に映画を作るなら間違いなくもののけ姫だと言っていました。 そしてそれはもう作ってしまったと。 もののけ姫が上映されたのは20年以上も前です。 地球温暖化、環境破壊の深刻化が進む現代、サンやアシタカのような人間がまずはデイダラボッチに首を返さなければいけないのかもしれない、地球上で主導権を握りすぎた人間が自然にそれを返さなければならないのかな、そんなことをふと思います。 ジブリあまり詳しくない方はよくわからなかったと思います、失礼しました。 多少自己満足の記事となりましたがお読み頂きありがとうございました。 2020 Rin.

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