基本 的 人権 の 尊重。 基本的人権の尊重って何条にありますか?自由権とか集まって基本的人権の尊...

「いじめ」はどのように、基本的人権を侵害するか 【憲法を観る】

基本 的 人権 の 尊重

条文 [ ] - 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 解説 [ ] 本条は、基本的の内容につき規定する第3章に位置し、いわゆる人権カタログにおける包括的条文としての役割を果たす。 「」は、日本国憲法の三大原理の根底に置かれる理念であるとされる。 また、憲法が「基本的人権の尊重」を憲法を構成する原理とすることの根拠条文の一つとなっている。 以下の各規定に具体的な根拠を求めにくいが憲法上の保護が認められるべき権利については、本条を根拠として憲法上保護された権利であると認められることがある(の権利、、など)。 これらの権利は、比較的その権利性が重視されるようになったのが最近であることから、「」と呼ばれるものが多い。 日本国憲法が施行以来改正されていないことから、新しい人権に関して、憲法の条項を新設して明示にて人権カタログに追加する余地はなく、そのため、特定の権利について憲法上その権利を保護すべきと考える場合には、それを憲法の条項中、どの条文を基礎とするものと位置づけるべきかが議論となり、包括的な内容を有する本条が根拠条文としてよく利用されてきたと言える。 第2文に規定されるうち、「幸福追求に対する国民の権利」の部分については、と呼ばれ、本条の中では比較的具体的に規定されたものとして捉えられている。 なお、には、本条に相当する人権(の権利)に関する包括的な規定は存在しない。 沿革 [ ] 大日本帝国憲法 [ ] なし GHQ草案 [ ] 、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」。 日本語 [ ] 第十二条 日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊敬セラルヘシ一般ノ福祉ノ限度内ニ於テ生命、自由及幸福探求ニ対スル其ノ権利ハ一切ノ法律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ 英語 [ ] Article XII. The feudal system of Japan shall cease. All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness within the limits of the general welfare shall be the supreme consideration of all law and of all governmental action. 憲法改正草案要綱 [ ] 、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」。 第十二 凡テ国民ノ個性ハ之ヲ尊重シ其ノ生命、自由及幸福希求ニ対スル権利ニ付テハ公共ノ福祉ニ牴触セザル限リ立法其ノ他ノ諸般ノ国政ノ上ニ於テ最大ノ考慮ヲ払フベキコト 憲法改正草案 [ ] 、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」。 第十二条 すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 国連の勧告「国内法を国際人権規約に合致させるよう、法的措置をとるべき」 [ ] は、国際条約であるに基づき、「公共の福祉」を理由とした基本的自由の制限が懸念されるため、「国内法を規約に合致させるよう」、また「法的措置をとるべき」と日本国に対して勧告している。 1726-1727)において最終見解を採択した。 主な懸念事項及び勧告 委員会は、「公共の福祉」に基づき規約上の権利に付し得る制限に対する懸念を再度表明する。 この概念は、曖昧、無制限で、規約上可能な範囲を超えた制限を可能とし得る。 前回の見解に引き続いて、委員会は、再度、締約国に対し、国内法を規約に合致させるよう強く勧告する。 2008年10月30日(日本時間)の勧告 [ ] 自由権規約委員会は、2008年10月28日及び29日に開催された第2592回、第2593回、第2594回会合において最終見解を採択した。 主な懸念事項及び勧告 委員会は、「公共の福祉」が、恣意的な人権制約を許容する根拠とはならないという締約国の説明に留意する一方、「公共の福祉」の概念は、曖昧で、制限がなく、規約の下で許容されている制約を超える制約を許容するかもしれないという懸念を再度表明する。 (第2条)。 締約国は、「公共の福祉」の概念を定義し、かつ「公共の福祉」を理由に規約で保障された権利に課されるあらゆる制約が規約で許容される制約を超えられないと明記する立法措置をとるべきである。 3092)において,以下の最終見解を採択した。 主な懸念事項及び勧告 「公共の福祉」を理由とした基本的自由の制限 委員会は,「公共の福祉」の概念が曖昧で制限がなく,規約の下で許容されている制限を超える制限を許容し得ることに,改めて懸念を表明する(第2条,第18条及び第19条)。 10)を想起し,締約国に対し,第18条及び第19条の各第3項に規定された厳格な要件を満たさない限り,思想,良心及び宗教の自由あるいは表現の自由に対する権利への如何なる制限を課すことを差し控えることを促す。 関連訴訟・判例 [ ]• 最高裁判所第三小法廷判決昭和33年5月6日 - 、、18条• 最高裁判所大法廷判決昭和35年7月20日 - 、憲法11条、• 憲法13条は、国民の私生活上の自由が、等の国家権力の行使に対しても保護している。 個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・態姿を撮影されない自由を有する。 がの必要上写真を撮影する際に、のみならず第三者である個人が含まれているとしても、許容される場合があり得る。 会社のを巡る争訟でが犯罪歴を開示した事件、およびその是非について争われた• 「及び犯罪経歴は人の名誉、信用に直接に関わる事項であり、前科等のあるものもこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する」• 「市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。 - 、• オービス事件• - 憲法13条、憲法21条• 最高裁第三小法廷判決平成7年12月15日 - 外国人指紋押捺制度の合憲性• 憲法13条によって、個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有する。 国家機関が正当な理由なくの押なつを強制することは、同条の趣旨に反し許されず、我が国に在留する外国人にも等しく及ぶ。 しかし、その自由も公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受け、外国人指紋押捺制度は合憲である。 エホバの証人輸血拒否事件• (熊本地裁 (13年)5月11日) 原告勝訴 - 国側控訴せず確定• 国立療養所などで生活する元患者が、などによる隔離政策で人権を侵害されたとして、国に賠償を求めた。 争点:国策として、ハンセン病患者を療養所に強制的に隔離したことの是非• 熊本地裁判決:隔離政策については一定の理解を示したが、以降については、隔離規定の第13条違反は明白として国の責任を認め賠償の支払いを命じた(特効薬「」が1960年より遥か以前のに開発され、患者だった人たちは基本的に完治していた。 つまり隔離の必要性が無かった。 詳しくは・の項参照)。 憲法13条・第14条・ - 原告ととのにより終結。 平成25年8月迄にの廃止し、新たな総合的な福祉法制を実施する。 障害者自立支援法制定の総括と反省。 2011年、選択的制度などを求め、の夫婦など5名が、現在の夫婦同氏を強制し夫婦別姓を認めないの規定は日本国憲法第13条・に違反するとして、国に賠償を求めたが、最高裁で棄却 された。 脚注 [ ] []• , p. 刑集12巻7号1351頁。 、2014年8月31日閲覧。 刑集14巻9号1197頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所大法廷判決昭和44年12月24日。 刑集23巻12号1625頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所第三小法廷判決昭和56年4月14日。 民集35巻3号620頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所大法廷判決昭和57年7月7日。 民集36巻7号1235頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所第二小法廷判決昭和61年2月14日。 刑集40巻1号48頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所大法廷判決昭和61年6月11日。 民集40巻4号872頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所第三小法廷平成6年2月8日。 民集48巻2号149頁。 、2014年8月31日閲覧。 刑集49巻10号842頁、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所第三小法廷判決平成12年2月29日。 民集54巻2号582頁。 、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所第三小法廷判決平成14年9月24日。 最高裁判所裁判集民事207号243頁、2014年8月31日閲覧。 最高裁判所大法廷判決平成27年12月16日。 最高裁判所裁判集民集第69巻8号2586頁、2019年7月21日閲覧。 関連条文 [ ]• 第2項(個人の尊厳)• (生存権、国の社会保障義務) 他の国々の場合 [ ]• 第1条および2条• 第10条 関連項目 [ ]•

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基本的人権の尊重とは?意味や種類をわかりやすく解説

基本 的 人権 の 尊重

資料紹介 「基本的人権の尊重について述べよ。 」 1. はじめに 1 基本的人権とは 基本的に、人は生まれながらにして権利を持っている。 たとえこれが憲法によって明文で保障されていなくても、国家はそれを不当に奪うことはできないのである。 それは現在の国民のみならず、将来の国民にも保障されており、どんなに憲法が変わろうとも、基本的人権は永久の権利なのである。 基本的人権は、ヒューマニズムや個人主義に基づく個人の尊厳の思想、及び人は生まれながらにして自由かつ平等であるという近世自然法の思想にその基礎を置いている。 現代の憲法は、国民に自由権や社会権を保障するこの基本的人権に規定を置いているのである。 2 基本的人権の歴史 基本的人権は、1689年イギリスの権利の章典、1776年アメリカの独立宣言、そして1789年のフランス人権宣言において、市民階級の人々が、支配者の強大な権力を制限するために戦い、失敗と挫折を繰り返す過程で勝ち取ったものである。 日本ではこのことを第97条で、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である」と表現し、「これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定しているのである。 さて、フランス宣言では「人は生まれながら、自由で平等な権利をもつ」とうたっている。 それは、人は人間として生まれることによって、当然に人間としての権利をもつという考えであり、この考えを自然権思想、あるいは天賦人権思想と呼んでいる。 日本でも第13条などが、その具体化された規定としてある。 基本的人権の種類 1 平等権 まずは平等権である。 すべての人は法の下に平等であり、この原則は国家権力の自由と並んで、近代立憲主義の基礎をなすものである。 第14条1項では、「すべて国民は法の下において平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地によって、政治的、経済的、社会的関係において、差別されない」と、法の下の平等を規定している。 日本国憲法では14条のほかに、26条で教育の機会均等が、44条では選挙権が、24条では男女の平等が規定され、保障されている。 法の下の平等とは、法的取扱いにおいて差別しないことを意味し、例えば貧富の差のようなものの是正を意味しているわけではない。 むしろ、人間はその身体や精神、生まれた環境などがそれぞれ違うのは当然である。 よってここでの平等は、等しきものを等しく、等しからざるものを等しからざるように扱うということを意味しているのである。 このように憲法は、人間の平等について手厚く保障しているが、現実に差別が解消されたかというと、たくさんの問題がある。 例えば男女雇用均等法ができたのは、憲法制定されてから40年近く経った1985年、ハンセン病患者が差別されていた「らい予防法」が廃止されたのは1996年であった。 他にも多数の人が差別で苦しんでおり、彼らの人権をいかに守るか注視しなければならない。 2 自由権 次に自由権であるが、これは国家権力の不当な干渉を排除して、国民が自由に活動できることを国家に請求できる権利であり、大きく分けて、精神の自由、経済の自由、人身の自由の3つがある。 人間の精神活動は、その人の発展あるいは社会全体の発展にとって不可欠なものである。 そこで日本国憲法では、思想および良心の自由(19条)、信 資料の原本内容 この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 「基本的人権の尊重について述べよ。 」 1. はじめに 1 基本的人権とは 基本的に、人は生まれながらにして権利を持っている。 たとえこれが憲法によって明文で保障されていなくても、国家はそれを不当に奪うことはできないのである。 それは現在の国民のみならず、将来の国民にも保障されており、どんなに憲法が変わろうとも、基本的人権は永久の権利なのである。 基本的人権は、ヒューマニズムや個人主義に基づく個人の尊厳の思想、及び人は生まれながらにして自由かつ平等であるという近世自然法の思想にその基礎を置いている。 現代の憲法は、国民に自由権や社会権を保障するこの基本的人権に規定を置いているのである。 2 基本的人権の歴史 基本的人権は、1689年イギリスの権利の章典、1776年アメリカの独立宣言、そして1789年のフランス人権宣言において、市民階級の人々が、支配者の強大な権力を制限するために戦い、失敗と挫折を繰り返す過程で勝ち取ったものである。 日本ではこのことを第97条で、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である」と表現し、「これらの権利は、過去..

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5分でわかる基本的人権!自由権や社会権など全種類をわかりやすく解説!

基本 的 人権 の 尊重

概説 [ ] 「人権」には「基本的人権」や「基本権」のように関連する概念がある。 これらが相互に区別して論じられることもあれば、同義的に使用されることもある。 法的には(を越えた)としての性格が強調されて用いられている場合と、憲法が保証するの同義語として理解される場合がある。 また、もっぱら について言う場合と、ややさまざまな新しい人権を含めて用いられることもある。 人権保障には2つの考え方があるとされる。 その第一は、いわゆる自然権思想に立つもので、個人には国家から与えられたのではない、およそ人として生得する権利があるのであり、憲法典における個人権の保障はそのような自然的権利を確認するものとの考え方である。 広辞苑では、実定法上の権利のように剥奪されたり制限されたりしない 、と記述されている。 その第二は、自然的権利の確認という考え方を排し、個人の権利を憲法典が創設的に保障しているとの考え方である。 18世紀の自然権思想は19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となったとされ 、1814年のフランス憲法などがその例となっている。 歴史的には「基本的人権」の概念は、の人権宣言にある前国家的な自然権という点を厳密に解すればそれは「自由権」を意味する(最狭義の「基本的人権」観念)。 また「自由権」をいかにして現実に保障するかという点に立ち至ると「参政権」も「基本的人権」に観念されることとなる(狭義の「基本的人権」観念)。 上記のような狭義の「基本的人権」観念が18世紀からにかけての支配的な人権観念であった。 18世紀の人権宣言は合理的に行為する「完全な個人」を措定するものであったが、19世紀末からにかけての困難な社会経済状態の中でそのような措定を裏切るような事態が次第に明らかとなり、具体的な人間の状況に即して権利を考える傾向を生じ、いわゆる「社会権」も「基本的人権」に観念されるようになった(広義の「基本的人権」観念)。 最広義には憲法が掲げる権利はすべて「基本的人権」と観念されることもある(最広義の「基本的人権」観念)。 しかし、自然権的発想を重視する立場からは国家によってのみ創設することができるような権利はこれに含ませることができないと解されている。 日本の憲法学説でも、自然権的発想を重視する限り「基本的人権」()と「この憲法が国民に保障する自由及び権利」()が同じ内容を持つものではありえないと解されており 、従来、一般には()や()については「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)に含まれることはもちろんであるが基本的人権を具体化または補充する権利として「基本的人権」そのものとは区別されてきた。 「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)には広く憲法改正の承認権や最高裁判所裁判官の国民審査権まで含まれるとする学説もある。 国によっては憲法が国民に保障する自由及び権利については「基本権」(Grundrechte)と呼んで区別されることがある。 人権思想の歴史 [ ] 前史 [ ] 近代的な人権保障の歴史はのイギリスの(大憲章)にまで遡る。 マグナ・カルタはもともと封建貴族たちの要求に屈して国王がなした譲歩の約束文書にすぎず、それ自体は近代的な意味での人権宣言ではない。 しかし、がこれに近代的な解釈を施して「既得権の尊重」「代表なければ課税なし」「抵抗権」といった原理の根拠として援用したことから、マグナ・カルタは近代的人権宣言の古典としての意味を持つようになった。 マグナ・カルタは、1628年の、1679年の、1689年のなどとともに人権保障の象徴として広く思想的な影響を有し続けている。 また、16世紀の宗教改革を経て徐々に達成されたの確立はやがて近世における人間精神の解放への一里塚となった。 中世ヨーロッパでは、人々は国家の公認した宗教以外のいかなる宗教の信仰も許されず、公認宗教を信仰しない者は異端者として処罰されたり、差別的な扱いを受けることが普通であった。 このような恣意的な制度に対して立ち上がった人々の戦いは、単に信教の自由の確立にとどまらず、近代における人間の精神の自由への自覚を生みだす役割を果たすこととなった。 17世紀〜18世紀 [ ] 市民階級の台頭を背景に、、などにより生成発展された近代自然法論はのちの人権宣言の形成に重要な役割を果たすこととなった。 例えばロックは生命、自由及び財産に対する権利を天賦の人権として主張するとともに、信教の自由についても国家は寛容であるべきことを主張している。 「天賦の権利」について実定化した最初の人権宣言はのである。 アメリカ植民地の人々はに対する反対闘争以来、権利請願や権利章典などを援用することで自らの権利を主張しイギリス本国の圧制に抗していたが、に突入すると「イギリス人の権利」から進んで自然法思想に基づく天賦の人権を主張するに至った。 バージニア権利章典第1条 人は生まれながらにして自由かつ独立であり、一定の生来の権利を有する。 これらの権利は、人民が社会状態に入るにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫から奪うことのできないものである。 かかる権利とは、財産を取得・所有し、幸福と安全とを追求する手段を伴って生命と自由を享受する権利である。 アメリカで結実した自然法思想はフランスの(フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった。 フランス人権宣言では人は生まれながらにして自由かつ平等であることを前提に、人身の自由、言論・出版の自由、財産権、抵抗権などの権利を列挙するとともに、同時に国民主権や権力分立の原則を不可分の原理と定めている。 人権思想はフランス革命の進行とともにいっそう高まり、では抵抗権の規定が不可欠の義務にまで高められたが、財産権については公共の必要性と正当な事前補償があれば制限し得る相対的なものとなった (ただし、1793年憲法は施行されることはなかった)。 19世紀 [ ] 18世紀の自然権思想は19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となった。 フランスのでは国民の権利は法の下の平等や人身の自由など数の上でも制限されたばかりでなく、質的にも天賦の権利から国王によって与えられた恩恵的な権利へと変化した。 ドイツの1850年のプロイセン憲法も多数の権利規定を置いてはいたが、保障されている権利や自由は天賦のものではなく「法律によるのでなければ侵されない」というものに過ぎなくなった。 個人権の考え方を支配していたのは国家の主たる任務は国民の自由の確保にあり、国家は社会に干渉しないことが望ましいという「自由国家」の思想である。 憲法による権利保障では法の適用の平等と各種の自由権の保障が中心的な位置を占めていた。 自由権は1850年のプロイセン憲法に至って飽和状態となり、以後の諸憲法はほぼこれを踏襲して第一次世界大戦に至ることとなった。 20世紀以降 [ ] 自由主義諸国の憲法と社会主義諸国の憲法 [ ] 18世紀から19世紀にかけては急速に発展したが、それとともに諸々の社会的矛盾が現れ始めた。 自由競争は社会の進歩をもたらすが、それが正義感覚で是認されるためには競争の出発点は平等でなければならない。 の進展に伴って大量生産時代が普及するとともに生産手段を持たない労働者の数が増大したが、このような無産階級の人々にとって憲法の保障する財産権や自由権の多くは空しいものに過ぎなくなり、自由主義理念に基づく自由放任経済は著しい富の偏在と無産階級の困窮化をもたらした。 国家は社会的な権利を保障するため積極的に関与することを求められるようになった。 そこで20世紀の憲法にはの流れをくむ自由主義諸国の憲法となどの社会主義諸国の憲法の2つの流れを生じた。 のヴァイマル憲法は「社会国家」思想または「福祉国家」思想に基づき生存権や労働者の権利といった社会的人権を保障した最初の憲法である。 ふつう自由主義諸国においては「自由国家」と「社会国家」の共存が理想とされている。 一方、社会主義諸国の憲法は本質的に自由主義諸国の憲法とは異なっていた。 自由権の権利保障の場合、単に抽象的な自由を保障するのではなく、自由権の行使に必要な物質的条件の保障もあわせて定められているという特色がある。 また、1936年のは、市民の消費の対象となる物の所有及び相続は認めていたが、土地や生産手段などの私的所有は禁じていた。 しかし、ブルジョア民主主義を経験しなかったロシアや東欧諸国などの社会主義諸国においては憲法そのものが十分に機能せず、そこで保障されていた権利や自由も画餅に帰していた。 結局、一党独裁や硬直した官僚主義などの要因によって旧ソ連や東欧の社会主義国家は行き詰まり、これらの国々の憲法も効力を失うこととなった。 ただそこでの権利保障の発想は自由主義諸国の憲法にも影響を与えたとされている。 人権の国際化 [ ] 体制のもとでは、人権の普遍的概念はには存在せず、また、人権保障は原則として国内管轄事項であって国連機関による干渉が禁止される領域のものであった。 このため、人権の国際的実施は、条約の形で具体化された国家の合意の枠内でまず発展した。 条約制度の枠組みを離れた、とくに国連による人権の国際的保護活動が本格的に展開するのは、1980年代以降のことである。 、はを採択して宣言した。 には、世界人権宣言に法的拘束力を与えるため、国際連合は(及び、)を採択した。 自由権規約第40条には報告制度、自由権規約第41条には国家間通報制度、選択議定書には個人通報制度が定められている。 世界人権宣言の具体的な実現のため、国際連合は国際人権規約以外にを制定している。 または「」を、は「」を、は「」を制定し、人権の国際法上の保障のためそれぞれ人権裁判所を設置している。 人権の類型化 [ ] の公権論からは国家に対する国民の地位によって「積極的地位」(受益権)や「消極的地位」(自由権)といった分類が行われた。 は「消極的な受益関係」での国民の地位を「自由権」、「積極的な受益関係」での国民の地位を「」とし、請願権や裁判を受ける権利などは「能動的関係における権利」に分類した。 は「包括的基本権」、「消極的権利」(自由権)、「積極的権利」(受益権・社会国家的基本権)、「能動的権利」(参政権・請願権)に分類する。 包括的権利(包括的基本権) やは、それ自体が権利としての性質を有するとともに他の個別的諸権利の保障の基礎的条件をなす権利であり「包括的権利」などとして位置づけられる。 消極的権利(自由権)• 精神活動の自由としては、、、、、集会・結社の自由(及び)、、外国移住・国籍離脱の自由がある。 経済活動の自由としては、やの保障がある。 私的生活の不可侵としては、住居等の不可侵やがある。 人身の自由及び刑事裁判手続上の保障としては、奴隷的拘束・苦役からの自由、適正手続の保障、不法な逮捕からの自由、不法な抑留や拘禁からの自由、拷問及び残虐刑の禁止、刑事裁判手続上の保障がある。 積極的権利• として、、、がある。 社会国家的基本権として、生存権、、、がある。 能動的権利 能動的権利として、公務員選定罷免権()とがある。 人権の分類は法学者によっても異なるほか、多面的な権利と考えられているものもある。 従来、請願権は請願の受理を求める権利であるとの理解から(受益権)に分類されてきたが、現代の請願は民意を直接に議会や政府に伝えるという意味が重要視されており参政権的機能をも有するものと理解されている。 請願権を参政権に分類する学説もあるが、請願権は国家意思の決定に参与する権利ではないから典型的参政権とは異なる補充的参政権として捉えられることがある。 日本国憲法に定められる権利の場合、学説は一般には(生存権)、(教育権)、(労働権)、(労働基本権)に定められる権利を「社会権」として一括して分類している。 ただし生存権などについて「社会国家的国務請求権」として分類されることもある。 は『新憲法と基本的人権』(1948年)などで、基本的人権を「自由権的基本権」と「生存権的基本権」に大別し、人権の内容について前者は「自由」という色調を持つのに対して後者は「生存」という色調をもつものであること、また保障の方法も前者は「国家権力の消極的な規整・制限」であるのに対して後者は「国家権力の積極的な関与・配慮」にあるとして特徴づけ通説的見解の基礎となった。 しかし、社会権と自由権は截然と二分される異質な権利なのかといった問題や社会権において国家の積極的な関与が当然の前提となるのかといった問題も指摘されている。 教育を受ける権利と教育の自由や労働基本権と団結の自由など自由権的側面の問題が認識されるようになり、時代の要請から強く主張される新しい人権(学習権、環境権等)も自由権と社会権の双方にまたがった特色を持っていることが背景にある。 現代では「積極的権利」や「福祉的権利」の比重が著しく増大し、でもまず社会権的なA規約があり、然る後に自由権的なB規約があるなど、具体的人間に即して人権の問題を考えようとする傾向がみられ、「自由権」と「社会権」あるいは「消極的権利」と「積極的権利」という区別はあまり意識されなくなっている ((自由権規約)にはやなども保障されている)。 社会権と自由権の区別そのものを放棄する学説もあるが、社会権と自由権の区別の有用性を認めた上で両者の区別は相対的であり相互関連性を有するとする学説が一般的となっている。 人権の権利性 [ ] プログラム規定 [ ] 1919年のドイツのヴァイマル憲法は社会国家思想を強く打ち出したものであったが、憲法起草時までドイツでは憲法典は政治上の宣言にすぎないと考えられ、憲法典では社会体制や経済的基盤から遊離した政治理想が奔放に述べられた。 そのため、憲法典の実施に当たっては裁判所が直接有効な法としての効果を与えるために、「法たる規定」と「」に区分する以外になかった。 第二次世界大戦後の各国の憲法典では次のような3つの類型が出現することとなった。 法としての効果を有する規定のみを掲げているもの()• 裁判所が強制しうる規定と立法に対する指導原則を指示するにとどまる規定を区分して規定するもの()• 直接に法的効果をもつ規定とそうでない規定が混在しているもの() 日本国憲法では、、などについてプログラム規定と解する説(プログラム規定説)があるが、安易にプログラム規定と性格づけることは疑問とされている。 また、例えば日本の憲法25条におけるプログラム規定説は、自由権的側面については国に対してのみならず私人間においても裁判規範としての法的効力を認めており、請求権的側面についても憲法第25条が下位にある法律の解釈上の基準となることは認めている。 したがって、文字通りのプログラム規定ではないことから、このような用語を使用することは議論を混乱させ問題点を不明瞭にさせるもので適当でないという指摘がある。 具体的権利と抽象的権利 [ ] 請求権的性格を有する基本的人権をめぐっては抽象的権利と具体的権利の区別の問題を生じる。 例えば、日本国憲法第25条の権利を、抽象的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しているときにはその法律に基づく訴訟において憲法第25条違反を主張することができるとしつつ、立法または行政権の不作為の違憲性を憲法第25条を根拠に争うことまでは認められないとする。 一方、具体的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しない場合でも、国の不作為に対しては違憲確認訴訟を提起できるとする。 ただ、立法不作為の確認訴訟にとどまるものに「具体的」、憲法第25条違反として裁判で争う可能性まで残されているものに「抽象的」といった名称を用いることには疑問の余地があるとする指摘もある。 制度的保障 [ ] 制度的保障とは、一般には、議会が憲法の定める制度を創設し維持することを義務づけられ、その制度の本質的内容を侵害することが禁じられているものをいう。 制度的保障では直接の保障対象は制度それ自体であるから個人の基本的人権そのものではないが、制度的保障は基本的人権の保障を強化する意味を有する。 制度的保障として捉えられることがある制度には次のようなものがある。 大学の自治の法的性格については学問の自由を保障するための客観的な制度的保障とする制度的保障論が有力である。 私有財産制度 私有財産制度は財産権の保障との関連で制度的保障として捉えられることがある。 ただし、日本国憲法第29条第1項(財産権の保障)については、客観的法秩序としての私有財産制の制度的保障のみを認める趣旨であるとする説 もあるが、多数説は私有財産制の制度的保障とともに個人が現に有する財産権をも個別的に保障していると解している。 政教分離原則は信教の自由との関連で制度的保障として捉えられる。 ただし、政教分離原則を制度的保障として捉えることは微妙であるとする消極的な見解もある。 「」を参照 人権の享有主体性 [ ] 国民 [ ] 国民が人権の享有主体であることは説明を必要としない。 国籍の要件は憲法や法律で定められる。 国民の要件は憲法で定めている場合もあれば法律に委ねている場合もある。 日本の場合、が「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 」と定めており、国籍の取得と喪失について(昭和25年法律第147号)が定めている。 日本では、天皇及び皇族について、ともに憲法10条の「国民」に含まれるが世襲制や天皇の象徴たる地位から一定の異なる扱いを受けるとする説(宮沢俊義)、天皇については象徴たる地位から憲法10条の「国民」には含まれないが、皇族は憲法10条の「国民」に含まれ皇位継承に関係のある限りで一定の変容を受けるとする説(伊藤正己)、皇位の世襲制を重視し天皇・皇族ともに憲法10条の「国民」には含まれないとする説(佐藤幸治)など、学説は分かれていて一様ではない。 、が記者会見でに関して述べたいわゆるに関して議論が起きた際、評論家のらはに一般に言われる 人権はないとする論陣をはった。 その論旨は および皇族は「一般国民」ではなく 、その日常生活にはすべて公的な意味があり、や自由が制限されるのは当然とするものである。 また、「人権」という言葉は「抑圧されている側が求める概念の革命用語」であり、天皇や皇族が「抑圧」されているのはあってはならない(ありえない)とする。 これについてとしての人権ということが理解されていないという批判があるが、西尾は人権そのものを否定したのではなく、その適用の対象または範囲に限定して論じたと応答している。 この論についてはが「人格否定発言について、『皇太子殿下の強い抗議は、ヨーロッパの王族の自由度の広い生活を比較、視野に入れてのことであろう』というが、これも一体どのような取材をした結果だというのか」などと反論し、雑誌記事にコメントする立場にない皇族に対して妄想のいりまじった、無根拠な非難は「卑怯」とした。 外国人 [ ] 人権の前国家性からは外国人にも人権の保障は及ぶと解されている。 日本では、法理的には日本国憲法第三章の規定はその表題にあるように「国民の権利及び義務」であるとした上で憲法前文の政治道徳の尊重から外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説 と、人権の前国家性や憲法の国際協調主義及び日本国憲法第13条前段の趣旨の帰結として外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説 がある。 ただし、外国人の人権享有主体性を認める場合でも、その法的地位は国民と全く同一というわけではない。 たとえば、外交、国防、幣制などを担う国政選挙の参政権は伝統的な国民主権原理のもとでは自国民に限られると解されている。 「」を参照 法人 [ ] 法人についてはドイツ連邦共和国基本法のように憲法典で法人にも人権保障が及ぶことを明文で規定している場合がある。 日本国憲法には明文の規定がないが性質上可能な限り内国の法人にも権利の保障は及ぶとするのが確立された法理となっている(八幡製鉄事件判例最大判昭和45・6・24民集24巻6号625頁)。 男女同権、良心の自由、婚姻に関する保障などは、その性質上法人には保障が及ばない。 人権の適用領域 [ ] 特別の法律関係 [ ] 国民は一般的には国(または地方自治体)の権力的支配に服しているが、これとは別に法律上の特別の原因に基づいて特別の権力的な支配関係に入ることがある。 このような特別の権力的な支配関係としては、公務員や国公立学校の学生や生徒のように本人の同意に基づく場合と、刑事収容施設の被勾留者や受刑者のような場合がある。 かつての公法理論である「」では、このような関係においては法治主義の原則が排除され、特別権力主体には包括的な支配権が認められ、それに服する者に対しては法律の根拠なく権利や自由を制限でき、特別権力関係の内部行為についても司法審査が及ばないとされていた。 しかし、現代では、このような人権の制約も、その特殊な法律関係の設定や存続のために内在する必要最小限度で合理的なものでなければならず、権利や自由の侵害に対しては司法審査が及ばなければならないと解されている。 「」および「」を参照 在監関係 [ ] 外部から隔離された刑務所などの刑事施設の処遇をみればその国の人権意識のレベルがわかるといわれている。 日本においては、の下で設置されたにおいての問題を指摘された。 人権委員会はの第4回日本政府報告の審査において代用監獄の廃止を勧告している。 憲法の私人間効力 [ ] 元来、憲法による基本的人権の保障は国家と国民との関係で国家による侵害から国民の自由を保全しようとするものである。 私人相互間の問題は原則として私的自治の原則に委ねられ、問題があれば立法措置で対処すべきと考えられていた。 憲法には私人間の適用を明示しているものや明示がなくても性質上私人間での妥当性が措定されているものがある。 日本国憲法の場合、第15条第4項、第16条、第18条、第27条第3項、第28条などには私人間の適用があると解されている。 そのような規定でない場合の私人間効力については問題となる。 直接適用(効力)説 に定める人権の効力は公私の別を問わず該当するから、私人間にも憲法の適用を直接できるという説。 直接適用説に対しては、私人間にこのような考え方を徹底すれば「基本的人権」はもはや権利というより道徳的ないし法的義務と化してしまうという批判がある。 間接適用(効力)説 憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いてと私人の関係であるが、私法上の解釈において憲法の人権保障の趣旨を汲むことにより私人間における人権保障を図ろうとする説。 無適用(効力)説 憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であり,憲法の人権規定は私人間の関係に全く効力を及ぼさないとする説。 無適用説に対しては、「基本的人権」は私人間に無関係と機械的に割り切るのは現代社会の実情を無視するものであるとの批判がある。 日本では、で最高裁が憲法第19条及び憲法第14条について「他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」としつつ「場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存する」と判示した(最大判昭和48・12・12民集27巻11号1536頁)。 この判例は間接適用説とみられている。 しかし実質的に無適用説的発想であるという見解もある。 「」を参照 人権保障の限界 [ ] 人権には不可侵性が認められるが、少なくとも人権相互の調整という観点から一定の規制は免れ難い。 近代立憲主義では「法律」によって人権の限界が認定されるが、「法律」による人権侵害の可能性をどう考えるかが問題となる。 かつては議会に最終判断権が委ねられ、憲法は「法律の範囲内において」権利を保障するという形式が一般的にとられていた。 しかし、この方法では議会のあり方によっては人権保障は実のないものとなる。 一方、アメリカ合衆国憲法のほか、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法やドイツ連邦共和国基本法では、立法部といえども侵害できない部分をも含む形での保障を採用している。 この場合でも私的権利の行使や私的活動が絶対的で無制約というわけではなく、立法による制約の対象となりうるが、ただそれが一定の限度を超える場合には違憲という判断を受けることとなる ウィキバーシティに に関する学習教材があります。 アメリカ合衆国 [ ] 当初、は権利章典の規定を欠いていた。 それは合衆国政府は列挙された権限のみを有する「制限された政府」であり、権利章典を付する必要がないだけでなく、それを付することは「制限された政府」の理念に反すると考えられたためであった。 人権保障は各州の憲法や権利章典によって確保すればよいという基本的な考え方がとられていた。 しかし、急進派から連邦憲法にも権利章典を追加すべきとの主張が出され、各州の批准手続を経て1791年に修正10カ条が付け加えられることとなった。 フランス [ ] アメリカで結実した自然法思想はフランスの(フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった。 人権思想は一層の高まりをみせに至った。 しかし、では権利規定が減少するとともに義務規定が増加して人権思想は顕著に後退し始めることとなる。 では人権宣言そのものが憲法に置かれなかった。 では国民の権利は法の下の平等や人身の自由などに限られ、質的にも天賦のものから国王によって与えられた恩恵的な権利へと変化した。 でも天賦人権思想が復活することはなかった。 フランスでこのような思想が復活するのは第二次世界大戦後の(1946年)であり、前文で1789年の人権宣言にある権利や自由の保障を再確認している。 (1958年)も前文で1789年の人権宣言によって保障された諸権利の尊重を宣言している。 ドイツ [ ] フランスのはドイツにも波及し、は多くの権利や自由を「ドイツ人の基本権」として保障した画期的な憲法であったが、18世紀にみられたような前国家的人権という性質はみられない (フランクフルト憲法は未発効に終わった)。 1850年のプロイセン憲法も多数の権利規定を盛り込んでいたが、それらの権利や自由は天賦のものではなく法律の範囲内で認められるものにすぎず、それはヴァイマル憲法でも変わることはなかった。 ドイツで法律によっても制限することのできない保障として天賦人権思想が登場するのは1949年の(ボン基本法)においてである。 脚注 [ ]• 「基本的人権」. , p. 「基本的人権」. , p. 「国際人権法」. , p. 「自由主義」. 813 執筆「人権」• 「かように の理解は一様ではないが、西洋近代の個人主義思想を多かれ少なかれ基本に置いている点では共通」と樋口陽一は説明した。 人権を尊重しない政権や、アラブやアフリカ、アジアなどでは、の相違などとして反発することがある。 だが、一般的に言えば文化の多元性を尊重しつつも、人権価値の普遍性を擁護するという立場が欧米ではコンセンサスを得つつある。 (『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p. 813 執筆「人権」)• 広辞苑 第五版• 宮沢俊義、芦部信喜『全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、195-196頁。 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、3-4頁。 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、4-5頁。 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、14頁。 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書 9 憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、74頁。 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、17頁。 アムネスティ・インターナショナル。 奥平康弘「人権体系及び内容の変容」『ジあわなよふろュリスト』第638巻、有斐閣、1977年、 243-244頁。 宮沢俊義『法律学全集 4 憲法II新版』有斐閣、1958年、90-94頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 1 憲法I』青林書院、1997年、353頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 1 憲法I』青林書院、1997年、354頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 2 憲法II』青林書院、1997年、140頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 2 憲法II』青林書院、1997年、141-142頁。 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書 9 憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、151-152頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 1 憲法I』青林書院、1994年、180頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 2 憲法II』青林書院、1997年、143頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 2 憲法II』青林書院、1997年、150頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 2 憲法II』青林書院、1997年、150-151頁。 大須賀明「社会権の法理」『公法研究』第34巻、有斐閣、1972年、 119頁。 大須賀明『生存権論』日本評論社、1984年、71頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 1 憲法I』青林書院、1994年、231頁。 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 2 憲法II』青林書院、1997年、126頁。 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