フランケン シュタイン 怪物 の 名前。 コラム再録「原田勝の部屋」 第49回 フランケンシュタインは怪物か?

[100] スナッケンシュタインの怪物

フランケン シュタイン 怪物 の 名前

フランケンシュタインは怪物の名前ではなく、怪物を作った学者の名前がヴィクター・フランケン・シュタインで怪物の名前は決まってません話を説明すると、シュタインは、生命を作る研究をしていてやっとの思いでできたのが怪物だった。 普通の人間と同じような性格を持っていたが、顔が怪物だった。 シュタインは絶望して、怪物を残したまま、故郷へ帰った。 だが、怪物は強靭な肉体をもっていたために、シュタインの元にたどり着いた。 そして怪物は、人間たちの前には出てこないようにする。 その代り俺と同じ怪物を作ってくれと頼まれた。 しかし、シュタインはこれを断った。 これ以上このような怪物を生み出さないために、それを聞いた怪物は激怒し、シュタインの妻や友人を殺してしまう。 そしてそのあと怪物は氷の海に溺れて死ぬ。 とゆう話です。 怪物はゾンビじゃないんじゃないですか?でも怪物を作る材料に人間の死体は入ってます。

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「フランケンシュタインが作り出した悲しき怪物は、いまだに作られている」

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素敵な表紙絵を描いてくださったのは浅野隆広さん、デザインは藤田知子さん。 大好きな表紙です。 浅野さんは、時代小説の表紙をたくさん描いています。 『獣の奏者』の表紙も浅野さんです。 ーーーーーー 第49回 フランケンシュタインは怪物か? (2013年5月27日掲載記事 再録) フランケンシュタイン、と聞くと、皆さんはなにを思い浮かべるでしょうか? 有名な映画『フランケンシュタイン』に登場する、継ぎはぎだらけのメイクをほどこしたボリス・カーロフでしょうか? それとも、マンガ『怪物くん』のフランケン? ご存知の方も多いと思いますが、じつは、フランケンシュタインというのは、かの有名な怪物を作った科学者の名であり、怪物そのものに名前はありません。 この作品は、その後何度も舞台化、映画化されてきた傑作で、世界初のSF作品とも言われています。 先月(2013年4月)刊行の運びとなった、拙訳『フランケンシュタイン家の双子』(ケネス・オッペル作、創元推理文庫)は、このメアリ・シェリーの原作の前日譚という体裁をとったヤングアダルト作品です。 今回は、この作品について思ったことを書いてみます。 前日譚 ある物語のその後を書いた作品を続編、あるいは後日譚(後日談とも)というのに対して、物語が始まる以前を想像して書いた作品が前日譚(前日談とも)で、どちらも、もとの作者が書く場合もあれば、別の作家が時代を超えて書く場合もあります。 最近話題になった映画で言えば、『ホビットの冒険』は『指輪物語』の前日譚であり、『オズ はじまりの戦い』は『オズの魔法使い』の前日譚です。 「ホビット」と「指輪」は、いずれも原作はトールキン、発表順からして、「指輪」が「ホビット」の続編と言えなくもありません。 「オズ」のほうは、ボームの原作の前日譚を新たに映画として作ったのが『オズ はじまりの戦い』ということになります。 ほかにも映画で言えば、有名な『スター・ウォーズ』シリーズは、エピソード4から始まり、5、6、と続いて、1、2、3、と製作・公開されましたから、エピソード1から3は前日譚とも言えます。 少なくとも、4から順に見ていたわたしたちの世代はそういう感覚でした。 すべてジョージ・ルーカスの構想から生まれた作品であることは言うまでもありません。 後日譚と前日譚、書くのはどちらがむずかしいのでしょう? よくわかりませんが、案外、前日譚のほうが自由度が高く、書きやすいのかもしれません。 なぜそう思うかというと、たいていは後日譚も前日譚も、名作と呼ばれる作品をもとに書くわけで、前日譚なら、その名作にうまくつなぎさえすれば、結末が保証されているからです。 後日譚はすぐれた原作のあとに、もうひと山こしらえ、しかもうまくまとめなければならないのですから、これはかなりむずかしい仕事なのではないでしょうか。 また、なんとなく、後日譚は、二番煎じ、二匹目のドジョウ、という印象がぬぐえないのに対して、前日譚は、あくまで序章、という印象があり、多少の冒険は許される気がするから不思議です。 原作者のケネス・オッペルはカナダ人で、児童文学・YA文学を中心に活動している作家なので、ヴィクターの若いころを描こうと思ったのも不思議ではありませんが、それにしても『フランケンシュタイン』の前日譚というのは、これまでだれも思いつきそうで思いつかなかったすぐれた着想です。 当然、翻訳に先立って本家の『フランケンシュタイン』を読んでみました。 森下弓子さん訳の創元推理文庫版で読んだのですが、翻訳のトーンもゴシックロマンの雰囲気があり、解説も充実しています。 じつは、『フランケンシュタイン』を読むのは、今回が初めてでした。 白状すれば、ボリス・カーロフの恐ろしいメイクを写真で見たことはあっても、映画そのものはまだ観ていません。 読む前は、怪奇小説、恐怖小説だと思っていたのですが、読んでみると、そういう側面はいくらかあるにせよ、主人公フランケンシュタインの、そして彼が生みだした人造人間の苦悩を描いた、純文学と言ってもいい作品だと知りました。 しかも、驚くべきことに、メアリ・シェリーがこの作品を発表した1818年は、ダーウィンが『種の起原』で進化論を唱える前であり、その上、女流作家がまだめずらしい時代に、この時、メアリ・シェリーはまだ21歳なのです。 シェリーの原作にまつわる興味深い話はいくらでもあり、きりがないのですが、それほど、この元祖『フランケンシュタイン』はエポックメイキングな作品だったのです。 そして今回、ケネス・オッペルは、主人公のヴィクター・フランケンシュタインに一卵性双生児の兄コンラッドがいた、という原作にはない設定を考え、そこから物語を展開していきます。 オッペルは若い読者むけに書いているので、冒険やロマンスを巧みにとりいれた、原作からは少し離れたエンタテインメント性の高いYA作品に仕上げています。 訳していておもしろいと思ったのは、双子の兄コンラッド以外は、登場人物がシェリーの原作とほぼ同じで、舞台もジュネーヴですし、原作で印象的だったスイスの岩山やレマン湖、雷雨や稲妻といった視覚的な印象もうまく生かして、単体作品では出せない幅や広がりをもたせていることでした。 古典を生かす 欧米では、古くはギリシア・ローマ神話、あるいは北欧神話から始まり、古代ローマやギリシアの古典、民話やシェイクスピア作品などが、ひとつの文化圏の遺産として新しい作品にいろいろな形で生かされています。 こうした古典をきちんと勉強したバックグラウンドのないわたしのような翻訳者は、引用とおぼしきフレーズが出てくるたびにおそるおそる訳しているのが実情です。 そのつどインターネットで検索し、翻訳版を買い求めていくので、仕事部屋の本棚には、シェイクスピアをはじめ、ダーウィンやガリレオ、ポーやラヴクラフト、ヴァージニア・ウルフなどの著作がぽつりぽつりと増えていきます。 もっとも、引用箇所や関係のありそうな部分の前後を見るくらいで、体系的に理解しているわけではないのですが、それでも、一人の作家が独力で生みだしたように見える作品に、先輩たちの有形無形の影響があることを実感するのは、ある種の感慨を覚える瞬間です。 前日譚・後日譚の話に引きよせて考えれば、あからさまな本歌どりではなくとも、世界の文学は時代や場所を超えてゆるやかにつながっていて、わたしたち翻訳者もその一部に参加している気がすると言えば、少し大げさでしょうか。 そして、今回『フランケンシュタイン家の双子』は、明白な前日譚なのですから、そうした時を超える物語の力のようなものをいっそう強く感じました。 いつもは原作者と一対一でむきあっている感覚なのに、今回は、ケネス・オッペルのむこうにメアリ・シェリーが垣間見えるような気がしたものです。 もちこみの成果 じつはこの作品は、東京創元社へのもちこみで実現した仕事です。 皆さんの参考になるかもしれませんので、企画が通った理由と思われるものをいくつか挙げておきましょう。 まずは、原作のアイデアが秀逸だということ。 アメリカでは『クローバーフィールド』の監督、マット・リーヴスの手による映画化の話が出ているほどです。 まあ、映画化の話というのは割とよくマスコミに流れ、立ち消えすることも多いのが現実ですが。 また、ケネス・オッペルは日本ではそれほど知られていませんが、カナダでは人気・実力ともに認められている作家で、この作品では2013年度カーネギー賞のロングリストにノミネートされているのですから、作品の出来も一定のお墨付きがあったと言っていいでしょう。 (残念ながら、ショートリストには残りませんでした。 ) さらに、わたしはオッペルの作品を翻訳したことがあるので、継続的に新作をチェックしていたことが、この作品を早めにとりよせて読むことにつながりました。 自分が注目した作家の作品を追っていくのはおもしろいことです。 最後に、東京創元社という出版社が、ミステリや怪奇小説、ファンタジー、さらにはYA小説に理解があり、この作品を翻訳出版するのにぴったりであるだけでなく、シェリーの『フランケンシュタイン』を翻訳出版していることもわかっていました。 YA・ファンタジー担当の編集者さんを知っていたこともあり、好条件が重なって、企画をもちこんでから四カ月ほどで版権がとれ、おまけにそのころには続編のゲラが出来ていて、二冊続けて出すという話になったのでした。 じつは、最初に版権の確認をした時、もしかしたらすでにどこかの出版社が版権をとっているのではないかと心配でした。 わたしは原書が出版されてから手に入れて読んでいるわけですが、ゲラの段階でだれかが読んでいたら、翻訳権をとろうと思う人がいても不思議はないくらい魅力のある作品だったからです。 その心配は杞憂に終わったわけですが、おそらく、オッペルが日本ではマイナーな作家であり、しかも、英米ではなくカナダの児童文学・YA作家であったことが注目されていなかった理由ではないかと思います。 カナダやオーストラリア、ニュージーランドや南アフリカ、あるいはインドなど、英米以外の英語圏の作家に着目したり、好きなジャンルの作家を継続的にウォッチするのは、エージェントや出版社の目が届かない作品を発掘するきっかけになるのではないでしょうか。 そして、今回、企画が通った最大の理由は、やはり、かの『フランケンシュタイン』の前日譚だったからでしょう。 それほどシェリーの『フランケンシュタイン』は絶大な影響力をもつ傑作なのです。 やっぱり、『フランケンシュタイン』は怪物なのかもしれません。 (M.H.) 原書のカバーもいいです。 いくつかバージョンがあるようですが、二つずつAmazonから。 まずは『フランケンシュタイン家の双子』の原書、"This Dark Endeavour"。 訳し始めた時は、原題の直訳で『この暗き企み』としていました。 けっこう気に入っていたタイトルなのですが、やはり「フランケンシュタイン」という名前に負けました。 こちらは続編『フランケンシュタイン家の亡霊』の原書、"Such Wicked Intent"。 『かくも邪なる意図』ですね。 haradamasaru.

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『フランケンシュタイン』感想。天才少女メアリーシェリーの怪奇小説

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この回は、フランケンシュタインを取り上げている。 くわしくは、こちらをご覧いただければと思う。 () ここからは、私が観ながら、まとめた文章を自分の備忘録もかねてここに残しておこうと思う。 (よくTVをメモりながら観たりするので、今後はこんな感じでのっけていけたらと・・) フランケンシュタインの真実 フランケンシュタインと聞いてまずイメージするのがこれだろう。 しかしながら、これはフランケンシュタインではない。 フランケンシュタインは怪物を作った科学者、ヴィクターの名字なのである。 イギリスの辞書(オックスフォード英語辞典)には、こう書かれている。 一般には、創り手に恐怖を与え、ついには破滅させる怪物を指す典型的な名称として隠喩的に誤用されている。 フランケンシュタインの意外な事実として以下の4つのものがあげられる。 怪物の名前ではない• 怪物は読書家(ゲーテの本を読んだりしている)• 本当は美しい文学• 美と醜のコントラスト 作者は、メアリー・シェリー夫人という女性。 この人も波乱に満ちた人生だ。 16歳で駆け落ちし、周りでは不幸なことが多く起こる。 長女が生後12日で死に、次女も1歳赤痢で死亡。 長男3歳マラリアで死ぬ。 それから義理の妹が自殺し、夫のパーシー・シェリーの元奥さんも自殺。 死と正が入り混じりまさしく混沌という言葉がふさわしいだろう。 虐げられる怪物 この小説の語り手は、ウォルトン(北極大陸探検中、姉への手紙にて)という冒険家。 旅の途中で、フランケンシュタインを作ったヴィクターに話を聞いたものをもとにはじまる。 ヴィクターは名家の生まれで、何不自由なく育った。 ドイツの大学に進学し、生命の根源とは何かという研究に没頭し、死体を集めて人間を作りたいという野望が生まれる。 そこで、死体を継ぎ接ぎしてついに怪物が完成する。 しかしながら、ヴィクターはこの怪物を虐げ追い出してしまう。 行きつく町々で、迫害された怪物は、人気のないみすぼらしい小屋に住んだ。 その近くにドラセーという一家が住んでいた。 怪物は、彼らの生活を盗み見し、そこで愛の存在を知る。 様々な読書体験を通じて、どうして人間は仲間を殺すのか。 法律などなぜ必要なのか疑問に感じた。 そして、人間が起こす流血の数々を知り憎悪という感情が芽生えた。 ドラセー一家と親しくなりたいという感情が芽生えた。 だが、いままで、迫害されたことを考えると不安だった。 そこで、盲目の老人だけがいるときに会いに行った。 老人に告白する。 友達に嫌われそうだと。 ここで、「私は目が見えず、あなたの顔はわからないが、あなたの言葉には、何か誠実だと思わせるものがある。 あなたは誰なのですか?」と問われ、怪物は、名前がなかったために、答えられなかった。 名前がないことは存在していないのと一緒。 怪物が見られる存在である限り受けいれられないことを意味する。 ヴィクターの兄弟、ウィリアムと出会うが拒絶され、醜いと偏見を持たれて絶望し殺す。 こういったことから、「人間=自分を作ったヴィクター」を憎むようになる。 つまり、怪物が凶悪化したことには理由があるのだ。 ここに親子の共通点を見出すことが出来るが、徹底的に阻害されるという点でフランケンシュタインのほうが辛い。 怪物がついにヴィクターと対面する。 そこで、理解してくれる女の怪物を作って欲しいと懇願する。 しかし、完成間近の女の怪物をみてあまりの恐ろしさから、ヴィクターは衝動的に壊してしまう。 怪物は大いに失望する。 そして、復讐心が巨大化する。 ヴィクターは、怪物と対照的な人物だが、もしかしたら、自分の中に潜む内面には怪物が潜んでいるのかもしれない。 端役にも焦点を当てて描かれている。 ヴィクターはウォルトンの性格が自分と似ていると感じ、教訓になればということで身の上を話し出したようだ。 サブタイトルは、~あるいは現代のプロメテウス~。 プロメテウスとは、「オリュンポスから天井の火を盗んで、地上にもたらした英雄であると同時にゼウスに背いた反逆者」 それは、ヴィクターが危険な科学者ということを意味し、科学者の心理とモラルを説いているともいえる。 また、主人公が科学者であるという点が他のゴシック小説と一線を画し。 世界で最初のSFとして「フランケンシュタイン」を捉えてもいい。 () 復讐心 復讐心が膨れ上がった怪物は、こんな台詞を言う。 「覚えておけよ。 おまえの婚礼の夜に、会いにいくからな」 そして、次々とヴィクターの周りの人を殺す。 なぜ周りの人を殺すのか?これは、怪物が産みの親ヴィクターに対して、自分自身の孤独を分かって欲しいということではないだろうか。 やがて、ヴィクターは死ぬ。 そして、怪物はヴィクターの前でこう言った。 「もう太陽や星を見ることも、そよ風が頬に触れるのを感じることもない。 光も心も感覚も、消えてしまうのだ。 だが、そうなることを、おれは幸せだと思わなければならない。 (中略)いまは死ぬことだけが、おれの慰めなのだ。 」 自分を作ってくれた人がいなくなることは絆がなくなったのと同じこと。 だから怪物は悲しんだ。 この物語では、ときに人間でない怪物のほうが人間らしくみえる。 怪物はヴィクターの影の部分の表出。 ユング、いわく 影・・・無意識の暗い部分。 ペルソナ・・・社会に対して演じている仮面 また、時代背景から考えると ・フランス革命が起った、1790年代に物語上では怪物も産まれている。 ・初版は1818年に発売。 ナポレオン失脚が、1815年。 何かの恐怖の暗示。 ・この時代に忘れてはならないのは産業革命。 労働者階級の急増。 支配者階級にとっては脅威。 なにか分からない恐怖は、怪物的存在を示唆。 不安な時代の隠喩、象徴である。 その他に、怪物は女性という考え方もある。 ・女性(イブ)は男性のあばら骨から作られた。 怪物もヴィクター(男)により死体から作られた。 メアリー・シェリーは当初、作品を匿名で発表(女性が出版など許されなかった時代だから)。 本自体が怪物。 この本を醜いわが子とシェリー自身も言ってる。 また、この作品を書くにあたって、ミルトンの「失楽園」を2度読んでいた。 神によって作られた、創造主と被造物。 つまり、親と子の関係。 虐待やネグレクトの関係。 親の立場では扱いきれない怪物を恐れたヴィクター。 怪物が、一番欲しかったのが親(ヴィクター)の愛情。 それが叶わないと子どもは、歪んでしまう。 番組は、最後改めて、怪物が目の見えない盲目の老人に言われた言葉で終わる。 「私は目が見えず、あなたの顔はわからないが、あなたの言葉には、何か誠実だと思わせるものがある。 あなたは誰なのですか?」 この、あなたは誰?と問われて、自分はなんて答えるか考えてみたが、果たして、「私は私である」と自信を持っていうことが出来るだろうか。 映画におけるフランケンシュタイン 番組では取り扱われなかった「フランケンシュタイン」の映画。 フランケンシュタインの映画は、数多くあるが、その中でも私がすきなのが、1931年に制作された映画。 とりわけ、以下に張り付けてあるシーンは、酔っぱらっているときに観ると思わず泣いてしまう。 怪物の系譜 最後に、受け継がれる怪物の系譜を書いておきたい。 (番組内で、話題になったもの) ・ブレードランナー(映画) ・鉄腕アトム(アニメ) (個人的に考えたもの) ・タクシードライバー(映画) ・エレファントマン(映画) ・シザーハンズ(映画) ・エヴァンゲリオンのシンジ君(アニメ) というか、社会(親など)から疎外された人はみな一様にしてフランケンシュタインが作り出した怪物と共通する要素があるだろう。 最近話題になっている人工知能も、フランケンシュタインを考察することで非常に興味深く捉えることが出来る。 その辺は、人工知能を扱った映画を参考に、おいおい考えてみよう。 おわり はじめに 最近は、「交換読書会」のサイトしか更新しておらず、このサイトでは久しぶりに投稿。 以前も違うブログに載せたことはあるが、改 まくら(はじめに) 街コンが行われ始めたのは、いまから3~4年ぐらい前だと記憶する。 今回で、2回 まくら(はじめに) ぼくは、よく正体を欺く。 合コンのときはとくにそうである。 たいてい誘ってくれ はじめに 前回、天狼院書店という本屋で落語をやった顛末を書いたけん、今回もまたやってきたがよ。 まえおき マフィアに憧れを持たない男はいない。 少なくとも僕の周りには。

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