現代風源氏物語。 源氏物語のあらすじを簡単に!登場人物の詳しい紹介や結末ネタバレあり

【源氏物語尊い……】『更級日記』から見えてくるオタク女子の一生。

現代風源氏物語

をとればおなじ音を 弾 ( ひ )く (晶子) 東の院が美々しく落成したので、 花散里 ( はなちるさと )といわれていた夫人を源氏は移らせた。 西の対から 渡殿 ( わたどの )へかけてをその居所に取って、事務の扱い所、 家司 ( けいし )の詰め所なども備わった、源氏の夫人の一人としての体面を損じないような 住居 ( すまい )にしてあった。 東の対には 明石 ( あかし )の人を置こうと源氏はかねてから思っていた。 北の対をばことに広く立てて、かりにも源氏が愛人と見て、将来のことまでも約束してある人たちのすべてをそこへ集めて住ませようという考えをもっていた源氏は、そこを幾つにも仕切って作らせた点で北の対は最もおもしろい建物になった。 中央の 寝殿 ( しんでん )はだれの 住居 ( すまい )にも使わせずに、時々源氏が来て休息をしたり、客を招いたりする座敷にしておいた。 明石へは始終手紙が送られた。 このごろは上京を促すことばかりを言う源氏であった。 女はまだ 躊躇 ( ちゅうちょ )をしているのである。 わが身の上のかいなさをよく知っていて、自分などとは比べられぬ都の 貴女 ( きじょ )たちでさえ捨てられるのでもなく、また冷淡でなくもないような扱いを受けて、源氏のために物思いを多く作るという 噂 ( うわさ )を聞くのであるから、どれだけ愛されているという自信があってその中へ出て行かれよう、姫君の生母の貧弱さを人目にさらすだけで、たまさかの訪問を待つにすぎない京の暮らしを考えるほど不安なことはないと 煩悶 ( はんもん )をしながらも明石は、そうかといって姫君をこの 田舎 ( いなか )に置いて、世間から源氏の子として取り扱われないような不幸な目にあわせることも非常に哀れなことであると思って、出京は断然しないとも源氏へ答えることはできなかった。 両親も娘の煩悶するのがもっともに思われて 歎息 ( たんそく )ばかりしていた。 入道夫人の祖父の 中務卿 ( なかつかさきょう )親王が昔持っておいでになった別荘が 嵯峨 ( さが )の大井川のそばにあって、宮家の相続者にしかとした人がないままに別荘などもそのままに荒廃させてあるのを思い出して、親王の時からずっと預かり人のようになっている男を明石へ呼んで相談をした。 「私はもう京の生活を二度とすまいという決心で田舎へ引きこもったのだが、子供になってみるとそうはいかないもので、その人たちのためにまた一軒京に家を持つ必要ができたのだが、こうした静かな所にいて、にわかに京の町中の家へはいって気も落ち着くものでないと思われるので、古い別荘のほうへでもやろうかと思う。 そちらで今まで使っているだけの建物は君のほうへあげてもいいから、そのほかの所を修繕して、とにかく人が住めるだけの別荘にこしらえ上げてもらいたいと思うのだが」 と入道が言った。 「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、ひどく荒れたものですから、私たちは 下屋 ( しもや )のほうに住んでおりますが、しかし今年の春ごろから内大臣さんが近くへ 御堂 ( みどう )の普請をお始めになりまして、あすこはもう人がたくさん来る所になっておりますよ、たいした御堂ができるのですから、工事に使われている人数だけでもどんなに大きいかしれません。 静かなお 住居 ( すまい )がよろしいのならあすこはだめかもしれません」 「いや、それは構わないのだ。 というのは内大臣家にも関係のあることでそこへ行こうとしているのだからね。 家の中の設備などは追い追いこちらからさせるが、まず急いで大体の修繕のほうをさせてくれ」 と入道が言う。 「私の所有ではありませんが、持っていらっしゃる方もなかったものですから、一軒家のような所を長く私が守って来たのです。 別荘についた田地なども荒れる一方でしたから、お 亡 ( な )くなりになりました 民部大輔 ( みんぶだゆう )さんにお願いして、譲っていただくことにしましてそれだけの金は納めたのでした」 預かり人は自身の物のようにしている田地などを回収されないかと危うがって、権利を主張しておかねばというように、 鬚 ( ひげ )むしゃな醜い顔の鼻だけを赤くしながら 顎 ( あご )を上げて弁じ立てる。 「私のほうでは田地などいらない。 これまでどおりに君は思っておればいい。 別荘その他の証券は私のほうにあるが、もう世捨て人になってしまってからは、財産の権利も義務も忘れてしまって、 留守居 ( るすい )料も払ってあげなかったが、そのうち精算してあげるよ」 こんな話も相手は、入道が源氏に関係のあることをにおわしたことで気味悪く思って、 私慾 ( しよく )をそれ以上たくましくはしかねていた。 それからのち、入道家から金を多く受け取って大井の山荘は修繕されていった。 そんなことは源氏の想像しないことであったから、上京をしたがらない理由は何にあるかと怪しんでは、姫君がそのまま田舎に育てられていくことによって、のちの歴史にも不名誉な話が残るであろうと源氏は 歎息 ( たんそく )されるのであったが、大井の山荘ができ上がってから、はじめて昔の母の祖父の山荘のあったことを思い出して、そこを家にして上京するつもりであると明石から知らせて来た。 東の院へ迎えて住ませようとしたことに同意しなかったのは、そんな考えであったのかと源氏は合点した。 聡明 ( そうめい )なしかただとも思ったのであった。 惟光 ( これみつ )が源氏の隠し事に関係しないことはなくて、明石の上京の件についても源氏はこの人にまず打ち明けて、さっそく大井へ山荘を見にやり、源氏のほうで用意しておくことは皆させた。 「ながめのよい所でございまして、やはりまた海岸のような気のされる所もございます」 と惟光は報告した。 そうした山荘の風雅な女主人になる資格のある人であると源氏は思っていた。 源氏の作っている御堂は大覚寺の南にあたる所で、 滝殿 ( たきどの )などの美術的なことは大覚寺にも劣らない。 明石の山荘は川に面した所で、大木の松の多い中へ 素朴 ( そぼく )に寝殿の建てられてあるのも、山荘らしい寂しい趣が出ているように見えた。 源氏は内部の設備までも自身のほうでさせておこうとしていた。 親しい人たちをもまたひそかに明石へ迎えに立たせた。 免れがたい因縁に引かれていよいよそこを去る時になったのであると思うと、女の心は 馴染 ( なじみ )深い明石の浦に 名残 ( なごり )が惜しまれた。 父の入道を一人ぼっちで残すことも苦痛であった。 なぜ自分だけはこんな悲しみをしなければならないのであろうと、朗らかな運命を持つ人がうらやましかった。 両親も源氏に迎えられて娘が出京するというようなことは長い間寝てもさめても願っていたことで、それが実現される喜びはあっても、その日を限りに娘たちと別れて孤独になる将来を考えると堪えがたく悲しくて、夜も昼も物思いに入道は 呆 ( ぼう )としていた。 言うことはいつも同じことで、 「そして私は姫君の顔を見ないでいるのだね」 そればかりである。 夫人の心も非常に悲しかった。 これまでもすでに同じ家には住まず別居の形になっていたのであるから、明石が上京したあとに自分だけが残る必要も認めてはいないものの、地方にいる間だけの仮の夫婦の中でも月日が重なって 馴染 ( なじみ )の深くなった人たちは別れがたいものに違いないのであるから、まして夫人にとっては 頑固 ( がんこ )な我意の強い 良人 ( おっと )ではあったが、明石に作った家で終わる命を予想して、信頼して来た妻なのであるからにわかに別れて京へ行ってしまうことは心細かった。 光明を見失った人になって 田舎 ( いなか )の生活をしていた若い女房などは、 蘇生 ( そせい )のできたほどにうれしいのであるが、美しい明石の浦の風景に接する日のまたないであろうことを思うことで心のめいることもあった。 これは秋のことであったからことに物事が身に 沁 ( し )んで思われた。 出立の日の夜明けに、涼しい秋風が吹いていて、虫の声もする時、明石の君は海のほうをながめていた。 入道は 後夜 ( ごや )に起きたままでいて、鼻をすすりながら仏前の勤めをしていた。 門出の日は縁起を祝って、不吉なことはだれもいっさい避けようとしているが、父も娘も忍ぶことができずに泣いていた。 小さい姫君は非常に美しくて、夜光の 珠 ( たま )と思われる麗質の備わっているのを、これまでどれほど入道が愛したかしれない。 祖父の愛によく馴染んでいる姫君を入道は見て、 「 僧形 ( そうぎょう )の私が姫君のそばにいることは遠慮すべきだとこれまでも思いながら、片時だってお顔を見ねばいられなかった私は、これから先どうするつもりだろう」 と泣く。 「いきてまた逢ひ見んことをいつとてか限りも知らぬ世をば頼まん 送ってだけでもくださいませんか」 と父に頼んだが、それは事情が許さないことであると入道は言いながらも途中が気づかわれるふうが見えた。 「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、いよいよその気になって地方官になったのは、ただあなたに物質的にだけでも十分尽くしてやりたいということからだった。 それから地方官の仕事も私に適したものでないことをいろんな形で教えられたから、これをやめて地方官の 落伍 ( らくご )者の一人で、京で 軽蔑 ( けいべつ )される人間にこの上なっては親の名誉を恥ずかしめることだと悲しくて出家したがね、京を出たのが世の中を捨てる門出だったと、世間からも私は思われていて、よく潔くそれを実行したと私自身にも満足感はあったが、あなたが一人前の少女になってきたのを見ると、どうしてこんな珠玉を 泥土 ( でいど )に置くような残酷なことを自分はしたかと私の心はまた暗くなってきた。 それからは仏と神を頼んで、この人までが私の不運に引かれて一地方人となってしまうようなことがないようにと願った。 思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、われわれには身分のひけ目があって、よいことにも悲しみが常に添っていた。 しかし姫君がお生まれになったことで私もだいぶ自信ができてきた。 姫君はこんな土地でお育ちになってはならない高い宿命を持つ方に違いないのだから、お別れすることがどんなに悲しくても私はあきらめる。 何事ももうとくにあきらめた私は僧じゃないか。 姫君は高い高い宿命の人でいられるが、 暫時 ( ざんじ )の間私に祖父と孫の愛を作って見せてくださったのだ。 天に生まれる人も一度は 三途 ( さんず )の川まで行くということにあたることだとそれを思って私はこれで長いお別れをする。 私が死んだと聞いても仏事などはしてくれる必要はない。 死に別れた悲しみもしないでおおきなさい」 と入道は断言したのであるが、また、 「私は煙になる前の夕べまで姫君のことを六時の 勤行 ( ごんぎょう )に混ぜて祈ることだろう。 恩愛が捨てられないで」 と悲しそうに言うのであった。 車の数の多くなることも人目を引くことであるし、二度に分けて立たせることも 面倒 ( めんどう )なことであるといって、迎えに来た人たちもまた非常に目だつことを恐れるふうであったから、船を用いてそっと明石親子は立つことになった。 午前八時に船が出た。 昔の人も身にしむものに見た明石の浦の朝霧に船の隔たって行くのを見る入道の心は、 仏弟子 ( ぶつでし )の超越した境地に引きもどされそうもなかった。 ただ 呆然 ( ぼうぜん )としていた。 長い年月を経て都へ帰ろうとする尼君の心もまた悲しかった。 いくかへり行きかふ秋を過ごしつつ浮き木に乗りてわれ帰るらん と言っていた。 追い風であって、予定どおりに一行の人は京へはいることができた。 車に移ってから人目を引かぬ用心をしながら大井の山荘へ行ったのである。 山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、 住居 ( すまい )の変わった気もそれほどしなかった。 明石の生活がなお近い続きのように思われて、悲しくなることが多かった。 増築した廊なども趣があって園内に引いた水の流れも美しかった。 欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと明石の人々は思った。 源氏は親しい 家司 ( けいし )に命じて到着の日の一行の 饗応 ( きょうおう )をさせたのであった。 自身で 訪 ( たず )ねて行くことは、機会を作ろう作ろうとしながらもおくれるばかりであった。 源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は 明石 ( あかし )の家も恋しかったし、つれづれでもあって、源氏の形見の 琴 ( きん )の 絃 ( いと )を鳴らしてみた。 非常に悲しい気のする日であったから、人の来ぬ座敷で明石がそれを少し 弾 ( ひ )いていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。 横になっていた尼君が起き上がって言った。 ふるさとに見し世の友を恋ひわびてさへづることを 誰 ( たれ )か分くらん こんなふうにはかながって暮らしていた数日ののちに、以前にもまして 逢 ( あ )いがたい苦しさを切に感じる源氏は、人目もはばからずに大井へ出かけることにした。 夫人にはまだ明石の上京したことは言ってなかったから、ほかから耳にはいっては気まずいことになると思って、源氏は女房を使いにして言わせた。 「 桂 ( かつら )に私が行って 指図 ( さしず )をしてやらねばならないことがあるのですが、それをそのままにして長くなっています。 それに京へ来たら訪ねようという約束のしてある人もその近くへ上って来ているのですから、済まない気がしますから、そこへも行ってやります。 嵯峨野 ( さがの )の 御堂 ( みどう )に何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御 挨拶 ( あいさつ )に寄りますから二、三日は帰らないでしょう」 夫人は桂の院という別荘の新築されつつあることを聞いたが、そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくとうれしいこととは思えなかった。 「 斧 ( おの )の柄を新しくなさらなければ( 仙人 ( せんにん )の碁を見物している間に、時がたって気がついてみるとその 樵夫 ( きこり )の持っていた斧の柄は朽ちていたという話)ならないほどの時間はさぞ待ち遠いことでしょう」 不愉快そうなこんな夫人の返事が源氏に伝えられた。 「また意外なことをお言いになる。 私はもうすっかり昔の私でなくなったと世間でも言うではありませんか」 などと言わせて夫人の 機嫌 ( きげん )を直させようとするうちに昼になった。 微行 ( しのび )で、しかも前駆には親しい者だけを選んで源氏は大井へ来た。 夕方前である。 いつも 狩衣 ( かりぎぬ )姿をしていた明石時代でさえも美しい源氏であったのが、恋人に逢うがために引き繕った 直衣 ( のうし )姿はまばゆいほどまたりっぱであった。 女のした長い 愁 ( うれ )いもこれに慰められた。 源氏は今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、二人の中に生まれた子供を見てまた感動した。 今まで見ずにいたことさえも取り返されない損失のように思われる。 左大臣家で生まれた子の 美貌 ( びぼう )を世人はたたえるが、それは権勢に目がくらんだ批評である。 これこそ真の美人になる要素の備わった子供であると源氏は思った。 無邪気な 笑顔 ( えがお )の 愛嬌 ( あいきょう )の多いのを源氏は非常にかわいく思った。 乳母 ( めのと )も明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって美しい女になっている。 今日までのことをいろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、塩焼き小屋に近い 田舎 ( いなか )の生活をしいてさせられてきたのに同情するというようなことを言った。 「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。 したがって私が始終は来られないことになるから、やはり私があなたのために用意した所へお移りなさい」 と源氏は明石に言うのであったが、 「こんなふうに田舎者であることが少し直りましてから」 と女の言うのも道理であった。 源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。 なお修繕を加える必要のある所を、源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。 源氏が桂の院へ来るという 報 ( しら )せがあったために、この近くの領地の人たちの集まって来たのは皆そこから明石の家のほうへ来た。 そうした人たちに庭の植え込みの草木を直させたりなどした。 「流れの中にあった 立石 ( たていし )が皆倒れて、ほかの石といっしょに紛れてしまったらしいが、そんな物を復旧させたり、よく直させたりすればずいぶんおもしろくなる庭だと思われるが、しかしそれは骨を折るだけかえってあとでいけないことになる。 そこに永久いるものでもないから、いつか立って行ってしまう時に心が残って、どんなに私は苦しかったろう、帰る時に」 源氏はまた昔を言い出して、泣きもし、笑いもして語るのであった。 こうした打ち解けた様子の見える時に源氏はいっそう美しいのであった。 のぞいて見ていた尼君は老いも忘れ、物思いも跡かたなくなってしまう気がして 微笑 ( ほほえ )んでいた。 東の 渡殿 ( わたどの )の下をくぐって来る流れの筋を仕変えたりする 指図 ( さしず )に、源氏は 袿 ( うちぎ )を引き掛けたくつろぎ姿でいるのがまた尼君にはうれしいのであった。 仏の 閼伽 ( あか )の具などが縁に置かれてあるのを見て、源氏はその中が尼君の部屋であることに気がついた。 「尼君はこちらにおいでになりますか。 だらしのない姿をしています」 と言って、源氏は 直衣 ( のうし )を取り寄せて着かえた。 几帳 ( きちょう )の前にすわって、 「子供がよい子に育ちましたのは、あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうとありがたく思います。 俗をお離れになった清い御生活から、私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを感謝しています。 明石ではまた一人でお残りになって、どんなにこちらのことを想像して心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」 となつかしいふうに話した。 「一度捨てました世の中へ帰ってまいって苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、命の長さもうれしく存ぜられます」 尼君は泣きながらまた、 「 荒磯 ( あらいそ )かげに心苦しく存じました 二葉 ( ふたば )の松もいよいよ頼もしい未来が思われます日に到達いたしましたが、御生母がわれわれ 風情 ( ふぜい )の娘でございますことが、御幸福の 障 ( さわ )りにならぬかと苦労にしております」 などという様子に品のよさの見える婦人であったから、源氏はこの山荘の昔の 主 ( あるじ )の親王のことなどを話題にして語った。 直された流れの水はこの話に言葉を入れたいように、前よりも高い音を立てていた。 「いさらゐははやくのことも忘れじをもとの 主人 ( あるじ )や 面 ( おも )変はりせる 悲しいものですね」 と 歎息 ( たんそく )して立って行く源氏の美しいとりなしにも尼君は打たれて 茫 ( ぼう )となっていた。 源氏は 御堂 ( みどう )へ行って毎月十四、五日と三十日に行なう 普賢講 ( ふげんこう )、 阿弥陀 ( あみだ )、 釈迦 ( しゃか )の念仏の 三昧 ( さんまい )のほかにも日を決めてする 法会 ( ほうえ )のことを僧たちに命じたりした。 堂の装飾や仏具の製作などのことも御堂の人々へ 指図 ( さしず )してから、月明の 路 ( みち )を川沿いの山荘へ帰って来た。 明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって感傷的な気分になっている時に女はその夜の形見の琴を差し出した。 弾 ( ひ )きたい欲求もあって源氏は琴を弾き始めた。 まだ 絃 ( いと )の 音 ( ね )が変わっていなかった。 その夜が今であるようにも思われる。 変はらじと契りしことを頼みにて松の響に 音 ( ね )を添へしかな と言う。 こんなことが不つりあいに見えないのは女からいえば過分なことであった。 明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。 源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。 姫君の顔からもまた目は離せなかった。 日蔭 ( ひかげ )の子として成長していくのが、堪えられないほど源氏はかわいそうで、これを二条の院へ引き取ってできる限りにかしずいてやることにすれば、成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは源氏の心に思われることであったが、また引き放される明石の心が哀れに思われて口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。 子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、今はもうよく 馴 ( な )れてきて、ものを言って、笑ったりもしてみせた。 甘えて近づいて来る顔がまたいっそう美しくてかわいいのである。 源氏に抱かれている姫君はすでに類のない幸運に恵まれた人と見えた。 三日目は京へ帰ることになっていたので、源氏は朝もおそく起きて、ここから直接帰って行くつもりでいたが、桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。 源氏は装束をして、 「きまりの悪いことになったものだね、あなたがたに見られてよい 家 ( うち )でもないのに」 と言いながらいっしょに出ようとしたが、心苦しく女を思って、さりげなく紛らして立ち止まった戸口へ、 乳母 ( めのと )は姫君を抱いて出て来た。 源氏はかわいい様子で子供の頭を 撫 ( な )でながら、 「見ないでいることは堪えられない気のするのもにわかな愛情すぎるね。 どうすればいいだろう、遠いじゃないか、ここは」 と源氏が言うと、 「遠い田舎の幾年よりも、こちらへ参ってたまさかしかお迎えできないようなことになりましては、だれも皆苦しゅうございましょう」 など乳母は言った。 姫君が手を前へ伸ばして、立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、源氏は 膝 ( ひざ )をかがめてしまった。 「もの思いから解放される日のない私なのだね、しばらくでも別れているのは苦しい。 奥さんはどこにいるの、なぜここへ来て別れを惜しんでくれないのだろう、せめて 人心地 ( ひとごこち )が出てくるかもしれないのに」 と言うと、乳母は笑いながら明石の所へ行ってそのとおりを言った。 女は 逢 ( あ )った喜びが二日で尽きて、別れの時の来た悲しみに心を乱していて、呼ばれてもすぐに出ようとしないのを源氏は心のうちであまりにも 貴女 ( きじょ )ぶるのではないかと思っていた。 女房たちからも勧められて、 明石 ( あかし )はやっと 膝行 ( いざ )って出て、そして姿は見せないように 几帳 ( きちょう )の 蔭 ( かげ )へはいるようにしている様子に気品が見えて、しかも柔らかい美しさのあるこの人は内親王と言ってもよいほどに 気高 ( けだか )く見えるのである。 源氏は几帳の 垂 ( た )れ絹を横へ引いてまたこまやかにささやいた。 いよいよ出かける時に源氏が一度振り返って見ると、冷静にしていた明石も、この時は顔を出して見送っていた。 源氏の美は今が盛りであると思われた。 以前は 痩 ( や )せて 背丈 ( せたけ )が高いように見えたが、今はちょうどいいほどになっていた。 これでこそ貫目のある好男子になられたというものであると女たちがながめていて、 指貫 ( さしぬき )の 裾 ( すそ )からも 愛嬌 ( あいきょう )はこぼれ出るように思った。 解官されて源氏について 漂泊 ( さすら )えた 蔵人 ( くろうど )もまた 旧 ( もと )の地位に 復 ( かえ )って、 靫負尉 ( ゆぎえのじょう )になった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の 太刀 ( たち )を取りに戸口へ来た時に、 御簾 ( みす )の中に明石のいるのを察して 挨拶 ( あいさつ )をした。 「以前の御厚情を忘れておりませんが、失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、御挨拶を取り次いでいただく 便 ( びん )もございませんでしたから」 「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない 住居 ( すまい )と変わりもなくて、松も昔の(友ならなくに)と思って寂しがっておりましたが、昔の方がお供の中においでになって力強く思います」 などと明石は言った。 すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、驚異を覚えながらも 蔵人 ( くろうど )は、 「また別の機会に」 と言って男らしく肩を振って行った。 りっぱな 風采 ( ふうさい )の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。 源氏は車へ 頭中将 ( とうのちゅうじょう )、 兵衛督 ( ひょうえのかみ )などを陪乗させた。 「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」 源氏は車中でしきりにこう言っていた。 「昨夜はよい月でございましたから、 嵯峨 ( さが )のお供のできませんでしたことが 口惜 ( くちお )しくてなりませんで、 今朝 ( けさ )は霧の濃い中をやって参ったのでございます。 嵐山 ( あらしやま )の 紅葉 ( もみじ )はまだ早うございました。 今は秋草の盛りでございますね。 某朝臣 ( ぼうあそん )はあすこで 小鷹狩 ( こたかがり )を始めてただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」 などと若い人は言った。 「今日はもう一日 桂 ( かつら )の院で遊ぶことにしよう」 と源氏は言って、車をそのほうへやった。 桂の別荘のほうではにわかに客の 饗応 ( きょうおう )の 仕度 ( したく )が始められて、 鵜 ( う )飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。 大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を 萩 ( はぎ )の枝などへつけてあとを追って来た。 杯がたびたび巡ったあとで川べの 逍遥 ( しょうよう )を 危 ( あや )ぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。 月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。 絃楽のほうは 琵琶 ( びわ )、 和琴 ( わごん )などだけで笛の 上手 ( じょうず )が皆選ばれて伴奏をした曲は秋にしっくり合ったもので、感じのよいこの小合奏に川風が吹き混じっておもしろかった。 月が高く上ったころ、清澄な世界がここに現出したような今夜の桂の院へ、殿上人がまた四、五人連れで来た。 殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、 帝 ( みかど )が、 「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の 大臣 ( おとど )は来るはずであるのだ、どうしたか」 と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。 雲の上の住みかを捨てて 夜半 ( よは )の月いづれの谷に影隠しけん なおいろいろな人の作もあったが省略する。 歌が出てからは、人々は感情のあふれてくるままに、こうした人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気を起こしたが、二条の院を出て四日目の朝になった源氏は、今日はぜひ帰らねばならぬと急いだ。 一行にいろいろな物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。 近衛府 ( このえふ )の有名な芸人の 舎人 ( とねり )で、よく何かの時には源氏について来る男に今朝も「その 駒 ( こま )」などを歌わせたが、源氏をはじめ高官などの脱いで与える衣服の数が多くてそこにもまた秋の野の 錦 ( にしき )の翻る趣があった。 大騒ぎにはしゃぎにはしゃいで桂の院を人々の引き上げて行く物音を大井の山荘でははるかに聞いて寂しく思った。 言 ( こと )づてもせずに帰って行くことを源氏は心苦しく思った。 二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら夫人に 嵯峨 ( さが )の話をした。 「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。 風流男どもがあとを追って来てね、あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。 疲れてしまった」 と言って源氏は寝室へはいった。 夫人が気むずかしいふうになっているのも気づかないように源氏は扱っていた。 「比較にならない人を競争者ででもあるように考えたりなどすることもよくないことですよ。 あなたは自分は自分であると思い上がっていればいいのですよ」 と源氏は教えていた。 日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、源氏は隠すように紙を持って手紙を書いているのは大井へやるものらしかった。 こまごまと書かれている様子がうかがわれるのであった。 侍を呼んで小声でささやきながら手紙を渡す源氏を女房たちは憎く思った。 その晩は御所で 宿直 ( とのい )もするはずであるが、夫人の 機嫌 ( きげん )の直っていなかったことを思って、夜はふけていたが源氏は夫人をなだめるつもりで帰って来ると、大井の返事を使いが持って来た。 隠すこともできずに源氏は夫人のそばでそれを読んだ。 夫人を不愉快にするようなことも書いてなかったので、 「これを破ってあなたの手で捨ててください。 困るからね、こんな物が散らばっていたりすることはもう私に似合ったことではないのだからね」 と夫人のほうへそれを出した源氏は、 脇息 ( きょうそく )によりかかりながら、心のうちでは大井の姫君が恋しくて、 灯 ( ひ )をながめて、ものも言わずにじっとしていた。 手紙はひろがったままであるが、 女王 ( にょおう )が見ようともしないのを見て、 「見ないようにしていて、目のどこかであなたは見ているじゃありませんか」 と笑いながら夫人に言いかけた源氏の顔にはこぼれるような 愛嬌 ( あいきょう )があった。 夫人のそばへ寄って、 「ほんとうはね、かわいい子を見て来たのですよ。 そんな人を見るとやはり前生の縁の浅くないということが思われたのですがね、とにかく子供のことはどうすればいいのだろう。 公然私の子供として扱うことも世間へ恥ずかしいことだし、私はそれで 煩悶 ( はんもん )しています。 いっしょにあなたも心配してください。 どうしよう、あなたが育ててみませんか、三つになっているのです。 無邪気なかわいい顔をしているものだから、どうも捨てておけない気がします。 小さいうちにあなたの子にしてもらえば、子供の将来を明るくしてやれるように思うのだが、失敬だとお思いにならなければあなたの手で 袴着 ( はかまぎ )をさせてやってください」 と源氏は言うのであった。 「私を意地悪な者のようにばかり決めておいでになって、これまでから私には大事なことを皆隠していらっしゃるものですもの、私だけがあなたを信頼していることも改めなければならないとこのごろは私思っています。 けれども私は小さい姫君のお相手にはなれますよ。 どんなにおかわいいでしょう、その方ね」 と言って、女王は少し 微笑 ( ほほえ )んだ。 夫人は非常に子供好きであったから、その子を自分がもらって、その子を自分が抱いて、大事に育ててみたいと思った。 どうしよう、そうは言ったもののここへつれて来たものであろうかと源氏はまた 煩悶 ( はんもん )した。 源氏が大井の山荘を訪うことは困難であった。 嵯峨 ( さが )の 御堂 ( みどう )の念仏の日を待ってはじめて出かけられるのであったから、月に二度より 逢 ( あ )いに行く日はないわけである。 七夕 ( たなばた )よりは短い期間であっても女にとっては苦しい十五日が繰り返されていった。

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源氏物語『御法・紫の上の死』(宮も帰り給はで〜)の現代語訳と解説 / 古文 by 走るメロス

現代風源氏物語

スポンサーリンク 紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた 『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。 『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。 『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。 紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。 参考文献 『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫) 楽天AD [古文・原文] 若君は、いとむくつけく、いかにすることならむと、ふるはれ給へど、さすがに声立ててもえ泣き給はず。 「 少納言がもとに寝む」とのたまふ声、 いと若し。 「 今は、さは大殿籠もるまじきぞよ」と教へきこえたまへば、いとわびしくて泣き臥したまへり。 乳母はうちも臥されず、ものもおぼえず起きゐたり。 明けゆくままに、見わたせば、御殿の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず、庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて、かかやく心地するに、はしたなく思ひゐたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり。 け疎き客人などの参る折節の方なりければ、男どもぞ御簾(みす)の外にありける。 かく、人迎へ給へりと、聞く人、「誰れならむ。 おぼろけにはあらじ」と、ささめく。 御手水(みちょうず)、御粥など、こなたに参る。 日高う寝起き給ひて、「人なくて、悪しかめるを、さるべき人びと、夕づけてこそは迎へさせ給はめ」とのたまひて、対に童女召しにつかはす。 「小さき限り、ことさらに参れ」とありければ、いとをかしげにて、四人参りたり。 [現代語訳] 若君は、とても恐ろしくて、自分をどうなさるつもりなのだろうかと、ぶるぶると震えていらっしゃるが、やはり声を出してはお泣きになれない。 「少納言の乳母の所で寝たい」とおっしゃる声が、とても幼くて若い。 「今からは、そのように乳母と一緒におやすみになるものではありませんよ」と教えて聞かせれば、とても悲しくて泣きながらおやすみになられた。 少納言の乳母は、横にもなれず、何も考えられずに起きていた。 夜が明けていくにつれて、見渡すと、御殿の造り、調度品の様子は、改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような気持ちがするので、(自分が小さく感じられて)きまりの悪い思いでいたが、こちらの対には女房なども控えていなかった。 たまに来る客人などが参った折に使う部屋だったので、男たちが御簾の外に控えているのだった。 このように、女をお迎えになったと聞いた人は、「誰であろうか。 並大抵の人ではないのだろう」と、ひそひそ噂話をしている。 御手水、お粥などを、こちらに持ってくる。 日が高くなってお起きになられて、「女房がいなくて、不便だろうから、しかるべき人々を、夕方になってからお迎えなさってくださいね」とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人を遣わした。 「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言ったので、とても可愛らしい格好をした子供四人が参ったのである。 楽天AD [古文・原文] 君は御衣にまとはれて臥し給へるを、せめて起こして、「かう、心憂くなおはせそ。 すずろなる人は、かうはありなむや。 女は心柔らかなるなむよき」など、今より教へ聞こえ給ふ。 御容貌は、さし離れて見しよりも、清らにて、なつかしううち語らひつつ、をかしき絵、遊びものども取りに遣はして、見せたてまつり、御心につくことどもをしたまふ。 やうやう起きゐて見給ふに、鈍色のこまやかなるが、うち萎えたるどもを着て、何心なくうち笑みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、我もうち笑まれて見たまふ。 東の対に渡り給へるに、立ち出でて、庭の木立、池の方など覗き給へば、霜枯れの前栽(せんざい)、絵に描けるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位、五位こきまぜに、隙なう出で入りつつ、「げに、をかしき所かな」と思す。 御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つつ、慰めておはするもはかなしや。 君は、二、三日、内裏へも参り給はで、この人をなつけ語らひ聞こえ給ふ。 やがて本にと思すにや、手習、絵などさまざまに書きつつ、見せたてまつり給ふ。 いみじうをかしげに書き集め給へり。 「武蔵野と言へばかこたれぬ」と、紫の紙に書いたまへる墨つきの、いとことなるを取りて見ゐ給へり。 すこし小さくて、 「ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを」とあり。 [現代語訳] 姫君がお召物にくるまって臥していらっしゃったのを、無理に起こして、「このように、お嫌がりにならないで下さい。 いい加減な男は、このように優しくするでしょうか。 女性というものは、心が素直で柔らかいほうが良いのです」など、今からお教え申し上げなさる。 ご容貌は、遠くから見ていた時よりも、美しいので、優しい感じでお話をされながら、趣きのある絵、遊び道具類などを取りにやって、お見せ申し上げ、姫君に気に入られることなどをされる。 だんだんと起き出して座って御覧になられるが、鈍色の色の濃い喪服の、ちょっと柔らかくなったものを着て、何も考えずに無邪気に微笑んでいらっしゃる姫君の姿が、とても可愛らしいので、自分もつい微笑んでからその姿を御覧になる。 源氏の君が東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立、池の方などを、お覗きになると、霜枯れした前栽が、絵に描いたように美しくて、見たこともない四位や五位の人々の鮮やかな服装が色とりどりに混じり合っていて、休みなく出入りしている、「なるほど、素晴らしい所なんだわ」とお思いになる。 御屏風類などの、とても素晴らしい絵を見ながら、落ち込んだ気持ちを慰めていらっしゃるのも、頼りなげで可愛らしい。 源氏の君は、二~三日、宮中へも参内されず、この姫君を手懐けようとして、お話相手をされている。 そのまま手本にしようというお考えか、文字の手習、お絵描きなど、いろいろと書いて(描いて)は、姫君にお見せになられている。 とても素晴らしいものを、お書きになって集められた。 「武蔵野と言うと文句を言いたくなってしまう」と、紫の紙にお書きになった墨の具合が、とても格別で良いのを取って御覧になっている。 少し小さくて、 「まだ一緒に寝てはいませんが愛しく思われます。 武蔵野の露に難儀しておられる紫のゆかりである若い姫君を」とある。 楽天AD [古文・原文] 「いで、君も書い給へ」とあれば、「まだ、ようは書かず」とて、見上げ給へるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそ悪ろけれ。 教へ聞こえむかし」とのたまへば、うちそばみて書い給ふ手つき、筆とり給へるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す。 「 書きそこなひつ」と恥ぢて隠し給ふを、せめて見給へば、 「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ」と、 いと若けれど、生ひ先見えて、ふくよかに書い給へり。 故尼君のにぞ似たりける。 「今めかしき手本(てほん)習はば、いとよう書い給ひてむ」と見たまふ。 雛など、わざと屋ども作り続けて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり。 かのとまりにし人びと、宮渡り給ひて、 尋ね聞こえ給ひけるに、聞こえやる方なくてぞ、わびあへりける。 「しばし、人に知らせじ」と君ものたまひ、少納言も思ふことなれば、せちに口固めやりたり。 ただ、「行方も知らず、少納言が率て(ゐて)隠し聞こえたる」とのみ聞こえさするに、宮も言ふかひなう思して、「故尼君も、かしこに渡り給はむことを、いとものしと思したりしことなれば、乳母の、いとさし過ぐしたる心ばせのあまり、おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで、心にまかせ、率てはふらかしつるなめり」と、泣く泣く帰り給ひぬ。 「もし、聞き出でたてまつらば、告げよ」とのたまふも、わづらはしく。 僧都の御もとにも、尋ね聞こえ給へど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌など、恋しく悲しと思す。 北の方も、母君を憎しと思ひ聞こえ給ひける心も失せて、わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、口惜しう思しけり。 やうやう人参り集りぬ。 御遊びがたきの童女、児ども、いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば、思ふことなくて遊びあへり。 君は、男君のおはせずなどして、さうざうしき夕暮などばかりぞ、尼君を恋ひきこえ給ひて、うち泣きなどしたまへど、宮をばことに思ひ出で聞こえ給はず。 もとより見ならひ聞こえ給はでならひ給へれば、今はただこの後の親を、いみじう睦びまつはし聞こえ給ふ。 ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。 さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。 さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば、わが心地もすこし違ふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひの他のこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり。 女などはた、かばかりになれば、心やすくうちふるまひ、隔てなきさまに臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、思ほいためり。 [現代語訳] 「さあ、あなたもお書きなさい」と源氏の君が言うと、「まだ、上手く書けません」と姫君は言って、顔を見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、源氏の君もつい微笑まれて、「上手でなくても、まったく書かないというのは良くありません。 お教えしましょう」とおっしゃると、ちょっと体をすぼめてお書きになる手つき、筆をお持ちになる様子が幼い感じなのも、可愛らしいものだと思ったので、自分の心ながら不思議だと思われる。 「書き間違ってしまいました」と、恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、 「恨み言を言われる理由が分かりませんが、私はいったいどのような方のゆかりなのでしょうか」と、とても幼稚な文字ではあるが、将来の成長が見えるような、ふっくらとした文字をお書きになっている。 亡くなった尼君の筆跡に似ているのだった。 「今風の手本を習ったならば、もっと上手く文字をお書きになるだろう」と御覧になっている。 雛人形なども、特別に御殿をいくつも造って並べ、一緒に人形で遊んで、この上ない気持ちを紛らわしてくれるお相手になっておられる。 あの大納言家に残った女房たちは、兵部卿の宮様(姫君の父上)がお越しになられて、姫君についてお尋ね申し上げられるのだが、何とお答え申し上げれば良いのか分からず、困り合っていた。 「暫くの間、他人に知らせてはいけない」と源氏の君もおっしゃっていて、少納言の乳母もそう考えていることなので、強く口止めをさせていたのである。 ただ、「行く方も知れず、少納言の乳母がお連れしてお隠し申し上げたことでして」とばかりお答え申し上げるので、宮様もどうしようもないとお思いになられて、「亡くなった尼君も、あちらに姫君がお移りになることを、とても嫌だとお思いになられていたので、乳母が、ひどく差し出がましい考えから、すんなりとお移りになるべきなのを、不都合だ、などとも言わないで、勝手に自分の一存でもって、姫君を連れ出してどこかへ連れていってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。 「もし、姫君の消息について聞くことがあれば、知らせなさい」とおっしゃるのも、煩わしいものである。 僧都の御所にも、お尋ね申し上げなさるが、はっきりと分からず、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しくお思いになる。 北の方も、その母親を憎いとお思い申し上げていた感情も消えて、姫君を自分の心の思いのままにできるとお思いになっていた当てが外れたのは、残念にお思いになっている。 次第に女房たちが集まって来た。 お遊び相手の童女や、幼い子供たちも、とても珍しく当世風なご様子なので、何も考えずに遊び合っていた。 若紫の姫君は、男君がいらっしゃらないなどして、寂しい夕暮の時などだけは、尼君のことを恋しくお思い出しになられて、つい泣きそうになったりなどされるが、父の宮様のことは、特にお思い出しにはならない。 最初からご一緒ではない形で過ごして来られたので、今はただこの後の親を、とても馴れて親しくされていらっしゃる。 用事を終えてお帰りになると、まずお出迎えして、しみじみとお話をなさって、お胸の中に入って、少しも嫌がったりせず、恥ずかしいとも思っていない。 そうした時には、ひどく可愛らしい様子なのであった。 小賢しい智恵がついて、何かと面倒くさい関係になってしまうと、自分の気持ちとは少し合わない所も出て来たのだろうかと、心を置かれて、相手も恨みがちになり、意外なもめ事が 自然と出て来るものなのに、若い姫君は本当に可愛らしい(面倒な所のない)遊び相手である。 女などというものは(自分の娘であっても)、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きすることなどは、とてもできないものだろうが、この姫君は、とても風変わりで大切な人だと、源氏の君はお思いのようである。

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源氏物語

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「源氏物語」主な登場人物• 光源氏:桐壺帝の第二皇子。 母の身分が低いため、臣下の身分に落とされる。 白皙の美男子で、学問・詩歌・管弦などのあらゆる才能にあふれている• 藤壺:源氏の母・桐壺更衣にそっくりで、更衣亡き後に桐壺帝の妻になる。 源氏の初恋の人• 葵の上:源氏の親友・頭中将の妹で、源氏の正妻。 源氏より4才年上。 気位が高い• 紫の上 若紫 :藤壺の姪で、源氏が生涯愛し続けた姫• 六条御息所:源氏より7才年上の未亡人。 物事を思いつめてしまう性格ゆえに生霊となってしまう• 明石の君:源氏が左遷中に出会った、自立した女性• 女三宮:源氏の義兄の娘で、第2の正妻。 頭中将の息子・柏木と密通してしまう• 柏木:頭中将の息子。 蹴鞠の大会で女三宮に惹かれる [ad co-1] 楽天で購入 ここからは、「源氏物語」の物語の内容についてさらに詳しく紹介しましょう(一部ネタバレを含みますので注意してください) とても長い源氏物語も、ここさえおさえておけばメインストーリーの流れが分かりますよ。 第一部では、源氏の誕生から初恋の女性の死までを描きます。 桐壺:源氏の誕生と義母の入内 源氏1~12才 桐壺帝は身分の低い桐壺更衣を寵愛し、更衣は皇子を産みます。 しかし、更衣は女官たちからの嫉妬やいじめに耐えられず、皇子が3才の時に病死してまいました。 悲しんだ帝は、更衣にそっくりな藤壺を新たな妻に迎えます。 皇子は、亡き母に似ているという藤壺を慕うようになります。 12才になった皇子は元服し、「源氏」の姓を与えられて臣下の籍に入りました。 その夜、左大臣の娘で4才年上の葵と結婚します。 皇子は、その光り輝く美貌から、いつからか「光源氏」と呼ばれるようになっていきます。 [ad co-1] 若紫:若紫との出会いと藤壺の妊娠 源氏18才 病気の療養のため、京都北山の寺に出かけた源氏は、藤壺によく似た少女と出会います。 少女は藤壺の姪にあたり、藤壺に恋心を抱いていた源氏は、少女を引き取って育てたいと思いました。 その年の冬、少女の後見人だった尼君が亡くなり、源氏は少女を引き取ります。 この少女が後の紫の上です。 一方、病気で地元に帰っていた藤壺は、源氏と密会し、直後に妊娠が発覚します。 葵:車争いと葵の死 源氏22~23才 桐壺帝が退位し、源氏の義兄・朱雀帝が即位しました。 賀茂祭の日、葵の上と六条御息所は見物に出かけます。 道が混んでおり、車を止める場所をめぐって2人は争いになります。 勝利したのは、葵の上でした。 それを恨んだ六条御息所は、生霊となって葵の上を苦しめます。 妊娠していた葵の上は、息子・夕霧を産むと、亡くなってしまいました。 悲しみにくれる源氏は、自身を慰めようと若紫をかわいがり、新枕を交わします。 [ad co-1] 明石:明石の君と源氏の帰京 源氏28~29才 朱雀帝の妻になる予定の女性・朧月夜と関係してしまった源氏は、罪を着せられる前に逃れようと、須磨へ向かいます。 ですが、夢に桐壺帝が現われ、須磨を離れるように指示されました。 忠告に従い、明石へ行った源氏は、現地の娘・明石の君と契ります。 一方、身内の不幸が続いて気弱になっていた朱雀帝は、源氏を呼び戻すことを決意しました。 源氏は、懐妊した明石の君を残し、都へ戻ります。 薄雲:明石の姫君の入内、冷泉帝が真実を知る 源氏32~33才 明石の君の娘・明石の姫君は、将来のことを考え、源氏に引き取られました。 紫の上の養女とされた明石の姫君は、後に朱雀帝の息子・今上帝の妻となります。 翌年、藤壺が重い病気になり、死去しました。 その法要が終わった後、源氏と藤壺の不義の子で、表向きは桐壺帝の子どもである冷泉帝が自分の出生の秘密を知ります。 冷泉帝は、実父が臣下であるのは申し訳ないと、源氏に皇位を渡そうとしました。 しかし、源氏はそれを拒否し、秘密を守り通そうとします。 [ad co-1] 楽天で購入 第二部は、源氏が新たな正妻を迎えるところから、彼の死までを描きます。 若菜 上:源氏の新たな結婚と柏木の恋 源氏39~41才 朱雀院が出家するにあたり、娘・女三宮を源氏に嫁がせます。 源氏にとって、葵の上に次ぐ第2の正妻でした。 源氏は、約20才ほどの年齢差がある女三宮に愛情を感じることができません。 その年の秋、源氏が後見している明石の姫君が東宮 次期帝 の子どもを出産し、源氏の権勢は絶頂になります。 ある日、六条院で蹴鞠の遊びが催されました。 頭中将の息子・柏木は、あるハプニングで御簾の向こうにいた女三宮の顔を見てしまいます。 それ以降、柏木は女三宮に想いを寄せます。 [ad co-1] 若菜 下:紫の上の病気、柏木と女三宮の密通 源氏41~47才 冷泉帝が退位し、新たな帝の世になりました。 紫の上が病に倒れ、源氏は必死で看病します。 一方、紫の上につきっきりになった源氏に放っておかれていた女三宮の元に、柏木が忍びこんで想いを伝えました。 柏木の子どもを懐妊してしまった女三宮を見舞った源氏は、偶然、柏木の恋文を見つけ、悩みます。 源氏に遠回しに皮肉を言われた柏木は、良心の呵責を感じ、病気になってしまいます。 御法:紫の上の死 源氏51才 病がちな紫の上は自分の死期を悟り、出家を願いますが、源氏はそれを許しません。 その年の秋、紫の上は明石の姫君と源氏に看取られながら、息を引き取りました。 世間体を気にして出家をこらえる源氏ですが、悲しみの日々を過ごしていきます。 [ad co-1] 「源氏物語」の見どころは? 「源氏物語」には、さまざまな魅力があります。 その中から3点にしぼって、紹介します。 平安貴族の文化を詳しく知ることができる 宮中が舞台なだけあって、宴や遊びなどのシーンが多く登場します。 当時の「結婚」や男女間の逢瀬の作法も知ることができます。 平安文化や貴族文化などを知りたい方は、物語を楽しみながら勉強できますよ! [ad co-1] 「ツンデレ」「ヤンデレ」など、現代の言葉にあてはめられるさまざまなタイプの魅力的なヒロインたち 楽天で購入 源氏が愛した女性たちは、さまざまなタイプがいました。 幼女から自分好みの女性に育てた紫の上、初恋で義母な藤壺、ツンデレお嬢さまの葵の上、ヤンデレ未亡人な六条御息所、40才年上の老女・源典待、不美人な才女・末摘花、寝取られロリ属性の女三宮など。 源氏の好みの範囲が広いことがよく分かります。 堅苦しいものが苦手でも、こうやって当てはめてみると読みやすくなるのではないでしょうか。 聖地巡礼したくなる!美しい風景・場所 主に宮廷が舞台ですが、療養や遊びに出かけた時など、京都のさまざまな場所が出てきます。 美しい描写に惹かれて、物語を読んだ後は京都に行きたくなること間違いなし。 現地を訪れて、「ここで源氏がこういうことをしたのか」なんて想像するのも楽しいかも? [ad co-1] まとめ 今回は、「源氏物語」のあらすじについて簡単にまとめてみました。 源氏の波乱万丈な一生に注目して読んでみてくださいね。 「源氏物語」に興味がある方は、ぜひ参考にしてください! [ad co-1].

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