がち ゆり の 女王 歌詞。 【嵐/Face Down : Reborn】歌詞(和訳)の意味を徹底解釈!溢れ出すのはファンを想う心?

【嵐/Face Down : Reborn】歌詞(和訳)の意味を徹底解釈!溢れ出すのはファンを想う心?

がち ゆり の 女王 歌詞

冒頭でも述べましたが、今回紹介していく 「イントゥ・ジ・アンノウン〜心のままに」は、ディズニーのアニメーション映画『アナと雪の女王』の続編 『アナと雪の女王2』のテーマソング。 「アナと雪の女王」は、元気で明るいキャラクター性を持つの妹アナ、生まれつき雪と氷を操る能力を持つ姉エルサの2人が、両者を想い合い、ラストは心を通わせ強い絆で結ばれる結末を描いた映画でしたが、その続編が『アナと雪の女王2』になります。 ちなみに、英語版の「イントゥ・ジ・アンノウン」は、エルサを務めるイディナ・メンゼルが歌唱。 MVの日本語版は前作に引き続きエルサの日本版声優を努める松たか子が歌唱。 日本版エンドソングを歌うのは『女性アーティストオーディション』に参加し、最終審査を通過した後、ディズニーUS本社による『アナと雪の女王2』エンドソングオーディションに合格した中元みずき。 未知の旅へ Into the unknown 踏み出せと Into the unknown 未知の旅へ Unknown-oh-oh, oh-oh Oh-oh, oh-oh, oh-oh, oh-oh Oh are you out there? Do you know me? Can you feel me? Can you show me? あなたはどこなの姿をみせてよ Where are you going? ここの歌詞で綴られる 肯定的で前向きな文章からは 障害を越えて自分の力と向き合おうとするさま。 が、そのまま描かれているのでしょう。 「でも無駄よ」 というワードから、強い意志が感じられる。 「~でも」は、一応肯定しながら、それがふつう結果として予想されるものに反する内容を導くときに用いる語であり、肯定した意見を凌駕して意見を伝えるため、 普通に伝えるよりも意志が強く伝わるのです。 愛する人たちはここにいるの 危険をおかすこと 二度としないわ 冒険にはもう うんざりしてる それでも あの声は 求めてる 前作で、エルサは制御しきれない能力が原因で、自ら作り上げた氷の城に引きこもっていました。 それこそ、愛する妹のアナを傷つけないように。 疎遠になった二人ですが「アナと雪の女王」のラストでは、ふたりの絆が能力を制御し、エルサは氷の能力をコントロールすることができるようになりました。 エルサは一人じゃないから 愛する人たちはここにいるの とあり、 アナや周囲の人々を二度と傷つけたくないから 危険をおかすこと 二度としないわ と、 決意の表明がなされている。 また、歌詞中の 「冒険」とは 一人で氷の城に引きこもっていたこと を指すのですが 冒険という言葉には 成功するかどうか成否が確かでないことを、あえてやってみること。 という意味も存在します。 「自分の能力に向き合うエルサ」 その情動全ては「冒険」と対比しても差し支えありません。 つまり、 冒険にはもう うんざりしてる それでも あの声は 求めてる という歌詞は 期待と不安が入り乱れたエルサの葛藤 を、ダイレクトに表現しているのです。 未知の旅へ 踏み出せと 未知の旅へ あなたはどこなの 姿を見せてよ 力強く響かされる 「未知の旅へ」 という歌声の奏。 英語に直すと Into the unknown イントゥ・ジ・アンノウン となり、楽曲タイトル名を担っているほど、メッセージ性が強いことが分かります。 自分の能力の根本と向き合うことで• エルサに力は与えられた理由• 彼女が目覚めさせてしまった精霊• アナとエルサに待ち受ける冒険と明かされるすべての秘密 が、紐解かれていくのです。 感想 壮大なスケールでリスナーに届けられる 「イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに」 まさに映画の壮大さをそのまま写すようです。 レットイットゴーを超える劇中曲になるのではと個人的に感じています。

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歌が上手くなりたい人必見!歌が苦手な人も歌いやすいカラオケ練習曲13選

がち ゆり の 女王 歌詞

女王蜂ってカテゴライズが難しい スポンサーリンク とりあえず、バンド音楽って何でもカテゴライズしがちである。 これはロックだとかロックじゃないとか、この音はシティポップだとかメタルだとか、みんなはこれをメロコアっていうけど、本当のメロコアはこんなんじゃないとかいやその解釈も違うだろうとか。 話をはじめるととにかくややこしくて、でも、テキストで音楽のことを語る人は特にここのカテゴライズを重視していくフシがある。 だから、特定のバンドを語っていく上ではまずその音をカテゴライズしていきながら、深く潜るようなバンドを語っていくことになりがちなんだけど、女王蜂はそういうカテゴライズが非常に難しいバンドだなーと思う。 なぜなら、すごくカテゴライズするのが大変なバンドだからだ。 しかも、女王蜂における「カテゴライズの難しさ」って、他のバンドにおけるそれとは性質が異なる。 確かに女王蜂に限らず、ジャンルが雑多で様々な音楽をごちゃ混ぜにしているバンドはたくさんいる。 そのため「ニュー・ハードコア」とか「ポスト・オルタナロック」みたいな、よくわからんカテゴライズをしないとその音楽性を語ることが難しいバンドというのは幾つもいる。 また、仮にハードコアと分類したとしても作品ごとにジャンルを横断するバンドも多いし、アルバムの曲ごとにカラーを変えることもあるから、そもそもどんなバンドでもひとつのカテゴリーで言葉にするのはナンセンスという場合も多い。 んだけど、女王蜂における「カテゴライズの難しさ」は、そういう音楽的な雑多性以前の問題なのだ。 例えば、ジャンルの分類分けはともかく「ロック」というカテゴライズをすることまで困難になるバンドってそう多くはないと思う。 けれど、女王蜂の場合、そもそもこのカテゴライズすら安易にやっていいのか?みたいな困難さが付きまとうのだ。 もちろん、バンドによってはロックに分類するべきでなさそうなバンドもいるけれど、それはギターの音が全然聞こえないとか、あまりにもライブハウスと親和性がないとか、そういう根本的なところがポイントあることが多い。 でも、女王蜂は比較的ゴリゴリにギターの音を響かせているし、ライブハウスでもゴリゴリとパフォーマンスをしているバンドである。 楽曲によってはシャウトをすることもあるし、激しいパフォーマンスをすることもあるし、一般的に「ロック」と分類されるような特徴はある程度抑えているバンドのように感じる。 それでも、安易に「ロックバンド」と呼べるようなバンドではないのだ。 それはなぜか? 例えば、本人たちのインタビューをみても、メンバーは「ロックバンド」と紹介されることに違和感を示している。 また、インタビューを読まずとも、バンドとしてのスタンスや作品ごとの表現方法を見ていても、安易にロックと言っていいのか?と言えるようなことが多い。 というのも、女王蜂はバンド音楽が好きでバンドを始めたというタイプのバンドではない(ように思うし)、そもそもメンバーはバンドを結成するまで楽器を触ったことがなかったという話もある。 じゃあなぜバンドを結成したのか?と問われると、表現したいという衝動だけはあって、その衝動を形にするものを考えた結果として、バンドになったというようなことを語っている。 つまり、そもそもの前提として女王蜂は「ロックな音」に拘っているバンドではないし、表現したいものを表現するうえで「ロックな音」が必要でなくなれば、おそらくそこから距離を取るアプローチをしていくのだろうと想像できるわけだ。 現状でもその兆候はある また、バンドをカテゴライズするひとつの言葉として「ガールズバンド」という言葉がある。 これはバンドメンバーの性でバンドをカテゴライズしていることになる。 また、洋楽とか邦楽、あるいは青春パンクとか日本語ラップなんて言葉もある通り、国籍とか使う言葉だけでジャンルをカテゴライズすることも、やり口としてはよくある。 が、女王蜂の場合、そういうアプローチすらも難しくしているし、そういうアプローチの無意味さを顕にしていくような存在のバンドでもある。 メンバー全員が性別や国籍、年齢などのパーソナルな情報を非公開にしているというのもそういうことだろうし、アヴちゃんのボーカルは「男性ならではの〜」とか「女性ならではの〜」というような切り口を完全に無効にする歌い方をしている。 一曲のなかで、ドスのきいた低い声で歌うこともあれば、美しいハイトーンボーカルで歌うこともあるし、それを巧みに使い分ける。 「売春」では男性と女性の二役を一人でこなす。 そこがアヴちゃんのボーカルの大きな魅力のひとつだ。 また、性別的なカテゴライズの無意味さは、歌詞においても言えることだ。 アヴちゃんは「女性ならでは」と言われるような視座で曲を書くこともあれば、ニュートラルな立ち位置で人間の感情を描くこともあるし、そもそも男性ならではとか女性ならではとかとは全然違う視点で言葉を紡ぐことが多い。 「HALF」のように、あえてそこに首を突っ込んだ歌もあるけれど、そこも含めてカテゴライズの壁を超越したバンドであると言えると思うのだ。 ここで言いたいのは「カテゴライズの難しさ」こそが、女王蜂における大きな魅力のひとつなんだよ、ということである。 変化し続ける女王蜂 デビュー当時の女王蜂はガレージロックっぽい荒々しいギターの音を鳴らしていたし、初見を寄せ付けないような美しくも刺々しい世界観とか、刹那的な衝動を孕んだパフォーマンスをしていた。 歌詞に関しても、今ではだいぶニュートラルな歌詞が増えたけれど、昔はとにかく排他的だったりセンセーショナルな言葉が踊る歌詞も多かった。 デビュー当時はミステリアスで孤高な存在だった女王蜂は、デビューから3年でいきなり活動休止になった。 そして、1年間の活動休止を経て、自分を見つめ直したアヴは、再び女王蜂としての活動を始め、デビュー当時では行わなかった試みにもトライしていく。 対バンツアーを行ったり他のアーティストとコラボをするようになったり自分たちのことをメディアで通じて語るようになった。 また、歌詞の方向性も変わったし、一言で言えば、アングラ臭を少し抑えて、ポップ的な要素を組み込むようになっていった。 サウンドも作品を追うごとに洗練されていき、意図的に綺羅びやかな音やバンド以外のサウンドを取り入れるようになった。 この恐ることなく変化していく姿勢も女王蜂ならではの魅力だなーと強く感じる。 スポンサーリンク 新曲「火炎」の話 今年リリースされた新作「火炎」では、よりダンスミュージックに接近しつつ、複雑なビートを刻む楽曲になっている。 特に象徴的なのはBメロ後半の、打楽器の打つリズムがどんどん早くなっていた後の展開。 ふつう、ポップスの場合、ドラムの音打ちを徐々に早くしていくアプローチはサビへの高揚感を高めるアプローチであることが多い。 そして、メロディー市場主義の日本の音楽において、サビは印象的なメロディーを配置することがほぼ絶対条件となっている。 だけど、「火炎」はこの一般的にはサビの当たりそうな部分に、メロディーが置かれていないのだ。 ボーカルが不在になっているのだ。 代わりに自由に鳴らされるバンドサウンドが全面に出てきて、ボーカルは一旦主役の座を退くという展開。 日本人だと中田ヤスタカなんかが行うことのあるアプローチなんだけど、こんなアプローチを行うバンドは非常に珍しいし、それが効果的に決まっているこの「火炎」は、女王蜂としての楽曲はもちろん、日本のバンドシーンにおいても革命的な作品だなーと思う。 さらにいえば、この革命的な作品である「火炎」ですら、女王蜂が表現する音楽のひとつでしかないというところに凄さがある。 元々「デスコ」や「告げ口」であれ、「スリラ」であれ「売春」であれ、予測のつかない楽曲進行とボーカルまわしが女王蜂の大きな魅力であり、専売特許であると思っている。 「火炎」はそういう女王蜂だからこその表現を方法を、今までの女王蜂とはまったく違うアプローチで行った快作であり、表現したいことが主体にあるバンドだからこそなし得た偉業だと僕は考える。 元々「告げ口」のようなドロドロした歌を歌っていたバンドが「金星」のようなディスコチューンのキラキラした楽曲を歌うだけでも想像できない進化なのに、以降の「HALF」も「催眠術」も、そして「火炎」もそうだけど、どれも全てのリスナーの予想と想像を超える進化だよなーと思う。 こういう表現を軽やかに行ってみせるところに女王蜂の凄さを感じるし、楽曲だけの話じゃなくてMVやアートワークまでを含めて、このことは言える。 このブログではアー写は載せない主義なので、これはよかったら公式ホームページなどで確認してほしいのだが、女王蜂は作品ごとにごろっとアー写を変える。 なのに、きちんと女王蜂ならではの美学もあって、このクリエイティブ管理は圧巻と言うほかない。 トータルで言えるのは、様々なクリエイティブを仕切るアヴちゃんのセンスが凄まじい、ということなのだが、それだけでなく、その感性を完璧に表現に落とし込む女王蜂のバンドメンバーにも底なしのものを感じる。 女王蜂は凄いバンドなのだ。 まとめ 確かにビジュアル面でもボーカルの声でも、人を選ぶバンドであるとは思う。 でも、女王蜂というバンドは外側でパッとみただけでは気づけない魅力をはらんだ凄いバンドであるということは強調しておきたい。 あと、女王蜂は「ライブバンド」であることも付け加えておきたい。 見た目が華やかでイロモノ感がある分、音源や見た目だけのバンドでしょ?と思っている人もいるかもしれないが、女王蜂のパフォーマンスは圧巻そのもので、結成1年でライブハウスをパンパンにしてメジャーデビューを果たしたカリスマ性が遺憾なく発揮されているのは、ライブなのである。 ファンが扇子を持ちながら踊り盛り上がるサマ含めて、女王蜂のライブは他のバンドにはない刺激的な空間なので、機会があればぜひみてほしいなーなんて思う。 ミーハーな自分が言うのもなんだけど。 スポンサーリンク.

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ずっと真夜中でいいのに。 秒針を噛む 歌詞

がち ゆり の 女王 歌詞

女王蜂ってカテゴライズが難しい スポンサーリンク とりあえず、バンド音楽って何でもカテゴライズしがちである。 これはロックだとかロックじゃないとか、この音はシティポップだとかメタルだとか、みんなはこれをメロコアっていうけど、本当のメロコアはこんなんじゃないとかいやその解釈も違うだろうとか。 話をはじめるととにかくややこしくて、でも、テキストで音楽のことを語る人は特にここのカテゴライズを重視していくフシがある。 だから、特定のバンドを語っていく上ではまずその音をカテゴライズしていきながら、深く潜るようなバンドを語っていくことになりがちなんだけど、女王蜂はそういうカテゴライズが非常に難しいバンドだなーと思う。 なぜなら、すごくカテゴライズするのが大変なバンドだからだ。 しかも、女王蜂における「カテゴライズの難しさ」って、他のバンドにおけるそれとは性質が異なる。 確かに女王蜂に限らず、ジャンルが雑多で様々な音楽をごちゃ混ぜにしているバンドはたくさんいる。 そのため「ニュー・ハードコア」とか「ポスト・オルタナロック」みたいな、よくわからんカテゴライズをしないとその音楽性を語ることが難しいバンドというのは幾つもいる。 また、仮にハードコアと分類したとしても作品ごとにジャンルを横断するバンドも多いし、アルバムの曲ごとにカラーを変えることもあるから、そもそもどんなバンドでもひとつのカテゴリーで言葉にするのはナンセンスという場合も多い。 んだけど、女王蜂における「カテゴライズの難しさ」は、そういう音楽的な雑多性以前の問題なのだ。 例えば、ジャンルの分類分けはともかく「ロック」というカテゴライズをすることまで困難になるバンドってそう多くはないと思う。 けれど、女王蜂の場合、そもそもこのカテゴライズすら安易にやっていいのか?みたいな困難さが付きまとうのだ。 もちろん、バンドによってはロックに分類するべきでなさそうなバンドもいるけれど、それはギターの音が全然聞こえないとか、あまりにもライブハウスと親和性がないとか、そういう根本的なところがポイントあることが多い。 でも、女王蜂は比較的ゴリゴリにギターの音を響かせているし、ライブハウスでもゴリゴリとパフォーマンスをしているバンドである。 楽曲によってはシャウトをすることもあるし、激しいパフォーマンスをすることもあるし、一般的に「ロック」と分類されるような特徴はある程度抑えているバンドのように感じる。 それでも、安易に「ロックバンド」と呼べるようなバンドではないのだ。 それはなぜか? 例えば、本人たちのインタビューをみても、メンバーは「ロックバンド」と紹介されることに違和感を示している。 また、インタビューを読まずとも、バンドとしてのスタンスや作品ごとの表現方法を見ていても、安易にロックと言っていいのか?と言えるようなことが多い。 というのも、女王蜂はバンド音楽が好きでバンドを始めたというタイプのバンドではない(ように思うし)、そもそもメンバーはバンドを結成するまで楽器を触ったことがなかったという話もある。 じゃあなぜバンドを結成したのか?と問われると、表現したいという衝動だけはあって、その衝動を形にするものを考えた結果として、バンドになったというようなことを語っている。 つまり、そもそもの前提として女王蜂は「ロックな音」に拘っているバンドではないし、表現したいものを表現するうえで「ロックな音」が必要でなくなれば、おそらくそこから距離を取るアプローチをしていくのだろうと想像できるわけだ。 現状でもその兆候はある また、バンドをカテゴライズするひとつの言葉として「ガールズバンド」という言葉がある。 これはバンドメンバーの性でバンドをカテゴライズしていることになる。 また、洋楽とか邦楽、あるいは青春パンクとか日本語ラップなんて言葉もある通り、国籍とか使う言葉だけでジャンルをカテゴライズすることも、やり口としてはよくある。 が、女王蜂の場合、そういうアプローチすらも難しくしているし、そういうアプローチの無意味さを顕にしていくような存在のバンドでもある。 メンバー全員が性別や国籍、年齢などのパーソナルな情報を非公開にしているというのもそういうことだろうし、アヴちゃんのボーカルは「男性ならではの〜」とか「女性ならではの〜」というような切り口を完全に無効にする歌い方をしている。 一曲のなかで、ドスのきいた低い声で歌うこともあれば、美しいハイトーンボーカルで歌うこともあるし、それを巧みに使い分ける。 「売春」では男性と女性の二役を一人でこなす。 そこがアヴちゃんのボーカルの大きな魅力のひとつだ。 また、性別的なカテゴライズの無意味さは、歌詞においても言えることだ。 アヴちゃんは「女性ならでは」と言われるような視座で曲を書くこともあれば、ニュートラルな立ち位置で人間の感情を描くこともあるし、そもそも男性ならではとか女性ならではとかとは全然違う視点で言葉を紡ぐことが多い。 「HALF」のように、あえてそこに首を突っ込んだ歌もあるけれど、そこも含めてカテゴライズの壁を超越したバンドであると言えると思うのだ。 ここで言いたいのは「カテゴライズの難しさ」こそが、女王蜂における大きな魅力のひとつなんだよ、ということである。 変化し続ける女王蜂 デビュー当時の女王蜂はガレージロックっぽい荒々しいギターの音を鳴らしていたし、初見を寄せ付けないような美しくも刺々しい世界観とか、刹那的な衝動を孕んだパフォーマンスをしていた。 歌詞に関しても、今ではだいぶニュートラルな歌詞が増えたけれど、昔はとにかく排他的だったりセンセーショナルな言葉が踊る歌詞も多かった。 デビュー当時はミステリアスで孤高な存在だった女王蜂は、デビューから3年でいきなり活動休止になった。 そして、1年間の活動休止を経て、自分を見つめ直したアヴは、再び女王蜂としての活動を始め、デビュー当時では行わなかった試みにもトライしていく。 対バンツアーを行ったり他のアーティストとコラボをするようになったり自分たちのことをメディアで通じて語るようになった。 また、歌詞の方向性も変わったし、一言で言えば、アングラ臭を少し抑えて、ポップ的な要素を組み込むようになっていった。 サウンドも作品を追うごとに洗練されていき、意図的に綺羅びやかな音やバンド以外のサウンドを取り入れるようになった。 この恐ることなく変化していく姿勢も女王蜂ならではの魅力だなーと強く感じる。 スポンサーリンク 新曲「火炎」の話 今年リリースされた新作「火炎」では、よりダンスミュージックに接近しつつ、複雑なビートを刻む楽曲になっている。 特に象徴的なのはBメロ後半の、打楽器の打つリズムがどんどん早くなっていた後の展開。 ふつう、ポップスの場合、ドラムの音打ちを徐々に早くしていくアプローチはサビへの高揚感を高めるアプローチであることが多い。 そして、メロディー市場主義の日本の音楽において、サビは印象的なメロディーを配置することがほぼ絶対条件となっている。 だけど、「火炎」はこの一般的にはサビの当たりそうな部分に、メロディーが置かれていないのだ。 ボーカルが不在になっているのだ。 代わりに自由に鳴らされるバンドサウンドが全面に出てきて、ボーカルは一旦主役の座を退くという展開。 日本人だと中田ヤスタカなんかが行うことのあるアプローチなんだけど、こんなアプローチを行うバンドは非常に珍しいし、それが効果的に決まっているこの「火炎」は、女王蜂としての楽曲はもちろん、日本のバンドシーンにおいても革命的な作品だなーと思う。 さらにいえば、この革命的な作品である「火炎」ですら、女王蜂が表現する音楽のひとつでしかないというところに凄さがある。 元々「デスコ」や「告げ口」であれ、「スリラ」であれ「売春」であれ、予測のつかない楽曲進行とボーカルまわしが女王蜂の大きな魅力であり、専売特許であると思っている。 「火炎」はそういう女王蜂だからこその表現を方法を、今までの女王蜂とはまったく違うアプローチで行った快作であり、表現したいことが主体にあるバンドだからこそなし得た偉業だと僕は考える。 元々「告げ口」のようなドロドロした歌を歌っていたバンドが「金星」のようなディスコチューンのキラキラした楽曲を歌うだけでも想像できない進化なのに、以降の「HALF」も「催眠術」も、そして「火炎」もそうだけど、どれも全てのリスナーの予想と想像を超える進化だよなーと思う。 こういう表現を軽やかに行ってみせるところに女王蜂の凄さを感じるし、楽曲だけの話じゃなくてMVやアートワークまでを含めて、このことは言える。 このブログではアー写は載せない主義なので、これはよかったら公式ホームページなどで確認してほしいのだが、女王蜂は作品ごとにごろっとアー写を変える。 なのに、きちんと女王蜂ならではの美学もあって、このクリエイティブ管理は圧巻と言うほかない。 トータルで言えるのは、様々なクリエイティブを仕切るアヴちゃんのセンスが凄まじい、ということなのだが、それだけでなく、その感性を完璧に表現に落とし込む女王蜂のバンドメンバーにも底なしのものを感じる。 女王蜂は凄いバンドなのだ。 まとめ 確かにビジュアル面でもボーカルの声でも、人を選ぶバンドであるとは思う。 でも、女王蜂というバンドは外側でパッとみただけでは気づけない魅力をはらんだ凄いバンドであるということは強調しておきたい。 あと、女王蜂は「ライブバンド」であることも付け加えておきたい。 見た目が華やかでイロモノ感がある分、音源や見た目だけのバンドでしょ?と思っている人もいるかもしれないが、女王蜂のパフォーマンスは圧巻そのもので、結成1年でライブハウスをパンパンにしてメジャーデビューを果たしたカリスマ性が遺憾なく発揮されているのは、ライブなのである。 ファンが扇子を持ちながら踊り盛り上がるサマ含めて、女王蜂のライブは他のバンドにはない刺激的な空間なので、機会があればぜひみてほしいなーなんて思う。 ミーハーな自分が言うのもなんだけど。 スポンサーリンク.

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