たとえ 世界 欺く 答え だ として も。 はじめに

戸坂潤 世界の一環としての日本

たとえ 世界 欺く 答え だ として も

ここに編纂したものは、必ずしも研究論文ではない。 と共に一時的な時評でもない。 私は、 時代の評論とでも云うべきだと考える。 大体から云うと、ごく啓蒙的なものであるから、無用な先入見にわずらわされない読者には、読みよいものかと思われる。 日本は 世界的な角度から見られねばならぬ、というのが私の一貫する態度だ。 これは、日本は 民衆の立場から見られねばならぬということに基くのである。 ここに私が民衆と呼ぶのは、支配者が考えるあの民衆のことではなくて、自主的に自分の生活を防衛して行こうとする民主的な大衆のことだ。 すでに一旦発表されたものに相当手を加えたものであるが、特に日本型ファシズムに就いての私の予備概念には多少の変化があるのだが、その点に関係する部分を徹底的に書き改める都合がつかなかったのは残念である。 この本と直接関係のある拙著を三つ挙げておこう。 第一は『日本イデオロギー論』(白揚社)、之は大部分理論的なものである。 第二は『現代日本の思想対立』(今日の問題社)、之は時評集である。 第三は『思想と風俗』(三笠書房)で、日本の教育と宗教との風俗描写を含んでいる。 そして本書は第一と第二の中間に立つものだ。 一九三七・三・一五 かつて農林省の小作官会議に於て、この頃しきりに小作争議に内務官吏が乗り出す傾向があるというので、非難が出たそうだが、其の後また、労働争議に官憲がのり出して、純正日本主義や皇道経済の名によって、労資協調的労働組合の組織を企てたり、争議の一種の指導に当ったりしたというので、労資(?)の両陣営から非難を招くに至ったのは、新聞が報道する処である。 社会大衆党は之に対して抗議書を発表して曰く、「愛知県警察部は本年夏頃より県下の労働組合に対して日本主義に転向を強要し、特に日本製陶労働組合同盟に対し執拗に分裂を策しつつあり。 又豊川鉄道争議に介在して、必要以上に争議を悪化せしめた事実あり。 かかる現象はひとり愛知県のみでなく、青森県の産業組合党設立準備に官吏の関与せるものあり、新潟県下において全農支部に対し県当局より日本主義転向を勧告せる事実がある。 これ等は一部官僚がその政治的地盤を築かんがための陰謀であり、又わが国無産階級運動の正常にして健全なる発展を阻害し我等の陣営をことさらに攪乱せんとするものである」云々。 愛知県下の多数の私鉄の争議に於て、県の一特高主任が争議団側の宣言や要求書を起草し、争議解決後新設された従業員組合の役員選出を行い、従業員に向かって純正日本主義による労働組合の公認とか、皇道経済に立脚せる労資共同委員会の設置とかいう、妙な「政治的要求」(?)をかかげろ、と演説したというのが、問題になった緒口である。 内務省では云うまでもなく、それは誤解か中傷にすぎぬと云っている。 警保局としてはそう云う他はあるまい。 だが、この種の事件の一つ一つの報道が、仮に正確でなかったにしても、今日の日本の官憲(官僚・官吏)が一方に於て著しく「純正日本主義」的方針を持つようになったこと、従って又他方に於てこの方針に鬼の首でも取ったような自信を得て、各種の社会問題・争議・其の他に容喙するようになった、という一般的傾向は、到底否定出来ない。 現に時の後藤内相などは一国を一大家族に準ぜしめるような大家族主義を切望しており、之によって農村問題でも何でも解決出来ると考えているらしい。 こうした皇道主義とか純正日本主義とかが一体何物であり、どういう必然性と必需性から現代に発生し、それからそれがどんな内容を有っているのか、ということに就いては、私は今まで方々で触れたから今は夫を反覆しないことにしよう。 特にこうしたものが、少なくとも社会思想や政治理論として、どの程度にナンセンスであるかという批判については、一応このことは世間がよく知っていることであって、今更私の説明をまつまでもないだろう。 ただ問題は、このイデオロギーがその一半は今日特に日本の官僚(新官僚と呼ばれる)の所有物だという処にあり、そして之が又所謂新官僚の唯一の存在理由をなしているという点にあるのである。 普通新官僚と呼ばれているものは、主として内務省畑の官吏群の一部(夫に司法省・外務省のも加えて)であり、従って文官にぞくするもののことであるが、併し片手落ちなく云えば、武官であってもその急進的な分子は、丁度文官新官僚が旧官僚に対して占めると同様な内部的地位を他の武官群に対して持っている。 ここにも一種の新官僚があるのである。 ただ武官群(即ち軍部だが)が全体としてとも角、直接統帥の大権に基く武断的命令系統をもっているために、この急進的な分子とそうでない分子との内部的対立は、全く内部的なものに止まっていて、外部にはその対立の結果を産み出さない建前なので、文官における新官僚群ほどに独自の行動単位の姿を取っては、世間の眼の前に現われないまでなのだ。 だが云うまでもなく、新官僚と軍部の急進分子とは、そのイデオロギーから見れば略々同一方向、同一程度の内容を有っており、従って又その社会的活動の役割から見ても、方面こそ違え、略々同一の方針を追求しつつあると云わねばならぬ。 世間では往々軍部と政府との一種の対立に甚大な興味を懐くが、無論それは誤りではなくて、軍事予算と高橋的健全財政などとの関係は、全予算の上に数量上矛盾を結果しなければならず、そこに日本の資本主義社会の矛盾の官庁的な一表現を見ねばならぬのだが、併し政府はそのまま官僚的なものでないことも忘れてはならぬ。 つまり政府と軍部との一種の対立は、必ずしも官僚と軍部との対立ではなく、まして新官僚と軍部急進分子との対立というようなものと関係はないのである。 従って彼等現代的官僚と軍部とは、ブルジョアジーやブルジョア政治家に向かっても、又無産勤労者・労働者・農民に向かっても、発端に於てはお互いに略々同一の態度を取らざるを得ない。 一方に於てはブルジョアジーやブルジョア政治家の堕落と横暴とを叫び、他方に於ては無産者をより以上、社会的に問題にせねばならぬと叫ぶ。 軍部のかつての国防パンフレットは一部の社会からは、だから国家社会主義・国家的統制経済・の提唱だと云って買い被られたものだったが、新官僚達による例の皇道主義的労働組合設立振りと云い、帝人事件にからむ「司法省ファッショ化」と云い、「外務省人事刷新」と云い其の他其の他と云い、いずれも同一線上を辿るものであることは今更云うまでもない。 曰く「皇道主義」・「純正日本主義」・つまり資本家地主を或る程度まで凹まし、労働者農民を多少持ち上げそうに見せかけて、二つを一つのものに協調させ、かくてその間に資本主義を何とか修理しようというのが、意識するとしないに拘らず、官僚と軍部との一貫した糸筋なのである。 処が修理を必要とするものは相当ボロボロに傷んでいるものであって、決して元通りのものにもなり得なければ、まして元より以上に良いものなどになる気づかいはない。 軍部は初め農山漁村の疲弊を口を極めて絶叫したが、後にはそれどころではなく、四割七分の軍備費は日本の資本主義的打開の為には絶対必要であって、農山漁村の匡救などは、政府側で責任をもって適当に按配すればいいではないかと云い始めた。 それも尤もで、内閣の庇護化にある官僚は、内閣から独立している軍の権能のようなものは元来有たないのだから、身分保証とか何とか云っても夫はほんの気休めで、結局はより直接にブルジョアジーとの連関に束縛されざるを得ないように出来ているからなのである。 軍部は資本側の修理伸長擁護(?)のために、敢えてブルジョアジー自身とその方針を争うことさえ出来る。 或る限度まで( 縦 ( たと )え「素人」であるにしても)軍部は資本的支配者をリードする実力を有っている。 資本家政治家が健全財政とか内政重視とかいう退嬰政策を取れば、軍部は積極財政とか大陸政策とか南方政策とかいう積極方針に出ようとする。 でその限り官僚は全く軍部に追随することによってしか、そのイデオロギーと社会活動との権利を享け取ることが出来ぬ。 官僚が資本家や資本家関係の諸問題(争議・組合其の他)に容喙し得るのは、全く軍部という虎の威を借りてのことで、そこにおのずから、シッポをつかまれる弱点も残しているのだ。 だがそれにも拘らず日本の支配機構に於ける官僚の社会的地位、その有力さは、軍部の夫と並んで、特筆に値いするものがあるのである。 無論官僚(即ち官吏群)を一つの社会層の問題として見れば、夫は要するに平均すると中間層であり小市民に準ずべきものにすぎないが、今吾々が問題にしているのは、そういう 社会層のことではない。 この社会層にぞくする官僚が、国家の支配機構に於て 支配機関と結合している時の社会的役割が、今云う官僚の社会的地位、その有力さの謂だ。 一社会層として見れば軍部(将校群)と雖も平均すれば大体に於て中間層を出でない。 処がそのことと軍部の支配機構に於ける地位乃至有力さとは別だ。 軍部がこのような意味に於ける社会的地位を高め、その有力さを急に増して来たのは、近年では云うまでもなく満州行動以来のことである。 それまで、特に軍備縮小(軍事教官の学校への就職・其の他)時代の軍部の社会的地位が決して高いものでなかったのを、世人は忘れはしないだろう。 それと同時に併し、官僚の影も亦、決して当時は今日のように濃くはなかった。 夫も人の知る処だろう。 つまり、だから非常時(満州行動に原因する)以来、軍部と官僚との、社会的地位が急激に高騰したということは、常識にぞくする。 だがこうした新しい現象は決して、今迄にその地盤のなかった処に、突然発生したのでもなければ、況んや偶然に発生したのでもないということを、今注意しなければならない。 というのは日本に於ける今日の官僚と軍部との有力さは、実は今日に始まったことではなくて、日本資本主義の成立条件そのものから来た処の、日本資本主義のタイプに固有な性質に由来するのであって、金融資本の段階に這入ってもその固有性質は本質的な変化退化を被らぬばかりでなく、金融資本段階に於てはその段階に特有な深刻さを以て、この固有性質が却って愈々著しくなって来たのだという点が、重大なのである。 処で、この封建的残存要素は、他ならぬ官僚的・軍事的(又警察的)な強調をもった支配形態として、明治の古くから現われているのであり、夫がその後の今日に至るまでの日本の官僚と軍部との社会的地位を、決定して来ているのである。 で今日の官僚と軍部(文官と武官)の社会的地位は、決して偶然ではなく、又決して新しい現象にぞくするものでもない。 日本の資本主義成立の特殊な根本条件がそうさせているのであって、従ってここから、広義の官僚(文官及び武官)の地位が有つ、社会的な重大意義が、判るのであり、又今日彼等が何故にかくもその社会的地位について、自信を有ち得るのか、ということの説明も初めてつくのである。 私は今、問題を特に官吏に限って見て来たが、公吏に至っては、この官吏の有つ特有な社会的地位に準じて考察することが出来る。 だが、社会的地位というものを、社会的待遇(例えば俸給・身分保証・恩給・社会的尊敬・其の他)というものと考えない限り、公吏の社会的地位は官吏に較べてものの数ではない。 云うまでもなく公吏は国民を指導したり何かをなし得ようとは思わないだろうし、又そう思われてもいない。 まして支配者ブルジョアジーをやだ。 だが夫にも拘らず公吏が最近府県会議員や市町村議員からの各種の不当なる強制に対して、反抗を試みるようになって来たことは、吾々の今の問題にとって興味がなくはない。 なぜなら、之を官吏の場合に移して考えて見れば、新官僚による内閣審議会(之は、素人代議士達の容喙を許さぬために試みたものだ)や、ギャング狩り(之は「有力者」を無視しなければ企てられない)やが、正に之に相当するだろうからだ。 でここでも亦、公吏の社会的地位は、多少高騰しつつあると見ていいだろう。 最後に、官公吏も亦、一介の勤労中間層のものであるという「社会的地位」は、無論忘れられてはならぬ。 日本では例えば官吏のストライキというものは官吏の存在原則上、不可能なことになっているが、ここに一つの重大な問題があるのである。 社会的役割としての「社会的地位」と、社会的待遇としての「社会的地位」との矛盾を、最も直接に感じ得るものの一つは(尤も実際には彼等の大抵は之を感じる程に鋭くなく良心的でもないが)、官吏だろう。 それから又之に準じる公吏であろう。 一例として、労働争議にかり出される役割についた下級警官のことを考えて見ればいい。 過去数年来の日本に於ける右翼団のテロ行為、満州事件、上海事変、それから北支事件など、所謂非常時は容易に解消しそうにもない。 尤も非常時というものは決して自慢になるものではない。 この言葉は非常大権などと云って、人民の各種の自由な権利が一時停止になるという大問題を含んでいるということに憲法解釈ではなっているそうだから、国民としては決して之を自慢の種にすべきものではないのである。 たといこの非常時のおかげで、軍需インフレーションとか云って軍需工業が盛んになり、一時失業労働者の数が少しは減ったり何かしても、そういう事情に幻惑されて、非常時の延長などを希望する者があったとしたら、何人によらず之ほど国を誤るものはないのである。 処でこの非常時風景を世間では漫然とファシズムという名で呼んでいるが、この名のつけ方は不正確であるばかりではなく根本的な誤謬さえも含んでいる。 ただの右翼団体、反動団体、国粋団体などは、それだけではまだファッショ団体とは云うことが出来ない。 それは大体、封建主義への復古運動(家族主義などがその良い例だ)であるが、本来のファシズム運動はこういう封建主義を離れても立派に成り立つのである。 併し実際問題として見れば、日本の各種の封建主義運動は事実ファシズムと結び付いており、又ファシズム化しつつあり、又ファシズムの内容を形成しつつあるのである。 処でファシズムという政治意識はその本元であるイタリア(ドイツの場合も之に入れる人があるが)に於て代表されている通り、ファッショ当人の考えでは一種の反資本主義運動(そして注意すべきは同時に又反コンミュニズム運動)であるにも拘らず、その実際上の推移の結果から云っても、又その紛れもない客観的な役割から判断しても、全く現代に於ける発達した資本主義のせっぱ詰った矛盾をそらせるための一つの血路なのであり、金融資本と産業大資本とを本物の社会主義からの攻撃から守るために考案された最後の堡塁の有力な一つなのである。 ただ之が先進資本主義国ではまだあまり露骨な政治上の形として現われないのは、そういう国の資本主義の発達の経歴には、大して無理がなかったという理由もあるので、之に反して日本はこれら先進産業資本主義国の間に挾って遅れて発達しなければならなかったことにより、日本特有の封建的な残存条件を離れることの出来ぬ宿命にあるので、日本に独特な型の「ファシズム」を産んで来る条件があるのだ。 で日本に於ける、今日の所謂ファシズム運動の台頭からも判る通り、日本の資本主義は日本固有の形に於けるファシズムをその最後の血路として考え出さなければならぬ程に、元来無理のあった資本主義であるのだが、資本主義に無理があるということは、資本主義の形が資本主義として比較的純粋でないということであり、即ち封建制度からの残存物を可なり沢山に又根本要素として、有っているということを意味する。 日本の資本主義が今日他のどのような一等国乃至列強と較べても劣ってはいないと考えられるような世界的水準にまで発達しているにも拘らず、なお典型的な資本主義ではなくて多分に封建の遺制によって束縛されたものであり、或いは却ってこの封建制の残存物を利用することによって初めて生きて行ける資本主義だという点が、今日の日本特有の所謂ファッショ風景を点出させる根本条件なのである(以下日本のファシズムと云う場合、かかる限定された意味に於ける特別な「ファシズム」を指す)。 処で、この風景を打ちながめるに就いてすぐ様注意を奪われるのは、まず第一に所謂右翼団体の存在と活動と、それから軍部の大きな実際勢力とだろう。 尤もこういう人間の集りの動きよりもそういう人間達を蔭から一定のギャップを越して動かしている資本という物質の見えない力の方が、注意の目標に本当はならなければならないのであり、従って同じ人間の動きでも資本家の動きなどの方が終局的な目標として興味があるのだが、併しこの目標もこういう人間の社会的な動きを屈折して、初めて具体的に知ることが出来るのだから、やはり何より軍部と民間の右翼団体(今では右翼労働組合も含めていい)とは重大な問題だ。 併し之と並んで 官僚の勢力も亦之に大して劣らない重大さを持っているのである。 所謂 新官僚は日本型ファシズムの新しい段階を代表するものだとさえ云われている位いだ。 官僚というものが何を意味するかは後にして、所謂新官僚という観念は岡田内閣の成立当時から人の口に上るようになった。 世間の噂さによると、その前の斎藤内閣が辞職する数カ月前にすでに後継内閣の首班は岡田大将に決定していたのだそうだが、愈々岡田大将に大命が降下するまでは、殆んど凡ての新聞記者さえが夫を想像することさえも出来なかった。 あまり秘密裏に行なわれた意外な現象だったので、政権を横取りされたような気持ちになった政党政治家達が、之は国維会という官僚のブロックの陰謀と策動が成功したものだと叫び、この新しく政治的権力を掴み始めたらしい官僚の精鋭をば新官僚と名づけたわけである。 斎藤内閣時代に五相会議という閣議内の特別閣議に於て、時の陸相荒木大将と呼応して大いに名を挙げた農村主義者のファシストとも見做していい後藤農相が、岡田内閣で一躍内務大臣の重職に就いたことが少なからず新官僚の観念をあおったことも事実だろう。 無論、後藤内相は国維会の最も有力なスターの一人だったのである(但し後に国維会は表面上解散した)。 その当時喧しくはやし立てられた内閣審議会はこの後藤内相の腹案によると云われている。 之は各省の有力な要職にある官吏を集め、之に実業界のブルジョア代表や政党の代理人を加え、更に民間からつれて来た各種の技能ある専門家を配そうと称するもので、特にそれに属する内閣調査局は官吏だけで固めた新官僚の溜りの観を呈する。 国策は大体ここで専門家達の手によって決定されて、議会では素人代議士どもがただ之に賛成さえすればいいという結果にならないとも限らないから之は政党政治の甚だしい制限となり、官僚の政治的支配の機関となる、ということになる。 だから内閣審議会は新官僚による政治支配の新設機関で、新官僚によるファシズムの武器だということになる。 特にこの審議会で、各種の統制経済政策が確立されるとなると、経済的な理由から云っても、之はファシズムの武器だということになる。 併し注意すべきは、この所謂新官僚の内閣審議会が、政党と資本家とへの渡りは相当円滑に行なったと見做されるにも拘らず、軍部だけは之に対して積極的な参加を与えなかった。 軍の統帥に関する問題は普通の行政とは違って所謂官僚(文官)や政治家が口を入れることが出来ない建前になっているからでもあるし、又予算編成と予算要求の上から云って行政費と軍備費との均衡を保つことを建前とするだろう内閣審議会に、軍部自身の代表者を送っておくことは軍部にとって決して有利ではないからでもある。 つまり軍部は審議会の外部に立って之を牽制しようと云うのである。 だからこの点から見ても、所謂新官僚は軍部と一応対立関係に立つわけなのである。 だが軍部も新官僚(一般に官僚)も、云うまでもなく終局に於ては同じ目標に向かって進みつつあることは忘れられてはならぬ。 両方ともファシズムという言葉を好まず、ファシズムなるものを排斥さえするが、そういう言葉の問題を離れて両者が目標とする一致点は明らかだと云っていい。 例えばかつて軍部も新官僚一派も農村問題という特別な形態の問題の解決を何より重大な殆んど唯一の社会問題と考え、又は少なくともそう喧伝する点に於て、全く一致していた。 ただ国家の予算を立てる段になると、その 精神に於てはそうでないに拘らず、ただ 技術的にだけは対立関係に立つことになるに過ぎない。 外国新聞などが 真 ( ま )ことしやかに伝えているらしい外務省当局の方針(当時の広田外相も新官僚のスターである)と軍部(少なくとも駐屯地出先軍部)の方針との対立とかいうものも、やはり右のような形のものに他ならないだろう。 新官僚は軍部のように〔積極的〕でないことは本当だが、それだけ又落付き払った日本型ファシズムの指導者である事を見落してはならぬ。 新官僚なるものは偶々、官僚が他の社会勢力への関係を自分の方から積極的につけようとすることから必然的に取らねばならなかった新しい形態に過ぎないので、新官僚が如何に有力なファシストであろうと、云うまでもなく新官僚だけでこの日本をどうしようと云うのでもなく、又事実どう出来るものでもない。 日本の今日の政治方向を決めて行くものとして、大衆とか無産者大衆とか労働者農民とか云ったものを、政治の要素に数えないのはどうしたわけかと問われるだろう。 併しここで云った政治という言葉には特別な約束があるのである。 この特別な約束を有った政治というものが何を意味するかは今更云わなくても判ると思うが、処でそういう意味での政治を行なう責任を 表面上担っているものは何かというと、それは資本家でもなければ軍部でもなく、政党政治家でさえなくて、実は取りも直さず官僚なのである。 つまり官僚とは国家権力によって 行政を行なうもののことを意味するわけなのである。 処で一体この官僚というものが何であるかを、もうソロソロ考えて見なければならなくなる。 官僚という言葉は 官吏の一群を或る点から批評した言葉であって、官吏はややもすると官僚的になるということを云い現わす言葉だと見ればいい。 官吏群が社会に於て或る一定の勢力を持ち、官吏同志のブロックが出来上ってお互いの間にギルド的な意識が生まれ、排他的になったり傍から特殊群と見做されたりする時、官僚(官吏の同僚関係)という観念が産まれる。 官吏が資本家や政党や軍部に対して、又更に国民や社会大衆に対して、特殊な支配者的な政治勢力を意味するのは、全く官僚という資格に於てでしかあり得ない。 尤もここにいう官吏という言葉は必ずしも正確ではないので、所謂文官ばかりではなく武官や軍部の文官も含むし、警察官も宮内官吏も含んでいる。 そればかりではなく、所謂官吏だけではなく一般の公吏や官公庁の雇員までも含むことが往々だ。 とに角広くお役人又はお役人に準じるものを、法律上の用語としてはとに角社会上の用語としては、広く官吏と見做すことが出来る。 さてこういう広い意味での官吏の数は今から十年前の統計によると百万人を越えている。 だから官吏は官吏としてそれだけで日本の社会に於ける特別な階級か層をなすようにも思われるが、併しそれは単に形式的に考えるからそうなのであって、内容的に当って見れば、その内には勅任から雇員人夫にさえ至る 階級別があるのである。 雇員の下っ葉役人や人夫である小使がいくらお役所を嵩に着て横柄に構えようとも、実際に官僚という資格を有つものは恐らく高等官の一部分のものでしかあり得まい。 気持ちは如何に官僚的でも、それだけで官僚という実際の資格は備わらない。 官僚という以上国家権力による行政上の実際的な権威が必要なのだ。 一般に官吏は他の職業人に較べて社会的に優遇されている。 黙っていても昇進し又昇給することは当然の約束なのだし、場合によっては形式的にせよ身分保証まで出来ている。 割合若くから恩給はつくし遺族扶助料もつく。 だがそういう社会身分の優越は官吏の進取の気象を傷けこそすれ官僚としての支配者的政治手腕を産む原因とは考えられない。 又鉄道省のお役人のように、国民を支配するよりも寧ろ之にサービスしなければならぬ官吏は、すぐ様官僚とは一寸云えまい。 だから官僚というものは、官吏の或る小部分に基いて而も或る特殊な場合に発生する処の特色を官吏全般へ漫然と推し及ぼしたものに他ならない。 前に日本の資本主義が封建制の残存物に基いたものであることを述べておいたが、日本の官吏が初めから官僚として発生したという事実は、直接之と関係があるのである。 元来明治維新の社会変動は、初めは徳川幕府下に於ける封建制度のただの編成替えを意味したと云ってもいいのであって、将軍徳川藩に代って有力藩が封建制の建て直しに進もうとしたのであったが、併しこの封建制の編成替えという社会変動の形が、やがて中央集権の形を取るようになり、そこから不完全ながらブルジョア改革、或いはそのための準備の形に移行することになったのである。 だから明治初年の政府は全く、旧封建領主から解放された藩士が官吏となって組織した藩閥政府であったのである。 この藩士達の官吏が、封建制の遺物を利用して発達した日本資本主義の特別な産物であることが、ここからも判ろう。 処でこの藩士こそやがて 官僚と 軍閥との母胎になるものなのである。 一体日本の資本主義が封建制の遺物を相当完全に整理し終らない内に、大急ぎで資本主義の姿を取らなければならなかったのは、他ならぬ外国の先進資本国に対して対抗しなければならなかったという事情からである。 之は殆んど凡ての後進資本主義国の運命なのである。 その結果この資本主義は、自然に下からの庶民(当時は大衆をそう云った)の側から萌え出る代りに、上から政府が半ば強制的に助長発達させねばならなかったものであった。 だから日本資本主義の初期に当っては、自由主義や民主主義の代りに、国家による干渉主義が採用されざるを得ない。 処で、その任に直接当るものは他でもない官吏なのだから、官吏が日本の資本主義発達のために果さなければならなかった支配者的役割は、単に行政的な範囲に止まらずに、甚だ重大なものであらざるを得なかった。 そこでこの官吏の背後に控えた国家の権力は、愈々益々官吏の権威を高めたわけだ。 こういう権威を帯びさせられた官吏が、所謂官僚なのである。 明治維新以来の官僚の役割は、殆んど日本独特のものと見ていいだろう(ドイツは割合この点、日本に似た処を有っている)。 ブルジョア急進主義や自由民権論に対して闘わなければならなかったのはいつもこの官僚であった。 憲法発布後大正の半ばに至るまで、所謂政党内閣は出現しなかった。 官僚と軍閥(之も亦一種の官僚と考えることが出来るが)との所謂非立憲内閣が大正七年まで続いてから、初めて原総裁による政友会内閣が現われたという次第だ。 併し官僚の役割の大きさはいつも同じだったのでは無論ない。 「官尊民卑の弊」は、日本の資本主義がブルジョアジー自身の足による一人立ちが出来るようになるに従って、次第に衰えて来る。 官僚は段々と元来のただの官吏にまで、単なる行政技術家にまで、他動的で非人間的でその癖横柄で繁文縟礼的な単なる事務の機械的な執行者にまで、萎縮して了った。 最近までの官僚は名は官僚でも専門知識を欠いた素人どもの政治家にコヅキ回されていた俗吏に過ぎなかった。 だから新官僚の発生は明治維新式な一種の王政復古の現象なのである。 之は日本型ファシズムが遠く明治維新に由来を持っているという事実を物語っている処の日本型ファッショの一翼を意味する処の存在である。 そしてこの点、軍部(之又特別の来歴と特別な権力根拠とを有った一種の官僚である)に就いても亦、同様に考えるべきものがあるのである。 警察が暴力団狩りを徹底的に遂行するということは、警察自身として相当の危険が伴うという意味に於て、必ずしも安易な警察道ではないだろう。 併し社会人の日常生活を保護し身辺の安全感を保証することが警察の唯一の使命であるべきだと思われる以上、暴力団狩りは警察としては当り前過ぎる程当り前で、別に感心することも当らないし、本当をいうと特別に感謝に値いすることでもない。 警察を感謝するなら普段から常々感謝すべきであって、暴力団狩りに際して特別に感謝するということは、よく考えて見ると筋の通らないことだ。 併しそれは理屈であって、かくいう私自身も大いに警察のギャング狩り方針に感謝しているのが事実なのだ。 併しギャング沙汰は決して今に始まったのでもなければ、又所謂暴力団が特別に最近になって殖えたとも思われないのだから、もし之までもう少し熱心に暴力団狩りに力を入れて来てさえいたら、警察は今更ワザワザ感謝されるような羽目に陥らずにすんだだろうと思う。 なる程この数年は非常時の連続である。 有名な人物が殺されたり殺されかかったりする。 十七八の子供までが大人の真似をして人殺し団を組織したりしている。 之が所謂非常時なのである。 処で軍部あたりに云わせると、一九三五・六年がこの非常時の絶頂だとか、或いはもっと延びて一九三七・八年が本当の非常時だという。 そうすると当分この人殺し風俗は続くと見るのが愛国的認識であるかも知れぬ。 だがこういう行為の主体は大抵必ずしも所謂暴力やギャングではなくて、却って愛国的な志士や何かなのだ。 だから非常時になったから所謂暴力団が特別に盛んに横行するようになったとは云えない。 従って警察当局が今更思い出したようにギャング狩りを徹底し始めることによって、不当の感謝をかち得るということは、必ずしも警察当局の名誉にはならぬ。 警察当局が特別に感謝されればされる程、それはこのギャング狩りが如何に思いつきのように突然であるかを示すもので、この感謝は実は之まで警察がこの最も警察的な仕事であるべき暴力の取締りを忽せにしていたという、過去に対する皮肉に他ならないかも知れない。 警察は之まで、思想警察とか風紀警察とかいう極めて形而上学的な警察行動ばかりに興味を持っていて、之に較べれば一般民衆が身辺に感じ得るような経験的な危険を防止することにはそれ程興味を持たなかったが、今度は突然その罪滅しをしようと云うのである。 無論大いに徹底的に、自信を以てやって欲しいものである。 罪を改めるに吝かであってはならぬ。 尤も警察に追随する一部の世間人に云わせると、暴力団検挙は決して突然な木に竹を継いだようなものではなく、一定の連続性と必然性とを有っていると考えられるらしい。 つまり左翼の方が片づいたから右翼の方に手入れをする順序になったので、それがギャング狩りに他ならぬというのである。 ギャング狩りは思想警察の延長だというわけである。 だが日本の警察が右翼思想運動に対して本当に弾圧を下すなどということは、云うまでもなく嘘である。 弾圧されるのは暴力団であって右翼運動ではない。 右翼運動は暴力団から今日では可なりの距離に横たわっているのが事実だから、それでこそ暴力団狩りも徹底され得る条件が見出されたのである。 所謂 暴力団としては主として職業的な又は趣味上の与太や不良などを数えるべきで、暴力を本当に社会的に公然と行使する連中は、暴力団やギャングには這入っておらぬ。 だがそれにも拘らず、暴力団とかギャングとかいうものをもっと広範に哲学的に理解せよというなら、そしてそうすれば右翼団体の一等過激な(右翼小児病! と呼ばれている)ものもその内に這入るというなら、話は中々面白くなって来る。 無論そうした暴力団性、ギャング性、を持つものは、決して所謂暴力団乃至所謂ギャングには限らないのだからである。 一体ギャング性とはどういうものなのか。 単独で暴力を振るったからと云ってギャングではない。 ギャングには必ずその背景がなくてはならぬ。 即ち何等かのグループがあって、それを代表した暴漢でなければギャングの資格はない。 このグループは併し、云うまでもなく暴力行使を中心として形成されるグループで、例えば政友会の代議士が議会で他人をなぐった処で、政友会というグループは暴力団だということにはならぬ。 之に反して院外団の壮漢が議会の入口で議員を投げ飛ばせば、その院外団はやや暴力団という概念に入れられ得る資格を世間から与えられるだろう。 広義の暴力団には暴力を行使する目的から云って色々の区別が存する。 渡世稼業の唯一手段として暴力を直接に営業とするものもあれば、又一種の社会的趣味が主になっているものもある。 前者が所謂暴力団のようなもので、後者が不良や与太者の類である。 無論不良や与太者のこの社会的趣味もその経済上の効果と離れてはいないのだが、併し之だけではまだ暴力団の一等高等な意義が捉えられていない。 広義の暴力団の最高の意義は、その暴力の行使が或る何等かのプリンシプルに基いているということにある。 というのは暴力の行使が単に懐勘定上又は趣味上の理由からでなく、無論そういう理由と離れてはないが、併しそれ以上に、何等かの観念的なプリテンションに基いているとき、本格的な暴力団の資格が備わるのである。 例えば強きを挫き弱きを助けるとか、社会主義のためとか、忠君愛国のためとか、いう大抵ごくステロタイプ的なプリテンションがあって、之が主張ともなり又は口実ともなって、ここにこの暴力団の暴力行使の権利づけが発見されるのである。 こういう尊敬すべきプリテンション、イデオロギー的自負を、強ち経済や趣味や口実や弁解とばかり見ることは出来ぬ。 元来こうした現象には、そういう嘘と本当とのけじめはハッキリついていないので、当人達自身もその区別は判らないのだ。 それは今日の多数の右翼団体の内実に少し当って見ればすぐ判る。 そこでこういうプリンシプル(政党ならば党是という処)に基いて暴力団の各種の観念的な組織が出来上る、道徳や習慣が出来上る、そして夫が歴史にさえ伝承される。 或いは 仁義となり或いは何々「魂」となり或いは何々「精神」となる。 営業的な狭義の所謂暴力団でも、又趣味上の不良与太でも、こうした仁義や魂や精神を自然的に持つようになることから、やがて一つのプリテンションが、プリンシプルが、生まれることが出来る。 だから一般的に云って、プリテンション・プリンシプル・に基くことが、暴力団の最高の意味だと云うのである。 暴力団のこのプリテンション・プリンシプル・がどこまで本気で、どこから嘘なのか、当人達自身にも判らない位いだと云ったが、同じことは暴力団のもう一つの性質である反社会性に就いても云われるだろう。 尤も反社会性などというと、ブルジョア社会学のブルジョア社会に対する忠勤振りを連想するかも知れないが、客観的に見て果して反社会的であるかないかは問題外として、今は当人達自身の意識に於て、反社会的な気持がどこまで本気なのか、自分でも判らないのである。 旦那に捉って年貢を納めればスッカリ「社会」と妥協して転向(?)して了うのである。 尤も之は乾児を大勢もった大強盗などの場合に局限されているというなら、社会性対反社会性の関係を、公的対私的の関係に直して考えれば、この関係は一般に広範な暴力団現象にあてはまるだろう。 元来ギャングは多少とも反社会的と自覚する限り、社会的に私的な立場に立つものだが、処が社会的に公的な立場に立った何等かのグループでも、その公的な立場が実際問題として私的化されると、ギャングの資格を得て来る場合が少なくない。 社会や国家の公的乃至半公的機関も、往々にして私的化された公的半公的機関として私的国策権力(?)に基く暴力団化することはいくらでも例のあることだ。 そしてそのような場合、どこまでが公的なのかどこからが私的なのか、無論当人達自身にも一向見当がつかない。 広義の暴力団の著しい特色であるこの公私の不分明は、前に云ったプリテンション・プリンシプルの真摯さの不分明と直接のつながりがあるのである。 プリテンションやプリンシプルを嘘にせよ本当にせよ看板に掲げる場合は、必ず之を社会的に公的なものとしてかかげるのである。 そこに仁侠とか正義とか忠君愛国とかが叫ばれ、それから銘々の気質や仁義や「精神」が社会的な客観性を要求し出す。 殊に 何々精神の発揮や発露ほど、ギャング性を帯びたものはないのだ。 ギャング現象は勿論社会の比較的恒常な一現象であるから、いつの世にもどこの世界にも見受けられるものだろうが、併し平常時の市井の日常生活に巣食うギャング性は、必ずしもギャングの最高本質を顕彰するものではない。 高々街の紳士などに見受けられるような低級ギャング性しか見当らない。 本当の高級ギャング性が現われるのは、一般に云って社会の自然的社会的又は人工的非常時に於てであって、つまり恰も何等かの何々「精神」が高唱されねばならぬ時期に該当するのである。 関東大震災という自然に基く非常時に際して、暴徒の「襲撃」に備えるために 自警団的精神が特別に緊張し、そして東京市民の幾十パーセントかが立派にギャング化したのである。 どれも公的乃至半公的なグループが曖昧に私的化した場合に他ならない。 警察は必ずしもこうした広範な意味での暴力団を弾圧しようとも思わないし、その能力もない。 弾圧されるのは低級ギャングでしかない。 それはさておき、内務省は日頃、特に 警察精神の涵養と発揚とに力を致している。 警察部長は警察官の制服で部長会議に出席するよう特に厳命されている。 警察の歌も出来るし警官の行進曲も出来た。 さてこの澎湃たる警察精神を以て、非常時一たび至る時警察当局はどういう社会的機能を営むだろうか。 無論警察自身が〔ギャング〕化すというようなことは絶対に不可能なことである。 警察当局(独り警察当局に限らず広く検察当局と云ってもいい)はこうしたことが絶対に不可能であることを、今から国民の頭にたたき込むためにも、始めた暴力団狩りは出来るだけ広く出来るだけ深く、又出来るだけ長く、遂行する必要があるだろう。 世間が北支問題に絶大な関心を寄せた理由は、よくよく考えて見ると結局、それが日本とどこかの国との戦争へ導きはしないかという惧れからだった。 所謂現地にいるのでもなければ出先意識も持っていない処の普通一般の日本人は、北支那に於ける諸勢力の不埒な排日排満の動きを直接目にしているわけではないから、排日排満の方は余りピンと来るとは限らないので、それより直接心配になるのは国家総動員式な戦争なのである。 何より貴重な日本人の生命が大量的に失われたりして而も自分自身もその大量中のあるか無いかの一粒に化しはしないか、という心配なのである。 之は云うまでもなく極めて下根な心配であるが、又ごく有態の心配であって、之が直接心配にならぬと云う人間は、余程の嘘つきだろう。 そういう人物は万事信用のおけない人間で、公明正大な日本人の風上にも置けない人間だ。 尤もどうしても必要な場合には、国家のため命を捨てることは必要でもあるし道徳的なことでもあるが、併し国家自身が折角、そういうことになるべくならぬように、万事を犠牲にしてまで莫大な国防費を費しているのに、それが戦争になりましたでは、全く国家に対して申し訳のない話しだろう。 世間の普通一般人が戦争を惧れるということの内には無意識の中にそういう忠良な意味が含まれているのである。 だが幸にして北支問題は戦争へは導かなかった。 よく考えて見ると、導く筈もなかったし、導き得るものでもなかったのである。 中国中央軍と党部とが河北省を撤退するという中国側の最後の解答によって、日本軍部側の対支要求は都合上全部容れられることになって、ここに河北省をめぐる限りの北支問題は一段落となったわけである(一九三五)。 中国国民もそうだろうが、吾々日本人も(軍需工業や戦争に特別な利益を感じる商売人は除いて)之で一まずホッとしたと云っていい。 アメリカやイギリスの一部の世論には、この北支問題を目して北支独立に導く心算ではないかと憂えた向きもあったようだ。 だがそういうことは云うまでもなく無意味なデマに過ぎない。 一体そんなに容易に一つの国が独立出来るものと考えるのが間違いの元で、満州がなぜ独立出来たかと云えば、それは満州人種の「三千万民衆」の切々たる懇望に基いたからこそであった。 処が北支那の民衆の切々たる懇望は何かというに、却って不埒にも排日排満の形を取って表面に現われたものだったのである。 之では仮に独立国が出来ても、満州国に対立するための独立国にはなっても、満州の友邦としての独立国になる筈はない。 何のために日本がそんな独立国のために力をかすだろうか。 日本軍部が目的とした処は、そんな独立運動などではなくて、単に全く日、満、支三国間の平和そのものにしか過ぎず、又その一部分としての北支一帯の和平に他ならぬ。 つまり北支一帯に於て、一種の 緩衝地区とも云うべき安寧秩序の確保された地域が実現されることだけで満足するものに他ならなかった。 満州国のこの方面の外郭にはすでに 停戦地域なるものが設けられていたが、その外郭に更に緩衝地区を設けたわけである。 そして夫が成功したのだ。 この緩衝地区の更にその外郭が次には何という名前のものになる筈であったか、それは知らないが。 新聞によると、一九三五年六月十一日、即ち河北省問題が一段落ついた直後、軍部の天津会議なるものが催され、そこで「将来の建設的方策」については何れ後から具体的方策を進めようということに決ったそうだが、この建設的方策ということが併し、どういうことだかハッキリとは判らない。 当時或る勢力が軍部と相談して北支進出を計画していたそうだから、案外そういうことが「建設」的方策のことだったかも知れない。 だがいずれにしても北支問題は一段落ついたので、之で安心だと思っていた処、翌日の六月十二日の北平からの通信によると、今度は問題は一転して察哈爾(チャハル)省に向かったというのである。 河北省の悪玉であった于学忠が退いて安堵したばかりの処を、この于学忠よりももっと悪質な悪玉はチャハル省の宋哲元だということが判ったから、正直な国民はガッカリすると同時に、向っ腹が立って、八ツ当りがしたくなったのであった。 が冷静に考えて見るとこう上手に幕合いの長さを計って現われるような舞台は、よほど筋書きの通った劇に違いないということに気が付く。 それに気付いた人は、そこで却って段々興味を覚え始めたかも知れない。 どうせ戦争になる心配なしに幕は目出たし目出たしで下りるだろうから。 さてそこで関東軍がこの宋哲元軍を徹底的に糺弾すべく対策を協議している最中、恰も頃を見計らって、宋哲元軍は、関東軍と国民中央政府とからの警告にも拘らず、満州官吏に対して突如発砲を敢えてしたものである。 が、併しこの偶然事は残念ながらこの物語りをあまり面白く展開させるには至らなかった。 関東軍の土肥原少将の中国側の秦徳純氏との間の誠意ある会見によって、一、宋哲元氏はチャハル省政府主席と第二十九軍長の職を退き、二、今後省内に於ける排日行為を再発させぬ保証を与え、三、熱河省一帯地区の支那軍隊を他へ移動して同地域内には今後支那軍を駐兵させないこと、等々の覚書を交換する事になったからである。 つまりチャハル省も亦、河北省と同様に 緩衝地帯だということになったわけである。 して見るとこの幕は第一幕のただの延長か繰り返しでしかなかったわけで、興味を有って期待していた不心得な人間達は、やや失望したかも知れないが、併しそれだけに、早く幕になったのは助かったというものである。 チャハル問題が一段落ついたのは六月二十五日だった。 処が一週間の休憩をおいて、七月二日になると、舞台は今度は上海に移って『新生』という中国の雑誌の不敬事件なるものが発生したのである。 この雑誌に不敬な文章が載って発表されたというのであるが、その文章の内容に就いては知り得ないし、又吾々庶民は知るべきでもないだろう。 だがいずれにしても中国が日本ブルジョアジーの商品である日貨を排撃したり、日本にとっては一種の外国でもなくはない満州の国境を侵したりするのは、日本人としてまだしも我慢するとして、遂には不敬事件をまでも惹き起こすに至っては、もはや赦すべからざるものがあるのである。 もし日本のブルジョアジーや日本の軍部の対支対策がまだ充分にかかる行為を防ぐに足りなかったためだったとすれば、恐懼の至りでなくてはならぬ。 軍部はだから、遠く満州事変や上海事変、又例の河北省問題やチャハル問題の、一貫した劇の筋書きの上から云っても、当然この問題の正面に立って働くだろう、と単純な吾々は考えたのである。 処が意外にも外見上は必ずしもそうではなかったのだ。 七月二日有吉大使は、外務省の回訓に基いて、唐外交次長と会見し、我が要求を明示して正式の抗議を通告した。 その内容は先にも述べたような恐れ多い理由によって、必ずしも明らかではないが、併し問題は、この事件が北支問題とは多少異った特色を有っていることが明らかだという処に存する。 時の広田外相は同月五日の閣議に於て云っている、「今回の事件は先の北支停戦協定違反事件と異り、純然たる外交交渉案件である故、専ら外交当局をして折衝せしめている。 従ってこの交渉に軍部が干与しているものの如く視るものがあれば、それは大きな誤解である」云々。 時の林陸相自身も亦之に相槌を打って、「今度の問題は外相の云わるる通り、純然たる外交問題である故、軍部が直接積極の行動に出るべきものではない。 よって東京並びに出先の軍憲に対しても、この旨を厳に訓達しておいた。 従って出先軍憲の意見が新聞等に表われていても、これは聞かれる故、個人的意見を陳べたもので、軍部としての意見を代表したものではない」と云って他の閣僚の諒解を求めている。 それを他の閣僚までが軍部の仕事と思い違いしていたとすれば、対外折衝は軍部のやることだというような考えが閣僚自身の習慣になった程に、外務省側の独立行動は珍しかったからに過ぎぬだろう。 併し之を軍部の仕事と思ったのは日本の迂濶な閣僚達だけではない。 肝心な唐次長が、軍部の意向を聴取するために、南京へ帰京する予定を延ばして、在上海の日本武官を訪問して歩いた。 特に磯谷少将は蒋介石氏直参と称される張、陳、両氏との三時間に渡る会見に於て、支那の不心得を懇々と説いたと新聞は報道している。 無論こう云っただけでは軍部がこの交渉に干与していたとも云えるし、いなかったとも云えるわけだが、折衝の名義人は外務省でも、外務省の独立な折衝だと云えないことは明らかだ。 軍部の監視の下に外務省が衝に当ったと云った方が正直な云い方なのである。 無論、事件については中国側に苦情のありようはない。 中国側は、党部の名に於て、日本側の要求全部を容認することとなったのだが、之に対して例の磯谷少将は語っている。 「今回の事件に関し中央党部はわが方の直接要求条項を逐次履行しつつあり、稍々誠意の認むべきものがあると考えるが、軍としては、有吉大使が希望条項として提示した上海市党部の撤収を事件の根本的解決策と思考し、従来の措置では未だ全的に満足することは出来ない。 この実状に鑑み、中央党部が一日も早く自発的に上海市党部の撤収を断行することを期待する」と(一九三五年七月九日『東朝』紙)。 だからここで明らかなように軍部は外務当局の交渉振りの監視に任じていたわけである。 単なる個人の意見として、右のような言明が出来る筈はない。 軍部のこの 監視振りは併し、上海に於ける日本人居留民にそのまま反映した。 民団各路連合会では緊急会議を招集して当局(即ち外務当局)を鞭撻すべし、という意見が一時有力となり、軟弱外交(之が日本の外務省に関する伝説である)を文書で痛罵する者もあるというわけだ。 併し海外に居留する日本人の動きなどは、尊重すべきものではない。 現地や 局地に眼がくれて、それに植民地根性丸出しが多いから、一般社会的な問題にすべき現象ではない。 こうした云わば 居留民的ショーヴィニズムとは関係なく日本は東洋の平和のために、忍ぶべからざる行為をも忍んで遂行したのだ、ということを忘れてはならないのだ。 一体北支問題は、広田対支外交に基いて日支経済提携が成り立ちそうになった丁度その時に、不幸にして突発したものだった。 吾々は折角出来かけた東洋平和の基礎が、際どい処で覆されたと思って失望したのだが、併し雨降って地固るの喩えもある通り、外務省式の二階から目薬的な日支親善の代りに、北支事件の結果成功しそうに見えたものは、もっと手近かの「北支経済援助」だったのである。 一般的な日支親善の代りに、北支那に於ける日満経済ブロックが成り立つことになった。 つまり、日満ブロックの北支進出ということだ。 之が北支の例の緩衝地域の意味でもあったのだ。 これほど結構なことは、支那にとっても又とある筈はなかった。 例えば今まで云わば一種未開の地であった北支那に、鉄道網が敷かれたり、製鉄、石炭、電業、電信、電話等の産業交通が愈々盛大になったり、満州国の貨幣が一律に通用したりすることによって、北支は全く文明開化されるわけだ。 イギリスはこうして印度に恩沢を施した。 日本はそれを更に親切な仕方でやるのだから、支那側に文句のある筈はないのである。 例えば当然無条件に支那側が恐縮して然るべき例の不敬事件に就いても、中国国民は必ずしも恐縮しなかったらしい。 却って、この事件の責任者の公判廷には、排日宣伝ビラが貼られたり、傍聴人が被告と握手して之を激励したり、弁護人と傍聴の党員とが、計画的に騒擾を起こしたりしたのである。 傍聴者達は騒擾を起こしておきながら一人として逮捕されるものがないどころか、凱歌を奏して法廷外に出て行ったというのだ。 日本側代表と日本国民自身とが同じ意見かどうかは別として、少なくとも中国に於ては所謂親日派なる中国側代表者と中国国民とは日支関係に就いてまるで別な意見をもっているらしい。 すると日本は、否少なくとも日本側代表者達は、中国国民そのものとは全く別な何物かと、和平の握手をしたこととなる。 すると例の北支の文明開化の聖業なども、果して中国国民(北支那はまだ中国政府の領土なのである!)にとって利益になるのかどうか当てになったものではない。 現にこの北支産業開発に際して、一等痛手を蒙るものは従来の蒋介石氏の二重外交を支援する浙江財閥だと見られたが、それでは日満の助力によって北支国民大衆の大衆財閥(?)とでもいうものが支配するのかというと、そうではない。 そこに支配するものはより有名なブルジョアジーとより優雅な兵備とである。 自分でなくて他人が住んでいる立派な建築や、コンクリートの立派な軍用道路を見て、自分までが幸福になったと思い込む人間は、よほどの田舎者だ。 中国国民が悉くこの種の田舎者でない限り、日満的パックス・ローマナ(Pax romana)、ローマの平和も、心細いものだ。 処がまだまだ、この日満的パックス・ローマナには他に問題があったのである。 満州帝国の辺境を侵すものは純然たる支那兵とは限らない。 ソヴェート治下の外蒙古軍まで、越境の沙汰に屡々及んだことは周知の通りなのである。 ハルハ地方の外蒙兵越境事件に就いて満州帝国が外蒙古と交渉中の処を、又々ハイラステンゴールに於ける同様な事件が惹き起こされた。 外蒙代表の散某はソヴェート政府としめし合わせて、故意に事件の解決をおくらしている、という満州国側の発表であった。 満州帝国は日本帝国ではないから、ひとの国のことはどうでもいいようだが、併しその頃ソヴェート・ロシアは駐支大使をして北支事情の調査を行なわせ、日本の行動を探り始めたということだった。 チャハルに於ける日本軍の進出を検べるというらしかったが、特にチャハルは大分外蒙古に近いのだろう。 併し日本軍部即ち関東軍側に云わせれば、武装した赤軍が、ソ満国境を越えて満州国領土に侵入したことは、枚挙に遑のない程頻繁だというのである。 第一、林陸相が内閣審議会で報告した処によると、ソ満国境には二十万の赤軍を配備して戦略的展開を行なっているというのである。 二十万人もいれば十人や二十人時々国境からハミ出すこともありそうなことで、この大軍に対比しては、関東軍はわずかに行軍状態とも云うべき有様だと陸相が説明しているその少数の関東軍さえが、ソヴェート政府に云わせると矢張り時々困るというのだ。 駐日ソヴェート・ロシア大使ユレニエフ氏は一九三五年六月二十六日広田外相を外務省に訪問して、同年六月三日ソ満国境楊森子付近に於けるソ兵越境問題は、実は日本兵に原因するものだと抗議を申し出たのである。 外相は、事件が全く満州国領土内で発生したのだからソ兵側の越境によることは明らかだと反駁し、併し今例の日本式の現地解決主義によってハルピンに於て交渉中だから、その話しはまあ後にしましょうと云い、それよりも日満ソ三国国境委員会設置案を具体化する方が外務省として手頃な交渉ではないかと云い、否それよりもソヴェートの国境軍二十万は多すぎて危険だから、半分か三分の一に減らしてはどうか、という具合に、ユレニエフ氏へ持ちかけた。 現地解決ということを知らないユレニエフ大使は、ウッカリ問題を霞ヶ関などに持ち込んで来たので、逆にとんだ負担を負わされて引き下らざるを得なくなった。 そこでソヴェート政府は同年七月一日同大使に命じて、今度はソヴェート側から、日満軍の国境に対する厳重な抗議を日本政府に対して申し込ませることにした。 当時日満軍隊並びに艦船がソヴェート領土及び領内水路に入ること八件もの多きに及んでいるが、之は日ソ国交上重大な結果を孕むものと信じる、日満軍隊艦船が領土水路を侵した場合、ソヴェート政府は日本政府の責任を問うこと、ソ満国境に於ける日満軍当局の行動は危険且つ許すべからざるもので、日本政府はよろしく該軍の挑戦的行動を阻止すべく断固たる処置を宣すべきこと、と云ったような内容であった。 つまり広田外相はスッカリ美事に復讐されたというわけなのである。 ソヴェート側が日本側の虚をついたように見えるこの抗議は、外国の外交関係者の見る所では、国境撤兵交渉に対するソヴェート側の牽制策ではないかと観察された。 之によって撤兵問題が或る程度まで具体化することになれば、北満鉄道問題解決以来の「日ソ親善」の実が挙がることになっただろう。 処が之は単に外務省式な見透しであって、関東軍が現地的に幅を利かせている満州国自身にとっては、すぐ様そうは行かぬらしかった。 同国の外交部は、話を逆に持って行ってソヴェート軍が撤退しない限り国境委員会設置には同じ難いという意味を言明している。 と角広田円滑外交に基くものは、北鉄買収問題と云い、支那公使昇格問題と云い、満州国の興味からやるようだが、之は何かに魅入られている結果だと思えば解釈がつく。 当時の話ではカムチャツカ東海岸の某地方にソヴェート政府国営の漁区が三つ設定されたという報道だが、漁区の設定は日ソ両国の会議によることになっていて、このソヴェートの三漁区の設定は明らかに条約違反になるという農林省の 解釈であった。 同省は外務省と協議の上、ソヴェート・ロシアに対して厳重に反省を求める意向を示した。 だが漁業問題の解釈のためにだってすぐ日本の駆逐艦がやって来るのを見ても、不敬事件と同じで、矢張り直接軍部に関係しなければ話しはおさまらないのだ。 さて以上見て来たようなトラブルスは、是が非でも膨張しなければならぬ日本としては、或いはその膨張を同じく合理化させねばならぬ日本としては当然、我慢しなければならぬ処のものであった。 だがただのトラブルスならば我慢するのは大したことではなく、単に心懸けの問題に帰着するかも知れないが、そのトラブルスが同時に非常に金のかかる(十二三億円から十六七億円もかかる)困難だとすると、夫は容易ならぬ困難だと云わねばなるまい。 日本はその膨張のために、或いはその膨張の合理化のために、今やこの到底普通の民族では忍び得ないような困難を忍んで来ているのである。 ソヴェート・ロシアは割合明朗な気持ちで、洒脱に戦機を逸脱して肩をすかしてやって来たらしいが、中国の国民になるともはや決してそのような楽な気持ちではなかった。 身をかわすにさえも膏汗がにじみ出たのである。 処が日本の国民も亦、同様にこの到底忍ぶべからざる困難に耐え忍んで来たのである。 して見ればつまり、日支国民はお互い様ということになるのである。 しかしそれにも拘らず日本帝国そのものは膨張して行くのであり、中華民国そのものは萎縮して行くようでもあるのである。 尤もあまりの困難に耐えかねて、時々不吉なうめき声を出す不心得な日本人がないではない。 併しそんな女々しいうめき声は甚だ豪勢な怒号で一たまりもなく吹き消されて了う。 当時東京の某大新聞記者町田梓楼氏は、市内の数カ所と信州の教育会とで「非常時日本の姿」について講演したが、在郷軍人会は之を反軍思想で赤化宣伝だと云って大声で怒号し始めた。 該新聞社に町田罷免を迫ったり紙上謝罪を要求したり、果ては該新聞紙不買同盟を決議したりした在郷軍人分会や右翼政党もあるらしい。 町田氏は在郷軍人会側の誤解を解くべく心境を吐露した文章によって、日本の対外的活動に対して何故諸外国から文句をつけられるのか、ということの冷静な科学的な認識こそは、困難を出来るだけ少なくして国運の発展を円滑ならしめるものだ、と説いたのである。 だが凡そそういう弁解はもう役に立たない世の中だ。 或いはまだ役に立たない世の中だ。 何しろ日本は今、膨張することだけが商売なのだから。 農民問題、失業問題、その他何々、それはまあ、後回わしにしようではないか。 かつて河北省に於ける農民暴動と夫による自治独立政権運動とが報道された際に、一つどうしても理解の行き兼ねる内容があったのである。 それを私は他の機会にも述べたのだが、農民が苛斂誅求を免れようとか平和を得ようとかいう要求と並んで、北支の赤化を防止せねばならぬという要求をかかげて、敢えて蜂起したという云い伝えが夫である。 北平や天津を含んでいる河北省に、一体どれだけの赤化の魔手とかいうものが現実に延びつつあったか、又現実に延びようとしつつあったかに就いては、ここに決着をつけようとは思わないが、併し暴動農民の自発的な要求の一つに、赤化防止の項目があったらしいと一二報道されたということは、現代の国際的な社会常識から云って何と云っても妙ではないかと思われたのである。 河北の農民大衆が、それまでに、いつの間に防共思想へ善導されたかは殆んど吾々の理解を超越したことだ。 私は今ここに赤化や又防共の是非を論じようとは思わぬ。 だが一体この防共とは何を意味するのか。 華北防共自治委員会なるものが出来たそうであるが、之は北支五省の連絡機関であるらしい。 それの一部である文化特別委員会なるものは、略々次の五つの目的を持つと見られている。 第一は、三民主義の排撃、第二は排日思想の撲滅、第三は共産主義の撲滅、第四は外来思想の打倒と東洋思想の鼓吹、第五は日満支三国の文化的融和。 こうしたものが所謂防共政策なのである。 之によるとこの防共政策は、赤化防止に名を借りて、親日的反国民政府的文化政策以外の、何ものでもなかったということが少なくとも判るのだ。 之は北支農民暴動の後から出て来た結論に他ならないので、初めから農民がこうした防共の必要(?)によって蜂起したのではないかも知れないが、併し伝えられる処によると、こうした防共の原則に立つ北支自治政権の樹立は、北支三千万民衆の絶対的要望を実現するものだというのだから、農民に初めからこうした動向が無かったと云い切ることも出来ない。 仮に農民運動の初期に於ける赤化防止運動に関する一二の報道が誤報であったにしても、結果から判断して、そのはにかみ勝ちな誤報が、結局は当っていたのだということになる。 親日運動や反国民政府運動と、本来の赤化防止とが、真面目にどういう必然的な連絡を理論的に又直覚的につけられるのかは、容易ならぬ疑問であり、之によると蒋介石は共産軍の支持者ででもなければならぬ、ということにさえなるが、それは暫く措くとして、とに角赤化防止が農民の自発的要求であったか、又は之と必然的な関係におかれている結果になったのは、何と云っても、思想上の常識から云って理解出来ないことだ。 抑々、赤化防止などということは、資本制社会に於て、この制度から直接に一定の生活利益を受け取っている人間にとっては、全く現実的な真剣な問題なのだが、そうでない人間にとっては全く概念的な余計な思惑なのであって、そういう人間の実際的な生活、経済的政治的要求、から見れば、極めて空疎な世迷言に過ぎまい。 こうした観念的遊戯が仮に北支の農民の自発的な蜂起の原因の一つに数えられるとすれば、北支の農民は、インテリのように観念が過剰であるか、又は農民としての自分の日常の直接利害が何であるかを全く知らないような、想像も出来ない愚民であるか、になる。 こんな農民が、自分自身の圧力によって、独立政権を樹立させたということは、到底考えられないことだ。 すでに北支の独立自治ということと、防共の必要との間には、著しく苦しいギャップがある。 まして、北支三千万民衆に含まれる本来の農民の自治運動と、防共の必要との間には、説明すべからざる飛躍があるということを見ねばならぬ。 無論北支の「自治政権」と農民の「自治」とは抑々甚だしくかけ離れたものだろう。 だがこの二つを、粗雑に一緒にするとしても、夫と防共の使命とでは、木に竹をついだようなものだと云わねばならぬ。 全く妙なことなのである。 だがああいうレッテルのことは実はどうでもいい。 レッテルを信用するから、信用問題が起きるのであって、レッテルが中味通りに貼られていると決めてかかることは、正直過ぎるだろう。 北支自治政権の独立は、元来農民の赤化防止の要求(?)というような閑問題とは全く関係がないのである。 否、実は、華北大衆の安寧秩序そのものとさえ、原則上は関係がないのだ。 無論恐らく事実上は之が北支の安寧秩序を確保することは或る限度まで必ず出来るであろうが、それは付帯的な結果であって、本当の目的でも何でもない。 本来の意義は国民政府権力からの独立による満州国との、即ち日本との、「親善」の実現にこそなければならぬ。 そして日本人は、例によらず絶対的に必要なことを指して、「赤化防止」と呼ぶことにしている。 これはここのところ単に呪文にすぎないのである。 だが、日本と満州国とが、北支に対して感じるこの絶対的必要感、即ちその「赤化防止」感は云うまでもなく、北支の人民を塗炭の苦しみに陥れるものなどではない。 否寧ろ、北支はこの日満側からする要求によって、日満側にその資源と企業地盤と市場と駐屯地と植民圏とを提供することによって、却って初めて開発されることになるのである。 南京政府治下に於ては、こうした資本主義的開発は決して、これほど容易に、迅速には行くまい。 北支は北支の政権から独立する事によって、初めて、資本主義への方向をまっしぐらに追うことが出来るだろう。 北支でも眼先の利いたブルジョアジーや財閥軍閥は、逸早くこの日満側の利潤に 肖 ( あや )かるに相違ない。 ライオンが縞馬を倒したあとには、必ずハイエナがわけ前にあずかるものだ。 之によって初めて、日支は北支部分に於て部分的に親善を加え、言葉通り共存共栄の実を挙げ得ることになる。 日本という先進国の眼の前で、資本主義化されねばならぬ支那、三民主義から始めて蒋介石主義を含む建前から見た支那は、決して一遍に、而も単独で、資本主義化すことは出来ぬ。 この資本主義化は部分的に北方の隅から順次に着々とした節度を以て、日本の調教の下に、進められて行く。 日支親善は、もはや希望でも言葉でもなくて、現実だ。 蒋介石を首班とする中国政府が、支那の資本主義化を目標としている限り、日本の資本制との間の関係は必然に右のような形で「親善」を加えねばならなくなる。 列強の資本主義の対立は往々にして簡単に戦争を惹き起こした。 併し日本と支那との間には、資本主義の対立は、排日行動や支那側のその取締り声明を除いては、このように着々として親善となり、共存共栄の足場を得つつあるのだ。 之は日本資本主義との提携である。 赤化共同防衛のレッテルも、だから必ずしも看板に佯りばかりあったわけではない。 たしかに農民は、この日支提携によって、文明開化されるだろう。 だが、この文明開化と農民が要求した自治とは、どこに一致点があるだろうか。 農民は今にして、赤化防止などと自分達とを結びつけた(本当は結びつけなかったかも知れぬが)ことの愚を、覚らねばならぬ。 日本の軍部(及び外務当局)は、北支のこの自治政権の確立を擁護することに於て、極度に熱心である。 この問題は云うまでもなく中国国民政府治下にぞくする他国の内政問題なのであるが、その内政自身に初めから関係のある日本にとっては、単なる人ごとではないのである。 だが日本のこの隣人愛の行動を、単に日本軍部の衝動的な本能的な盲目活動だなどと考えることは、完全に誤っている。 なる程軍部は国粋的で躍進的だ。 だが夫は恐らく若干の個々の軍人の云わば趣味か何かのようなものに過ぎないだろう。 軍全体の総意は、実はそういうものでは動き得ないのだし、又事実夫で動いてはいないのである。 軍部の総体意志とでも云うべきものは常に一定の客観的な必然の要求に沿ってしか発動しない。 凡て全体意志の類は、思わずも事物の客観的要求の反映なのだ。 ではどういう客観的な必然性の反映なのか。 ここで私は、一九三六年度予算編成中の出来事に一寸触れねばならぬ。 高橋蔵相は予算閣議に臨んで陸海軍に夫々一千万円の予算復活を許して、もう之以上絶対に出せないと云いながら、こう語ったということだ。 「世界各国は日本に対し反目し日本は全く孤立無援の状態である、……予算も国民の所得に応じて作らねばやがて国力は疲弊し、国民は塗炭の苦しみに陥り、いざ鎌倉という場合に敵国に対して応戦は出来ない、……殊に最近のわが国内の情勢は、年々災害を重ね民力は疲弊して行くばかりではなく、社会政策的施設等につき多大の考慮を要する時であるから、軍部は充分反省されるべきではないかと思う。 今日の軍部に対しては言論機関も、云いたいことをいえないし、財界人も『これは困った事態だ』と思いながらも何もいい得ない。 ……これ以上軍部が無理押しをすればおそらく国民の怨嗟の府となるだろう。 ……各国とも決して日本に対し挑戦して来るものではないと思う。 よって徒らに外国を刺激するが如きことは慎むべきである」云々、というのだ(『東日』一九三五年十一月二十七日付)。 この所説の報道がそんなに間違っていなかった証拠は、之を反駁した陸軍の非公式声明(『東朝』四月二十八日付)に見られる。 少し長いが念のため全文を引用しよう。 「国防と財政との調整に就いて稍々誤解の向きもあるようで、中には刻下の我国の非常時は主として我が軍部によって作られたものであるかの如き口吻を漏らすものあるは、挙国一致当面の時局に対処すべき現下の情勢において甚だ遺憾とせざるを得ぬ。 今や極東の安定勢力として立つ日本の使命は空前未曾有の重大なものである。 しかしてこれが達成のための礎たる満州国の独立保全、日満不可分関係の向上強化等のためには、国を挙げてあらゆる努力を尽さなければならぬ。 国運の進展を忘れ国策の遂行に遅疑するが如きは、我国家民族の進展を阻止せんとする退嬰の見解であって、断じて同意する能わざる所である。 「しかもこの種国策を遂行し日本の正義を擁護発揚するためには、我が国防力の充実が中心的急務なることはここに多言を要しない。 努めて列強と提携し平和的外交折衝により進むべきは軍部も素より望む所である。 然れども軍備が不充分なる場合においては外交折衝の威力、実行力を減殺し、戦争誘発の危険を大ならしむるものである。 「陸軍今次の予算は現下の我国の国防の重責を果す為真に欠くべからざる恒久兵備の基礎的事項である。 この真に国家国民を思うての従来及び今次の予算要求に対し、これ以上軍部が無理押しをすれば恐らく国民の怨嗟の府となるであろうと云うが如きものありとせば、真に国民に対し軍部を誣うるの甚だしきものと云うべきである。 「尚国民の全段階に渡り人心の安定をはかり真の意味に於ける挙国一致の実を挙ぐるは軍部としても広義国防の見地上最も望む所なるは、既に屡々言明しある通りである。 軍費の要求が直に一部窮乏せる国民の負担を加重するが如き懸念は、むしろ為政者の工夫により是正せらるべきものと信ずる。 我国の国富の増加は近年著大であり、又日満不可分関係の確立せらるる限り国策遂行のため必要なる諸要素は往年に比し著しく充実せられあるを以て、よくこれを運営して、外、国力の進展に資し、内、国民の要求を満たすため、為政者が更始一新、速やかに我国力の進展に対応すべき財政政策の確立を実現せらるることを切望してやまぬものである。 」 之に対して大蔵省当局は少しも相手にならなかった。 とに角陸軍は八百万円以上の予算の第二次復活を得た。 だが蔵相の所論が発表された時は、都下の主な新聞紙は揃って蔵相に拍手を送ったことを忘れてはならぬ(之に比べて陸軍の非公式声明が如何に弁解的であるかは、すでに蔽うことの出来ない感触だ)。 尤もこの同じ新聞紙は、北支問題になると、一斉に軍部に拍手を送るような手つきをするのだから、全く取り止めがないのだが。 蔵相は国力は疲弊するだろうと云うと軍部は「国力は進展」するだろうと云う。 蔵相が「民力は疲弊して行くばかりだ」と云えば、軍部は「我国の国富の増加は近来著大」であるという。 まるで食い違っているのである。 併し互いに完全に食い違ったこの退嬰主義とこの進展主義とは、云わばいずれも同時に正しいのであり、或いはいずれも同時に誤っているのである。 と云うのは二つは恰も、日本の資本主義そのものの二つの側面を示すものであり、その二つの側面の解くべからざる矛盾を示すものに他ならないからだ。 十一億に垂んとする三六年度国防予算(社会政策的意味を有ったものは之に反して総額四千万円程度だ)、全予算の四割七分に相当する軍事予算の額を今後益々拡大することによって、所謂悪性インフレを惹き起こすことは、正に国力の疲弊だろう。 それからその予算割あてのおかげで二十五分の一位いしか配慮されない農村(尤も政府は農民とは云わず又失業半失業労働者乃至勤労者のことはあまり考えない)の民力はたしかに疲弊するだろう。 だが、逆に考えて日本の事実上の領土が海外発展することによって、日本の資本主義がたしかにそれだけ活気づくのも嘘ではない。 この海外発展が軍需工業を盛大にし得ることによって、国内に於ける農村問題もインフレーション問題もおのずから旨く片づくかも知れない、と考えられないでもない。 処が日本の資本家や政治家や資本主義的自由主義者達の多くは、一も二もなく蔵相側につくのであって、申し合わせたように軍部の資本進展主義を憎んでいるように見受けられる。 恐らく夫は、ブルジョアジー・プロパーの技術的知識に対する彼等の信頼が、軍部の素人くさい大まかで皮相な観念を信用させないからであり、又意志発動の形式が、前者は理性によるに反して後者は一種の感情によるように見えるからでもあるだろう。 いずれも日本の現下の金融資本の客観的に必然にされた夫々の要求に答え、之を反映しているのであって、この点、蔵相も軍部も、国家国民を思う至情に於ては、甲乙あり得ないわけなのである。 なぜならいずれも日本の資本制の永久を信じ又は希望することに於て全く軌を一つにするのだからである。 二つの立場のいずれを採用するかは、だから少なくとも「為政者」の壇場に立つ限りに於ては、原則的にはどっちでもいいことであって、その確率は恐らく半々であるかも知れない。 その確率とはつまり資本制を発展させ得る(即ち又させ得ない)確率のことだが。 して見ると、この二つの立場は、云わば強気と弱気とのようなもので、全くスペキュレーションの領域にぞくするものとなって来る。 だから両方が真剣になって論議を闘わすことは、議会のような年中行事の儀式として以外に、あまり実質的な意義はないのだ。 資本と軍部との根本的対立ということ程ナンセンスな常識は又とあるまい。 日本資本の運命について賭けるに際しては、蔵相側の弱気も、軍部側の強気も、同じ価値を有っていたのである。 但し之は「為政者」の壇場から見てそうだというのであって、被政者の立場からすれば、必ずしも二つの丁と半とが、同じ価値を有っているとは云うことが出来ない。 同じ資本の発展のコースではあっても、大規模な道路をつくるのと、細かい間道を開くのとでは、民草の葉や茎や根の受ける動揺は非常に違うのである。 だから自由主義者にも、一理あるとすれば、夫は彼がこの被政者の壇場に立った時に限るというわけである。 二・二六事件が何かの意味で、進歩的な役割を持っているものだ、という考え方は今日、色々の形で現われている。 無論この事件の当時者が考えているような意味で之が進歩的だとする考えは、論外としよう。 これを除いて残るものは第一に、この事件当事者の「革新」という目的が、実は社会改革そのものの目標と終局的には一致するので、ただ彼等は単に之を歪んだ不完全な形で唱え出し又やり出したに過ぎないという解釈だろう。 併し事件当時、都市の労働者は云うまでもなく、連中のイデオロギーが当然当てにして然るべきであった農民も、それからこうした事件にはとかく騒ぎまわりたがる市民達も(主に小市民なわけだが)、極めて冷淡であったことは、世間が斉しく認めている処だ。 之がだから少しも大衆運動でも何でもなかった証拠で、大衆の下からの要求は進歩的だったのに、之を代表する上部の活動分子が偶々歪められた形のイデオロギーと活動とを取ったのだ、という具合には説明出来ない現象なのである。 尤もそれにしても表面上の名分だけでも、露骨な形の運動が社会的な承認を得ないことになったのは、とに角一応喜ぶべきことだが、併し之は事態の進歩ではなくて、単に退歩の防止ということにすぎぬ。 だがこの事件は意外な処に、一種進歩的な(?)役割を演じている。 民政党の一代議士の議会に於ける整然たる質問演説によると、この事件に臨んで国民はいずれも「憤慨」したものだという。 併し実を云うと、憤慨どころではなく驚いて了ってシッポをまく用意をすることを、季節に適した物の判りのよさだとした者の方が、多かったに違いない。 けれども夫と同時に、この事件によって初めて眼が醒めた国民も亦非常に多かったと思うのだ。 と云うのは、どこかの国の伝説かおとぎ噺しでしかないように思っていた処の、自称進歩的なインテリやリベラーレンは、この事件で初めて我に還ったのである。 こういうことも可能なのだということが、本当の意味で、眼と耳とで、初めて判った。 嫌というほど予備知識を持ち回りすぎた連中さえ多分この時初めて判ったのだから、そうした予備知識を信用しなかったり全く知らなかったりした連中が、事件の発生した日の内に、この事件の現実味を呑み込むことが出来なかったというような場合も、きっと少なくはなかったろうと思う。 処で不安が、社会不安や資本主義的矛盾の一反映だというような見解は、単に公式的なものに過ぎなくて、不安は実は人間存在の本来的な条件なのだとか、不安こそ文学の本質なのだという、小ざかしそうな口を利いていた連中ばかりではない。 不安は社会的なものではなくて個人や自我のものだというような考え方を覚えた方が偉いと考え出していた連中も、少し気のつく人間は、この時ハット気が付いたのだ。 矢張り現実というものがある、と思いかえしたインテリ・リベラーレンは少なくないようだ。 こうしてインテリ文学的「不安」はケシ飛んだ。 こんな不安は実は不安でなくて却って一つの安心であり、一つのポーズに過ぎなかったことに気がついたと同時にその時夫に代ってインテリを襲ったものは現実界の現実的な不安なのである。 肉体保護上の不安、政治的不自由の不安等々なのだ。 だが言うまでもなくこの 社会的不安に襲われたのは、インテリに限る筈はなかったわけで、之が最も大規模に切実に襲ったものが、一般無産勤労者であるのは勿論だ。 事実、テロルその他を最も恐れる権利のあるものが、彼等だからだ。 之で折角の不安もどうやら再び世に出るというものである。 世間の大衆は処が、実は之までに却って、或る一つの不安について断えず説法されていたものである。 大衆は不安がるべきものを不安がらないと云って、彼等は鞭打たれた。 世は非常時である、不安がらないような者は人でなしだ、と教えられた。 不安に拍手することによって不安は事実増大しつつあったに拘らず、その不安が大衆の身につかなかったのである。 云って見れば、いつも狼が来たと云って人をだました羊飼いは、本当に狼が来ても信用されない。 まして本当に狼が来るか来ないかが、羊飼いの叫び声で決まるような時には、羊飼い自身の方が狼の様に警戒されるものだ。 つまり頑な大衆は、不安の説法が指さす処とは全く別な処に不安を感じていたわけで、この指し示す不安振りそのものが、他ならぬ彼等自身の不安の対象だったのだ。 処でそこに事件である。 と云うのは、この不安の指示的な身振りは、今度は身振りではなくて、現実の不安を彼等の身近かに醸し出した。 観念的に、イデオロギッシュに、観念すべく教示された不安が、一見まるで別な方角に全く別な形態で、感覚的に経験されるということになったのである。 夫が事件である。 だが大衆はこの事件の主人公達によって、表面上は少しもおびやかされなかったということを吾々は聞いている。 寧ろ彼等は大衆に媚びた。 大衆にアッピールしようとした。 寧ろ恐れたのは大衆ではなくて要路者や財閥や「自由主義者」であった。 そこにはテロルが期待されたからである。 異国の風俗が人間を不安に陥れるように、単に風俗が違うというだけで充分敵の名に値いすると同じに、彼等少数者の社会的に馴致された本能は、仮に彼等にとって実質的には何等の不都合も損失も齎さないものにせよ、顔見知りでないというだけの理由から、この事件が惹き起こしそうな多少新しい変った事情に、云わば風俗上の不安を感じた。 資本家はたといどのような武断的な革新が行なわれようと、自分の機構に自信を持てるが、困るのは気心も知れない奴が勝手なことをすることだというわけである。 この贅沢な趣味上の不安は、併し大衆には適用しない。 大衆はこの事件の主人そのものからは少しもおびやかされはしなかったと云った。 だが事実は、彼等は自分の側から怖えたのである。 天気が好ければ地面は益々固くなる。 そして雨が降れば降ったで「雨降って地固まる」だろう。 之が大衆の不安・今日の社会不安・の形なのである。 大衆のこの不安は実に様々の内容を含んでいる。 大衆の組織的活動に就いての不安(現にメーデーを見よ)・利害の自由な表現についての不安(之は流言飛語に関係がある)・職を擲って着役せねばならぬかも知れぬ不安・そして最も手近かなのは経済的消耗品となることの不安(大衆課税、物質騰貴、其の他)・つまりそうした結局は経済生活と肉体生活とに帰着するものに就いての不安の不断の増加が夫なのである。 支配者が最も恐れているらしい 人心の不安というものは、云うまでもなくこの大衆の不安のことを指しているわけで、夫は決して、単に人心が定まらずに思い思いにフラフラ動揺しているということではない。 もしそんな思い思いにフラフラしていることが人心不安の意味なら、不安な大衆こそ、どこからかこの不安な人心を統制して呉れるような強力を待ち望むことだろう。 之は当路者に取っては願ったり叶ったりな筈だ。 処が人心の不安動揺なるものは、実は大衆の現実日常の物的生活利害関係そのもののことに過ぎないのである。 偶々これを人心の不安動揺などという上品な観念的な言葉で呼ぶものだから、 不安によって却って益々強くなる勢力と、不安によってグズグズになる文学者風な所謂不安とが、一緒クタにされて了って、肝心な現下の不安の要素がボカされて了うのである(この利害関係を「人心の軽佻浮薄」などと云い出すと、もう何のことかサッパリ判らなくなる処だ)。 なる程、不安は物質の状態のことではなくて意識の状態だ。 切なる生理的要求も肉体的感覚としてはまだ不安ではないので、夫が心配や期待や忍耐や絶望やという意識の緊張や無理な弛緩の不快さになって、初めて不安というものだろう。 そして夫が一旦意識の状態だとすると、個人銘々の意識があてどもなく 逍 ( さまよ )い歩くということも、又は行きづまって動けなくなったということも、もう動かないことに決めて了ったということも、どれも不安にぞくするものではあろう。 個人々々だけに就いては確かにそうだ。 だがこの個々人の心の動揺は、個々人をある程度まで組織的に集めて見ると、夫に共通な物的な日常現実の利害関係自身をその内に発見するのであって、この利害関係がこの動揺の波を検波して、一定の大きな波の合成を必然的に齎すのである。 支配者は恰もこの合成波の振幅を恐れて、夫を人心の不安動揺と呼んでいるに他ならない。 之は寧ろ彼等自身の不安なのだ。 不安が単に 個人の意識のものである限り、夫は他でもない自分自身で潰れるものの機構のことにしか過ぎないので、そんな不安は、現下の不安としてはもはや相手にされる資格を持っていないものなのである。 社会不安はだから、将来に一つの約束を、見透しを、有っている。 この不安は従って一つの認識であると云ってもいいのである。 認識するということが、事情の動きを見透し、明らかにするという事が、云わばこの不安自身の目的のようなものだ。 独りこの積極的な役割をもつ社会不安に限らず、一般に不安は 諦らめれば収まるものらしいが、恐らく諦らめという言葉は、この頃流行るモダーン国学者式にコジつければ、明らめるということかも知れぬ。 事情を明らめることによって即ち又事情を真に認識することによって、この社会不安を解消する。 と云うことは、この社会不安が大衆的組織を得て、本能的な段階から 社会認識にまで歩を進めることを避け得ないということだ。 処が之に反して、社会不安でない処の単なる不安、云わば 個人不安の方は全くのマイナスなのだ。 この不安は決して諦らめることなど出来ぬ。 と云うのは之をかもし出す処の事情を、本当に明らかにし認識することは、事実到底出来ない相談だからである。 例えば今日この個人不安とでも云うべきものは数多の自殺の原因をなしていると見てよいようだ。 その意味はこの個人不安が社会不安におきかえられない限り、自殺希望者を生きるように説得することは事実出来ないだろうと云うのだ。 その代り、この個人不安を社会不安におきかえるなら、即ち彼に社会認識の明を与え得るならば、或いは自殺志望者の類は救われるのではないだろうか。 認識は見透しである、希望を産むものだからである。 で、こういうわけだから、実は個人不安などいうものは本当は無いということになる。 あるのは大衆の社会不安だけであり、或いはそれに就いての個人不安という虚像だけなのだ。 不安は凡て社会不安であり、大衆の不安である。 つまり、真の不安は単なる不安ではなくてその解消への力だというのである。 私はこういうオプティミズムをこの 不安時代に見出す権利があると思っている。 一九三七年二月中村陸相が病気のため、突如として陸相更迭が行なわれ、杉山教育総監が陸軍大臣となった。 新聞は之を批評して、落ちつくべき処に落ち付いた、と云っている。 落ちつくべき処とは何を指すのだろうか。 中村陸相就任の意義は何であったのか。 杉山大将が陸相に就任したのは、陸軍軍部の要求がとどのつまり貫徹したことだから、落ちつくべき処に落ち付いたというのだろうか。 すると陸軍軍部にとって林首相は何を意味しているのであるか。 一体、陸軍軍部とは何か。 陸軍主脳部と青年将校達との関係はどうなのか。 それと新及び旧陸相を通じての内閣との関係は何であるのか。 宇垣大将の組閣失敗の後を受けた林内閣の成立が、国民を多少面喰らわせたことは見逃せない事実である。 特に林内閣の組閣方針の過程に就いて、国民は何と判断してよいか今だに気迷っているように見受けられる。 最初陸軍首脳部が宇垣絶対反対を称えた理由については、今日に至ってもその真相は判明していない。 政党は議会に於いて、この真相を糾明しようとも云っているが、それがどういう意味を有つことになるかも、吾々にはハッキリしない。 当時、世界は、宇垣大将が政党に接近しすぎていて軍全般の革新的な動きを抑える作用をするというので、軍部の反対を買ったのだと考えた。 ところが軍部が極めて曖昧に私語的に表現する処によると、大将は某革新的事件の主脳部だったから、それが粛軍中の軍部にとって同大将を肯んじ難い所以だという(但し反対に宇垣では急進的な部内がおさまらぬから困るという理由もあげてあったが)。 世間は勿論軍部のこの種の表明を信用しなかった。 宇垣大将は所謂、自由主義的で、それが革新的軍部の気に入らないのだとばかり信じていた。 この見解は、従来の軍部の政治的動向から云って、決して無理でもなかったし、また実質に於いては誤ったものでもなかったろう。 だが軍部の述べた理由も、単なる口実だけではなくて、半分本当ではないかというような気がして来た。 と云うのは、部内に於ける最も革新的な分子と見做されている板垣中将の入閣に対して、他ならぬ軍主脳部自身が絶対反対を唱えたと云うからである。 之によると、林大将の方がズット革新的で、却って軍主脳部の方が或る意味で之を押えようとしたのだということになる。 尤も林大将組閣参謀である十河氏の退却と共に、林・寺内の交渉がまとまって、中村=杉山陸相就任となった。 して見ると革新的であったのは林その人ではなくて、実は十河参謀子であったということになる。 さてその十河参謀と軍部との関係は、直ちに明らかではない。 だが之だけで少なくとも明らかなことは、軍主脳部自身が、ウルトラ革新的勢力を押えたらしいという一つの事実なのである。 尤も、そうすると、部内がおさまらない、という方が口実に過ぎなかったということになるのだが。 ところで、こうなると、今まで宇垣大将を所謂自由主義や政党政治の多少の味方として力を入れていた世間、そして之に反対する軍主脳部乃至軍全般を革新的ウルトラ勢力として之に対抗意識を持っていた世間は、やや拍子抜けの観がなくはない。 宇垣組閣本部から、宇垣大将組閣拝辞直前に発表された処によると、政情は今や立憲政治かファシズムかの岐路に立ち、軍部は一つの政治団体化したと慨歎しているのであるが、必ずしもそうばかりは云えないということになって来た。 勿論ここでも亦、林内閣の成立と同時に発表された軍部の漸進主義声明は、仮にすぐ様は信用しないことにしてだが。 とに角、軍主脳部の現実的な政治方針が、思ったほど革新的ではないということを知ったので、政党や国民の大多数は多少安心したようなわけである。 或る方面から、宇垣反対は「合法的な二・二六事件」としてやるのであるというような不謹慎なおどかしが放送された後だったから、順序はまず、安心する方向に傾く番である。 だが、それにしても、何か割り切れないものが国民の胸に残っているようだ。 拍子抜けがしたり安心をしたりしながらも何か腑に落ちない薄気味の悪い後味がするのを、国民は否むことが出来ないようだ。 一応、一時の気休めは出来たようなものの、気持は必ずしも明朗ではない。 ということは要するに政情そのものに、何か量り知ることの出来ない不明朗なものの臭みがつきまとっているのである。 これは国民の慢性の強迫観念のせいだろうか。 そうばかりは云えない。 国民は今日、ちょうど犬のようなものだ。 尾を振ることや芸をして見せることは人間並みに覚え込んでも、やはり動物としての本能と、臭覚とを、ゴマ化すことは出来ない。 国民は本能的に不安を直覚している。 この不安の実質は何か。 不安は認識の不足から来る。 一種のインテリの場合は認識の過剰から来るらしいが、民衆の場合は認識の不足から来る。 つまり不安とは、より認識を深めようという一つの本能的感情だ。 少なくとも軍部に対する認識を、より以上に進めなければならぬというのが、この不安という本能的な感触なのである。 それが本当に安心して了うことを許さないのだ。 不安は如何なる認識の不足から来るか。 尤も不安と云っても、それは民衆にとってのことだ。 林内閣の拝命・組閣行動・政綱発表に就いて、不安を感じる代りに歯がゆさを感じている一群の人間は勿論いる。 それが何であるかはやがて触れるわけだが、今たれより先に、この林内閣の政情に就いて殆んど凡ての本質的な不安を一掃して至極明朗になっている一群の人間もあることを見なくてはならぬ。 林内閣、特に結城蔵相新政策に対する「世間」の拍手喝采がその辺から起きるのである。 元興銀総裁結城豊太郎氏は、云うまでもなく代表的な形態の金融資本の最も信用のある技師である。 それが馬場膨大財政を多少削減して、悪性インフレ・物価騰貴・の傾向を防止し、公債の消化と予算の消化とを可能ならしめようという。 三井の元老池田成彬氏を日本銀行総裁にすえて、このため金融統制政策をバックさせるのである。 而もそれを出来るだけ円滑にやろうというのだ。 この政策によって明朗になり得るものが、さし当り、金融資本の利益であることは、云うまでもない。 かくて「財界」は、一斉に林内閣・結城財政によって朗らかになるのである。 では所謂、 業界の方はどうか。 いわゆる商工業者と云われる産業資本の方はどうか。 前の馬場三十億財政の経済的バックとなったものは日本の産業資本だと云われている。 三十億四千万円の四十幾パーセントかは国防費であり、重工業・化学工業、其の他を含む軍需工業の得意先となるものだから、馬場財政の経済的基礎は要するに軍需工業資本であったことは論を俟たぬ。 七十議会の初頭に行なわれた軍部誹謗も、だからこの産業資本の反撃だったという見方もあるが、それはとも角として国防費と産業資本との交互作用的因縁には、特に資本主義が軍事的に擁立されて来た日本に於ては宿命的なものがある。 それがとに角、総予算の表面に於いて削られるとすると、せっかく操業拡張を楽しみにしていた軍需工業資本家は、多少がっかりするわけだ。 だがよく考えて見ると、工業資本家と雖も工業金融からは独立出来ない筈だろうから、日本の資本主義の全般的な必要のためには、多少の処は我慢しなければなるまい。 それが恐らく軍需工業資本自身の利益に帰着することなのだろうと思う。 民衆は本能的な不安をすて得ないが、資本家は相当に満足である所以だ。 処で一つ、注目しなければならぬ点がある。 それは、結城蔵相が林首相から、財政のことを白紙一任されたのだという噂のあることなのである。 もし之が大体に於て本当ならば、結城財政は要するに、林首相乃至林内閣そのものが持つ経済的な意味を云い表わすに外ならぬ。 そうすれば又林内閣の政治的意義は、正に、この経済的意義に基礎を置いていると云ってよいことになる。 この間柄に食い違いがあるのなら、首相が蔵相に白紙一任する筈はないのだ。 して見ると林内閣なるものは軍部が気に入った林大将の下に、軍部に気に入った顔振れの大臣を据えながら、実質は著しく金融資本的な内閣であることに気づくのだろう。 政党人の入閣を原則として拒んだという点では、極めて反資本的(又は反地主的)であり、大いに革新的なもののように見えるが、併し中島飛行機製作所の所長や鐘紡の社長や何かが閣僚候補に上った処を見ても、この内閣の本質は寧ろ、従来よりも著しく露骨に資本家的なものなのだ。 政党人の入閣に絶対反対する軍部が、軍需工業資本家や金融ブルジョアジーの技師が内閣の椅子を占めることに就いては、遂に一言の苦情も持ち出さなかった。 之は何を物語るのであるか。 要点だけを誇張して云えば、恐らくこうだろう。 産業資本、特に軍需工業資本家は云うまでもなく、金融資本家と雖も、例の膨大な国防予算に原則上の削減を加えるようなことは決してしないだろう。 軍部にとって何より必要なのは、この国防予算の実施なのだ、社会万端の体系は、之を公理としてその上に組み立てられねばならぬ。 それが日本の資本主義の生活の必要なのだ。 逆に社会の既成条件を保守することから、国防予算を割り出すべきではないのだ。 そういうのが所謂、準戦時経済体制(社会体制)ということだ。 ところが事実上、之に反対しているものは、正に既成政党である。 そこで軍部が憎むものは、資本ではなくて専ら政党だということになる。 悪いのは資本主義ではなくて自由主義だということになる。 だが所謂、自由主義とは、云わば自由主義時代の資本主義の政治機構とそのイデオロギーだ。 この時期に成立した既成政党は、資本家地主の政党であるに拘らず、金融資本独裁乃至独占資本強化の体系の下に於ても、この自由主義をすてることの出来ない理由があることは勿論だ。 そこで既成政党が従来の既成政党として止まるためには、何と云っても準戦時体制としての強力統制経済に反対せざるを得ず、従って又、その枢軸である国防予算を「検討」するポーズを取らざるを得なくなる。 だが政党人も、資本主義日本の日本人であるから、無下に国防予算の膨大さに反対する口実を見出すことは出来ぬ。 そこで膨大な 全予算そのものに反対するということになる。 即ち既成政党は直接軍部に面接せずに、 反政府という態度を取るのを原則にしようとする。 たまたま特に地主的な政友会では、浜田氏が軍部に当ることになり、もっと事態が変調で資本主義そのものさえが危いと錯覚された二・二六事件直後には、ブルジョア的政党たる民政党も亦、斎藤氏を立てて軍部に当らせた。 だが、いずれにせよ、国防予算そのものを直接に検討することは不可能なのである。 けれども既成政党が、その自由主義に立て籠ろうとするのは、単に彼等の宿命に従ったというだけではない。 勿論、資本の直接圧力だけで動いているのでもない。 また、ただの政党の習性や感情の向き方から来るのでもない。 既成政党は資本家地主のものではあるが、政党人そのものは資本家や地主としてではなく、とにかく政治家として物を云わなければ話しにならぬ。 そこで彼等には、何等かの大義名分と正義とのレッテルが必要だ。 そこで世論といい、民衆の声と云い、国民の生活利益というものが武器となる。 既成政党の今日の態度を観念的にバックしているものは、一部の、したり顔の、評論家などが何と云おうと、世論と国民の生活利益の観念となのだ。 国民大衆が事実、頼みうすい政党と知りながら、なお且つ観念的に政党の肩を持つのは、政党の資本家的本質に左袒して、反資本的革新(?)に対して反対しようというのではなくて、専ら資本家的本質から云って、云わばすでに季節はずれにさえなっているが故にこそ、却って現在、一定の意義で反金融資本主義的特徴を有つとも云うべき、自由主義故にである。 そしてこの所謂、自由主義に対立する革新的勢力なるものは、すでに述べたように、軍部によって信任された林首相によって、更に無条件信任された結城金融資本財政に他ならなかった。 林内閣が落ちつく処に落ちついたと云うなら、正にこの点に落ち付いたということに他ならぬ。 これが林内閣に対する一応の認識にもなるし、また軍部に対する認識を深めることにもなるのだ。 軍部が決して急進的でないという声明は、本当なのである。 徒らなるウルトラ急進主義は決して急進主義そのもの・革新主義そのもの・の要求を満たす所以ではない。 粛軍が真剣誠実に実施される所以であり、林粛軍内閣が、落ち付くべき処に落ちついた所以である。 そしてそれは又、財界が結城財政で落ちついたということだ。 民衆が今日の林内閣をめぐる政情に不安を覚えるのは、つまり一種の認識の不足から来ると云ったが、右によってその認識の要求は、一応、充たされたように見える。 では政情に対する不安は消滅したか、決してそうではない。 一体、林内閣は国民に対して何を約束しているか、それを見ないと、実は認識は深まらないのである。 林内閣は極めて抽象的な政綱を発表した。 その根本的精神は「祭政一致」主義にあるものと、少なくとも儀礼上は受け取る必要があるだろう。 広田内閣の政綱では「自由主義排撃」が、声明された根本精神だった。 それが「祭政一致」にまで前進した。 この前進と、広田曖昧内閣から林金融資本内閣(?)への前進とは、平行しているから注目に値いするが、併しそれは論外としよう。 それよりも大切なのは、広田内閣によって国防と 国民生活の安定との一致として説かれた処は、林内閣では国防と 生産力の一致というものですりかえられて了ったという点である。 国民生活の安定、特にまた例の軍部パンフレットで有名な農山漁村対策、の問題は、遂に政綱として触れる処がなく、問題にされずに終っているのだ。 馬場財政は都市生活者に対する増税と、一般的大衆課税との反面に、とにかくにも、農村負担の軽減を計ったことは事実だ。 当時、民政党などでは、増税反対の名目の下に、財産税や取引税の廃止を決議して、世人をして唖然たらしめたが、処が今度の結城財政では、この点、注文通りになっているのである。 尤も第三種所得税の免税点引下げは助かり、馬場大衆課税の多少の削減もあるから、実はこの点、都市民衆の実際利害から云って、すぐ様どっちとも云えないのだが、併しとに角問題はこの財政方針の基礎になっている林内閣の政治方針にあるのである。 それによると、国民生活の安定という課題は、生産力の増進という課題で以ておきかえられて了った。 ここに生産力というのは、もちろん資本主義的運用のキャパシティーのことに他ならないのだ。 で今や民衆の本能的な不安の内容が、より一層ハッキリして来たわけである。 つまり落ちつくべき処に落ちついた林内閣とは、金融資本の強化独裁の軌道の上に乗って、実質的に(決して観念的なウルトラ・ヒロイズムとしてではなく)日本資本主義の「革新」を行なおうとする方向にいるもののことだが、そのためには、民衆の利害などは眼中にない、まして世論などはどうでもよい、という一点にあるのである。 尤も実はそのためには、今や世論や民衆の利害を代表するように見える既成政党を決して無視は出来ない。 だが実は今日行なわれる政党との妥協や議会政治の尊重そのものが、実はこの落ちつくべき処に落ちついた「革新」の形態に必要な一つの契機に他ならない。 軍部と政党、内閣と議会、の対立は、民衆の世論の立場から見て、今日、重大な実践的対象ではあるが、それをその現象のまま正直にとるなら、まず誤りである。 そういう解釈は単に、事態の本質を不明朗にし、右顧左眄、自分の心を不安にするのが精々の落ちだろう。 寧ろ問題は、内閣の政局上の使命が、重臣その他の手によって、最近いつも軍部と政党とを調和するという機能の一点に集中されている、という点に横たわる。 之が日本の今日の政局の、あり得べき唯一の実際的形式であり、而もこれこそが、実は最も革新的な、庶政一新的な政治の方向なのである。 今見たように一見、政局はとにかく安定面に接着するように見える。 不安定な内閣であっても、とにかく安定面へ接着するという形式を与えられて誕生する。 だが、この安定面自身が、実は、一見緩慢な併し不断の斜面なのである。 国民はやっと水平面に降り立ったという気持ちで、一応ホッとしながら、併しこの水平面が実は斜面だということを、身体のどこかが本能的に感知するものだから、軍部がどんなに粛軍しようと、外見上、政党の云い分が通って、多少、自由主義との妥協が見えて来たと云われても、依然として心身明朗たるを得ないわけだ。 国民から見て、最近政情の陰晴常ならず見えるのは、全く、この斜面に水平面というレッテルを貼ろうとする支配者当局者の手際の無理さ加減に由来するのである。 軍部対政党の対立の社会的意味を認識することは、時節柄大事だが、この対立を理論上過信することは、今日の政界情勢をして、いろいろ不可解な相貌を帯びさせて了うことになるのである。 一九三六年の年頭に際して、私は一九三六年度思想界の展望というものを書いたことがある。 本年は左翼の思想界も落ちついて地道な展開をするだろうし、右翼の思想運動も遙かに中和的な形態で進行するだろうというようなことを述べたのである。 ところがまもなく二・二六事件が突発して、この予想の半分は完全に裏をかかれたのであった。 予想というものが如何に困難なものか、また如何に頼りないものかということを、つくづく感じた次第である。 だが考えて見ると、この様な事件が起きなければならなかったのも、つまり右翼思想の一般社会における中和形態化を条件としているわけであって、これに対する社会の一局部のヒステリー的爆発がああいう形を取ったのだと解釈することは誤っていなかったようだ。 こういう事件は当時の一般社会の条件から見て偶然であったのだが、しかしこの偶然事は要するに全般社会の必然的な動き以外のものをいい表わしたものではないので、従って結果から見ても、結局において民衆そのものをああいうクーデター乃至叛乱的な形としては動かさなかったのである。 そしてその結果どうなったかといえば、一方において粛軍の工程と、他方において政党やブルジョアに対する自粛の要求とのシーソーによって、結局社会の政治的・文化的・思想的・条件は可なり中和的な、しかしやや確実な、右翼化線の上昇の路を辿ったのである。 この大勢は、たとえああした形の事件がなくても、早晩来たに違いないものだった。 問題は社会の支配風景のこの本質が、現われることの遅いか早いかだけだ。 一九三七年度の日本における社会情勢、特に思想を中心として見るべき情勢もまた、この昨年来の中和的右翼化の持久的過程が持ち越され、また可なり円滑に加速度を与えられるのではないかと考えられる。 内閣がどのような運命に逢着するか、議会がどの程度の政府乃至軍部に対する批判を実力化することが出来るか、支那大陸における日本の事情がどう変化して行くか、これはもちろん今から予断出来ないことだ。 しかし、こうした事情の推移によって、日本の社会そのものの具体的な事情が決定されて行くのはいうまでもないのだから、全く社会が今年を通じてどういう相貌を呈するかを予言することは、易断か大本教ででもなければ不可能なことだ。 だがこういういわば今から見て単なる可能性に止まっている処の色々の偶然を介して、そこに現われるだろう社会事情の本質や本筋は可なり明らかであるように見える。 一言にしていえば「日本」的ファシズムの逐次的な発育であり、それと共に日本型に固有なファシズム形態が或る程度まで世界の先進又は先着ファッショ国家の社会的推移の轍を踏んだり、その規格に合致する結果になったりして、一般的なファシズムの形態に接近することだ。 但しそこには原則的な限度があるのだ。 まずこのイデオロギーの下に各種の産業統制が行なわれるだろう。 これは単に帝国主義段階における産業資本の独占形態や金融資本の集中化ではなくて、その国防的条件による強化となる。 例えば電力統制の如き。 この事情が特に日本においては日本型ファシズムの必然的な形態の一側面になるのだということは、日本ファシズムの現実を理解するには大切な要点だと思われる。 産業統制は資本の問題ばかりではなく、労働力の問題でもあるから、労働条件もまた国防的統制を受ける。 賃金、労働組合活動(組合への加入と団体契約の締結とに必要な活動)その他が、この見地から抑制される。 陸軍工廠労働者の組合加入禁止の類は今後一般の軍需工業労働者及び一般普通民間労働者への、一つの模範とさえなる可能性を有っている。 労働力の軍隊化は三七年の国家による労働問題対策の一つにさえなるかも知れぬ。 産業統制の次には議会政治自由の統制である。 政党人の真剣な努力があるとしても、議会機能が名目化されて行く大勢は已みがたいだろう。 なぜというに当分議会機能を運用するものは、地主乃至ブルジョアジー出身の政党であるが、彼らの経済的・政治的・利害からいうと、ファシズム的支配形態に根柢から反対しなければならぬ絶対的根拠はないのであって、つまりその 政治学的形態に反発を感じるに過ぎないのだからだ。 膨大な国防予算はこれを本質においてはそのままうのみにしなければならないのが彼らの運命である。 して見ればインフレ政策にも増税策にも終局的には反対し得ない計算になるのである。 すると残るものは議会の政治上の実質的な自由ではなくて、議会という名目の自由であり、議会という国家学的なカテゴリーの自由だけで、元来あるわけだ。 この点、年の内に何べん内閣が代ろうとも、幾遍軍部大臣が交替しようとも、また何べん議会が解散になろうとも、変りはあるまい。 文化統制は無抵抗と見えるまでに整備されて行くだろう。 すでに日独防共協定は政府及び支配主体に一つの展望の利く足場を与えた。 勿論これによって日独の政治上軍事上の相互扶助があり得るとは思われない。 日本にとってこれが役に立つのは、日本の大陸政策(或いは南方政策も含めていいかも知れぬ)と対内文化統制にとってである。 日伊協定(これは経済協定の形をとった)や日本ポーランド文化協会もまたここに帰する。 これは明らかに国内的には日本における人民戦線運動に対する先手であるが、この目的はこの一年の内に非常に意識化されて行くだろう。 検閲制度の拡大、統一、整順、従ってその加圧と微細化はいよいよその実を挙げるに相違ない。 だが表面から見れば、恐らく思想検閲より以上に風俗検閲の方が人眼をひくように行なわれるに違いないと思う。 映画、レヴュー、ダンスホール、カフェー、その他に対する風紀検察は重加される。 なぜというに、文化問題をそういう風に 道徳問題へ持って行くことは、世界中のファッショ支配の共通な政策なのだからである。 言論自由の抑制も単に法規的な根拠にあきたらずに、必ず道徳的根拠を持ち出して来る。 日本ファッショ的な卑俗道徳がいやに発達するだろう。 性犯罪の類は最も口やかましく騒ぎ立てられることと思う。 問題は道徳にあるからだ。 一般の文化意識も必ずこの道徳へ持って行かれる。 理論は国民的思想や国民的信念でおきかえて行かれるだろう。 日本人的であるかないかが、理論の正否を決定するという風習が成長されるだろう。 そしてファッショ思想家、国粋主義者・などはいうまでもなく、伝統尊重主義者や日本特殊性万能主義者や、民衆習慣絶対主義者や、そうした一切の 論理学的日本主義者が、段々いい気持ちになって行くと思う。 一種の自由主義者や文芸家なども、この類へ近づくものと私は観測する。 こうした擬装日本のファッショ文化(日本ファッショ文化であるのにそうでないように擬装した文化のことだが)は、一つの文化的卑俗常識(デマゴギー)となりそれが何か道徳的な勿体をつけられるようになるに相違ない。 この道徳文化の猖獗は確かに一種の認識を促進する。 日本文化の研究は一応進むだろう。 之は役に立つ契機だ。 だがしかしこれは同時にそれ以上に文化的バーバリズムへの準備ともなるものなのである。 この種の文化の促進はやがて文化そのものの否定を結果するような客観的条件をつくり出すことが出来る。 すでに文化の政治的批評の自由は、日本では極めて乏しい。 自由の抑圧がまだ文芸批評にまで手をのばさないとすれば、それは偶々現代日本の文芸がそうした政治的意義にも思想的意義にも乏しいからに過ぎない。 この点を条件としていう限り、ユダヤ的文芸批評を禁止したドイツの方が進んでいたわけだ。 だがとに角日本は文化的に世界のファシズム国家群と提携する必然をさえもつようになった結果、文化上でも欧米において政治的意義を多少でも有てるようになった。 そこで海外に向かっての日本文化の宣揚は、今後の支配者文化団の一つのお祭り行事として続けられることだろう。 その結果、本当に文化の国際性というものに就いて反省する準備も与えられるわけだが、すぐ様そこまで行けるかどうか、信用を置くことは出来ないようだ。 右翼思想団体は次第に政治団体へ移行する。 そしてその或る程度の統一を獲得するものと見られる。 だが、どれも綱領に無理と無意味とが多いため、その大同団結ばかりでなく、連絡さえが成功するかどうか疑わしい。 到底大衆的地盤を得るものとは思われない。 在郷軍人の思想上の役割についても、あまり評価すべきものを見ない。 一等きき目のあるものは依然としての上からの官僚的ファシズムの文化支配だろう。 さて以上のように述べてくるとつまり三七年は三六年の引きつづき、またはその傾向に輪をかけた引きつづきだということになる。 だが今述べたのは社会における支配的焦点からのぞいた三七年の日本の予想に過ぎなかったのだ。 日本は一つであるが、その社会条件には二つの焦点があるのである。 どっちの焦点にピントを合わせるかによって、話はまるで違ってくる。 今度は一般民衆を焦点として、一九三七年の日本社会を見ると、どうなるか。 いうまでもないことだが、日本ファシズムが圧力を加える対象はほかならぬ一般民衆なのである。 だから民衆は勿論自分の焦点から見て、一方にこの圧力の受難者だ。 だが、他方に於て圧力というのは、常に抵抗を条件として生じるものだ。 圧力を加えるものは日本型ファッショ的支配主体であるが抵抗を加えるものはこの民衆の方なのだ。 日本の社会をこの抵抗から観測すると、まず考えられるものは、取りもなおさず、この日本型ファッショ支配に対する人民大衆による抵抗そのものなのである。 圧力が大きいことは、必ずしも抵抗の弱いことと一致はしない。 圧力が大きければ、それだけ抵抗も大きいというのが、社会の一つの力学である(そうでもない場合の力学もあるのだが)。 ところでこの抵抗の増大は一九三六年の少なくとも最後の四半期以来の日本社会の一つの特色をなしている。 この特色は三七年になってそのまま強められて行くだろうと想定される条件を、沢山見出すことが出来るのである。 人民戦線という言葉は禁じられたも同様であるが、今後の民衆の一さいの動きで唯一つ可能なものは、欲すると否とにかかわらず、客観的にはこの形を取る結果におのずからなるだろう。 無産政党の単一化の方向も避けがたい大勢となろう。 政治上の自由主義の気勢も多少はあるだろう。 この抵抗力は民衆の文化的常識として行きわたるだろう。 露骨な日本主義や連隊長的イデオロギーは片すみにおしやられる、とともに刺激的な形の左翼思想運動もまた勿論あまり行なわれないだろう。 だがそれだけに、この理知的な見解が民衆の健全常識として普及するという関係には、拍車がかけられる。 抵抗力はそれだけでは攻勢には出られない。 併しそうだからといってこの抵抗力の増大や延長をさまたげるものは見出されないようである。 だがつまり、一九三七年の日本の社会は、これを表面から見る限り日本型ファシズムへの一途としか見えないだろう。 以上が私の最も大づかみな観測だ。 一進一退はあるとしても、ジグザグの形をとるにしても、ここ数年来の日本の大勢が駸々として特有の型のファッショ化の過程にあることは、もはや誰しも疑わない。 かつて一部には日本には本来の意味でのファシズムはないとか、日本にあるものはファシズムではなくて単なる封建的残存物の台頭でしかないとかいう強弁が行なわれたが、勿論之は現代の日本の民衆の鋭くなった本能から、信用されずに終ったのだ。 なる程日本ではドイツのような又はイタリアのような条件をそのまま具備したファシズムは、まだ成立していないし、又そういうものの成立も約束されてはいない。 だがファシズムという今日の国際的な思想、政治、経済、形態は、決して固定した定義ではその実質を捉え得ないことは、云うまでもないのである。 実に夫々の国には夫々の条件の下に於て、然り凡ての共通な根本特色を備えた処の各種ファシズムが、成立し又成立しかけているのである。 日本のファシズムは日本に特有な形のファシズム、即ち「日本ファシズム」であることが、この頃定説となったと見てよいだろう。 それだけではなく、最近の優れた見解はファシズムをその出来上った構造から定義する代りに、当然なことであるが、 ファッショ化しつつある過程からして定義しようと欲している。 すると日本などは何よりも代表的な、ファッショ過程最中の国であることとなる。 之が日本ファシズムの意味なのだ。 日本型ファシズムと他の形態のファシズムとの区別を多少でも説明することは今その紙面を欠いている。 だが、少なくとも日本ファシズムはそのファッショ化の過程を辿って行くに従って次第にその固有な日本的特色をば(失うのではないが)ファシズム一般の特色によって蔽うて行きつつあるという風に云うことが出来るだろう。 夫々の国に於けるファシズムはかくてその進行する目標から見て略々同一の又相照応した地点を指しているということが出来る。 ファシズムの特色の一つは夫が国際的共同性を欠くということにあるが、それにも拘らず、このファシズム現象が全く歴然たるインターナショナルな現象であることは、今日ヨーロッパ及び極東を通じて判然として来た事情である。 繰り返して云うが、日本ファシズムは日本に固有な形のファシズムだ。 併しこの日本ファシズムが有っている根本特色は次第に国際的に共通な特色によって着色されつつある。 今や吾々は日本ファシズムも亦之に対抗する日本に於ける反ファッショ的動向も、この国際的共通性の線に沿って考えて行くことが何より必要である。 私がこう云うのは、一方に於て日本ファシズムの固有性を不当に強調しすぎて、日本ファシストがみずからファシストではなくて或る他のものだと号する態度を、却って裏書きすることになったりする手違いがないでもないからであり、他方又、反ファッショ的動向を人民戦線という名で呼ぼうとする時、この反ファッショ運動が国際的なものでなくて却って国民的なものであると称して夫はフランスやスペインに行なわれるが日本ではまるで見当違いのものだというような安易な説をなすものを見るからである。 ファシズムと人民戦線とは国々の夫々の形態の下に全く二つの国際的現象であり、また、そうなり得ねばならぬ現象なのだ。 この点は日本型ファシズムに於ては忘れられてはならぬ。 日本ファシズムは民間の自発的ファッショ団として発生してはいない。 初めから文武官僚のイニシャティヴを以て発生したのだ。 そこでは資本家乃至金融ブルジョアジーさえ直接には顔を出していない。 代議士や既成政治家も亦そこでは表面に立たないばかりではなく、そうした所謂「自由主義」的分子は、この上からのファッショ勢力によって弾圧される形を採ったため、ブルジョアジーと文武官僚との根本的な対立の方が著しく眼に立ったのである。 勿論この表面の仮象はファシズム一般としても当然なことで、民間のファッショ団(主として小市民・農民・後れた労働者からなる)から発生した諸外国のファシズムも初めは反資本家的姿態をこらしたものである。 だが終局に於てファッショと金融ブルジョアジーとの大局に於ける大団結が、ファシズムの根本条件であることはもっと徹底的に知れ渡る必要のある点で、そういうことがあるから日本でも、ファッショ的勢力は安んじて「自由主義」的分子を圧迫出来るわけだ。 それは亭主が女房を圧迫する類であって、実は女房達の生活を支えるためにこそ亭主は外で働いているのだ。 女房はどんなにいじめられても或る段階に来るまではどうしても亭主を離れることは出来ない。 と共に柔よく剛を制するのは、わが家族制度の美風であり、又わが国の現在の国家の姿でもある。 そしてこの「家族制度」的な特色の本質が、日本ファシズムの「日本型」を決定するのである。 之は日本の国家に於ける支配的勢力内部の経緯であるが、支配されつつある民衆そのものは必ずしもこの経緯の内に立つものではない。 否、国民一般はこの経緯から出来るだけ遠ざかるように仕向けられている。 言論統制(検閲強化・ニュース単元化・流言呼ばわり・其の他)は、そういう作用を営んでいる。 そしてこの言論統制の反面は官製の世論の強制である。 民衆は自分自身の意見を持つことを許されず官許のイデオロギーをそのまま拝受することを要求される。 そしてこれは民衆自身の独自の思想とは凡そ反対の効果をねらったものだが、民衆は或る程度まではどうにも教育出来るものだから、やがて或る程度まで之が民衆自身の意見のようになって了う。 民衆はわが身の裏をかくような観念を本能のように持つに至る。 こうしたものがデマゴギーというものなのである。 このデマゴギーが、日本ファシズムに於ては特有な名分を有つのだ。 一般にファシズム支配にとってはデマゴギーは重大な役割を帯びている。 民衆の現実の利害感覚を無理に押潰して了うためには、同じく刺激的で麻痺的な観念物であるこのデマゴギーが必要なのだ。 デマゴギーは最もセンセーショナルであることを必要とする。 それは民衆の無責任な瞬間的情緒と馬鹿な常識とに訴える。 処で最も幼稚な常識や感情は、物ごとを何でも良し悪しで決めて了う 道徳判断だ。 子供はまず良い子か悪い子かを問題とする。 良いことと悪いこととを決めれば、子供の世界は秩序が立つ。 そこで民衆をして知らしめぬ方針を取る。 ファッショ的勢力が、小児となったこの民衆にデマゴギー政策を適用する際、社会を道徳と倫理とで塗りつぶして見せるというやり方を採用するのは、非常に賢明だ。 各国のファッショはそれを実行しているのである。 日本も多聞にもれぬ。 日本に於ける風俗風紀の検閲は、眼に見えて著しくなった。 単に思想言論の弾圧だけではない。 之と直接には関係なさそうに見える単なる風紀が、著しくやかましくなったのである。 なる程これは日本の風紀がそれだけ頽廃して来たからだとも云いわけ出来るだろう。 だがそれが之までの通念から到底耐え得ない程度にひどくなったとは、どうしても受け取れない。 でこの現象は、日本の支配者当局の方がわざと倫理化し道徳家振りし始めたということになるわけである。 倫理化や道徳振りを発揮するには、現代の風俗風紀の弛緩頽廃をでも声高かに吹聴するのが、何より民衆の無知な常識に訴えるに効果があることは、少し考えて見ると明白だ。 そこで風俗風紀は馬鹿々々しいまでにコセコセして取り締りを受ける。 接吻映画・ダンスホール・レヴュー・其の他其の他が内務省からカットを受けている。 道徳や倫理をファシズム支配が振りかざすことは、大変賢明なことだ、風俗風紀は勿論道徳や倫理にぞくすのだが、ファシズムによると一切の思想・科学・哲学・芸術・其の他が又道徳なのだ。 つまり思想には良い思想と悪い思想との区別があるだけなのだ。 思想の科学的批判などは問題ではない。 夫が「良い」か「悪い」かだけが問題だ。 かくて道徳振りと倫理呼ばわりによって、国民の風俗と思想とが同時にうまく統御出来るというのが、どこの国でも採用されているファッショの発明なのだ。 日本でも正にそうだ。 日本に於ける反ファッショ的人民戦線が何でなければならぬかを今説いている余白がない。 実はその言葉や名称は何でもよいのである。 だがとに角、人民戦線たるべきものの目標の一つは、このファッショ的道徳振りと倫理呼ばわりとの争闘だろう、特に文化運動に於ける人民戦線 的活動にとっては、この目標は極めて重大な筈なのである。 少なくとも人民戦線という声は今日、労働者大衆の進歩的層の凡てに行き渡っているようだ。 それからインテリ層にも亦勿論この声は高い。 今日の日本の社会に於ける進歩的な分子の中で、 広義に於ける何等かの人民戦線に対して冷淡であったり反対であったりするものは、いない筈だ。 いるとすれば、少なくともそれは反動分子であるに相違ない。 恰もスペインの内乱は、吾々にこの問題に就いて愈々鋭い関心を呼びおこした。 或る意味に於ける人民戦線への待望は日本に於ける一切の進歩的な分子の最近の常識となっている。 だが云うまでもなく、人民戦線は単なる待望の対象ではなくて実行の対象だ。 日本の人民戦線の運動、或いはもっと正しく云うと、人民戦線 への運動のイニシャティヴを取ろうとしつつあるものはなにか。 凡ての進歩的分子は何等かの形態の人民戦線を待望している。 だが人民戦線への運動の実行者は今日、どこにいるか、というのである。 私は少なくともしばらく前に政党として結成された「労農無産協議会」をこの実行志望者の尤なるものとして挙げねばならぬと考える。 少なくとも人民戦線の獲得のために行動しようとあからさまにみずから唱えているものは、この労農無産協議会なのである。 併し労農無産協議会は思うに、将来成り立つであろうところの日本人民戦線の主導的な根幹となろうというのではないらしい。 第一まだ人民戦線なるものは日本のどこにも結成されてはいない。 現在あるものは、何等かの人民戦線 への運動だけだ。 だからその際かりに労農無産協議会がこの人民戦線 への運動に就いてイニシャティヴを取り、この運動の主導的な根幹になろうとしたにしても、又なったにしても、それはすぐさま、この政治団体が人民戦線そのものの本部隊になるということにはならぬ。 その限りこの団体は人民戦線結成の単なる足場であり、単なる作業上の仮設のようなものに過ぎない。 そういう本質を有っている。 労農無産協議会は、それ自身では人民戦線自身の一部分ではなくて、それへの仮の手段のようなものだ。 労協の主脳部自身がそう考えていると思われる。 つまり労協という政治団体は人民戦線の母胎ということは出来ないのであって、そのメンバーに於ても影響下にある勤労大衆から云っても決して大きくなく、まだ比較的に大衆性を有っていないこの団体が、最も広範な人民大衆の政治的結成であるべき人民戦線の母胎となるという種類のことは、今日の事情の下では勿論想像出来ないことなのである。 もし人民戦線の母胎というものに多少ともなりそうなものを求めるならば、それは寧ろ最近までの唯一の「無産政党」であった社会大衆党でなければならぬ。 いや、人民戦線の母胎となり得る唯一のものは、社会大衆党以外にはないのである。 だから日本の人民戦線に就いての見透しは、なによりも第一に、この社会大衆党と、今回政党として自分を特色づけたかの労協との、関係の中になければならぬわけだ。 ところが労協の方が自分の人民戦線的使命をハッキリと強調しているに反して、社大党の方は必ずしもそれ程この点に就いてハッキリしているとは云うことが出来ない。 特に社大党の幹部の或る者に至っては純然たる社会ファシスト乃至殆んど完全なファシストであり、彼等自身敢えてこれを隠蔽しようとさえしないような次第だ。 社大党とは別に明白な反ファシズム的政党が必要であって、それが主体になってこそ初めて社大党を母胎にする人民戦線も期待出来る、そういうのが労農無産協議会が政党として現われねばならぬ公式な根拠として、挙げるところだ。 だが労協の政党化が大衆の中に方々の反対者を呼びおこした事は事実と見ねばならぬだろう。 これは決して一握りの机上の空論家の反対には止まらなかったのである。 反対の理由は、社大党を母胎とすべき人民戦線統一への運動にとって、社大党とは別個な一つの「合法左翼」的政党を打ち建てることが、なんと云ってもブレーキの役目を果すに相違ないということだ。 両政党の間に如何に協調一致を保つ方針だとしても、本当に単なる協調一致以外にないならば、二つの政党として出発することが元来無意味なわけで、之が二つの政党である必要があるのは、云うまでもなく二つの政党のメンバーと影響下勢力とが、事実上対立関係におかれる理由がどこかにあると考えられるからだ。 そしてそういう理由がある以上、社大党の 大衆と社大党の 幹部との結びつき方は、 社大党の大衆と 労協の幹部(ここではまだ大衆は大して考慮に値いしない)との結びつき方に較べて、より強力であり且つ又いよいよ強まる他はない。 そうすると労協が社大党の 外部から社大党の大衆を獲得することは、単に益々困難になるまでのことだ。 労協が社大党外の未組織大衆を獲得しようということも、今日では大して期待出来ないことで、社大党が組織出来なかったものが合法左翼なら組織出来るという風には到底考えられまい。 進歩的な分子が社大党に追々と入党しつつある現下の事情の下に、労協の政党化は徒らに合法政党を二重化することによって、統一戦線を弱めることにしかならぬ。 労協が社大党と「発展的合同」を遂げるというようなことは、分裂的発展(?)を遂げるということ以外に意味をもつものではない。 つまり社大党の幹部に対する反撃闘争を、社大党の 内部に於ては不可能だと考えることによって、これを外部から行なおうとする結果、社大党の大衆的地盤そのものに反撃するという客観的結果になりはしないか、というわけだ。 人民戦線の母胎たるべき社大党以外に、吾々はなぜなおもう一つの合法政党を必要とするのだろうか。 人民戦線 への運動のためになぜ母胎自身と対立するような政党を必要とするのであるか、なぜこの新党が経済闘争団体に止まっていてはならないのか、というのだ。 さてこの問題が片づかない限り、日本の人民戦線は単なる思想上の動向に止まっていて、決して政治的な現実とはなり得ない。 而もこの政党上の問題の背後又は根柢には、云うまでもなく更に労働組合の問題が横たわっている。 そこでは社大党系の組合が労協系の組合との戦線統一を明らかに拒んだ実例もあるのだ。 そうなると問題の困難は愈々大きいことが判る。 思想上の目標・拠り処・希望としてはだ。 だが政治上の現実としてはそれは単にまだ成立していないばかりではなく、それ への動きそのものさえが、まだハッキリとした客観的現実とはなっていないのが事実である。 政治上の人民戦線が成立していないところに、本当を云うと人民戦線の真に有機的な一翼としての文化運動は不可能だ。 文化活動が終局に於て組織的な政治活動によって制約されるものである以上、そうなのである。 だがそれにも拘らず又、文化運動が断片的には政治活動から比較的な独立を有っているということも忘れてはならぬ。 特にファシズム反対という否定的な側面から概括的に包括して行く形の政治活動である人民戦線に際しては、文化運動は特にその独立性のモメントをそれだけ強く有つことが許されるわけだ。 元来、人民戦線という政治活動に対応すべき文化活動(戦線の一翼としての又その同伴活動としての)の形態は、少なくとも外郭から見る限り文化的自由主義であり、それが最近ヒューマニズムとも呼ばれているものだが(ヒューマニズムというものの意味を批判し 限定することが併し大切だが)、この文化的自由主義の一つの特色は、それが政治活動から比較的独立に、独自の活動の形を以て、間接に政治活動に参加又は同伴するということにある。 して見ると人民戦線的文化活動は、人民戦線の政治的成立に先立っても、相当の程度に、人民戦線的意義を有つことが出来ると云わねばならぬ。 プロレタリアの党のないところに、プロレタリアの乃至プロレタリアの党の文化はあり得ない、というような場合と、多少話が違うのである。 こう考えて来ると、現在多少とも自由主義的又進歩的であろうと心がけている今日の各種の文化運動は、無意識ながら或る程度まで人民戦線的文化運動の意味を客観的には有っていなくはないのであって、ただそれが人民戦線の同伴活動であり候補者的一翼であり得るということを多くは自覚していないために、その客観的な効用もまだ充分に実力を発揮していないのだ、と見做していいような点が少なくないのである。 この際、だから、人民戦線という 思想だけでも、文化運動にとっては人民戦線的に多少のプラスを齎すことを忘れてはならぬ。 人民戦線の一翼としての文化活動に対して期待を表明しているのは、なんと云っても社大党ではなくて労協であると云わねばならぬ。 もし文化運動が政治活動の一義的決定と 直接関係を或る限度までルーズにすることが許されるとすれば、少なくともそうした文化運動にとっては労協の文化政策はマイナスではない。 と同時に、社大党も亦この種の文化政策を即刻実行に移す義務がある筈だ。 人民戦線的文化運動が政治上の人民戦線の先回りをすることが出来るということは、この場合尊重されていい事情なのだ。 だが現在の 人民戦線に於けるこの文化運動は、実を云うと、寧ろ現下の 文化運動に於ける人民戦線のことに他ならないのである。 と云うのは、文化運動として、政治活動からは独自に、人民戦線的統一を或る限度に於て有ち得るし、又有たねばならぬというのである。 これは文化運動の自由主義的乃至反ファッショ的統一という 運動形態に就いての問題であると共に当然又自由主義的乃至反ファッショ的な様式を有つべき 文化内容に就いての問題でもあるのである。 文化運動の人民戦線は、政治上の人民戦線の成立を待つことなく、実行に移され得るし、又実行されねばならぬだろう。 その実行の内容となるものは、文化活動の 公然たる社会的組織化と大衆の壇に立つ文化内容= 文化の大衆性とである。 この二つに就いて私は今までにも書いたことがあり、詳しい分析は別の機会に譲ろうと思うが、とに角、これは常識的にもすでにほぼ輪郭の明らかになっている事柄なのだ。 人民戦線の問題が非常に喧しくなって来たについて、之を是非する人の内には、日本の人民戦線への運動と労農無産協議会の運動とを同一視しようとする者も少なくない。 そういう理由から人民戦線の重要視そのものを軽蔑しようとする批評家さえあるのである。 併し勿論のこと日本の人民戦線運動と労協とが一つのものであるということはないのだから、こうした批評が適正なものでないのは知れたことで、結局、もし本気になって人民戦線に反感を持つものがいるとしたら、それは他ならぬ日本ファシズムにみずから左袒する者といわねばならぬ。 いずれにしても人民戦線という呼び声は喧しい。 駅頭で売っているパンフレットにも二三これを取り扱ったものがある。 例えば黒木某氏の書いたパンフレットによると「人民戦線という政治思想の行動を現わす言葉も、新作流行歌の如き魅力を以てせまりつつある」という。 「この魔力に してやられたのがスペインであって、文字通り地上の地獄となり、人類の歴史に泥を塗りつつある」のだそうである。 之を読むとスペインの内乱は人民戦線の連中が起こしたことで叛乱軍の叛乱から始まったことでは、更々ないかのようだ。 こういう調子で行けば、労働者のストライキも資本家が起こしたことにもなるが、それでいいのか。 デマゴギーもここまで来れば愛嬌があるが、処が案外こういう物のいい表わし方が、二流新聞などでは通用するのである。 内容のない感傷的な口調で物をいい出す人間を吾々人民は常に警戒しなければならぬ。 うっかりしていると目前の事実とまるで正反対なことを平然と説き出すからである。 之はデマゴギー・ジャーナリズムの模範的な例として適当ではあるが、日本の人民戦線の話しとしては勿論適当とはいえぬ。 之に較べて著しく一応の態をなしているのは赤松克麿氏の書いたパンフレットである。 氏は日本の人民戦線による反ファッショ運動は、軍部を相手とする運動であると断じた後、こう結論している。 「今や国政を一新し内外にわたる国策を断行し、輝しき躍進日本の姿を以て民族的雄図を行なわんとする時代に当面して、国民は一致団結、熱烈なる民族主義の旗の下に邁進しなければならぬとき、人民戦線の如き民族精神を否定し、国策断行を妨害し、国防を破壊し結局において祖国を亡国的危地に陥れんとするが如き、運動の発生し、成長することは、国民の最も戒心を要する重大問題である」云々。 人民がその共通の利害の下に統一的な戦線を有つということが即ちその人民を国民とする処の国家そのものの破滅することだとすると、之は何という不可思議な国家であろう。 まるで之では国家の利益と人民の利益とは先天的に相容れないかのようだ。 そういう国家がもしあるとしたら、実に不思議な国家といわねばならぬ。 それはとに角として人民戦線が 民族精神を否定するということはどういうことだろうか。 いや果して所謂人民戦線に対する反対物たる日本型ファシズムは民族精神を否定しないだろうか。 一体日本は所謂日本人だけで出来ているのではない。 同胞はギリヤーク、アイヌ、台湾土人、蛮人から始めて、半島人の二千余万人を包括しているのである。 こういう民族(?)の一つ一つの民族精神を肯定尊重するものが日本的ファシズムであるとでもいうのであろうか。 朝鮮民族が日本民族から独立した民族であるかないかは、私がにわかに断定出来ることではない。 併し吾々は民族というといつも民族の 文化を考えるのだ。 で話を民族から文化へと移せば、朝鮮文化がとに角日本古来の文化とは異った或る別個のものであることをどうも否定出来ないようだ。 之は崔承喜の舞踊一つ見ても判るからだ。 そこで朝鮮文化は今日どういう風に仕向けられているか。 いや万一朝鮮文化というものが何か骨董品のような価値しか持たぬとするなら、話しを「朝鮮人の文化」という形に直そう。 朝鮮人の文化発達に就いて、今日どういう状態が発見されるか。 朝鮮は日本と合併してから著しく文化水準が高くなったということを誰しも疑うまい。 丁度日本が欧米諸国と交通するようになって、その文化が著しく開化したと同じにである。 処で日本が外来文化によってその文化が開発された結果、日本古来の文化を全く捨て去って了ったかというと、そうではなくて、却って今日は益々正当に固有文化の保存と生長とが切望されているが、丁度そのように朝鮮文化も亦、日本文化との接触の下に却って増々正常な観点の下に置かれ、朝鮮文化・朝鮮人自身の文化・の価値を認識することが、半島人の切望する処となっているようである。 この事情は文化接触に於ける一種の公式として、極めて自然なことだろう。 つまり日本人による朝鮮人教育が普及すればする程、朝鮮文化は日本文化に同化すると同時に、その反面に於て却って朝鮮文化の独自性が自覚されざるを得なくなる。 そして一般にこうした文化の独自性の自覚が、取りも直さず民族精神というもののバックとなる処のものなのだ。 と云うのはこうだ。 まずスポーツは民族精神の発露である、という風に考えられていいだろうと思う。 そうでなければ、日本民族があれ程オリンピックに熱中する筈はあるまい。 ドイツについてもこのことは証明される。 処で朝鮮の某大新聞は、不当にも、マラソンで一着となった孫君の成績を以て、朝鮮民族(?)の民族精神の真の発露であり、朝鮮文化の独自の誇りであると考えたらしい。 該某新聞に載った写真の中の孫君は、その胸にあった日章旗を抹殺されて現われたのである。 この不当な新聞は即刻発行停止の事情の下に置かれ、同時に主な新聞記者は検挙されてしまった、という噂なのである。 だがそれだけならば大した問題ではないのだが、丁度之をシグナルとしたように、朝鮮人の文化活動者の主なる者は殆んど例外なしにといってよい位い、その自由を束縛され始めたのではないかと想像される節がある。 朝鮮語のトーキーは内地で上映禁止の前例を獲得したし、内地の某地方の官憲は朝鮮人の朝鮮語使用をさえ禁止したい意向をもらしていると伝えられる。 どこの土地にしろ、その民族精神を否定し、やがてその文化を否定する政策だとすると、之は結局斉しくバーバリズムの範疇に這入らざるを得なくなる。 ファシズムがどこの国に就いても、文化制限・文化否定・のバーバリズムと見做されているということ、そして民族文化の尊重は一般文化の開発を強調する処の社会にだけ固有な政策であるということ、そういう二つの事実はこの際実際甚だ参考になるのだ。 併し私は別に朝鮮文化にだけ特に深い関心を有っているというわけではない。 問題は日本における文化の一般的な抑制という最近の大勢にあるのである。 例えば映画の検閲が、国産品輸入品を通じてにわかに厳重になったと新聞は報じている。 仮にそれが本当でなくて、人民の単なる錯覚だとしても、そういう錯覚を持たせるような文化上の雲行きが最近頻に著しくなったという事実の否定とはならぬようだ。 こうなると朝鮮文化も日本文化も区別はない。 何等かの民族精神の表現たるべき文化が、無惨にもただの便宜のために制限され否定されるのである。 これこそ一般に民族精神の否定でなくして何か、と云わざるを得ないのである。 民族精神の自由なる発達・自由なる表現を妨害するものは何か。 何かの型のファシズムであるか、それとも何かの型の人民戦線とかいうものであるか。 これは一般に就いての質問であるが、同じ質問を私は、現下の日本に就いても提出したいのである。 河野密氏は『朝日新聞』に「眼で見た」人民戦線について書いた。 主にフランス、それからイギリス、における人民戦線を眼で見たのである。 この帰朝者談を私は色々の意味で面白く読むことが出来た。 併し予め断わっておかねばならぬのは、河野氏が眼で見たのはフランスやイギリスの「人民戦線」であって、決して日本のそれではないということである。 フランスやイギリスの人民戦線を眼で見るためには、勿論ヨーロッパまで出かけなければならぬ。 ヨーロッパは勿論日本とは地球の反対側にあるから、どんな慧眼な目でも日本にいては眼で見ることは出来ぬ。 そこで帰朝談となるのである。 そして帰朝談というものは、多少抜けていればいる程参考になるものなのである。 河野氏によると、 アチラの人民戦線なるものは、その国々の特殊事情に基いているのである。 ということは人民戦線が必要とされる国と、そうでない国とあるという意味ではない。 又、人民戦線が成立する国と、そうでない国とがあるということでもない。 それより先に国によって人民戦線という言葉の意味が異っているのだ、ということらしいのである。 なぜかというに、もしこの言葉が仮にどこでも同じことを意味しているなら、フランス・スペイン・イギリス、それから日本など(但し日本はやがて問題になるのだが)、夫々人民戦線が日程に上ったり上ろうとしたりしている限り、人民戦線なるものは一個のインターナショナルな動きでなくてはならぬ筈だ。 ただこの同じ人民戦線なるものが国によって充分現われたり又は余り甘く行かなかったりするだけだということになる。 処が河野氏によると、もし之を 国際的な反ファッショ運動として理解するものがあるなら、夫は認識不足この上ない者で、フランスやスペインの特殊事情を眼で見たことのない者の無理解から来るのだという。 だから、人民戦線という 言葉の意味が、全く国際性を有ち得ないのだ、ということにならざるを得ない。 併しアチラの人民戦線を眼で見た河野氏は、この言葉に対して特別な注文を有っている。 フランスやスペインのように、少なくとも複雑な小政党対立の関係がある時に限って、氏は人民戦線という言葉を使うことを許可するものであるらしい。 之は麻生久氏などの観念の内にもあることで、日本でも既成政党がいくつかに分裂した揚句でなければ人民戦線などは出来上る理由はない、と考えている。 如何にも代議士らしい人民戦線の観念であるが、之によると人民戦線とは、専ら政党運動や内閣組織活動につきるものであるように感じられて来るのである。 併し言葉の注文は之だけにはつきない。 人民戦線というカテゴリーは、実は専らフランスに固有なもののようでもあるのである。 人民戦線は国内のファッショに反対するよりも寧ろ、ファッショ的隣国に対抗しようという国民主義の一環を指すのだというのである。 国内問題としてよりも先に、国家対立を整調するという意味での国際主義の光の中で人民戦線は検閲し直されるべきものだという。 但しこの場合国際主義というのは所謂インターナショナリズムでは勿論ないという。 人民戦線即ち フランス人民戦線は、インターナショナリズムに立つのではなくて、国民主義に立つのだったが、而も人民戦線が国内反ファッショ勢力としての一国の政権を握っても、夫が「国際的な整調」を得ずしては、反ファッショの実力を有つことが出来ぬというのである。 つまりフランスの人民戦線はインターナショナリズムに立つことも許されないし、そうかといって一国の国内政権の所有者としても許されないし、又そうかといってファシスト・ドイツと国際的階級闘争の関係に這入ることも許されないというわけだ。 結局人民戦線などの立場はないということになる。 さて之が眼で見た「人民戦線」である。 人民戦線はアチラ就中フランス共和国に固有な歴史的(?)カテゴリーであるからこの言葉をどこに使ってもいいというわけには行かない。 丁度ファッショというのがイタリアの特殊事情と結合して初めて成り立ち得た歴史的用語であるが故に、ドイツやハンガリーやポーランドや、まして日本などに、あり得ないといわれるように、之が眼で見た地方的範疇としての人民戦線だ。 そしてアチラの人民戦線すらその立場はどうも容認されそうにはないのだから、まして日本などで人民戦線々々々々といって騒ぎ回るのは、世界の田舎者である、とこの帰朝者はつけ加えたいらしいのである。 この「人民戦線」の紹介乃至翻訳は、吾々日本人にとっては勿論甚だ参考になる。 だがそれは少しも日本における人民戦線運動の各種の動きを否定すべき根拠の類になるものではない、ということは注意してかからねばなるまい。 もし之によって日本の人民戦線の動きの批判になるとでも思うならば、それは可なりの違算なのだ。 なぜというに、日本にはそれこそ日本に固有な特殊事情があって、それが日本に固有な人民戦線の動きを醸し出しているのであって、その刺激が、「アチラ」から来たからといって、之を「アチラ」の何かジャーナリストによる模倣か翻訳のように思い込むことは、正に認識不足といわねばならぬからだ。 日本の人民戦線は日本の特殊事情に沿うて、その特殊な観念内容を明らかにされねばならぬ。 吾々は河野氏に、アチラの人民戦線の話しと、次に日本の人民戦線に就いての意見を聞きたいのであるが、その機会を得ていない。 私は考える、日本に於ては日本特有の形と日本特有な言葉の意味に於ける人民戦線なるものが必要であり、その動きは乃至それ への動きは、歴然たる事実に属するだろうと。 この必然性を認識する点になると、軍部型ファシストともいうべき赤松克麿氏などの方が、却って要点をつかんでいるのではないだろうか。 氏によると、人民戦線は日本では大変に必然性を有っているから、それ故に予め之をやっつけて了うことが軍国焦眉の急だというのである。 だが日本で人民戦線というのは、群小諸政党の最低綱領による反ファッショ的共同戦線というようなことを意味するより先に、 とに角人民の反ファッショ的戦線の成立ということを意味するだけで、立派に意義があるのだということを注意せねばならぬ。 とに角といわねばならぬ程、日本における特有なファシズムの攻勢は急迫しているのである。 之が日本型ファシズムの「特殊事情」であり、従って之に対抗するだろうものとしての 日本型人民戦線の特殊事情なのだ。 いって見れば之はより 未展開なその意味でより 一般的な形における反ファッショ運動なのである。 だが夫が 人民の反ファッショ戦線という意味で、依然として一般的に人民戦線と呼ばれる権利があるわけで、それであればこそフランスやスペインのより限定された形態の人民戦線の動きから、力強い暗示も受け取ることが出来たのだ。 人民戦線という言葉を外国から学んだからと云って、人民戦線論がジャーナリストの外来思想受け売りの類だと見るのは、一種アメリカ帰り式な世界観ではないだろうか。 日本の人民戦線は今云ったように、より一般的な形態を有っているのだから、例えば社会大衆党のただ 一党を以てしても、と云うのは即ち、社大党以外の大衆的政党の存在や又は既成ブルジョア政党の大量的小分派への分裂などを俟つことなしにも、立派に人民戦線的活動の任務を遂行することが出来る、といっていい理由があるだろう。 日本ファシズム反対の人民的任務を果すことが出来ると云っていいだろう。 菊川忠雄氏が引用する文章に従えば、日本における人民戦線は社会大衆党そのものだというのであるが、このやや奇矯な言葉にもこういう風に考えれば意味があるだろう。 河野氏や麻生氏、又菊川氏にしても、人民戦線という言葉に対して批評を加えねばならぬと感じた動機の一つは、日本の人民戦線運動と労農無産協議会とが何か一つのものであるかのように考えられる処から来る。

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エレミヤ書聖書講解文 |第七回「主は生きている(神の計画と時間)」

たとえ 世界 欺く 答え だ として も

Contents• 「HoneyWorks」(ハニーワークス)とは 甘酸っぱい少女漫画の世界観を軸に恋愛曲を手掛けていることが、 HoneyWorks(以下、ハニワ)の最大の特徴といえます。 まずはハニワについてお話したうえで、その具体的な魅力を紐解いていきましょう! 今話題のクリエイターユニット ハニワは、 作詞作曲・ 編曲担当のGomとshito、 イラスト・ ムービー担当のヤマコの3名からなるクリエイターユニットです。 そのほか、楽器やイラストを担当するサポートメンバーもいます。 ニコニコ動画やYouTubeなどの動画投稿サイトで活動していて、 関連動画総再生回数はなんと 4億回超え。 オリジナルのキャラクターとストーリーをベースにした楽曲を制作しています。 そんな彼らの楽曲シリーズプロジェクト「告白実行委員会~恋愛シリーズ~」は、2011年に公開された動画「初恋の絵本/HoneyWorks feat. そしてついに 2016年には映画化までされて、 動員数25万人・ 興行収入3億円を突破するという偉業を成し遂げたのです。 映画版の主題歌『』『 』 や挿入歌『』は人気を博しました。 また公式ホームページでは、女子ウケ抜群のオリジナル商品が発売されています。 JKに大人気の理由 ハニワの複数の楽曲からなる「告白実行委員会~恋愛シリーズ~」。 曲中に出てくる登場人物が同じ高校を舞台に、恋愛物語を繰り広げていきます。 複雑な恋愛模様を通して主人公たちが成長していく様子は、もどかしくて切なくてつい聴き入ってしまいます。 好きな人へのあふれる想いや友達へのリアルな感情を見事に描いており、 女子高生の共感ポイントが満載なのです。 恋する女の子を描いた歌詞に共感 人気の理由は、 なんといっても 胸を刺すような等身大の歌詞。 好きな人に自分の気持ちを伝えるために悪戦苦闘する様子が1曲1曲の中にぎっしり詰まっています。 また、女子目線だけではなく男子目線で作られた楽曲もあるので、1つの物語がグッと濃いものになるのです。 PVの絵が可愛くて色鮮やか イラスト・ムービー担当の ヤマコによる光の表現が秀逸で、 登場人物の気持ちに合わせて 色鮮やかに彩られたPVも魅力的。 絵が可愛くておしゃれなので、観ているだけでも女子力が上がりそうです。 恥じらう顔や泣き顔など人物の表情が繊細に描かれていることも見どころで、最後まで飽きずに観ることができます。 特に 「ロクベル」という猫が主人公のMVは、HoneyWorksの楽曲と相まって涙腺崩壊すること間違いなしの名作です。 「ボカロ」「声優」「歌い手」による歌 ハニワの活動は、2010年にニコニコ動画でボーカロイドオリジナル曲を投稿したことがはじまりです。 これまでに初音ミクや鏡音リン、鏡音レン、GUMIなどが使用されています。 ボカロ曲はJKにも親しまれており、ハニワの楽曲のよさから人気が加速していきました。 また歌い手のCHiCOがハニワとコラボし、「CHiCO with HoneyWorks」として活動してから、2018年の武道館ワンマンライブを約1万人動員で大成功させました。 CHiCO with HoneyWorks名義のコラボは「CHiCO with HoneyWorks meets中川翔子」「CHiCO with HoneyWorks meetsスカイピース」など活動も幅広く行っています。 まさに時流に乗るクリエイターユニットです。 甘酸っぱい歌詞にキュン!恋愛ソング人気ランキング ハニワの楽曲はどれも胸がいっぱいになるくらい切なくて、 片思い中の心に刺さります。 なかでもとくに歌詞が甘酸っぱくてキュンキュンする恋愛ソングをご紹介します。 ハニワの楽曲は物語になっているので、1曲聴いたら次々に聴きたくなって一気に全部聴いてしまうかもしれません。 男子目線の曲もあるので、男子の胸の内を覗けるところもポイントですよ。 【7位】告白ライバル宣言 恋が満ちたのは まばたきくらい一瞬の事で こんな出来事はまるで誰かの夢物語だね 未完成ナイトもうちょっと待って 君と君の好きな人に贈る精一杯 「せーのっ!」僕の宣戦布告 『告白ライバル宣言』は 「告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜」の一曲。 榎本夏樹に片思いする綾瀬恋雪の切ない恋心を描いた男の子目線の楽曲です。 歌詞にも書かれているとおり、「0%が分かった上でも」好きな気持ちを募らせる彼は、夏樹の恋愛成就に「おめでとう好きだった人」とこぼします。 なかでも「恋に落ちたのはあなたのせいです」は、片思い中なら共感必至のフレーズ! とても胸が締め付けられる展開の歌で、聴くと恋雪を応援したくなります。 ほろ苦い気持ちが詰まった楽曲ですが、 ポップで明るい曲調が主人公の優しさや明るさを伝えてくれる1曲です。 他にも 「告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜」では『』『』など名曲揃いなので、ストーリーを楽しむためにシリーズ全ての楽曲を聴くことをおすすめします。 【6位】可愛くなりたい 好きで好きでたまんなくて 嘘をついた 香付きのリップも 覚えたてメイクだって… 朝昼晩一日中君の事 考えています 想像だってしちゃいます 成海聖奈の声優を担当している雨宮天さんがキュートに歌い上げる1曲、『可愛くなりたい』。 転校生の濱中翠に片思い中の聖奈。 少しでも可愛くみられたくてお洒落をしたり、メイクの研究をしたりと、彼に気づいてもらえるように精一杯頑張る様子が描かれています。 「カワイ子ぶってるったってカワイく見られたいんだし」という歌詞も、多くの女子が共感するのではないでしょうか。 「何とも思ってないよ?」と嘘をつく気持ちもわかりますよね。 ツンデレっぷりもまた可愛らしいです。 恋する楽しさがギュッと詰まっていて、 聖奈につられて恋をしたくなる女子力アップにもってこいの楽曲です。 【5位】告白予行練習 「嘘つきでごめんね ずっと前から好きでした」 声震えていても 大好きを伝えたくて 「これ以上好きにさせていでよ」 あなたは笑顔で「こちらこそ」って 2015年にハニワとして初となるボカロ曲のミリオンを達成した楽曲、『告白予行練習』。 この曲と『初恋の絵本』『ヤキモチの答え』からはじまった小説シリーズもあり、 シリーズ関連累計は200万部を突破しています。 榎本夏樹が片思い中の瀬戸口優に、告白の予行練習という口実で想いを伝えるドキドキの内容です。 PVでは告白シーンの夏樹の表情の描き方が見事で、ハニワの中で『告白予行練習』が一番好きという意見が多いのも納得の1曲です。 片思いをしている女子は、 この曲で告白の勇気をもらって恋愛成就しちゃいましょう。 実はこの曲にはアナザーストーリーがあるのですが、瀬戸口優の声優として神谷浩史さんによって歌い上げられています。 最高に幸せな気持ちになれること間違いなしの歌詞となっているので、あわせて聴いてみてくださいね! 【4位】東京サマーセッションfeat. CHiCO 待ってる左手にほんの少し触れてみる 繋ぎたい繋ぎたいだけどポケットに隠れた ほんとは気づいてるほんの少しで届く距離 繋ぎたい繋ぎたい本音背中に隠すの 『 東京サマーセッションfeat. CHiCO』は、サビ以外の歌詞が男女の会話になっていて、歌い手のsanaとCHiCOがそれぞれ担当する役の台詞を歌うデュエットソングです。 この曲には、『告白予行練習』の瀬戸口優&榎本夏樹、『初恋の絵本』の芹沢春輝&合田美桜、『ヤキモチの答え』の望月蒼太&早坂あかりが登場します。 ひと夏の思い出が描かれていて、 花火に照らされた男女の表情がなんとも可愛らしいのでぜひチェックしてみてください。 友達以上恋人未満の関係にもどかしさを感じつつも、聴くだけでこちらが照れてしまうような歌詞。 風情ある夏祭りの中で伝わってくる温度感と2人の歌声にキュンとする、 夏におすすめの楽曲です。 【3位】ヤキモチの答え ごめん 応援できないよ うまくいくな!! 最低な願い事だよ 性格悪い悪魔の事を 応援しちゃうよ HoneyWorksの超人気曲『ヤキモチの答え』は、早坂あかりに恋する望月蒼太のヤキモチソングです。 そして声優は梶裕貴さん。 あかりを想う彼の健気な歌詞が切なく、「もしね、付き合えたら毎日笑わせてみせるよ」なんて言われたら、他に好きな人がいても揺らいでしまうかもしれません。 好きな人に嫉妬してしまう、 辛い気持ちを乗り越えたい人に聴いてほしい男の子目線の1曲です。 『ヤキモチの答え』は、あかり目線で歌われた『ヤキモチの答え-another story-』もあるので、こちらと合わせて聴いてみるとさらにキュンキュンできると同時に希望ももらえちゃいますよ! 【2位】今好きになる。 認めたら認めちゃったら 隠すことも諦めそうだ 今好きになる 『今好きになる。 』は、綾瀬恋雪に片思いする瀬戸口雛が、想いを伝えるために勇気を出す様子を描いた楽曲です。 この曲は映画「好きになるその瞬間を。 〜告白実行委員会〜」の挿入歌にも使われています。 恋する乙女の可愛さと上手くいかないもどかしさが、キュートに描かれています。 叶わない恋だとわかっていても好きな気持ちに嘘はつけないという、 片思いする心をリアルに表現したこの曲は、 何度聴いても泣ける感動ソングです。 「伝えちゃったら多分距離ができちゃうかもね」と思いながらも、思い切って告白する雛に勇気をもらえるでしょう。 雛の可愛さはもちろん、恋雪の変身っぷりにも注目して聴いてみてください。 トライアングルストーリーとして、雛に思いを寄せる榎本虎太郎の幼馴染目線の切ない楽曲も必聴です。 YouTubeでは1200万再生を突破しているハニワの代表曲で、濱中翠視点で成海聖奈に片思いする様子が描かれています。 「おはよう」のたった一言でも、 好きな人には恥ずかしくてなかなか言えなかったりしますよね。 実は聖奈も翠を好きだったりするので、それを踏まえて聴くと翠をさらに愛おしく感じます。 お洒落で美男美女の2人なので、並んだ様子がとても可愛くてPVをみているだけで幸せな気持ちになります。 金曜日にこの曲を聴けば、翠に勇気をもらって好きな人に声をかけられるかもしれません。 この曲にもアナザーストーリーがあり、YouTube再生数は1600万回超と本編よりも上回っています。 両思い気分を味わうのにもってこいの名曲です! PVに注目!CHiCO with HoneyWorksおすすめアニソンランキング CHiCO with HoneyWorksは、ソニーミュージック主催のアニソンオーディション「ウタカツ!」で第1回グランプリに輝いたCHiCOと、ハニワの 共作コラボユニット。 YouTubeやニコニコ動画などの動画配信サイトでは、これまでにリリースした8枚のシングル・アルバムのPVの総再生回数が2億回を突破し、 YouTubeの 「CHiCO with HoneyWorksチャンネル」には20万人を超える登録者がいるなど、今や大人気のユニットです。 次はそんな彼らの、超人気アニメとタイアップしたおすすめの3曲をご紹介します。 どれもストーリー展開が面白いので、ぜひPVに注目して聴いてみてください。 【3位】世界は恋に落ちている 世界は恋に落ちている 光の矢胸を射す 君をわかりたいんだよ 「ねえ、教えて」 CHiCO with HoneyWorksのデビュー曲『世界は恋に落ちている』。 テレビアニメ「アオハライド」の オープニング主題歌として知名度を上げたこの曲は、 楽曲自体の難易度が低くカラオケでも親しまれています。 明るくキャッチーなメロディがCHiCOの声に合っていて、 前向きな気持ちにさせてくれる1曲です。 爽やかな楽曲とはうらはらに、PVは男女の三角関係を描いたものとなっており、結末に謎が残る終わり方になっています。 あえて核心部分に触れないように作成されているので、色々なストーリーを想像してみましょう。 【2位】プライド革命 たとえ世界欺く解答だとしても 「信じて」差し出す掌 決して逃げない怖くはないから 目を開け弱さをかき消すんだ CHiCO with HoneyWorksのセカンドシングル曲である『アイのシナリオ』は、愛する人を守り抜く覚悟に満ちたカッコいい楽曲です。 テレビアニメ「まじっく快斗1412」のオープニングテーマ曲として広く親しまれており、まさにCHiCO with HoneyWorksの代表曲といえます。 「まじっく快斗1412」は、「名探偵コナン」に登場する怪盗キッドに焦点を当てたストーリーです。 歌詞やPVの内容も「まじっく快斗1412」にリンクされるように作り込まれていて、運命や再会をテーマにストーリーが展開されていきます。 時を越えた2人の愛の絆が歌われた、 ファンタジー要素たっぷりの魅力的な楽曲となっています。 間奏のピアノソロも鳥肌モノ。 「まじっく快斗1412」のファンはもちろん、知らない人も十分楽しめる内容になっているので、ぜひチェックしてみましょう。 豪華声優陣によるHoneyWorksキャラソンCDに注目! 今回ご紹介した曲は、キャラクターソング集CDとしても発売されています。 好きな声優が歌うキャラソンは間違いなくテンションを上げてくれます。 『僕じゃダメですか?~「告白実行委員会」キャラクターソング集~』では、 神谷浩史・豊崎愛生・戸松遥・鈴村健一・麻倉もも・阿澄佳奈・花江夏樹などの人気声優陣が曲の キャラクターにピッタリの声で歌ってくれていて、どの収録曲にも外れがなくとても 聴き応えがあります。 なかでも『』『』『』がおすすめ! プロの声で歌われた曲を聴いて、 毎日聴きたくなるくらい感動して、 さらにハニワを好きになりましょう! HoneyWorks(ハニワ)の楽曲を聴いて恋愛モチベーションUP! 胸キュン必至のハニワの世界を楽しんでいただけたでしょうか。 今回ご紹介した曲にはアンサーソングなど異なった視点から楽める作品もあります。 そしてハニワにはほかにも『 』『』など、たくさんの魅力的な楽曲があるので、まずは気になったタイトルを聴いて楽しんでみましょう。 ハニワのさまざまな最新情報はHoneyWorksオフィシャルブログで随時更新されるので注目してみてはいかがでしょうか。 ハニワの楽曲は聴けば聴くほど恋の気分が高まる作品ばかりなので、片思いをしている人は勇気をもらって一歩踏み出せるかもしれません。 まだそんな勇気が出せないという人も、ハニワの曲で恋をしている楽しい気持ちを高めて、素敵な恋愛をしてください!.

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レフェリーを欺くプレーはしない! サッカーの精神に反する「シミュレーション」

たとえ 世界 欺く 答え だ として も

待つ時、待つ民 ハバクク2:1-4 皆さん、おはようございます。 今年ももう12月になりました。 早いですね。 教会ではもうクリスマスの行事を行う時期が来ました。 この教会は少し早くプログラムが始まります。 今日の午後はキャロリング、明日は小学校のクリスマス会です。 小学生は明日のために一生懸命に練習をしてきました。 学校は少し早いクリスマス会になります。 確かに12月24,25日から考えれば、ちょっと早いクリスマスです。 でも仕方ありません。 大人の都合です。 でもみんなでクリスマスをお祝いすることができます。 イエス様のことを喜ぶことができます。 本当に感謝です。 さて、教会の暦、特別なキリスト教の教会のカレンダーを持っている教会、多くの日曜教会では明日から待降節(たいこう)に入ります。 クリスマスではないですが、クリスマスを、キリストを待ち望む時を持つのです。 約 4週間の間、ひたすら救い主を待ち望む、こういう期間を過ごします。 私たちはこの教会暦をもっていませんが、この期間に私たちは学ぶべきことがたくさんあるのではないかと思っています。 なぜなら、待降節は英語でアドベント。 私たちはアドベンチスト。 待ち望む民だからです。 そこで、今日与えられたみ言葉は旧約聖書のハバクク書です。 最初にみ言葉をいただきましょう。 ハバクク書2章1-4節 (旧1465p) 2:1 わたしは歩哨の部署につき/砦の上に立って見張り/神がわたしに何を語り/わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。 2:2 主はわたしに答えて、言われた。 「幻を書き記せ。 走りながらでも読めるように/板の上にはっきりと記せ。 2:3 定められた時のために/もうひとつの幻があるからだ。 それは終わりの時に向かって急ぐ。 人を欺くことはない。 たとえ、遅くなっても、待っておれ。 それは必ず来る、遅れることはない。 2:4 見よ、高慢な者を。 彼の心は正しくありえない。 しかし、神に従う人は信仰によって生きる。 」 このハバクク書は、これまであまり説教で使うことはありませんので、最初に少し背景の説明をしたいと思います。 ハバククは「祈りの預言者」と呼ばれています。 神様への祈りの中で、神様と語ることで、神様への信仰に目覚めた預言者です。 紀元前7世紀頃の人です。 この時代、イスラエルの王国は分裂をしていました。 北王国イスラエルと南王国ユダ。 ハバククは南王国ユダの人でした。 この時、南王国ユダの人々はおびえて生きていたのです。 なぜか。 世界最強の軍事力を持つバビロニア帝国の軍隊が近づいていたからです。 アッシリアの軍隊よりも大きな力を持ってきていたバビロニア帝国。 その軍隊が近づいていました。 ユダの人々はこのバビロニアの軍隊が迫ってきているのを知っていました。 ラッパの音、兵士の行進する音。 今にも聞こえてくるような恐れの中で生活していたのです。 戦争になるのは今日か、明日か。 世界を征服する力を持つバビロニアの軍隊に、こんな小さな国が勝つことなど考えられない。 誰もがそう思っていました。 そして、戦って自分たちは生き残れるのか。 そして負けてしまったらどうなるか。 戦いに負けた後、どんな生活が待っているのか。 捕虜として捕らえられるか、奴隷として生活をしないといけないのか。 いや生き残ったとしても殺されるかもしれない。 そんな不安の中にいたのです。 こんな恐れと戦っていたのです。 これからどうなるだろうか。 みんながそう思っていた時、そういう緊迫した状況の中で、ハバククは祈るのです。 「わたしは歩哨の部署につき/砦の上に立って見張り/神がわたしに何を語り/わたしの訴えに何と答えられるかを見よう」。 リビングバイブルでは、「今、私は見張り台に立ち、神が私の訴えにどう答えるか待っていましょう」そう訳しています。 ハバククは今、どこにいるでしょうか。 歩哨として、見張りとして立つところ、物見櫓の上、見張り台、高いところに立っているのです。 想像してみて下さい。 そこからはすべてが見渡せます。 自分たちの国の側を見ると、人々がうろたえて、右往左往している様が見えるのです。 誰もが怖れを抱いていて、落ち着いていないのです。 そんな光景を見ながら、神から遣わされた預言者ハバククは、自分にできること、そう物見櫓の上で、神に祈ったのです。 何を祈ったのでしょうか。 「神様、答えて下さい」そういう祈りでした。 その祈りはイスラエルの民たちの声、思い、苦しみでした。 救いはあるのですか。 助けはあるのですか。 生きる道はあるのですか。 ハバククは、そんな民の苦悩をそのまま受け止めました。 そしてそれを神様に祈り、神様に訴えたのです。 そしてどうしたか。 沈黙を続ける神様に、激しく問い、ジッと神の答えを待ったのです。 神様は必ず応えてくださると信じて待ったのです。 (間) 神様はどうされたでしょうか。 このハバククの祈りに神は応えてくださったのです。 神は語られました。 「幻を書き記せ。 走りながらでも読めるように/板の上にはっきりと記せ。 定められた時のために/もうひとつの幻があるからだ。 それは終わりの時に向かって急ぐ。 人を欺くことはない。 たとえ、遅くなっても、待っておれ。 それは必ず来る、遅れることはない。 」 最初に言っています。 幻を書き記せ。 「板に私からの幻を書き記しなさい」 「幻」とは神のメッセージです。 これから知らせるべき幻を与える、と神様は言っておられます。 受け取ったハバククはどうすればいいのでしょうか。 自分の心に納めておくのですか。 人々に伝えるのでしょうか。 受け取った幻をどうすればいいのでしょうか。 書き記しなさい、板に書きなさい、と言われるのです。 なぜ書かなくてはいけないか。 大切だからです。 間違ってはいけないからです。 十戒が石の板に書かれたように、大切なことは間違わないように書かれるのです。 そのために神様はまず書くための板を用意しろと言われたのです。 でも、単なる板ではありません。 今ですと「掲示板」です。 おそらく遠くから見ることのできるような大きな大きな板だったに違いありません。 それを用意しなさいと言っているのです。 誰でも、そして遠くからでも読めるように。 車からでも、新幹線からでも読めるものを用意しなさいと言っているのです。 そうです。 うろたえて走りまわっている人でもきちんと読めるように大きな板を用意しろ、と。 その板はどうするのですか。 そう、そこに幻を書くのです。 神様から頂ける幻、メッセージです。 その大きな板に書けと神様は言われています。 何と書かれるのでしょうか。 小学生がいるので分かりやすく言いましょう。 「神様は終わりの時、救いの時を定めているよ。 その時は、必ず来る、遅れることはない。 だから待っていなさい。 失望しないようにしなさい。 これらのことは必ず起こる。 だから忍耐していなさい。 この神のことばに信頼するならば、大丈夫だ、生きることができる」 この言葉を大きな板を用意して書きなさい。 書いてみんなに読めるようにしろ、と言われたのです。 「終わりの時」とは、神が定めた救いの時のことです。 神はイスラエルの民の救いを計画している。 それはずっと昔からの神様の約束でした。 でも、今イスラエルの民たちは滅ぼされようとしている。 神様が約束してくださったのに、なんでこんな目に合わなくてはいけないのか。 そうみんな思っていたのです。 でも、神様は言われるのです。 「神は終わりの時、救いの時を定めている。 その時は、必ず来る、遅れることはない。 だから待っていなさい。 失望しないようにしなさい。 これらのことは必ず起こるのだから。 救いの時、当時の人の待ち望んでいた時には何が起きるのでしょうか。 彼らは何を待ち望んでいたのでしょうか。 救い主の誕生です。 自分たちがこんなにも苦しんでいる。 この苦しみから救ってくれる方、救い主、自分たちの王を待ち望んでいたのです。 イスラエルの民たちは、それまで神様のことを考えない時代もありました。 自分勝手にしたいことをして、神様から離れていた、そんなときもたくさんありました。 そして、周りの状況はだんだんと悪くなっていく。 でも、彼らはそんな時に指折り数えて待っていたのです。 救い主を待っていたのです。 今日来るのだろうか、明日来るのだろうか。 私たちは、イスラエルの民たちは、そんな苦難にあって当然ではないか、蒔いたものを刈り取っているだけではないか。 そう考えて今います。 でも、神様は言われるのです。 私は約束したのだ、と。 だから、その時を、その約束の時を忍耐して待て、と言われるのです。 この言葉に信頼するならば、その人は生きるのだと言われたのです。 これは今から2600年くらい前の出来事です。 忍耐して待て。 そう言われて救い主がお生まれになったのは、今から約2000年前。 ハバククの時代の人たちが救い主を目にすることはできませんでした。 しかし、苦難の中、救い主を待ち望む思いは引き継がれていったのです。 この季節はそのことに最も注目が集まる時です。 そして、まさにそれを現在体験する期間、これがこの待降節なのです。 待降節、アドベントとは、主イエスのご降誕を待つ季節、救い主の誕生に向かって心の備えをする準備の時期です。 教会のカレンダーを持っている教会では、クリスマスから 4週間前からこれを行います。 例えばアドベントカレンダーで一日一日待ちつつ過ごすのです。 子供たちのためには、 1日 1日、クリスマスの近づくのを、カレンダーで確認します。 もういくつ寝るとお正月。 日本で正月を迎えるために準備するのと同じです。 ある教会ではアドベントクランツを飾ります。 週毎にローソクに一本づつ火を灯していきます。 4本灯された時にクリスマスが来るようにするのです。 その間に、教会でも、家庭でも、個人でも、神様がおいでになる時を考え、クリスマスの心備えをしていくのです。 でも、これは2600年前の時代だけのことなのでしょうか。 約2000年前にイエス様がやって来るまでしかなかったのでしょうか。 イエス様がおいでになってから後、それはなくなったのでしょうか。 違います。 今もまた私たちは同じように、救い主を待ち望んでいるからです。 いや、むしろハバククの待ち方は、今の私たちに近いものがあると言えるのです。 ハバククには「終わりはもう定められている」と神様は言っています。 そして、その時に向かって歴史は急いでいる。 流れているというのです。 でも、今、クリスマスを待つ人々と違うことがあるのです。 この救い主はいつ来るか、それが分かっていないのです。 はっきりした時が分かっていないのです。 そうクリスマスは12月の24日が来れば、やって来るのです。 アドベントカレンダーが、アドベントクランツをなぜ飾れるか、なぜそれができるか、というと、それはいつ来るか分かっているからです。 今から24日後にクリスマスはやって来ることが分かっているからです。 でも神様は言われます。 「たとえ遅くなっても、待っておれ」と。 ハバククの語る「定められた時」「終わりの時」とは、メシア・キリストの到来です。 救いの時が来るという確かな約束が与えられ語られながら、いつなのかを示されない中待ち望まなくてはいけなかったのです。 それは、私たちアドベンチストが、イエス様の再臨を待ち望んでいるのと同じなのです。 私たちの今の状況と同じなのです。 イエス様のご再臨があるという、確かな約束があり、それを語りながら、それがいつかを示されていない状況。 神様は言われます。 「それは終わりの時に向かって急ぐ。 人を欺くことはない。 たとえ、遅くなっても、待っておれ。 それは必ず来る、遅れることはない。 しかし、神に従う人は信仰によって生きる。 」 そう、「たとえ遅くなっても、待っていないさい」と言われているのです。 私たちは知っています。 ハバククに言われた神様は、その約束を守って下さったことを。 確かに神様はその約束は守られたのです。 2600年前の約束は、ハバククの時代には成し遂げられなかったけれども、神の御子は人となり、十字架で贖いをしてくださいました。 それを私たちは知っているのです。 そして、私たちはこの救いの時の後にいて、もうすでに私たちは救われているのです。 そう、私たちは神様の約束は必ず守られるということを知っているのです。 ここで、この時に思い浮かべてほしい一人の人がいます。 アブラハムです。 神様はアブラハムを選んで1つの約束を与えられました。 子孫の約束です。 アブラハムから多くの子孫が出て、全ての国民の祝福の基となるという約束です。 どんなに人の罪が深くなっても、世の人を救う神の愛が、このアブラハムに与えた誓いという形で示されたのです。 ところがアブラハムは、この約束の実現を見ることは出来ませんでした。 何十年も待ち続けてやっとイサクが与えられましたが、多くの子孫も救い主も見ることは出来ませんでした。 自分の目で神の誓いの実現を見ることの出来なかったアブラハムは、その希望を次の世代に託します。 次の世代はまた次の世代に託します。 そのようにして、アブラハムから始まってヨセフまで1800年の年月が流れることになりました。 これは旧約の人々すべてにつながったのです。 こうして、旧約の人々は、旧約の全ての民は「待ち続けた民」なのです。 旧約を貫いているのは「待つ」ことでした。 同じことが、新約の民にも言えます。 私たちも待つ民、待ち望む民です。 救い主は現れましたが、救いの完成は、終わりの時を待たねばなりません。 旧約の民と同じように、新約の民も「待つ民」なのです。 そう言う意味でハバククの預言はまだ完全には成就してはいません。 私たちは神の子ですが、神の子としてのすばらしさ、その果実を味わうのは終わりの時です。 私たちはこの世界に使命を持って送り出されていますが、その働きが報いられるのは終わりの時です。 キリスト者は、やがて来る終わりの時を待つのです。 待つ民として、この世界はハバククの生きた時代と同じです。 ニュースを見て下さい。 連日様々なことが起きています。 テロが起こり、報復が連鎖して恐怖が世界を覆っています。 これから日本は、世界はどうなっていくのでしょうか。 人の心はささくれ立ち、憎しみが増大している。 そんな時代であっても、クリスチャンは、この時代の中で、希望をもって終わりの時を待つ者とされているのです。 この意味では、信仰とはこの世界の中で「待つこと」なのです。 私たちの日常生活を見ても「待つことは」大きな意味を持っています。 親は生まれた子が成長し成人する日を待ち望みます。 命の成熟・成長のためには待たねばなりません。 あせったり無理をしたら、その命はゆがみます。 時をかけて待たねばいけません。 同じように、私たちの礼拝には小学生がたくさん出席してくれています。 私たちは、彼らの信仰の成長を望み待っています。 神様はきっとこの素晴らしい子供たちを成長させてくださる。 信仰のいのちも同じです。 ここにまだ神様を受け入れていない方々がいます。 しかし、神様はその方々の心に小さな種を植えて下さいました。 その種が芽生えて成長し、やがて主に従っていく者となることを私たちは祈って待たなくてはいけません。 同じように、私たちも信仰者として成長することができますが、それには時が必要なのです。 教会もそうでしょう。 完全な教会はありません。 いつもどこかが成長しているからです。 私たちの教会も、もっともっと成長することができるはずです。 でもそのためには時間が必要なのかもしれません。 私たちが神の言葉に信頼して待つことが、信仰そのもので、この信仰によって人は生きるのだと、ハバククは私たちに語るのです。 神の約束の言葉を信じて従う者はその信仰によって生きる。 今は待つとき、私たちは待つ民なのです。 どんな時でも、この神の約束の言葉に信頼して、何よりもキリストが再び来られる時を待つ者として生きていきたいと思います。 忙しい季節ですが、しっかりと焦らず一歩一歩歩んで行きたいと思います。

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