運命 が どうか 未来 とか。 【カバラ数秘術】あなたの使命は未来数にあらわれる…

運命の人とは離れてもまた出会う!?運命の人なら別れた後もまた出会えるの?

運命 が どうか 未来 とか

カバラ数秘術の未来数とは? それぞれの数字には固有の意味があると考えるカバラ数秘術。 では、カバラ数秘術でいう「未来数」とはどのようなものなのでしょうか。 数字により未来の姿を知る カバラ数秘術は生年月日などを元に自分だけの数字を算出し、自分の性格などを知ることができる占術です。 このカバラ数秘術の中で、今後起きるべき出来事や、直面する課題を表しているのが「未来数」と呼ばれるものです。 これからのテーマ 未来数は別名を「チャレンジナンバー」ともいい、自分が挑戦すべき出来事を表す数字です。 カバラ数秘術では、人にはそれぞれ目標や課題が与えられていて、それらをクリアすることが現世で人間が生きている理由だと考えます。 そのため、未来数を知り、自分に与えられた課題を理解することは非常に重要。 現在の人生における問題や悩みなどの根本的な原因も、未来数によって明らかにすることができるのです。 未来数の算出方法 未来数を算出するためには生まれた月と日が必要となります。 計算の方法は、月と日の数字をひとけたに分解して、それらを足し合わせます。 たとえば10月15日生まれの場合であれば 1+0+1+5=7 となり、未来数は「7」ということになります。 もし足し合わせた数字が二けたであれば、ひとけたになるまで足し算を続けます。 未来数における11 未来数を算出する上では、注意したいこともあります。 もし月と日を足した数字が「11」であれば、それ以上の足し算は行いません。 これはカバラ数秘術では「11」はマスターナンバーという特別な数字としてとらえているから。 しかし、もし「22」「33」という数字が出た場合には、 2+2=4 3+3=6 といったように足し算を行います。 通常ではこの「22」や「33」もマスターナンバーとして扱いますが、未来数に関する場合、マスターナンバーとなるのは「11」だけです。 カバラ数術の未来数 それでは、それぞれの数字が表す未来について詳しく見ていきましょう。 「1」の未来数 「1」が示しているテーマは、「自立」や「独立」、「目的」。 必要に応じて自分の考えていることを誰かに伝えることや、欲しいものを獲得するための行動力が人生の課題となります。 また、人と同じ行動を取るだけでなく、新しいことを考え、独創的な行動を行うことも人生の目標となります。 特に「1」は男性的な考え方や主体性などを示していて、しっかりと自分の芯を持った考え方や行動が重要となります。 「2」の未来数 カバラ数秘術では「2」は「協調」や「思いやり」を示す数字です。 そのため、未来数にこの数字を持っている場合、目標や理想を実現するため、他人と協力することがテーマとなります。 また、仕事などの面だけではなく、家庭生活についても同様のことが言えるようです。 「2」は母性的な愛情や家庭的な温もりなども示していることから、温かい環境を築くための努力も人生を充実させるためには重要です。 「3」の未来数 未来数「3」が示すのは天真爛漫な喜び。 自分だけの新しい喜びや出来事を見つけることが人生のテーマです。 さらに、新しい喜びを見つけるための心の状態を養い、それを素直に表現して誰かに伝えるということも重要な課題です。 単に自分だけが楽しむのではなく、周囲の人を巻き込み、どれだけ楽しませるかという点にも注意するとよいでしょう。 「4」の未来数 カバラ数秘術では「4」は「伝統」「安定」を暗示する数字です。 そのため、古くから伝わる伝統を継承、未来へと伝えていくような役割を与えられていると考えてもよいでしょう。 また、この未来数を持つ人にとっては安定的な環境が必要。 自らの力をさらに伸ばして活かせるような環境づくりも人生のテーマとなります。 さらに自分が学んだことを次の世代に教え、伝えていくことも課題になるかもしれません。 「5」の未来数 未来数「5」が示しているのは「自由」や「冒険」といったテーマです。 自分を束縛する環境や、窮屈に感じる状態を抜け出し、新しい世界を開拓していくのが人生の目的。 それは場所だけに限らず、新しい価値観や考え方といったものも含まれています。 従来の価値観や、「人がいいというから」といった考え方に縛られることなく、自分だけの価値を見つけられるかどうかが人生を開くカギになります。 「6」の未来数 未来数「6」が示しているのは大切なものを愛することや育むこと。 自分が愛されることはもちろん、愛情を周囲に伝えていくことがテーマになります。 そのため、家庭環境を整えるだけでなく、健康を維持することや、誰かに対して責任を持つといったこともしっかりと考える必要があります。 この未来数を持っている人は、血のつながった子どもだけでなく、弟子や後輩といった目下の存在が人生を豊かにするための重要なポイントになるでしょう。 「7」の未来数 「7」の未来数は「神秘」「追求」「精神世界」といったキーワードを持っています。 ひとつのことを追求し、真理を解き明かすための行動が課題となっています。 そのときに必要となるのが、自分がしっかりと集中できるような静かで落ち着いた環境。 そういった環境を持ち、思索できる状況を作ることが人生の鍵となります。 また、ひとつのことを考え始めると周囲が見えなくなることもあるため、孤独に陥らないということも重要な点です。 「8」の未来数 「8」が示しているのは「豊かさ」や「充実」。 この豊かさは精神的なものではなく、物質的な恩恵を指します。 これらの物質的・経済的な成功を得るための努力や挑戦が人生の目標となります。 ただし、成功を手に入れるためには何をしてもいいと考えると運気は反転してしまいます。 また、手に入れた成功をひとり占めにしてしまうのも運気が滞ってしまう原因となります。 成功して手に入れた豊かさをどのように使うかということもテーマのひとつと言えるでしょう。 「9」の未来数 未来数「9」が示しているのは、他人への愛情や思いやりといった言葉です。 そのため、この未来数を持っている人は他人にどう接するかということに心を配る必要があります。 また、人によっては人類愛や社会貢献といった大きなスケールでの挑戦が目標となることもあります。 この未来数を持っている人の場合、自分が表現できるかどうか、そのための環境を整えることができるかどうかが課題となります。 「11」の未来数 マスターナンバーである「11」を未来数に持つ人は、強い直感を与えられています。 その直感を活用できるかどうかが未来におけるテーマになります。 この未来数を持つ人は、霊感やひらめきを感じるだけではなく、そこから得たインスピレーションをアートや芸術といった形で人々に伝えていくことが必要です。 まとめ 未来の出来事や課題を教えてくれる未来数は人生を豊かにするために知っておくべき数字です。 さらに運命数や過去数などと組み合わせるとより理解が深まるため、興味がある方はよりくわしく調べてみてはいかがでしょうか。

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誕生日占い・運命の人の名前と誕生日を完全無料で診断!

運命 が どうか 未来 とか

運命の相手だと思っているのに失恋した、結婚相手は運命で決まっているの?スピリチュアルってよく聞くけど、それで運命の結婚相手、わかるのかなぁ? そんな疑問を何となく抱いているあなた、失恋したともなると、なおさらそんなことが頭をよぎったりするものですね。 今回は、そんな疑問がすっきり晴れるお話をしましょう。 ずばり、 結婚は「運命」ですから、その相手は決まっていません。 決まっているとするならば、それは「宿命」というのですが、 結婚相手は宿命で決まってはいないのです。 ちょっと意味がよくわからない、と思った人も少なくないのではないでしょうか?なぜなら「運命」と「宿命」ちゃんと理解している人って、きっと少ないですよね。 スピリチュアルから見て決められた結婚相手とは、一体どのような相手なのか、運命と宿命のことも含めてお話しますので、最後まで読んで理解を深めてくださいね。 では、いきましょう! Contents• 結婚相手は運命で決まっている?スピリチュアルの観点から運命の結婚相手に迫る! よく、運命の出会いとか、運命の人に出会ったなどと言いますが、結婚相手も運命で決まっているのでしょうか? スピリチュアルの観点でいうと、結婚相手は 「運命」。 ですから、運命で決まっていたというより、「運命」として自分で決めるもの、というのが答え。 生まれる前から決まっていた定め、つまり「宿命」ではありません。 どうゆうこと?と、ちょっと頭の中、ごちゃごちゃしてきますよね。 みなさん勘違いされがち、というか、ちゃんと区別して把握している人が少ないのだと思いますが、そもそも 「運命」と「宿命」というのは違うものなんです。 スピリチュアルから見て、結婚相手が決まっているのかどうか、というお話をするには、まずこの違いをちゃんと知ることが大切なので、まずは「運命」と「宿命」についてお話するところから始めましょう。 結婚相手は運命で決まっている?スピリチュアルでは結婚は運命なので決まっていない 結婚相手は運命ではなく「宿命」で決まっているという人もいますが、 スピリチュアル的に見ると結婚相手というのは「運命」なので、決まっていない。 決まっているのではなく「決めるもの」、というのが正しいですね。 スピリチュアルの話だけでなく、よく論じられる「運命論」「宿命論」の中でも同じように論じられます。 全ての角度から深掘りして話そうとすると、仏教やらなんやらとーっても小難しい話になってきてしまうので、総じて言われていることを、まとめてサラッとお話ししますね。 宿命ってなぁに? 宿命とは 「宿る命」。 生まれる前から決まっていて、人生において自分でコントロールすることができない、既に決定されていて動かすことができないことです。 例えば、人種や性別、家族構成や出生地などは、生まれる前から決まっていて、自分でコントロールできることではありませんよね。 さらに言うと、どんな人とどのタイミングで出会うか、仕事の巡り合わせなども決まっていて、これは、前世からの因果関係である場合もありますし、人として生まれる前に魂が決めている場合もあります。 このように、 生まれる前から決められていて、生まれた後に自分で変えることができないのが「宿命」です。 運命ってなぁに? 運命というのは 「運ぶ命」。 生まれた後に決まるもので、自分でコントロールできることを言います。 わかりやすい例えとして、トランプをする時、配られたカードというのはもう決まっていて、 違うカードに自由に変えることはできない。 この、 最初に配られたカードが「宿命」であり、そのカードをどのように動かして勝利に向かっていくか、 自分の力で運んでいくのが「運命」ということになります。 出会いの話に言い換えると、ある人とこのタイミングで出会う、ということは宿命で決まっていても、その出会いをどう捉えてどのような関係性にするのかは自分次第だということ。 ですから、 「運命の人」というのは、与えられた出会いの中から自分で作り上げていくものであり、絶対的に決まってるわけではないのです。 まずは「宿命」が先にあり、その宿命の中でどう生きていくかが「運命」ということなりますね。 結婚相手は「運命」で決まっているとは、どういうこと? それでは本題に入りましょう。 スピリチュアル的に結婚相手は「運命」で決まっているとは、一体どういうことなのでしょうか? この世で出会う人というのは、すべて 宿命で決まっているといいます。 よく「ご縁のある人」なんて言い方をしますが、これは宿命で会うべくして出会った人と言うことができるでしょう。 そのことについてはこちらの記事をじっくり読んでみてください。 関連記事 : ですから、結婚する相手との出会いは宿命で決まっていて、宿命は変えることのできない、生まれる前から決まっていることですから、願わずも出会うんですね。 ですが、 最初から結婚相手という前提のもと、出会うわけではありません。 決められているのは「出会う」ということだけ。 その出会った人たちを、ただの同僚・クラスメイトにするか、友達にするか、恋人、結婚相手に発展させるかは、あなたの行動次第で決まるものなのだということ。 結婚相手にするかしないか、という選択肢は与えられていて、どの道を選ぶかはあなたに委ねられているのです。 これが「運命の人」ということ。 「運命の人」はいる!いない!ということについて書いた記事がありますので、こちらもぜひ読んでみてください。 関連記事 : ただ、スピリチュアルの世界でここで絡んでくるのは、その相手との 魂を成長させるための学び。 現世で会える人々というのは、過去世で達成できなかった課題を現世ではクリアさせ、魂を成長させるために出会うことが多いといいます。 共に乗り越えなければならない、課せられた課題、それを二人でクリアするために出会っていたなら、その課題がクリアできた時点で別れが訪れることも。 でもそれは、現世では「別れ」と言われますが、魂からすれば華々しい「卒業」を意味します。 そして、別れがやってきたということは、あなたにはまだ別の相手がいますよ、と教えてくれているんですね。 関連記事 : 失恋してとても辛い気持ちの時、好きな人とうまくいかない時、こんなにも辛いなら、なぜ出会ったのか、と思うこともありますよね。 でもそれはすべてが「運命の出会い」であり、いろんなことを経験して学びを深め、そうやって 自分で切り開いていくのが「運命」なのです。 私は今の彼氏と出会う前、失恋して、まるで絵に描いたようなどん底期を味わいました。 今思えば、その失恋の経験があったからこそ、次に出会った人と幸せになることができたのかな、とも思います。 それが、 「運命」として、自分で運んだ出会いだった、ということなのかな、と。 その時のことを記事にしたので、ぜひ読んでみてください。 参考になることがきっとあると思いますよ。 「運命の人に出会いたい!」失恋から新しい出会いまでの体験談 まとめ 結婚相手と出会うことは 宿命で決まっていますが、結婚相手として出会うのではなく、その出会いを結婚まで導くのは自分。 運命は自分で変えて、自分の手で人生を切り開くことができる、というのが、今回お話したいことでした。 運命は運ぶ命。 自分次第でいくらでも変えることができる。 でないと、すべてが宿命で決まっているのなら、何のために私たちは生きることに一生懸命になるのか?という話になりますよね。 好きになった人と結ばれないと決まっているのなら、わざわざ好きになって苦しんだりする必要がなくなります。 でも、 運命は自分の手で変えることができる。 すべての出会いは宿命、だけどそれを運命の出会いとして、自分の手で素敵な未来へと導いていってあげることができるのです。 「これも運命だったの?」なんて、いろんなことを「運命」と結びつけたくなることもありますが、それは違うんですよ。 大切なのは、「運命」とは、自分自身でいくらでも切り拓くことができる、それを忘れずに、幸せになる道を見つけることを諦めないこと。 決められた「出会い」の中で、それを「運命の出会い」にすることができるのは、あなた自身なのだということ。 それを間違わず、忘れないでください。

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運命ってあると思いますか? 運命はあると思いますか? そしてその運命

運命 が どうか 未来 とか

暇なんで答えてみます。 運命とは すでに決まっていて、決して変えることの出来ないもの。 そしてそれは 過ぎてから気付けるものであって 結果論。 例えば この質問を見つけたことも、今こうして自分が回答していることも運命で決まってるってことです。 さらに簡単な例をあげるなら、 自分は運命を変えたと言う人がいるとします。 しかし運命は誰も知ることの出来ないもので変えられません。 では その人は何を変えたのかと言うと、 自分が想像して決めつけてた未来を変えたのです。 要するに 運命は変えられませんが、自分の想像する未来は変えられるのです。 その人が未来を想像することも、 変えようと思うことも、 努力して良い結果を出すことも、 自分は運命を変えたと思うことも、 運命で決まっていたと言うことです。 しつこいですが、もっと言うと、 嫌なことが起こるとすべて運命のせいにして何もかも投げやりにする人がいたとして、 その人に起こる嫌なことも 運命のせいにすることも 投げやりにする事も運命で決まっていると言うことです。 つまりは結果論であり、過ぎてから知ることが出来ても、変えることの出来ない、すでに決まっているモノ。 「運命=確定された因果関係」に対比され得る「不確かさ」には、 2種類ある。 人間の認識能力の不完全さや与えられる情報の不足によって、 因果関係の把握ができない事により生じる不確かさと、物性の 根源における不確定性原理に基づくものである。 個人観として探ってみた場合、似かよった使い方をされることがよくある(? )のは『運命』と『宿命』ではと思われます。 『宿命』とは先天的なものと捉えています。 (覆せないもの。 ) 例えば、自分は日本人として生まれてきたこと。 黒髪で黒い瞳といった自分の力ではどうにもならない物事は『宿命』とよべることではないでしょうか。 これもある意味彼の宿命でもあります。 ) (そのほかいろんな事がありますが、不謹慎・誹謗・中傷となりかねないので言えませんが・・・。 ) 『運命』とは反対に後天的なものと捉えています。 自分の努力しだいで変えられるもの。 また変化できる物事だとおもわれます。 なけなしのお金で買った宝くじで大金を手にした。 逆に必死になって頑張り、試行錯誤を積み重ねても上手くいかないといった事も大いにありますよね。 結論的には『宿命』は持ってうまれたもの。 『運命』とは自分の意思で如何様にもなるものではないでしょうか。 Q ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。 まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。 ・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること ・必然・・・必ずそうなると決まっている事 ・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運 個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。 例えば、天災・事故・戦争などです。 最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。 1:こういった場合あなたなら、(生死に関わらず)その原因は「偶然・必然・運命」のどれに当てはまると思われますか?お答え頂けるのであれば、なぜ、そう思われますか? 2:「世の中に偶然はない」という言葉を信じますか? 具体的に、そう思った出来事などはありますか? 私は、「偶然・必然・運命」というのは、言葉やそれぞれの意味は違っても、もしかして同じ事なのかなぁと思い始めています。 偶然が世の中になければ、全ての出来事は「必然的」に起こっている事になりますよね?その「必然的」に起こっている事柄の中にいつもいる私達は、それが「運命」なのでしょうか・・・。 私は哲学の専門家でも何でもありませんので、直感的な回答でも構いません。 色々な意見を聞きたいです。 ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。 まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。 ・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること ・必然・・・必ずそうなると決まっている事 ・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運 個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。 例えば、天災・事故・戦争などです。 最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。 A ベストアンサー 存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。 詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。 ここで、「偶然」「必然」「運命」というような、法則概念の前提に、「主体の自由意志」という概念が重要な意味を持つのです。 原始人や幼児がそうである、そうであったと考えられるのですが、初期には、主体の自由意志の発動というものは意識されていないのです。 世界の事象の生起は、舞台の劇を見ているように勝手に流れているのであって、自分もその劇に登場していても、自分が何かをしようとして、話やできごとが進行するのではないのです。 こういう捉え方は、偶然でも必然でも運命でもないのです。 そこに世界が自分も含めてあって、展開しているという状態です。 原始偶然とも、原始必然とも、原始運命とも呼べるのです。 ところが、主体が主体的に、何かを希望し意志し、そのように世界の事象や自己に関係ある何かの状態を、希望の方向へ、形へと展開を望んだとき、展開を意志した時、ここから偶然とか必然という「概念」が成立するというか、主体精神に把握されてくるのです。 「必然」という概念は、比較的、後になって把握されてきます。 「自由な志向意志」に対する「抵抗」として、「偶然」と「運命」が把握されるのです。 さいころを投げて、特定の目が出るように意志しても、自由に出る目を決めることができないのです。 また、狩猟にでかけて今日は大きな獲物が欲しいと思っても、希望や意志の通りにことが運ぶとは限らないのです。 有名大学に入学したいと希望しても、意志の思い通りにはなりません。 このような希望や意志の思い通りにならない世界の事象の生起の法則というか、ありようを体験すると、これを把握・解釈するのに、最初に「偶然」という観念ができるのだとも言えます。 入試が成功するかしないかは偶然だと考えるのです。 しかし、意志に抵抗する偶然の事象生起について、そういうことが起こるという事実に意味を見出そうとすると、偶然であるが、それは「意味あることなのだ」とすると、これは「運命」なのだ、ということになります。 戦争に勝つも負けるも時の「運」だという把握です。 神が偶然のさいころを振って決めているのかも知れないが、それは我々には「運命」であるという把握です。 しかし、事象の起こり方を色々経験し観察もしていると、偶然だと思ったことが、実は、規則性があるということが分かります。 例えば、温度や風の具合によって、獲物の収獲に違いが出てくることが分かると、獲物とする動物の行動に、ある規則性があることが分かります。 熟練の狩猟者は、こういう規則性を利用して、自己の希望や意志を実現するのです。 技術的応用とも言います。 また雨や晴れや暴風などは、偶然に、でたらめに起こったり止んだりすると最初は考えるのですが、そこにまた規則性が発見されます。 世界はでたらめに生起しているのではない、という考えが出てきます。 起源がよく分からないが、ある「必然」で動いているように思える、という把握をしたとき、「必然」の概念が生まれるのです。 必然は、意志や希望に抵抗することもあるのですが、必然の規則性を利用して、意志や希望を実現することもできるのです。 ある季節のある時刻頃には、大風が吹くというのは、必然で、意志では、この風を止めたり、遅らせたりできないとしても、この風を利用して、狩りを有利に行い、獲物を獲得できるというようなことが可能になるのです。 大学の入試は、テストがあって、それである一定の点数を獲得しないと合格できないのです。 これは意志に抵抗する必然条件だとも言えます。 幾ら祈祷したり、神に祈ったり、「必勝祈願」だとか考えても、必然条件に合わないと、入試には落ちます。 しかし、逆に、試験問題を調べ、その種類の問題を解く練習を繰り返し行い、大学受験塾などで、入試試験問題に対し十分に準備すると、試験で一定の点数を取ることができ、合格できます。 点数で合否が決まるという必然法則に対し、意志の技術的応用で、必然があるので、それに準拠して、成功の方法が分かるということになります。 しかし、入試は、合格最低点数があると共に、獲得点数の上位から200人とかを合格にしてゆくという必然システムもあり、ある年度の入試では、獲得点数で合格できたのが、同じ獲得点数の実力なのに、もっと点数を取る受験生がなぜか、入試に加わって、200人の外に押し出されて不合格ということも起こるのです。 入試システムの必然に応じて、可能な準備をして、入試に臨んでも、合格するかどうかは、ときの運、あるいはその年度の偶然によるという事態も生じるのです。 こうして、世界の事象の生起について、「自由意志」への抵抗として、「偶然」と「必然」があり、偶然と必然を技術的に利用して、意志の希望を実現しようとする人間の知恵の展望には、実は、「未来の成り行きの先取りヴィジョン」というものがあるのです。 システムの「必然性」は、未来のヴィジョンを築くのに有効なのです。 こうすれば、こうなるという必然法則・因果法則があれば、未来がどうなるか予測できるのです。 しかし、偶然という要素が、予測を不完全にします。 偶然はさいころを投げるようなことで、結果がわからないのです。 ここで、未来のヴィジョンを前もって展開できるという人間の未来展望能力から、「未来と時間経過の結果」についての、「背後に隠れている構造」を構想した結果の「把握態度・構想態度」という精神の態度が出てくるのです。 できごとの生起について、「楽観的」か「悲観的」かというような態度がありえるでしょう。 結局、あらゆる知力、知識を尽くして、未来を予測しようとして予測できないとき、未来に対し、「すでに定まっている」という把握態度を取るか、「定まっていない」という把握態度を取るかです。 これは、知識を超越した次元での世界の隠れている構造要素・原理が問題となっているのです。 この把握態度と、「意志の能動性の態度位相」というものが交錯すると、未来展望に幾つかのヴァリエーションが出てくるのです。 「既定+能動意志」の場合、能動意志を含めてすでに決まっている運命である(積極的運命従属)。 「未定+能動意志」の場合は、決まっていない未来を、意志で切り開こう(積極的運命開拓)。 「既定+消極意志」では、運命の前、なすすべもない(消極的運命従属)。 「未定+消極意志」では、未来は分からないので、なるようになるしかない(意志放棄運命従属)。 >個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。 例えば、天災・事故・戦争などです。 1)「巻き込まれた」という限りは、「偶然に巻き込まれた」のであるが、巻き込まれた事実において、それは「必然」である。 ただし、予見でき回避できた場合は、「必然」とは言えないでしょう。 回避しようと思ったが、偶然巻き込まれたか、回避の努力も空しく巻き込まれた、という場合、「必然」ではないでしょう。 巻き込まれざるを得なかった場合、必然です。 それを、「運命」とするかしないかは、或る意味、意味のない問いとも言え、未来が既定の場合も、未定の場合も,両方とも、そういう運命だという把握は可能なのです。 「運命などない」というのは、意志によって運命を切り開けるというヴィジョンです。 従って、この問いの場合、それは「運命」であった、ということになります。 人生のあらゆるできごとは、偶然も必然も含めて、運命だと言えるからです。 2)「世のなかに偶然はない」ということはありません。 偶然が一杯あります。 さいころの例になりますが、さいころを振って出てくる目が、何であるか、神か悪魔か天使が、一々決めているとは考えがたいので、偶然で決まっているとするのが自然でしょう。 ただし、人生のヴィジョンにおいて、人間の意志や知恵や策謀を超えた彼方で、何ものか人知を超えた法則で、人生の運命は決まっているという展望をした場合、「世のなかに偶然はない」ということになります。 これは、そういう事実・事態が「ある」というより、人間の側の認識・把握の問題です。 「世のなかに偶然はない」ので、それゆえ、何を試みても無駄だという考えにもなれば、そうであるが故、運命を切り開いて、未来を切り開くのだ、という考えにもなるのです。 「偶然はない」ので、意志しても、定まった運命は変わらないとも感じられれば、「偶然はない」ので、意志すれば必ず道は開かれる、失敗した場合は、努力が足りなかったのだ、と両方出てくるのです。 人生について、偶然、必然、運命というようなことを考えると、先に述べたように、予測・予見できない次元でのありようが問題になってきて、それをどのように見積もり、意志的に展望するかで、偶然、必然、運命というのはぐるぐる回って行くのです。 一切は必然だと展望すると、そのように展望した世界の運命は、何ものかの気まぐれによる偶然に支配されているとも考えられ、更に、そのような何ものかの気まぐれも、また必然で、偶然ではないのだ、という風に、幾らでも、予見できない次元の決定項について、偶然と必然を入れることができるのです。 わたしは、「運命を切り開くことのできる人間」というヴィジョンが好きです。 わたし個人は、力尽きて倒れようと、人類は、その運命を切り開き、星々の未来へと到達するであろうと、展望しています。 逆に言えば、経験として、わたし自身について、自己の運命を切り開くのは難しいと痛感しているということです。 しかし、どこまでも希望と意志は持ち続けて行きたいと思っているのです。 存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。 詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。 ここで、「偶然」「必然」「運命」というよう... Q 私は、現在、50歳の主婦です。 夫も子供 1人)も、います。 でも、夫と結婚する前に、(もう15年以上前ですが)、とても好きだった男性がいました。 もちろん、彼も、私のことが好きで、お互い結婚するつもりでいたのですが、私の両親の反対で、結婚できませんでした。 私は、夫に、「昔、好きだった彼女のことを、思い出す?」と、尋ねたことがあるのですが、どちらかというと情熱的な私に比べ、冷静沈着なタイプの夫は、「まあ、たまに、そんな子もいたなあと、思うぐらいで、あんまり思い出さないわ。 」と、答えました。 男の人って、どんなに情熱的な恋愛をしても、他の 女性と結婚すれば、過去の彼女は、忘却のかなたの存在みたいになってしまうものなのでしょうか? もちろん、男の方は、仕事をもち、毎日、そちらの 方が忙しいとは、充分考えられるのですが・・・。 それに、やはり、結婚していて、毎日、妻子と暮しているのですから、しょっちゅう、昔、好きだった 女性のことを思い出したりは、しないとは、思うのですが、たいがいの男の人が、夫のような気持ちになってしまうものなのでしょうか? 私は、現在、50歳の主婦です。 夫も子供 1人)も、います。 でも、夫と結婚する前に、(もう15年以上前ですが)、とても好きだった男性がいました。 もちろん、彼も、私のことが好きで、お互い結婚するつもりでいたのですが、私の両親の反対で、結婚できませんでした。 私は、夫に、「昔、好きだった彼女のことを、思い出す?」と、尋ねたことがあるのですが、どちらかというと情熱的な私に比べ、冷静沈着なタイプの夫は、「まあ、たまに、そんな子もいたなあと、思うぐらいで、あんまり思い出さないわ。 」と、答えま... A ベストアンサー 初めまして。 私は、過去の女性全て「会いたい」もしくは「会いたくない」と言い切れません。 会いたい気がする人もいます。 ただ、会っても恋愛は再燃しないような気がしています。 質問者さんは、「困り度3」ということは、かなり未練をお持ちのようですね。 どうでしょうか、会ってみるも良し、会わずにおくも良し。 ご自身の決断だと思います。 妙な「ケシカケ」をする気はありませんが、人生自分の納得がいく行き道を通りたいと私は考えますが・・・ 一方で、ご主人の冷静な態度を言葉通りに受け取っていいのか、とも思います。 心にあることを率直に表さない方が、質問者さんを「安心させてあげられる」とのお考えでの冷静な態度なら、非常にお優しい方ではないでしょうか。 Q あなたは「運命」と言う言葉を・・・ どう理解しますか?「運命の人」って どういう存在なんでしょうか・・・。 私は今すきなひとがいます。 その人は私の元彼…私の自分勝手な行動で 別れることになりました。 そして今現在、 お互いまた惹かれあいました。 でもその彼には 付き合っている人がいます。 けどその彼は 私に言ってくれました。 「どれ位かかるか分からんけど・・・いつか必ず向いに行く 俺らの関係が運命ならまた会えるから・・・」 って私に言ってくれました。 だから私はもうその彼しか愛さないって決めました。 だけど現実は難しいです。 どれだけ彼のことを想っても、、 どれだけ自分に「大丈夫…乗り越えられる」と言い聞かしても 今だけは彼に想いは届かない… 私以上に辛い思いをしている人は 沢山いると思います…だけどみんな一致するのは 「運命」という言葉…「運命」とはなにか…と。

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