とり おのれ。 漢字の部首の種類と部首一覧表《読み方付》|つくり・かんむり・へん・あし など

『玉勝間』抄

とり おのれ

スポンサーリンク もともと土性は頑固な質を兼ね備えています。 春に向けて着実に時を重ねる畑のように、どんなに時間がかかっても自己の目標に向けて一歩ずつ努力をすることを惜しみません。 人の力に頼らずに、自らの信念に忠実に現実を積み上げようとしていきますが、実際には一人では成功することが難しい干支でもあります。 というのも、畑というのは作物が植えられて初めて畑としての役割を果たすのです。 自分のためだけに才能を使おうとすると、いずれ道に迷うことになるかもしれません。 ですので、これを回避するためにも、是非、「人のためになることをする」ということについて、特によく考えてみてください。 これは簡単なようでいて、案外バランスが大切な問題となるはずです。 あなたはもともと、社交性の高い人です。 特に、会食などの席ではキラキラと輝く存在になるはずです。 人とのつながりについて自分なりに考えて、マイペースに日々を積み重ねていってくださいね。 とにかく、物事の追求に長い時間をかけることです。 何といってもあなたには、天性の開拓精神が宿っているのですから。 関連記事(一部広告含む):• カテゴリー!投稿順に記事を読む• 785• 100• 272• 101• 228• 121• 606• 169• 165• 216•

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戦国の世から泰平の世へ

とり おのれ

自彊舎 // 自彊舎 元塚交差点近くの共栄橋の北側に元塚橋があり、元塚橋より尻無川の東岸に「社団法人 自彊舎記念館」の看板が見える。 自彊舎(じきょうしゃ)とは、大正15年(1926 に別子鉱業所支配人に就任した鷲尾勘解治がつくった私塾の名前である。 自彊舎の名前は、住友家第3代総理事となった鈴木馬左也によって命名されたもので、 易経 乾為天 「 天行健 君子以 自彊不息」 (天行健なり。 君子を以て 自ら彊(つよ)めて息(やす)まず。 君子はかかる健全なる天の運行に則とり、 おのれを修め、人と交わり、学問に励み職責を完うして、怠るところあってはならない。 あたかも天行の健なるがごとし。 鷲尾勘解治は、明治40年(1907)別子鉱業所に入社後、大正元年(1912)に、別子山村風呂屋谷で自彊舎を開設して、坑夫従業員の訓育教化の場とした。 その後、採鉱本部の移転に伴い、大正5年(1916)に東平、大正15年(1926)には川口新田に移転された。 鷲尾勘解治は、昭和8年住友本社常務理事を最後に退社したが、自彊舎での教育活動は昭和20年(1945 まで続いたという。 川口新田の自彊舎は、その後も寄宿舎や寮として使われていたが、昭和38年(1963)に閉鎖された。 鷲尾勘解治は住友を退社後も、鷲尾を慕う新居浜の人々から呼ばれて晩年を新居浜で過ごした。 「自彊舎記念館」は、晩年の鷲尾勘解治の活動の拠点であったのだろう。 中には鷲尾勘解治の使った書斎が残されているという。 「自彊舎記念館」は普段は閉鎖されているが、毎月13日には鷲尾勘解治の教えを引き継ぐ益友会による講話が行われている。

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恵みのひとしずく » Blog Archive » 最上のわざ

とり おのれ

最上のわざ この世の最上のわざは何? 楽しい心で年をとり、 働きたいけれども休み、 しゃべりたいけれども黙り、 失望しそうなときに希望し、 従順に、平静に、おのれの十字架をになう。 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、 人のために働くよりも、 謙虚に人の世話になり、 弱って、もはや人のために役立たずとも、 親切で柔和であること。 老いの重荷は神の賜物、 古びた心に、これで最後のみがきをかける。 まことのふるさとへ行くために。 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、 真にえらい仕事。 こうして何も出来なくなれば、 それを謙虚に承諾するのだ。 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。 それは祈りだ。 手は何もできない。 けれども最後まで合掌できる。 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。 すべてをなし終えたら、 臨終の床に神の声をきくだろう。 「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。 ヘルマン・ホイベルス「人生の秋に」(春秋社)より.

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