あたら夜の月と花とを おなじくは あはれ知れらむ人に見せばや 品詞分解。 『枕草子』の現代語訳:103

後撰集に歌われる月の歌の総括

あたら夜の月と花とを おなじくは あはれ知れらむ人に見せばや 品詞分解

生年は天延二年 974 、貞元元年 976 など諸説ある。 父は越前守大江雅致 まさむね 、母は越中守平保衡 たいらのやすひら 女。 父の官名から「式部」、また夫橘道貞の任国和泉から「和泉式部」と呼ばれた。 母が仕えていた昌子内親王(冷泉天皇皇后)の宮で育ち、橘道貞と結婚してをもうける。 やがて道貞のもとを離れ、弾正宮為尊 ためたか 親王(冷泉第三皇子。 母は兼家女、超子)と関係を結ぶが、親王は長保四年 1002 六月、二十六歳で夭折。 翌年、故宮の同母弟で「帥宮 そちのみや 」と呼ばれたとの恋に落ちた。 この頃から式部が親王邸に入るまでの経緯を綴ったのが『和泉式部日記』である。 親王との間にもうけた一子は、のち法師となって永覚を名のったという。 しかし敦道親王も寛弘四年 1007 に二十七歳の若さで亡くなり、服喪の後、寛弘六年頃からの中宮のもとに出仕を始めた。 彰子周辺にはこの頃・・などがいた。 その後、宮仕えが機縁となって、藤原道長の家司藤原保昌と再婚。 寛仁四年 1020 〜治安三年 1023 頃、丹後守となった夫とともに任国に下った。 帰京後の万寿二年 1025 、娘の小式部内侍が死去。 小式部内侍が藤原教通とのあいだに残した子は、のちの権僧正静円である。 の一人。 家集は数種伝わり、『和泉式部集』 正集 、『和泉式部続集』のほか、「宸翰本」「松井本」などと呼ばれる略本(秀歌集)がある。 また『和泉式部日記』も式部の自作とするのが通説である。 勅撰二十一代集に二百四十五首を入集(金葉集は二度本で数える)。 名実共に王朝時代随一の女流歌人である。 誠心院 京都市中京区新京極六角下ル 和泉式部の墓(宝篋印塔)がある。 * 「和泉式部といふ人こそ、面白う書き交しける。 されど、和泉はけしからぬ方こそあれ。 うちとけて文走り書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。 歌はいとをかしきこと、ものおぼえ、歌のことわり、まことのうたよみざまにこそ侍らざめれ。 口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目とまる詠み添へ侍り。 それだに人の詠みたらん歌なん、ことわりゐたらんは、いでやさまで心は得じ。 口にいと歌の詠まるゝなめりとぞ、見えたるすぢに侍るかし。 恥づかしげの歌よみやとは覺え侍らず」(『紫式部日記』)。 「和泉式部、紫式部、清少納言、赤染衞門、相模、などいふ當時の女性らの名を漠然とあげるとき、今に當つては、氣のとほくなるやうな旺んな時代の幻がうかぶのみである。 しかし和泉式部の歌は、輩出したこれらの稀代の才女、天才の中にあつて、容易に拔き出るものであつた。 當時の人々の思つた業 ごふ のやうな美しさをヒステリツクにうたひあげ、人の心をかきみだして、美しく切なくよびさますものといへば、いくらか彼女の歌の表情の一端をいひ得るであらうか」(保田與重郎『和泉式部私抄』)。 「恋を歌い、母性を歌う和泉式部の歌には、女性の身体のあり方と結びついた女性特有の心が炸裂している。 古代女性の教養や賢慮、政治・社会・宗教によってさえ差別され、自己否定を強要される女性の心性・分別とはかかわりなく、和泉式部は、女性の生理に根ざす生のあり方を純直に追求した。 女性であることによって、女性であるための制約を乗りこえる精神の自由を、かの女は花咲かせた」(近藤潤一『女歌拾遺』)。 * 【おすすめ関連書籍】 * 以下には勅撰集入集歌と 『和泉式部集』(以下「 正集」と略称)、 『和泉式部続集』(以下「 続集」と略称)より百首を抄出した。 【主な参考文献】 「和泉式部集」 群書類従275 第15輯 ・岩波文庫・私家集大成2・新編国歌大観3 「和泉式部続集」 続群書類従448 第16輯上 ・岩波文庫・私家集大成2・新編国歌大観3 「宸翰本和泉式部集」 桂宮本叢書9・岩波文庫 旧版 ・私家集大成2・新潮日本古典集成 「松井本和泉式部集」 岩波文庫 旧版 ・日本古典文学大系80・私家集大成2 7首 2首 5首 8首 41首 20首 17首 計100首 春 題しらず 春霞たつやおそきと山川の岩間をくぐる音きこゆなり (後拾遺13) 【通釈】春霞がたつのを今や遅しと待っていたように、岩の間を潜り流れる山川の音が聞こえるよ。 【補記】「岩間をくぐる」とは、岩と岩の間に張った氷の下を水が流れる、ということであろう。 春の鼓動が聞こえてくるようだ。 『和泉式部集』巻頭歌。 【主な派生歌】 けさ見れば岩間をくぐる山川のよどむともなき薄氷かな 梅の花をみて 梅の香を君によそへてみるからに花のをり知る身ともなるかな (続集) 【通釈】その香をあなたの袖の香によそえて梅を見るばかりに、花の咲く時節を知る身となったのだ。 【補記】恋人が薫物「梅花香」を愛用しているゆえに、梅の咲く時節に敏感になった。 花を愛でるにも恋の心を通して見ているわけで、和泉式部の歌人としての特色がよく表れている。 花時心不静といへることを のどかなる折こそなけれ花を思ふ心のうちに風は吹かねど (続後拾遺93) 【通釈】のどかな折とてないよ。 漢詩からの引用らしいが、出典は不明。 因みに正集では「花の時心不静、雨の中に松緑をます」とあり、松の緑を詠んだ歌が併載されている。 【参考歌】「亭子院歌合」 春風の吹かぬ世にだにあらませば心のどかに花は見てまし 花のいとおもしろきを見て あぢきなく春は命の惜しきかな花ぞこの世のほだしなりける (風雅1480) 【通釈】どうしようもなく春は命が惜しいものだ。 花こそがこの世を去りかねる妨げであったよ。 【参考歌】「古今集」 あはれてふ事こそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ やまぶきのさきたるをみて われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花 (続集) 【通釈】私がやはり手折りたく思うのは、八重に重なって咲く山吹の花であるよ。 もともと花の生命力を自分に移すための呪術的な行為であり、無益なたわむれではなかった。 「まほし」は「希求の助動詞」と言われ、「こうしたい」または「こうしてほしい」と希望する心をあらわす辞。 【補記】枕詞として用いている「白雲の」が、歌柄を大きくし、また山吹に寄せる作者の思いをどこか高踏的に見せるという、面白い効果を発揮している。 続集の敦道親王哀傷歌群に挟まれた一首。 【参考歌】「古今集」 白雲の八重にかさなるをちにてもおもはむ人に心へだつな つつじをよめる 岩つつじ折りもてぞ見るせこが着し紅ぞめの色に似たれば (後拾遺150) 【通釈】岩躑躅の花を手折り持ってつぶさに見るよ。 いとしい人がかつて着ていた紅染 くれないぞめ の衣の色に似ているので。 【補記】「岩つつじ」は岩間に生えている躑躅。 襲の色目にも「いはつつじ」と呼ばれるものがあり、表は紅、裏は紫。 なお松井本『和泉式部集』では結句「きぬににたれば」。 常の事とはいひながら、いとはかなう見ゆる頃、三月 晦 つごもり 比に 世の中は暮れゆく春の末なれやきのふは花の盛とか見し (続集) 【通釈】世は今、暮れて行く春の末なのだろうか。 つい昨日は花の盛りと見たばかりではなかったか。 【補記】三月晦日、すなわち春の最後の日に詠んだ歌。 毎年迎える春の終りではあるが、殊更はかなく思えたという。 夏 四月 うづき ついたちの日よめる 桜色にそめし衣をぬぎかへて山ほととぎす今日よりぞ待つ (後拾遺165) 【通釈】桜色に染めた春の衣を夏の衣に脱ぎかえて、山時鳥の訪れを今日から待つのだ。 【補記】「桜色」は春の襲 かさね の色目。 その春衣を、うすものの夏衣に着替えて、夏を迎える。 後拾遺集巻三夏巻頭。 【参考歌】「古今集」 桜色に衣はふかくそめて着む花の散りなむのちのかたみに 恵慶法師「恵慶法師集」 花ちらむのちも見るべく桜色にそめし衣をぬぎやかふべき 【主な派生歌】 桜色にそめし衣を卯の花のしらがさねにぞたちかへてける 桜色の花のたもとをたちかへてふたたび春のなごりをぞ思ふ [玉葉] 桜色のかたみのころもぬぎかへてふたたび春に別れぬるかな なれ行くもあだなる花のうき世とや染めし衣を今朝かふるらむ 六月祓をよめる 思ふことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓へつるかな (後拾遺1204) 【通釈】水無月の晦日 みそか 、私の悩みが皆尽きてしまえと、麻の葉を細かく切りに切って御祓いをしたことだ。 旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日 みそか に行なわれた大祓。 「みなつき」は「皆尽き」「水無月」の掛詞。 【補記】正集では結句「はらひつるかな」。 【他出】和泉式部集、題林愚抄 【主な派生歌】 思ふことみなつきねとて御祓する河瀬の波も袖ぬらしけり 麻の葉にゆふしでかけて思ふことみなつきねとてはらひつるかな 秋 題しらず 人もがな見せも聞かせも萩の花さく夕かげのひぐらしの声 (千載247) 【通釈】誰か人がいてほしい。 花を見せもしたい、声を聞かせもしたい。 萩の花が咲く夕日の中の蜩の声よ。 【補記】季節の情趣から受けた感動を人と分かち合いたいとの率直な願望が、躍動的なリズムで歌い上げられている。 『和泉式部集』では第二句が「みせんきかせん」。 【他出】正集、古来風躰抄、定家八代抄 【本歌】「古今集」 我のみやあはれとおもはむきりぎりすなく夕かげのやまとなでしこ 【主な派生歌】 たれにかはみせもきかせももみぢばのちる山ざとのあり明の月 一葉ちる桐の立枝に秋をはやみせもきかせもわたる朝風 あさがほをよめる ありとてもたのむべきかは世の中を知らする物は朝がほの花 (後拾遺317) 【通釈】いま生きているからといって、 これからも生きていると頼むことなどできようか。 この世の道理を知らせてくれるものは朝顔の花である。 【補記】正集冒頭の百首歌。 朝顔の花に寄せて世の無常を詠む。 【他出】正集、新撰朗詠集、題林愚抄 【主な派生歌】 世の中はただ影やどすます鏡見るをありとも頼むべきかは 奥山の奥のあはれをよそまでも知らするものは棹鹿の声 題しらず 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ (詞花109) 【通釈】秋に吹くのはどんな色をしている風だからといって、身にしみるばかりに哀れ深いのだろうか。 【補記】透明であるはずの風が、秋は身に染みる。 「しむ」と「色」は縁語。 なお結句を「人の恋しき」とする本もある。 【他出】後葉集、興風集、古来風躰抄、定家八代抄 【主な派生歌】 白妙の袖の別れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く [新古今] 題しらず 晴れずのみ物ぞかなしき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ (後拾遺293) 【通釈】全く心が晴れることなく何か切なくてならない。 秋の霧は心の中に立つのだろうか。 【補記】正集冒頭の百首歌。 暮つ方、霧のたたずまひ、空のけしきなど、あはれしれらむとて 今はとて立つ霧さへぞあはれなるありし 朝 あした の空に似たれば (続集) 【通釈】今は秋の終りと、立ち込める霧さえもが哀れ深い。 かつて人と別れた朝の空に似ているので。 源信明の「あたら夜の月と花とをおなじくはあはれしれらむ人に見せばや」(後撰集)に由る。 【補記】続集の排列に従えば、或る年の九月晦日、すなわち秋の終りの日に詠んだ歌。 冬 題しらず 野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける (新古624) 【通釈】野辺を見ると、尾花の下の思い草が枯れてゆく冬になってしまったのだった。 秋に淡紅色の花をつける。 物思いに耽るように頭を垂れて咲くので「思ひ草」と呼んだものらしい。 【補記】『和泉式部集』では「観身岸額離根草、論命江頭不繋舟」の訓み下し文の各字を頭に置いた四十三首中の一首で、第四句は「かれゆく程に」。 【本歌】「万葉集」 道の辺の尾花がもとの思ひ草今さらさらに何をかおもはむ 一日、つとめて見れば、いとこき紅葉に、霜のいと白うおきたれば、それにつけてもまづ もみぢ葉もましろに霜のおける朝は越の白嶺ぞ思ひやらるる (続集) 【通釈】紅葉した葉さえも真っ白にして霜が置いている朝は、越の国の白嶺が思い遣られることだ。 四時雪の消えない山として王朝人の憧憬の的であった。 【補記】『和泉式部集』の排列によれば、或る年の十一月一日の詠。 同集末尾近く、日記風の記述が続く部分にある。 自身越の国に滞在したとの記録はないが、父大江雅致は越前守、母方の祖父平保衡は越中守を務めるなど、北陸地方とは浅からぬ因縁のあった和泉式部である。 【参考歌】「古今集」 思ひやる越の白山しらねどもひと夜も夢にこえぬ夜ぞなき 題しらず 外山 とやま 吹く嵐の風の音きけばまだきに冬の奥ぞ知らるる (千載396) 【通釈】里近くの山を吹く嵐の風の音を聞くと、早くも晩冬の寒さが思い知らされるのだ。 早くも。 【補記】前の歌と同じく『和泉式部集』では「観身岸額離根草、論命江頭不繋舟」の訓み下し文の各字を頭に置いた四十三首中の一首。 杉檜など針葉高木の類。 今の京都市左京区北部、比叡山の麓に連なる丘陵地。 貴族は好んで山荘を建て、世捨て人は隠棲の地とした。 冬寒い土地として歌に詠まれ、また炭焼で名高い。 【補記】正集は初句「見わたせば」。 題しらず さびしさに 煙 けぶり をだにも絶たじとて柴折りくぶる冬の山里 (後拾遺390) 【通釈】寂しくて、せめて炉の煙だけは絶やすまいと、薪を折ってはくべる、冬の山里よ。 【補記】煙を絶やすまいとするのは、何も暖をとるためばかりではあるまい。 一すじの細い煙に託して「自分はここに生きている」とささやかに主張したいのではないだろうか。 『和泉式部集』(正集)の冒頭に収められた百首歌(実際には九十八首しか残っていない)。 正集では初句「わびぬれば」、第四句「しばをりたける」。 【補記】「さらさらに」は竹の葉が触れ合う擬音語であると同時に「決して」の意を兼ねる掛詞。 詞花集254には詞書「たのめたる男をいまやいまやとまちけるに、まへなる竹の葉にあられのふりかかりけるをききてよめる」とあり、恋歌に分類している。 うづみび 寝 ぬ る人をおこすともなき 埋火 うづみび を見つつはなかく明かす夜な夜な (正集) 【通釈】寝ている人を起すという程でもない、今にも消えそうな埋み火を見ながら、毎晩はかなく夜を明かしているよ。 「おこす」には「熾す」を掛け、火の縁語としている。 【補記】正集冒頭の百首歌。 続集では初句「まどろむを」、結句「あかすころかな」。 【主な派生歌】 埋火のおこすともなき冬の夜にねられぬ程のさもぞひさしき 冬 せこが来て臥ししかたはら寒き夜はわが 手枕 たまくら を我ぞして 寝 ぬ る (正集) 【通釈】夫がやって来て横になった傍らで、寒い夜は自分で腕枕をして寝るのだ。 【補記】正集冒頭の百首歌。 前の歌と同様、夫がありながら孤独な冬の夜を過ごす女の思いを詠む。 恋 百首歌の中に つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだりこむものならなくに (玉葉1467) 【通釈】つくづくと空が眺められるよ。 恋しく思う人が天から降りて来ることなどありはしないのに。 【補記】「ものならなくに」と否定してみたところで、天に焦がれる思いが消えるわけではない。 『和泉式部集』(正集)の最初に収められた百首歌。 【補記】正集では詞書「つれづれと夕暮にながめて」、第三句「まさるかと」。 詞花集巻八恋下。 題しらず 黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき (後拾遺755) 【通釈】思い乱れ、髪を乱したまま床にうちふす。 その時まっ先に恋しく思い浮ぶのは、(昨夜この床で)わが黒髪をかきやったあの人のこと。 【補記】正集冒頭の百首歌。 【他出】正集、後六々撰、定家八代抄、歌林良材 【主な派生歌】 長からむ心も知らず黒髪のみだれて今朝は物をこそ思へ [千載] かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ [新古今] うば玉の闇のうつつにかきやれどなれてかひなき床の黒髪 〃 夢かなほみだれそめぬる朝寝髪またかきやらむ末もしらねば [風雅] 雲風のみだれもしらず空にのみたのめし月のゆくへかなしも 三条西実隆 くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪おもひ乱れかつおもひ乱るる 与謝野晶子 題しらず 世の中に恋といふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける (後拾遺790) 【通釈】この世に恋という色はないけれども、深く身に染みるものであったよ。 【補記】正集冒頭の百首歌。 第二句「こひてふいろは」とする本もある。 題しらず 涙川おなじ身よりはながるれど恋をば 消 け たぬものにぞありける (後拾遺802) 【通釈】涙川は同じ我が身から流れているのに、恋の火を消すことはないのだった。 また、絶えず流れ落ちる涙を川にたとえて言う。 恋 こひ のヒに火を掛けている。 【補記】正集冒頭の百首歌。 【参考歌】作者不明「古今和歌六帖」 涙川いかなる水かながるらむなどわがこひをけつときのなき (「亭子院歌合」では藤原興風の作とし、結句「けすひとのなき」。 「元真集」「新古今集」 涙川身もうくばかりながるれど消えぬは人の思ひなりけり 恋 (二首) いたづらに身をぞ捨てつる人をおもふ心やふかき谷となるらむ (正集) 【通釈】むなしく命を捨ててしまった人たちのことを思うよ。 恋する心は深い谷となるのだろうか。 そうして彼らは谷へ身を投げてしまったのだろうか。 【補記】正集冒頭の百首歌、恋の最初に置かれた作。 【本歌】「古今集」 世の中のうきたびごとに身をなげばふかき谷こそあさくなりなめ 逢ふことを息の緒にする身にしあれば絶ゆるもいかが悲しと思はぬ (正集) 【通釈】逢えば別れることは避け難い。 それでも逢うことを「息の緒」にする我が身だから、緒が絶えても悲しいとは思わない。 (恋に死ぬとしても本望だ。 万葉集に見えるが、王朝和歌では非常に珍しい語句。 【補記】正集冒頭の百首歌。 【参考歌】大伴家持「万葉集」 白雪のふりしく山を越えゆかむ君をぞもとな息の緒に思ふ (左注に橘諸兄が末句を「いきのをにする」に改めた旨ある) いみじうふみこまかにかく人の、さしもおもはぬに 絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや (正集) 【通釈】命が絶え果てるなら絶え果ててしまえばよい。 あなたが私の玉の緒になろうとは、思いもかけませんでした。 【補記】詞書は「大変手紙を心細やかに書くが、実際はそれ程(私のことを)恋しく思っていない人に」程の意か。 この詞書のあとに八首の歌が続き、掲出歌はその五番目。 題しらず 君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬものにぞありける (後拾遺801) 【通釈】あなたを恋しく思う心は千々に砕けてしまう程だけれども、その思いは一つも失せないものであったよ。 【補記】正集冒頭の百首歌。 似た表現を用いた、続集所収歌「身はひとつ心はちぢにくだくればさまざま物のなげかしきかな」も捨てがたい。 【参考歌】曾禰好忠「好忠集」「続古今集」 君恋ふと心はちぢにくだくるをなど数ならぬ我が身なるらむ 【主な派生歌】 よせかへり千々にくだけてあら磯やひとつもうせぬ波の月影 恋歌の中に かく恋ひばたへず死ぬべしよそに見し人こそおのが命なりけれ (続後撰703) 【通釈】こんなに恋しく思っていたら、堪えきれずに死んでしまうだろう。 よそながら見た人こそが私の命であった。 無縁な存在として見た人。 この歌の場合、「逢いはしたが関係を持つことなく終わった人」ほどの意か。 【補記】本テキスト末尾に置いた「生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける」にも見える、式部独特の発想。 正集冒頭の百首歌。 【参考歌】四条中宮(藤原遵子)「詞花集」 よそに見し尾花が末の白露はあるかなきかの我が身なりけり 題しらず 人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ (後拾遺820) 【通釈】人たる我が身を、恋にくれてやった。 恋に我が身をくれてやった。 「こひ」のヒに火を掛けているので、我が身を恋の火に投げ入れて燃やしてしまった、ということ。 ここでは蛾のことであろう。 【補記】正集冒頭の百首歌では夏の部に入る。 「中空に」は「空の中ほどに」「中途半端な思いで」といった意も響く。 【補記】恋人を帰した後の、中空に漂う霧のように宙ぶらりんの心情を詠む。 正集の詞書は「九月ばかり、鳥の音にそそのかされて、人の出でぬるに」。 【参考歌】作者不明「公任集」 人はゆき霧はまがきに立ちとまりくもりながらぞ我はながめし なげくことありとききて、人の「いかなることぞ」ととひたるに ともかくも言はばなべてになりぬべし 音 ね になきてこそ見せまほしけれ (宸翰本和泉式部集) 【通釈】どう言いましょうとも、ことばにすればありふれた言い方になってしまうでしょう。 ただもう声あげて泣くことで、私の思いをお見せしたいものです。 【補記】この思いは、言葉では伝えることができない、声に出して泣くことでしか表わすことができない、といった心。 千載集には「題不知」として載り、結句「みすべかりけれ」。 【他出】和泉式部続集、続詞花集、古来風躰抄、定家八代抄 【参考歌】「伊勢集」 身の憂きを言はばはしたになりぬべし思へば胸のくだけのみする 【主な派生歌】 いかにしていかに知らせむともかくも言はばなべての言の葉ぞかし いかにせむ霞める空をあはれともいはばなべての春の明けぼの 雨のいたくふる日、「なみだの雨の袖に」などいひたる人に 見し人に忘られてふる袖にこそ身を知る雨はいつもをやまね (後拾遺703) 【通釈】契りを交わした人に忘れられて年月を送っている私の袖の方にこそ、わが境涯を思い知らせる雨はおやみなく降っています。 涙を暗示することは言うまでもない。 下記本歌参照。 【補記】激しい雨の降る日、男が「涙の雨が(私の)袖に(降っています)」と言って来たのに対する返歌。 正集の詞書は「雨のふる日、涙の雨の袖に、などいひたる人に」。 【本歌】「古今集」 数々に思ひ思はずとひがたみ身をしる雨はふりぞまされる 題しらず 枕だに知らねば言はじ見しままに君語るなよ春の夜の夢 (新古1160) 【通釈】枕さえ知らないのですから、告げ口はしないでしょう。 ですからあなた、見たままに人に語ったりしないで下さい、私たちの春の夜の夢を。 だから枕も告げ口のしようがない(下記本歌・参考歌参照)。 【補記】『和泉式部続集』では「おもひがけずはかりて、ものいひたる人に」の詞書に続く三首の第二首で、第四句は「君にかたるな」とする。 【本歌】伊勢「伊勢集」「新古今集」 夢とても人にかたるなしるといへば手枕ならぬ枕だにせず 【参考歌】「古今集」 わが恋を人しるらめや敷妙の枕のみこそしらばしるらめ 「古今集」 知るといへば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名の空にたつらむ 露ばかりあひ見そめたる男のもとにつかはしける 白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり (後拾遺831) 【通釈】 人が果敢ないと言う白露も、夢も、この世も、幻も、 あなたとの逢瀬の短さに比べれば、長く続くものであったよ。 【補記】果敢ないものの例を挙げて、逢瀬の短かった不満を恋人に訴えた。 正集・続集に見えず、宸翰本・松井本に見える歌。 【本歌】「後撰集」 人心たとへて見れば白露のきゆるまもなほひさしかりけり 【主な派生歌】 まぼろしも夢も久しき逢ふことをいかに名づけてそれと頼まむ 弾正尹 だむじやうのいん 為尊 ためたか のみこかくれ侍りてのち、太宰帥花たちばなをつかはして、いかがみるといひて侍りければ、つかはしける かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると (千載971) 【通釈】橘の香になぞらえて昔の人を偲ぶよりは、時鳥の声が昔と同じかどうか聞いてみたいものです。 (亡き兄宮を懐かしむよりも、生きておられる弟宮のあなたのお声を聞いてみたいものです。 兄宮と似ておられるかどうかと。 ) 【補記】為尊親王は冷泉天皇の皇子で、敦道親王の兄。 敦道親王が式部に花橘を送って「(この花を)どう思いますか」と問うたのは、古今集の歌「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」を踏まえ、亡くなった為尊親王への式部の思いを確かめたのである。 これに応えて式部は、時鳥に敦道親王を暗喩し、兄宮と似ているかどうか、それを知りたい、と返したのである。 親王の返歌は「おなじ枝になきつつをりし郭公こゑはかはらぬ物としらなむ」(大意:同じ枝に鳴いていた時鳥ですから、声は変わらないものとご承知下さい」)。 七月七日 ながむらん空をだに見ず七夕にあまるばかりの我が身と思へば (正集) 【通釈】あなたが眺めておられる空など見る気にもなりません。 織女の心に比べたって余るほどの思いを抱えた私ですから。 【補記】和泉式部日記では帥宮の歌「思ひきやたなばたつめに身をなして天の川原を眺むべしとは」(大意:思いも寄らないことでした。 織姫に我が身をなして、恋しい人に逢うこともできず、ただ虚しく天の川の川原を眺めてることになろうとは)への返し。 日記は第四句を「忌 い まるばかりの」とする。 太宰帥敦道のみこなかたえける頃、秋つかた思ひ出でてものして侍りけるによみ侍りける 待つとてもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ秋の夕暮 (千載844) 【通釈】約束して待っていたとしても、これほど嬉しくはないでしょう。 思いもかけない今日の秋の夕暮です。 【補記】和泉式部日記では、初めての後朝の贈答のあと、敦道親王の召使が手紙も持たずにやって来たのに対し言づけた歌となっており、「待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬけふの夕ぐれ」と、歌句にもかなりの相違がある。 風ふき物あはれなる夕ぐれに 秋風はけしき吹くだに悲しきにかきくもる日は言ふかたぞなき (正集) 【通釈】秋風はほのかに吹くだけでさえ悲しいのに、その上空が掻き曇る日などは言い表しようもない程だ。 【補記】和泉式部日記では、敦道親王との仲が途絶えがちで心細く鬱々と暮らしていた秋、親王から手紙で「なげきつつ秋のみ空をながむれば雲うちさわぎ風ぞはげしき」と言って来たのに対する返歌。 つゆまどろまで嘆き明かすに、雁の声をききて まどろまであはれ 幾日 いくか になりぬらむただ雁がねを聞くわざにして (正集) 【通釈】まどろみもせずに、鳴呼何日を過ごしたことだろう。 ただ雁の鳴き声を聞くばかりを事として。 【補記】和泉式部日記によれば、九月十余日の明け方、敦道親王が式部のもとを訪れたが、仕え人が寝ぼけて門を開けないうちに帰ってしまい、「秋の夜の有明の月の入るまでにやすらひかねてかへりにしかな」(大意:秋の夜の有明の月がすっかり沈んでしまうまで佇んでいることができかねて、引き返してしまいましたよ)と手紙を寄越した。 式部は起きて蕭条とした秋の庭を眺めるうち、雁の鳴き渡る声を聞いてこの歌を詠んだという。 かくて、つごもり方にぞ御文ある。 日ごろのおぼつかなさなど言ひて、「あやしきことなれど、日ごろもの言ひつる人なむ遠く行くなるを、あはれと言ひつべからむことなむ一つ言はむと思ふに、それよりのたまふことのみなむ、さはおぼゆるを、一つのたまへ」とあり。 あなしたりがほ、と思へど、さはえきこゆまじ、ときこえむも、いとさかしければ、「のたまはせたることは、いかでか」とばかりにて、 惜しまるる涙にかげはとまらなむ心も知らず秋はゆくとも (和泉式部日記) 【通釈】別れを惜しむ涙の中に、あなたの面影はとどまりましょう。 私の心も知らず、秋は過ぎてゆくとも(あなたの心は私に「飽き」てゆくとしても)。 【補記】敦道親王から手紙があり、「言い交わしていた人が遠くへ行くことになり、相手が感じ入るような歌を贈りたいが、あなたにしかそんな歌は詠めまいから、一首代りに詠んで下さい」と言って来た。 親王のしたり顔が思い浮かぶけれども、致し方なく「おっしゃるような上手い歌は、どうして詠めましょうか」と断り書きして贈った歌。 正集では詞書「人こひしきに」とあるのみで、初・二句「をしまれぬ涙にかけて」、四句「心もゆかぬ」。 「離 か れ」を掛ける。 【補記】和泉式部日記では敦道親王に贈った歌。 「おなじこころに」とある返り事に 君は君われはわれとも隔てねばこころごころにあらむものかは (正集) 【通釈】あなたはあなた、私は私と、分け隔てをしていないので、心が別々などということがあるでしょうか。 【補記】日記によれば、帥の宮の「我ひとり思ふは思ふかひもなし同じ心に君もあらなむ」(大意:私独りで恋しく思う思いは甲斐もありません。 あなたも同じ心であってほしい)への返し。 【参考歌】藤原義孝「後拾遺集」 君がためをしからざりし命さへながくもがなと思ひぬるかな 男の、はじめて人のもとにつかはしけるに、かはりてよめる おぼめくな誰ともなくて宵々に夢に見えけむ我ぞその人 (後拾遺611) 【通釈】不審に思わないで下さい。 夜ごとに夢にあらわれたのは、ほかの誰でもない、私なのです。 【補記】式部が、初めて恋文を出す男に代わって詠んだ歌。 いかなる人にかいひ侍る いとどしく物ぞかなしきさだめなき君はわが身のかぎりと思ふに (正集) 【通釈】ひとしお切ない気持になるのです。 うつろいやすい貴方は、私にとってありったけの全部だと思うにつけて。 心が変わりやすい、といったニュアンスもある。 【補記】「いかなる人にか」「いかなる人にかいひ侍る」の詞書で括られた歌群の一首。 また わが 魂 たま のかよふばかりの道もがなまどはむほどに君をだに見む (正集) 【通釈】 身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい。 迷いながらでも、せめてわずかなりとあなたを見よう。 【補記】正集の順序によれば、藤原保昌と結婚後、夫以外の男に贈った歌らしい。 夜ごとに人の「来む」といひて来ねば、つとめて 今宵さへあらばかくこそ思ほえめ今日暮れぬまの命ともがな (後拾遺711) 【通釈】今夜さえ生きていたら、またこんなに辛い思いをすることでしょう。 いっそ今日の日が暮れないうちに死んでしまいたい。 【補記】毎夜期待させては来なかった男に、ある日の早朝贈った歌。 「かくこそ」は「待ち続けたこの夜のように苦しく」といった意。 互ひつつむことある男の、「たやすく逢はず」とうらみければよめる おのが身のおのが心にかなはぬを思はば物は思ひ知りなむ (詞花310) 【通釈】あなただって自分の身は自分の心のままにはならないでしょう。 そう思えば、 私があなたに逢えない事情も分かっていただけるはずです。 【補記】正集は第四句「おもはば物を」とする。 わりなくうらむる人に 津の国のこやとも人を言ふべきにひまこそなけれ葦の八重葺き (正集) 【通釈】津の国の昆陽ではありませんが、「来や(来てほしい)」とあなたに言うべきでしょうけれども、葦の八重葺きの屋根の目が詰っているように、世間の人目がいっぱいで、そんなことは言えないのです。 今の大阪府と兵庫県の一部。 また「葦の八重葺き」の縁からは「小屋」の意も帯びる。 葦は津の国の名物。 【補記】詞書は「むやみに恨む人に」程の意。 来てほしいとは言えない事情を歌枕に寄せて風流に言い訳してみせた。 後拾遺集巻十二(恋二)に「題不知」として入集。 『袋草紙』等によれば、藤原公任が激賞した歌。 【他出】後拾遺集、麗花集、後六々撰、古来風躰抄、女房三十六人歌合 【本歌】「拾遺集」 津の国の難波渡につくるなるこやと言はなむ行きて見るべく 【主な派生歌】 ひまなくぞなにはのこともなげかるるこや津の国の葦の八重葺き 蘆葺きのこやてふかたに宿からん人呼子鳥こゑもひまなし 津の国のこやのあしぶき野分してひまこそあれと人につげばや [続古今] 津の国の蘆のやへぶき五月雨はひまこそなけれ軒の玉水 津の国のこやのあしぶきうづもれて雪のひまだに見えぬ頃かな [続千載] 人しれず物をぞ思ふつのくにのこやのしの屋や隙もなきまで 後村上院[新葉] とぶ蛍ひまこそなけれ五月雨に蘆の八重ぶき朽ちやはつらむ しのびて人にもの申し侍りけるころ なにごとも心にこめて忍ぶるをいかで涙のまづ知りぬらむ (続古今1023) 【通釈】苦しいことは何でも心の底にひそめて忍んでいるのに、どうして涙はまっさきに我が心を知ってこぼれるのだろう。 【補記】正集では詞書「物おもひつづくるに、いたう悲しければ」。 題しらず 身の憂さも人のつらさも知りぬるをこは 誰 た が 誰 たれ を恋ふるなるらむ (玉葉1679) 【通釈】我が身の不如意も人の無情さも思い知ったのに、いったいこれは誰が誰を恋しているというのでしょうか。 【補記】『和泉式部正集』では「また人に」の詞書で括られた三首の一。 同集の順序によれば、藤原保昌と結婚後、夫以外の男に贈った歌らしい。 【参考歌】「新古今集」 世のうきも人のつらきも忍ぶるに恋しきにこそ思ひわびぬれ 男のもとより、「たまさかにもあはれと言ふになむ、命はかけたる」といひたるに とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものか命は (続集) 【通釈】私がいつまでも「いとしい、いとしい」と、いとしさの尽きるまで言い続けたとしても、 あなたは永久に命を繋ぎ止められるでしょうか。 命だけは心にかなうものではありませんことよ。 【補記】男から「ごく稀にでも『いとしい』と貴女が言ってくれることで、私は命を繋ぎ止めているのです」と言って来たのに対する返事。 人と物語してゐたるに、人のまうできあひて、ふたりながらかへりけるにつかはしける 半天 なかぞら にひとり有明の月を見てのこるくまなく身をぞ知りぬる (玉葉1476) 【通釈】どっちつかずの状態で独り夜を過ごし、中空に一つ残っている有明の月を見て、あさましい我が身を余すところなく思い知りましたよ。 月の光の曇りがない意を掛ける。 【補記】ある男と語り合っていたところ、別の男が来合わせて、二人とも帰ってしまったので言い遣った歌。 恋人が鉢合わせになった、ということだろう。 男にわすられて、装束つつみておくりはべりけるに、革の帯にむすびつけはべりける なきながす涙に堪へで絶えぬれば縹の帯の心地こそすれ (後拾遺757) 【通釈】泣いては流す涙に堪えきれず生地がぼろぼろになって切れるように、涙に堪えきれずあなたとの仲は絶えてしまったので、まるで自分がはかない縹 はなだ 色の帯のようになった心地がします。 【補記】別れた男のもとに装束を送り返す際、その包みの革紐に書いて付けた歌。 続集では最初の夫橘道貞と思われる男との離別を歎く歌群のうちにあり、道貞と離別した直後の作であろう。 縹色は薄い藍色。 【参考歌】催馬楽「石川」 石川の 高麗人 こまうど に 帯を取られて からき悔いする いかなる いかなる帯ぞ 縹の帯の 中はたいれるか かやるか あやるか 中はたいれたるか 【主な派生歌】 妹もとわれ縹の帯の中なれや色かはるかとみれば絶えぬる [続拾遺] 男にわすられて侍りける頃、 貴船 きぶね にまゐりて、 御手洗 みたらし 川にほたるのとび侍りけるを見てよめる 物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる 魂 たま かとぞみる (後拾遺1162) 【通釈】恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してゆく魂ではないかと見えるよ。 貴船神社 京都市左京区 【補記】男の訪問が絶えていた頃、貴船神社に参詣し、御手洗川に蛍が飛ぶのを見て詠んだ歌。 貴船神社は鴨川の水源地にあり、水神を祀る古社であるが、縁結びの効験でも著名。 宸翰本・松井本に採られているが、正集・続集には見えない。 後拾遺集では巻二十雑六に神祇歌として載せ、貴船明神が和泉式部に返したと伝わる歌「奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちるばかり物な思ひそ」を添えている。 【他出】和歌童蒙抄、袋草紙、後六々撰、古本説話集、無名草子、時代不同歌合、十訓抄、古今著聞集、沙石集 【参考歌】「後撰集」 つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり 【主な派生歌】 なげきあまりあくがれ出づる玉なりと君がつまにしむすびとどめば さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな いく夜われ波にしをれてきぶね川袖に玉ちる物思ふらむ [新古今] 物思へばあくがれいづる玉河のうき瀬にもえてとぶ蛍かな 行く蛍あくがれいづる玉ならばつれなき袖の中にとどまれ もえわたる沢の蛍をうき人に見せばや身にもあまるおもひと 保昌にわすられて侍りける頃、とひて侍りければよめる 人知れず物思ふことはならひにき花に別れぬ春しなければ (詞花312) 【通釈】自分だけで思い悩むことは、とうに慣れっこです。 花に別れない春はないのですから。 の家司で、源頼光らと共に道長の信任が厚かった武人。 敦道親王の死後、式部と結婚。 丹後守・大和守・摂津守などを歴任。 歌人として名高い。 和泉式部より二十歳以上年下。 【補記】夫に捨てられたとの噂を聞きつけ、若い貴公子が言い寄ってきたのであろう。 それに対し、「別れには慣れているから、辛い思いを一人で抱えることにも慣れてしまった(慰めは不要)」と、交際の申し入れをやんわり拒んだのである。 「ならひにき」などの言い方に、相手よりも自分が年上であることが意識されている。 なお『和泉式部集』には詞書「人のかへりごとに」とし、初句「としをへて」として載る。 あの世。 【補記】正集の詞書は「ここちあしきころ、人に」。 【他出】和泉式部集、古来風躰抄、定家八代抄、八代集秀逸、百人一首 【主な派生歌】 いかでわれ此の世の外の思ひ出に風をいとはで花をながめむ いかにせむ今一たびの逢ふことを夢にだに見て寝覚めずもがな [新勅撰] おのづから人も時のま思ひ出でばそれをこの世の思ひ出でにせん あらざらむ後の世までを怨みてもその面影をえこそ疎まね せめて思ふ今ひとたびの逢ふことはわたらむ河や契りなるべき あらざらむ後の世かけし契りこそ恃むにつけて嬉しかりけれ [新後撰] あらざらむ後の名までは思はねど憂き同じ世になき身ともがな [新千載] あらざらむ我が世の後の秋までも思ひおかるるやどの月かげ あらざらむ後と思ひし長月のこよひの月も此の世にてみし 在らざらむこの夜ののちを言はなくに天心秋をひたす面影 山中智恵子 哀傷 敦道親王におくれてよみ侍りける 今はただそよそのことと思ひ出でて忘るばかりの憂きこともがな (後拾遺573) 【通釈】帥宮に先立たれた今はただ、「そう、そんなことがあった」と楽しいことを思い出しては泣くばかりで、いっそ宮のことを忘れたくなる程の辛い思い出があればよかったのに。 【補記】敦道親王は寛弘四年 1007 十月二日、二十七歳の若さで亡くなった。 『和泉式部続集』に親王哀悼歌は百二十余首を数える。 なお続集では詞書「なほ尼にやなりなましと思ひ立つにも」のあとに続く五首のうちの第三首。 第五句は「うきふしもなし」。 【主な派生歌】 荻の葉のそよそのこととなけれども秋風吹けば物ぞかなしき おなじころ、尼にならむと思ひてよみ侍りける 捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば (後拾遺574) 【通釈】捨て切ってしまおうと、そう思うことさえ切ないのだ。 あの人に馴染んだ我が身と思えば。 【補記】上の歌と同じく続集では詞書「なほ尼にやなりなましと思ひ立つにも」とある歌群の一首。 「亡き人に愛された身を、愛されたままのかたちに保ちつつ生きたいという願い」(馬場あき子『和泉式部』)。 なほ尼にやなりなましと思ひ立つにも かたらひし声ぞ恋しき俤はありしそながら物も言はねば (続集) 【通釈】語り合った声こそが恋しい。 面影は生きていた時そのままだけれど、何も言ってくれないので。 【補記】上の二首と同じ時の作。 「そながら」は「そのままに」の意。 【補記】敦道親王哀傷歌群。 現世の無常を思い知りながら、惚けたように過ごしている自己を我ながら怪しむ心。 ひたすらに別れし人のいかなれば胸にとまれる心地のみする (続集) 【通釈】まったく別世界へ逝ってしまった人が、どういうわけで、私の胸にいつまでも留まっている心地がしてならないのだろうか。 すっかり。 次句「別れし」にかかる。 【補記】現実の存在はすっかり消え失せてしまった人が、胸の中にはいつまでも留まっている。 「胸にとまれる」は当時独創的な表現。 雨のつれづれなる日 あまてらす神も心あるものならば物思ふ春は雨なふらせそ (続集) 【通釈】天を照らす神もお心がおありならば、物思いに耽る春にはどうか雨を降らせないで下さいな。 【補記】敦道親王哀傷歌群の一首。 ならはぬ里のつれづれなるに 二首 身よりかく涙はいかがながるべき海てふ海は潮やひぬらむ (続集) 【通釈】身体からどうしてこんなに涙は流れ出るはずがあろう。 海という海は潮が引いてしまったのだろうか。 【補記】なお敦道親王薨後の悲しみの中にあって、住み慣れない里で物寂しく過ごしていた時の作。 一連の作中には「おぼつかな我が身は田子の浦なれや袖うちぬらす浪の間もなし」「君とまたみるめおひせばよもの海の底のかぎりはかづきみてまし」など海に関連する歌が目立ち、末尾は「わすれ草われかくつめば住よしの岸のところはあれやしぬらん」。 身を寄せていたのは摂津国住吉の海辺近くであったらしいと判る。 【参考】「古事記」(の泣くさま) その泣く状は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。 「是則集」 かつきえぬ涙が磯のあはびゆゑ海てふ海はかづきつくしつ 身をわけて涙の川のながるればこなたかなたの岸とこそなれ (続集) 【通釈】身を裂くように涙の川が激しく流れるので、我が身はあちらとこちらと、二つの岸に別れてしまう。 【補記】前歌と同じ歌群中にある。 【参考歌】作者未詳「是貞親王家歌合」 くりかへし我が身をわけて涙こそ秋のしぐれにおとらざりけれ 七日、雪のいみじうふるに、つれづれとおぼゆれば 君をまたかく見てしがなはかなくて 去年 こぞ は消えにし雪も降るめり (続集) 【通釈】あなたを再びこんなふうに見てみたい。 果敢なくて去年には消えてしまった雪も、年が巡ってまた降っているようだ。 【補記】敦道親王の薨去の翌年、寛弘五年 1008 正月七日の作。 同じ詞書で括られた「君がため若菜つむとて春日野の雪まをいかにけふはわけまし」の次に載る。 ゆふべのながめ 夕暮はいかなる時ぞ目にみえぬ風の音さへあはれなるかな (続集) 【通釈】夕暮とは一体どのような時なのか。 目に見えない風の音さえしみじみと感じられるよ。 【補記】「つれづれの尽きせぬままに、おぼゆる事を書き集めたる歌にこそ似たれ ひるしのぶ ゆふべのながめ よひのおもひ よなかのねざめ あかつきのこひ これを書き分けたる」と詞書のある四十六首の歌群より。 一日の時刻の移り行きに即して亡き敦道親王を哀傷する特異な連作である。 【主な派生歌】 ながむればすずろにおつる涙かないかなる時ぞ秋の夕暮 [続古今] よひのおもひ なぐさめて光の間にもあるべきを見えては見えぬ宵の稲妻 (続集) 【通釈】光一閃の間だけでも慰めてくれてよさそうなものなのに、稲光は見えても亡き人の姿は見えない宵の稲妻よ。 【補記】前の歌と同じ歌群より。 こんなに寂しい音だったと、独り寝の今になって初めて知ったのだ。 【補記】新古今集巻八哀傷歌に入集。 詞書に「弾正尹為尊親王におくれて、なげき侍りけるころ」とあるのは不審。 また第四句は「昔は袖の」と改変されている。 【補記】新勅撰集巻第十三(恋三)825、「題しらず」として収録。 続集の同題の歌「明けぬとや今こそ見つれ暁の空は恋しき人ならねども」も心に残る。 【主な派生歌】 たまさかにあふことの葉もかれぬれば冬こそ恋の限なりけれ 藤原俊忠[新続古今] おちそひてあはれのこさぬ涙かな寝覚や恋のかぎりなるらむ 我が恋ふる人は来たりといかがせむおぼつかなしや明けぐれの空 (続集) 【通釈】私の恋しい人はやって来たとしても、どうしよう。 本当にその人かどうか、心もとないよ、明けたばかりのほの暗い空では。 十二月の晦 つごもり の夜よみはべりける なき人のくる夜ときけど君もなし我がすむ宿や玉なきの里 (後拾遺575) 【通釈】亡き人が訪れる夜だと聞くけれども、あなたはいない。 私の住まいは「魂無きの里」なのだろうか。 『歌枕名寄』も未勘国とする。 【補記】『和泉式部集』続集の順序からすると、「君」は敦道親王であろう。 大晦日の晩には、死者の霊が家に帰ると信じられた。 後拾遺集巻十哀傷。 【他出】続集、歌枕名寄、夫木和歌抄 内侍のうせたるころ、雪の降りてきえぬれば などて君むなしき空に消えにけむあは雪だにもふればふるよに (正集) 【通釈】どうしてあなたは虚しい空に消えてしまったのでしょう。 【補記】万寿二年 1025 十一月、和泉式部は娘の小式部内侍に先立たれた。 「ふる」は「(雪が)降る」「(年月を)経る」の掛詞。 小式部内侍なくなりて後よみ侍りける あひにあひて物おもふ春はかひもなし花も霞も目にし立たねば (玉葉2299) 【通釈】巡り来た春に逢うには逢ったが、物思いに沈む身にはその甲斐もない。 花も霞も目にはっきりとは見えないので。 【補記】続集では詞書「内侍なくなりたる頃、人に」。 【参考歌】「古今集」 あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さへぬるる顔なる 小式部内侍なくなりて、むまごどもの侍りけるを見てよみ侍りける とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり (後拾遺568) 【通釈】子供たちと私を置いて死んでしまって、娘はいったいどちらを哀れと思っているだろうか。 きっと、親である私よりも、子供たちの方を愛しんでいるだろう。 親より子と死に別れる方が、私も辛かった。 【補記】「紙十枚許りに書きても、猶此のことばかりは、あらはれがたき事にぞ侍る。 心深きと云ふ、則如此の歌なるべし」 今川了俊『落書露顕』。 【他出】和泉式部続集、栄花物語、古来風躰抄、定家八代抄、古本説話集、宝物集、世継物語 若君、御送りにおはするころ この身こそ子のかはりには恋しけれ親恋しくは親を見てまし (正集) 【通釈】この子をこそ、我が子の代りに恋しく思う。 若君よ、母が恋しい時には、代りに、その親である私をごらんなさい。 【補記】詞書の「若君」は小式部内侍が藤原教通との間にもうけた子。 小式部内侍の葬送の時、和泉式部が孫に与えた歌である。 「この身」は若君すなわち孫を指し、「子のかはりに」の「子」は小式部内侍。 下句に移り、最初の「親」は小式部内侍、次の「親」は和泉式部を指す。 因みにこの「若君」はのち出家して静円を名のった。 小式部内侍うせてのち、上東門院より、としごろ給はりけるきぬを、亡きあとにもつかはしたりけるに、「小式部内侍」と書きつけられたるを見てよめる もろともに苔の下にはくちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき (金葉三奏本612) 【通釈】一緒に苔の下に朽ちることなく、私ばかりが生き残ってしまって、埋もれることのない娘の名を見ることが悲しいのです。 【補記】小式部内侍は生前に仕え、毎年衣を賜わっていたが、死んだ後も例年通り下賜された。 その衣に小式部内侍の名が書き付けられていたのを見て詠んだ歌。 亡骸は埋れて目に見えなくなっても、死者の名は埋れることなく目に触れ、悲しい追想を誘う。 【参考】「白氏文集・題故元少尹集後」、「和漢朗詠集・文詞」() 遺文三十軸 軸軸金玉聲 龍門原上土 埋骨不埋名 【他出】和泉式部集、後六々撰、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、宝物集、沙石集、女房三十六人歌合 山寺にこもりてはべりけるに、人をとかくするが見えはべりければよめる たちのぼる 烟 けぶり につけて思ふかないつまた我を人のかく見む (後拾遺539) 【通釈】立ちのぼる火葬の煙を見るにつけてつくづく思うなあ。 いつ煙になった私を人々がまたこうして見るのだろうかと。 【補記】山寺に籠っていた時、死者を葬るさまを見ての詠。 正集には詞書「また人のさうそうするをみて」。 後拾遺集巻十哀傷。 雑 道貞、わすれてのち、陸奥守 みちのくにのかみ にてくだりけるに、つかはしける もろともに立たましものをみちのくの衣の関をよそに聞くかな (詞花173) 【通釈】私たちの仲が絶えていなければ、一緒に出発したものを。 あなたが越えて行く陸奥の衣の関を、他人事として聞くのですねえ。 【補記】寛弘元年 1004 、最初の夫であった橘道貞が陸奥守として任国に下る際、贈った歌。 「衣の関」は岩手県平泉、衣川の近くにあった古関。 「男に肌を許さぬことを『衣の関』という。 そんな愛のかけひきも自分とは無縁のことと思う悲しさ」(岩波新日本古典文学大系)。 宮、法師になりて、髪のきれをおこせ給へるを かき撫でて生ほしし髪のすじことになりはてぬるを見るぞ悲しき (正集) 【通釈】髪を掻き撫でつつ育てたあなたが、普通の人とは違った道に入ってしまったのを見るのは切ないことです。 「髪の筋毎に撫でた」意に、「普通とは違った道(仏道)に入った」意を兼ねる。 丹後国にて、保昌あす狩せむといひける夜、鹿のなくをききてよめる ことわりやいかでか鹿の鳴かざらむ今宵ばかりの命と思へば (後拾遺999) 【通釈】もっともなことだよ。 今夜限りの命と思えば、どうして鹿が啼かないわけがあろう。 【補記】夫藤原保昌の任国丹後にあって、保昌が明日狩をすると言った夜、鹿の鳴き声を聞いて詠んだ歌。 保昌は和泉式部より二十歳近く年長で、富裕で豪胆な人物であったが、彼との結婚生活は式部にとって満ち足りたものではなかったらしい。 鬱屈した心情を抱えた日々が窺われる一首である。 正集・続集いずれにも見えない歌。 【他出】曽我物語、古本説話集、世継物語 観身岸額離根草、論命江頭不繋舟 (四首) たらちめの諌めしものをつれづれとながむるをだに問ふ人もなし (正集) 【通釈】母はうたた寝を叱ったものであるが、こうして物思いに耽りながら寝転んでいるのを、どうしたのかと今は尋ねてくれる人もいない。 下記本歌参照。 【補記】題詞は『和漢朗詠集』無常の部に載る羅維の詩。 訓み下せば「身ヲ観ズレバ岸ノ額ニ根ヲ離レタル草、命ヲ論ズレバ江ノ頭ニ繋ガザル舟」。 掲出歌以下四首は、その一字づつを頭において詠んだ連作四十三首からの抜萃である。 掲出歌は新古今集巻十八雑下に「題しらず」として入集。 初句は「たらちねの」。 【本歌】「拾遺集」 たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける 【主な派生歌】 笹の葉の露ばかりだに足乳根のいさめしものを酔ひに酔ひつつ るりの地と人も見つべしわが床は涙の玉としきにしければ (正集) 【通釈】瑠璃の地と人も見るに違いない。 私の寝床は、涙が玉のように敷き詰められているので。 七宝の一つ。 金・銀に次ぎ、青い宝石の類。 「瑠璃の地」は浄土・仏土のこと。 『法華経』のほか多くの仏典に出てくる。 暮れぬなり 幾日 いくか をかくてすぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして (正集) 【通釈】日は暮れてしまったようだ。 こんなふうにして何日を過ごしたのだろう。 入相の鐘を撞き、また撞きする音をつくづくと聞くばかりで…。 家の中などにいて、外のけしきは見ていないが、鐘の音によって日が暮れたと判ったのである。 は聴覚に基づく判断をあらわす助動詞。 【補記】新古今集巻十八雑下に「題しらず」として入集。 【補記】来る筈もない人を待って夜を明かし、有明の月を迎えることが度重なる。 新古今集巻十六雑上に「題しらず」として入集。 世の中にあらまほしき事 (三首) おしなべて花は桜になしはてて散るてふことのなからましかば (正集) 【通釈】花という花は全部桜にしてしまって、散るということがなかったならよいのに。 【補記】「あらまほしき事」とは、こうあってほしいと願うこと。 続後撰集85には「題しらず」とし、第二句「はるをさくらに」。 みな人をおなじ心になしはてて思ふ思はぬなからましかば (正集) 【通釈】すべての人を同じ心にしてしまって、片方だけが思い、片方は思わないというようなことがなかったらよいのに。 【補記】後拾遺集には恋歌として巻十二に載せている。 世の中に憂き身はなくてをしと思ふ人の命をとどめましかば (正集) 【通釈】辛いことばかり多い我が身はこの世から無くなって、代りに愛しく惜しいと思う人たちの命を残すことができたらよいのに。 【補記】「をし」は「愛しい」「惜しい」両義を含む。 前二首と異なりこれは稚い願望とも常識的な願望とも言えず、和泉式部独特の人生観がよく出た「あらまほしき事」であろう。 玉葉集2547には「題しらず」として載せる。 題しらず いかにせむいかにかすべき世の中をそむけば悲しすめばうらめし (玉葉2546) 【通釈】どうしよう。 どうすればよいのだろう。 この世を捨てるのも悲しいし、住み続けるのも耐え難いし。 【補記】正集では詞書「人に世のはかなきことをなどいひて」。 また結句は「すめばすみうし」。 【先蹤歌】藤原高遠「高遠集」 いかにしていかがはすべきなげきわびそむけばかなしふればうらめし 心地いとあしうおぼゆる比 我に誰あはれをかけむ思ひ出のなからむのちぞ悲しかりける (続集) 【通釈】私に誰が同情をかけてくれるだろうか。 私の死後、人々が思い出してもくれなくなった後を思えば、悲しいことである。 【補記】制作時期は不詳だが、続集では敦道親王の四十九日法要の際の歌の直前に置かれている。 世間 よのなか はかなき事を聞きて しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言ひやおかまし (正集) 【通釈】死んでしまったら、偲んでくれるような人もいない我が身だから、生きている時に「ああ可哀そうに」と自分で言っておこうか。 【補記】誰かの死を聞いて詠んだ歌ということであろう。 後拾遺集では詞書「世の中つねなく侍りけるころよめる」、第三句「あるをりは」。 【主な派生歌】 あはれあはれ思へばかなしつひの果てしのぶべき人たれとなき身を よみ花のさきたるを見て かへらぬは 齢 よはひ なりけり年のうちにいかなる花かふたたびは咲く (続集) 【通釈】戻ってこないのは年齢であったよ。 一年のうちで、どんな花が再び咲くものか。 地獄絵に、つるぎの枝に人のつらぬかれたるを見てよめる あさましやつるぎの枝のたわむまでこは何の身のなれるなるらむ (金葉644) 【通釈】なんてひどい。 剣の枝がたわむ程に身を貫かれて、これは一体どんな罪を犯した人がこうなったのであろう。 【補記】「つるぎの枝」とは、地獄に生えているという剣の樹の枝。 「つるぎ」に木を、「身」に実の意を掛け、「枝がたわむほど何の実がなったのか」の意を兼ねている。 性空上人のもとに、よみてつかはしける 暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月 (拾遺1342) 【通釈】暗闇から暗闇へと、煩悩の道に迷い込んでしまいそうです。 遥か彼方まで照らし出して下さい、山の端 は の真如の月よ。 -1007。 天台宗僧。 康保三年 966 、播磨国書写山に入り、円教寺を創立する。 法華持経者として知られ、あまたの霊験譚が伝わる。 因みに無量寿経にも「従苦入苦、従冥入冥」(苦より苦に入り、冥より冥に入る)とある。 性空上人による救いを暗喩する。 【補記】拾遺集に「雅致女式部」の名で唯一首入選した歌で、十代か二十代の作と推定される。 正集には詞書「播磨のひじりのおもとに、結縁 けちえん のためにきこえし」。 【他出】後十五番歌合、麗花集、和泉式部集、玄々集、新撰朗詠集、後六々撰、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合、女房三十六人歌合、古本説話集、宝物集、発心集、世継物語、沙石集 【参考歌】「続後撰集」 くらきよりくらきに猶や迷はまし衣のうらの玉なかりせば 【主な派生歌】 帰り出でて後の闇路を照らさなむ心にやどる山の端の月 [続後撰] 今はとて影をかくさむ夕べにも我をば送れ山の端の月 [玉葉] 心をばかねて西にぞ送りぬる我が身をさそへ山の端の月 源親子[風雅] 暗きより暗きにまよふ心をもはなれぬ月を待つぞはかなき 足利直義[新千載] 五月闇こかげ山陰くらきよりくらきに入りて照射すらしも 七日、例ならぬ心地のみすれば、「今日や我が世の」とおぼゆる 生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける (続集) 【通釈】生きていられそうには思えないなあ。 別れてしまった人の心が、私の命であったのだ。 今日が最期の日か、の意。 【補記】ある年の十一月の作。 『和泉式部続集』末尾近く、日記風の体裁が続く部分にある。 更新日:平成17年04月01日 最終更新日:平成22年08月17日.

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後撰集に歌われる月の歌の総括

あたら夜の月と花とを おなじくは あはれ知れらむ人に見せばや 品詞分解

生年は天延二年 974 、貞元元年 976 など諸説ある。 父は越前守大江雅致 まさむね 、母は越中守平保衡 たいらのやすひら 女。 父の官名から「式部」、また夫橘道貞の任国和泉から「和泉式部」と呼ばれた。 母が仕えていた昌子内親王(冷泉天皇皇后)の宮で育ち、橘道貞と結婚してをもうける。 やがて道貞のもとを離れ、弾正宮為尊 ためたか 親王(冷泉第三皇子。 母は兼家女、超子)と関係を結ぶが、親王は長保四年 1002 六月、二十六歳で夭折。 翌年、故宮の同母弟で「帥宮 そちのみや 」と呼ばれたとの恋に落ちた。 この頃から式部が親王邸に入るまでの経緯を綴ったのが『和泉式部日記』である。 親王との間にもうけた一子は、のち法師となって永覚を名のったという。 しかし敦道親王も寛弘四年 1007 に二十七歳の若さで亡くなり、服喪の後、寛弘六年頃からの中宮のもとに出仕を始めた。 彰子周辺にはこの頃・・などがいた。 その後、宮仕えが機縁となって、藤原道長の家司藤原保昌と再婚。 寛仁四年 1020 〜治安三年 1023 頃、丹後守となった夫とともに任国に下った。 帰京後の万寿二年 1025 、娘の小式部内侍が死去。 小式部内侍が藤原教通とのあいだに残した子は、のちの権僧正静円である。 の一人。 家集は数種伝わり、『和泉式部集』 正集 、『和泉式部続集』のほか、「宸翰本」「松井本」などと呼ばれる略本(秀歌集)がある。 また『和泉式部日記』も式部の自作とするのが通説である。 勅撰二十一代集に二百四十五首を入集(金葉集は二度本で数える)。 名実共に王朝時代随一の女流歌人である。 誠心院 京都市中京区新京極六角下ル 和泉式部の墓(宝篋印塔)がある。 * 「和泉式部といふ人こそ、面白う書き交しける。 されど、和泉はけしからぬ方こそあれ。 うちとけて文走り書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。 歌はいとをかしきこと、ものおぼえ、歌のことわり、まことのうたよみざまにこそ侍らざめれ。 口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目とまる詠み添へ侍り。 それだに人の詠みたらん歌なん、ことわりゐたらんは、いでやさまで心は得じ。 口にいと歌の詠まるゝなめりとぞ、見えたるすぢに侍るかし。 恥づかしげの歌よみやとは覺え侍らず」(『紫式部日記』)。 「和泉式部、紫式部、清少納言、赤染衞門、相模、などいふ當時の女性らの名を漠然とあげるとき、今に當つては、氣のとほくなるやうな旺んな時代の幻がうかぶのみである。 しかし和泉式部の歌は、輩出したこれらの稀代の才女、天才の中にあつて、容易に拔き出るものであつた。 當時の人々の思つた業 ごふ のやうな美しさをヒステリツクにうたひあげ、人の心をかきみだして、美しく切なくよびさますものといへば、いくらか彼女の歌の表情の一端をいひ得るであらうか」(保田與重郎『和泉式部私抄』)。 「恋を歌い、母性を歌う和泉式部の歌には、女性の身体のあり方と結びついた女性特有の心が炸裂している。 古代女性の教養や賢慮、政治・社会・宗教によってさえ差別され、自己否定を強要される女性の心性・分別とはかかわりなく、和泉式部は、女性の生理に根ざす生のあり方を純直に追求した。 女性であることによって、女性であるための制約を乗りこえる精神の自由を、かの女は花咲かせた」(近藤潤一『女歌拾遺』)。 * 【おすすめ関連書籍】 * 以下には勅撰集入集歌と 『和泉式部集』(以下「 正集」と略称)、 『和泉式部続集』(以下「 続集」と略称)より百首を抄出した。 【主な参考文献】 「和泉式部集」 群書類従275 第15輯 ・岩波文庫・私家集大成2・新編国歌大観3 「和泉式部続集」 続群書類従448 第16輯上 ・岩波文庫・私家集大成2・新編国歌大観3 「宸翰本和泉式部集」 桂宮本叢書9・岩波文庫 旧版 ・私家集大成2・新潮日本古典集成 「松井本和泉式部集」 岩波文庫 旧版 ・日本古典文学大系80・私家集大成2 7首 2首 5首 8首 41首 20首 17首 計100首 春 題しらず 春霞たつやおそきと山川の岩間をくぐる音きこゆなり (後拾遺13) 【通釈】春霞がたつのを今や遅しと待っていたように、岩の間を潜り流れる山川の音が聞こえるよ。 【補記】「岩間をくぐる」とは、岩と岩の間に張った氷の下を水が流れる、ということであろう。 春の鼓動が聞こえてくるようだ。 『和泉式部集』巻頭歌。 【主な派生歌】 けさ見れば岩間をくぐる山川のよどむともなき薄氷かな 梅の花をみて 梅の香を君によそへてみるからに花のをり知る身ともなるかな (続集) 【通釈】その香をあなたの袖の香によそえて梅を見るばかりに、花の咲く時節を知る身となったのだ。 【補記】恋人が薫物「梅花香」を愛用しているゆえに、梅の咲く時節に敏感になった。 花を愛でるにも恋の心を通して見ているわけで、和泉式部の歌人としての特色がよく表れている。 花時心不静といへることを のどかなる折こそなけれ花を思ふ心のうちに風は吹かねど (続後拾遺93) 【通釈】のどかな折とてないよ。 漢詩からの引用らしいが、出典は不明。 因みに正集では「花の時心不静、雨の中に松緑をます」とあり、松の緑を詠んだ歌が併載されている。 【参考歌】「亭子院歌合」 春風の吹かぬ世にだにあらませば心のどかに花は見てまし 花のいとおもしろきを見て あぢきなく春は命の惜しきかな花ぞこの世のほだしなりける (風雅1480) 【通釈】どうしようもなく春は命が惜しいものだ。 花こそがこの世を去りかねる妨げであったよ。 【参考歌】「古今集」 あはれてふ事こそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ やまぶきのさきたるをみて われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花 (続集) 【通釈】私がやはり手折りたく思うのは、八重に重なって咲く山吹の花であるよ。 もともと花の生命力を自分に移すための呪術的な行為であり、無益なたわむれではなかった。 「まほし」は「希求の助動詞」と言われ、「こうしたい」または「こうしてほしい」と希望する心をあらわす辞。 【補記】枕詞として用いている「白雲の」が、歌柄を大きくし、また山吹に寄せる作者の思いをどこか高踏的に見せるという、面白い効果を発揮している。 続集の敦道親王哀傷歌群に挟まれた一首。 【参考歌】「古今集」 白雲の八重にかさなるをちにてもおもはむ人に心へだつな つつじをよめる 岩つつじ折りもてぞ見るせこが着し紅ぞめの色に似たれば (後拾遺150) 【通釈】岩躑躅の花を手折り持ってつぶさに見るよ。 いとしい人がかつて着ていた紅染 くれないぞめ の衣の色に似ているので。 【補記】「岩つつじ」は岩間に生えている躑躅。 襲の色目にも「いはつつじ」と呼ばれるものがあり、表は紅、裏は紫。 なお松井本『和泉式部集』では結句「きぬににたれば」。 常の事とはいひながら、いとはかなう見ゆる頃、三月 晦 つごもり 比に 世の中は暮れゆく春の末なれやきのふは花の盛とか見し (続集) 【通釈】世は今、暮れて行く春の末なのだろうか。 つい昨日は花の盛りと見たばかりではなかったか。 【補記】三月晦日、すなわち春の最後の日に詠んだ歌。 毎年迎える春の終りではあるが、殊更はかなく思えたという。 夏 四月 うづき ついたちの日よめる 桜色にそめし衣をぬぎかへて山ほととぎす今日よりぞ待つ (後拾遺165) 【通釈】桜色に染めた春の衣を夏の衣に脱ぎかえて、山時鳥の訪れを今日から待つのだ。 【補記】「桜色」は春の襲 かさね の色目。 その春衣を、うすものの夏衣に着替えて、夏を迎える。 後拾遺集巻三夏巻頭。 【参考歌】「古今集」 桜色に衣はふかくそめて着む花の散りなむのちのかたみに 恵慶法師「恵慶法師集」 花ちらむのちも見るべく桜色にそめし衣をぬぎやかふべき 【主な派生歌】 桜色にそめし衣を卯の花のしらがさねにぞたちかへてける 桜色の花のたもとをたちかへてふたたび春のなごりをぞ思ふ [玉葉] 桜色のかたみのころもぬぎかへてふたたび春に別れぬるかな なれ行くもあだなる花のうき世とや染めし衣を今朝かふるらむ 六月祓をよめる 思ふことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓へつるかな (後拾遺1204) 【通釈】水無月の晦日 みそか 、私の悩みが皆尽きてしまえと、麻の葉を細かく切りに切って御祓いをしたことだ。 旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日 みそか に行なわれた大祓。 「みなつき」は「皆尽き」「水無月」の掛詞。 【補記】正集では結句「はらひつるかな」。 【他出】和泉式部集、題林愚抄 【主な派生歌】 思ふことみなつきねとて御祓する河瀬の波も袖ぬらしけり 麻の葉にゆふしでかけて思ふことみなつきねとてはらひつるかな 秋 題しらず 人もがな見せも聞かせも萩の花さく夕かげのひぐらしの声 (千載247) 【通釈】誰か人がいてほしい。 花を見せもしたい、声を聞かせもしたい。 萩の花が咲く夕日の中の蜩の声よ。 【補記】季節の情趣から受けた感動を人と分かち合いたいとの率直な願望が、躍動的なリズムで歌い上げられている。 『和泉式部集』では第二句が「みせんきかせん」。 【他出】正集、古来風躰抄、定家八代抄 【本歌】「古今集」 我のみやあはれとおもはむきりぎりすなく夕かげのやまとなでしこ 【主な派生歌】 たれにかはみせもきかせももみぢばのちる山ざとのあり明の月 一葉ちる桐の立枝に秋をはやみせもきかせもわたる朝風 あさがほをよめる ありとてもたのむべきかは世の中を知らする物は朝がほの花 (後拾遺317) 【通釈】いま生きているからといって、 これからも生きていると頼むことなどできようか。 この世の道理を知らせてくれるものは朝顔の花である。 【補記】正集冒頭の百首歌。 朝顔の花に寄せて世の無常を詠む。 【他出】正集、新撰朗詠集、題林愚抄 【主な派生歌】 世の中はただ影やどすます鏡見るをありとも頼むべきかは 奥山の奥のあはれをよそまでも知らするものは棹鹿の声 題しらず 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ (詞花109) 【通釈】秋に吹くのはどんな色をしている風だからといって、身にしみるばかりに哀れ深いのだろうか。 【補記】透明であるはずの風が、秋は身に染みる。 「しむ」と「色」は縁語。 なお結句を「人の恋しき」とする本もある。 【他出】後葉集、興風集、古来風躰抄、定家八代抄 【主な派生歌】 白妙の袖の別れに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く [新古今] 題しらず 晴れずのみ物ぞかなしき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ (後拾遺293) 【通釈】全く心が晴れることなく何か切なくてならない。 秋の霧は心の中に立つのだろうか。 【補記】正集冒頭の百首歌。 暮つ方、霧のたたずまひ、空のけしきなど、あはれしれらむとて 今はとて立つ霧さへぞあはれなるありし 朝 あした の空に似たれば (続集) 【通釈】今は秋の終りと、立ち込める霧さえもが哀れ深い。 かつて人と別れた朝の空に似ているので。 源信明の「あたら夜の月と花とをおなじくはあはれしれらむ人に見せばや」(後撰集)に由る。 【補記】続集の排列に従えば、或る年の九月晦日、すなわち秋の終りの日に詠んだ歌。 冬 題しらず 野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける (新古624) 【通釈】野辺を見ると、尾花の下の思い草が枯れてゆく冬になってしまったのだった。 秋に淡紅色の花をつける。 物思いに耽るように頭を垂れて咲くので「思ひ草」と呼んだものらしい。 【補記】『和泉式部集』では「観身岸額離根草、論命江頭不繋舟」の訓み下し文の各字を頭に置いた四十三首中の一首で、第四句は「かれゆく程に」。 【本歌】「万葉集」 道の辺の尾花がもとの思ひ草今さらさらに何をかおもはむ 一日、つとめて見れば、いとこき紅葉に、霜のいと白うおきたれば、それにつけてもまづ もみぢ葉もましろに霜のおける朝は越の白嶺ぞ思ひやらるる (続集) 【通釈】紅葉した葉さえも真っ白にして霜が置いている朝は、越の国の白嶺が思い遣られることだ。 四時雪の消えない山として王朝人の憧憬の的であった。 【補記】『和泉式部集』の排列によれば、或る年の十一月一日の詠。 同集末尾近く、日記風の記述が続く部分にある。 自身越の国に滞在したとの記録はないが、父大江雅致は越前守、母方の祖父平保衡は越中守を務めるなど、北陸地方とは浅からぬ因縁のあった和泉式部である。 【参考歌】「古今集」 思ひやる越の白山しらねどもひと夜も夢にこえぬ夜ぞなき 題しらず 外山 とやま 吹く嵐の風の音きけばまだきに冬の奥ぞ知らるる (千載396) 【通釈】里近くの山を吹く嵐の風の音を聞くと、早くも晩冬の寒さが思い知らされるのだ。 早くも。 【補記】前の歌と同じく『和泉式部集』では「観身岸額離根草、論命江頭不繋舟」の訓み下し文の各字を頭に置いた四十三首中の一首。 杉檜など針葉高木の類。 今の京都市左京区北部、比叡山の麓に連なる丘陵地。 貴族は好んで山荘を建て、世捨て人は隠棲の地とした。 冬寒い土地として歌に詠まれ、また炭焼で名高い。 【補記】正集は初句「見わたせば」。 題しらず さびしさに 煙 けぶり をだにも絶たじとて柴折りくぶる冬の山里 (後拾遺390) 【通釈】寂しくて、せめて炉の煙だけは絶やすまいと、薪を折ってはくべる、冬の山里よ。 【補記】煙を絶やすまいとするのは、何も暖をとるためばかりではあるまい。 一すじの細い煙に託して「自分はここに生きている」とささやかに主張したいのではないだろうか。 『和泉式部集』(正集)の冒頭に収められた百首歌(実際には九十八首しか残っていない)。 正集では初句「わびぬれば」、第四句「しばをりたける」。 【補記】「さらさらに」は竹の葉が触れ合う擬音語であると同時に「決して」の意を兼ねる掛詞。 詞花集254には詞書「たのめたる男をいまやいまやとまちけるに、まへなる竹の葉にあられのふりかかりけるをききてよめる」とあり、恋歌に分類している。 うづみび 寝 ぬ る人をおこすともなき 埋火 うづみび を見つつはなかく明かす夜な夜な (正集) 【通釈】寝ている人を起すという程でもない、今にも消えそうな埋み火を見ながら、毎晩はかなく夜を明かしているよ。 「おこす」には「熾す」を掛け、火の縁語としている。 【補記】正集冒頭の百首歌。 続集では初句「まどろむを」、結句「あかすころかな」。 【主な派生歌】 埋火のおこすともなき冬の夜にねられぬ程のさもぞひさしき 冬 せこが来て臥ししかたはら寒き夜はわが 手枕 たまくら を我ぞして 寝 ぬ る (正集) 【通釈】夫がやって来て横になった傍らで、寒い夜は自分で腕枕をして寝るのだ。 【補記】正集冒頭の百首歌。 前の歌と同様、夫がありながら孤独な冬の夜を過ごす女の思いを詠む。 恋 百首歌の中に つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだりこむものならなくに (玉葉1467) 【通釈】つくづくと空が眺められるよ。 恋しく思う人が天から降りて来ることなどありはしないのに。 【補記】「ものならなくに」と否定してみたところで、天に焦がれる思いが消えるわけではない。 『和泉式部集』(正集)の最初に収められた百首歌。 【補記】正集では詞書「つれづれと夕暮にながめて」、第三句「まさるかと」。 詞花集巻八恋下。 題しらず 黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき (後拾遺755) 【通釈】思い乱れ、髪を乱したまま床にうちふす。 その時まっ先に恋しく思い浮ぶのは、(昨夜この床で)わが黒髪をかきやったあの人のこと。 【補記】正集冒頭の百首歌。 【他出】正集、後六々撰、定家八代抄、歌林良材 【主な派生歌】 長からむ心も知らず黒髪のみだれて今朝は物をこそ思へ [千載] かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ [新古今] うば玉の闇のうつつにかきやれどなれてかひなき床の黒髪 〃 夢かなほみだれそめぬる朝寝髪またかきやらむ末もしらねば [風雅] 雲風のみだれもしらず空にのみたのめし月のゆくへかなしも 三条西実隆 くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪おもひ乱れかつおもひ乱るる 与謝野晶子 題しらず 世の中に恋といふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける (後拾遺790) 【通釈】この世に恋という色はないけれども、深く身に染みるものであったよ。 【補記】正集冒頭の百首歌。 第二句「こひてふいろは」とする本もある。 題しらず 涙川おなじ身よりはながるれど恋をば 消 け たぬものにぞありける (後拾遺802) 【通釈】涙川は同じ我が身から流れているのに、恋の火を消すことはないのだった。 また、絶えず流れ落ちる涙を川にたとえて言う。 恋 こひ のヒに火を掛けている。 【補記】正集冒頭の百首歌。 【参考歌】作者不明「古今和歌六帖」 涙川いかなる水かながるらむなどわがこひをけつときのなき (「亭子院歌合」では藤原興風の作とし、結句「けすひとのなき」。 「元真集」「新古今集」 涙川身もうくばかりながるれど消えぬは人の思ひなりけり 恋 (二首) いたづらに身をぞ捨てつる人をおもふ心やふかき谷となるらむ (正集) 【通釈】むなしく命を捨ててしまった人たちのことを思うよ。 恋する心は深い谷となるのだろうか。 そうして彼らは谷へ身を投げてしまったのだろうか。 【補記】正集冒頭の百首歌、恋の最初に置かれた作。 【本歌】「古今集」 世の中のうきたびごとに身をなげばふかき谷こそあさくなりなめ 逢ふことを息の緒にする身にしあれば絶ゆるもいかが悲しと思はぬ (正集) 【通釈】逢えば別れることは避け難い。 それでも逢うことを「息の緒」にする我が身だから、緒が絶えても悲しいとは思わない。 (恋に死ぬとしても本望だ。 万葉集に見えるが、王朝和歌では非常に珍しい語句。 【補記】正集冒頭の百首歌。 【参考歌】大伴家持「万葉集」 白雪のふりしく山を越えゆかむ君をぞもとな息の緒に思ふ (左注に橘諸兄が末句を「いきのをにする」に改めた旨ある) いみじうふみこまかにかく人の、さしもおもはぬに 絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや (正集) 【通釈】命が絶え果てるなら絶え果ててしまえばよい。 あなたが私の玉の緒になろうとは、思いもかけませんでした。 【補記】詞書は「大変手紙を心細やかに書くが、実際はそれ程(私のことを)恋しく思っていない人に」程の意か。 この詞書のあとに八首の歌が続き、掲出歌はその五番目。 題しらず 君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬものにぞありける (後拾遺801) 【通釈】あなたを恋しく思う心は千々に砕けてしまう程だけれども、その思いは一つも失せないものであったよ。 【補記】正集冒頭の百首歌。 似た表現を用いた、続集所収歌「身はひとつ心はちぢにくだくればさまざま物のなげかしきかな」も捨てがたい。 【参考歌】曾禰好忠「好忠集」「続古今集」 君恋ふと心はちぢにくだくるをなど数ならぬ我が身なるらむ 【主な派生歌】 よせかへり千々にくだけてあら磯やひとつもうせぬ波の月影 恋歌の中に かく恋ひばたへず死ぬべしよそに見し人こそおのが命なりけれ (続後撰703) 【通釈】こんなに恋しく思っていたら、堪えきれずに死んでしまうだろう。 よそながら見た人こそが私の命であった。 無縁な存在として見た人。 この歌の場合、「逢いはしたが関係を持つことなく終わった人」ほどの意か。 【補記】本テキスト末尾に置いた「生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける」にも見える、式部独特の発想。 正集冒頭の百首歌。 【参考歌】四条中宮(藤原遵子)「詞花集」 よそに見し尾花が末の白露はあるかなきかの我が身なりけり 題しらず 人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ (後拾遺820) 【通釈】人たる我が身を、恋にくれてやった。 恋に我が身をくれてやった。 「こひ」のヒに火を掛けているので、我が身を恋の火に投げ入れて燃やしてしまった、ということ。 ここでは蛾のことであろう。 【補記】正集冒頭の百首歌では夏の部に入る。 「中空に」は「空の中ほどに」「中途半端な思いで」といった意も響く。 【補記】恋人を帰した後の、中空に漂う霧のように宙ぶらりんの心情を詠む。 正集の詞書は「九月ばかり、鳥の音にそそのかされて、人の出でぬるに」。 【参考歌】作者不明「公任集」 人はゆき霧はまがきに立ちとまりくもりながらぞ我はながめし なげくことありとききて、人の「いかなることぞ」ととひたるに ともかくも言はばなべてになりぬべし 音 ね になきてこそ見せまほしけれ (宸翰本和泉式部集) 【通釈】どう言いましょうとも、ことばにすればありふれた言い方になってしまうでしょう。 ただもう声あげて泣くことで、私の思いをお見せしたいものです。 【補記】この思いは、言葉では伝えることができない、声に出して泣くことでしか表わすことができない、といった心。 千載集には「題不知」として載り、結句「みすべかりけれ」。 【他出】和泉式部続集、続詞花集、古来風躰抄、定家八代抄 【参考歌】「伊勢集」 身の憂きを言はばはしたになりぬべし思へば胸のくだけのみする 【主な派生歌】 いかにしていかに知らせむともかくも言はばなべての言の葉ぞかし いかにせむ霞める空をあはれともいはばなべての春の明けぼの 雨のいたくふる日、「なみだの雨の袖に」などいひたる人に 見し人に忘られてふる袖にこそ身を知る雨はいつもをやまね (後拾遺703) 【通釈】契りを交わした人に忘れられて年月を送っている私の袖の方にこそ、わが境涯を思い知らせる雨はおやみなく降っています。 涙を暗示することは言うまでもない。 下記本歌参照。 【補記】激しい雨の降る日、男が「涙の雨が(私の)袖に(降っています)」と言って来たのに対する返歌。 正集の詞書は「雨のふる日、涙の雨の袖に、などいひたる人に」。 【本歌】「古今集」 数々に思ひ思はずとひがたみ身をしる雨はふりぞまされる 題しらず 枕だに知らねば言はじ見しままに君語るなよ春の夜の夢 (新古1160) 【通釈】枕さえ知らないのですから、告げ口はしないでしょう。 ですからあなた、見たままに人に語ったりしないで下さい、私たちの春の夜の夢を。 だから枕も告げ口のしようがない(下記本歌・参考歌参照)。 【補記】『和泉式部続集』では「おもひがけずはかりて、ものいひたる人に」の詞書に続く三首の第二首で、第四句は「君にかたるな」とする。 【本歌】伊勢「伊勢集」「新古今集」 夢とても人にかたるなしるといへば手枕ならぬ枕だにせず 【参考歌】「古今集」 わが恋を人しるらめや敷妙の枕のみこそしらばしるらめ 「古今集」 知るといへば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名の空にたつらむ 露ばかりあひ見そめたる男のもとにつかはしける 白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり (後拾遺831) 【通釈】 人が果敢ないと言う白露も、夢も、この世も、幻も、 あなたとの逢瀬の短さに比べれば、長く続くものであったよ。 【補記】果敢ないものの例を挙げて、逢瀬の短かった不満を恋人に訴えた。 正集・続集に見えず、宸翰本・松井本に見える歌。 【本歌】「後撰集」 人心たとへて見れば白露のきゆるまもなほひさしかりけり 【主な派生歌】 まぼろしも夢も久しき逢ふことをいかに名づけてそれと頼まむ 弾正尹 だむじやうのいん 為尊 ためたか のみこかくれ侍りてのち、太宰帥花たちばなをつかはして、いかがみるといひて侍りければ、つかはしける かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると (千載971) 【通釈】橘の香になぞらえて昔の人を偲ぶよりは、時鳥の声が昔と同じかどうか聞いてみたいものです。 (亡き兄宮を懐かしむよりも、生きておられる弟宮のあなたのお声を聞いてみたいものです。 兄宮と似ておられるかどうかと。 ) 【補記】為尊親王は冷泉天皇の皇子で、敦道親王の兄。 敦道親王が式部に花橘を送って「(この花を)どう思いますか」と問うたのは、古今集の歌「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」を踏まえ、亡くなった為尊親王への式部の思いを確かめたのである。 これに応えて式部は、時鳥に敦道親王を暗喩し、兄宮と似ているかどうか、それを知りたい、と返したのである。 親王の返歌は「おなじ枝になきつつをりし郭公こゑはかはらぬ物としらなむ」(大意:同じ枝に鳴いていた時鳥ですから、声は変わらないものとご承知下さい」)。 七月七日 ながむらん空をだに見ず七夕にあまるばかりの我が身と思へば (正集) 【通釈】あなたが眺めておられる空など見る気にもなりません。 織女の心に比べたって余るほどの思いを抱えた私ですから。 【補記】和泉式部日記では帥宮の歌「思ひきやたなばたつめに身をなして天の川原を眺むべしとは」(大意:思いも寄らないことでした。 織姫に我が身をなして、恋しい人に逢うこともできず、ただ虚しく天の川の川原を眺めてることになろうとは)への返し。 日記は第四句を「忌 い まるばかりの」とする。 太宰帥敦道のみこなかたえける頃、秋つかた思ひ出でてものして侍りけるによみ侍りける 待つとてもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ秋の夕暮 (千載844) 【通釈】約束して待っていたとしても、これほど嬉しくはないでしょう。 思いもかけない今日の秋の夕暮です。 【補記】和泉式部日記では、初めての後朝の贈答のあと、敦道親王の召使が手紙も持たずにやって来たのに対し言づけた歌となっており、「待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬけふの夕ぐれ」と、歌句にもかなりの相違がある。 風ふき物あはれなる夕ぐれに 秋風はけしき吹くだに悲しきにかきくもる日は言ふかたぞなき (正集) 【通釈】秋風はほのかに吹くだけでさえ悲しいのに、その上空が掻き曇る日などは言い表しようもない程だ。 【補記】和泉式部日記では、敦道親王との仲が途絶えがちで心細く鬱々と暮らしていた秋、親王から手紙で「なげきつつ秋のみ空をながむれば雲うちさわぎ風ぞはげしき」と言って来たのに対する返歌。 つゆまどろまで嘆き明かすに、雁の声をききて まどろまであはれ 幾日 いくか になりぬらむただ雁がねを聞くわざにして (正集) 【通釈】まどろみもせずに、鳴呼何日を過ごしたことだろう。 ただ雁の鳴き声を聞くばかりを事として。 【補記】和泉式部日記によれば、九月十余日の明け方、敦道親王が式部のもとを訪れたが、仕え人が寝ぼけて門を開けないうちに帰ってしまい、「秋の夜の有明の月の入るまでにやすらひかねてかへりにしかな」(大意:秋の夜の有明の月がすっかり沈んでしまうまで佇んでいることができかねて、引き返してしまいましたよ)と手紙を寄越した。 式部は起きて蕭条とした秋の庭を眺めるうち、雁の鳴き渡る声を聞いてこの歌を詠んだという。 かくて、つごもり方にぞ御文ある。 日ごろのおぼつかなさなど言ひて、「あやしきことなれど、日ごろもの言ひつる人なむ遠く行くなるを、あはれと言ひつべからむことなむ一つ言はむと思ふに、それよりのたまふことのみなむ、さはおぼゆるを、一つのたまへ」とあり。 あなしたりがほ、と思へど、さはえきこゆまじ、ときこえむも、いとさかしければ、「のたまはせたることは、いかでか」とばかりにて、 惜しまるる涙にかげはとまらなむ心も知らず秋はゆくとも (和泉式部日記) 【通釈】別れを惜しむ涙の中に、あなたの面影はとどまりましょう。 私の心も知らず、秋は過ぎてゆくとも(あなたの心は私に「飽き」てゆくとしても)。 【補記】敦道親王から手紙があり、「言い交わしていた人が遠くへ行くことになり、相手が感じ入るような歌を贈りたいが、あなたにしかそんな歌は詠めまいから、一首代りに詠んで下さい」と言って来た。 親王のしたり顔が思い浮かぶけれども、致し方なく「おっしゃるような上手い歌は、どうして詠めましょうか」と断り書きして贈った歌。 正集では詞書「人こひしきに」とあるのみで、初・二句「をしまれぬ涙にかけて」、四句「心もゆかぬ」。 「離 か れ」を掛ける。 【補記】和泉式部日記では敦道親王に贈った歌。 「おなじこころに」とある返り事に 君は君われはわれとも隔てねばこころごころにあらむものかは (正集) 【通釈】あなたはあなた、私は私と、分け隔てをしていないので、心が別々などということがあるでしょうか。 【補記】日記によれば、帥の宮の「我ひとり思ふは思ふかひもなし同じ心に君もあらなむ」(大意:私独りで恋しく思う思いは甲斐もありません。 あなたも同じ心であってほしい)への返し。 【参考歌】藤原義孝「後拾遺集」 君がためをしからざりし命さへながくもがなと思ひぬるかな 男の、はじめて人のもとにつかはしけるに、かはりてよめる おぼめくな誰ともなくて宵々に夢に見えけむ我ぞその人 (後拾遺611) 【通釈】不審に思わないで下さい。 夜ごとに夢にあらわれたのは、ほかの誰でもない、私なのです。 【補記】式部が、初めて恋文を出す男に代わって詠んだ歌。 いかなる人にかいひ侍る いとどしく物ぞかなしきさだめなき君はわが身のかぎりと思ふに (正集) 【通釈】ひとしお切ない気持になるのです。 うつろいやすい貴方は、私にとってありったけの全部だと思うにつけて。 心が変わりやすい、といったニュアンスもある。 【補記】「いかなる人にか」「いかなる人にかいひ侍る」の詞書で括られた歌群の一首。 また わが 魂 たま のかよふばかりの道もがなまどはむほどに君をだに見む (正集) 【通釈】 身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい。 迷いながらでも、せめてわずかなりとあなたを見よう。 【補記】正集の順序によれば、藤原保昌と結婚後、夫以外の男に贈った歌らしい。 夜ごとに人の「来む」といひて来ねば、つとめて 今宵さへあらばかくこそ思ほえめ今日暮れぬまの命ともがな (後拾遺711) 【通釈】今夜さえ生きていたら、またこんなに辛い思いをすることでしょう。 いっそ今日の日が暮れないうちに死んでしまいたい。 【補記】毎夜期待させては来なかった男に、ある日の早朝贈った歌。 「かくこそ」は「待ち続けたこの夜のように苦しく」といった意。 互ひつつむことある男の、「たやすく逢はず」とうらみければよめる おのが身のおのが心にかなはぬを思はば物は思ひ知りなむ (詞花310) 【通釈】あなただって自分の身は自分の心のままにはならないでしょう。 そう思えば、 私があなたに逢えない事情も分かっていただけるはずです。 【補記】正集は第四句「おもはば物を」とする。 わりなくうらむる人に 津の国のこやとも人を言ふべきにひまこそなけれ葦の八重葺き (正集) 【通釈】津の国の昆陽ではありませんが、「来や(来てほしい)」とあなたに言うべきでしょうけれども、葦の八重葺きの屋根の目が詰っているように、世間の人目がいっぱいで、そんなことは言えないのです。 今の大阪府と兵庫県の一部。 また「葦の八重葺き」の縁からは「小屋」の意も帯びる。 葦は津の国の名物。 【補記】詞書は「むやみに恨む人に」程の意。 来てほしいとは言えない事情を歌枕に寄せて風流に言い訳してみせた。 後拾遺集巻十二(恋二)に「題不知」として入集。 『袋草紙』等によれば、藤原公任が激賞した歌。 【他出】後拾遺集、麗花集、後六々撰、古来風躰抄、女房三十六人歌合 【本歌】「拾遺集」 津の国の難波渡につくるなるこやと言はなむ行きて見るべく 【主な派生歌】 ひまなくぞなにはのこともなげかるるこや津の国の葦の八重葺き 蘆葺きのこやてふかたに宿からん人呼子鳥こゑもひまなし 津の国のこやのあしぶき野分してひまこそあれと人につげばや [続古今] 津の国の蘆のやへぶき五月雨はひまこそなけれ軒の玉水 津の国のこやのあしぶきうづもれて雪のひまだに見えぬ頃かな [続千載] 人しれず物をぞ思ふつのくにのこやのしの屋や隙もなきまで 後村上院[新葉] とぶ蛍ひまこそなけれ五月雨に蘆の八重ぶき朽ちやはつらむ しのびて人にもの申し侍りけるころ なにごとも心にこめて忍ぶるをいかで涙のまづ知りぬらむ (続古今1023) 【通釈】苦しいことは何でも心の底にひそめて忍んでいるのに、どうして涙はまっさきに我が心を知ってこぼれるのだろう。 【補記】正集では詞書「物おもひつづくるに、いたう悲しければ」。 題しらず 身の憂さも人のつらさも知りぬるをこは 誰 た が 誰 たれ を恋ふるなるらむ (玉葉1679) 【通釈】我が身の不如意も人の無情さも思い知ったのに、いったいこれは誰が誰を恋しているというのでしょうか。 【補記】『和泉式部正集』では「また人に」の詞書で括られた三首の一。 同集の順序によれば、藤原保昌と結婚後、夫以外の男に贈った歌らしい。 【参考歌】「新古今集」 世のうきも人のつらきも忍ぶるに恋しきにこそ思ひわびぬれ 男のもとより、「たまさかにもあはれと言ふになむ、命はかけたる」といひたるに とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものか命は (続集) 【通釈】私がいつまでも「いとしい、いとしい」と、いとしさの尽きるまで言い続けたとしても、 あなたは永久に命を繋ぎ止められるでしょうか。 命だけは心にかなうものではありませんことよ。 【補記】男から「ごく稀にでも『いとしい』と貴女が言ってくれることで、私は命を繋ぎ止めているのです」と言って来たのに対する返事。 人と物語してゐたるに、人のまうできあひて、ふたりながらかへりけるにつかはしける 半天 なかぞら にひとり有明の月を見てのこるくまなく身をぞ知りぬる (玉葉1476) 【通釈】どっちつかずの状態で独り夜を過ごし、中空に一つ残っている有明の月を見て、あさましい我が身を余すところなく思い知りましたよ。 月の光の曇りがない意を掛ける。 【補記】ある男と語り合っていたところ、別の男が来合わせて、二人とも帰ってしまったので言い遣った歌。 恋人が鉢合わせになった、ということだろう。 男にわすられて、装束つつみておくりはべりけるに、革の帯にむすびつけはべりける なきながす涙に堪へで絶えぬれば縹の帯の心地こそすれ (後拾遺757) 【通釈】泣いては流す涙に堪えきれず生地がぼろぼろになって切れるように、涙に堪えきれずあなたとの仲は絶えてしまったので、まるで自分がはかない縹 はなだ 色の帯のようになった心地がします。 【補記】別れた男のもとに装束を送り返す際、その包みの革紐に書いて付けた歌。 続集では最初の夫橘道貞と思われる男との離別を歎く歌群のうちにあり、道貞と離別した直後の作であろう。 縹色は薄い藍色。 【参考歌】催馬楽「石川」 石川の 高麗人 こまうど に 帯を取られて からき悔いする いかなる いかなる帯ぞ 縹の帯の 中はたいれるか かやるか あやるか 中はたいれたるか 【主な派生歌】 妹もとわれ縹の帯の中なれや色かはるかとみれば絶えぬる [続拾遺] 男にわすられて侍りける頃、 貴船 きぶね にまゐりて、 御手洗 みたらし 川にほたるのとび侍りけるを見てよめる 物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる 魂 たま かとぞみる (後拾遺1162) 【通釈】恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してゆく魂ではないかと見えるよ。 貴船神社 京都市左京区 【補記】男の訪問が絶えていた頃、貴船神社に参詣し、御手洗川に蛍が飛ぶのを見て詠んだ歌。 貴船神社は鴨川の水源地にあり、水神を祀る古社であるが、縁結びの効験でも著名。 宸翰本・松井本に採られているが、正集・続集には見えない。 後拾遺集では巻二十雑六に神祇歌として載せ、貴船明神が和泉式部に返したと伝わる歌「奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちるばかり物な思ひそ」を添えている。 【他出】和歌童蒙抄、袋草紙、後六々撰、古本説話集、無名草子、時代不同歌合、十訓抄、古今著聞集、沙石集 【参考歌】「後撰集」 つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり 【主な派生歌】 なげきあまりあくがれ出づる玉なりと君がつまにしむすびとどめば さゆりばのしられぬ恋もあるものを身よりあまりてゆく蛍かな いく夜われ波にしをれてきぶね川袖に玉ちる物思ふらむ [新古今] 物思へばあくがれいづる玉河のうき瀬にもえてとぶ蛍かな 行く蛍あくがれいづる玉ならばつれなき袖の中にとどまれ もえわたる沢の蛍をうき人に見せばや身にもあまるおもひと 保昌にわすられて侍りける頃、とひて侍りければよめる 人知れず物思ふことはならひにき花に別れぬ春しなければ (詞花312) 【通釈】自分だけで思い悩むことは、とうに慣れっこです。 花に別れない春はないのですから。 の家司で、源頼光らと共に道長の信任が厚かった武人。 敦道親王の死後、式部と結婚。 丹後守・大和守・摂津守などを歴任。 歌人として名高い。 和泉式部より二十歳以上年下。 【補記】夫に捨てられたとの噂を聞きつけ、若い貴公子が言い寄ってきたのであろう。 それに対し、「別れには慣れているから、辛い思いを一人で抱えることにも慣れてしまった(慰めは不要)」と、交際の申し入れをやんわり拒んだのである。 「ならひにき」などの言い方に、相手よりも自分が年上であることが意識されている。 なお『和泉式部集』には詞書「人のかへりごとに」とし、初句「としをへて」として載る。 あの世。 【補記】正集の詞書は「ここちあしきころ、人に」。 【他出】和泉式部集、古来風躰抄、定家八代抄、八代集秀逸、百人一首 【主な派生歌】 いかでわれ此の世の外の思ひ出に風をいとはで花をながめむ いかにせむ今一たびの逢ふことを夢にだに見て寝覚めずもがな [新勅撰] おのづから人も時のま思ひ出でばそれをこの世の思ひ出でにせん あらざらむ後の世までを怨みてもその面影をえこそ疎まね せめて思ふ今ひとたびの逢ふことはわたらむ河や契りなるべき あらざらむ後の世かけし契りこそ恃むにつけて嬉しかりけれ [新後撰] あらざらむ後の名までは思はねど憂き同じ世になき身ともがな [新千載] あらざらむ我が世の後の秋までも思ひおかるるやどの月かげ あらざらむ後と思ひし長月のこよひの月も此の世にてみし 在らざらむこの夜ののちを言はなくに天心秋をひたす面影 山中智恵子 哀傷 敦道親王におくれてよみ侍りける 今はただそよそのことと思ひ出でて忘るばかりの憂きこともがな (後拾遺573) 【通釈】帥宮に先立たれた今はただ、「そう、そんなことがあった」と楽しいことを思い出しては泣くばかりで、いっそ宮のことを忘れたくなる程の辛い思い出があればよかったのに。 【補記】敦道親王は寛弘四年 1007 十月二日、二十七歳の若さで亡くなった。 『和泉式部続集』に親王哀悼歌は百二十余首を数える。 なお続集では詞書「なほ尼にやなりなましと思ひ立つにも」のあとに続く五首のうちの第三首。 第五句は「うきふしもなし」。 【主な派生歌】 荻の葉のそよそのこととなけれども秋風吹けば物ぞかなしき おなじころ、尼にならむと思ひてよみ侍りける 捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば (後拾遺574) 【通釈】捨て切ってしまおうと、そう思うことさえ切ないのだ。 あの人に馴染んだ我が身と思えば。 【補記】上の歌と同じく続集では詞書「なほ尼にやなりなましと思ひ立つにも」とある歌群の一首。 「亡き人に愛された身を、愛されたままのかたちに保ちつつ生きたいという願い」(馬場あき子『和泉式部』)。 なほ尼にやなりなましと思ひ立つにも かたらひし声ぞ恋しき俤はありしそながら物も言はねば (続集) 【通釈】語り合った声こそが恋しい。 面影は生きていた時そのままだけれど、何も言ってくれないので。 【補記】上の二首と同じ時の作。 「そながら」は「そのままに」の意。 【補記】敦道親王哀傷歌群。 現世の無常を思い知りながら、惚けたように過ごしている自己を我ながら怪しむ心。 ひたすらに別れし人のいかなれば胸にとまれる心地のみする (続集) 【通釈】まったく別世界へ逝ってしまった人が、どういうわけで、私の胸にいつまでも留まっている心地がしてならないのだろうか。 すっかり。 次句「別れし」にかかる。 【補記】現実の存在はすっかり消え失せてしまった人が、胸の中にはいつまでも留まっている。 「胸にとまれる」は当時独創的な表現。 雨のつれづれなる日 あまてらす神も心あるものならば物思ふ春は雨なふらせそ (続集) 【通釈】天を照らす神もお心がおありならば、物思いに耽る春にはどうか雨を降らせないで下さいな。 【補記】敦道親王哀傷歌群の一首。 ならはぬ里のつれづれなるに 二首 身よりかく涙はいかがながるべき海てふ海は潮やひぬらむ (続集) 【通釈】身体からどうしてこんなに涙は流れ出るはずがあろう。 海という海は潮が引いてしまったのだろうか。 【補記】なお敦道親王薨後の悲しみの中にあって、住み慣れない里で物寂しく過ごしていた時の作。 一連の作中には「おぼつかな我が身は田子の浦なれや袖うちぬらす浪の間もなし」「君とまたみるめおひせばよもの海の底のかぎりはかづきみてまし」など海に関連する歌が目立ち、末尾は「わすれ草われかくつめば住よしの岸のところはあれやしぬらん」。 身を寄せていたのは摂津国住吉の海辺近くであったらしいと判る。 【参考】「古事記」(の泣くさま) その泣く状は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。 「是則集」 かつきえぬ涙が磯のあはびゆゑ海てふ海はかづきつくしつ 身をわけて涙の川のながるればこなたかなたの岸とこそなれ (続集) 【通釈】身を裂くように涙の川が激しく流れるので、我が身はあちらとこちらと、二つの岸に別れてしまう。 【補記】前歌と同じ歌群中にある。 【参考歌】作者未詳「是貞親王家歌合」 くりかへし我が身をわけて涙こそ秋のしぐれにおとらざりけれ 七日、雪のいみじうふるに、つれづれとおぼゆれば 君をまたかく見てしがなはかなくて 去年 こぞ は消えにし雪も降るめり (続集) 【通釈】あなたを再びこんなふうに見てみたい。 果敢なくて去年には消えてしまった雪も、年が巡ってまた降っているようだ。 【補記】敦道親王の薨去の翌年、寛弘五年 1008 正月七日の作。 同じ詞書で括られた「君がため若菜つむとて春日野の雪まをいかにけふはわけまし」の次に載る。 ゆふべのながめ 夕暮はいかなる時ぞ目にみえぬ風の音さへあはれなるかな (続集) 【通釈】夕暮とは一体どのような時なのか。 目に見えない風の音さえしみじみと感じられるよ。 【補記】「つれづれの尽きせぬままに、おぼゆる事を書き集めたる歌にこそ似たれ ひるしのぶ ゆふべのながめ よひのおもひ よなかのねざめ あかつきのこひ これを書き分けたる」と詞書のある四十六首の歌群より。 一日の時刻の移り行きに即して亡き敦道親王を哀傷する特異な連作である。 【主な派生歌】 ながむればすずろにおつる涙かないかなる時ぞ秋の夕暮 [続古今] よひのおもひ なぐさめて光の間にもあるべきを見えては見えぬ宵の稲妻 (続集) 【通釈】光一閃の間だけでも慰めてくれてよさそうなものなのに、稲光は見えても亡き人の姿は見えない宵の稲妻よ。 【補記】前の歌と同じ歌群より。 こんなに寂しい音だったと、独り寝の今になって初めて知ったのだ。 【補記】新古今集巻八哀傷歌に入集。 詞書に「弾正尹為尊親王におくれて、なげき侍りけるころ」とあるのは不審。 また第四句は「昔は袖の」と改変されている。 【補記】新勅撰集巻第十三(恋三)825、「題しらず」として収録。 続集の同題の歌「明けぬとや今こそ見つれ暁の空は恋しき人ならねども」も心に残る。 【主な派生歌】 たまさかにあふことの葉もかれぬれば冬こそ恋の限なりけれ 藤原俊忠[新続古今] おちそひてあはれのこさぬ涙かな寝覚や恋のかぎりなるらむ 我が恋ふる人は来たりといかがせむおぼつかなしや明けぐれの空 (続集) 【通釈】私の恋しい人はやって来たとしても、どうしよう。 本当にその人かどうか、心もとないよ、明けたばかりのほの暗い空では。 十二月の晦 つごもり の夜よみはべりける なき人のくる夜ときけど君もなし我がすむ宿や玉なきの里 (後拾遺575) 【通釈】亡き人が訪れる夜だと聞くけれども、あなたはいない。 私の住まいは「魂無きの里」なのだろうか。 『歌枕名寄』も未勘国とする。 【補記】『和泉式部集』続集の順序からすると、「君」は敦道親王であろう。 大晦日の晩には、死者の霊が家に帰ると信じられた。 後拾遺集巻十哀傷。 【他出】続集、歌枕名寄、夫木和歌抄 内侍のうせたるころ、雪の降りてきえぬれば などて君むなしき空に消えにけむあは雪だにもふればふるよに (正集) 【通釈】どうしてあなたは虚しい空に消えてしまったのでしょう。 【補記】万寿二年 1025 十一月、和泉式部は娘の小式部内侍に先立たれた。 「ふる」は「(雪が)降る」「(年月を)経る」の掛詞。 小式部内侍なくなりて後よみ侍りける あひにあひて物おもふ春はかひもなし花も霞も目にし立たねば (玉葉2299) 【通釈】巡り来た春に逢うには逢ったが、物思いに沈む身にはその甲斐もない。 花も霞も目にはっきりとは見えないので。 【補記】続集では詞書「内侍なくなりたる頃、人に」。 【参考歌】「古今集」 あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さへぬるる顔なる 小式部内侍なくなりて、むまごどもの侍りけるを見てよみ侍りける とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり (後拾遺568) 【通釈】子供たちと私を置いて死んでしまって、娘はいったいどちらを哀れと思っているだろうか。 きっと、親である私よりも、子供たちの方を愛しんでいるだろう。 親より子と死に別れる方が、私も辛かった。 【補記】「紙十枚許りに書きても、猶此のことばかりは、あらはれがたき事にぞ侍る。 心深きと云ふ、則如此の歌なるべし」 今川了俊『落書露顕』。 【他出】和泉式部続集、栄花物語、古来風躰抄、定家八代抄、古本説話集、宝物集、世継物語 若君、御送りにおはするころ この身こそ子のかはりには恋しけれ親恋しくは親を見てまし (正集) 【通釈】この子をこそ、我が子の代りに恋しく思う。 若君よ、母が恋しい時には、代りに、その親である私をごらんなさい。 【補記】詞書の「若君」は小式部内侍が藤原教通との間にもうけた子。 小式部内侍の葬送の時、和泉式部が孫に与えた歌である。 「この身」は若君すなわち孫を指し、「子のかはりに」の「子」は小式部内侍。 下句に移り、最初の「親」は小式部内侍、次の「親」は和泉式部を指す。 因みにこの「若君」はのち出家して静円を名のった。 小式部内侍うせてのち、上東門院より、としごろ給はりけるきぬを、亡きあとにもつかはしたりけるに、「小式部内侍」と書きつけられたるを見てよめる もろともに苔の下にはくちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき (金葉三奏本612) 【通釈】一緒に苔の下に朽ちることなく、私ばかりが生き残ってしまって、埋もれることのない娘の名を見ることが悲しいのです。 【補記】小式部内侍は生前に仕え、毎年衣を賜わっていたが、死んだ後も例年通り下賜された。 その衣に小式部内侍の名が書き付けられていたのを見て詠んだ歌。 亡骸は埋れて目に見えなくなっても、死者の名は埋れることなく目に触れ、悲しい追想を誘う。 【参考】「白氏文集・題故元少尹集後」、「和漢朗詠集・文詞」() 遺文三十軸 軸軸金玉聲 龍門原上土 埋骨不埋名 【他出】和泉式部集、後六々撰、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、宝物集、沙石集、女房三十六人歌合 山寺にこもりてはべりけるに、人をとかくするが見えはべりければよめる たちのぼる 烟 けぶり につけて思ふかないつまた我を人のかく見む (後拾遺539) 【通釈】立ちのぼる火葬の煙を見るにつけてつくづく思うなあ。 いつ煙になった私を人々がまたこうして見るのだろうかと。 【補記】山寺に籠っていた時、死者を葬るさまを見ての詠。 正集には詞書「また人のさうそうするをみて」。 後拾遺集巻十哀傷。 雑 道貞、わすれてのち、陸奥守 みちのくにのかみ にてくだりけるに、つかはしける もろともに立たましものをみちのくの衣の関をよそに聞くかな (詞花173) 【通釈】私たちの仲が絶えていなければ、一緒に出発したものを。 あなたが越えて行く陸奥の衣の関を、他人事として聞くのですねえ。 【補記】寛弘元年 1004 、最初の夫であった橘道貞が陸奥守として任国に下る際、贈った歌。 「衣の関」は岩手県平泉、衣川の近くにあった古関。 「男に肌を許さぬことを『衣の関』という。 そんな愛のかけひきも自分とは無縁のことと思う悲しさ」(岩波新日本古典文学大系)。 宮、法師になりて、髪のきれをおこせ給へるを かき撫でて生ほしし髪のすじことになりはてぬるを見るぞ悲しき (正集) 【通釈】髪を掻き撫でつつ育てたあなたが、普通の人とは違った道に入ってしまったのを見るのは切ないことです。 「髪の筋毎に撫でた」意に、「普通とは違った道(仏道)に入った」意を兼ねる。 丹後国にて、保昌あす狩せむといひける夜、鹿のなくをききてよめる ことわりやいかでか鹿の鳴かざらむ今宵ばかりの命と思へば (後拾遺999) 【通釈】もっともなことだよ。 今夜限りの命と思えば、どうして鹿が啼かないわけがあろう。 【補記】夫藤原保昌の任国丹後にあって、保昌が明日狩をすると言った夜、鹿の鳴き声を聞いて詠んだ歌。 保昌は和泉式部より二十歳近く年長で、富裕で豪胆な人物であったが、彼との結婚生活は式部にとって満ち足りたものではなかったらしい。 鬱屈した心情を抱えた日々が窺われる一首である。 正集・続集いずれにも見えない歌。 【他出】曽我物語、古本説話集、世継物語 観身岸額離根草、論命江頭不繋舟 (四首) たらちめの諌めしものをつれづれとながむるをだに問ふ人もなし (正集) 【通釈】母はうたた寝を叱ったものであるが、こうして物思いに耽りながら寝転んでいるのを、どうしたのかと今は尋ねてくれる人もいない。 下記本歌参照。 【補記】題詞は『和漢朗詠集』無常の部に載る羅維の詩。 訓み下せば「身ヲ観ズレバ岸ノ額ニ根ヲ離レタル草、命ヲ論ズレバ江ノ頭ニ繋ガザル舟」。 掲出歌以下四首は、その一字づつを頭において詠んだ連作四十三首からの抜萃である。 掲出歌は新古今集巻十八雑下に「題しらず」として入集。 初句は「たらちねの」。 【本歌】「拾遺集」 たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける 【主な派生歌】 笹の葉の露ばかりだに足乳根のいさめしものを酔ひに酔ひつつ るりの地と人も見つべしわが床は涙の玉としきにしければ (正集) 【通釈】瑠璃の地と人も見るに違いない。 私の寝床は、涙が玉のように敷き詰められているので。 七宝の一つ。 金・銀に次ぎ、青い宝石の類。 「瑠璃の地」は浄土・仏土のこと。 『法華経』のほか多くの仏典に出てくる。 暮れぬなり 幾日 いくか をかくてすぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして (正集) 【通釈】日は暮れてしまったようだ。 こんなふうにして何日を過ごしたのだろう。 入相の鐘を撞き、また撞きする音をつくづくと聞くばかりで…。 家の中などにいて、外のけしきは見ていないが、鐘の音によって日が暮れたと判ったのである。 は聴覚に基づく判断をあらわす助動詞。 【補記】新古今集巻十八雑下に「題しらず」として入集。 【補記】来る筈もない人を待って夜を明かし、有明の月を迎えることが度重なる。 新古今集巻十六雑上に「題しらず」として入集。 世の中にあらまほしき事 (三首) おしなべて花は桜になしはてて散るてふことのなからましかば (正集) 【通釈】花という花は全部桜にしてしまって、散るということがなかったならよいのに。 【補記】「あらまほしき事」とは、こうあってほしいと願うこと。 続後撰集85には「題しらず」とし、第二句「はるをさくらに」。 みな人をおなじ心になしはてて思ふ思はぬなからましかば (正集) 【通釈】すべての人を同じ心にしてしまって、片方だけが思い、片方は思わないというようなことがなかったらよいのに。 【補記】後拾遺集には恋歌として巻十二に載せている。 世の中に憂き身はなくてをしと思ふ人の命をとどめましかば (正集) 【通釈】辛いことばかり多い我が身はこの世から無くなって、代りに愛しく惜しいと思う人たちの命を残すことができたらよいのに。 【補記】「をし」は「愛しい」「惜しい」両義を含む。 前二首と異なりこれは稚い願望とも常識的な願望とも言えず、和泉式部独特の人生観がよく出た「あらまほしき事」であろう。 玉葉集2547には「題しらず」として載せる。 題しらず いかにせむいかにかすべき世の中をそむけば悲しすめばうらめし (玉葉2546) 【通釈】どうしよう。 どうすればよいのだろう。 この世を捨てるのも悲しいし、住み続けるのも耐え難いし。 【補記】正集では詞書「人に世のはかなきことをなどいひて」。 また結句は「すめばすみうし」。 【先蹤歌】藤原高遠「高遠集」 いかにしていかがはすべきなげきわびそむけばかなしふればうらめし 心地いとあしうおぼゆる比 我に誰あはれをかけむ思ひ出のなからむのちぞ悲しかりける (続集) 【通釈】私に誰が同情をかけてくれるだろうか。 私の死後、人々が思い出してもくれなくなった後を思えば、悲しいことである。 【補記】制作時期は不詳だが、続集では敦道親王の四十九日法要の際の歌の直前に置かれている。 世間 よのなか はかなき事を聞きて しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言ひやおかまし (正集) 【通釈】死んでしまったら、偲んでくれるような人もいない我が身だから、生きている時に「ああ可哀そうに」と自分で言っておこうか。 【補記】誰かの死を聞いて詠んだ歌ということであろう。 後拾遺集では詞書「世の中つねなく侍りけるころよめる」、第三句「あるをりは」。 【主な派生歌】 あはれあはれ思へばかなしつひの果てしのぶべき人たれとなき身を よみ花のさきたるを見て かへらぬは 齢 よはひ なりけり年のうちにいかなる花かふたたびは咲く (続集) 【通釈】戻ってこないのは年齢であったよ。 一年のうちで、どんな花が再び咲くものか。 地獄絵に、つるぎの枝に人のつらぬかれたるを見てよめる あさましやつるぎの枝のたわむまでこは何の身のなれるなるらむ (金葉644) 【通釈】なんてひどい。 剣の枝がたわむ程に身を貫かれて、これは一体どんな罪を犯した人がこうなったのであろう。 【補記】「つるぎの枝」とは、地獄に生えているという剣の樹の枝。 「つるぎ」に木を、「身」に実の意を掛け、「枝がたわむほど何の実がなったのか」の意を兼ねている。 性空上人のもとに、よみてつかはしける 暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月 (拾遺1342) 【通釈】暗闇から暗闇へと、煩悩の道に迷い込んでしまいそうです。 遥か彼方まで照らし出して下さい、山の端 は の真如の月よ。 -1007。 天台宗僧。 康保三年 966 、播磨国書写山に入り、円教寺を創立する。 法華持経者として知られ、あまたの霊験譚が伝わる。 因みに無量寿経にも「従苦入苦、従冥入冥」(苦より苦に入り、冥より冥に入る)とある。 性空上人による救いを暗喩する。 【補記】拾遺集に「雅致女式部」の名で唯一首入選した歌で、十代か二十代の作と推定される。 正集には詞書「播磨のひじりのおもとに、結縁 けちえん のためにきこえし」。 【他出】後十五番歌合、麗花集、和泉式部集、玄々集、新撰朗詠集、後六々撰、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合、女房三十六人歌合、古本説話集、宝物集、発心集、世継物語、沙石集 【参考歌】「続後撰集」 くらきよりくらきに猶や迷はまし衣のうらの玉なかりせば 【主な派生歌】 帰り出でて後の闇路を照らさなむ心にやどる山の端の月 [続後撰] 今はとて影をかくさむ夕べにも我をば送れ山の端の月 [玉葉] 心をばかねて西にぞ送りぬる我が身をさそへ山の端の月 源親子[風雅] 暗きより暗きにまよふ心をもはなれぬ月を待つぞはかなき 足利直義[新千載] 五月闇こかげ山陰くらきよりくらきに入りて照射すらしも 七日、例ならぬ心地のみすれば、「今日や我が世の」とおぼゆる 生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける (続集) 【通釈】生きていられそうには思えないなあ。 別れてしまった人の心が、私の命であったのだ。 今日が最期の日か、の意。 【補記】ある年の十一月の作。 『和泉式部続集』末尾近く、日記風の体裁が続く部分にある。 更新日:平成17年04月01日 最終更新日:平成22年08月17日.

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新古今和歌集

あたら夜の月と花とを おなじくは あはれ知れらむ人に見せばや 品詞分解

『枕草子』の現代語訳:103 『枕草子』の現代語訳:103 清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた 『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。 このウェブページでは、『枕草子』の『大納言殿の参りたまへるなりけり。 御直衣、指貫の紫の色~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。 参考文献 石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫) スポンサーリンク [古文・原文] 179段(続き) 大納言殿の参りたまへるなりけり。 御直衣、指貫の紫の色、雪に映えていみじうをかし。 柱もとに居給ひて、(伊周)「昨日、今日、物忌(ものいみ)に侍りつれど、雪のいたく降り侍りつれば、おぼつかなさになむ」と申したまふ。 「道もなしと思ひつるに、いかで」とぞ御答へ(おいらえ)ある。 うち笑ひ給ひて、「あはれともや御覧ずるとて」などのたまふ御有様ども、これより何事かはまさらむ、物語にいみじう口にまかせて言ひたるに違はざめりと、おぼゆ。 宮は、白き御衣(おんぞ)どもに紅の唐綾(からあや)をぞ上に奉りたる。 御髪(みぐし)のかからせ給へるなど、絵に描きたるをこそ、かかることは見しに、現(うつつ)にはまだ知らぬを、夢の心地ぞする。 女房と物言ひ、戯れ言などしたまふ御答へ(おいらえ)を、いささか恥づかしとも思ひたらず、聞え返し、空言などのたまふは、あらがひ論じなど聞ゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう面ぞ赤むや。 御菓子(おんくだもの)まゐりなど、とりはやして、御前にも参らせ給ふ。 (伊周)「御几帳(みきちょう)の後なるは誰ぞ」と問ひ給ふなるべし。 さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほ外へにやと思ふに、いと近う居給ひて、物などのたまふ。 まだ参らざりしより聞きおき給ひける事など、「まことにや、さりし」など、のたまふに、御几帳隔てて、よそに見やり奉りつるだに、恥づかしかりつるに、いとあさましう、さし向ひ聞えたる心地、うつつとも覚えず。 行幸(ぎょうこう)など見るをり、車の方にいささかも見おこせ給へば、下簾(したすだれ)引きふたぎて、透影(すきかげ)もやと、扇をさし隠すに、なほいと我が心ながらもおほけなく、いかで立ち出でしにかと、汗あえていみじきには、何事をかは答えも聞えむ。 かしこき陰と捧げたる扇をさへ取り給へるに、振りかくべき髪のおぼえさへあやしからむと思ふに、すべてさる気色もこそは見ゆらめ、疾く立ち給はなむと思へど、扇を手まさぐりにして、絵のこと、「誰が描かせたるぞ」など、のたまひて、とみにも賜はねば、袖を押しあてて、うつぶし居たるも、唐衣に白い物うつりて、まだらならむかし。 久しく居給へるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させ給へるにや、「これ見給へ。 これは誰が手ぞ」と、聞えさせ給ふを、(伊周)「賜はりて見侍らむ」と申し給ふを、「なほ、ここへ」と、のたまはす。 「人をとらへて立て侍らぬなり」と、のたまふも、いと今めかしく、身のほど合はず、かたはらいたし。 人の草仮名(そうがな)書きたる草紙など取り出でて御覧ず。 「誰がにかあらむ。 かれに見せさせ給へ。 それぞ、世にある人の手は皆見知りて侍らむ」など、唯答へさせむと、あやしきことどもをのたまふ。 楽天AD [現代語訳] 179段(続き) (殿様ではなく)大納言殿・伊周(これちか)が参上されたのであった。 御直衣、指貫の紫の色が、雪に映えてとても立派である。 柱のところにお座りになられて、 「昨日、今日、物忌でしたが、雪がひどく降りましたので、あなた様のことが気がかりで。 」と申し上げる。 「雪で道もないと思いましたが、どうしてよくいらっしゃいました。 」とお答えになられる。 伊周殿はお笑いになられて、「よくぞいらしてくれたと御覧になって下さるかと思いまして。 」などとおっしゃるご様子は、これより素晴らしいやり取りなどあるだろうか、物語にただ口に任せて登場人物たちに言わせているのと違いがないように(あまりに出来すぎた気の利いたやり取りであるように)、思われた。 中宮様は、白い御下着を重ね着して、その上に紅の唐綾をお召しになっておられる。 それに御髪がかかっていらっしゃるところなど、絵に描いた姫君であれば、このような美しい人も見たことがあるが、現実にはまだ知らなかったので、夢見心地のような感じがする。 大納言様は女房とお話をされて、戯れの冗談などをおっしゃる、そのご返事を少しも気後れした感じもなく、聞いて返し、作り話などをおっしゃる時には、反対して論じ合ったりするのを聞くのは、目がちかちかとするようで、情けないほどに、意味もなく私の顔が赤くなってしまう。 くだものを召し上がったりして、座をもてなして、中宮様にもお勧めになられる。 「御几帳の後ろにいるのは誰か」とお尋ねになられている。 そそのかすようなお答えをしたのだろうか、立ち上がっていらっしゃるのを、また他のところへ行くのだろうと思っていたが、とても近いところにお座りになられて、話しかけてこられる。 まだ参上する前から聞いていた噂話などについて、「本当なのか、そんなことがあったのか。 」などとおっしゃるが、御几帳を隔てて、他からお見上げしていただけでも、恥ずかしい思いだったのに、とても思いがけず、差し向かいでお話することになった気持ちは、これが現実だとは思えなかった。 行幸(ぎょうこう)などを見物する時、大納言様が車の方を少しでも見てきたならば、下簾を完全に閉ざして、隙間から姿の影が見えてはいけないと、扇をかざして隠すのに、やはりまったく自分の気持ちながらも身の程知らずなことであり、どうして宮仕えなどしようと思ったのかと、汗をびっしょりかいて大変なことになっているのだから、何をお答えすることなどできるだろうか。 頼みの陰として捧げていた扇さえ取り上げられてしまい、振りかけて顔を隠す髪の感じさえ恥ずかしいと思うと、自分のすべてがみすぼらしく思われてしまい、早く立ち去ってほしいと思うのだけれど、扇を手でもてあそびながら、絵のことについて、「誰が描かせたものなのか。 」などとお聞きになられて、すぐに返してもくださらないので、顔を袖に押し当てて、うつむいて座っていたのだが、唐衣におしろいの白いのが付いてしまい、顔色もまだらになってしまった。 長く私の側にいらっしゃるのを、思いやりがないことで、私が苦しく感じているのだろうと分かって下さったのだろうか、中宮様が「これを見てごらんなさい。 これは誰の手ですか。 」と申し上げると、大納言様が「こちらに頂いて見てみましょう。 」と申されるのを、「やはり、こちらへいらっしゃって下さい。 」とおっしゃられる。 「人を捕まえて立たせないのです。 」とおっしゃるのも、とても洗練された物言いで、私の身のほどには合わず、居心地が悪く気まずいものである。 中宮様は、誰かの草仮名(そうがな)を書いた本などを取り出して御覧になられている。 「誰の手なのでしょうね。 清少納言に見せてみてください。 博識な彼女なら、世の中にある人の手はすべて見知っているでしょうから。 」などと、ただ私に答えさせようと、無茶なことなどをおっしゃられる。 スポンサーリンク [古文・原文] 179段(終わり) 一ところだにあるに、また前駆(さき)うち追はせて、同じ直衣(なほし)の人参り給ひて、これは今少しはなやぎ、猿楽言(さるがくごと)などしたまふを、笑ひ興じ、我も、なにがしがとある事、など、殿上人の上など申し給ふを聞くは、なほ、変化(へんげ)の者、天人などの下り来たるにやと覚えしを、侍ひ馴れ、日頃過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。 かく見る人々も皆、家の内出で初めけむほどは、さこそは覚えけめなど、観じもてゆくに、おのづから面馴れぬ(おもなれぬ)べし。 物など仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ御答え(おいらへ)に、(清少納言)「いかがは」と啓するに合はせて、台盤所(だいばんどころ)の方に、鼻をいと高うひたれば、「あな心憂(こころう)。 虚言(そらごと)をいふなりけり。 よしよし」とて、奥へ入らせ給ひぬ。 いかでか虚言にはあらむ、よろしうだに思ひ聞えさすべき事かは、あさましう、鼻こそ虚言はしけれ、と思ふ。 さても、誰か、かくにくきわざはしつらむ、おほかた心づきなしと覚ゆれば、さる折も、おしひしぎつつあるものを、まいていみじうにくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓し返さで、明けぬれば下りたるすなはち、浅緑(あさみどり)なる薄様(うすよう)に、艶(えん)なる文を「これ」とて来たる、開けて見れば、 (中宮)「いかにしていかに知らまし偽りを空に糺(ただす)の神なかりせば となむ、御けしきは」とあるに、めでたくも口をしうも思ひ乱るるにも、なほ昨夜(よべ)の人ぞ、ねたく、にくままほしき。 「薄さ濃さそれにもよらぬはなゆゑに憂き身の程を見るぞわびしき なほ、こればかり啓し直させ給へ。 式の神もおのづから。 いと畏し(かしこし)」とて、参らせて後にも、うたて折しも、などてさはありけむと、いと嘆かし。 楽天AD [現代語訳] 179段(終わり) お一人でも持て余しているのに、また先払いの声を掛けさせて、同じような直衣姿の人が参上して、この方はもう少し華やかな感じで、軽口の戯れなどをおっしゃるのを、女房たちは笑って面白がり、私も、誰かれがこうこうでしたということなど、殿上人の噂話など申し上げるのを聞いていると、変化の者か天人などがこの地上に下りてきたのかと思われるほどで、お仕えに馴れて何日も過ぎてみると、そんなに大したことでもなかったのだった。 こうして見ている女房たちも皆、自分の家から初めて宮仕えに出た当初は、そんな風に思っていたのだなどと、分かっていくうちに、自然と私も馴れていったようである。 何かお話などをされて、中宮様が「私のことを思ってくださるかしら。 」とお尋ねになったご返事に、「当然です。 」と申し上げるのに合わせて、台盤所の方で、大きな音でくしゃみをしたので、「まぁ、嫌なこと。 嘘を言ったのですね。 もういいです、もういいです。 」とおっしゃって、奥に入ってしまわれた。 どうして嘘などであろうか、どんなに強くお思いしていることかは、あきれたことだ、くしゃみのほうこそ嘘だったのだ、と思う。 それにしても、誰が、こんな憎たらしいことをしたのだろう、大体、くしゃみは気に入らないと思うから、出そうな時でも、押し殺しながらしているのに、ましてあんなに大きな音でするのは憎たらしいと思うけれど、まだ宮仕えしたばかりなので、とにかく言い返すこともできないで、夜が明けたので局に下がるとすぐに、薄緑色の薄様のおしゃれな手紙を、「これ」と言って持ってきたので、開けてみると、 (中宮)「いかにしていかに知らまし偽りを空に糺(ただす)の神なかりせば とおっしゃっているご様子です。 」と書いてあるので、素晴らしいと思うし、我が身を情けなくも思って気持ちも乱れるしで、やはり昨夜のくしゃみの人が、妬ましく憎たらしい。 (清少納言)「薄さ濃さそれにもよらぬはなゆゑに憂き身の程を見るぞわびしき やはり、この歌だけはどうにかしてお伝えしてください。 式の神もご照覧して下さいましょう。 嘘をつくなどは畏れ多いことです。 」と書いて返事を差し上げた後でも、いやな折も折、どうしてあの人はくしゃみなどしたのだろうと、とても嘆かわしい。

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