いじめられる側にも原因がある。 いじめられっ子にも原因はある。という言説について|きしもとたかひろ|note

いじめられるほうが悪いと言われる理由や原因は?責任はどのくらい?

いじめられる側にも原因がある

「イジメられる側にも原因がある」 経験者が語った正論に共感の嵐… 女優、タレント、声優として活躍する 元子役のはるかぜちゃんこと春名風花(はるな ふうか)さん。 最近ではドラマや CM、舞台やアニメだけでなく、 バラエティ番組などでも出演されています。 そんなはるかぜちゃんのいじめに関するツイートに ものすごく共感したので紹介します。 いじめられる側にも原因がある あるテレビ番組内でいじめに関する議題がありました。 はるかぜちゃんはそれに対して 「いじめられる方にも原因がある」という議題を振り返り、 『「原因がある」と言ってた人たちに 聞いてもらいたい話があるのでちょっとだけ書きます』 と以降のツイートに続けました。 そして、いちいち人の意見に振り回され、他人の望む自分になることのバカバカしさが分かるでしょう。 原因があって結果があるのではなく 結果があって原因がある。 いじめる人が変わらなければ、 いじめられる人がいくら努力しても いじめが無くなることはありません。 自分の人生を生きてください。 」 その答えはみんな同じです。 でも、わかっていても繰り返される悲劇。 個人が抱く「変わりたい」という意思は尊く、高尚なものです。 だからこそ春名さんの言う通り、その変化の方向性を 他人の気分に沿うよう決める必要はまったくありません。 「自分の人生を生きてください」 誰もが心の奥に刻み込むべき、大切なメッセージです。 このようなツイートに関して世代を超えて考えるきっかけを持ち できるだけ多くの方が持論を発信していくことが大事だと思います。 ネットでの反応 ・いじめる側が圧倒的に非があるのにいじめられた側にも 少しは非があったんじゃないかと原因を探るのはこの国の体質なんだろか… まず悔い改めるのは加害者なのに ・相手に『嫌われる理由』があって、 それを理由に嫌うのは個人の自由だけど、 それは決して『いじめて良い理由』にはならない。 いじめて良い理由など存在しない。 ・いじめの現場を的確に言い当てていると感じた。 いじめる側への手当も必要だ。 ・原因がどちらにあるにせよ、 いじめた側が100パーセント悪いと教わってきました。 どんな人であれ他人を不当に傷つけていい理由などないと。 いじめる側の心の弱さこそを変えていかないといじめは無くならない。 いじめられている側が卑屈になる必要はないと思います。

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「いじめられる側にも原因がある」とかいう謎理論

いじめられる側にも原因がある

こんばんは、ひなせです。 以前から気になっていた話題なんですが、「いじめられる側にも原因(責任)はあるかどうか」というテーマ。 「そんなことはありえない。 いじめられる側には原因はない」 「いやいや、そうは言ってもいじめられる側にも理由はあるでしょう」 といった形で、意見が二つに分かれますよね。 私自身はも過去にいじめられていた経験がありますし、「いじめられる側に原因はない」と、つい言いたくなってしまう。 ただ、この話は「人の好き嫌い」「本音と建て前」といった問題が絡み合っているので、いじめという問題の本質を分かりにくくしているのだと思います。 あえて言いますが、この「いじめられる側にも原因(責任)はあるかどうか」というテーマは、皆で話し合ってもいじめ問題の解決には全く結びつきません。 「いじめ問題」を語った気になっているだけです。 ・いじめの原因はいくらでも作れてしまえる いじめられる側に責任はある、という意見の人にとっては、いじめの理由はいくらでも作り出せます。 「貧弱」「貧乏」「背が低い」「声が小さい」「ブサイク」「デブ」「運動音痴」「頭が悪い」「生意気」「目つきが悪い」「挨拶をしない」「生理的に受け付けない」 などなど、本人の努力では解決出来ないものや、ほとんど言いがかりじゃないかというものまで、理由はいくらでも挙げられます。 ただし、ここからが重要なのですが、 これらの理由は、その人を「気に食わない」や「嫌いになる」原因であって、人をいじめていい理由にはなりません。 誰かが、人を「嫌いになる」までは、許されます。 人を「嫌いになる」のは、その人の自由です。 ですから、「いじめられる側にも、人から嫌われてしまうような原因はある」という話なら、 「人間、誰だって嫌いな人はいる」 「全ての人から好かれる事なんて出来ないよ」 という当たり前の結論になります。 「それでも人から好かれるために、嫌われる原因を直していこう」とか、 「でも、なかなか直せない部分もあるよね」といった話になります。 いじめの話をいつもややこしくしてしまうのが、「嫌いになる」ことまでダメなように言ってしまって、それまでがいじめのように扱われてしまう点です。 この部分をうやむやにしてしまうと、全ての人を好きにならないといけないといった、変な方向に話が進んでしまう。 本人達が納得していないのに、無理矢理に表向きは仲良くさせる、といった歪んだ解決方法になる。 人を嫌いになる=人をいじめていい、ではないという話を、しっかりと理解しないといけません。 嫌いな人間に暴力を振るっていい、その人の持ち物を盗んでいい、壊していい、嫌がらせをしていい、という話にはなりません。 ここの違いが重要です。 嫌いという感情を、そのまま言葉や行動にしない。 問題なのは原因では無く、その後のアクションです。 この部分を、いじめる側が学んでいく必要があります。 いじめられる側に責任はある、という考えがエスカレートすると、 肌の色や国籍や人種、性別や年齢や経済状況、嗜好や宗教や考え方に至るまで、あらゆるいじめの原因が作られてしまいます。 いや、ここまでくるといじめでは無く、差別や弾圧でしょうか。 ともかく、「いじめられる原因」なんてものは幻です。 これを認めてしまうと、極端に言えば「気に食わない相手の人権は無視していい」という話になります。 ・いじめの解決は仲良くすることでは無い いじめを無くす=皆で仲良くする、と考えてしまうと、いじめ問題は全く解決しません。 大人の社会でも、人の好き嫌いはあります。 ただ、建て前では「みんな仲良く」と言って、お互いの距離感を探り合っています。 表向き、仲が良いフリをすれば良い関係。 本音で語り合える親友。 仕事だけの関係。 人生を賭けてでも一緒にいたい相手。 同じ場所で空気を吸いたくないくらい嫌いな人。 人との付き合い方は、距離感がバラバラです。 ストレスを感じる距離感が続いた場合、何らかの形でその関係が破綻することを大人は知っています。 どうしても納得できる距離感で居られないなら、離れればいいんです。 ところが、いじめの解決となると、距離を縮められれば成功、と考える人が多くいます。 「建て前」の部分を信じ込んで、それを目指そうとする。 特に学校は、普段の教育から、 「皆と仲良くできる人が正しい」 といった、間違った前提で話を進めてしまいがちです。 ですから、「学校」「クラス」「部活」といった、 「距離感を近くしたい」小さな箱を前提にして、 その中でいじめを無くすには、といった話をしてしまう。 よく言われる、いじめ問題の解決策として、 「学校から逃げても良い。 学校に通わないという選択肢もあるよ」 という話は、いじめられる側の距離感という点では正しいです。 ただ、いじめる側の距離感も小さな箱によって狂わされているわけですから、 本当の解決を目指すなら、 「仲が良くない人がいるのは当たり前」 「仲良くじゃなくて、そこそこの距離感でいい」 といった考え方を認める、環境や制度が必要です。 ・いじめる側もいくらでも作れてしまえる 気を付けて下さい。 「いじめた側が悪い」という考え方も危険です。 「いじめられる側にも原因がある」のと、構造は同じです。 自分は被害者だ、弱い立場の人間だ、世の中が悪い、社会が悪い、と言い出したら、 「いじめられる側にも原因がある」を逆にして、「いじめる側が悪い」と言い訳ににしているのと同じです。 何度も同じ事を書きますが、 「いじめられる方が悪い」と「いじめる方が悪い」という考え方は、本質的に同じ考え方です。 相手が悪いと言っているだけです。 「いじめられる側」と「いじめる側」のどちらが悪いという話は、思考ゲームのような話であって、「いじめ」とは違う問題なんです。 「いじめられる側」と「いじめる側」の周りや間にあるものが、いじめの原因です。 人間的に成長すれば、いじめは無くなる、なんて期待してはいけません。 大人の社会でも、人間的に円熟しているお年寄りの社会でも、いじめはあります。 ・いじめを無くすために、仕組みを考える 人が人を嫌いになる。 その感情をまずは認める。 社会の中で、好きな人もいれば嫌いになる人もいるのは当たり前です。 全ての人と仲良くすることは、最初から目指さなくていい。 嫌いという感情を攻撃に変えてしまった、形として現われてしまうのがいじめ。 それが犯罪行為なら、犯罪として罰する。 無理やり嫌いな者同士を同じ空間に居させる必要は無い。 狭い教室や、ネットのグループでも同じ。 これらには仕組みで対処する。 お互いに傷つけ合わない距離感を学ぶ。 まずは、こんなところでしょうか。 「いじめる側」と「いじめられる側」。 どちらが悪いと言っていても、言われた方が気分を悪くするだけで、何の解決にもなりません。 もちろん、どちら側にも変化は必要です。 今日のところはここまで。 また、いじめに関する話を書こうと思います。 hinasetan.

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ある番組のいじめの議題で『いじめられる側にも原因がある』と答えた人に対して、元子役が放ったツイートに超共感!!!

いじめられる側にも原因がある

なぜ子どもたちはいじめを始めるのでしょう。 いじめる側にすると、いじめられる側に原因があると口を揃えて言いますが、いじめる側には原因が全く無いのでしょうか。 子どものいじめには色々な原因が隠れています。 そしていじめられる側だけに原因があるのでは無く、いじめる側に原因がある場合も多いのです。 ここでは両方の言い分から、子どもがいじめられる原因について探っていきます。 いじめる側からの言い分!いじめの原因 いじめられる原因は1つではありません。 いくつかの原因があり、そこからいじめへと発展していくのです。 そして、中には子ども特有の残酷な面がそのまま垣間見る事ができるような理由も存在します。 ここでは今、実際に小学校でいじめられる原因となっている主なものを取り上げて、いじめる側の言い分からご紹介していきましょう。 可愛いから 容姿が整っていて男子から人気がある女の子は、ただ可愛いという事だけが原因となってしまい女子の中でいじめられるケースがあります。 最初の頃は可愛くて羨ましいと思うのですが、そのうち少しずつ嫉妬へと変わっていき、ちょっとした事が引き金となりいじめへと発展していくのです。 部外者である男の子も、いじめを止めさせようとするような勇気のある子はなかなか現れず、結局女子のいじめを黙認していまいます。 子どもの社会ではカッコいいという理由で男の子がいじめられる原因になるよりも、可愛い事が原因で女の子がいじめられる方が多い様です。 偉そうだから 勉強もトップで、体育の時間も敵無しの一通り何でもできちゃう子って、いつの時代でもクラスに1人はいましたよね。 クラスの代表的な存在で、皆をまとめるのが上手で人気者で…でも、一歩間違えるといじめられる原因を作ってしまいます。 何でもできる子に対し、最初の頃は「凄いな!」という尊敬の気持ちで接しているのですが、次第に鼻につくようになり、何でもできるからって偉そうにしているという理由でいじめが始まるのです。 他の子よりも素早く何でもでき、頭の回転も良く皆に指示を出す事もできるので先生からの信頼も厚いでしょう。 ただ、決して偉ぶっているわけでは無くても偉そうにしている様に見えてしまい、いじめられる原因になってしまいます。 これも、可愛い女の子がいじめられる原因となる、妬みや嫉妬の気持ちから来ていると言えるでしょう。 皆より動きが遅いから 自分よりもテキパキできる子に対しては偉そうだからといじめる反面、皆の動きについて来れないのんびり屋さんもいじめられる原因になります。 自分たちとは動きが違い、何をしても出遅れてしまうタイプの子どもに対して怒ったり、からかったりするいじめをするようになるのです。 そもそも身体的な特徴に関しては絶対に指摘してはいけない部分でありますが、それでも尚、いじめの原因となるのが子どもの残虐性が垣間見えるところでもあるのです。 いじめられる側からの言い分!いじめる方に原因あり いじめは、一方的にいじめられる側がその原因を作ってしまっているのでしょうか。 例えば身体的な特徴を馬鹿にする事から始まるいじめは、いじめられる原因が本人だけにあるとは考えづらいと言えます。 最近では、いじめる側に問題が潜んでいて、いじめをしなければ気が済まない精神状態になっている可能性が高いことが指摘されているのです。 そのような精神状態になってしまっている原因となっているのは、家庭環境や育て方によるものだとも言われています。 いじめられる原因は自分が安心するため どんな人でも不安を感じていたいとは思わないはずです。 いじめる側の子どもは不安な気持ちを強く感じていて、その気持ちいじめをする事で解消しているとも考えられています。 一人ぼっちになりたくない、いじめの対象者になりたくないと考えたら、皆と一緒になって今いじめられている子をいじめれば、仲間外れにされる事もいじめられる事も無いと考えて安心できるのです。 また、特に率先していじめている子は、自分には同調してくれる仲間がたくさんいるという安心感が芽生えます。 ではなぜ、いじめをして安心を得ようとするのでしょうか。 不安を感じやすい子どもの親は、過保護であったり過干渉である場合が多い様です。 子どもの事が心配でついつい手を出してしまう…そんな親の様子は子どもにも伝わってしまい、同じように自分の行動にも不安が生まれます。 それとは逆に、親と子の関わりが希薄で愛情不足により不安を感じやすくなってしまっている場合も考えられるのです。 家族に話を聞いてもらえない、テストの点数が悪いと激しく叱られる、家に帰るといつも一人ぼっちなど、不安が生まれる要素がたくさん家庭環境に潜んでいる事もあります。 いじめられる原因は優越感に浸りたいから いじめる側の子どもは、誰かをいじめる事でその子よりも偉くなったと思い優越感に浸ります。 自分より可愛い子や勉強ができる子、運動ができたりリーダーシップのある子をいじめる事で、自分の方が優れていると錯覚してしまうのです。 家で親から褒められることが無く、できない部分ばかりを責められて否定され続けると劣等感の塊になります。 親は、きっとこの子にはできるはず!と大きな期待を掛けて厳しく育てているつもりなのかもしれませんが、子どもにとってはそれがかなりのプレッシャーとなっているのです。 そのプレッシャーは、劣等感へと変わっていきます。 そんな時に、いじめで優越感を得られる事を知ると、次から次へと繰り返し行うようになるのです。 いじめる側に何の問題が無くても、優越感を得るためのいじめがあります。 いじめられる原因は八つ当たりによるもの 子どものいじめではいじめられる側に問題が無いにも関わらず、いじめる側の単なる八つ当たりが引き金となって発生している場合があります。 イライラする気持ちの矛先を、その原因となるものにはぶつける事ができず、気の弱い子どもに対して怒りをぶつけてスッキリさせているのです。 でも、必ずしも全員が同じような気持ちでいじめを行っているわけではありません。 中にはいじめはいけない事だと認識できているにも関わらず、加担してしまっている場合もあるのです。 みんながいじめているから…という理由だけでいじめる側についている子どもも少なくありません。 そして、いじめる側に入らなければ自分がいじめられる立場になってしまうかもしれないという不安から逃れるためなのです。 その場合、いじめられる原因がいじめられている子どもにあるのでは無く、自分を守るためだけにいじめている事になります。 集団によるいじめは、自分がいじめられるのを避けるために集団化してしまっているとも考えられます。 いじめられる原因は一つではない いじめられる原因はいじめられる側にあると言われたり、いじめる側にあるとも言われます。 しかし、実際のところどちらが正しいのかという結論は出ていません。 もちろんいじめはどんな理由があってもしてはいけません。 なぜなら、子どものいじめはクラス全体で集団化してしまう場合も少なく無いので、いじめられている本人にとっては心のダメージも相当大きくなります。 ただ、ここで述べたようにいじめられる原因は双方にあると言え、その双方の原因となるものがいくつか重なった時に発生しているようです。 更に、いじめる側の原因については、家庭での育て方にも大きく影響していると考えられています。 いじめ撲滅のためにもこれまで述べてきたいじめられる原因から、子育ての中でも注意すべき点があるという事が言えるでしょう。 そして今、いじめられる原因やいじめの原因は親の責任であるとも考えられています。 子どもたちがどちらの立場にもなる事が無い様、今一度、家庭でのお子さんとの接し方について振り返ってみる必要があるでしょう。

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