イエス キリスト。 末日聖徒イエス・キリスト教会

イエスとキリストの違いとは?なるほど!なっとく!2つの違い

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イエスの洗礼(イエスのせんれい)とはのにあらわれるの生涯のエピソードのひとつで、においてからを受けた出来事。 キリスト教の洗礼の儀式のもととなった『』と『』ではイエスの幼年時代の記述が異なり、『』に至ってはイエスの幼年時代についての記事を一切省いているが、これらのはどれもイエスの洗礼に関しては同じような内容の並行記事となっている。 マタイもルカもイエスの幼年時代の記述からいきなりイエスの洗礼に話が飛んでいる。 ルカによればイエスが洗礼を受けたのは30歳のころだったという。 共観福音書でイエスの洗礼の記述はどれも同じような組み立てになっている。 初めに洗礼者ヨハネが紹介され、彼の言葉と洗礼の儀式について述べられる。 次にイエスがヨルダン川にやってきて洗礼を受ける。 そのあと天がひらけてイエスこそ自分の子であるという神の声が聞こえる。 これがイエスの公生活の始まりとされている。 共観福音書であっても細かい異同はあるが、ほとんどのキリスト教派においてイエスの生涯における重要な出来事のひとつとみなされている。 で唱えられるの祈りのうち、光の神秘のひとつがこの「イエスの洗礼」になっている。 工房『』(1475年) 福音書によればイエスはヨルダン川でヨハネと会ったとされる。 イエスの洗礼の場所とされてきた区域のひとつは、アレンビー渓谷の南、カシール・アル・ヤフドとよばれるヨルダン川の西岸である。 現代ではここにの修道院があるが、の軍事監視区域となっており、一般人の立ち入りが制限されている。 だが、イエスにゆかりのあるヨルダン川で洗礼を受けたいという人々が多く集まるため、一部に開放区域が設けられている。 同じ区域のヨルダン川東岸も古代よりキリスト教徒たちに尊重されてきた。 ヨルダン政府観光局は東岸こそイエスの洗礼の場所であると宣伝しており、実際に東岸の遺跡はイエスの洗礼の地として2015年にリストに登録された。 ヨハネの非難 [ ] ルカ福音ではイエスは群集の一人としてヨハネのところへ赴き、洗礼を受けている。 マタイ福音ではイエスの洗礼の場面ではイエスとヨハネ以外の登場人物はあらわれない。 ルカとマタイではヨハネはファリサイ派とサドカイ派批判ととれる言葉をもって登場する。 この批判はルカとマタイに固有のもので、二つが参照したと考えられるマルコ福音にはそのような批判は見られない。 マタイとルカでは、ヨハネは登場するや集まった人々を「まむしの子ら」と非難し、改心を求める。 マルコにこのような箇所がないことから、このヨハネの言葉はに由来していると考えられている。 ただ、マタイとルカでも違いはあり、ルカではヨハネが人々全体に非難の言葉を向けるが、マタイはやに限定している。 ある学者たちによれば、ヨハネに近づいたファリサイ派の人々というのは決してヨハネに心酔したからではなく、自分たちの権威を脅かすものと警戒し、調査しようとしたためヨハネに非難されたという。 歴史的にみればこの時期にファリサイ派とサドカイ派が共同してあらわれるというのは考えにくい、というのは神殿崩壊前の時期、両派はユダヤ人の中での主導権を握ろうと激しく対立していたからである。 なぜマタイはヨハネの非難を特定の人に向けたのだろうか。 エドゥアルド・シュバイツァー(Eduard Schweizer)はマタイがルカと違ってユダヤ人を読者として想定したため、ユダヤ人全体を批判するような記述を避けたかったのではないかと考えた。 そこでマタイ福音書の成立時にキリスト教徒と激しく対立したファリサイ派にその矛先を向けさせたというのである。 もちろんすべての学者がこの考え方に同意しているわけではなく、単に「ファリサイ派とサドカイ派」という言い方でユダヤ人を総称しただけという見方もある。 「まむしの子」という言い方はおそらく(3:14)に由来すると思われる当時の悪口の定型句であった。 「まむしの子」という言い方で相手を罵倒する表現は、ここから生まれ、が『』で用いているし、の書いた『カタリナ』にも用例が見られる。 イエスの受けた洗礼 [ ] ルカの中ではイエスは単に群集の一人としてヨハネのもとにいき、ヨハネかあるいはその代理の人から洗礼を受ける。 マタイとマルコではイエスはヨハネのもとに直接おもむき、ヨハネ本人から洗礼を受ける。 マタイ福音書ではヨハネに対してイエスが語る言葉がイエスの最初の言葉になる。 伝統的にマタイは新約聖書冒頭に置かれていたため、このイエスの言葉が新約聖書で最初のイエスの言葉となってきた。 このことから聖書学者たちはこのイエスの「第一声」を重要なものとみなし、熱心に研究してきた。 マタイの中で、イエスは「ヨハネから洗礼を受けるのが正しいこと」だという。 これはなぜイエスがわざわざ洗礼を受ける必要があったのかということを説明するために後から付加された言葉だと考えられている。 「正しいこと」というのはマタイの中では重要な概念であり、「神に従うこと」と同義である。 マタイは同時に予言が「成就した」という言い方をするが、イエスが正しいことを行うことこそが神の意思の成就であるという位置づけをしているといえる。 またヨハネが罪のきよめのしるしとして行っていた洗礼をなぜ罪のないイエスが受けたのかという疑問に対しては伝統的に次のような答えが与えられてきた。 第一はイエスが、人間にとって洗礼がいかに大切なものであるかを示すために受けたというもの。 第二はイエスは全人類の罪をあがなうという大きなプロセスの一部として洗礼を受けたというもの。 それ以外にもキリスト理解の差によってさまざまなキリスト教派において異なる捉え方がされている。 マルコやルカと異なり、マタイはイエスがすぐに水からあがったことを強調する。 ロバート・ガンドリー(Robert H. Gundry)は著作の中で、ヨハネの洗礼ではそのあと、川の中で罪の告白をするという流れになっていたが、イエスは罪を犯していないため、すぐに川からあがったということが強調されているのだと解説している。 キリスト教のほとんどの教派ではイエスの洗礼が大切な出来事としてとらえられているが、イエスの洗礼になんら意味を認めないグループもある。 たとえば中世のでは洗礼者ヨハネは悪の手先であったと考え、その洗礼も被造物の穢れをイエスに及ぼそうとする邪悪な試みだったとみなしていた。 このような考え方は珍しいものだが、キリスト教の多くの教派の洗礼の儀式で、ヨハネのように川で行う洗礼のやり方を採用せず、マタイ28章のくだりや『』にあらわれるような洗礼の儀式を形式として用いていることは興味深い。 というのもキリスト教のグループの中にはのようにイエスが受けた洗礼のやり方を忠実に守るべきだと考えるものもあるのだ。 またこのようなグループではイエスが30歳で洗礼を受けた故事から幼児洗礼をも否定している。 神からのあかし [ ] 福音書によれば、イエスが洗礼を受けると天が開いて、神の霊が鳩の形でくだり、イエスが神の愛する子であるという声が聞こえたという。 天が開いて声がするという表現はエゼキエル書の冒頭からとられたものであろう。 古い写本では「天が開けて」という部分が「天が彼に開けて」という表現になっており、心の中の出来事という印象を与える。 もしそのように捉えれば、なぜルカでは居合わせた群集の反応を一切書いていないのかということも説明がつく。 この声は鳩の形でくだる霊とともに新約聖書中においてのシンボルをもっとも明快に示す箇所という見方がされてきた。 しかし学者たちはキリスト教の中でという概念が主流になるのはマタイ福音書が書かれてから数世紀後のことであるという。 ルカでは鳩の形をした霊という表現がはっきり用いられているが、マタイの言い回しはそれよりもあいまいなものである。 福音書の著者たちが鳩というシンボルで何を表そうとしていたのかということは聖書学者たちの研究の対象となってきた。 たとえばハワード・クラーク(Howard W Clarke)は『マタイ福音と読者たち』でが新しい土地を見つけるために鳩を放したことから、これは新生のシンボルではないかと考える。 またオルブライト(W. F Albright)とマン(C. Mann)は著書『マタイ』の中で、において鳩がイスラエルの象徴として用いられていることに注目している。 ギリシャ文化では鳩は清純さの象徴であると同時に愛の神の象徴とされていた。 福音記者が鳩にこめた意味はもはや知りえないが、聖霊を鳩で表現する方法がこの箇所に由来していることは間違いがない。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。

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イエス・キリストの生涯!キリスト教祖の奇跡と復活は実在したのか?

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十字架刑 [ ] 十字架刑はその残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていた最も重い刑罰であった。 前半の30年頃に、当時のユダヤ教のあり方を批判し人々に神の教えを説くなどしていたユダヤ人イエスが処刑されたというのは恐らくは [ ]史実であろう。 キリスト教の教義においては、救い主であるが人類をその罪から救うために、身代わりに磔になったものとされる。 この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。 刑を受ける者は両手首と両足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。 そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。 ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男 は、安息日に死体が十字架にかかっていることを嫌ったユダヤ人たちの依頼 で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。 兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。 イエスの死を確認するため、ある兵士がでイエスのわき腹を突き刺したという記述も福音書に見られる。 イコン [ ] のセオファニスによって16世紀に描かれた、の磔刑とそれを見守る人々が描かれたの。 のスタヴロニキタ所蔵。 のにおいては、足台が描かれる。 これは聖伝において十字架に足台が設けられていたと伝えられている事による。 この事が(ロシア十字)の意匠に反映されている。 関連する伝説 [ ] イエスの脇腹を突き刺した兵士の名はであると伝えられ、その槍はとして有名であるが、いずれも福音書には直接的な記述は無い。 ロンギヌスはイエスの死の確認の際に血が目に入り、が治ったとも伝えられる。 新約聖書外典のニコデモ福音書第16章には下記のように記述されている。 をまぜたをのませられ、ロンギノスという名の兵隊がイエスの脇腹を槍で突きさした。 イエスと共に十字架に磔にされた2人の男の名は、デュスマスとゲスタスと呼ばれる罪人である。 ニコデモ福音書第10章には下記のように記述されている。 一緒に十字架につけられた悪党の一人が悪態をついてイエスに言った、「もしもお前がキリストならば、自分で自分を救い、また俺達を救ってくれればいいだろう。 」デュスマスという名の男の方が相手を叱って言った、「お前は同じ刑を受けていながら、神を恐れることをしないのか。 俺達には当然のことさ。 俺達は自分のやったことにふさわしい罰を受けているのだからな。 しかしこの方は何の悪いこともしておいでではないのだぞ。 」そして言った、「主よ、汝の御国にて私を思い出して下さいますように。 」イエスは彼に言った、「まことにまことに汝に告ぐ、今日汝は我と共に天国にいるであろう。 」 同じ場面の記述が同書第26章にもある。 このように彼らが話していると、そこに、もう一人、肩に十字架を背負った卑しい人が来た。 この人に聖なる父祖達は言った、「あなたは強盗のように見えますが、それに肩に十字架をかついでおいでですが、いったいどなたですか。 」その人が答えるには、「あなた方がおっしゃるように、私は世の中にいた時は強盗、盗人でした。 それでユダヤ人達は私をつかまえ、十字架の死刑に処したのですが、それはちょうど私達の主イエス・キリスト様と同時でした。 主が十字架にかけられ給うた時に、いろいろな奇跡がおこり、それを見て私は信じました。 私はキリスト様に呼びかけて言いました、主よ、あなたが王として支配なさる時、どうぞ私のことをお忘れにならないで下さい、と。 するとすぐに主は返事をして下さり、まことにまことに汝に言う、今日すでに汝は我と共に天国にいるであろう、と言われたのです。 それで私は自分の十字架をかついで天国に来たのですが、そこで大天使ミカエル様にお会いしましたので、申しました。 十字架につけられた私達の主イエス様が私をここにつかわし給うたのです。 ですからエデンの園の門の中に私を入れて下さい、と。 すると 入り口にある 燃えている剣が、十字架の徴を見て、開き、私は入ることができました。 そうして、大天使様が私におっしゃいました、しばらく待っているがよい、人類の始祖であるアダムが義人達と共に来て、彼らもまた中にはいって来るから、と。 というわけで今、あなた方をお見受けしたので、お迎えに参ったところです。 これらのことを聞いて聖者達はみな大声で叫んで言った、「我らの主キリストは偉大なるかな。 その御力は偉大なるかな。 」 杭殺刑 [ ] 杭殺刑 De cruce (1595年) 新約聖書学の一部に、十字架の高さは人の背の高さから少し高い程度に過ぎなかったが、後の時代には、イエスを神と理解する信仰から、十字架刑の残忍性が払拭されるようになり、神の栄光を表すという心情から、高く掲げられるように変わってきた、という説がある。 またであるはキリストの磔刑が「一本の杭()」で行われたと主張している。 彼らが発行した『参照資料付き』の付録において、「苦しみの杭」の根拠として教会の学者(1547-1606年)の著書『デー・クルケ・リブリー・トレース』 を引用しており、その本の複写を掲載している(ただし同書には十字架につけられた人の絵も掲載してあり、p46にて『十字架こそキリストを処刑するのに使われた刑具である』とリプシウスは説明している)。 また大野キリスト教会牧師であり、「JWTC(エホバの証人をキリストへ)」 主宰者のは著書『十字架か、杭か』 において、エホバの証人が論点とする「イエスの時代のギリシャ語『スタウロス』」が「十字架」であったという考古学的証拠が多数発見されており、1~3 世紀のキリスト者の墓地に十字架が刻まれていることが、考古学的発見から明らかになっている 、と述べている。 のはイエスの十字架については「十字型」ではなく「T字型」であったろうとの見解を記し(なお、佐藤はイエスの十字架について「一本の杭」の可能性は全く述べていない)、本来処刑道具であることを示すためにスタウロス(十字架)の訳語として「杭殺刑」「杭殺柱」にしてはどうか、という提言を行なっている。 ユダヤ戦争時の磔刑 [ ] の『』には、第一次のの際、の皇子率いるとの軍が同盟して、に立て篭もるとの子孫とされるの祭司たちをにし、投降してきた人々を磔刑で処刑したことが記されている。 ローマ総督 [ ] 当時ののローマ総督は、イエスを救うために以下のような手を尽くしたと福音書記者は記述している(しかし歴史上の彼は、実際は、ユダヤ人に対して残忍であったとも言われている)。 同時期に死刑を宣告されていたとイエスのどちらかを釈放しようとした。 しかし、民衆はイエスを釈放することを望まなかったので、バラバが放免された。 イエスに十字架を自分で運ばせるなどの手段を使い苦痛を与えるとともに、それは政治犯への見せしめであった。 なお、裁判から磔の実行までは、日没から無酵母パンの祭りが始まるので、できるだけ早く処理された(当時の一日の始まりは日の出ではなく、日没からである)。 芸術・作品 [ ] 『死せるキリスト』 1490年代 () キリストの磔刑は、数多くの美術や文学の主題として選ばれている。 文学では、作家、著の『バラバ』が有名である。 美術では一連の磔刑の出来事は、いくつかのさらに細かい主題に分類されている。 : キリストをはりつけた十字架を起こす場面。 の同名作が名高く、「」にも登場するほど。 磔刑図: 数限りなくあるが、例えばのものがよく知られている。 、: キリストが十字架から降ろされている場面。 十字架を描かない場合もある。 やのものが有名。 絵の中に登場する人物は福音書によってその場にいたと記録されている、、などである。 また福音書の記述に基づき、の「 IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」(ユダヤ人の王、)のである「」と書かれた罪状書きが十字架の上に掲げられている。 また、ゴルゴタの丘がの墓であるという伝承に基づき、これを表すものとして、イエスが架けられた十字架の根本にはしばしばが描かれる。 映画では、『』『』『』『』『』などが、キリストの磔刑を描いている。 2004年2月にアメリカ合衆国で公開(日本では5月に公開)された『』は、極めて凄惨な磔刑の執行場面を描いたことなどで物議を醸した。 脚注 [ ] []• この2人は刑の執行がイエスと同じ日になっただけで、イエスとは無関係な泥棒と言われている。 福音書の記述によれば、刑の執行が行われたのは安息日の前日であった(マタイ27 :62、マルコ15 :42、ルカ23: 50、ヨハネ19: 31)。 律法においては、処刑され、木に掛けられた死体は神に呪われたものであり、必ずその日のうちに埋めねばならない(申命記21 :22-23)、とされていた。 聖書外典偽典6 p206ニコデモ福音書16-7抜粋• 聖書外典偽典6 p190ニコデモ福音書9-5• 聖書外典偽典6 p191ニコデモ福音書10-2• 聖書外典偽典6 p218-219ニコデモ福音書第26章全文• 1-22 ,岩波書店,2005年• 『De cruce libritres』アントワープ,1629年,p19• France, R. 2002. The Gospel of Mark : A commentary on the Greek text 655. Grand Rapids, Mich. ; Carlisle: W. Eerdmans; Paternoster Press•

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イエスとキリストの違いとは?なるほど!なっとく!2つの違い

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キリスト教においては「神の子が人間の姿で現れた存在」であるとされており、これまで多くの人々の信仰の対象になってきました。 画像:Wojciech Gerson 新約聖書の「福音書」にその存在についての記述があり、キリスト教発足のきっかけになった人物であるとされています。 この記事では宗教上の伝承よりも、実在した人間としてのイエス・キリストをメインに記述していきます。 また、キリストという言葉には「真人(救世主)」という意味があるため、キリスト教では彼を「イエス・キリスト」と呼ぶようになったのです。 画像:Cristo Redentor イエス・キリストという名前自体はキリスト教におけるイエスの呼び方であり、宗教観を覗いた歴史上の人物としてのイエスは「ナザレのイエス」と呼ばれています。 ナザレとはイスラエルに位置する都市の名前で、ナザレのイエスには「ナザレ生まれのイエス」という意味がありました。 当時は姓という概念がなく、名前と出身地を名乗るのが一般的だったのです。 これは西洋美術においてイエス・キリストが白人に近い特徴で描かれるためです。 また、海外でも同じようにイエス・キリストを白人と考える人が少なくありません。 画像:icon of Christ しかし、「パウロの手紙」などの書物からイエス・キリストはユダヤ人だったことがわかっています。 つまりイエスは白人ではなく、ヨーロッパ系、イラン系、アラビア系の「コーカソイド」だったのです。 また、国籍という概念ではイエスはイスラエル人でしたが、当時のイスラエルはローマ帝国に支配されている複雑な状況でした。 それでは実在のイエスは一体どのような姿をしていたのでしょうか? 当時の風習から考えてイエス・キリストの髪は短髪で、絵画では長く描かれる髭もずっと短かったと考えられます。 ローマ支配下の国においては髭は剃るのが一般的で、哲学者などの威厳を必要とする人物でも髭を伸ばしてはいませんでした。 画像:Louise De Hem また、顔つきは現在のアラブ人に近かったと考えられており、瞳の色も青ではなかったといわれています。 さらに美術作品でイエス・キリストが必ず身に着けている裾の長い服装も当時は上流階級しか着ることはできませんでした。 引き締まった筋骨隆々の姿も「イエス・キリストは完全な肉体を持つ」という信仰上の概念であり、実際のイエスはもっと貧相な身体をしていたと予想されます。 イエスについて残された文献のほとんどが、信仰上の崇拝対象として記されているからです。 聖書ではイエス・キリストは聖母マリアが処女でありながらその身に宿した「神の子」であるとしています。 画像:Raphael しかし、イエスが実際に存在した人物であれば、そのようなことは生物学上起こり得るはずがありません。 そのためマリアの婚約者でイエスの義父である「ナザレのヨセフ」が彼の父親だったのではないかといわれています。 彼の職業は大工だったと伝承されていますが、王家であるダビデ家の血を引いていたといわれています。 また、新約聖書によればイエス・キリストも王家の血筋であるとされていますが、信仰上の伝承ではイエスは人間の子ではない(ダビデ家の者ではない)という矛盾が生じてしまいます。 画像:Guido Reni ダビデ王は救国の英雄であり、当時の伝承ではダビデの血を引くものからメシア(救世主)が現れるといわれていました。 そのため初期のキリスト教徒たちがイエス・キリストはダビデ家の血筋であるという逸話を創り出したのではないかと考えられています。 余談ですが「マルコの福音書十二章」の中でイエスは、自身は神の子ではなく「人間の子」であると語っています。 また、「メシアがダビデ家の血筋であるはずがない」とも発言しています。 イエスは一度も自分がメシアであるとは言っていないのです。 イエス・キリストに洗礼を与えたとされる洗礼者ヨハネは禁欲生活を推奨し、自身は少量のイナゴを食物にしながら不毛の荒野で生活をしていました。 これに対してイエスは断食を推奨することは無く、文明生活の中で奔放に生活していたのです。 画像:Ivan Kramskoi また、イエスは結婚を否定することはありませんでした。 そのためイエスは禁欲主義者ではなかったのではないかと考えられています。 イエスは12歳にして旧約聖書を理解するほど聡明な人物でしたが、決して模範となる信仰者ではなかった可能性があるのです。 しかし、イエスはヨハネの教えをさらに追及することで、文明人として暮らしながら実践する信仰を生み出したと評価する研究者もいます。 その後、イエスは自身の解釈のもと禁欲主義から抜け出した信仰を下流階級を中心に広めていくことになります。 新約聖書によればイエスは数々の奇跡を起こすことで、自身がメシアであることを証明したというのです。 イエスはたった5つのパンと2匹の魚を増やして5千人に食べさせ、またあるときは水瓶の水を酒に変えてしまいます。 また、病人の治療も行っており、盲者の目を見えるようにしたり、喋れなかった者を話せるようにしたともいわれています。 これらの奇跡はイエスの信者を増やし、彼をメシアたらしめました。 イエス・キリストの奇跡については様々な学者によって研究されており、自然現象を誤って解釈したとする説やイエスに医学の心得があったとする説、初期のキリスト教徒の創作説などが考えられています。 また、イエスは当時社会から隔離されていた障害者や精神病者に対しても平等に接していたため、彼らを治療した結果が奇跡として語られるようになったのではないかともいわれています。 しかし、この短い期間でも彼に共感し、信仰を共にする弟子も数多く存在しました。 その中でも有名なのがイエス・キリストの「12使徒」です。 12使徒はイエスの弟子の中でも特に優れた12人の弟子たちでした。 画像:Leonardo da Vinci 彼らはイエスから悪霊を払うなどの権限を与えられ、イエスと共に宣教活動に傾倒します。 12使徒のほとんどは男性でしたが、唯一1人だけ女性の「マグダラのマリア」も含まれていました。 有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」には、イエスとこの12使徒が描かれています。 また、マグダラのマリアにはイエスの恋人(妻)だったという説も存在しています。 そのためイエス・キリストには子孫がいたのではないかと考える研究者も少なくありません。 このイエスの子孫を題材に「ダ・ヴィンチコード」という映画が作られ、世間を騒がせました。 画像:Jusepe de Ribera マグダラのマリアは「ルカによる福音書」の中に登場する「罪深き女性」と同一視されており、性に奔放であったと解釈されることがあるようです。 そのためマグダラのマリアは娼婦だったと考えられることが多く、娼婦の守護聖人としても扱われています。 西洋美術作品の中でもマグダラのマリアは娼婦として描かれることが多いですが、これはメシアであるイエスの妻として伝承することができなかったからだとする解釈もあります。 イエスの結婚やその子どもについての文献は残されていないため、彼に子孫がいたかどうかを知る術はありません。 しかし、美術作品にはそれを暗示する技法が数多く確認されていることからそれを信じる人は少なくないのです。 そのため、ユダヤ教関係者やそれによって利益を得ていた政府関係者から反逆者と判断されてしまいます。 そして、イエスは国家転覆を狙うテロリストとして十字架刑に処されてしまうのです。 画像:Andrea Mantegna この十字架刑は両手足を十字架に釘で打ち付けることで固定し、被刑者を窒息させるというものでした。 また、刑を終える前には確実に対象を死に至らしめるために胸を槍で刺していたのです。 イエスの逮捕は12使徒のひとり「イスカリオテのユダ」が手引きしたといわれており、現在でも「ユダ」という言葉は裏切りの代名詞になっています。 しかし、新約聖書ではイエスは処刑から3日後に復活して40日間弟子たちと生活し、その後天に昇って行ったと伝承されています。 イエスを実在の人物だと考えるのであれば、このようなことが起こるはずがありません。 処刑の際、イエスの身には一体何が起こっていたのでしょうか? 実は研究者たちはイエスは処刑では死んでおらず、生き延びていた可能性が高いと考えています。 しかし、処刑日がユダヤ教の安息日の前日であったため、安息日に死体を掲げることを嫌った執行人によってイエスの処刑は6時間しか経たずに終了されたのです。 彼らは気絶したイエスを死んだと判断しました。 また、槍による刺突も致命傷にならなかった可能性があります。 「ニコデモ福音書」ではイエスの遺体から血と体液が流れ出ていた旨が記されています。 しかし、遺体からは流血しないため、これがイエスが生きていた証拠なのではないかといわれています。 このように考えるのであれば、イエス復活の奇跡を「処刑で気絶したイエスが3日後に目を覚ましたが、回復せずに40日後に亡くなった」と解釈することができるのです。 そして、その後勃発したユダヤ戦争でユダヤ教のヘブライ派が力を無くすと、信者たちはイエスの教えを地中海全域に広げていきます。 画像:Jesus Christ-detail from Deesis mosaic イエスの教えは誰にとっても平等であり、それまで迫害されていた障害者や精神病者に対しても救いの道を説いていました。 そのため最も人口の多い下流階級の人々に受け入れられ、瞬く間に信者を増やしていったのです。 こうしてイエスは救世主「イエス・キリスト」として崇められるようになりました。 そして、現在も広く信仰される「キリスト教」が誕生したのです。 また、イエスが起こしたとされている奇跡の中には自然現象の誤認や先駆的な医療技術だけでは説明できないものも存在しています。 そのためイエス・キリストは初期のキリスト教関係者が信者を集めるために創り出した「空想の人物」なのではないかという説が存在します。 また、イエス・キリストの伝承が神話の神に類似している点が多いことも、宗教学者がイエス創作説を唱えるきっかけになりました。 画像:pixabay しかし、現在ではイエス・キリストのモデルになったナザレのイエスは実在していたという考え方が一般的です。 ユダヤ教などキリスト教と敵対する宗教地域においても、イエスの存在を認める伝承が存在するからです。 また、実在したとされる人物の記録が残っていないのは、イエスに限った話ではありません。 少なくとも既存の教えを独自に解釈し、当時迫害を受けていた人々にまで信仰を説いた人物は間違いなく存在しているのです。 出典参考: 画像:pixabay いかがでしたか?キリスト教のメシア、イエス・キリストについてご紹介しました。 存在から2000年経過した今も世界中で信仰されるナザレのイエス。 たった一人のイエスという人物が後世に与えた影響は計り知れず、そこに不思議と謎を感じてなりません。 世界にはまだまだロマンが溢れています。

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