君 に 伝え たい こと が ずっと あっ て。 もう君が逝ったことは気づいてるんだ... ヨルシカ「言って」の歌詞の意味を徹底解釈

山猿、大ヒットを記録する楽曲『名前の無い歌』に込めた思い、そして今伝えたいこととは?|E

君 に 伝え たい こと が ずっと あっ て

この上なく秀逸なタイトル 書店で本を選び、いわゆる表紙買いをする際に貴方は何を重視するだろうか。 表紙の絵や作者名、出版社など、様々な基準があるだろうが、わたしはその中でも、作品のタイトルというものが持つ意味は非常に大きいと思う。 良いタイトルをつけることは、ある意味では作品を書くこと自体よりも難しい。 良いタイトルとは、簡潔で分かりやすく、それでいて興味を引くインパクトのあるようなものでなければならないだろう。 そしてその点で言えば、本書のタイトルは近年稀に見るほど秀逸なタイトルである。 あらかじめ念のため言っておくが、本書はそのタイトルの字面から想像するようなスプラッターなお話ではない。 それどころか、むしろこれ以上なくピュアな青春物語である。 そしてこのタイトルの秀逸さは、それがただのインパクトだけでつけられたものでは決してないということでもある。 確かに初めは身構えてしまうかもしれないが、物語を最後まで読み終えた後には、本書のタイトルはこれ以外にはありえないと、そんなことを思うはずだ。 スポンサーリンク 衝撃のデビュー作 『君の膵臓をたべたい』は青春小説である。 本書は、根暗で人付き合いを避けて過ごす高校生の主人公[僕]が、病院で拾った1冊の文庫本をきっかけに、余命幾ばくもないクラスメイト、山内桜良と出会う物語。 つまりは、ボーイミーツガール小説である。 桜良がその命を終えるまでのごく短い期間、二人が過ごした日常の記録である。 病弱な少女との交流と書くと、どこか暗く悲しみがただよう、重々しい物語を想像してしまうかもしれないが、本書は決してそのようなお話ではない。 驚くべきことに、むしろその全体に漂うのは青春らしい甘酸っぱさや、爽やかさなのだ。 死というテーマを真摯に扱いながらも、雰囲気を重くさせすぎず読ませることが出来る、作者の筆力の高さには目を見張るものがある。 作者は本書がデビュー作らしいが、俄かには信じられない安定感がある。 そのひとつの理由は、テンポよく物語が進行することだろう。 本書の魅力のうち大きな比重を占めるものに、[僕]と桜良の掛け合いがある。 『狼と香辛料』におけるロレンスとホロを髣髴とさせるような軽妙な言葉の応酬は、読んでいて思わずニヤリとする場面も多い。 そしてもうひとつは、桜良が病弱少女とは正反対な天真爛漫なキャラクターとして描かれていることだ。 初めはライトノベルとして刊行される予定だったという本書は、確かにキャラクター小説としても十二分に楽しめるものである。 常に明るく社交的でその感情豊かに表情を変化させる。 桜良は非常に魅力的で、愛すべきキャラクターであろう。 そんな桜良の姿を、本当にそこに存在するかのように活き活きと描き出す。 そして、だからこそ、そんな少女との別れは否応無しにわたしたち読者の涙を誘うのだろう。 他人と関わり、生きるということ 本書は紛れもなく感動小説である。 だがこの物語は決して、仲良くなった女の子と死に別れて哀しい、というだけの話ではない。 本書が本当に伝えたかったことは、人と関わるとはなにかということ。 それはつまり、生きるとはなにか、ということでもある。 人付き合いを避けずっと一人で過ごしてきた[僕]が、桜良に振り回される中で見つけたものこそが、作者が真に伝えたかったものだろう。 それは普遍的で誰もが抱えたことのある想い。 だからこそ本書は、一級の青春小説なのだ。 生きることとは、他人の中に影響を残すことだと、以前投稿した「女の子が死ぬ話」の記事の中にも書いた。 リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子を引用するまでもなく、ひとは生きた証を他人の中に残そうとする。 ミームと呼ばれるそれらは、他人との関わりあいの中にしか存在を許されない。 この物語は、桜良が生きた証を残し、[僕]に伝えようとしたお話だ。 わたしもきっと、誰かに伝わることを祈りながら、この記事を書いているのだろう。 余談になるが、本書の作者は、小説投稿サイト「小説家になろう」出身なのだそうだ。 なろうと言えば、チートハーレムMMO転生ものしか無いのだと勝手に考えていたのだが、そうではない現代小説でも正しく評価されるものがあるのだと知れたことも、本書を読んだ大きな収穫のひとつでもあった。

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「やめたいと思わなかったことがない」東京喰種・石田スイと盟友・高橋國光が語る創作と葛藤

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劇場版アニメ「ペンギン・ハイウェイ」などで知られるスタジオコロリドが手がける最新作「泣きたい私は猫をかぶる」(泣き猫)が、動画配信サービス「Netflix(ネットフリックス)」で配信中だ。 「おジャ魔女どれみ」などの佐藤順一さん、「千と千尋の神隠し」などに参加してきた柴山智隆さんがダブル監督としてタッグを組み、柴山さんは今作が長編アニメ監督デビューとなった。 ファンタジーな世界観で、思春期の中学生の悩みや葛藤も描き出す本作。 子供たちに伝えたいメッセージとは……。 佐藤監督、柴山監督に聞いた。 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 」などの岡田麿里さんが脚本を手がけた。 女優の志田未来さんがヒロインで中学2年生のムゲ、花江夏樹さんが日之出をそれぞれ演じた。 ムゲが仮面をかぶって新しい自分になり、できないことをするというギミックなのですが、実はムゲは普段から学校や家で日常を荒らさないようにずっと仮面をかぶっているんです。 ムゲが薫に気を使って生活しているような描写もあります。 佐藤監督 ムゲは、仮面を付けて猫になった時に一番自分らしい行動をしているんです。 何の遠慮もなくしゃべったり、学校では素っ気ない態度を取られる日之出にも甘えたいように甘える。 逆転の構図なんです。 今の中学生も小学生も、それぞれの日常の中で波風を立てないようにいい感じに自分を演じることが上手で、とくに問題がなければ違和感も感じないぐらい自然に仮面を付けている。 ただ、例えば恋をした時や自分の進む道を見つけた時など、波風が立った時にどうしていいか分からないぐらい混乱してしまうということが結構あるのではないか。 この物語の軸としては、日常の中で普通に仮面をかぶっている人たちが、もう一度自分がいる場所を見直した時に、そこに当たり前にいた人、当たり前にあった空間が思っていたよりもすてきだったりするかもしれない、と気付くきっかけになればいいなと考えました。 柴山監督 やはり仮面をかぶっていると、ほとんどの人が本当の自分を出してはいないと思います。 その仮面を外して自分を出すことで、大切に思ってくれている人がいることに気付くことができるかもしれない。 そんなきっかけになるといいなと思いながら作っていました。 佐藤監督 シナリオを作っている時は、ターゲットとしては若い人を想定していました。 ムゲと離れて暮らしている実の母の美紀さんや父親、薫さんという大人たちのバックボーンやそれぞれの事情は、想像を膨らませるところまではいかないというか、身勝手な大人たちとして描かれていると思います。 ただ、絵コンテをやる段階になって、例えば薫さんであれば、「もしかしたらこの人も母親に捨てられた経験があったりするのかな」と想像していくことによって、ちょっと許せたり、「大人たちだっていろいろあるよね」という思いになったり、そうした角度の目線が入るようにしました。 柴山監督 「泣き猫」は中学生のドラマですが、大人に対しても他人と自分以外の人との距離感というか、普遍的なものを描いているので、大人たちにも受け入れていただけるものになるのではないかと考えながら制作していました。 脚本の魅力は? 柴山監督 僕は以前、岡田さんが脚本を担当された「心が叫びたがってるんだ。 」に参加したことがあるのですが、その時からせりふが素晴らしくて、登場人物が心情を吐露するシーンは特に生っぽい存在感がありました。 今回の「泣き猫」でも同じような印象を受けました。 本当に魅力的で、読む人を刺激するような文章だと思います。 佐藤監督 岡田さんの脚本は、人物描写がどろどろしていると言われている気がしていたのですが、実際出来上がった作品や、今回のシナリオを見ても、すごく登場人物がピュアなんですよね。 裏表があったとして、ピュアだからこそ出る裏表だったり、本心は常に表に出ている。 それは特に若者や、主人公周りを描く時に如実に表れる。 その代わり、大人たち、親たちを描く時に少し突き放していて。 大人たちが身勝手なもの、子供たちの行く先を妨害する存在として描かれていることが多いなと思っていました。 今回のシナリオもすごくピュアな中学生を描く半面、大人たちは身勝手に描かれていた。 これは岡田麿里さんの中学生時代の風景なのかなという気がしてきました。 そう考えると、大人たちにもそれなりに人間らしいだめさを持っていたり、身勝手なのもピュアさゆえの身勝手さがあるんじゃないかと。 そうした大人たちの部分は、絵コンテで僕がプラスアルファしました。 岡田さんのシナリオの段階で、ムゲが家や学校では自分の居場所を守るために仮面をかぶっていて、お面を付けて猫になった時に一番自分を出すというのは、すごくピュアな構図で描かれていたんです。 そこは、岡田さんが描く人物の魅力だと思います。 それにプラスして、少女・岡田麿里の目線を少し彩りたいなという思いがありました。 絵コンテに関しては、僕はファンタジー世界の絵的なイメージ、ビジュアルを広げるのはとても苦手で、あまり引き出しがないんですよ(笑い)。 そういうところは柴山監督にお願いして、「面白い世界観ない?」とお願いしてやっていました。 柴山監督 僕はそのあたりは面白がっていて、若干無責任なレベルで「こういうのはどうですか?」と。 ドラマのほうも面白く膨らむといいなと思って提案していました。 今回、佐藤監督と一緒に作業して、勉強になるところがいっぱいありました。 本読みの段階から、「何を大事にするか」をぶれずに拾ってまとめていくんです。 あとは、絵コンテが本当に素晴らしい。 ムゲは無限大謎人間といわれるぐらい自由奔放なところがあるので、見ている人に嫌われないようにしなければと思っていたのですが、佐藤監督から冒頭のコンテが上がってきた時に本当に魅力的に描かれていました。 ムゲがその行動を取ることには意味があるという部分も描かれていた。 コンテでの気付きがとても多かったです。 コロリドのテイストはどんなものだろうというところからアプローチを始めました。 柴山監督 コロリドはまだ若いスタッフの方が多く、とてもエネルギーがあり熱量の高いものを持ってきてくれるので、そこをちょっとコントロールしてあげると本当にいいものになる。 みずみずしい部分は生かしつつ、佐藤監督や僕のほうでも繊細な芝居付けをしていったことが、この作品ではうまくいっているのではないかと思います。 「ペンギン・ハイウェイ」の石田祐康監督や、キャラクターデザインを担当された新井陽次郎さんにも参加していただいて、スタジオをあげての総力戦という感じで、みんなで作ったという思いが強いです。 学校の教室でたくさんの生徒たちがどたばたとやり取りをするシーンがあるのですが、ムゲなどメインキャラクターを見ている他の生徒たちがとても生き生きと描かれています。 現場的には、なかなかそこにカロリーをさけない事情もあるのですが、担当の原画さんがそのシーンの重要性を組んで、丁寧に芝居をつけてくれました。 そうしたフィルムの厚みも画面から感じていただけるのではないかと思っています。 佐藤監督と柴山監督がタッグを組み、岡田さんの脚本、スタジオコロリドのエネルギーあふれる映像で描く「泣き猫」。 その世界観をじっくりと味わいたい。

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君が気になってしまうよ

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こんばんは、久々にブログを更新します。 と、いうのも。 今日はプレゼンしたいことがあって筆を取りました。 何を隠そう、私の最初で最後の自担であると私の生涯の推しであるの親和性を皆さんに伝えたい。 私は常々、「にどっぷりな人はにもずぶずぶハマるよ」って言ってるんだよね。 10代前半で芸能界入りしたという共通点を持つ2人。 お茶の間に初めて姿を現した彼ら彼女らは、どちらかというと元気いっぱいでひょうきんなキャターだった。 それが年々雲行きの怪しい方へと流れていき、前髪でカメラから視線を隠すようになる。 向こうからは見えているけれど、こちらからは覗き見ることができない表情。 アイドルはキラキラしたものでなくてはいけない、という暗黙の了解を真正面からブチ破っていくその姿勢。 というのは「笑わないアイドル」と言われているぐらいにはクールで一風変わったパフォーマンスをするのだけれど、その中でもは群を抜いている。 彼女は今、18歳。 剛さんが最もパニックに苦しんだのと同世代ということになる。 少し前の画像になるが、下の画像を見てほしい。 言いたいことが分かるかな。 そう、2人とも全く同じ瞳をするの。 今では不動のセンターとされるにも、選抜発表で涙ながらに意気込みを語る…という時代があった。 身内からも世間からも期待される重圧は私にはとてもじゃないけど計り知れない。 実際、が彼女に宛名書きした楽曲は鬱々として重たく、それは最早、儚さとは形容できない鋭い歌詞の連続ばかり。 そんな。 数年前にはで声が出なくなったり、パニックのきらいが見られたりとオタクの中では何かと彼女の機嫌を伺ってしまう習慣がついてしまった。 さて、はどうだろう。 1番いまの彼女と重なるのはFコンだろうか。 もしくは初のソロコンかな。 オタク的にもしんどかったコンサート。 それでも彼の歩みから目をそらすことなんて、出来なかった。 パニックを拗らせ「死にたい」の域にまで達していたは、今では音楽という救いを見つけ、心から気を許せる仲間と出会えた。 とても喜ばしい。 本当に。 今ではテレビの前でも緩いを展開し、弾けるような笑顔を見せてくれることも多い。 けれどは違う。 久方ぶりに冠バラエティに姿を現したかと思えば、ひな壇の端の方で控えめにリアクションを取るだけ。 これは、自分が普段センターで目立っているから、では他の人を立たせるという彼女の心遣いからきている。 元来の性格でが苦手というのも勿論あるのだろうけれど。 どちらかといえば彼女は進んで人前に出るタイプではない。 その日によってパフォーマンスにムラがある事、音楽番組やライブへの突然の不参加、そして不貞腐れてるとも取れるような態度から、敵が多い彼女。 でもに対する愛情は人一倍強い。 初期の頃のインタビューやブログ、フロント入れ替え制度などを見てもらえれば顕著にその愛が現れているのでよくわかると思う。 それはのメンバーもよく理解している事。 …だと願いたい。 この辺は願望。 だから彼女のピンチの時には代理センターを立て、みんなで力を合わせてその場を切り抜ける…というカタチを最近は取っている。 そして、代理センターを務めた面々が必ず口を揃えてこう語る。 「が背負っている重圧が感じられた」と。 「真ん中に立つことの重要さを理解できた」と。 時には涙しながら。 敵の多さ、という話で言えばの粘着質なアンチはスルーできない。 解散祈願、を常に願っている連中は度々過去の話題を引用しては彼を叩き、最近の決まり文句は「病気ならやめちまえ」に限る。 この辺の話は意図してシャットアウトしてい為、細々書きたくないので省略するが、つい先日の「今日は一日三昧」で明らかになったセトリ決めの話だけでも、2人の絆は確認できる。 が耳を患っても音楽をやめなかったのは、彼がそういう人種だからなのだと解釈している。 でも、グループ活動を続けているのは?「物足りないものになるかもしれません」と最初に注釈を入れておきながらもコンサートに臨むのは…?それはを愛しているからなのではないだろうか。 がを愛するように、もを愛している。 どれだけたくさんの心無い言葉を投げかけられ、幾度となく傷つきながらも。 身体を壊し、心を壊し、それでもステージに立つ。 その背中を見て、或いは隣に立って、もげそうに…もがれそうになる羽根を守る存在がいる。 時に「解散説については触れなくていいんですか?」等のぶっ込み発言をして、誤解されやすく、自分を殺しやすい彼ら彼女らの"悪意からの避雷針"を担う人物が側にいる。 には21人、ないし26人の戦友が。 にはというかけがえのないパートナーが。 芸能界に向いていないと自覚しながらも、そこで煌めいてくれる2人の生き様は生々しく、時に泥臭く、それでも唯一無二の輝きがある。 それはそれは私を惹きつけて止まない、脳みその中では整理がつかないほどの魅力がある。 平手はまだ18歳。 人生において1番多感で、情緒が安定しない年頃。 2人をどうしようもなく愛して、追っかけている私は、2人の会合がどこかで果たされればいいのにな…と思っている。 同じ職業で、きっと同じ悩みを抱えてきたであろう剛さんに、平手の心の奥底に秘めている悩みを1度聞いてあげてほしい。 感受性の豊かさが足枷となっている現状を打開するアドをしてあげてほしい。 これはオタクとしての私の夢でもあります。 少し話が逸れました。 それで?結局何が言いたかったの?と言うと、やはり最初に述べたことを繰り返すことになる。 「にどっぷりな人はにもずぶずぶハマるよ」 大型音楽番組ラッシュが始まる師走。 もしもふと、がパフォーマンスをしている姿を見かけたら、この記事を思い出して欲しい。 mukusebayork.

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